薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

マネー・ローンダリング等の勉強を始める 2

3 前回と今回とで間が空く

 前回、「マネー・ローンダリング対策の勉強を始めた」旨書いた。

 そして、犯収法第1条の条文を確認した。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 このシリーズ、「続けていこうかなあ」と考えていたけれど、次のマネロン資格を取ったり、色々忙しくなってしまったりして、どのように続けるべきか分からなくなってしまった。

 

https://www.kinzai.or.jp/kentei/5h7.html

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そこで、インターネットに公開されている次の文章などを参考にしながら、犯収法の条文を読んでいこうと考えている。

 

(『犯罪収益移転防止法の概要』_警察庁・令和5年6月1日の時点)

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/hourei/data/hougaiyou20230601.pdf

 

(『マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン 』_金融庁・令和3年11月22日)

https://www.fsa.go.jp/common/law/amlcft/211122_amlcft_guidelines.pdf

 

(『マネロン・テロ資金供与対策ガイドラインに関するよくあるご質問(FAQ)』_金融庁・令和4年8月5日) 

https://www.fsa.go.jp/news/r4/202208_amlcft_faq/202208_amlcft_faq.pdf

 

(『マネー・ローンダリング・テロ資金供与・拡散金融対策 の現状と課題(2023年6月)』_金融庁・令和5年6月)

https://www.fsa.go.jp/news/r4/20230630/2023063001.pdf

 

(『令和5年12月_犯罪収益移転危険度調査書』_国家公安委員会

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/nenzihokoku/risk/risk051207.pdf

 

4 犯収法第2条を読む

 次は、犯収法第2条を見てみる。

 この点、犯収法第2条は定義規定であるから、ざっと見るにとどめたいところではある。

 しかし、「犯罪による収益」は「疑わしい取引」(犯収法第8条)にも関連するので、少しだけ細かめにみてみる。

 

 この点、犯収法第2条で定められている定義は、「犯罪による収益」(第1項)・「特定事業者」(第2項)・「顧客等」(第3項)の3つである。

 以下、順に見ていこう。

 

 

 まず、犯収法第2条1項によると、「犯罪による収益」とは組織的犯罪処罰法第二条第四項に規定する「犯罪収益等」と麻薬特例法第二条第五項に規定する「薬物犯罪収益等」をいうらしい。

 つまり、「犯罪による収益」とは「犯罪収益等」と「薬物犯罪収益等」をあわせたものとなる。

 この点、「犯罪収益等」は範囲が広いため、「薬物犯罪収益等」からみていく。

 

 まず、「薬物犯罪収益等」とは、「①薬物犯罪収益と②薬物犯罪収益に由来する財産と③これらの財産とこれらの財産以外の財産とが混和した財産」を指すらしい(麻薬特例法第2条第5項)。

 あと、「薬物犯罪収益に由来する財産」とは、「①薬物犯罪収益の果実として得た財産、②薬物犯罪収益の対価として得た財産、③これらの財産の対価として得た財産その他薬物犯罪収益の保有又は処分に基づき得た財産」を指す(麻薬特例法第2条第4項)。

 ざっくりと把握すれば、「収益等」は「収益自体」や「収益の果実・収益財産・処分財産」(収益に由来する財産)が少しでも混ざった財産を指す。

 一部でも混ざっていれば全部が「収益等」になると考えると、結構範囲が広そうである。

 

 次に、重要なものが「薬物犯罪収益」であるが、「薬物犯罪収益」とは、①薬物犯罪の犯罪行為により得た財産と②当該犯罪行為の報酬として得た財産と③第2項第七号に掲げる罪に係る資金をいうらしい。

 ざっくり言えば、「薬物犯罪収益」とは薬物犯罪による取得財産・報酬財産・輸出入や製造のための資金を指すらしい。

 

 最後に、「薬物犯罪」とは、薬物(あへん、覚せい剤、麻薬等、大麻)の①不法な輸出入、②違法な製造や栽培、③薬物の所持や譲渡、④これらの行為の教唆や周旋を指すらしい。

 

 以上、「薬物犯罪収益等」についてみてきた。

 この辺にマネロン対策は薬物犯罪対策から始まったことを見ることができそうである。

 

 

 次に、「犯罪収益等」をみていく。

 この点、組織的犯罪処罰法第2条4項を見ると、「犯罪収益等」とは「犯罪収益」と「犯罪収益に由来する財産」と「犯罪収益や犯罪収益に由来する財産とその他の財産が混和した財産」の3つを指す。

「収益等」の定義は薬物犯罪収益等と同様なので、ここでは割愛する。

 

 さらに、「犯罪収益」について確認する。

 組織的犯罪処罰法第2条第2項には「犯罪収益」の内容について1号から5号まで規定されているが、これを全部把握するのは大変そうである。

 しかし、ざっくりと見れば、2号から5号は次のようにまとめられそうである

 なお、「された」というものの中には「されようとした」というものも含みうるものとする。

 

覚せい剤の輸入・製造に提供された資金(2号イ)

・売春や管理売春をするために提供された場所や資金(2号ロ)

・拳銃等の輸入の為に提供された資金・運搬物等(2号ハ)

サリン等の発散、サリンの製造・輸入のために提供された資金や器具等(2号ニ)

・軽微ではない犯罪に対する偽証、証拠の偽造・変造・隠滅などの対価として提供された資金(3号)

・外国の公務員に提供された賄賂として提供された資金(3号)

・テロ行為のために提供された資金(4号)

・テロ行為の準備のために提供された資金(5号)

 

 マネロン対策が現在組織犯罪対策・テロ資金対策・租税回避対策といったことを考慮すると、その辺が追加された部分をここに見ることができそうである。

 

 

 また、1号で定められた「犯罪収益」を見てみる。

 この点、1号に該当する罪はたくさんある。

 そこで、一般論を確認し、例外的に成立しない範囲をみていく。

 

 この点、1号の要件は次の①・②・③にまとめられる。

 

① 財産上不正の利益を得る目的があること(加害目的とか損壊目的は入らない)

② 成立する犯罪が軽微でない犯罪であること(死刑、無期、または長期4年以上の懲役・禁錮であるか、別表に記載されている犯罪であること)

③ ②の犯罪行為によって生成・取得した財産、または、②の犯罪行為の報酬となった財産

 

 つまり、財産獲得目的で軽微でない犯罪行為を行い、その行為による報酬財産やその行為による生成財産・取得財産であれば「犯罪収益」に該当することになる

 そして、ここでいう「軽微でない犯罪」は懲役4年未満で、かつ、別表に記載のない犯罪ということになるが、刑法の罪で該当する罪は少ない。

 

 というのも、生命や身体に対する犯罪は暴行罪を除けば、そもそも重い。

 また、財産罪の懲役の上限は基本的に10年、軽い罪(単純横領、背任)でも5年となる。

 さらに、長期4年未満の懲役刑であっても、一定の罪が別表に加えられている。

 例えば、贈賄罪、わいせつ物頒布罪、常習賭博罪などが別表に含まれている。

 したがって、刑法典にある犯罪で「3年以下懲役」となっている罪で別表に記載されていない罪を探してみると、住居侵入罪、名誉棄損罪、器物損壊罪、、、といったところになりそうである(もちろん、これ以外にもある)。

 このことから犯罪収益の「犯罪」に該当する罪は相当広いといえる。

 

 以上、「犯罪収益等」について見てきた。

 これを機にこのように条文の構造を見ることができて、理解が進んだように見える。

 

 

 次に、犯収法第2条第2項「特定事業者」を見てみる。

 条文を見ると、53個の業種が列挙されている。

 これを4つのグループに分けると次のようになりそうである。

 

①受信・与信・送金取引を担当する金融業者

(銀行などの金融機関とその上部団体、保険会社、証券会社、貸金業者、資金決済業者、暗号資産交換業者、口座や債権の管理業者、両替業者、カード会社)

②比較的高価な物を取り扱う業者

(不動産を取り扱う宅地建物取引業者、高価な製品を扱うファイナンス・リース業者、貴金属等扱う 宝石・貴金属等取扱事業者)

③士業

(弁護士、司法書士行政書士公認会計士、税理士)

④マネロンに使われやすい業者

(カジノ業者・郵便物の受け取りや電話の代行サービス)

 

 そして、犯収法施行令第3条には「ファイナンシャル・リース業」の定義が書かれている。

 また、犯収法施行令第3条を受けて、犯収法施行規則第2条でファイナンシャル・リース契約の具体的な条件が示されている。

 さらに、犯収法施行令第4条には「宝石・貴金属等取扱事業者」における宝石や貴金属等の定義が示されている。

 ちゃんと条文で規定されているのだなあ(なお、条文の内容は省略)。

 

 

 最後に、犯収法第2条第3項に登場する「顧客等」の定義をみてみる。

 こちらは、顧客(特定事業者の契約の相手方)と犯収法施行令に定める者をいうらしい。

 そこで、犯収法施行令の第5条を見ると、様々な信託契約の受益者が「顧客等」に含まれるらしい。

 そして、犯収法施行令第5条に定められた信託契約の受益者でありながら「顧客等」に含まれない者について犯収法施行規則第3条に定められているようだ。

 

 ここはざっくりと把握できればよしとしておこうか。

 

 

 以上、犯収法第2条をみてきた。

 定義規定だけでこんなに疲れるとは・・・。

 今後はざっくり見ていきたいものである。

 

5 犯収法第3条を読む

 次に、犯収法3条をざっとみてみる。

 犯収法第3条には国家公安員会の責務として次のことを定めている。

 

・特定事業者に対し犯罪による収益の移転に係る手口に関する情報の提供その他の援助(第1項)

・犯罪による収益の移転防止の重要性について国民の理解の促進(第1項)

・疑わしい取引や犯罪収益に関する情報を集約・整理・分析することにより、刑事事件の捜査や犯則事件の調査などに活用できるようにすること(第2項)

・犯罪による収益の移転の危険性の程度その他の当該調査及び分析の結果を記載した犯罪収益移転危険度調査書の作成・公表(第3項)

・関係行政機関、特定事業者その他の関係者に対する資料の提出、意見の表明、説明その他必要な協力の要請(第4項)

・犯罪による収益の移転防止について相互協力の要請(第5項)

 


 重要なのは第3項の「犯罪収益移転危険度調査書」の作成・公表であろうか

 上の参考にするものとして取り上げた文章の1つはこの調査書であるが、いずれ確認しておきたいものである。

 

 

 では、今回はこの辺で。

『昭和天皇の研究』を読む 1

0 はじめに

 昨年末、「旧司法試験過去問の再検討」のシリーズが終了した。

 このシリーズは、「平成元年度から平成20年度までの旧司法試験の二次試験・論文式試験憲法第1問(人権)の過去問を検討する」というものであり、20問の過去問検討に約3年間を要し、ブログの記事数は120を超えることになった。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、現在継続しているシリーズとして「『小室直樹の中国原論』の読書メモ」がある。

 また、「今後も継続しよう」と考えている「AML/CFTに関する勉強」については、去年の12月にマネロン関係の資格をあっさりと取ってしまった(詳細は次の記事参照)ため、このブログにおいてどうするかは決まっていない。

 もちろん、資格取得以外にも「マネロン対策に関する学習」は積みあがっているし、「マネロン対策を日本教から見た感想」もあれば、「マネロン対策に関する別の資格取得の可能性」もあることを踏まえれば、「書くべき内容がない」といったことはないとしても。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そこで、今回から別の読書メモを書き始めることにする。

 具体的に選んだ本はこちらである。

 

 

 著者は故・山本七平氏である。

 

ja.wikipedia.org

 

 ところで、この本の帯には次のようなことが書かれている。

 

(以下、『昭和天皇の研究』の帯から引用、強調は私の手による)

昭和天皇ほど、憲法を守り通した君主はいなかった

(引用終了)

 

 その根拠は本文に示されているとおりであって、私自身も異論はない。

 ただ、この昭和天皇の行為に対して帝国臣民や日本国民は「いいこと」と見るだろうか、「悪いこと」と見るのだろうか。

 日本教から考えてみると非常に気になることである

 

 では、まえがきから本書を読んでいく。

 

1 『初版時の著書まえがき』を読む

 まえがきの初めで、著者(故・山本七平氏)は昭和天皇が極めて稀有な存在である」と述べる。

 それゆえ、昭和天皇に対する様々な論評の洪水に呑まれ、昭和天皇自体が見えなくなっている、とも。

 というのも、昭和天皇に対しては一種の緊張感をもって相対せざるを得なくなるから」、本書で引用されている本田靖春氏の言葉を用いると昭和天皇に対して一種『むっ』としまうから」だという。

 当然だが、「むっ」とした場合の原因は多々あり、かつ、その原因は感情的なものに由来する。

 それゆえ、外装は理論をまとおうとも、人々の天皇論は「天皇への感情論」となってしまう、らしい。

 したがって、天皇論の研究は日本人の深層心理を探求するために十分有用である

 

 

 しかし、そもそも論として重要なのが「昭和天皇自身の天皇論(自己規定)」である

 そして、本書で探求しているものは昭和天皇自身の自己規定」である。

 

 そして、以下、次のような言葉が続く。

 これは帯にも書かれていた部分なので、直接引用したい。

 

(以下、本書から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 各人が各人の「天皇論」を持つことは自由である。

 しかし、天皇は自分の天皇論どおりに動くロボット」であらねばならないと考えるなら、二・二六事件の将校と同じことになるであろう

(引用終了)

 

 なかなかきつい言葉である。

 少し前の明仁天皇陛下(現上皇陛下)が退位されるときの発言、または、現在の皇統に関する発言を見ていると、この言葉が刺さる方々がたくさんいるような気がしないではない。

 

 その上で、著者は次のように続ける。

 

 大正時代、津田左右吉博士は天皇陛下を「象徴」と規定した。

 それだけではなく、二・二六事件青年将校たちも天皇を「自らの天皇論の象徴」とした。

 このことは、青年将校たちが「天皇陛下の周囲にいる重臣を一掃すれば自らの目的が実現できると考えて、二・二六事件を起こしたこと」からも分かる。

 もちろん、青年将校の目論見は天皇陛下の判断(自己規定)によって失敗することになるわけだが。

 

 そこで、天皇の自己規定は「周囲の天皇論に基づく行動に対する(自身の自己規定を持った)昭和天皇の対応」を通じて検討されることになる。

 本書で行われているのがこの検討である。

 

 ちなみに、本書の発行は平成元年の2月10日である。

 昭和天皇崩御されて約1か月後。

 ドラマティックなタイミングである。

 

 

 以上、まえがきをみてきた。

 

 今回、本書を読書メモに選んだ理由は、日本教」を知る上で「天皇論」と「昭和天皇の自己規定」を見ることが有益であると考えたからである。

 なかなかに重い話であるとは考えるが。

 

 

 なお、本書には資料として「新日本建設に関する詔書」の全文が記載されている。

 この詔書はいわゆる「人間宣言」と呼ばれているものである。

 

 この「人間宣言」には冒頭に「五か条の御誓文」が登場する。

 その部分を私釈三国志風に意訳(あくまで意訳である、直訳ではない)してみると次のようになる。

 

(以下、「新日本建設に関する詔書」の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること、なお、各文毎に改行、強調は私の手による)

 昭和21年が始まった。

 そういえば、明治時代が始まるとき、明治天皇は国是として「五箇条の御誓文」を掲げた。

 その内容は次のとおり。

一、様々な場所で会議を開き、公論によって国家の重要事項を決めること

一、誰もが団結して、様々な政策を実行すること

一、誰もがそれぞれの志を成し遂げるようにし、堕落や退廃を減らしていくこと

一、従前の不合理な制度を排除し、条理・正義にかなう制度に変えること

一、叡智を世界から求め、国家を繫栄させること

 この五箇条は実に公明正大で、追加すべきものすらない。

 私は改めて「五箇条」の実践を誓い、国運を開くことにする。

(意訳終了)

 

 なお、明治天皇はこの五箇条を天地神明を前に誓約している。

 そのことは、五箇条の御誓文の末尾にある「我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ、朕󠄂躬ヲ以テ衆󠄁ニ先ンシ、天地神󠄀明󠄁ニ誓ヒ」という部分からも明らかである(詳細は次の記事参照)。

 

ja.wikipedia.org

 

 そして、昭和天皇終戦の翌年(戦後の始まりに)に五箇条を誓っている

 とすれば、近代日本の天皇陛下の自己規定はこの五箇条から始まるのではないか、という推測が働く。

 この点は本書を見ながら確認していきたい。

 

 

 では、今回はこの辺で。

『小室直樹の中国原論』を読む 17

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

17 第5章を読む_後編後半

 前回は、中国における「歴史は繰り返す(以下略)」の実例を見てきた。

 今回は、この続きである。

 

 ここまで、中国人の歴史に対する執念、「歴史は繰り返す」という法則の存在に言及した。

 ここから、話は近現代へ移る。

 

 まず、著者は、「現代の中国人は歴史に関心がないため、『歴史からエートスを抽出する方法』は有効ではなくなっていないか」という質問に答える形で「現代の中国人のエートスを知る際の歴史の学習の重要性」について説明する。

 つまり、「歴史からエートスを抽出する方法は体験談を読むより勝る」と。

 

 確かに、エートスを抽出するための調査が存在するわけではない。

 しかし、その一方で、体験談はその体験談を書く側、つまり、調査をした人間に科学的素養がなければ、その体験談はデータとしても信用性がなく、使用できない。

 このことを示しているのが、人類学の歴史である。

 この点については、次の読書メモにて触れている。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 人類学の発展の概要を述べるならば、マリノフスキーは物理学を手本にして人類学における科学的方法を導入し、ラドクリフ・ブラウンはデュルケーム社会学的方法を応用することによって、科学として成立させた。

 その意味で、科学的素養が欠いた、または、科学的調査方法を欠いた体験談はそもそもデータになりえない。

 

 ところで、本書では、マックス・ヴェーバーから始まる比較歴史学的方法を用いて、中国について分析している。

 その理由は、国史の記述が正確であること(崔杼のケースを想定されたし)、中国史が同じようなことを何度も繰り返すから、比較歴史学的データとして十分利用できるから、である。

 

 この点、「『呉楚七国の乱』が発生し(事実の発生)、その理由(『藩屛となる皇族が勢力を持ちすぎたため』)を考察し(法則の理論化)、同様の理由に基づいて再び同様の事件(八王の乱、靖難の役)が再現される」という流れは、物理学における法則の発見・証明のプロセスと同様である。

 そして、物理学と異なり社会学は実験ができないため、社会科学的法則の発見には反復された歴史が重要になる。

 もちろん、「歴史が必ずしも繰り返される」とは限らないとしても。

 

 なお、「歴史における事件には固有の意味があって、同一事件は二度と起きない」という思想もある。

 確かに、この思想をその人が採用すること自体、憲法19条に保障される思想良心の自由の保護範囲ではあろう。

 また、日本教はこの思想と整合的なもののようにも見える。

 しかし、この発想を採用すれば、歴史における類似性を否定することになるため、社会法則を発見することは不可能になる。

 

 

 ここで、話はヘーゲルの世界史に移る。

 ヘーゲル中華帝国の持続性に驚いている。

 というのも、西洋では革命の後には社会構造が変わることが多いのに対して、中国では易姓革命があっても、変わるのは統治者の姓であって、社会構造・社会組織・規範は変わらないから、である

 

 この点、ヘーゲル史観もマルクス史観も進歩史観を前提としている。

 しかし、中国史観は進歩史観ではない。

 それを見たヘーゲルは中国を「持続の帝国」と述べ、中国は自らを自ら以外の者へと変えることができないと結論付けている。

 

 なお、中国の歴史家もこのことは認識しているようである。

 例えば、近代中国に黄宗羲という偉大な学者がいた。

 あるとき、その学者が正史を全部読破しようとした

 そして、司馬遷の『史記』を半年で読み終えた。

 しかし、『史記』を読み終えて振り返ったところ、「『史記』は読み物として面白く、様々な感動が残っているが、覚えていることは何もない」ということとなった。

 その理由が「無数に起きた『似たような事件』を整理できなかったから」だそうである。

 

 その後、この偉大な学者は『漢書』の読破に挑んだが同じような結果となった。

 そのため、この偉大な学者は正史を読み続ける試みを断念したという

 

 では、正史がダメなら、ダイジェストならどうか

 宋の時代、中国の偉大なる学者司馬光が歴史書資治通鑑』を編集した。

 この書は戦国時代から宋の前代たる五代十国時代までの歴史のダイジェストが書かれている偉大な名著である。

 

 司馬光はこの史書を約20年かけて作り上げた。

 そして、世の絶賛を受け、人々は「この本は立派である」と述べた。

 しかし、具体的な言及がなかったそうである。

 というのも、歴史を重視する中国人であっても、億劫で誰も読んでいなかったから、らしい

 唯一の例外だった司馬光の親友は、忌憚のない意見を求められた際、「読むには読んだが、何が書かれていたが覚えていない」と感想を述べたという。

 つまり、正史同様、似た事件が延々と続いているため、その際を覚えられないのである。

 

 このような「似たような事件が延々と繰り返される」という事象は物語としては用をなさないだろう。

 しかし、科学者にとっては格好のサンプルである。

 何故なら、類似の事件から共通項を抽出し、そうなる理由を考察してモデルを作ることにより、社会法則を発見できるから、である。

 

 なお、以上のエピソードについて、本書は次の書籍を引用している。

 

 

 

 この点、物理学などの自然科学と異なり、社会科学では実験ができない

 それゆえ、実証のスピードが自然科学と圧倒的に異なるため、社会科学の進歩のスピードは遅くならざるを得ない。

 しかし、社会において同型の事件が何度も起きてくれれば、その事実を実験結果と同様の扱いをすることによって、法則の抽出が可能となるだろう。

 もちろん、ヴェーバーの手法を用いることもできる。

 その意味で、国史はこの手法を用いて理論を作る際の絶好のサンプルとなる

 

 そして、類似する事件が頻発することは、それらの事件はランダム、あるいは、個人の意図的な何かによって発生したわけではなく、ある法則に対して発生していることを示している

 よって、国史の中から中国人の本質を発見しうるし、中国史から中国人のエートスを抽出することができる

 

 なお、これに対しては、中国人の主観の方が重要なのではないか、という疑問がわくかもしれない。

 しかし、次の読書メモにあるように、中国人の主観や歴史知識は中国人のエートスとさしたる関係はない。

 何故なら、社会法則は人間の主観(意志・意識)と関係なく独立に作動するからである。

 なお、この現象のことをマルクス「人間疎外」と述べている。

 

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 例えば、ジャガイモなどの物の価格は所有者や栽培者の意志とは関係なく独立に市場法則によって決められる。

 市場に「価格よ、あがれ」と命令しても意味がない。

 そのことを知らなかったスーパーエリート(天保の改革の際の水野忠邦、戦後日本の大蔵官僚)は経済政策において大失敗をすることになる。

 まあ、この錯覚こそマルクス主義に反するものなのだが、マルクス主義の末裔たるスターリンさえこの錯覚を抱き、結果としてソビエト帝国を崩壊させたので、水野忠邦以下略の錯覚をどうこういうのはやや気が引けないではないが。

 

 この「社会は人間によって形作られるが、社会法則は人間の意志・意識からは独立に動く」というルール、この人間疎外の理解こそ社会理解の急所である。

 

 本書では、失業を通じて人間疎外の例を挙げている。

 つまり、失業は経済法則によって発生し、個々の意識によってどうにかなるものではない。

 そして、ケインズ派は「失業は有効需要の不足によって発生する」という経済法則を主張し、セイの法則が恒常的に発生すると考える古典経済学派は「失業は自発的なものに限り発生する」という経済法則を主張した。

 ここで、各々の主張する経済法則の妥当性は問題になるが、経済法則によって失業の発生メカニズムが決まると述べている点では同様である

 それは、ガンを治療したければ医学の知識が、空を飛びたければ物理学や工学の知識が必要なのと同様である。

 逆に、医学や物理学や工学の内容を誤解していれば、治療や飛行機の設計でとんでもない失敗を招くこともありえるところ、それと同様である。

 

 ここで、本書は大恐慌時代のケースを具体例にして説明する。

 1930年代の経済はケインズ経済学がまさに妥当する領域だった。

 しかし、古典経済学派全盛こともあり、当時の権力者はそのことに気付かず、世界はファシズムに雪崩れ込んだ。

 また、当時において失業をなくすのに成功したのはヒトラーだけであった。

 つまり、アウトバーンの建設で有効需要を増大させるとともに、シャハトの貨幣政策でインフレーションを抑え、ドイツは経済を立て直すことになる。

 

 以上の例に限らず、社会法則は人間の意志・意識とは関係がない。

 よって、国史の法則は中国人の歴史認識と関係なく作動することになる。 

 

 なお、四大社会科学者の一人に入っているフロイトは、歴史法則は人間の意志・意識よりも深いところにあり、無意識によって決定される、と述べている。

 また、フロイトは個人の精神分析を対象としているように見えるが、本当の意図は民族単位の精神分析にあったという意見もある

 これについては、岸田秀が述べていることであり、私自身は今後彼の本も読む予定でいる。

 

 フロイト理論を前提とした場合、「歴史法則に作用する人間の無意識は極めて深いところにあり、人間の意識ではどうにもできない」となる。

 この発想はデュルケームに応用され、「民族の集団的無意識」として重視されるようになった。

 

 デュルケームの主張のアウトラインをつかむと次のようになる。

 個人に無意識があるように、民族にも無意識がある。

 個人の無意識は幼児体験によって形成されるように、民族の無意識は民族の起源によって形成される、と。

 以上を前提とすれば、歴史を貫徹する社会法則は滅多なものでは変わらない、ということになる。

 この結論はヴェーバーの結論と同趣旨である。

 

 以上より、中国の理解において中国史の歴史は極めて重要となる。

 もちろん、これらの社会学者の理論を前提とすれば、というif文があるとしても。

 

 

 以上が本章のお話。

 何故、中国人のエートスを知る上で中国の歴史が重要になるのか、ということを見てきた。

 学問的根拠がどこにあるのかもわかって、非常にわかりやすい。

 

 ただ、こうやって見ると、日本教と社会科学はつくづく相性が悪いな、と考える。

 日本教は人前神後であり、人間の意志(精神)をより大きく評価する。

 日本教徒が上のフロイトデュルケームの主張を見たら、内容を理解する前に嫌悪感がきそうではないか。

 あるいは、社会科学を用いることそれ自体が反日本教的ではないか

 どうなのだろう。

 

 次回は第6章について見ていく予定である。

『小室直樹の中国原論』を読む 16

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

16 第5章を読む_後編前半

 前回は、中国人の歴史観ユダヤ教歴史観についてみてきた。

 今回は、「歴史は繰り返す。『一度目は悲劇、二度目は茶番』かはさておいて」という発想に立って、中国の王朝交代に関する歴史を見ていく。

 

 

 前回、マルクス史観とユダヤ教歴史観は類似していること、また、これらの歴史観と中国人の歴史観は真逆であることを示した。

 この点を見て、人によっては「あれ?」と考えるかもしれない。

 共産主義を採用した現代中国はマルクス史観ではないのか、と。

 

 この点、著者は毛沢東のエピソードをもって返答している。

 つまり、中国人はマルキストであっても実質的には中国史観に立脚している人が多い、と。

 具体的には、毛沢東は『三国志演義)』を読み、古を鏡にすること、つまり、歴史を十分に活用して革命を成功させた、と。

 

 ところで、本書で紹介されているのは明の建国者たる朱元璋である。

 以前の読書メモでも触れた通り、朱元璋は大粛清を行う一方、法体系を完備し、官僚システムを能率化して、完璧な独裁システムを築いた。

 つまり、朱元璋は秦の始皇帝が行おうとした「法家の思想による国家システム」を完成させたと言える。

 

 そのため、韓非子が死後もずっと中国社会を見ていたならば、法術完備の政治家として朱元璋を見出すことであろう。

 実際、朱元璋の統治システムは中国や日本の手本となった上、ヴォルテールもこの統治システムに理想的な官僚制を見出したのだから。

 

 以上の意味で、朱元璋は偉大な皇帝であった。

 しかし、朱元璋は古を鏡としなかったがため、政策を誤り、朱元璋の死後、「靖難の役」という皇族間の激烈なバトルが発生し、方孝儒が中国的殉教を実践することになる

 そして、「靖難の役」は、過去にあった「呉楚七国の乱」や晋の「八王の乱」にそっくりなものであった。

 以下、明の「靖難の役」へ至る道と過去の「呉楚七国の乱」と「八王の乱」の説明がなされていく。

 

 まず、「靖難の役」の前夜までについて。

 明の皇帝朱元璋は漢の劉邦を尊敬して、彼の皇子を王に封じて各地に配置した。

 もっとも、その王の権限は、呉楚七国の乱以後の王のようなものである。

 つまり、その王らは領地と軍隊を持たず、それらを預かっていただけであった。

 そして、皇帝の勅書が届いて初めて指揮権が発動する。

 まあ、そのときに軍隊を指揮できなければ意味がないので、それぞれの王は相応の軍事的知識を持っていたことは容易に想定されるが。

 

 さて、明を建国した当初、明はモンゴル帝国(元)を北京から追い払ったが、滅亡させてはいなかった。

 一方の元はモンゴルに帰り、いわゆる「北元」を再興し、満州を含む広大な領地を持って、中国の奪回をもくろんでいた。

 そこで、明は北方に警戒し、辺境には塞王が配置し、そこには強大な軍隊を持っていた。

 そして、具体的に北方で大軍を率いていたのが、当時の燕王の朱棣である。

 彼は朱元璋の四男であり、後の永楽帝である。

 

 朱棣は北方の守りを固め、あるいは、戦って勝つなどして、朱元璋の期待に応えた。

 朱元璋も朱棣を信頼し、長男の皇太子が亡くなったときは、孫ではなく朱棣を皇太子にしようと考えたくらいである。

 もっとも、このときは儒学者の諫言もあり、皇太子の子供を皇太孫にすることとなった。

 

 さて、その後、洪武帝朱元璋崩御し、皇太孫が即位し、建文帝となった。

 そして、様々な儒学者が抜擢された。

 

 彼らは「古をもって鏡とする」との規範で現状を観察した。

 その結果、気付く。

 現状は、前漢の呉楚七国の乱や西晋八王の乱の前夜と同様ではないか、と。

 

 

 本書は、呉楚七国の乱の状況についての説明に移る。

 秦は中央集権制(郡県制)を目指したが、たった15年で滅びてしまった。

 その次にできたのが漢である。

 

 漢の高祖劉邦は諸侯をまとめあげて項羽を破ったこともあり、その者たちを列侯に封じ、領地を与えた。

 その結果、皇帝の直轄地がわずかになってしまい、王の領地の方が多かったところもあるくらいである。

 

 この諸侯王の領地は「国」と呼ばれ、統治権こそ持っていたが、その統治権は皇帝によって規制されていた。

 その意味で、独立国家とまでは言えず、昔の諸侯とは異なる。

 しかし、時と共に諸国は独立し、場合によっては中央政府に対する反抗の機運も高まってきた

 そこで、文帝の時代、賈誼である。

 賈誼は、「古の制度に反するから、諸侯のうち広大な領地を持つ者は縮小させていくのがいい」と主張した。

 興味深いのは、根拠が先例であって、政治力学などの社会科学法則ではない、ということ。

 ここにも「古をもって鏡となす」の精神が生きている。

 

 この点、文帝はこの策を実行しなかった。

 実行されたのは、文帝の次の皇帝、景帝の時代である。

 これに対して、呉や楚、あわせて7国の王がこれに反抗し、直ちに挙兵した。

 これが呉楚七国の乱である。

 

 呉楚七国の勢力は侮りがたく、漢王朝にとっては危機的状況であった。

 ただ、皇帝側の名将の活躍もあり、反乱は3ヶ月で平定された。

 その結果、漢は中央集権国家への道を歩き始めることになる。

 

 しかし、この反乱は中国に貴重な教訓を残した。

 封じられた王が兄弟・近親であっても、力を持ちすぎれば皇帝の脅威になる、と。

 

 そして、三国時代が終焉したころ、同様の事件が起きる。

 これが、西晋八王の乱である。

 

 後漢献帝は、曹操の息子の曹丕に皇帝を禅譲し、曹魏が建国される。

 この曹魏はやがて司馬一族に乗っ取られる。

 やがて、曹魏蜀漢を滅ぼした後に西晋禅譲し、この晋が孫呉を降伏させて中国を統一した。

 西晋の初代皇帝は司馬懿の孫の司馬炎である。

 司馬炎は近親者を王にし封じ、中には有力な王もいた。

 

 そんな状況で、武帝崩御、即位した恵帝は冴えなかった。

 その結果、有力な王たちが政権奪取を狙い、反乱が頻発、この結果、晋は急激に弱体化する。

 これが「八王の乱」であり、ほどなく西晋は滅亡、五胡十六国時代へと移行する。

 

 

 以上の歴史を、建文帝に採用された儒学者たちが知らないはずがない。

 そのため、儒学者たちは「このままでは、呉楚七国の乱や八王の乱が再来する」と考えた

 もちろん、その背後に「歴史は繰り返す(以下略)」があることは言うまでもない。

 

 この点、現代人から見たら、ばんなそかな。これらの反乱から既に1000年も経過していて、時代が違うのに同じことが起きるはずがない」と考えるかもしれない。

 これについて、同様に考えたのが、朱元璋である。

 彼は、「法家の思想に基づいて完璧な統治システムを築いたのだ。前回と同じようなことが起きるはずがない。さらに言えば、その発想は親族の情を割くものである」と言って、朱棣を塞王に封じることに反対した儒学者を粛清した。

 しかし、中国人は基本的にそのようには考えず、「歴史は繰り返す」と考える。

 

 その結果、建文帝は王の権力削減に取り組み、事実、多くの王が廃された。

 しかし、朱棣は自分の番になりそうだと気付くや否や、「君側の奸を排除する」と考えて挙兵し、4年に渡る戦いの後、首都南京を攻略する。

 これが「靖難の役」であり、朱棣は皇帝永楽帝となり、一方の建文帝は行方不明、また、周囲にいた儒学者は粛清されることになる。

 なお、この粛清された中の一人に方孝儒がいる。

 この人は幕末の志士のバイブルとなった「靖献遺言」に登場する1人である。

 

 

 以上、王朝の衰退に関する歴史法則についてみてみた。

 気になるところがないではないが、なかなかに面白い。

 

 残りは次回に。

『小室直樹の中国原論』を読む 15

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

15 第5章を読む_前編後半

 前回、歴史に名の残すために命を惜しまない中国人、歴史を残るために執念を燃やす中国の歴史家(太史)についてみてきた。

 また、インドと比較してなお中華文明における歴史学のすごさについても確認した。

 今回はこの続きである。

 

 もっとも、今回触れる部分は既に次の読書メモでも触れている部分も少なくない。

 そこで、重複部分については簡単に触れながら進めていく予定である。

 

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 上で述べた読書メモ、前回の読書メモなどを通じて、歴史に名を残す者たち、歴史書に真実を遺そうとする太史の執念について触れた。

 このことから、「後世に語り継がれること」が中国人にとっての救済になることを示す。

 

 ただ、歴史の影響はこれだけではない。

 歴史を遺すことに執念を燃やした結果、「歴史を見れば中国が分かる」という状況になった。

 そのことを示しているのが、中国で長らく読まれてきた『貞観政要』に登場する次の一説である。

 

(以下、『貞観政要』の任賢篇の一説を引用、引用元は本書、なお、各行ごとに改行、強調は私の手による)

 それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。

 古ともって鏡となせば、もって興替を知るべし。

(引用終了)

 

 

 上の言葉に、中国の歴史観をワン・ワードで言い表している。

 つまり、「良い政治をしたければ、歴史に学べ」と。

 

 この『貞観政要』は代表的名君と言われた唐の太宗と名臣たちの問答集である。

 そして、長らく帝王学を学ぶための最高のテキストと言われていた。

 現に、日本でも北条政子北条泰時(政子の甥)・徳川家康らも参考にしたと言われている。

 なお、山本七平もこの本については一冊書籍を出しており、次の『山本七平ライブラリー3』に収録されているし、近代以降の天皇陛下も学ばれている、らしい。

 

 

 なお、「良い政治をしたければ、歴史に学べ」という命題が成立するためには、ある条件がある。

 それは「歴史法則は変わらない」ということである。

 というのも、時代によってころころ法則が変わるようであれば、歴史=過去の目撃者の記録を見ても意味がないから、である。

 

 以上をまとめれば、中国人は歴史法則は変わらないと考えるため、歴史に名を残すために執念を燃やし、良き政治をするために歴史を学ぶ、ということになる。

 

 一方、これと別の発想を持つのがユダヤ人(ユダヤ教徒)となる。

 この点、歴史を重視する点においてはユダヤ人も中国人も変わらない。

 しかし、その理由はユダヤ人が歴史法則が変わらないと考えているから、ではない。

 

 この点、ユダヤ教絶対神(主)との契約を基本とするところ、主は全能の力を持つと考える。

 ユダヤ教徒が主との契約を守れば、ユダヤ教徒の繫栄が約束される。

 その一方、ユダヤ教徒が主との契約を違えれば、ユダヤ教徒は風前の灯火となる。

 また、聖書(旧訳聖書)を見れば、神の怒りが様々なところに出てくる。

 ノアの洪水然り、ゾドム・ゴモラ然り、バビロン捕囚然り。

 その意味で、ユダヤ教徒にとっては、絶対神たる主との契約は絶対の意味を持つ。

 

 また、全能の力を持つ主が法則に介入すれば、法則は変化してしまう

 したがって、ユダヤ教徒から見れば、歴史=過去の事実は、現在の契約が維持される範囲でしか意味を持たないことになる。

 つまり、中国人と異なり、ユダヤ人は「歴史法則は変わらない」と考えないことになる。

 

 

 本書は、ここからユダヤ教における歴史観に話題が移る。

 ただ、これまでの読書メモと重複する部分が少なくないので、重複しないを除き簡単に述べるにとどめる。

 

 中国人(個人)の救済は「歴史に名を残すこと」。

 これに対して、(古代)ユダヤ教徒にとっての救済は「神との契約の更改による民族の繁栄」。

 バビロン捕囚の憂き目にあったイスラエル人たちはここに活路を見出した。

 

 ところで、悪魔の教団において、啓典に反することを行うことがその教団の儀式になるという。

 つまり、啓典に反することを行うことで神への反逆や瀆神の意思を明らかにするわけである。

 

 しかし、聖書に書かれた古代イスラエル人の行いは悪魔の教団の行為の比ではない、と著者(小室先生)は言う。

 なお、この点は旧訳聖書をなんとか読んだ私も同意見である(さらに言えば、「よくここまで正直に歴史を残したなあ」とさえ考える)。

 なにしろ、旧訳聖書の士師記列王記(上下)・歴代誌(上下)でにおいて、「主の目から見て悪とされる行為を(行い)」という表現がやたら目に付いたのだから。

 これらの行為は「異教の神を拝む行為」を指し、当然だが、『出エジプト記』にある十戒に抵触する。

 

 そして、その結果がバビロン捕囚となる。

 その憂き目を契機に古代のユダヤ教が産まれる。

 そして、そのドグマは「神との契約を守れ。さすれば、神は契約の更改を行い、ユダヤ民族は世界の主人公になるべし」となる。

 さらに、契約の更改が行われれば、法則は全部変わりうる。

 ならば、古代ユダヤ教徒の発想で見れば、歴史法則も契約の更改によって変わりうると考える。

 

 

 以上、ユダヤ教歴史観と中国人の歴史観を比較した。

 なお、この点についてはキリスト教ユダヤ教側、イスラム教は中国側である

 ただ、その原因などについては上の読書メモでみてきたため、ここでは簡単に触れるにとどめる。

 

 ちなみに、著者(小室先生)は、ユダヤ教歴史観という言い方でピンとこないならば、マルクス史観をイメージすればいい、という。

 マルクス史観は、社会の変化を「原始共産制奴隷制封建制→資本制→社会主義共産主義」と考える。

 そして、社会制度が変化する際に生じる「革命」はユダヤ教における「契約更改」に相当する

 また、革命によって社会法則は変化すると考える。

 したがって、マルクス史観とユダヤ教歴史観はぴったりであり、それらと比較することで中国人の歴史観を理解することができる、と述べている。

 

 

 以上、歴史観についてみてきた。

 ユダヤ教キリスト教マルクス主義は歴史法則を不変とは考えず、中国社会とイスラム教は歴史法則を不変と考える。

 とすると、「では、日本教は?」という疑問が生じる。

 

 この点、自然信仰、日本的儒教、あるいは、天皇教から考えると、中国側(歴史法則は不変)と考えているように見える

 ただ、「そもそもそんなことに関心を持っていないから分からない」という感じもしないではない。

 どうなんだろう。

 

 次回は、中国における歴史法則の普遍性について具体的な歴史をみていく。

『小室直樹の中国原論』を読む 14

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

14 第5章を読む_前編前半

 今回から第5章に移る。

 第5章のタイトルは「中国の最高聖典_それが『歴史』」

「中国人や中国社会における歴史の重要性」についてみていく。

 

 この点、中国において歴史が重視されていることは次の読書メモでも触れている。

 

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 そこで、上の読書メモで触れている部分については軽く確認するにとどめる。

 

 

 第5章は、「歴史」による中国人への具体的影響について説明すると述べた上で、次の言葉が紹介されている(出典は『新五代史』)。

 

「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」

 

 この点、良いことを行った者として名を留められれば最高だろうが、そうでなくても、悪行の限りを尽くした者として名をとどめた方が無名よりマシ、ということになる。

 そして、そのためであれば、自分の生命や身内の命だろうが差し出すことも厭わない

 

 その代表例が文天祥であり、本書には記載がないが方孝儒も加えられるであろう。

 文天祥はモンゴルの攻勢に対して最後まで抵抗し、最終的に処刑された。

 この文天祥吉田松陰といった尊王攘夷運動に奔る幕末の志士たちによって熱狂的に崇拝され、文天祥の「正気の歌」については長らく愛唱されることになる。

 

 この点、文天祥「人生自古誰無死、留取丹心照汗青」と述べて、フビライの仕官を蹴る。

 この言葉は、「死なない人間などいない、ならば、歴史に忠義を貫いた男として名を遺し、後世の模範となろう」という意味である。

 つまり、文天祥は歴史の模範となるために死を選んだ

 言い換えれば、歴史に殉じたことになる。

 これは中国的殉教というべきものでもある。

 

 この文天祥の態度は、第1章で述べた刺客列伝で紹介された予譲の態度にも通じるものである。

 彼は、「暗殺するのであれば、一旦仕官をして、油断した時を狙えばいいではないか」という友人の忠告に対して、「私がそのような手段を選ばず、苦難の道を選ぶのは、後世の人々に二心を抱いて主君に仕えることを戒めるためのものである」と返答した。

 

 このことから、中国では「『歴史に名声を遺すこと』が個人の救済になる」ということができる。

 

 

 ところで、他の宗教から見た場合、キリスト教の「救済」は「神から恩恵により永遠を命を得ること」になる。

 また、イスラム教では「死して緑園に入ること」を指す。

 このことから、中国では歴史書聖典として機能するということができる

 また、歴史家は歴史書を記す際、あたかも、聖書に対する態度と同じような態度を示すことになる。

 本書では、歴史家の情熱の具体例として『正気の歌』に登場する斉の太史(歴史官)のエピソードが紹介されている。

 このエピソードは、「斉の大臣だった崔杼が君主の荘公を殺害して独裁者になったところ、そのときの太史は歴史書に『大臣の崔杼が君主を弑した」と真実を記した。崔杼は直ちにその太史を殺したが、その太史の弟が再び同様のことを書き、弟を殺すやさらにその弟が、、、という展開になったため、崔杼は諦めた」というものである。

 このように、中国人が歴史に殉じるなら、歴史家は歴史を記すことに殉じる

 また、正気の歌には、斉の太史と晋の董狐が歴史家として登場する。

 

 これらのことからも中国人に対する歴史への思いの重さが理解できる。

 

 

 ここで、東洋圏における文化的先進国だったインドと中国の文化の比較(優劣)についての話に移る。

 この点、文化の優越について「どちらからどちらに流れていったか」で判断するならば、多くの点に関してインドの方が優れていたということができる。

 仏教をはじめ、さまざまなものがインドから中国に流出していったのだから。

 

 しかし、歴史学については中国の方が圧倒的に勝っていた

 というのも、インド人は何兆年、何億年といった時間スケールでものを考える。

 また、インド人は抽象的な一般真理を重視する。

 その結果、インド人は歴史のような細かいものに興味を持たず、その結果、インド歴史学は発展しなかった。

 また、釈迦の産まれたタイミングについて100年単位の誤差があり、しかも、その年代を推定する資料がインド以外の国の資料による、といった状態になっていた。

 というのも、インドに近い別の国々では、インドだけではなく中国からも影響を受けており、その部分については歴史学の恩恵を受けているから。

 もちろん、この歴史学の恩恵が仏教に対する科学的研究のためにも役に立っている。

 

 

 以上、読んできた。

 最後のインドについての項目は、日本を知る上で何か役に立ちそうな気がする。

 機会があれば、インドとヒンズー教について調べてみようかなあ。

『小室直樹の中国原論』を読む 13

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

13 第4章を読む_後編後半

 前回、忠臣蔵において赤穂藩に対する改易処分が決まった後になされた大石内蔵助たちの行動から、江戸時代の日本人には近代的所有概念が根付いていなかった話をした。

 もちろん、これ自体当然の結論というべきものであって、特段不自然な点はない。

 

 しかし、現代の日本人も同様であるならば問題がないというわけにはいかない。

 今回はその辺りを見ていく。

 

 なお、日本人の所有に対する意識については、過去に何度も読書メモで触れているため、言及していた読書メモのうちの重要なものを次に示すとともに、重複する部分についてはできる限り省略しながら読書メモを進めていくことにする。

 

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 ここから本書は近代日本・現代日本における「所有と占有の未分離」に関する話に移る。

 ここで取り上げられている具体的な話題は川島教授によるものである。

 つまり、終戦間際、都会から疎開してきた人間たちが疎開先の人たちの物(消耗品)を同意なく消費してしまう、とか。

 あるいは、大学の教授が学生から『ある本を貸してほしい』と言われたので、その本を貸したところ、返された書籍にはあちこちに線が引かれており、かつ、学生にはそれらに関する罪悪感が全くなかった、とか。

 

 つまり、終戦直後、日本では所有と占有の違いが意識されていなかった。

 特に動産については、占有=所有に近い状態にあった、と。

 

 もっとも、このような占有者と所有者の違いに対する意識のなさは資本主義社会以外の社会であれば当然に持っている特徴であるから、ことさら日本人がどうこう、という話ではない。

 また、中世ヨーロッパにもこのような特徴があったと言われている。

 

 では、近代資本主義社会では、何故所有権が抽象的に判断されるようになったのか。

 これは、「所有権の性格(定義)が変わったから」となる。

 つまり、所有権の中核部分が「支配」から「(交換)価値の把握」に変化したため、占有(支配)とは関係なく所有権が抽象的に把握されるようになった、と。

 したがって、大石内蔵助らの行為も前近代の発想として至極合理的な行為であると言える。

 

 

 さて、この大石内蔵助らの行為は現代においても取り立てて問題視されていない。

 もちろん、これらの行為を問題視することは赤穂浪士の物語に水が差すことを意味する。

 したがって、問題視すれば赤穂浪士忠臣蔵のファンによる猛烈な「空気」による袋叩きにあうであろうが。

 

 しかし、この「所有と占有の未分離」という発想は構造的汚職の温床となる

 そのことを示すのが、上の読書メモでも触れられた「役得」という概念である。

 

 この点、本書では官官接待の問題を具体例に取り上げている。

 そして、次の書籍における記者の「良心のマヒの慢性化」への驚きや「自己浄化能力が備わっていない」旨の結論を紹介している。

 

 

 しかし、著者(小室先生)は「官僚の自己浄化機能のなさ、良心のマヒの慢性化は、官僚システムの中に構造的に埋め込まれている」と主張し、ここに注目すべきだと述べる。

 上の記者は主観的、小室先生は客観的、といえようか。

 

 本書では、上の読書メモでもあった「日本人の『役得を利用した接待』に対する外国人の感想」が紹介されている。

 近代的所有概念を持つ外国人が見た場合、権限外の接待(権限内であれば役得にならない)は業務上横領や背任に他ならない。

 そのため、外国人が役得による接待の真相を知れば、「このような人たちは到底信用できない」という感想を持つことになる。

 しかし、役得を得た人間にそのような意識があったとは到底言えないであろう。

 そして、役得に関する原因を構造的に探るのであれば、それは近代的所有意識の欠如にいきつくことになる。

 

 本書では、「株式会社は誰のものか」という問題を取り上げ、所有権の一義的明確性に対する日本人の意識が希薄な点を述べている。

 これは、これまでのメモで述べてきたいわゆる「株式会社という機能体の共同体化」である(読書メモは省略)。

 

 

 そして、話は公認会計士に移る。

 アメリカやヨーロッパにおける公認会計士は株主から委任を受けて取締役らの経営を監査する。

 つまり、公認会計士は株主らの代理人、ということになる。

 というのも、株主らは経営の素人であるから、取締役らの経営に関する適法性・妥当性を判断することはできない。

 そこで、株主らが公認会計士に依頼をし、経営に関する適法性・妥当性をチェックする、ということになる。

 これは、訴訟において弁護士に依頼するようなものである。

 そして、その行使する権限を見れば、公認会計士と経営者の関係は検事と被告人のようなものである、といってもよい。

 

 しかるに、日本ではどうか。

 まず、公認会計士は税理士とは異なる職業であるという意識が相対的に乏しい

 たとえ、税理士の仕事をもすることがあるとしても。

 

 さらに、重要なのは、公認会計士を雇っているのは株主ではなく経営者である、ということである。

 本書では、著者(小室先生)が公認会計士の協会で講演をしたときのエピソードが紹介されている。

 曰く、開口一番、「諸君(私による注、日本における公認会計士)は泥棒にやとわれた裁判官である」と言ってやったところ、聴衆は一度はキョトンとしたが、意味を説明すると爆笑した、と。

 

 やや品のある言葉で言い直せば、被告人が検事や裁判官を任命しているようなものである

 しかし、これでは公認会計士に真面目に監査を期待するのは不可能であろう。

 ましてや、主人に対する殉情を至高の価値とする日本教社会においては。

 

 また、本書では労働者が経営者に対する責任追及のためのストをした際、経営者が失踪したため株主に対する責任追及を行った、というエピソードが紹介されている。

 このエピソードは次の読書メモに紹介している。

 

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 この点、労働者たちは自分たちの権利・利益の保全のために行動しているため、労働者の行為に対して近代的所有概念から見てどうこう言うことは意味はない。

 しかし、コメントした人間の中で近代的所有概念への言及がなかったのであれば、日本に近代的所有概念などあったものではない、と言われても抗弁できないであろう。

 たとえ、日本の機能体の共同体化を考慮すれば、労働者らの行為を近代的所有概念のみから評価することが妥当ではないとしても。

 

 著者はこのことから「日本には高度経済成長が終わったころの昭和50年ころでさえ近代的所有概念が根付いていない」と述べている。

 また、本書が出版された21世紀間近のころでも同様である、と。

 さらに、著者は所有概念においては日本も中国でも同様であるからトラブルが生じるのだ、と述べる。

 

 そして、この「会社が株主の所有物である」という近代資本主義ならば当然の結論が何故意識されないのかというと、そこには「所有権の一義的明確性の不存在」が挙げられる。

 つまり、株主は経営者に経営を委託し、経営者は労働者を雇って事業を実践する。

 それゆえ、経営者は経営について株主に対して責任を負うし、労働者に対して雇用・待遇に関する責任を負う。

 もっとも、経営者は経営について労働者に対して責任を負うことはない

 また、株主は労働者に対して責任を負うことは原則としてない

 この2点が労働者らの行為が近代的所有概念から見て違和感を持つ理由となる(もちろん、本件にこの原則論をひっくり返すだけの具体的例外事情はあったと考えられるとしても)。

 

 著者は言う。

 これでは、日本には所有権の一義的明確性が意識されている、または、二分法的発想があるとは言えない、と。

 そして、この点は中国も同様である、と。

 

 ここで本書の記載はないが、民法上の条文も確認しておく。

 民法は715条に使用者責任を規定しているため、被用者が被害者に損害を加えた場合、原則として使用者も連帯して責任を負うことになっている。

 しかし、委任契約や請負契約については原則としてこれは適用されない(もちろん、例外はあるが)。

 そのことは716条を見ることで確認できる。

 

民法715条第1項

 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

 

民法716条

 注文者は、請負人がその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わない。ただし、注文又は指図についてその注文者に過失があったときは、この限りでない。

 

 

 以上は日本の話であった。

 ここから話は中国に移る。

 

 この点、中国では汚職の問題が国を揺るがすレベルの問題となっている

 もっとも、この汚職の根本的原因を探っていくと「近代的所有概念の欠如」に行きつく。

 つまり、近代的所有概念と罪刑法定主義の理念が人々に行き渡っていないことが頻発する汚職の構造的・根本的原因となる。

 

 この点、所有権の一義的明確性への意識の欠如が役得や汚職の構造的原因につながる点は既に述べた。

 これに加えて、中国では罪刑法定主義が機能していない(日本も「空気」に対して憲法が無力であった現状や歴史を考慮すると、日本においても罪刑法定主義が意識されていると言えるのか、甚だ怪しいと言えなくもないが)。

 これでは、中国では構造上汚職がやりたい放題になっても不思議ではない。

 

 これに、中国の法家の思想を加えてみることで、別の側面が見える。

 まず、科挙という極めて難易度の高い試験制度があった中国ではそもそも高級官僚の数が少ない。

 その結果、高級官僚は巨大な権力を持つことになる。

 

 ここで、閑話休題として「官吏」という言葉の説明が入る。

 つまり、科挙に合格した人間(高級官僚)のことを「官」、高級官僚の「官」が雇った人間を「吏」という、と。

 そして、地方に派遣された「官」のメインの仕事は税金の徴収と中央への移送にあった。

 ここで驚くべきことは、国家の会計と官の会計に区別がない点である。

 その結果、欲のない最も清廉潔白な人間でも3年地方に赴任すれば三代に渡って家が持つと言われていた。

 では、欲深い人間だったら、というのは推して知るべしである。

 

 このことから、そもそも中国には「汚職」の概念がなかったことになる。

 したがって、中国で「汚職」と呼ばれる事件になれば、額が日本とはけた違いになった。

 

 また、官僚は法律の終局的解釈権を持っている。

 そして、税金の徴収をも行う。

 その結果、地方に派遣された高級官僚は独立経営者として(自分に)法律を有利に解釈して商売している、という言い方もできる。

 つまり、役人イコール商売人

 この商売人兼役人に検事や裁判官も含まれるので、アメリカやヨーロッパから見ても想像を絶する世界になる。

 というのも、欧米では刑罰を執行することは民間に委託できたとしても、裁判だけは裁判官が判決を書いていたからである。

 

 この高級官僚の傾向は今の中国にも残っている。

 これでは、日本・アメリカ・ヨーロッパの企業が中国に出向いてトラブルにならないはずがない、ということになる。

 

 

 本章の最後に、著者は日本人の中国社会の概念に対する誤解を取り上げている

 まず、『君子は義に喩り、小人は利に喩る』という論語の言葉があるが、日本人の社会科学的無知ゆえか、日本人は君子と小人という概念についてとんでもない誤解をしている、という。

 社会科学における重要な発想に「事実と規範の区別」というものがある。 

 つまり、論語のこの言葉は事実を述べただけに過ぎない。

 しかし、事実と規範の区別がつかない日本人(江戸時代)は、この文章を「君子は義に従わなければならない。それが出来ずに利に従うのは小人である」と解釈し、果てには主語と述語をひっくり返して、「義に従う者が君子で、利に従う者が小人だ」と解釈してしまった。

 これではなんでもありである。

 

 著者はこのようななんでもありの解釈をした原因に「日本人の階級に対する無知」を取り上げている。

 例えば、日本教社会では「君子とは立派で正しい人な人。小人とは立派でなくつまらない人。だから君子になりましょう」といった発言をする。

 しかし、論語の時代、つまり、中国の周の時代、階級がはっきりしていた。

 つまり、天子がおり、その下に王がおり、諸侯がいる。

 諸侯の下には大夫がいて、さらには士がいる。

 ここまでが君子の領域であり、複雑な多重封建制と言える。

 一方、庶民として一般人がいるところ、こちらは自由民と奴隷に分かれる。

 もちろん、奴隷と言ってもヨーロッパから見れば、奴隷と農奴の中間のような立場といってもいいかもしれない。

 

 このように、周の時代は厳密な階級社会であり、その階級ごとに規範が異なった。

 例えば、妻にできる人数も階級ごとに定められているくらいである。

 

 だから、頑張って君子になりましょう、というのは土台無理というしかない。

 この辺を近代的一般規範の感覚で見れば大変なことになる。

 ちなみに、日本では身分の壁により倫理規範が異ならないため、身分の壁を飛びこえても大変なことにならない。

 だから、秀吉が関白になっても、あるいは、薩長の下級武士が元勲になってもそれほど問題にならないことになる。

 

 ところで、中国の歴史上、初めて庶民から皇帝になった人間は漢の高祖、劉邦である。

 だから、天下を取った後、礼儀や道徳という規範が根付くまで大分時間がかかった。

 結局、武帝の時代になってなんとか定着することになる。

 

 以前の読書メモでも触れたが、儒教の救済とは良い政治をすること。

 良い政治をする主体は天子(皇帝)だが、一人でできることには限界があるため、君子の助けを借りる。

 この君子に相当するのが、諸侯、大夫、士にあたる人たちである。

 

 ところで、儒教のなかで著名である孟子『恒産なくして恒心あるは、ただ士のみよくすとなす』(『孟子』「梁恵王」)と述べている。

 これも規範ではなく事実を述べたもの

「十分な収入なしでちゃんと仕事をするのは君子だけで、庶民は何をするか分からない」という意味である。

 

 あと、儒教が国教になったのは漢の武帝の時代である。

 もっとも、この時代の中国は封建社会ではなく中央集権国家になっていた。

 というのも、漢建国直後は封建社会と中央集権社会の両方が混在したような状態だったが、その後、ごたごたがあった結果、中央集権国家に改変されたからである。

 その結果、諸侯・大夫・士がいなくなり、天子を助けて政治をする人間がいなくなった。

 そこで、官僚が政治の助けをすることとなり、官僚が君子として働くことになった

 

 このように官僚制度が始まったわけだが、完成したのは宋の時代である。

 ただ、官僚制度が始まったころの官僚になる条件は科挙ではなく選挙であった

 これは、地方の名望家が有能な人間、例えば、親孝行で長老にも恭しく仕え、礼儀も行いもいい人間を朝廷に推挙することを言う。

 また、科挙の制度は隋の時代に始まり、唐の時代に発達し、宋の時代には科挙が高級官僚への道となった

 この科挙の試験科目は儒学である。

 

 ただ、この儒学科挙の試験科目にしたため別の問題が起きた。

 まず、儒学は共同体の道徳であること

 だから、儒学には立法とか時代に合わせて法律を改正するという概念がない

 つまり、儒学では法家に思想、法律に関する運用に対して無力、ということになる。

 

 以上、「幇」と「情誼」、「宗族」、「法家の思想」など、中国を知るための手掛かりがそろった。

 これらを知らずに、中国社会でトラブルを回避することは不可能であるといってもよい。

 そのため、著者は法家の思想を知る手段として韓非子を読むことを勧めている。

 

 

 以上、第四章までみてきた。

 このように中国について知ることで、日本的儒教日本教について知るための手掛かりを得ることができたような気がする。

 これらについては、後ほど活用していきたい。

『小室直樹の中国原論』を読む 12

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

12 第4章を読む_後編前半

 前回、法家の思想による「法律」が近代立憲民主主義の「法律」と完全に異なることを確認した。

 今回は、別の観点から近代的な思想と法家の思想の違いをみていく。

 

 

 まず、近代法と法家の思想の違いとして重視している分野の違いがある。

 つまり、近代法で中心になるのは民法などの市民法であるのに対し、法家の思想で重視しているのは刑法である

 その結果、両者の法システム自体が大きく異なることになる。

 

 この点、民法は「Civil_Law」と訳されるところ、これは「世俗法」とも「市民法」とも訳すことができる。

 そして、この世俗法の反対に位置するのが「教会法」となる。

 このように、近代ヨーロッパにおいては、市民法と教会法、つまり、宗教法が分離していることになる

 なお、分離という観点から見れば、仏教も同様の特徴がある。

 

 これに対して、儒教と法家の思想には、世俗法と宗教法という発想がない。

 つまり、中国社会では世俗法と宗教法が一致している

 この意味では、イスラム社会やユダヤ社会と類似している。

 

 さらに、世俗法と宗教法が分離している仏教においては僧侶が存在する。

 また、キリスト教の場合、僧侶はいてもいなくてもいいことになる。

 これに対して、儒教と法教には僧侶に対応する身分がない

 この点は、ユダヤ教イスラム教徒同様である。

 

 そのため、仏法たる規範や戒律の解釈者たる僧侶の代わりを演じる人間が必要になる。

 そして、その役割を果たしているのがユダヤ教の律法学者、イスラム教の法律家(ウラマー)、そして、中国社会の官僚である

 

 そして、官僚は君主の権力を行使する人間であり、君主側の人間である。

 そのため、「法律は主権者たる国民を守るための盾である」という発想が中国に根付くことはなかった。

 このことは、中国法が罪刑法定主義に至ることは原則としてないことを意味する。

 

 この「罪刑法定主義」という発想は、フランス革命の人権宣言にも独立直後のアメリカ合衆国憲法にもある。

 この罪刑法定主義という発想こそ人民を権力たるリヴァイアサンから守る盾となるからである。

 もちろん、日本国憲法にもあるし、さらに言えば、大日本帝国憲法にさえあった。

 この点、日本に関する点については条文も確認しておこう。

 

大日本帝国憲法第23条

 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ

日本国憲法第31条

 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない

 

 一方、中国法は法家の思想の下で大いに発展していた。

 また、罪刑法定主義の一歩前までいったこともあると言われている。

 しかし、最後の一歩を超えることができなかった。

 

 ところで、罪刑法定主義の目的は人民の権利保護にあるが、その手段は予見可能性の確保(罰せられるか罰せられないかが事前に予測できること)にある。

 つまり、罪刑法定主義は権利保護と同時に目的合理的な行為を担保するための法、ということになる。

 その罪刑法定主義が中国であと一歩のところで実現しない。

 著者は、この点に中国法や中国人の法意識などの本質を見ることができる、と述べている。

 

 以上が中国の刑法の話である。

 では、民法についてはどうか。

 

 近代の市民法民法)は資本主義を前提としている

 だから、市民法はレッセ・フェールを前提としており、政治権力からの恣意的な介入を原則として認めない。

 

 本書には記載がないが、そのことを示しているのがいわゆる「私的自治の原則」である

 この私的自治の原則は「個人は自らその意思を表示しない限り原則として私法上の義務を負うことはない」というもの。

 罪刑法定主義が「法律なくして犯罪なし、法律なくして刑罰なし」ならば、私的自治の原則は「意思表示なくして私法上の義務なし」ということになる。

 このように、私的自治の原則が私法上の権利保護を担保していることになる。

 

 では、私法上の予見可能性・目的合理性を担保している発想は何か。

 それは、これまでの読書メモで何度も触れてきた「近代的所有概念」である。

(参考となる読書メモとして次のものを取り上げておく)

 

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 近代的所有概念の特徴を簡単に述べると、次のようになる。

 

・所有者は所有物について絶対的な権利を持つ(所有権の絶対性)

・所有者と所有物の対応関係は原則として1対1である(所有権の一義的明確性)

・所有者は具体的な占有と異なり抽象的に判断される(所有権の抽象性)

 

 これまで何回も触れたように、この「近代的所有概念」は資本主義になってから始まったもので、前近代社会には存在しなかった。

 もちろん、中国社会や中国法にも。

 その結果、中国社会における市場経済の作動が不可能、ないしは、著しく困難になっている。

 

 この点、資本主義における矛盾を批判したケインズマルクスでさえ、政治権力による恣意的な経済的介入の禁止は踏まえている。

 というのも、目的合理的な経済政策・金融政策を実行に移したところで、レッセ・フェールを阻害するような権力の行使が頻繁に発生するならば、経済政策や金融政策の実効性が上がらないからである。

 だから、政治権力による経済介入が簡単にできる社会では市場経済は作動しないし、ケインズマルクスの話は役に立たない。

 ケインズマルクスに関するその辺の話は次の読書メモで述べたとおりである。

 

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 以上、近代社会の刑法や民法が中国法のそれと異なるところを見てきた。

 ここからは「市場」について見てみる。

 

 近代資本主義における市場は「契約」と「近代的所有概念」の上に立っている。

 それゆえ、「契約」や「近代的所有概念」がなければ近代社会の市場はない、ということになる。

 そこで、「契約」や「近代的所有概念」の意義が問題となる。

 たとえ、アメリカ人やヨーロッパ人の場合は当然すぎて問題意識を持つことすらないとしても。

 というのは、「契約」や「所有」に対する意識の違いこそが、中国人(社会)と中国に進出したアメリカやヨーロッパの企業のトラブルの原因になるのだから

 

 まず、「契約」とは何か

 この点、アメリカやヨーロッパがキリスト教社会であることから、この契約は「神からの契約」という形(モデル)を採用することになる。

 それゆえ、「契約の絶対性」が導かれることになり、次の2つの原則が導かれることになる(この2つの点については次の読書メモが示す通り)。

 

1、契約は契約外の事情(人間関係等)からは独立していなければならない

2、契約は文章化されること等によってその内容が明確になっていなければならない

 

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 しかし、このような契約の特徴はユダヤ教キリスト教イスラム教のような絶対神との契約を前提としている宗教が持つものである。

 中国のような社会においてこのような契約の特徴を持っている保障はない。

 というよりも、これまでこの本を見てくれば、このような契約の特徴はないと言ってもいいだろう。

 

 

 これまでの読書メモで見てきた通り、近代法を前提とする資本主義社会のルールは歴史上特異的なものである。

 

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 それゆえ、資本主義のルール、契約、近代的所有概念をあたかも自明視して取引に臨めば、トラブルが起きることは当然ともいえる

 本書では中国社会が対象となっているが、イスラム教社会においても次の読書メモで同様の検討をしている。

 

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 著者によると、中国社会の進出がトラブルによって失敗する最大の原因は「アメリカやヨーロッパの企業が資本主義のルールをあたかも『不磨の大典』の如く見ているから」となる。

 その結果、資本主義のルールによって動かない中国人の行動様式が奇妙なものに見える。

 もちろん、アメリカの場合、先の大戦のころにも日本人・日本社会に対しても同様のことを感じていたであろうが。

 

 そして、当時の日本人・日本社会に対してやったように、無理やり資本主義のルールを中国に押し付ければどうなるか。

 この点、規範がない日本人の場合はそれなりにうまくいった。

 しかし、中国人には規範がしっかりある。

 あとは、推して知るべし、となろう。

 

 著者(小室先生)は言う。

「お互いのルールを尊重して双方が学ぶのではなく、『中国のルールは間違っているから、さっさと資本主義のルールに合わせないといけない』と一方的に言い放ってみよ。それは中国人がもっとも嫌う態度であるから、中国人も本気に相手をしないだろう。だから、資本主義のルールのユニークさを十分認識・体感せよ」と。

 

 本書はここから近代的所有概念の理解に関する話題に移る。

 ただ、この辺の話題はこれまでの読書メモの通りなので、重複する部分については簡単に見ていく。

 

 ここで述べられている主張を箇条書きにすると次のようになる。

 また、この点について参考になる読書メモは箇条書きの次にあるとおりである。

 

・所有権の絶対性は造物主の被造物に対する支配権をモデルとしており、このモデルは近代社会の主権概念にも利用されている。

・中世ヨーロッパの主権は大きく制限されていたが、近代にいたる過程で絶対化された

・もっとも、所有権の絶対性は近代法の歴史的特質に過ぎない

 

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 当然だが、中国も日本もアメリカ・ヨーロッパ社会とは異なる「契約」概念や「所有」概念を持っている。

 では、中国における契約概念、所有概念とは何か。

 この辺のことを理解するために、本書では日本の所有概念について話が進む。

 

 もっとも、日本における所有概念がどのようなものだったかについては既に上に取り上げた読書メモなどで触れている。

 例えば、本書では「将軍から頂戴した馬を見世物に使ったらどうなるか」といった話があるが、この具体例も上の読書メモで触れられているため、ここでは、初めて見る具体例たる「忠臣蔵」を通じて所有概念についてみていく。

 

 

 忠臣蔵では、松の廊下で浅野内匠頭吉良上野介に切りつけた結果、播州赤穂藩は改易となっている。

 このことが赤穂に到達したとき、家老の大石内蔵助藩士と「藩のお金をどうするか、財産整理をどうするか」で話し合いをした。

 そして、大石内蔵助は藩札の交換を行うとともに、改易によって生活に困る藩士に対しては分配金を配るなどのことをしている

 

 以上のお話、忠臣蔵を知っていれば当然知っている話であり、ここの部分に目くじらを立てる日本人はいないだろう。

 しかし、近代的所有概念から見ると、「あれ?」という部分がある。

 

 まず、改易によって藩に属する不動産は収公された。

 つまり、改易により、藩に属した不動産の所有権は赤穂藩から将軍徳川綱吉に移り、その後、新たに赤穂に入る大名に移る、ということになる。

 

 では、動産(財産)はどうなるのであろうか。

 この点、改易前の動産の所有権者浅野内匠頭となるのだろう。

 では、改易後はどうなるのか?

 不動産と同じように考えるならば、所有権の帰属先は将軍徳川綱吉になる。

 とすれば、大石内蔵助がやったことは権限なく徳川将軍家の所有する動産を藩士に分配したことになり、これは現代刑法のいうところの横領(刑法252条)になる。

 もちろん、罪刑法定主義の一要素たる「事後法の禁止」を考慮すれば、徳川時代の行為に現代の刑法が適用されないことは当然であるとしても。

 

 もちろん、大石内蔵助に近代的所有概念などあるはずがない(当然である)。

 そして、大石内蔵助以下の藩士は、財産を占有しているのは我々だから、その財産を我々で分配するのは自由と考えたことになる

 このことは、赤穂家の動産の所有権の帰属について一義的に考えていなかったこと、所有権を抽象的に把握していなかったことを意味する。

 

 ところで、本件では、不動産(土地と城)は徳川綱吉に没収されたが、動産についての没収措置はなされていないため、(現代の規範に照らして)公金横領ではないのでは、と考えるかもしれない。

 しかし、この場合でも、改易前の動産の所有権が浅野内匠頭にあったことを考慮して、浅野家の相続人、例えば、浅野大学(弟)や妻の瑶泉院に帰属することになり、「他人の財産」であることに変わりはない。

 にもかかわらず、大石内蔵助は浅野大学などの承諾を得てお金を分配した気配はないが、これはどうしたことか、と。

 

 この点、江戸時代の人間がこのような議論をすることはないのは当然である。

 しかし、現代の我々から見た場合、大石内蔵助が藩の金を勝手に分配した行為は公金横領にあたりうるという点を指摘されないのはなぜか。

 当然だが、「公金横領は悪いことではないから見逃した」は理由にならない。

 このことは、忠臣蔵における物語の中で吉良上野介に対する描かれ方とその描かれ方に対する評価を見れば明らかである。

 しかし、そうならば、大石内蔵助の行為が見過ごされた理由は別にあることになる。

 

 また、この問題提起に対してある程度合理的な反論をすることができる。

 曰く、大石内蔵助らの財産の分配は所有者(徳川綱吉、浅野大学、瑶泉院など)ならば行ったであろう行為を代理で行ったに過ぎない、と。

 そして、改易による事後処理を円満に行うという観点から見れば、藩札を藩の財産と交換すること、藩士の生活保障のために藩の財産を処分するといった大石内蔵助の行為は極めて合理的である。

 だから、大石内蔵助の行為は清算人による一種の財産処分行為として、または、事務管理民法697条)にあたるため、現代から見ても横領にはあたることはない、と。

 

 しかし、このような反論を考える日本人はほとんどいないであろう。

 というのも、これまでの読書メモで述べてきた通り、そもそも日本にも近代的所有概念は根付いていないからである

 そのため、「この財産は誰に帰属しているのか」ということに意識が向かない。

 そして、一義的な所有権を意識しないため、抽象的な所有と具体的な占有の区別もつきにくいことになる。

 この点も、これまでの読書メモで見てきたとおりである。

 

 以上の話は日本人の話であるが、中国人の所有概念を理解する際も参考になる

 この本では、これまで日本人と中国人の違いを細かい部分を含めて指摘していたが、そのことは日本人と中国人に共通項が一切ない、というわけでもないので。

 

 

 以上、本書にみてきた。

 忠臣蔵における大石内蔵助の行為が横領となるかについては、違法性を阻却するためのロジックはそれなりにあると考えられる。

 その意味で、本書の大石内蔵助の行為に対する評価については私は同意しない

 ただ、近代的所有概念からこのように見てみると興味深いものがある。

 

 次回は第4章の残りの部分をみていく。

2023年の総括、2024年の目標等

0 はじめに

 2023年が終わり、2024年が始まった。

 そこで、2023年の1年間を振り返ると共に、2024年の目標をこのメモに残しておく。

 

1 ブログについて

 2023年に私は120個の記事をこのメモブログにアップした。

 つまり、「1年間で2000文字以上の記事を120個分、メモブログにアップする」という目標を3年続けて達成したことになる。

 

 しかし、2023年にこの目標を達成できるかはとても微妙だった。

 12月20日の時点で109個の記事しかできていなかったのだから。

 120個の記事が作成できたのは僥倖と言ってもよい。

 もちろん、多少の融通が効いたとしても。

 

 

 では、2024年のブログのスタンスはどうしようか。

 この点、2023年1月の私は「2023年は2021年や2022年と比較して時間が取れなくなるだろう」と考えていた。

 そして、2024年も2023年や2022年と比較して時間が取れなくなる見込みである

「いっそ目標とする記事の量を減らそうか」と考えなくもないが、2023年の10月から12月までの3ヶ月間に33個の記事をアップしたことを考慮すると、敢えて減らす必要もなさそうである。

 とりあえず、「『120個の記事(1記事あたり2000文字以上)をアップする』という目標は維持する。しかし、健康その他の理由でできなくてもよい」と考えておく。

 

 

 次に、2021年3月から始めていた「司法試験・二次試験・論文式試験憲法第1問を見直す」というシリーズを2023年12月末に終了させることができた。

 

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 このシリーズが終わったので、2023年に進められなかった読書メモを作っていく予定である。

 実際、2023年に終えられた読書メモは次の1冊だけなので。

 

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2 読書について

 生活記録によると、2023年の1年間に76冊の本を読んだらしいキンドルは含む、プログラミングの本と資格取得のための教材は除く)。

 2021年の135冊に劣るとしても、2022年の67冊は超えている

 結構、本を読んでいたのだなあ・・・。

 

 この点、1年間に76冊というと週1冊以上、ということになる。

 なかなかの読書量である。

 

 

 ただ、読書メモの方はほとんど進められなかった。

 今年はこちらを充実させたいところである。

 

3 資格とプログラミングについて

 次の記事で触れた通り、2023年は「学習習慣の確立」とは無関係に2つの資格を取得した。

 

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 2024年も社会生活上の要請に従い、複数の資格を取得しようと考えている。

 どれも一夜漬けかスキマ時間の活用でどうにかなる、と考えているものばかりである(これはあくまで見込み、実際のところは分からない)。

 

 

 それから、最近、技術習得の必要性を感じているのが、ワードとエクセルに関する技術である

 10月以降、ワードやエクセルを使う機会が格段に増えたのだが、「こういうことができたらなあ」と考えつつも、時間のなさから諦めるといったことが増えている。

 いっそ、ワードやエクセルについて時間を取って一気に学ぶ、というのも悪くないかもしれない。

 それから、エクセルのマクロについて学ぶのも。

 

 ただ、学習する場合、一応のアウトプットの対象が問題となるところ、現段階でMOSを取りに行く予定はない。

 この点はどうしたものかなあ。

 

 

 次に、現段階では数学系の資格取得は考えていない。

 確かに、近い将来を考えると、社会生活上の要請に基づいて機械学習の結果を活用する事態は十分生じうる状況にある

 しかし、現状、数学や統計学について学ぶための時間を作ることができない。

 また、社会生活上の要請は「活用すること」であって、「何かを生み出すこと」ではない

 そのため、数学系の資格取得自体は不要かなあ、と考える次第である

 

 さらに、プログラミングについても上に書いたマクロの他に何かをやる予定はない

 現状の行動可能時間の配分を考慮すれば、対外的に新しい何かを行うことは難しい。

 せいぜい、次のサイトのスキルチェックの問題を解き続け、今ある能力を可及的に下げないようにする、という程度であろうか。

 

 

4 健康等について

 この1年間、生活記録については順調に続けることができた。

 その結果、現状の生活記録のベースに従って約2年半の生活記録が積みあがった。

 この生活記録を見直した結果、自分の生活状況や自分の限界に関するある程度客観的な把握が可能となった。

 

 

 なお、2024年の健康上の目標は次の3点になる。

 

1、しっかり寝る

2、長期的な無理はしない

3、体重を減らす

 

 2023年は、上の1と2についてそこそこ達成したが、3は達成できなかった(体重を増やすことはなかったとしても)。

 2024年は、上の3について少しでも成果を上げたいところである。

 

 

 以上、2023年を振り返ると共に、2024年の目標などをイメージしてみた。

 1年後はどうなっていることやら・・・。

司法試験の過去問を見直す 総括

 これまで、私は司法試験の二次試験の論文式試験憲法第1問の過去問をみてきた。

 

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 検討した過去問は平成元年度から平成20年度(合格した年)の20問である。

 そこで、15年振りにこれらの過去問を見直した感想を残しておく。

 

1、過去問検討の大変さ

 現段階で20問の検討を終えた感想を述べるならば、「疲れた」と「なんとかやり切れてホッとしている」ということになる。

 さらに言えば、「ここまでの作業になるとは考えていなかった」を付け加えてもいい。

 

 この企画を始めたのが令和3年の3月、ブログを開設した直後である。

 だから、私はブログを始めてからこの企画をずっとやっていたことになる。

 そりゃ、「長かったー」と考えるのも無理はない。

 

 でも、考えてみれば、当然である。

 旧司法試験の二次試験の論文式試験は全部で12問。

 そのうちの1問であるとはいえ、20年分見直せば、相応の量になる。

 20年を10年にしておけばよかったなあ、と考えないではない。

 

 もちろん、検討したかった過去問は平成元年から10年にもあったので、現実的には10年にすることはなかっただろう、とは考えているけれども。

 

2、過去問検討の重要性

 次に、今回行った20年間の過去問検討は、合格をする前に行っていた私が行っていた過去問検討よりも深いレベルになっていた。

 私は合格前にこんな検討をした記憶はない。

 

 それゆえ、20年分の過去問を条文と定義と趣旨と判例を踏まえて検討すれば、当時の旧司法試験の二次試験の論文式試験には確実に合格できる、と言えるだろう。

 もちろん、現在の予備試験や新司法試験においても同様のことがいえるのではないか、とも。

 

 ただ、これが全科目についてできるかどうかは相当難しいだろう。

 当時の司法試験に比較して今の司法試験は範囲が広くなったことを考慮すれば、今の方が難しいとすらいえる。

 

 また、2008年の段階で考えても、ここまでやる必要があったとは到底言えない。

 仮に、定義・趣旨・条文・判例に関する知識の習得などを他の部分で補うのであれば、5年でも十分ではないか、と考えられる。

 

3、判例の重要性

 それから、憲法における判例の重要性について再確認した

「こんなことを判例で言っていたのか・・・」と確認させられたことが多かったからである。

 

 ただ、その重要性を確認できたのは、合格後に出版された次の本のおかげである(引用先は最新の版、私が見た当時の版はもっと前のもの)。

 

 

判例の背後にここ本で述べられたロジックがある」という前提知識があったため、判例を確認した効果は高まった。

 当時の学んでいた憲法判例に対する理解その他だけでここまでの成果が挙げられたかは相当微妙である。

 そのように考えると、今回の検討におけるこの本の価値は大である。

 

4、日本教との関係について

 ところで、このブログで司法試験の過去問を検討した理由は、憲法をめぐる日本教の現れを見るためである。

 だが、問題の検討の方に熱中してしまい、日本教との兼ね合いについてはあまり検討できなかった。

 

 しかし、あちこちに日本教的なものを感じとることはできた。

 例えば、猿払事件から。

 それから、津地鎮祭訴訟から。

 あるいは、尊属殺重罰規定をめぐる最高裁判所の判決から。

 

 特に、猿払事件から感じた日本教的なものについては非常に印象深かったため、「『猿払事件最高裁判決に対する批判』を日本教的観点から見る」という形でまとめてみようかと、とは考えている。

 

5、その他の科目について

 なお、憲法第1問についてやったのだから、憲法第2問やほかの科目についてやってみるのはどうか、という考えはなくはない。

 しかし、現段階ではやる予定は全くない

 というか、憲法第2問について同じように20問を見直すことは無理としか言いようがない。

 まして、他の法律については言うに及ばず、である。

 

 確かに、見直すことで得られるものはあるのだろう。

 しかし、今年はブログの記事120個を書き切ること自体が大変であった。

 つまり、来年、年間120個の記事を書き切れるかどうかは極めて微妙である。

 

 また、日本教との兼ね合いを検討することは考えていたよりもできていない

 つまり、過去問を検討すると、憲法学や法律学の方に踏み込んでしまい、社会学的な方向にはあまり踏み込めないようである。

 

 そのため、日本教的なものの検討・分析をするならば、別の題材を選んだ方がいいのではないか、と考えている

 専門的な方向に突貫しなくても済むような何かに。

 

 

 以上で、このシリーズを終了する。

 このシリーズを初めてから終わるまで約2年と10か月、やるべきことをやってから終えることができてホッとしている。

 もっとも、このようなシリーズとしての検討は今後は難しいかもしれない。

 

 あと、今年1年、なんとか120個の記事を書き終えることができた。

 来年も120記事書けるかどうかは微妙である。

 だから、来年は記事の総数を120から少し減らそうか、と考えている。

 

 また、今後は、当分の間は読書メモを作っていこうと考えている。

 精読したい書籍はまだまだあるので。

 

 それでは、よいお年を。