薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

マネー・ローンダリング等の勉強を始める 7

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 犯罪収益移転防止法の条文を通じて、マネロン対策(主にAML/CFT)についてみていく。

 

13 簡素な顧客管理を行うことが許容される取引

 前回見てきた通り、金融機関にとっての「特定取引」は次の3つのうちのいずれかを満たすものである。

 

① 対象取引

(㋐「施行令第7条に列挙されている取引」で㋑「簡素な顧客管理を行うことが許容される取引」ではない取引)

② 疑わしい取引

③ 同種の取引の態様と著しく異なる態様で行われる取引

 

 前回は㋐についてみてきたため、今回は㋑を見ていく。

 ただ、この㋑を見るにあたっては、犯罪収益移転危険度調査書の内容を勘案する。

 

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/nenzihokoku/risk/risk051207.pdf

 

 ここには、マネー・ローンダリングの危険度を下げる要因として次の8項目を列挙している。

 なお、整理のために順番を入れ替えている

 

① 顧客等が国又は地方公共団体による取引

② 顧客等の本人性を確認する手段が法令等により担保されている取引

③ 会社等の事業実態を仮装することが困難な顧客との取引

④ 取引の過程において、法令により国等の監督が行われている取引

⑤ 資金の原資が明らかな取引

⑥ 取引金額が規制の敷居値を下回る取引

⑦ 法令等により顧客等が限定されている取引 

⑧ 蓄財性がない、又は低い取引

 

 こうやって見ると、名義・取引・原資の観点から問題のないもの、マネー・ローンダリングに利用しづらいものが簡素な顧客管理を行うことが許容される取引に該当する、と言えようか。

 これを念頭に置いて、犯罪収益移転防止法施行規則第4条第1項各号を整理していく。

 なお、金融機関以外を対象としている項目は除外する。

 

・金融信託において受益者に返還すべき財産を管理する取引(第1号)

(名義の偽り困難、取引過程に別規制あり、原資は明らか)

・満期保険金等の支払いがないか、満期解約金が保険料総額の80%未満の保険契約の締結等(第2号)

・前2号による契約による満期保険金の支払(第3号イ)

(マネロンに利用しにくい)

・適格退職年金契約、団体扱い保険等の満期保険金等の支払(第3号ロ)

(名義の偽り困難、取引過程に別規制あり、原資は明らか、マネロンに利用しにくい)

有価証券市場(取引所)等において行われる取引(第4号)

日本銀行において振替決済される国債取引等(第5号)

日本銀行において振替決済がなされる金銭貸借(第6号イ)

(名義の偽り困難、マネロンに利用しにくい)

・払戻総額が保険料払込総額の8割未満の保険契約等による金銭貸付等(第6号ロ)

(取引過程に別規制あり、原資は明らか、マネロンに利用しにくい)

・商品購入の際、クレジットカードを使わずに分割払いを行う取引等(第6号ハ)

(名義の偽り困難)

・取引の金額が200万円を超える無記名の公社債の本券又は利札を担保に提供する取引(第7号イ)

(取引過程に別規制あり、原資は明らか)

・国又は地方公共団体への金品の納付又は納入(第7号ロ)

・電気、ガス又は水道水の料金の支払 (第7号ハ)

教育機関等に対する入学金、授業料等の支払(第7号ニ) 

(取引過程に別規制あり)

・預金口座への入金・出金ための200万円以下の送金(第7号ホ)

・売主への代金支払のための200万円以下の送金取引で、かつ、売主が買主に対して特定事業者による取引時確認と同様の確認がなされているもの(第7号ニ)

社債、株式等の振替に関する法律に基づく特定の口座開設(第8号)

・SWIFTを介して行われる取引(第9号)

(名義の偽り困難、マネロンに利用しにくい)

・国又は地方公共団体が法令上の権限に基づき行う取引等(第13号イ)

(名義の偽り困難、取引過程に別規制あり、原資は明らか、マネロンに利用しにくい)

破産管財人等が法令上の権限に基づき行う取引(第13号ロ)

(名義の偽り困難、取引過程に別規制あり、原資は明らか、マネロンに利用しにくい)

・特定事業者がその子会社等を顧客等として行う取引(第13号ハ)

(名義の偽り困難、原資は明らか)

 

 預金取引に関して重要なのは7号と13号であろうか。

 特に興味深いのが第7号のホである。

 これはATMによる出金をイメージするとわかりやすそうである。

 

 例えば、Y銀行の預金口座を持つXがZ銀行のATMで100万円を出金したいと考えたとする。

 とすれば、Xは①Y銀行に「自分の預金口座のうちの100万円をZ銀行へ送金」を依頼し、②Z銀行に「ATMから100万円の出金」を依頼することになる(その結果、100万円を取得し、口座からは100万円が減る)。

 この場合、①は第三者への送金に該当するため、10万円を超えた分は特定取引となり、だから云々となりかねない。

 また、Yから見た場合、Xの本人確認は口座開設とその後の継続的顧客管理によってなされている。

 とすれば、特定取引としての取引時確認は不要としてもいい、ということなのだろう。

 

 こうやって整理することで、取引時確認が不要な場合がイメージできた気がする。

 

14 疑わしい取引

 次に、②についてみていく。

 

 ②の疑わしい取引については、犯罪収益移転防止法施行規則第5条第1号と犯罪収益移転防止法施行令第7条第1項に次のように規定されている。

 カッコ内を外す、重複するものを除くと次のような感じになる。

 

 取引において収受する財産が犯罪による収益である疑い

  又は

   顧客等が取引に関し組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律第十条の罪

    若しくは

   国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律第六条の罪

    に当たる行為を行っている疑い

  があると認められる取引

 

 まず、「犯罪による収益」は犯罪収益等と薬物犯罪収益等がこれにあたる。

「等」ということは、取引原資に犯罪収益が全く含まれていない場合を除き「疑わしい取引」にあたる、ということだろうか。

 

 次に、組織犯罪処罰法第10条、麻薬特例法第6条に規定されているのはいわゆるマネロン罪である。

 条文構造は同じなので、組織犯罪処罰法第10条をみていこう。

 

(組織犯罪処罰法第10条第1項)

 犯罪収益等の取得若しくは処分につき事実を仮装し、又は犯罪収益等を隠匿した者は、十年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

 犯罪収益の発生の原因につき事実を仮装した者も、同様とする。

(組織犯罪処罰法第10条第2項)

 前項の罪の未遂は、罰する。

(組織犯罪処罰法第10条第3項)

 第一項の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 

 改めてみて気付いたことは、マネロン罪には予備罪が規定されていること、強盗予備罪と同じように自首に対する免除規定がないことである。

 あと、最近の特殊詐欺の傾向を考慮すると、特殊詐欺の被害者の一部がこの罪に該当してしまうのではないか(未遂罪も罰するとなっているから被害が発生しなくてもよい)、と感じなくはないが、それはさておき。

 

15 同種の取引の態様と著しく異なる態様で行われる取引

 最後に、③についてみていく。

 ③は犯罪収益移転防止法施行規則第5条第2号に規定されている

 これも特定取引の一類型である。

 

 では、この取引はどのように判断すればいいのか。

 参考になるのが、疑わしい取引の判断方法について定められた犯罪収益移転防止法第8条第3項と犯罪収益移転防止法施行規則の第26条である。

 ここには次の3つの要素が提示されている。

 

・「実際になされた取引の態様」と「他の顧客等との間で通常行う取引の態様」との比較

・「実際為された取引の態様」と「当該顧客等との間で行った他の取引の態様」との比較

・「実際為された取引の態様」と「取引がなされた結果得られた情報」との整合性

 

 このうち、3つ目のことは取引後にならないとわからないため、ここでは除外する。

 すると、「自分たちが他の顧客と通常行う取引」及び「自分たちが取引相手とこれまで行ってきた取引」と「目の前の取引」を比較することになるだろうか。

 また、相手が一見客であれば、「自分たちが他の顧客と通常行う取引」と「目の前の取引」を比較することになるのだろう。

 

 

 以上、「特定取引」についてみてきた。

 この点、取引時確認が必要な要件は、「特定事業者の特定業務における特定取引」だけではなく、「ハイリスク取引でない」・「第3項の取引にも該当しない」が含まれる。

 しかし、残りの部分は「特別なケース」ともいえるので、次回は「取引時確認」の内容をみていくことにする。

最高裁判所の判決等からの言い回しの収集 0

 私の印象に残っている最高裁判所の判決に次の判決がある。

 

平成7年(オ)第105号損害賠償請求事件

平成12年6月13日最高裁判所第三小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/561/052561_hanrei.pdf

 

 この判決は、被疑者に対する初回接見の重要性を正面から認めた判決である。

 法律的に見れば、刑事訴訟法第39条第3項但書の解釈に関する判例であり、かつ、捜査機関の初回接見に対する裁量を狭く解したものと言える。

 政治的に見れば、弁護士の国家賠償請求訴訟において国家権力側を負かした判決、ともいえる。

 

 事案を簡単に述べれば次のような感じである。

 ある被疑者が逮捕された(身体拘束された)直後、弁護人となろうとした弁護士が「被疑者に面会(接見)したい」と捜査機関に申し出た。

 これに対して、捜査機関側が次のように返事をした。

 以下、私釈三国志風に意訳してみる(当然だが意訳であって、実際にはこんな言葉は使っていない、本来はもっと丁寧な表現を使っているし、さらに言えば、露骨に真意を伝えることもしていない

 

「(これから取調べと実況見分を行う予定があり)、接見させたら捜査(取調べ)に顕著な支障が生じるからダメだ。明日の午前中なら会わせてやる

 

 このように接見指定をして、被疑者に会わせずに弁護人になろうとした弁護士を追い返したところ、弁護士が「お前ら(捜査機関)の接見指定は刑事訴訟法第39条3項但書に反する違法な接見指定だ」と主張して、国家賠償訴訟を提起した事案である。

 そして、東京高等裁判所は本件接見指定を合法としたのに対して、弁護人が上告した結果、最高裁がひっくり返して接見指定を違法と判断した事案である。

 なお、捜査機関をフォローするならば、当時の基準に照らして捜査機関は取り立ててまずい対応をしているわけではない(と考えられる)。

 

 

 さて、私はこの事案に対してどうこう評価する気はない。

 興味深かったのは、判決の言い回しである

 興味を持った部分を引用する。

 

(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者と被疑者との逮捕直後の初回の接見は、(中略)、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ抑留又は拘禁されないとする憲法上の保障の出発点を成すものであるから、これを速やかに行うことが被疑者の防御の準備のために特に重要である。

(引用終了)

 

 なお、この言い回しを理解するために、憲法の条文を示しておく。

 

憲法34条前段

 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない

 

 なんと最高裁判所は被疑者の権利を定めた憲法34条前段の一部をそのまま引用し、しかも、憲法上の保障の出発点」とまで宣ったのである。

 たまに、ではあるが、最高裁判所はこのようなたいそうなことを宣うことがある。

 もちろん、このようなたいそうなに述べた原則論を次の段落で直ちにひっくり返すこともないではないのだが。

 

 

 ところで、私は最近の業務において、一連の手続を決定する上で重要な役割を果たす文書を起案して部内の決定を得ること、さらに、その文章についての偉い人たちの決裁を得るためにその文章について説明する必要がある場面に出くわした。

 そこで、この文章の重要性を説明するためのいい表現はないかと考えた際に、上の最高裁判決がひらめいた。

 

 ということで、最高裁判所の判決・決定を見ていけば、このような「使えそうな表現」が見つかるかもしれない。

 そこで、そのパーツを拾っていこうと考えた次第である。

 

 この点、パーツを拾う際のルールは次のとおりとする。

 

 第一に、最高裁判所の判決・決定に限定すること

 この点、控訴審判決・決定にも有用なものは存在するであろうが、そこまで範囲を広げてしまうと広くなりすぎるため、最高裁判所の判決・決定に限るものとする。

 

 次に、判決理由だけではなく、補足意見・意見・反対意見を含めること

 判決理由の補足として使われる補足意見を含めることは妥当であろうが、意見や反対意見は多数意見とは立場を異にするため、使っていいのか疑問がないとは言えない。

 しかし、補足意見に限定するとやや範囲が狭まってしまうので、意見や反対意見も含めることにする。

 

 さらに、法律的な解釈について述べた部分に限らないこと

 私が探しているのは法解釈ではないし、法律関係の文章に使うわけでもないからである。

 ぶっちゃけ皮肉でもたとえでも構わないと考えている。

 

 それから、極力ネットで見られる判決に限定すること

 原判決を探る際に図書館へ行ってこないと・・・というのはあれだからである。

 

 

 以上、新しいことをこのブログで初めて見ることにした。

 いつまで続けられるか、どこまで続けられるかは全く未定であるが、ちょっとやってみることにする。

『昭和天皇の研究』を読む 28

 今日はこのシリーズの続き。

 

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昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

28 感想をつらつらと_前半

 前回は終章についてみてきた。

 今回と次回で本書を読んだ感想を徒然なるままに書いていく。

 

 

 やはり、というべきではないが、一番の感想は「昭和天皇SUGEEEEE」である

 この点、イスラム教やキリスト教にも同じようなことを言っているような気がする(以下の読書メモへのリンク参照)が、昭和天皇に対しても同様の感想を持った以上は感じたままに述べることにする。

 

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 この点、著者(故・山本七平先生)は、本書において「昭和天皇の自己規定の一つに立憲君主がある」・「昭和天皇はその自己規定を貫いた(貫き通そうとした)君主である」旨強く主張されている。

 また、次の読書メモで見てきた通り、大正デモクラシーによって花開いたとみられた立憲民主主義は昭和時代の大恐慌満州事変や日華事変によって発生した「空気」によって木っ端みじんになった。

 

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 この「空気」の中で、立憲主義を自己規定とし、かつ、その自己規定を忠実に守るというのはどれほど大変なことであろうか。

 このように考えると、その空気に抗った昭和天皇には敬意(リスペクト)の感情しか浮かばない

 

 

 ただし、そのような昭和天皇の自己規定をどう見るべきなのかは分からない。

 特に、日本教から見た場合、このような昭和天皇をどう評価すべきなのかについては本当にわからない。

 

 この点、『「空気」の研究』において山本七平氏は、日本教徒はドグマを嫌う傾向がある」旨述べており、私も同様の感覚を持っている。

 とすれば、日本教徒は憲法立憲主義というイデオロギー・ルールに縛られた昭和天皇をよきものと判断しない」気がしないでもない。

 

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 また、本書にある通り、戦前の右翼らは天皇機関説を「大臣を天皇の上に置くもの」として不敬扱いした。

 同じように考えるならば、立憲主義は『憲法天皇陛下の上に置くもの』であるから、不敬である」となり、立憲主義を否定することになる。

 もちろん、「立憲主義が不敬である」と考えた場合、「立憲主義を自己規定とする昭和天皇」に対する評価はどうなるのか。

 その辺は本当に分からない。

 

 

 次に、本書を読んでいて興味深いと感じた(考えた)のが、大日本帝国憲法の条文は反対解釈をすればわかりやすくなる」という大日本帝国憲法のすっきりした読み方」についてである。

 もっとも、これは、現行法でも同じような気がしないではない。

 

 例えば、刑事訴訟法198条1項は次のように規定している。

 

刑事訴訟法198条1項)

 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。

 但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。

 

 この条文はいわゆる被疑者の取調受忍義務を肯定する根拠条文とされている。

 つまり、刑事訴訟法198条1項但書を反対解釈をすると、「逮捕・勾留によって身体拘束されている被疑者は、取調べに対して出頭を拒むことができないし、退去することもできない」となるため、被疑者の取調受忍義務を肯定している、というわけである。

 このような反対解釈を簡単に肯定してしまう背景には、「条文は反対解釈するとわかりやすい」とか「条文の真意は反対解釈にある」ということに理由があるような気がしないでもない。

 

 他にも、憲法第13条後段は次のように規定している。

 

憲法第13条後段)

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

 これも「公共の福祉に反する場合、国政において国民の権利を尊重する必要はない」と読み替えるとすっきりするように感じなくもない。

 また、「公共の福祉=他の人権」、「最大の尊重を必要とする=制限できない」と読み替えれば、「他の国民の人権と衝突する個人の人権は制限してもよい」となり、これまたわかりやすくなる。

 さらに、「公共の福祉=国益」などと読み替えて、「国益に反する人権は云々」などといえば、、、この辺はやめておこうか。

 

 そういえば、憲法31条は死刑の合憲性を根拠づける条文であると言われている。

 こうなる理由も反対解釈による。

 

憲法第31条)

 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 

 この条文を反対解釈するならば、「法律の定める手続によれば、国民の生命・自由を奪い、または、刑罰を科すことができる」と考えることができ、死刑を正当化することができる。

 生命を条文に組み込むべきかどうかはさておくとしても、このような規範的判断なくして民主制の国家権力は機能しえない

 その辺を考慮すれば、反対解釈した文章の方を条文にした方がわかりやすくないか、よいのではないのか、と感じないではない。

 どうなのだろう。

 

 それから、反対解釈の点は法律以外にも応用できそうである。

 例えば、以前の私は日本的盲目的予定調和説のことを「やればできる。必ずできる」という言葉でたとえた

 これについても、より真実性を求めるならば「やらねばできない」となる。

 これも反対解釈するとわかりやすいの一例だろうか。

 

 しかし、何故、わざわざ反対解釈にしたものを文字(文章・条文)にするのか。

 故・小室直樹先生は『新装版_危機の構造_日本社会崩壊のモデル』において日本人の特徴に「内容に対する完全な無知と、スローガンへの熱狂的反応」という点がある旨主張している。

 

 

 そして、スローガンとして考えるなら「やらねばできない」より「やればできる」の方が適切である

 ひょっとしたら、このような事情が、、、。

 なんてね。

 

 

 以上、本書の感想をつらつらと書いてきた。

 本書を読んだ感想などはまだまだあるのだが、とりあえず規定量(2000文字)を超えてしまった。

 そこで、残りの感想は次回に述べ、本書に対する読書メモを終了させたい。

「金融個人情報保護オフィサー2級」に合格する(見込みになる) 後編

 前回、 ほぼ一夜漬けで「金融個人情報保護オフィサー2級」の試験を受験したこと、自己採点の結果、合格したっぽい旨話した。

 

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 今回はこの試験を受けた感想受かるための勉強として重要なことを書いておく。

 

5 「金融個人情報保護オフィサー2級」の感想

 まず、本番終了後からこの試験を振り返る限り、この試験は難しい試験ではなかった。

 この試験のために投入した時間は、試験を受けるための時間を加えても20時間に満たない。

 その意味では、ビジネス実務法務検定試験2級や「AML/CFTスタンダード」と似た感じ、と言える。

 

 

 次に、この試験は「『合格したら云々』とは言えないが、『落ちたら云々』とは言え得そう」という感想を持った。

 この辺は「40の手習い」と称して令和元年以降に受けてきた資格試験と同様である。

 まあ、この辺は資格試験の本来の性質から考えれば当然のことだが。

 

 他方、私は「今回の勉強で個人情報保護法に対する理解が深まった」といった感覚を抱けなかった

 むしろ、「私はいったい何を勉強したのだ」という感覚が残っている。

 

 ちなみに、この感覚はこれまで受けてきたどの試験にもなかったものである。

 例えば、簿記3級・2級については、複式簿記や会計に関する様々な知見を得ることができた。

 統計検定2級については、統計に関する知識のブラッシュアップができた。

 基本情報技術者については、長年欲しいと思っていた「ITに関する網羅的な知識」を得ることができた。

 ファイナンシャル・プランナーの3級と2級については、お金(資産)に関する知見を得ることができた。

 python3エンジニア認定基礎試験については、pythonの文法に関する基礎的な事項を学ぶことができた。

 ビジネス実務法務検定試験2級については、多岐にわたる法律についてざっと見ることができた(試験に受かるために重要な法律が民法・商法・会社法の3つであるとしても)。

 AML/CFTスタンダードについては、犯罪収益移転防止法やマネロン対策における様々な知識が得られることができた。

 

 これに対して、金融個人情報保護オフィサー2級についてはそんな感じがしない。

 9割近い正答率をたたき出したのであれば相応の知識を得たはずであり、「本試験の勉強を通じて『個人情報保護法とその実務に関する知見』が得られた」という感想を持ってもおかしくないのに。

 もちろん、「この試験に受かったことで、実務でこの試験勉強を通じて学んだことを活かせる」という感覚もない

 

 何故こうなったのかは分からない。

「選択式の問題が50問」という試験形式のせいだろうか。

 もっとも、この形式は「AML/CFTスタンダード」と同じである。

 

 あるいは、「私自身が資格試験に受かることに適応しすぎてしまったため」だろうか。

 どうなんだろう。

 

6 合格するために重要なこと

 最後に、合格するために重要なことをメモしておく。

 

 まず、「試験に合格するために重要なことは過去問演習である」という点が挙げられる。

 前回述べた通り、私は本試験に合格するために次の過去問問題集を購入し、直近2年分(試験形式が今回と同じ)は2回解き、それ以外のものも1回は解いた。

 

 

 また、問題を解いて終わりとはせず、問題の解説も読んだ。

 間違えたときは特に念入りに。

 試験対策として考えるならば、これで充分である

 

 この点、私は学習用の資料として、個人情報保護法、同施行令、同施行規則、通則ガイドラインなどの資料を印刷した。

「何かの折に辞書代わりにしよう」と考えて。

 しかし、これらのコピーはほとんど参照することがなかった。

 今振り返ると、問題解説集の解説で十分だったといえる。

 

 

 次に、「『満点を取る必要はない』という意識が重要である」ということも言える。

 この試験の合格点は概ね6割であり、本番に登場する50問のうち20問は間違えることができる。

 その結果、「過去問をしっかりとやればいい。過去問で登場しなかった問題は捨てても構わない」くらいに割り切っても大丈夫ではないかと考えられる。

 

 

 最後に、「根拠の把握が大事である」ということを感じた。

 過去問演習において、「選択肢の結論部分は正しいが、その根拠が間違っているため誤り」というものがあった。

 試験前に演習していた際には、「根拠まで細かく覚えなければいけないのか」とかなり暗い気持ちにさせられた。

 でも、過去問で登場する範囲だけでもちゃんと押さえるべき、と言える。

 

 

 以上、金融個人情報保護オフィサー2級の試験を受けたことを振り返ってみた。

 次は金融コンプライアンスオフィサー関係かなあ

 既に、次の教科書は購入しているし。

 

 

「金融個人情報保護オフィサー2級」に合格する(見込みになる) 前編

0 はじめに

 先日、ほぼ一夜漬けによって、金融機関職員向けの資格「金融個人情報保護オフィサー2級」という資格を取得した。

(なお、現時点では自己採点の結果、合格しただろうという推測が成立しているにすぎない。正式に合格通知が来たら、タイトル及びこのカッコの表記は消す)

 そこで、備忘のために今回のことをブログに残しておく。

 

1 「金融個人情報保護オフィサー2級」を受ける目的

 去年の12月にいわゆる「マネロン対策」に関する資格を取得したり、このブログで犯罪収益移転防止法に関する学習メモを作ったりすることなどから推測がつくように、少し前から私はとある金融機関においてマネロン対策について携わるようになった。

 

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 この点、金融機関のマネロン対策に関する業務に携わるのは生涯初めてのことであった。

 だから、非常に新鮮な感覚でこれらの業務に取り組んでいる。

 また、道草ついでに「AML/CFTスタンダード」を取得したことは既に述べた通りである。

 

 

 ただ、マネロン対策をやっていると「マネロン対策の周囲にある知識も必要だなあ」と考えることがある。

 例えば、個人情報保護やマイナンバーに関するものとか。

 または、コンプライアンス法令遵守とか。

 そこで、マネロン対策の周辺分野についても勉強し、そのついでに資格を取っておこうと考えたわけである。

 

 今回取ることにした資格はこちらである。

 

www.khk.co.jp

 

 この点、金融機関は預金(受信)・融資(与信)・送金(為替)といった諸々の取引場面で、個人の「微妙な」情報をたくさん取り扱っている。

 また、顧客の数自体も少なくなり、迅速な事務処理を要求されることもある

 

 その結果、個人情報の利用法を誤れば、危険なことが起きてしまう。

 また、個人情報の合理的・効率的な管理を怠って(これは外部に対する管理は当然として、内部に関する管理も重要である)、情報が外部に流出すればこれまた危険な状態になってしまう。

 そこで、金融機関においては個人情報の適切な利用と効率的な管理が特に重要になる

 

 その重要性に目を付け、この資格を取ることに決めた。

 

2 「金融個人情報保護オフィサー2級」の資格を取るための勉強

 さて、勉強をするついでに資格を取るといっても「試験に受かること」は重要である。

 そして、試験に受かるためには闇雲に勉強するわけにはいかない。

 そこで、資格を取るために必要な問題演習を行うための参考書を購入した。

 今回購入したのは次の本である。

 

 

 試験勉強対策として行ったことはこの本に掲載されている問題(過去問)を解いて、解説を読んで復習すること、それだけである。

 

 この点、試験(6月2日)の前々夜の金曜日(5月31日)、仕事の関係で酒を飲まなければならないうえに夜遅くなることが確定しており、今回の試験に臨むにあたって二夜漬けができないことが明らかとなっていた

 そこで、試験の約2週間前から、昼ご飯を口にかきこみながら問題集に掲載されている前年度の過去問を解き、解説を読んだ。

 しかし、問題集に掲載されている残りの問題(約4年分の過去問)を解いたのは試験前夜である

 もちろん、試験前夜には既に解いていた前年度の過去問も見直している。

 その意味でほぼ一夜漬けに近い

 試験前夜に勉強した時間の方がそれ以前に勉強した時間よりも多いのだから。

 

 さらに、試験2日前の夜、とある事情により浴びるように酒を飲んだのだが、その結果、試験前日の朝から夕方くらいまで頭痛が収まらなかった

 いわゆる二日酔いである

 そこで、勉強するどころではなくなってしまったため、土曜日は日が落ちるまでずっと寝ている羽目になった。

 

 また、昼ご飯を食べながら前年度の過去問を見たときは、試験問題で問われることのあまりの細かさのあまり、「この試験、落ちるかもしれない」とか「この試験、法律家や行政官向けの試験だったりする?」という感想を持たないではなかった。

 そんな自信のない状況で2日前に酒を飲んで二日酔いになるのだから、落ちたら笑いものである。

 

 しかし、試験前夜の一晩に試験問題と向き合った結果、「問題自体は解ける」という状態に持っていくことはできた

 まあ、「問題自体は解ける」というだけであって、それ以上の意味があるのかどうかは知る由もないが。

 

3 「金融個人情報保護オフィサー2級」の試験本番と自己採点

 以上のように、夜を徹して勉強していたことから、試験当日、寝ることなく試験会場に向かう。

 試験会場は近くにある某大学のキャンパスである。

 

 そして、試験本番。

 この点、「金融個人情報オフィサー2級」は試験時間が120分間、問題数は4択の選択式問題が50問、合格ラインは正答率60%らしい。

 50問のうち20問間違えてもよい、というのであれば、試験自体はそれほど難しくない、と言える。

 事実、直近2年の過去問(試験形式が今回と同じ)を2周し、さらに3年分(こちらは試験形式が異なる)を事前に解いて問題の解説を読んだ私にとって、それほど大変な問題ではなかった。

 実際、自信をもって選択肢を絞り切れなかった問題は約15問だったし。

 

 なお、この試験は試験開始後60分経過後110分経過前であれば、途中退室が可能である。

 また、私自身は途中退室をする予定はなかった。

 さらに、いつぞやの試験のときのように、試験会場で私以外の全員が途中退室してしまう、といった事態もなかった。

 しかし、残念ながらこの試験はトイレに行くための一時退室ができなかったらしい。

 そのため、トイレに行くために途中で答案を提出して引き上げる、ということになった。

 確か、約80分くらい経過したころだったと記憶している。

 

 

 そして、試験から3日経過した日の夕方、試験の解答が公開されたため、自己採点を行う。

 自己採点の結果は92点(ミスした問題は4問)

 ということで、おそらく合格していることだろう。

 

 

 以上、試験に合格するまでのところを書いてきた。

 ここから「試験を受けた感想」と「試験に合格するための重要事項」について触れるわけだが、既にブログの適正量を超えている。

 そのため、残りは次回にすることにし、今回はこの辺で。

読書メモが200を超える

 最近、本ブログの「読書メモ」のカテゴリに属する記事の数が200を超えた

 

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 2021年にこのブログに記事を書き始めたとき、このブログのメインを「読書メモ」にしようと考えていた。

 

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 そして、約3年半で次の本の読書メモを作成した(作成中含む)。

 なお、読書メモとなった書籍について自分の読んだものの他に最新版がある場合、書籍に対するアマゾンのリンクが最新版へのリンクとなっていることがある。

 

 

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 この本は、太平洋戦争における敗因分析について日本人のメンタリティに言及しながら書かれた本である。

 別の本でも触れるが、「自分が同じことをしているとは・・・」と痛感せざるを得なかった。

 

 

 

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 私が他人から「憲法について知りたい」と言われたときに最初に勧める本

「資本主義も民主主義も立憲主義も背後にある思想や宗教からできる」ということを大いに理解することができた。

 

 

 

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 巷に言われる「空気」について説明してくれる本。

 ここまで「空気」について言語化できるとは考えていなかった

 もちろん、「空気」と日本人が持つ(一定の)ファンダメンタリズムについて理解することができた。

 

 

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 経済学を発展させた人々について知ることができた。

 こういうのを見ると、「資本主義は宗教なのだな」・「キリスト教と資本主義は不可分性なんだな」ということを実感せざるを得なかった。

 

 

 

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 この本は、著者が故・小室直樹でも故・山本七平氏ではない。

 もっとも、この人の主張とこの人が批判しているものを見ると、そこに日本教の影を感じざるを得なかった。

 

 

 

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 組織と宗教(思想)の関係について示された書籍。

「組織の出来上がり方にもその国の宗教や思想が関連しているのだ」ということを理解することができた。

 

 

 

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 日本の社会構造から生まれるアノミーについて明らかにした書籍。

 自分の言動に関するメカニズムをこれほど単純に示されるとは考えていなかった。

 

 

 

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 イスラム教について理解するための本。

 単純な形ではあるけれども、イスラム教について知ることができた。

 もちろん、私の目的は「イスラム教を通じて日本や日本教徒を知ること」にあるのだとしても。

 

 

 

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 私は数学は嫌いではない。

 しかし、数学の背後にある思想と近代を理解するために役に立った。

 

 

 

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 現時点では読書メモは完了していない。

 しかし、中国社会を知るためのキーワードである「幇」・「情誼」・「宗族」・「法家の思想」・「歴史」について理解できた。

 

 

 

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 これまた読書メモが完了していない本。

 しかし、昭和天皇のすごさを理解することができた。

 

 

 読書メモとして完了しているものが9冊、完了していない読書メモを含めれば11冊になる。

 3年半で9冊(11冊)というのは多いのか、少ないのか、、、。

 正直に言えば「もう少し読書メモを作りたかった」という感じもするが、現状を考慮すれば「これで十分」という気もする。

 どうなのだろう。

 

 

 さて、約3年半もの間、それなりに読書メモを作り続けてきたことを踏まえ、読書メモを作り続けた感想をメモに残しておく。

 

 まず、「『読書メモ』という形で文章にしたことで理解が深まった」ということ

 当然と言えば当然なのだが、これを実感できたというのが大きかった。

 あるいは、「『本を読む』というだけでは何も役に立たない」ということを実感したと言った方がいいのかもしれない。

 

 例えば、『日本はなぜ敗れるのか_敗因21カ条』とか『「空気」の研究』という名著はこれまでも何度か読んでいた。

 最初から最後まで読んだことも度々であろう。

 しかし、読書メモを作るまでのこれらの書籍に対する理解はお寒いもの、と言うよりほかはない。

 もし、もう少しこの2つの書籍に対する理解が深まっていたら、私の人生は違ったものになっていただろう

 たとえ、現実の人生で達成したことを考慮すれば、後悔するほどのものではないとしても。

 

 次に、読書メモを作ることによって読んだことや学んだことがストックとなった

 例えば、ある読書メモを作る際に、過去に作った読書メモの内容に触れた場合、過去の読書メモへのリンクを貼ることなどによって、読書メモ同士をリンクさせることができた。

 これは「ブログで読書メモを作ったことの成果」といってもいいのかもしれない

 

 さらに、今回の読書メモでは、基本的に著者を故・小室直樹先生と故・山本七平先生に限定している(一冊だけ例外があるが)。

 また、読書メモにしようとした書物は「日本教」と何らかの形で関連するもの、となっている。

 

ja.wikipedia.org

 

ja.wikipedia.org

 

 そして、読書メモの作成の効果とあいまって、自分自身・日本人・日本に対する理解が深まった

 もちろん、「私の理解は単純化しすぎである」という批判は十分ありうるとしても。

 

 

 最後に、今後のことについて。

 現時点では、「続けられる範囲で続けていこう」と考えている。

 何故なら、「読書メモにする」という形で学習したい書籍はそれなりにあるからである。

 具体例を示していけば、次の通りとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このように、ざっと挙げただけでも結構ある。

 これらの9冊の読書メモを作ろうとしたら、3~4年はかかることだろう。

 しかし、3~4年かければできる、とも言える。

 そこで、「継続は力なり」という言葉を信じて続けていこうと考えている。

 

 そのためにも、現在作りかけになっている2冊の読書メモを作り終えるようにしておく。

 まずは『昭和天皇の研究』を、そして『小室直樹の中国原論』を。

『昭和天皇の研究』を読む 27

 今日はこのシリーズの続き。

 

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昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

27 終章を読む

 終章のタイトルは、「『平成』への遺訓」

 既に、平成から令和に変わった現在から見れば、「平成」とはなんだか古いような感じがしないではないが、だからといってみない価値のないものではないだろう。

 

 

 本章は、日本国憲法への改正に反対した美濃部達吉博士の話から始まる。

「正論」に対する社会の拒絶、戦前に右翼や帝国陸海軍から「大逆賊」と攻撃・迫害・起訴された人々の意見が戦後も受け容れられていない、という話と共に。

 結局のところ、日本社会は情動によって振り回される振り子のようなもので、扇動的な言論は歓迎しても、中庸・穏当な意見は受け容れない、ということなのかもしれない。

 

 この点、美濃部達吉博士は昭和20年10月20日に朝日新聞に自分の意見を掲載している。

 その一部が本書で引用されているが、例によってこれを私釈三国志風に意訳しようと試みてみる(したがって、これは意訳に過ぎず、引用でも直訳でもない点に注意)

 まず、美濃部達吉博士は憲法の条文の全面的検討の必要性を主張する。

 

(以下、本書で引用されている美濃部達吉氏の寄稿を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意

 私は憲法の条項に手を付ける必要がないとは言わん。

 むしろ、大日本帝国憲法が制定されて50年も経過した今、世界情勢も政治情勢も経済情勢も大きく変化しているのだから、各条項の検討を全面的に行うべきである。

(意訳終了)

 

 もっとも、性急な憲法改正には反対する。

 

(以下、本書で引用されている美濃部達吉氏の寄稿を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意

 しかし、憲法は国家百年の政治の基礎を決めるものであるから、慎重の上に慎重を重ねるくらいの丁寧さが必要である。

 したがって、敗戦直後、しかも、見渡す限りに戦争の惨禍が残っている非常事態において憲法改正を行うことは言語道断というしかない。

(意訳終了)

 

 そして、あるべき憲政の姿について次のように述べる。

 

(以下、本書で引用されている美濃部達吉氏の寄稿を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意

 そもそも、「憲法下の民主政治」を実現するためには、憲法の条文を変えなければならないというわけではない。

 というのも、現憲法の条文はそのままであっても、法令の改正と法令の運用方法の変更よって「憲法下の民主政治」は十分実現できるのだから。

 もちろん、法令の改正と法令の運用方法の変更よりも憲法の改正の方がよい、ということは十分ありうるが、それは平静な情勢が回復してから行うべきことである。

 そうではなくて、現状の戦争の惨禍があちこちに残り、しかも、敗戦により異国の軍隊によって占領されている状況で、一気に憲法改正を行ったところで、ただ混乱するだけで、憲政下の民主主義政治の実現はしないだろう。

 したがって、現時点では憲法の改正はこれを避けるべきである。

(意訳終了)

 

 この点、美濃部達吉博士は「憲法」には実に慎重であった

 というのも、民主主義には非常に危険な一面があり、ファシズムの台頭がそのことを見せつけたから、である。

 この辺は次の読書メモで見てきた通りである。

 

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 簡単に言えば、こういうことである。

 大日本帝国憲法下で天皇機関説に従った場合、あるいは、戦後の日本国憲法下において国会や帝国議会は「国権の最高機関」(日本国憲法第41条前段)である。

 では、その国会が全権委任法を制定したらどうなるのか

 これは、ヒットラームッソリーニが独裁を正当化した方法そのものである。

 

 この点、日本国憲法であれば、司法権違憲立法審査権(81条)を行使してこの全権委任法の合憲性を判断することになる。

 しかし、その一方で日本国憲法は第73条6号但書の解釈から、日本国憲法は国会による委任立法を許容していると考えられる。

 では、全権委任法は委任立法として合憲とみなされる範囲なのか、委任立法が合憲とみなされる範囲はどこまでなのか、という問題が発生することになる。

 

 もちろん、大日本帝国憲法下においても同様の問題が生じる。

 ただ、こちらには違憲立法審査権がないという重要な違いがあるが。

 

 

 ここで、話は共産圏の選挙の投票率に関する話に話題が移る。

 本書に登場する著者(故・山本七平氏)とソビエトからアメリカに移住したユダヤ系の方々のやり取りを私釈三国志風に意訳しようとしてみる。

 

(以下、本書に記載されている会話のやり取りを私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意

山本七平先生)

 ソビエトなどの共産圏において「選挙の得票率が約99%、共産党候補者への投票獲得率が99%」といったものがある。

 でも、こんな結果は誰が見てもおかしい。

 なんでこんな発表するんだ?

(相手のユダヤ系の人々)

 そもそも、ソビエトの選挙とアメリカの選挙は完全に違う。

 選挙は政府の命令が国民にどの程度従うかの調査でしかない。

 あと、99%の投票率というのは「権力による統治がうまくいっていること」のアピールに過ぎない。

(意訳終了)

 

 結構、おそろしいことをさらっと言っているような気がするが、それはさておき。

 まあ、「中身を見ることなく、『単に選挙と議会があれば、立憲主義に基づく民主主義である』とは言えない」といったところだろうか。

 

 最後に、本文では、「激動の昭和からの『平成への遺訓』」として、『民主主義と我が議会制度』にある美濃部達吉博士の主張が引用されている。

 これを見ると、「知的誠実さを貫き、かつ、戦争中に迫害された学者」である津田左右吉博士と美濃部博士がそれぞれ別の視座から同じようなことを述べているように見える。

 以下、本書に引用されている部分を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書で引用されている『民主主義と我が議会制度』を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 どんな国家にも象徴的な存在が必要である。

 そして、我が国では歴史が始まってから、万世一系天皇が国民団結の中心にいて、国家の統一を保っていた。

 この点、天皇武家に政権が移った後も存在し続けた。

 また、明治維新が比較的平和的に実施されたのも天皇の御威光があってのことである。

 さらに、太平洋戦争下で終戦できたのも昭和天皇の御聖断あってのことである。

 だから、もし天皇陛下が日本の中心から消失しようものなら、その結果生じるのはただただ動乱だけであって、動乱から再統一を果たすためには、ナポレオンやヒトラー等の指導者の登場、レーニンスターリン等が実践した革命の実践に拠らざるを得なくなるだろう。

 そして、その統一の暁には、民主主義の名の下に専制的な独裁政治がなされることであろう。 

(意訳終了)

 

 確かに、この主張は正しいように見える。

 もっとも、日本人にとってはその方がいいのではないか、という点はさておいて。

 

 

 以上、終章を読み終えた。

 

 次回は、本書を読んだ感想をまとめて読書メモを終了させることにする。

 もっとも、感想が少し長くなるため、2回に分ける予定でいるが。

『昭和天皇の研究』を読む 26

 今日はこのシリーズの続き。

 

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昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

26 第14章を読む_後半

 前回は、「守成の君主」に対する評価の難しさ、立憲君主に殉じた昭和天皇に対する批判、天皇絶対を口にしながら天皇を機関説扱いした陸軍関係者や藩屏(重臣)についてみてきた。

 今回は、この続きである。

 

 

 この点、戦前と戦後とを通して昭和天皇は「憲法絶対」という点を変えていない

 その意味で、昭和47年9月の昭和天皇のお言葉は十分に「その通り」と言える。

 

 また、日本が大日本帝国憲法を公布したのは1889年、アジアで最初である。

 その間、憲政自体が根付かなかったという評価はありえても、憲法自体を廃止することはなかった。

 もちろん、次の読書メモにあるように大日本帝国憲法は実質的に死んでいたのではないか」といった突っ込みはさておいて。

 

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 そして、昭和21年に「大日本帝国憲法73条によって憲法改正案を帝国議会の議に付す」旨の昭和天皇詔書により現在の日本国憲法へ移行する。

 

 この点、憲法改正に関する昭和天皇の「功」を認めない者はいないだろう。

 まあ、「やって当然のことであり、『功』ほどのものではない」とか「大日本帝国憲法こそ最善であるから、この憲法改正は『罪』である」という意見を持つ者は除くとしても。

 そして、この「日本国憲法改正の功」と「天皇戦争の戦争責任の罪」は表裏の関係にある

 

 つまり、昭和天皇の戦争責任を肯定する立場の人間は、「二・二六事件の処理」と「聖断」を罪と判断しないだろう。

 たとえ、昭和天皇がこれらを憲法違反として罪と考えたとしても、この2点がなければ憲法や日本が消えていたであるから。

 では、憲法通りに裁可して戦争が始めたら罪となるのか

 本書ではその判断を読者に委ねる旨述べている。

 

 もっとも、その際は前提について気を付けなければならない。

 本書では、長崎市長の立場で天皇の戦争責任に言及し、右翼に銃撃された本島等氏の発言が紹介されている。

 その天皇責任の根拠となる事実が「和平に関する重臣の上奏を退けたこと」としている。

 もし、ここでいう重臣の上奏」が「閣議や最高戦争指導会議による上奏」であれば、そのような事実は存在しない

 なぜなら、このような上奏を退けたとすれば「拒否権の行使」にあたるところ、このような事例は存在しないから。

 他方、「単なる重臣による昭和天皇への意見の表明」を「内奏」とするのであれば、ありえない話ではない

 もっとも、この内奏の事実とこの内奏に対する昭和天皇の応答は侍従長や侍従武官長が立ち合う、メモを残す、天皇が何かの感想を述べてそれを周囲の人間が『日記』にでもしていない場合を除けば、明らかにならないだろうが。

 また、このような意見の表明はフリー・トーキングであって、「(正規の機関からの)憲法上の手続きを経た『上奏』・『裁可』」ではない点も注意しなければならない。

 

 この点、昭和天皇マッカーサーは、二者の会談を秘密にする旨約束した。

 そして、昭和天皇はこの約束を守り、マッカーサーは巧みに利用した。

 同じようなことをして、激動する時代の責任を免れようとした重臣もいよう。

 その態度はやむを得ないとして、そのような重臣の発言を真実とみていいのかは疑問なしとしない。

 ちなみに、著者(故・山本七平先生)の感想として次のようなものがある。

 この感想を私釈三国志風に意訳しようとしてみよう(あくまで意訳であり、引用や直訳ではない点に注意)

 

(以下、本書に記載された著者の感想を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 重臣による「私は早々に平和を上奏した」などといった発言をいると、「では、お前は一体憲法上の責任者の地位にあったときに、何故平和ではなく戦争に進んだのだ」と言いたくなる。

 まあ、尾崎咢堂の指摘する通り、その重臣に「責任感」がなかったことは間違いない

 これ以上は無意味だからやめておこう。

(意訳終了)

 

 この点、昭和20年6月18日の御前会議で本土決戦が決定された。

 とすれば、本島氏の「重臣の内奏」はこのときではないだろう。

 もちろん、昭和天皇は本土決戦を裁可しつつ、内心では戦争終結を考えていたらしいが。

 その後、6月22日に昭和天皇は閣僚懇談会のような形で最高戦争指導会議のメンバーと懇談し、戦争終結に向けた速やかな検討について「御希望」を述べられている。

 したがって、本島氏の「重臣の内奏」は何を意味するのかは明らかではない。

 

 この点、最高戦争会議に参加したことのあるメンバーの全員に戦争責任があるとは言えない。

 ただ、著者は、「このように説明したところで、(従軍経験のある)本島氏は自分の意見を変えないだろう」と予測する。

 この理由を津田左右吉博士の主張・学説を見ながら考えてみる。

 

 

 ここから、話は津田左右吉博士が『世界』の昭和21年4月号に掲載した論文『建国の事情と万世一系の思想』に移る。

 当時、野坂参三が延安から凱旋将軍のように帰国し、赤旗がデモで皇居に押し入ったらしい。

 このような状況で津田左右吉博士は次のように記している。

 本書に引用された部分を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書に引用されている『建国の事情と万世一系の思想』の記載を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 最近、天皇制に関する論議が起きている。

 つまり、皇室の上代以来の永続性に対する疑惑が国民の間に生じている。

 これは、軍部と軍部に乗っかった官僚の馬鹿どもが、国民の皇室に対する敬愛の情と憲法上の規定を濫用するとともに、国史の曲解によりそれを正当化したからである。

 具体的には、現実の天皇立憲君主に過ぎないのにもかかわらず、日本の政治システムは天皇親政であるべきで、かつ、実際にも日本の政治は天皇親政で回っていること、及び、天皇専制君主としての権威があるべきであり、かつ、現に天皇専制君主としての権威を持っている旨主張した

 つまり、軍部が天皇の権威に対して濫用の限りを尽くし、自分たちの命令をあたかも天皇の命令であるがごとく見せかけたのである。

 この軍部の言動は、アメリカやイギリスに戦争を吹っ掛けてからますますひどくなった。

 つまり、「戦争に関することはすべて天皇の御意思であって、国民が生命・財産を捨てるのは天皇のためである」ことを絶え間なく洗脳するがごとく宣伝しまくった。

 そして、この宣伝の中には、天皇を神秘化させるとともに、この天皇の持つ神秘性こそ国体の本質があるという現代のまともな知性人から見て程遠い思想まで入っていた。

 ところが、戦争の結果は見た通りの惨状だったので、軍部の宣伝を軍部の宣伝であると見破れなかった哀れな国民が、「戦争による惨状・国家の危機・社会の混乱・敗戦の恥辱・国民の生命や財産の損失などの諸々の原因はすべて天皇にある」と考えるようになったのである。

 これぞ天皇制に関する論議の原因である。

 もちろん、歴史を見れば天皇の親政は稀であったが、この稀だったことと皇室の永続性には深い関係がある

 ならば、軍部の宣伝が国民をして戦争の責任を天皇に求めしめるのは『自然のなりゆき』であろう。

(意訳終了)

 

 簡単にまとめれば、天皇の戦争責任というのは法的責任ではなく心情的なもの」ということになる。

 確かに、戦時中の「すべてを天皇のもとに」という発想は、敗戦すれば「すべての責任は天皇のもとに」となるし、逆に大勝すれば「すべての栄光は天皇のもとに」となるからである。

 これまた「自然のなりゆき」であろう。

 この「自然のなりゆき」を無条件に認めるべきかは分からない。

 しかし、「自然のなりゆき」を全く認めないわけにはいかないだろう。

 

 

 ところで、本島氏のように戦争責任を追及する人間たちの主張を見ると、「国民が『天皇のために』という意図で動いており、天皇も国民の行動の背後にある『天皇のために』という意図を知っていたはず」というものがある。

 このことも、責任というものが法的な意味ではなく、心情的なものであると感じさせるものである。

 これに死者の無念などを考慮すれば、ますますその傾向が強くなるだろう。

 そりゃ「天皇陛下のために立派に死んだ」と「軍部に騙されて死んだ」では、戦死者に対する評価が変わってしまうから。

 遺族がそのような虚構を信じることで救いになるのであれば、「そっとしてやりたい」と考えたとしても無理からぬことであろう

 

 戦時中は思想的大逆行為を行ったと告訴され、戦後は天皇制のイデオローグであると批判された津田左右吉博士のように知的誠実さを貫くというのは現場にかかわる当事者には難しいものである。

 このように見ると、功罪は歴史家に委ねた方がいいのかもしれない、ともいえる。

 

 

 もっとも、本書のテーマは昭和天皇の自己研究である。

 そこで、昭和天皇が戦争責任についてどう考えていたかをみていく

 その前に、「戦争責任」の意義を改めて確認する。

 

 この点、「戦争責任を肯定する」側の人間が述べている「戦争責任は『敗戦責任』」であろう。

 また、「『憲法昭和天皇に拒否権が行使できなかった』と主張しても意味がない」というのであれば、「戦争責任は法的責任でもない」ともいえる。

 さらに言えば、昭和天皇マッカーサーに対して「自分が全責任を取る」と述べたが、マッカーサーは結果としてこれを拒否している。

 もちろん、その背後には、昭和天皇に全責任を取らせたら真に責任を取るべき連中を取り逃がすことになるといった事情もあるだろうが。

 そして、戦争責任を肯定する者たちの責任はマッカーサーに対して昭和天皇が自白した「責任」のことでもないはずである。

 仮に、この発言をピン止めにして責任を追及しているわけでもないだろうから

 

 このように見ていくと、「なりゆきとしての戦争責任」は次のような形をとる。

「戦争は国民が『天皇のために』実践した。天皇はそれを知っていた。だから、『責任を感じてほしい』」と形を。

 重要であると考えられるのは、「責任を感じる」であって「責任を取る」ではないこと

 虚構の前提たる天皇絶対神性を考慮すれば、「戦争に対する法的責任を取るため、絶対神たる天皇に奇跡を起こさせ、死者を蘇生させるように要求する」といったこともできそうなのに。

 

 

 ところで、このような「責任を感じてほしい」という要求に対して昭和天皇自身が言葉で対峙しなければならないタイミングがあった。

 それが、昭和50年10月31日の昭和天皇の訪米時の記者会見である

 この記者会見で、ロンドン・タイムズの日本人記者から事前提出のない質問が飛び出してきた。

 問答のやりとりを本書から引用する。

 

(以下、記者会見における問答について本書の記載を引用)

記者「ホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がございましたが、このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか。また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられるかお伺いいいたします」

昭和天皇「そうういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分かりませんから、そういう問題については、お答えができかねます」

(引用終了)

 

 当時の記録を見ると、この「お言葉」への批判は見当たらない。

 また、昭和天皇は誠実にこの質問に応じている

 言い換えれば、巧みに相手の質問をかわしたという感じをさせないものだったらしい。

 とすれば、この言葉に昭和天皇の本心が表現されているとみてよいと考えられる。

 

 まず、質問の意図をみておく。

 この質問は「30年前の極東軍事裁判で不起訴になってのうのうと暮らしているが、御自身の法的責任についてあんたはどう思っているのか!!!」というものではないだろう。

 この質問は関連質問であるところ、「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という言葉を引いているから。

 したがって、この質問こそ「なりゆきで発生した国民の心情から生じた敗戦責任」に関する天皇の感想を問うているとみてよい。

 だから、大日本帝国上における立憲君主としての天皇の地位がどうこうと言っても答えたことにならない、と言える。

 

 では、この回答はどう見るか。

 極端なことを考えれば、「胸が痛む」ならば「責任を認めた」とも言えるし、逆に、「責任を認めていないなら、胸が痛むはずもないし、戦没者慰霊祭に出席する必要もない」だろう。

 しかし、天皇が「民族統合の象徴」でもある以上話は別である。

 なぜなら、「国民の感情に共鳴する感情を持って慰霊祭に参加する」のが象徴としての責務であるだろうから

 このことを考慮すると、昭和天皇の回答は「『戦争責任』についてお答えすることはできません。『戦争責任』の意義を明らかにする点も含めて」になるのではないかと考えられる。

 

 最後に、本章では第12章で引用されている『帝室論』における福沢諭吉の主張「(以下、意訳)日本の政治について論じるのであれば、皇室の尊厳と権威を濫用してはならない」が引用されている。

 そして、昭和天皇への思いを政争に利用するなどは論外であり、尾崎咢堂が見れば、「まだそんな馬鹿なことをしているのか」とあきれ果てることであろう、と。

 さらに、憲政が定着しなかったことがこのような行為の原因となっているのであれば、昭和天皇の終生の努力を無駄にし、そのために払われた多大な「功」を失わせることになるだろう、と。

 

 

 以上、なんとか本章をみてきた。

 なかなかに重い話であった。

 

 終章については次回見ていくことにする。

『昭和天皇の研究』を読む 25

 今日はこのシリーズの続き。

 

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昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

25 第14章を読む_前半

 第14章のタイトルは、天皇の『功罪』」

 前章では、津田左右吉博士の主張を見ながら、文化的観点から見た天皇について確認した。

 本章では、昭和天皇の「功罪」についてストレートに切り込んでいく。

 

 

 本章は「歴史上の功罪は難しい」という話から始まる。

 というのも、「功」は裏返せば「罪」となり、「罪」は裏返せば「功」になるからである。

 そして、何も評価しないわけにもいかない

 たとえ、各々の時代の評価が恣意的になるとしても。

 

 この点、著者(山本七平先生)によると、明治を一代目とすれば、昭和初期が三代目であり、平成の時代は五代目、らしい

 確かに、1870~1900年を一代目、1900~1930年を二代目、1930~1960年を三代目、1960~1990年が四代目と考えれば、平成の御代は五代目である。

 さらに、第三世代が「国難とドイツ語で書く」ならば、第四世代は「民主主義を英語で書く」、第五世代は「元禄とローマ字で書く」とのことである。

 もちろん、各世代による歴史上の人物に対する評価も千差万別である。

 

 ところで、江戸幕府の三代目は徳川家光、五代目は徳川綱吉である。

 そして、「犬公方」・「犬将軍」のレッテルを貼られた徳川綱吉の治世の功罪を論じる人間はいないだろう。

 例えば、柳沢吉保が『憲廟実録』において徳川綱吉の治世の評価しても「この側用人あがりのゴマスリめが」で終わりである。

 

 この点、徳川綱吉の治世が評価されたのは明治に入ってからであるが、同時代の人間で徳川綱吉を評価した人間としてオランダの商館医師のケンペルがいる。

 もちろん、「ケンペルは元禄日本を別世界のパラダイスのように見ている」と批判することはできるが、当時のヨーロッパと比較すれば元禄以降の日本が平穏無事だったのは間違いない

 この点、ヨーロッパがいかに戦争をしまくっていたかということを映像化した動画に次のものがあるが、これを見ると第二次世界大戦までヨーロッパはあの狭い空間で戦争をしまくっていた。

 

www.youtube.com

 

 では、このような平和が実現した理由は何か。

 その理由を見ていくため、本書で引用されている『憲廟実録』の部分を私釈三国志風に意訳しようとしてみる(あくまで意訳であり、引用や直訳ではない点に注意)

 

(以下、本書に引用されている『憲廟実録』の記載を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 幕藩体制は家康公の大いなる企てにより始まり、秀忠公・家光公の治世で制度の改良がなされ、制度を見れば十分立派なものになった。

 しかし、統治者のメンタリティは未だ戦国の武士のままである

 結局、他人を殺した人間を立派な人間とみなしており、その発想は仁から遠く、人道からも外れている。

 そこで、綱吉公は聖人の道を明らかにして・・・

(意訳終了)

 

 つまり、四代目徳川家綱・五代目徳川綱吉の時代も、徳川家康徳川秀忠徳川家光による戦国から江戸へという転換により、「歴史的実体」と「幕藩体制下の平和という青写真」に乖離が生じていた

 そこで、徳川綱吉は「生類憐みの令」によって、「人間を殺すと評価される」という世界から「犬を殺しても死刑」という世界への価値転換を図ることになる。

 これにより一定の弊害、つまり「罪」があったことは間違いない。

 その一方で、平和への価値転換という「功」も発生している。

 

 ここで、話題は決闘に移る。

 この点、ヨーロッパでは決闘に対する寛容さが第一次世界大戦のころまであり、フランス首相のクレマンソーはたくさんの決闘を行っている。

 それでいて、当時のフランスは言論の自由が保障され、政治システムは民主主義である。

 決闘に対する一定の寛容さと言論の自由や民主主義はどういう関係があるのか。

 というのも、当時の首相だった原敬が決闘をした、という話は聴かない。

 また、明治時代も戊辰戦争西南戦争があったが、普仏戦争を観戦武官として参加していた大山巌はヨーロッパの戦争のものすごさに驚き、日本の戦争はの大したことがない旨評価している。

 

 そして、明治の時代から大正になることで元禄的風潮がやってくる。

 もちろん、戦後は平和主義。

 戦国時代から戦後の平和主義の間に、徳川綱吉による意識の大転換があったことは間違いないだろう。

 もちろん、徳川綱吉の背後に津田左右吉博士が述べた「建国時の事情」があったかもしれないとしても

 

 とはいえ、現在において徳川綱吉の意識の大転換を「功」と述べる人はほとんどいない。

「平和が当然のこと」と意識されれば、「功」は忘れられ「罪」のみが記憶されてしまうのだから。

 

 以上、徳川綱吉の功罪を見てきた。

 この点、やや偏執狂な点がなくもなかった徳川綱吉昭和天皇は全く違う。

 しかし、こうやって見ることで、「守成」の「功」を評価が難しいことがわかる

 また、これが守成の担当者の運命であることも。

 

 例えば、上の柳沢吉保の表現を明治時代に適用すれば次のようになるだろう。

 

(以下、本書に引用されている『憲廟実録』の記載を昭和天皇に置き換えたもの)

 国家の制度は明治天皇の大いなる企てにより始まり、大正天皇の治世で制度の改良がなされ、制度を見れば十分立派なものになった。

 しかし、統治者のメンタリティは未だ江戸時代のまんまである。

 そこで、昭和天皇は憲政の道を明らかにして・・・

(記載終了)

 

 つまり、システムは立憲政治が始まったが、メンタリティは明治以前であった。

 そこで、尾崎咢堂は憲政擁護に向けて努力を重ねていくことになる

 もちろん、このように憲政擁護に向けて努力を重ねた人は尾崎咢堂だけではない。

 

 

 もっとも、昭和天皇は「憲政の伝道師」という意識はなく、愚直に憲法を遵守していたように見える。

 そして、既に述べた通り、これは極めてレアな現象である

 なぜなら、通常、君主は権力を濫用しがちになるものであり、立憲君主制の模範たるイギリスでさえ、憲政が定着するまでは国王と憲法の衝突は起きているのだから。

 まして、実の弟から「憲法停止・御親政」を勧められたのを断固拒否する君主などほとんどいないと言ってよかろう。

 

 この点、昭和天皇憲法を無視することは可能であった。

 また、秩父宮をはじめとしてそれを望む者もいた。

 軍部だけではなく、庶民にも。

 なぜなら、大日本帝国憲法という青写真」と「歴史的実体としての日本」には大きな乖離があったから

 

 この点、磯部浅一の呪詛の趣旨を要約するならば、昭和天皇、『大日本帝国憲法という青写真』なんか見ないで『歴史的実体としての現状の日本』を見てください。何故、あなたに『歴史的実体としての現状の日本』が見えないのか」という痛切な叫びになる。

 事実、磯部浅一の家は非常に貧しく、さらに村人からも阻害されていたところ、磯部浅一本人はその苦境から這い上がっていったのだから。

 磯部浅一本人は現状の日本の絶望もよく知っており、それを見れば「大日本帝国憲法という青写真」に一切の価値を見出さなかっただろう。

 それゆえ、北一輝の『日本改造法案大綱』によって現実の日本を徹底的に改造しない限り庶民が救われることはない、磯野浅一はこの信念に殉じている。

 だからこそ、天皇への呪詛は「『日本改造法案大綱』による日本の改造が可能だったのに、それを実施しなかった」ということになる。

 この構造は天皇の戦争責任追及と同様である。

 

 ちなみに、同趣旨の質問を昭和天皇にした人間がいたらしい。

 これに対する昭和天皇のコメントは「あいつは憲法を知らん」、それだけである。

 ここに昭和天皇の功罪の評価する大きな問題が横たわっている。

 その意味では徳川綱吉と同じようなものかもしれない。

 

 なお、近衛文麿は「大日本帝国憲法天皇親政の建前で・・・」と述べ、現実にもそうだったと考えている人が少なくない。

 しかし、憲法が実質的に天皇親政を規定しているならば、権力者にたがをはめる憲法(立憲的意味の憲法)などそもそも不要なことになる。

 それゆえ、近衛文麿の発言は語義矛盾を起こしており、それゆえ「責任逃れ」扱いされてしまうことになる。

 これでは、昭和天皇が冷淡な態度を示し、不快感を示したのもむべなるかな、という気がする。

 いっそ、憲法を停止せよ」と呪詛する磯部浅一の方がはっきりしている

 

 

 ところで、大日本帝国憲法天皇御親政なのか。

 言い換えれば、大日本帝国憲法天皇の権力を制約していないのか。

 まとめとして整理してみる。

 

 この点、大日本帝国憲法をそのままの条文で読むと、堅苦しいうえ、いささか仰々しい。

 だから、私釈三国志風に意訳するとわかりやすくなる。

 例えば、こんな感じである(なお、以下の条文の記載において、カタカナは平仮名に直す)。

 

大日本帝国憲法第5条

 天皇帝国議会の協賛をもって立法権を行う

 (意訳)→帝国議会の議決がなきゃ天皇は法律を制定できねーよ帝国議会の議決に拒否権は行使できねー)

 

大日本帝国憲法第55条第1項

 国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任ず

 → 国務大臣や(国務大臣で構成される)内閣の同意がなければ、天皇は行政権を行使できねーよ国務大臣や内閣の決定に拒否権を行使できねー)

 

大日本帝国憲法第55条第2項

 凡そ法律勅令その他国務に関する詔勅国務大臣の副署を要す

 → 副署がない法律・勅令・国務に関する詔勅は紙切れだ

 

「単に反対解釈しただけ」とも言えるのだが、この方がわかりやすくなる。

 ちなみに、現在の日本国憲法も似たようなところがある。

 そして、近衛の言葉は憲法は一見天皇親政らしい表現を用いているが、内容は機関説と同様である」と修正すると正しくなる。

 

 ところで、熱河作戦の際、天皇は拒否権を行使しようとしている

 これは一種の王様によるクーデターである。

 そして、このクーデターを実施した場合、軍部が昭和天皇を失脚させ、幼児の皇太子を即位させ秩父宮を摂政とするというシナリオもありえたと考えられる。

 何故なら、江戸時代もこのような大名の押し込めの例はあったし、現に二・二六事件が起きているし、だからこそ、昭和天皇高松宮を摂政に指名していたのだから。

 

 これに対して、この王様によるクーデターが成功した可能性もある。

 この場合、日華事変は起きなかっただろう。

 ただ、これを国民が望んでいたのであれば、国民が望んでいたのは立憲君主ではなく、啓蒙的独裁君主ということになる

 事実、磯部浅一もそちらを期待していただろうし。

 

 このように考えると、天皇の戦争責任はこのように言い換えることができそうである。

 つまり、昭和天皇は、大日本帝国憲法に無視してでも『啓蒙的独裁君主になって太平洋戦争などを止めるべき』であり、かつ、『啓蒙的独裁君主になることが可能なほど英明な方であった』にもかかわらず、日本帝国憲法における立憲君主の立場に固執して『拒否権を発動して太平洋戦争を止めなかった』」と。

 このように、合憲性を放り投げてしまえば、責任を追及するということは可能であろう。

 その責任が法的責任と言えるのかは別として

 なお、これが法的責任と言えるためには、天皇立憲君主ではなく啓蒙的独裁君主になるべきである」憲法を超える規範となるのか、がポイントとなる。

 どうなのだろう。

「空気」による、ということになりそうな気がしないではないが。

 

 

 ところで、大日本帝国憲法天皇親政の建前」と述べた近衛文麿は、現実に天皇親政に貢献するようなシステムの変更を行っただろうか

 戦線の不拡大を述べながら、軍事予算を通過させているくらいなので、推して知るべしというべきではあるが、この点をみておく。

 

 昭和12年、近衛文麿は「大本営政府連絡会議」を作った。

 これは後の「戦争指導会議」となる。

 ところで、「この会議は閣議か」という点が問題となった

 閣議であれば天皇は意見を述べることができない(内閣への権限介入になる)一方、そうでなければ天皇は自由に意見を言えるのだから。

 大日本帝国憲法を愚直に守る昭和天皇西園寺公望に相談したところ、西園寺公望は「御希望」や「ご質問」ならいいのではないか、と返事した。

 これに対して、近衛文麿が大反対するのだが、その理由は天皇は内閣と軍部の連絡の立会人に過ぎないから」というものであった。

 一方で「親政できる」と言い、他方で「立会人扱い」、これでは近衛文麿昭和天皇の信頼を失ったのも無理からぬ話、と言える。

 

 なお、この会議で昭和天皇が発言したのは、開戦前に明治天皇が詠まれた平和への和歌を詠んだこと、そして、終戦の聖断の二度だけである。

 

 ちなみに、二・二六事件後の昭和11年4月26日における昭和天皇のお言葉にそのことを予感させるものがあった旨本書に書かれている。

 以下、本書で引用されている昭和天皇のお言葉を私釈三国志風に意訳しようとしてみる。

 

(以下、本書に引用されている昭和天皇のお言葉を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 軍部は機関説を排撃している一方で、朕の意志を無視して勝手なことばかりやっている。

 これぞ朕を機関扱いするものではないか。

(意訳終了)

 

 

 以上、本章を読み進めてきた。

 次回は、この続きをみていくことで本格的に昭和天皇の功罪をみていく。

『昭和天皇の研究』を読む 24

 今日はこのシリーズの続き。

 

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昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

24 第13章を読む_後編

 前回まで、文化的問題から見た場合の天皇について見るため、津田左右吉博士の主張についてみてきた。

 今回は前回の続きである。

 

 

 前回、「日本の上代記には戦争に関する記述が少ない」という主張を確認した。

 この主張から津田左右吉博士は次のように結論付けることになる。

 例によって、本書では公判記録から引用されているため、この引用部分を私釈三国志風に意訳しようとしてみる(意訳であって、直訳や引用ではないため注意)

 

(以下、本書で引用されている公判記録の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、なお、強調は私の手による)

 日本では上代から語り継がれているものが少ないことから、日本は戦争が少なかった、平和だった(という歴史的)事実を示すことができます。

 また、皇室による国家統一に関する上代から語り継がれているものが少ないことから、皇室がその御威光を徐々に広げていくことによって平和的に統合していった(という歴史的)事実が浮かび上がることになります。

 この点、日本が平和的に統合された場合、戦争のような語り継ぐべき話題もなく、日本の上代において語られることが少ないことの説明が可能になります。

 これらの日本の上代史から示される事実は、日本の起源を検討するにあたって極めて重要な事実であると考えます。

(意訳終了)

 

 この点、津田左右吉博士の公判は太平洋戦争前夜の昭和16年11月1日から始まった。

 また、この供述がなされたのは昭和16年12月1日である。

 この時期に次の主張を公判で述べた津田左右吉博士はすごい、と言えよう。

 

(以下、本書で引用されている公判記録の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、なお、強調は私の手による)

 昨今では、日本も闘争心などを大いに向上させなければ世界大戦を切り抜けられないといった状態になっておりますが、日本の上代は今日と全く違った有様であります。

 また、国民性の維持・発展する際には、この点を考慮することが重要なのであります。

 つまり、我々は多くの戦争を経験しなかった民族だったのです

 このような民族が日本に長い間住んでいたのであり、民族的な共同生活を送っていたのです。

(意訳終了)

 

 

 この後、平和な「生活の座」で生きていた日本に中国から文字と思想が入ってきた。

 そして、文字によって『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』などが編纂されるようになった。

 この点、記載された内容はそれまでに語り継がれていた思想を多分に含まれていただろうが、文字が入ってくれば文字に付随して思想が入ってくることになる

 津田左右吉博士は「文字には思想が貼り付いている」という点を強調されている。

 その結果として、仁徳天皇武烈天皇の記述が『六韜』・『韓非子』・『尚書』・『呂氏春秋』・『史記』などからの引用で構成されたり、これらの書物の背後にある思想の影響を強く受けたりすることも当然のこととしている。

 

 しかし、古事記』・『日本書紀』の思想と中華思想は全く異なるものである。

 例えば、「あきつかみ」・「現人神」・「万世一系」という概念は中華思想にはない。

 そこで、津田左右吉博士の関心事たる日本の上代の思想の内容と形成過程をみていくことになる。

 

 まず、津田左右吉博士は上代の日本人は、『人』と『神』をはっきり分けており、自分たちの時代を『神の時代』ではなく『人の時代』だと考えていた」点を指摘する。

 そうでなければ、「神代」と「人代」の区別がなく、現代まで「神代」が続いていることになるのだから。

 この点は本居宣長の発想とは異なり、白鳥庫吉博士の学説(神と人の区別)を継承している。

 もちろん、「人代になってから自らの時代を『神の時代』と表現した例は万葉集の文学的表現に二度登場するだけだ」という指摘を添えて。

 一方、『史記』には神代と人代の区別はない。

 

 次に、天皇が「あらひと」であり、「あらひとがみ」で記されていても、上代の日本人の理解において、天皇と他の神は区別されていた

 この点について、津田左右吉博士は次のように述べている。

 以下、本書で引用されている公判記録の一部を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書で引用されている公判記録の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、強調は私の手による)

 上代における神は、宗教的に祈祷を受け、祭祀を受け、供え物を受けられて、その一方で人々の日常生活を支配し、日常生活に対する禍福を与えております。

 しかし、天皇はそのような働きをなされていないのであります。

 天皇は「あきつかみ」であらせます。

 そして、「あきつかみ」の役割は国家の統治にあるのでございます。

 言い換えれば、天皇は供え物を受ける、禍福を与えるといった神としての振舞いをなされないどころか、自ら神をお祀りになられるのであります。

 その意味で、天皇は神に対する人の位置にあらせられるのでございます。

(意訳終了)

 

 現状の説明としてはそうだろう。

 こうやって考えなければ、「拝めば治る」などといって金を巻き上げる新興宗教の教祖の方が、上代における「神々」であって「現人神」にふさわしくなってしまう。

 なお、この新興宗教の教祖のような存在は、ユダヤ教キリスト教においては呪術師や魔女扱いされており、忌み嫌われていた点はこれまで見てきた読書メモのとおりである。

 

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 このように、上代において「天皇が拝礼や祈祷の対象ではなく、呪術的な能力を持つ対象ではなかった」ことを津田左右吉博士は丁寧に説明している。

 

 その上で、津田左右吉博士は天皇は人間であり、かつ、象徴である」と主張している。

 本章では、『中央公論』に所収された論文『元号の問題について』における津田左右吉博士の主張が紹介されている。

 以下、本書で引用されている『元号の問題について』の一部を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書で引用されている『元号の問題について』の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意

 日本国憲法において「象徴」という言葉が法律上の用語として用いられております。

 しかし、現実では天皇は昔から象徴だったのです。

 その点を考えれば、誰の考えだったかはさておき、よい言葉を選んだと考えております。

 私自身も約30年前の著書で「皇室は国民的精神の象徴、または、国民的結合の象徴である」と述べたくらいですし。

 もちろん、あの憲法に対する意見はあるでしょうし、完全無欠とも思いません。

 しかし、天皇を象徴と規定した点は、歴史的実体に即したものであり、「天皇の地位と性質を最もよく表現したものである」と感服しております。

(意訳終了)

 

 このように、津田左右吉博士は戦前・戦後を通じて「天皇は現人象徴である」旨述べている。

 これに対して、中国の皇帝は天命による地上の支配者である。

 そこで、中国から文字と思想を導入し、中国から圧倒的な影響を受けた日本で「皇帝」の発想が採用されなかったのは何故かが問題となる。

 天皇が中華皇帝にならなかった理由について津田左右吉博士は次の5点に要約している。

 本書では、『世界』の論文の一部を要約した形で記載されている。

 

1、皇室が日本の民族の内にあり、かつ、周囲の勢力を少しずつ帰服させるという形で勢力を拡大したこと(この点はイギリスのノルマン王朝を開いたウィリアム征服王とは経緯が異なる)。

2、異民族との戦争によって自国の政治体制に決定的な影響を及ぼす経験がなかったこと(異民族との戦争自体は朝鮮半島付近で行われたが、自国に攻め込まれた経験はほとんどない)。

3、日本の上代には、政治らしい政治、君主としての大事業がなく、また、そのような政治や大事業が必要なかったこと(その結果、内政において天皇は自ら決断するのではなく重臣と相談して処理するようになった)。

4、天皇には宗教的任務と権威があったこと律令制を導入する際、日本は中国にはない「神祇官」の制度があり、天皇は「神祇官」と「太政官」の双方のトップとなっていたところ、「神祇官」については継続して祭祀を続けてきた、これも政治と宗教の分離という方向に働く)。

5、皇室は中国の先進文化の導入によって、新しい文化の指導的地位を担うことになったところ、これにより武力とは異なる尊さと親しさを周囲に与えたことこと(この事情は武家が政権を奪取しても皇室に対する敬意・あこがれを失わなかった理由であると考えられる)。

 

 以上が、津田左右吉博士が示した「天皇が中華皇帝にならなかった5つの事情」である。

 そして、日本の上代によって形成された文化の継続を願う気持ちが「万世一系」という思想になった旨述べている

 したがって、「このような思想を生み出したという歴史的・社会的・政治的事実に重みがあることを理解する必要がある」旨述べている。

 

 なお、津田左右吉博士は天皇は国民統合の象徴のみならず、民族の継続性の象徴でもある」旨述べている。

 中央公論に掲載された論文ではその観点から元号について述べているが、元号については割愛する。

 

 

 以上を踏まえて、「天皇とは何か」と考えてみる。

 津田左右吉先生の戦前・戦後の一貫した主張に「日本の社会構造・精神構造は昔も今も変わっていない」という故・小室直樹先生の主張(参考となる読書メモは次の通り)を加味して考えれば、昔も今も天皇日本民族の統合・継続発展の象徴」ということになる。

 

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 そして、天皇は象徴である」という思想は、「上代の日本人の生活の座」と「国家形成時における非軍事的・非政治的、つまり文化的統合」によって生まれていると言える。

 

 では、昭和天皇自体はどう考えていたのだろうか。

 この点、昭和天皇は生物学の御研究の成果は発表されている。

 また、読む本は「生物学と歴史」と答えている。

 しかし、歴史についての発言はない。

 もっとも、生物学者歴史観を思わせる発言があり興味深い点がある。

 例えば、昭和天皇と本庄武官は天皇機関説をめぐって議論をしているが、その中に次のような発言があるらしい。

 

(以下、本書の記載を引用)

 自分の位はもちろん別なりとするも、肉体的には武官長と何ら変わるところなきはずなり

(引用終了)

 

 つまり、昭和天皇は自分自身を「現人(あらひと)」だと考えていた。

 そこで、人間たる昭和天皇が象徴であり続けたのは文化の問題ということになるだろう

 

 人間は政治的存在だけでとらえることはできない。

 そうであるからこそ、ソビエトがいかに強権をふるって継続的文化や生活の座を共有する者たちによって作られた民族を消すことができず、一定期間締め付けても何かあればすぐ民族問題が噴出するありさまである。

 

 ちなみに、このような結論に至ったのは津田左右吉博士だけではない。

 へブル大学の日本学者のベン=アミ・シロニー博士も同様の結論になっているらしい。

 

 

 ここから話は、杉浦重剛博士の講義でなされた「武力と文化の持つ力」に移る。

 

 この点、杉浦博士は武力の必要性は肯定する一方で、戦争が一国にとっていかに危険で悲惨なものかを説明していた。

 このことは、杉浦博士が幕末に生まれ、戊辰戦争西南戦争日清戦争日露戦争を経験しており、また、講義の時期は第一次世界大戦のころと重なっていた。

 そう考えれば、当然ともいえる。

 

 この点、杉浦博士は「兵」の章で「千葉周作に死に方を習いに行った茶坊主の話」を紹介している。

 この話を私釈三国志風に意訳すると次のような話となる。

 

(以下、本書に記載されている「千葉周作に死に方を習いに行った茶坊主」の話を私釈三国志風に意訳したもの、直訳でも引用でもない点に注意、なお、強調は私の手による)

 幕末、土佐に土方なにがしという茶道の奥義に達したある茶坊主がおった。

 殿様はこの者のお茶しか飲まないほどのお気に入りであった。

 その後、参勤交代の折、殿様はどうしても茶坊主のお茶が飲み続たかったので、茶坊主を武士に取り立て江戸に連れて行った。

 しかし、この茶坊主は見た瞬間武士ではないことがわかるありさまであった。

 江戸でのある日、この茶坊主はある剣客から「真剣での勝負」を申し込まれた。

 この茶坊主は刀を抜いたこともなかったので、非常に驚いた。

 そこで、「私は主命を奉じている。それが終われば勝負しよう」と約束し、直ちに剣聖・千葉周作を訪れた。

 茶坊主は病床で面会を断っていた千葉周作に強いて頼み込み、事情を説明して「私は剣道について何も知らないので、討たれることは覚悟している。ただ、みっともない死に方はしたくないゆえ、その方法を教えてほしい」と頼み込んだ。

「死に方を教えてくれ」と言われた経験のない千葉周作は非常に驚き、その旨を告げた上で茶坊主に茶を所望した。

 茶坊主は茶を点てたところ、千葉周作から見てこの態度は死を目前としたものに見えないものであった。

 そこで、千葉周作は、「勝負になったら剣を大上段に構えて目を閉じよ。閉じた目は開いてはならない。そのようにしていれば、腕なり頭なりにひやりとする感覚がするだろうから、その瞬間、力の限り剣を振り下ろせ。これにて相手は必ず傷つき、あるいは、相討ちにもちこむことができる」と茶坊主に教えた。

 茶坊主千葉周作に丁重に礼を述べ、勝負の場に戻った。

 そして、待っていた剣客にあいさつし、勝負が始まった。

 茶坊主は言われたとおりにしたところ、剣客は驚いた。

 確かに、剣客は茶坊主に致命傷を与えることができるが、その瞬間、頭上の刀が振り下ろされるうえ、目を閉じているから相手の動きがつかめない。

 結果、剣客は茶坊主に土下座をして「恐れ入った。この勝負は私の負けである。そこで、私の身はいかようにもされたい」と負けを認めた。

 茶坊主は「降伏した人間を切るつもりはない」と述べたところ、剣客は茶坊主の流儀などを問うた。

 これに対して、茶坊主は勝負を申し込まれて千葉周作に会い、死に方の教訓を受けたことをすべて話した。

 その剣客は茶坊主の態度に感心し、千葉周作の元へ行って総てを話すとともに兄弟の約を定め、親交を重ねることになった。

(意訳終了)

 

「勝ちたいという欲望は捨て身にかなわない」ということであろうか。

 あるいは、「茶道の奥義という文化の力が剣を圧倒した」というべきか。

 この話は丸腰の朝廷が武器を持った武家に対してどのように応じるべきかの重要なヒントとなったのだろう。

 昭和天皇は皇室の人、杉浦重剛博士は幕末の武士だったのだから。

 

 

 では、昭和天皇はこの「民族の文化の力」を信じていたのだろうか。

 この点、敗戦直後、昭和天皇は自ら単身でマッカーサーのところに乗り込んだ。

 これも「捨て身」である。

 

 他方、帰国後にアメリカの大統領になりたいと考えていたマッカーサー

 両者の関係は微妙に変化していく。

 

 具体的には、第三回の会談で昭和天皇は自身の御巡行についてマッカーサーについて意見を求めたところ、マッカーサーは次のように述べたといわれている。

 ここは意訳ではなく、本文を引用してみる。

 

(以下、本書に記載されている半藤一利氏の記載を引用したもの、各文毎に改行、なお、強調は私の手による)

 米国も英国も、陛下が民衆の中に入られるのを歓迎いたしております。

 司令部にかんするかぎり、陛下は何事をもなしうる自由を持っておられるのであります。

 何事であれ、私に御用命願います

(引用終了)

 

「なんという日本の継続的文化の力よ」というべきか。

 

 

 以上、津田左右吉博士の主張を見てきた。

 なかなか納得させられる主張だったと感じている。

 その一方で、「蓑田胸記のような存在は日本文化においてどのような意味があるのか」と感じなくはないが。

 

 次は、天皇の「功罪」について本格的にみていく。