薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 6

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

8 「第6章_驚嘆すべきは資本主義」を読む

 今回の主役はカール・マルクスである。

 マルクスの言葉と思想がロシア革命の原動力になり、彼の主張した共産主義が「東側」という一大勢力圏を築くことになったことを考慮すれば、マルクスによる現実の社会への影響度はトップクラスであると言えよう。

 

 

 この本では、マルクスの発見した「疎外」と呼ばれる現象に関する話題からスタートする。

「疎外」とは「社会科学においても(自然科学の法則のような)人間にはどうすることもできない法則がある」ということである。

 例えば、自分の作った製品を市場で売ろうとしても、自分の意図した価格にすることはできない(強引に高く設定しても売れ残るだけである)。

 製品の価値・価格を高めたければ、市場における経済法則(価格の設定に関する法則)や市場における事実関係を調査・研究して、製品の価値を高めていくしかない。

 

 この点、経済における「疎外」はマルクス以前にも発見されていた。

 例えば、リカードの主張した比較優位説等も「疎外」の現れ(経済における一般法則)である。

 この点、このような一般法則の存在に対する拒否反応も強かった(現代日本を眺めてみれば、そもありなんという気がする)。

 しかし、古典派はこの拒否反応をものともせずに自説を展開していった。

 そして、マルクスは市場や経済に見られたこの「疎外」を社会や歴史にまで拡張したのである。

 

 

 ここから、著者はマルクス主義の指導者・弟子・マルキストたちに言及する。

 曰く、マルクスの発見の多くは偉大なものであったが、マルキストの指導者やマルクスの弟子が愚かだったために、マルクス主義はうまく活かされることなく消えてしまった、と。

 

 例えば、ソ連の禁酒政策。

 ソ連では生産性の向上等のために禁酒政策を取り入れた。

 ロシア人の飲酒量という立法事実や健康の維持・生産性の向上という目的に照らせば禁酒政策を行うこと自体は悪くない。

 ただ、マルクスの主張した「疎外」を理解していたならば、禁酒政策の実行する際、飲酒に至る経緯などの背景事情等を調査しただろう。

 ところが、ソビエトはただ「飲むな」と命令して、結果的に失敗することになる。

 

 別のソ連の失敗例として、未完工事とゼロ金利がある。

 経済法則を無視した工事計画が大量の未完工事を生み出してしまった。

 また、金利をゼロにしてしまった結果、工事を完了させなくても、あるいは、借金を払わなくても遅延損害金(利息)は発生せず、物を売ってお金にしなくても利息によって資産が増えることがない。

 利子は経済活動の生命線である。

 その利子を悪だと考えた政府は、利子をゼロにしてしまった。

 その結果、市場のリベンジを食らって経済はストップし、ソ連経済は崩壊することになる。

 

 

 この現象、日本も他人事ではない。

 例えば、日本政府(財務官僚)は市場に対して様々な規制や命令を出している。

 この規制・命令がこれが経済法則に適っていればまだしも、適っていなければ市場のリベンジを食らって経済がガタガタになってしまう。

 所謂、「総量規制」によってバブルが飛んだことは周知のとおり。

 また、日銀のゼロ金利政策が「流動性の罠」を引き起こしていることも周知のとおり。

 

 何故、こんなことになったのか。

 著者によると、原因は官僚が共産主義からの転向者だったから、ということになる。

 つまり、昭和初期、政府や帝国陸軍共産主義者を取り締まっていた一方、彼らの知識が有用であるとも考えていた。

 そのため、共産主義者を転向すれば政府において活用できるなどと楽観的に考えていた。

 その後、共産主義者は転向し、転向した者のうち優秀な者は政府に取り立てられていく。

 取り立てられた者たちは優秀ではあったが、「資本主義は悪である」・「利潤・利息は悪である」と言う発想は抜けておらず、日本の資本主義は統制経済になる。

 

 もちろん、統制経済だからダメ、ということはない。

 例えば、戦後の高度経済成長はこの統制経済のたまものである。

 しかし、そのいい結果に気分を良くした官僚は統制の傾向を強めて、バブル以降の悲劇を招いてしまった。

 ここに「人生万事塞翁が馬」という言葉を思い出さずにはいられない。

 

 

 ここからマルクス経済学に話題を移す。

 

 現在、世情を見る限りマルクス経済学は消え去ったように思われる。

 この点、前述の通り、マルキストソ連の指導者たちがマルクスの真意を活用できなかった。

 そのため、マルクス主義はその真価が発揮できず、ソ連の崩壊と共に無用のものとして消えることになった。

 

 ただ、マルクス自身が見落としていた点もあった。

 それは「資本主義に形成に必要なものは何か?」というものである。

 客観的条件として、技術の進歩・資本の蓄積・商業の発達が必要なことは言うまでもない。

 ただ、それだけで成立するなら、イスラム帝国中華帝国において資本主義が成立してもおかしくない。

 でも、そうはならなかった。

 なぜなら、資本主義の形成にはもう一つの主観的条件、いわゆる、資本主義の精神が必要だったからである。

 資本主義の精神を具体化すると①目的合理性を尊ぶ精神、②労働自体を目的とする精神(労働による救済を目的とする精神)、③利子・利潤を倫理的に正当化する精神となる。

 

 この点、社会主義は資本主義の矛盾を克服するための政体と考えられていた。

 ならば、社会主義でも資本主義の前提に必要な「資本主義の精神」が必要であるのことは明らかである。

 というのも、計画経済を実施するためには目的合理的な計画を立てる必要がある。

 また、合理的な計画があっても、計画を実現するための労働を救済であると思えなければ、計画は実践されない。

 さらに、利潤・利子を正当化せず、ゼロ金利を実施すれば、労働しないことのペナルティがないし、労働による現実的な利得がない。

 このことからも、社会主義社会でも資本主義の前提に必要な「資本主義の精神」が必要であると言える。

 

 このような資本主義の精神を持たないまま社会主義に突入したソ連はどうなったか。

 ゼロ金利の結果、在庫の山ができ、私有財産を否定したため労働者は働かず、計画経済は未完工事の山となった。

 この失敗は「資本主義の精神がなければ、資本主義はもちろん社会主義も機能しない」ということをマルクスマルキストたちが見落としたため、ということになる。

 この点、東西冷戦の時代は資本主義体制の国も社会主義的な政策を取り入れていたが、労働者にとって西側の方がマシだったのは資本主義の精神のおかげ、ということなのかもしれない。

 

 

 さらに、当時の学問の基準から見て、マルクス経済学は致命的な点があった。

 それは、マルクス経済学の「労働価値説」が循環論法から脱出できなかったことである。

「労働価値説」は「物価は『投入された労働量』によって決まる」と考える説である。

 この説を採用した場合、「労働時間と労働力の関係をどう考えるのか、労働力の換算率をどう決定するのか」という問題がある。

 この点、商品を生み出す力、つまり、技術は人によってばらばらであるから、労働時間を労働量に置き換えることはできない。

 つまり、時間をストレートに用いることができない以上、換算率を決定する必要がある。

 

 この点、リカードが労働価値説を提唱した際、リカードは「労働価値説は資本主義より前の世界でしか通用しない」と述べた。

「今の時代には適用できない」と述べれば、資本主義経済における適用をやめれば問題は解決する。

 しかし、マルクスは資本主義社会の矛盾を労働価値説から導こうとしたので、リカードのような説明を用いることはできない。

 そこで、マルクス「労働力の換算率は市場のメカニズムによって決まる」と述べた。

 

 しかし、この説明は循環論法になってしまっている。

 循環論法になる過程を整理しながら書くとこうなる。

 

「物価は労働力によって決まる」(労働価値説)

 

 これに「物価は市場における物の価値である」、「労働力は労働時間と換算率によって決まる」をはめると労働価値説は次のようになる。

 

「市場における物の価値は、労働時間と換算率によって求められる」(労働価値説)

 

 これに、「換算率は市場のメカニズムによって決まる」をはめ込むとこうなる。

 

「市場における物の価値は、労働時間と市場のメカニズムによって決められた換算率によって求められる」(労働価値説)

 

 邪魔なものを削ってシンプルにすると次のようになる。

 

「市場における物の価値は、市場のメカニズムによって決められる」

 

 これでは「市場の価値は市場によって決まる」となってしまう。

 つまり、循環論法であり説明になってないではないか、ということである。

 当時は循環論法では説明にならないと思われていたので、そのような批判を浴びた。

 そして、マルクスは死亡していたためこの批判に対する反論ができず、また、マルキストも反論ができなかった。

 それゆえ、経済学の第一線からマルキストたちは消えていくことになる。

 

 

 こう見ると、マルキストマルクスの弟子たちの不甲斐なさが見えてくる。

 学問においては循環論に対する批判を跳ね返せなかった。

 政治においても資本主義の精神を見抜けなかったためソ連の悲劇を招いた。

ソ連の悲劇がその後の資本主義・グローバリズムの暴走を招いたことを考慮すると、ソ連の悲劇は東側の悲劇のみならず世界の悲劇でもある)

 

 ちなみに、「循環論法でも説明として成立するのだ」と述べたのは、ケインズ派サミュエルソンである。

 サミュエルソンワルラス一般均衡理論を用いて、マルクスの労働価値説の欠点を補った。

 そして、本の森嶋通夫教授がマルクスの労働価値説を証明することになる。

 ちなみに、森嶋通夫教授は反共主義者であった高田保馬博士の弟子である。

 

 

 このように見えると、マルクスの悲劇が見て取れる。

 資本主義の精神を見つけたマックス・ウェーバー一般均衡理論を見つけたワルサスの後に生まれていたらどうだっただろうか。

 あと、弟子に恵まれなかったのも不幸ではある。

 まあ、呪文のようにマルクスの言葉を繰り返すのは不毛だろうが。

 

 古典派は「資本主義に失業はない」と宣った。

 これは大恐慌の場合でも例外ではない。

 それに立ち上がったのがケインズであることは前述の通りだが、ケインズよりも前に「資本主義にも失業がある」と述べたのはマルクスである。

 しかし、弟子の不甲斐なさか、大恐慌の時点でマルクスの言葉に耳を傾けるものはおらず。

 そして、共産革命の代わりにファシズムが台頭することになる。

 

 こう見ると、マルクスの話は経済学に限られた話ではない。

 なんともスケールの大きい話ではないか。

 

 

 本章では、最後にマルクス現代社会への警告に話が移る。

 マルクスの社会に対する主張は次のとおり。

 

「資本主義においても失業が発生する」

「資本主義は富の不平等をもたらし、特に、失業に追い込まれた人間は悲惨な状況になる」

 

 本書から離れるが、古典派はマルクスのこの批判にどう反応するのだろう。

 失業については、「失業は一時的なものである、よって、現実において悲惨な状況にはならない」と返すことになるだろう。

 この点、現実において労働者の悲惨な状況は各地であったが、大恐慌に対してすら失業はないなどと宣うのであれば、推して知るべし、と言えそうである。

 では、富の不平等についてはどうか。

 古典派のドグマはジョン・ロックであり、新教であり、聖書である、ということを考えると、「資本主義による富の不平等は機会の平等に反しているわけではない、ならば、現実に生じる富の不平等は神の思し召し、生じても問題ない」ということになるのだろうか。

 閑話休題

 

 ちなみに、マルクスの価値を学問の世界から放逐することになった、循環論法を根拠とした「労働価値説」への批判。

 経済学、いや、社会学において循環論に陥ることは多々あり、その説明に学者は苦労した。

 ただ、これは経済学者の数学への理解が甘かったために起きたことである。

 循環論法によっても説明が可能である、これを数理的に説明したのが数理経済学の始祖、レオン・ワルサスであり、その理論が「一般均衡理論」である。

 これにより、社会科学の中で経済学が科学として発展していくことになる。

 この理論がマルクスの主張の前にあれば、マルクスへの評価は変わったことだろう。

 

 ところで、マルクスは「資本主義でも失業は発生する」・「資本主義はいずれ破綻して、革命が起きて社会主義になる」と述べた。

 ただ、その後の展開についてはマルクスは語っていない。

 とすれば、「失業が不可避な資本主義から社会主義に変えた結果、失業がなくなるのか」という問いは「分からない」ということになる。

 だって、マルクスは何も言っていないのだから。

 この点、「『セイの法則』が社会主義でも成立すれば失業は発生しないが、そうでなければ社会主義でも失業が発生する」ということは想像できる。

 しかし、「社会主義に『セイの法則』が成立するのか」と言われるとはなはだ怪しい。

 個人的な妄想をするならば、「『セイの法則』に沿った経済計画を立てれば可能、その計画の立案実行が政府の役割」ということになるのかなあ、というだけである。

 

 

 しかし、マルクス主義の経過を見てみると、マルキストたちの愚かさが目立ってしまうのは気のせいだろうか。

 本書では、マルクスの弟子たち(マルキストソ連の指導者たち)の愚策の例としてアフガン侵攻が挙げられる。

 アフガン侵攻と言ってもソ連によるアフガンへの侵攻のことであり、セプテンバー・イレブン後のアメリカによるアフガン侵攻ではない。

 この点、マルクスエンゲルスは「アフガンの地形・自然・人民の気質を考慮すると、あの国を攻めても勝てない」と述べている。

 しかし、1979年、ソ連はアフガンに侵攻したが、1989年に完全撤退を余儀なくされる。

 アメリカについても大同小異。

 そうみると、マルクスエンゲルスの観察力に驚嘆するしかない。

 

 また、古典派とケインズ派は火花を散らせるような対立関係を持ちながらも経済学を大きく発展させた。

 しかし、マルクスの弟子たちがそのようなことをした形跡はない。

 

 

 最後に。

 本書では、経済学以外の点のマルクスの偉大さについて触れられている。

 具体的に挙げられているのは、『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』である

 ルイ・ボナパルトとはナポレオン三世のことであり、フランス革命を収拾し、共和国の皇帝となってヨーロッパを席巻したナポレオン・ボナパルトの甥である。

 彼はクーデターによって帝政を実現したものの、叔父のナポレオンとは能力的に大きな差があったためか、ビスマルクモルトケが率いるプロイセン軍に大敗し、失脚する。

 それから、「歴史は繰り返す。一回目は悲劇として、二回目は茶番として」という有名な言葉があるが、元ネタはこれである。

 

 この本を本格的に研究していれば、ファシズムもナチズムも発生しなかっただろう。

 と同時に、アメリカで一度もファシズムが起きなかった理由も分かるだろう(フランスはナポレオンにより、イタリアはムッソリーニにより、ドイツはヒトラーによる独裁を招いている)。

 もちろん、アメリカ合衆国憲法ができたのはフランス革命前である。

 ナポレオン三世はおろか元祖ナポレオンすら登場していない。

 しかし、ナポレオンによる世界侵略の経緯とそっくりのケースが古代ローマにあった。

 そう、共和国ローマで独裁者となったジュリアス・シーザーのケースである。

 アメリカ合衆国憲法を起草したトマス・ジェファーソンは「この幼き共和国をシーザーから守るために」と考えて、憲法を起草した。

 

 例えば、「自由と平等は自明の真理」と謳ったことに見ることができる。

 もちろん、神学的なものを用いない限り、自由と平等は自明の真理にはならない。

 しかし、独裁者をけん制する道具として見れば、これほど有効な道具はない。

 何故なら、独裁者は往々にして自由を排除しようとするところ、自由を自明の真理と宣言し、それを活かすようにしておけば、独裁者の発生に対してブレーキがかかるからである。

 あとは、大統領選挙のシステムについても同じようなことが言える。

 アメリカの大統領選挙はめっちゃコストがかかるし、期間もかかるし、複雑であるが、あれによって大衆の一時的な歓呼によって独裁者が出てくることを可及的に回避できる。

 そのための設定が無茶ではないか、独裁者による利益を放棄しているではないか、という批判はありうるであろうが。

 

 

 以上が本章のお話。

 以前、カール・マルクスに関する書籍をいくつか読んだことがあったが、もう少し真面目に読んでみようかな、と思う次第である。

 あと、本章ではマルクスの弟子たちの不甲斐なさについて語られているが、何故そうなったのかにも興味がある。

 それと、本章のメモを作っていて、「日本のいわゆる『ファシズム』は、ドイツ・イタリアの『ファシズム』と根本的に違うのではないか」とも思った。

 時間があったら、文献を集めて仮説を立てて検証してみたい。