薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『危機の構造』を読む 17(最終回)

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『危機の構造_日本社会崩壊のモデル』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

25 第7章「社会科学の解体」をまとめる

 まず、前章の内容を箇条書きにまとめる。

 

・「社会科学的思考法」の対極の具体例となる「苦労人の説教話」には「現状の社会の状態は苦労人の認識した内容と同一であり、かつ、その認識した社会の状態は『善』である」という前提がある

・苦労人の説教話の背景にある「社会を(自然のような)所与とみる心的傾向」は前近代的社会に住む人間にも存在するところ、このような心的傾向でいる限り社会科学的思考法を行使する意思は生じえない

・社会科学的思考法を選択するためには、「社会組織や社会構造は、過去の所属集団の構成員たちの行為による結果であり、かつ、社会組織や社会構造も所属集団の構成員たちの意図に応じて改変・制御することができる」と考えることが必要になる

・社会科学的思考法によって社会を変化させる手段は「人間・集団の行動法則(社会科学的法則)を解明とその解明したルールを足掛かりにした社会の変革」という形をとる

・「人間には自由意志があるので、人々の集団たる社会には法則が存在しないのではないか?」という疑問に対する完全な回答はないが、経済学者と心理学者の研究によって「社会においても法則が存在すること」と「自由意志と我々が認識しているものの正体」についてある程度判明した

・社会科学的思考法・実践において重要なことの1つは「社会に対して個人は極めて弱い存在である」ということを踏まえることである

マルクスは「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」と述べ、デュルケームは「社会的事実」という概念を設定・活用することで社会学を確実な方法論的基礎のある学問に発展させた

・「社会的事実」とは、人間の外部にあって人間の行動を規定する一方、人間の行動によって規定されない事実をいう

・社会的事実が社会において大きな意味を持つと「仮定」するのであれば、社会現象・社会科学的法則の研究において重要なものは人間の行動・目的や自由意志ではなく社会的事実になる

・社会分析の重要な役割・目的は「スケープゴート主義からの脱却」である

・社会科学的分析において相互連関分析といった手段が重要になる

・相互連関分析による具体的な成果の第一号が経済学の一般均衡理論である

・他の社会科学においても一般均衡理論のような分析が必要であるが、それだけでは足らず、社会構造と社会における機能体の連関分析(相互作用の分析)が重要になる

・日本では社会科学的思考法の前提を踏まえていない政策が行われることが少なくなく、改善策によって改革目的を達成できないことが極めて多い

・日本の改革が失敗の原因は社会科学的思考の大前提の認識の欠落にある

・社会問題は政治問題・経済問題・教育問題・社会問題といった多面的な要素を併せ持つので、社会構造や構造機能の相互連関分析を欠いた制度改革は無意味である

・社会問題を適切に解決するためには、①単一の制度の変更のみにとどめないで関連する制度の変更をも行うこと、②制度変更による日本の社会構造の変化・日本の社会構造と社会組織の相互作用に対する分析を行うこと、③制度変更による副作用についても分析して適切な手当てを行うことの3点が重要になる

・(当時の)当時の日本の社会科学は破産寸前で崩壊の危機にさらされていた

・(当時の)経済学自体が解体の傾向を示していた

マルクスブルジョワ社会科学(この中には古典派経済学も含まれる)を学び、吸収し、その上で批判を展開したのだが、このような努力は日本のマルキストに見られなかった

・19世紀以前の近代資本主義社会と異なり、現代社会は「政治経済学」という形で政治と経済をセットにして分析しなければならない時代になっている

・(当時の段階において)日本の政治学は既に消滅したとも言いうる状態にあった

・現代において各学問(自然科学も含まれる)が各学部・学科に閉じこもっている場合ではない状況にある

・現代において「学際協力」の重要性が認識されているが、この学際協力は容易ではない

・現代の学問・科学の理想状態は①理論の構築と②実験と実証(実地調査)の相互循環を継続させることにある

・現代においては「理論構築」も「実証」も容易ではないため、①理論なき実証、②実証なき理論、③実証と理論の分離といった不完全な状態のものが少なくない

・学問分野によって理論に特化したり、実証に特化したりするといったことが生じるため、「不完全な状態」といってもその状態は学問によってバラバラである

・学際協力を困難にしている心理的背景は、どの学問も「学問の理想状態」(理論と実証の相互循環)から乖離しているにもかかわらず、研究者たちが「その学問の不完全な状態」をもって現状の理想状態(準理想状態)と考えていることにある

・学問の発展経緯に影響されるところもあり、また、大雑把に見た場合という留保が付くが、経済学は理論に特化し、心理学は実証に特化しているため、偏向の向き(不完全な状態)が大きく異なる

・心理学にも理論があるし、経済学にも実験・実証があるが、二つの学問の間には自然科学でいうところの「理論研究室」と「実験研究室」の不協和音がある

・学問の偏向性の結果、各学問の実験計画法や方法論においても大きな違いを生んでいる

・(当時の)政治学は理論も実証も操作(理論による実証の予測)も存在していないようなものだった

・社会科学や学際協力を実効化させるためのキーワードは、「科学的方法論に対する真の理解」・「科学的方法論を理解した上での相互承認」・「過度の単純化という犠牲を代償にした学問の発展の存在の承認」・「未開発分野に対する研究において(他の学問から見て)単純な手法を用いることに対する寛容性」になる

 

26 感想

 以上、本文を読んできた。

 最後に私の感想(感想以上の何者でもない)を述べてこのメモを終える。

 

 

 最も重要な感想は「50年前も今も大差ないな」ということであった。

 この点は、社会構造の核心部分に触れないで社会問題に対して対処療法を繰り返している以上は当然の結果なのかもしれない。

 

 ただ、巷でよく言われるような「50年間でよりひどくなった」という点についての判断は留保したいと考えている。

 安易に「悪くなった」と考えるのもあれだし、社会的事実を調べてから結論を出しても遅くないと考えるので。

 その関係で、「50年間の社会の変化をちゃんと見ないといけない」という感想をもった。

 社会の深層部分(構造)は変わらなくても社会の表面は変化し続けている。

 平成以降、「失われた30年」などと言われ続けているが、この30年間を見ても技術の変化は目覚ましいものがあったし、民法と刑法はカタカナから平仮名に変わり、商法から会社法に関連する部分が分離した。

 よって、「社会構造が変わってないとしても社会組織は変わっている」ということは十分あり得る。

 それから、日本の社会科学の状態が50年前と現在とで同じと考える必然性はない。

「50年前と今の社会は同一」と社会構造と社会組織を混同することせず、最新の社会状況を確認したい。

 

 

 次に重要な感想は、「学問ってすごいな」ということであった。

 この点、これまでの私が社会科学それ自体に触れる機会が極めて少なかったせいか、社会科学の有効性について認識したことはなかった。

 最近の読書で「宗教スゲー」という感想を持ったが、今回は社会科学という学問のすごさが知った。

 そして、それを活かしきれないのはもったいないというべきか。

 

 それと関連してではあるが、「単純化(モデル化)の威力」を見せつけられた気がした。

 この分析に使われたモデルはそれほど複雑ではない。

 それで、後述するようなものが得られたのであれば、私にとって学問の威力を見るに十分である。

 もちろん、「モデルが単純であること」と「モデル作りのコストが小さい(簡単)」ということは混同しないようにしたい。

 

 

 3つ目に重要な感想は「自分の分析に役に立った」ということであった。

 この点、「自分がよくわからない何かに拘束されている」という感覚は生まれて間もないころから最近までの長い間ずっとあった。

 また、「その拘束しているものが仮に私を破滅に追いやろうとしているとしても、私はその拘束から逃れることができない。その場合、破滅するよりほかはない」という感覚も。

 しかし、「盲目的予定調和説」という言葉によって自分を拘束している者の正体がある程度具体的に分かった。

 その意味で、本書の価値は大である。

 

 なお、盲目的予定調和説の恩恵もあった事実は忘れるべきではないであろう。

 盲目的予定調和説による拘束がなければ、私の大失敗もない反面、私のささやかな成功もなかっただろう。

 よって、この拘束には感謝もしなければならない。

 感謝するとともにお祓いをすべきであろう。

 

 さらに、この盲目的予定調和説は広く日本に蔓延されていると考える次第である。

 例えば、某所で教えられた言葉に「やればできる、必ずできる」というものがあった(気になる方はグーグルで調べればいい、私がこれに触れていたのは10年以上前のことではあるが、たぶんヒットする)。

 これは本書でいうところのイデオロギー・アニマルの世界の入り口で言われていた言葉であった。

 この言葉をつぶやく背景に明確なエリート意識があるとは考えない。

 しかし、「目の前の目的に対して努力し続ければ、(他の条件は何もしなくても)うまくいく」というのであれば、これも盲目的予定調和説である。

 もちろん、「努力のみに全力投球していい」という環境設定が相当程度客観的に存在するので、盲目的予定調和説に陥ってもその時点では問題がないとしても

 

 

 他方、本書の事実認定・評価・結論について疑問を抱く部分もある。

 具体的には、機能体の共同体化現象が現代的な現象としている点について。

 次に、エリートやエリート集団の目的意識について。

 これらについては、他の研究結果などを踏まえつつ慎重に判断したいと考えている。

 

 

 以上で本読書メモは終了である。

 この本は図書館で借りた本であり、かつ、巷に出回ってない本でもあるが、非常に参考になった。

 ただ、最近の私は色々と手を広げ過ぎている。

 そのため、今回学んだことは自己分析と環境適応以上に使おうという考えはない。

 しかし、今回得た知識はストックしておいて、必要と判断したときに使えるようにしたい。