今日はこのシリーズの続き。
『昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。
6 第4章を読む_後半
前回、白鳥博士と明治時代の歴史学についてみてきた。
今回は、白鳥博士の神話への態度、白鳥博士による昭和天皇への教育についてみていく。
まず、白鳥博士の神話への態度から。
白鳥博士には『皇道について』という未発表原稿にある。
それによると、「中国に儒教、インドに仏教、ヨーロッパにキリスト教があるように、日本にも固有の宗教、つまり、天皇教と称すべきものがある」旨を述べる一方で、「神代史は『神々の時代の記述』であって、普通の歴史のようにとらえるのは間違いである。歴史ではなく古代日本人の信仰・信念と考えれば矛盾はない」旨述べている。
本章によると、白鳥博士の考えはここから明らかである旨述べている。
さらに、参考になるのが白鳥博士の『神代史の新研究』である。
編者がことわっているように、これは講座の草稿である上に一部が欠落している。
また、引用文献や他人の説の記載は正確であっても、白鳥博士自身の説はメモ程度であるとか、一切書かれていない場合もあるらしい。
もちろん、「講義の準備のための資料」と考えれば、自分自身の説はメモ程度でも十分だった、ということなのであろうが。
著者(山本七平氏)は、この書籍の「神代史に関する古来諸家の解釈」にある「国学者の態度」と「明治時代の合理的説明」について紹介されている。
いずれも昭和にも大きな影響を与えたものである。
まず、白鳥博士は国学について「国学は本居宣長によって絶頂を極めた」・「国学を神典に引き付けて説明するように努めた」とし、平田篤胤についてはそれほど評価していない。
つまり、白鳥博士は「国学は宣長の業績をもって終わった」と考えているようだ。
では、「明治時代の合理的説明」についてどうみていたか。
まず、白鳥博士は、「明治時代になって西洋の文物が輸入されたはいいが、言語の学問はなんら進歩せず、神代史の研究も徳川時代から別段進歩しなかった」と述べている。
この部分は、明治時代当初のお雇い外国人から日本の歴史を質問された際、日本人が「日本には歴史などありません」と答えてお雇い外国人を驚かせていたことと整合性がありそうである。
この点、明治時代の初期は、西欧の医学、機械工業、自然科学の導入に専念しても、歴史学や言語学は軽視されていた。
一方、「徳川時代のまま」というわけにもいかず、神代史の合理的解釈が試みられたところ、神話学を踏まえない解釈を採用したため、合理的解釈の結果は新井白石のものと大差なかったらしい。
というのも、安直に合理的解釈を突き詰めれば、「神代史の神は人である。よって、神の時代の話である神話は、人の時代の歴史となる」となってしまうからである。
当然だが、「物語に人が登場すること」は「神話・伝説ではなく歴史である」ことを意味しない。
にもかかわらず、そのような解釈を強行すれば上のような結論になってしまう。
いわば、「アダムとイブが人間だから、創世記は歴史書である」というようなものである。
この点、白鳥博士がこの講義をされたのは昭和3年、皇国史観は登場していない。
そのため、上の解釈から見れば、天照大神は後世の天皇陛下と考えることになり、その結果、天照大神は人間のように見られることになる。
そして、この説を採用する者も少なくなかった。
あるいは、天照大神を神と見れば天皇も現人神となってしまうことも。
これは「神話学抜きで神代史を合理的解釈」を行ったためである。
しかし、その後、「『神話は神話であって歴史ではない』と考える新しい意見が登場し、従前の合理的解釈が排斥された」ようである。
ここでいう「新しい意見」とは津田博士の『神代史の研究』や『古事記及日本書紀の研究』などで述べられた意見を指す。
以上が白鳥博士の歴史観を見てきた。
もっとも、昭和天皇の自己規定の観点から見た場合、「白鳥博士は自己の歴史観をそのまま講義をすることができたか」という点を考える必要がある。
この点、乃木大将が学習院の院長となったとき、白鳥博士は「『神話は神話で、歴史的事実は歴史的事実である』旨教えること」についてある種の了解を求め、乃木大将は承知したらしい。
もちろん、このことは「神話を無視した」ではなく、「神話を神話として教えた」ということは十分注意する必要があるとしても。
では、昭和天皇はこの白鳥博士の教育にどのような反応をされたか。
この点、新聞記者の質問に答えたとき、昭和天皇は「購入する本は『生物学と歴史』」と言っている旨以前に紹介した。
この事実を考慮した場合、歴史に深い関心を持っている生物学者に「神代史を神話ではなく歴史(的事実)だ」という発想を身につけさせられるのか、という疑問が発生する。
例えば、神武天皇の父母や神武天皇の出世にまつわる神話は神話としては大変面白い。
しかし、生物学者が「この神話に記載されたものが『歴史的事実』である信じている」などと言えば、この生物学者の頭脳を疑われても抗弁できないだろう。
このことを考慮すれば、昭和天皇は神話と歴史を分けて考えていること(このことは神話が無意味・無価値であることを意味しない)、その影響は白鳥博士によるものと推測できる。
さらに言えば、いわゆる「人間宣言」にある「昭和天皇と国民との間にある紐帯は、相互の信頼と敬愛に基づく。神話や伝説によって生じるわけではない」という部分は昭和天皇の自己規定でもあったと言える。
そのことが明確に出るのが、終戦の聖断、ポツダム宣言受諾の時である。
この点、昭和天皇が東宮御学問所で学ばれているころ、第一次世界大戦が終結した。
このとき、ロシア帝国のロマノフ王朝は倒れ、オーストリア・ハンガリー二重帝国・オスマン帝国・ドイツ帝国が降伏した。
さらに、降伏とともにこれらの帝国の王朝は滅亡し、国王は退位・亡命、あるいは、虐殺という運命にあった。
「無条件降伏をしてなお存続した王朝は存在しない」ということを昭和天皇は間違いなく知っていたと考えられる。
例えば、日独伊三国同盟の際、「三国同盟によって対米戦争が回避できる」と述べた近衛文麿に対して、昭和天皇は対米開戦が必至となり、日本が敗戦国になることを憂慮されていた。
そして、結果は歴史が教えるとおりである。
さらに、昭和天皇は、太平洋戦争の敗戦時に第一次世界大戦で敗戦・降伏した帝国の末路を自分がたどることを覚悟していたであろう。
というのも、「ロシア正教の保護者」・「イスラム教のスルタン」等の宗教的権威はロシア帝国の皇帝やオスマン帝国の皇帝の助力にはならなかったからである。
この点、ポツダム宣言の際、連合国は「日本政府の形態は、日本国民の自由意思により決定されるべき」という一文があった。
そして、軍部は「連合国には天皇制廃止、共和制誘導の意志がある」と述べて強く反対した。
しかし、昭和天皇は「連合国が統治を認めてくれても、人民が離反したらしょうがない」と述べて、ポツダム宣言を受諾する旨述べている。
この受諾の背後には、第一次世界大戦において降伏した帝国の末路を意識していたであろう。
例えば、当時のイギリス国王は従弟のロシア皇帝を助けようとしたが、助けることができなかった。
当時の大英帝国すら敗戦国の君主の生命を保証できなかったのである。
ならば、占領軍の保証に意味があったと言えるかどうか。
さらに言えば、憲法遵守を自己規定とする昭和天皇の意地もあっただろう。
人民が離反したが連合国の保証により元首になるということは一種の傀儡である。
そして、連合国との取引に応じて天皇の地位を保っても、それは国民との連帯を断ち切ることになっただろうから。
「国民と天皇の信頼・敬愛によって~」と述べる天皇陛下にとって他国の傀儡になることは昭和天皇にとって屈辱以外の何物でもない。
ここに、第一次世界大戦の敗戦国から学んだ昭和天皇の姿を見出すことができる。
なお、終戦の際、昭和天皇は戦前の国定教科書に載っていない白村江の敗戦をことを口にされている。
白鳥博士はこの敗戦を引き合いに出して「戦勝におごるなかれ」と述べたり、「我が国の教科書などの書籍には我が国の戦勝しか記載されていない」旨批判したりしている。
このことから、昭和天皇は文部省管轄ではない白鳥博士の歴史観に基づく教育をしっかり受けていたということができる。
以上が第4章のお話。
歴史「に」学ぶ昭和天皇をイメージすることができた。
次回は第5章を見ていく。