薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本人のためのイスラム原論』を読む 15

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

15 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第3節」を読む(前編)

 今回から第2章の第3節に進む。

 第2章の第3節のタイトルは、「『殉教』の世界史_イスラムのジハードと中国の刺客、その相似性」

 

 これまで、イスラム教について見るため、キリスト教ユダヤ教についてみていくことが多かった。

 しかし、この節では中国における「救済」についてもみていく。

 中国における「救済」がイスラム教の理解に役に立つからである。

 

 

 これまで、キリスト教イスラム教についてみてきた。

 両者は同じ啓典宗教であるが、異なる点が多い。

 両者の特徴をまとめると次のようになる。

 

キリスト教_信仰を重視・基本的に予定説

イスラム教_信仰と規範の双方重視・宿命論的予定説

 

 このことから、キリスト教イスラム教の隔たりは非常に大きいことがわかる。

 このことから、相手と妥協する、または、相手を打倒するためにも相手の理解は重要になる。

 このことは、孫子』の「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず」という言葉を持ち出さずとも明らかである。

 

 ところで、2001年のセプテンバー・イレブン

 当時のブッシュ大統領の言動を見ていると、キリスト教徒の発想でしか物事を見ていないように推測される。

 周囲にいる、あるいは、アメリカにいるイスラム教やイスラム社会の研究者から何かを教えてもらった、といった形跡がない。

 これでは、イスラム社会を理解するのは無理というしかない

 まあ、最後まで相手を理解する気がなく、相手を一方的に蹂躙する気しかないならば、それでいいのかもしれないが。

 

 このことを裏付けているのが、実行犯たちのことを「ならず者」とか「狂信者」と述べている点である。

 この点はブッシュ政権に限った話ではない。

 アメリカのマスメディアについても同様のようである。

 もちろん、キリスト教徒やアメリカ・ヨーロッパの発想に立った場合、「自分の命を捨てて旅客機を乗っ取り、軍事施設でもないビルに突っ込んでテロを実行する」ような人間は「まともではない」と考える。

 よって、アメリカ人の目から見て「狂信者」・「ならず者」と判断したことは必ずしも不当というわけではない。

 

 確かに、体当たりに利用した旅客機は軍用機ではない。

 また、体当たりしたビルも軍事施設ではない。

 そして、ビルで働いていた人間は民間人であり、具体的な罪もない。

 よって、これを無差別に殺してしまえばテロになる。

 

 

 さらに、アメリカの基準に従えば、このような行為に出た人間は「狂信者」となる

 このことは、J・F・ケネディリンカーン大統領などの暗殺者に対する評価を見ればわかる。

 その意味で、アメリカではテロや政治的な暗殺に対して非常に厳しい判断を下す。

 賛美をすることはもちろん、同情することすら許されない、といってもよい。

 その厳しさは日本の「空気」に支配された状況に劣るものではない。

 

 しかし、この基準は世界共通ではない

 理性的判断に基づいてテロや暗殺を行うことがありうる。

 また、やむに已まれぬ場合など例外的な場合には暗殺者が尊敬される文化もある

 残念ながら、アメリカの上記反応を見ると、アメリカにはその認識がないようである。

 これに同調しているヨーロッパや一部のアメリカかぶれした日本人も。

 

 なお、本書に書いていないことを追加して書くと、「狂信者扱いするか否か」という点と「実行者を厳罰にすべきか」という問題はストレートに関係しない

「狂信者ではないが、厳罰に処する」という選択があることはちゃんと認識しておくべきである。

 

 

 さて。

 世界にはやむに已まれぬ場合など例外的な場合には暗殺者が尊敬される文化がある。

 その具体例がイスラム社会である。

 イスラム社会では政治家の暗殺はよく行われていた。

 また、暗殺教団として恐れられていた集団もあった。

 このことは、イスラム社会においてはテロや暗殺を善と考える、あるいは、例外的な場合に善と考えるといった思想があったことを十二分に推認させるであろう。

 

 もっとも、同様の思想を持つ文化は中国にもある

 そのことが端的に示されているのが、中国の太史公・司馬遷の書いた『史記』である。

 後世において最高の史書と呼ばれた『史記』、ここには「暗殺者賛歌」がある。

 つまり、史記』の中に暗殺者を讃えるための章が存在する

 その章は『刺客列伝』と言われている。

 

 

 このことから、暗殺者・刺客に対する扱いが万国共通ではないことがわかる

 アメリカやヨーロッパでは犯罪者・異常者扱いされるのに対して、中国の場合、讃えるべき人として歴史書に名が残るのだから。

 この点、『史記』は「人を基準にして歴史を記す」という形式、つまり、紀伝体で書かれた文章である。

 そして、『史記』では、皇帝・天子の伝記である「本紀」があり、次に、天子・皇帝に仕える諸侯を扱う『世家』があり、さらに、臣下の伝記としての「列伝」に続く。

 この形式を作り出したのはもちろん司馬遷である。

 もちろん、一般人がこの「列伝」に掲載されることは大変な栄誉となる

 実際、名丞相や大将軍クラスでない限り、列伝にリストアップされないのだから。

 また、韓非子孟子でさえ司馬遷は単独の列伝を立てていないのだから。

 

 司馬遷はこの列伝に「刺客列伝」という章を設け、6人の刺客(暗殺者)の生涯を記した。

 ちなみに、「刺客列伝」の位置を見ると、『史記』にある70の列伝の26番目、前後にあるのが「呂不韋列伝」と「李斯列伝」である。

 呂不韋と李斯はいずれも秦の政王(後の始皇帝)に仕えた丞相である。

 もちろん、司馬遷は適当にこの場所に放り込んだのではなく、それなりの意図があった。

 そのことは司馬遷の友人の言葉を借りて記した次の言葉からもわかる。

 

(以下、本書にある刺客列伝の巻末の記載を引用)

『ここに掲げた刺客は、ある者はそれに成功し、ある者は成功しなかった。しかし、いずれも一度、志に決めたことを守りとおした。彼らの名は後世に残った。彼らの行為はけっして無意味ではなかったのだ』

(引用終了)

 

 このことから、司馬遷は、刺客(暗殺者)はただの犯罪者ではないこと、まして異常者でもないこと、それどころかその行為は賛美に値すること、そして、「後世に名を残すべき存在」であると考えていたことになる。

 

 

 では、司馬遷は刺客(暗殺者)のどこを賛美しているのか。

 その際に、気を付けなければならないのが、欧米の暗殺者と中国の刺客の違いである。

 

 この点、欧米の暗殺者と中国の刺客はその性質が大きく異なる。

 欧米の暗殺者のタイプは、大きく二つのタイプに分類される。

 一つは、邪魔な政敵を排除するために自分の命を捨てて邪魔者を排除するタイプ

 アメリカ人がいうところのいわゆる「狂信者」である。

 そして、もう一つが依頼人と契約を結んで報酬を受け取って暗殺を実行するプロの殺し屋である

 このタイプは営利目的があるので、自己の生還を前提に行動する。

 生還しなければ報酬をもらって暗殺する意味がないからである。

 

 このように、欧米の暗殺者はいずれのタイプであれ自己の利益のために行動する

 プロの場合は報酬のために暗殺し、アマチュアの場合は死後ではあるが自分の望みを果たすために暗殺する。

 

 これに対して、中国の『史記』刺客は欧米でいうところの「自己の利益」の為に暗殺を実行しない。

 刺客列伝に登場する人物で「刺客中の刺客」として尊敬される人物に聶政という男がいる。

 この聶政と荊軻は刺客の中で特に有名である。

 

 この聶政はターゲットである韓の大臣・侠累を暗殺したが、現場からの帰還がかなわず、自殺した。

 また、韓は刺客(聶政)の身元が分からず、死体を公開して身元を求めた。

 そして、刺客の死体を見た聶政の姉は、刺客が聶政であることがわかり、「この男は私の弟で聶政である」と述べ、周囲の人の「そんなことを言ったら、あなたにも危難が及ぶ。だから、言わないほうがいい」という静止に対して、「私が言わなければ、弟の名は埋もれてしまう。それでは弟がかわいそうすぎる。名乗った以上は覚悟している」という趣旨のことを述べ、その場で自決した、と言われている。

 人々は聶政だけでなく、その姉の立派さを讃えたといわれている(だからこそ、史記にはこのエピソードが掲載されている)。

 

 このように姉弟ともに名を挙げたわけだが、ここで一つ確認しなければならないことがある。

 それは、聶政が侠累に対して会ったこともなければ、恨みすらなかった

 というのも、聶政は斉の国の人間であり、韓はよその国である。

 つまり、聶政に侠累を暗殺するメリットはない。

 また、聶政には生還を期すことができなかったのだから報酬もない

 そんな状況で、聶政はなぜ自らの命を捨てて刺客となったのか。

 それは、厳遂という男に頼まれたからである。

 つまり、代理殺人ということになる。

 

 もっとも、この代理殺人による報酬がない。

 また、聶政と厳遂は長年親しい関係にあったわけでもない。

 さらに、聶政は厳遂に対して恩があったわけでもない。

 キリスト教、つまり、アメリカやヨーロッパの価値観で考えれば、こんな状況で暗殺を引き受けた聶政は常軌を逸したクレイジーな人間ということになるであろう。

 もちろん、このことは荊軻を含む他の刺客についてもいえる。

 例えば、荊軻は刺客となってターゲットの秦の政王(後の始皇帝)を暗殺するために燕を出発する際、次の詩を遺している。

 

 風蕭蕭として易水寒く 壮士ひとたび去って復た還らず

 

 私釈三国志風に意訳すれば、「冷たい水、厳しい風の中、私は刺客として旅に出るぜ。ま、二度と戻ることのないけどねっ」といったところだろうか。

 キリスト教アメリカ・ヨーロッパの感覚から見た場合、この生還を想定しないスタンスは常軌を逸したものに見える。

 しかし、中国では聶政と荊軻は刺客の鑑として名を後世に残している

 

 では、後世に名を残った背景には何があったのか。

 この背景を知ることでイスラム社会の暗殺やテロの位置をも理解することができる。

 

 

 本書では、聶政の物語が本文で、荊軻の物語はコラムで紹介されている。

 聶政の物語の概略を示すと次の通りになる。

 

 聶政は斉の国で姉や母とひっそりと暮らしていた

 というのも、昔、聶政は郷里で人を殺めてしまい、仇を避ける必要があったからである。

 その聶政のところに韓の臣下であった厳遂という男が訪ねてきた。

 厳遂が聶政を訪ねた理由は韓の大臣・侠累を暗殺してもらうためである。

 厳遂にとって韓の大臣・侠累は不倶戴天の敵であった。

 その敵を暗殺するために、厳遂は勇敢な男と評判の聶政に暗殺を依頼しようとしたのである。

 しかし、聶政は厳遂に会おうとせず、厳遂は何度も門前払いを食らう

 もっとも、厳遂は門前払いにめげず、やがて、厳遂は聶政に面会することになる。

 その際、厳遂は「あなたのお母様に」と大金を聶政に差し出すのだが、聶政は「そんなものを受け取る謂れはない」と言って受け取らない

 これに対して、厳遂は訪問の意図を打ち明け、また、母親に対する贈り物の意図を告げる。

 しかし、聶政は老母に対する孝養を理由に依頼を断る。

 それを聴いた厳遂は礼を尽くして聶政の元から立ち去った

 その後、聶政の老母が死亡する。

 そして、三年間の喪が明けた聶政は厳遂の依頼を受けることにする。

 曰く、(以下、私釈三国志風意訳)「厳遂殿はいやしい庶民の私をわざわざ訪ね、礼を尽くしてくれた。非常に栄誉なことと感じております。以前は母への孝養を理由にお断りしましたが、その母はなくなり喪も明けました。かくなる上は、厳遂殿の依頼を受けることにします」と。

 かくして聶政は刺客になるのである。

 

 

 さて、聶政の心境を変えたものは何か。

 この点の理解こそ中国における刺客を理解するための重要なポイントとなる。

 

 この点、中国には「士は己を知る者の為に死す」という言葉がある

 士とは国士、つまり、天下第一等の人物を指す。

 つまり、この言葉を私釈三国志風に意訳するならば、「歴史で語られるような立派な人間はなぁ、自分を知り、自分に礼を尽くしてくれた人のために死ぬもんだぜっ」という感じになる。

 

 これに当てはまる事例に「三顧の礼」がある。

 後漢が衰退し、天下が乱れていたころ、漢の皇帝の子孫である劉備玄徳は庶民である諸葛亮孔明)の力を借りるために三度もその家を訪れた。

 孔明劉備の態度に感激し、劉備とその息子劉禅(阿斗)に仕えて、その生涯を終えることになる。

 これも「士は己を知る者の為に死す」の一例である。

 

 厳遂の聶政に対する態度は劉備三顧の礼と同様に考えることができる。

 厳遂は聶政に対して礼を忘れなかった。

 また、聶政の母親に対しても礼を尽くした。

 さらに、聶政のつれない態度に全く怒らなかった。

 つまり、厳遂は聶政に対して国士として扱ったわけだ。

 

 もちろん、厳遂の行為の裏には「刺客になってもらう」という思惑があっただろう。

 あるいは、厳遂にとって聶政は刺客候補に過ぎなかった、ということもあるかもしれない。

 しかし、聶政にとって厳遂の意図は関係ない。

 

「(外形的に)貴人が自分に対して礼を尽くし、それに私が応える。その行為は『士は己を知る者の為に死す』にあたるので、私の行為は『義挙』として歴史に残る」

 

 このような展開が確信できたからこそ、聶政は刺客となり、帰らぬ人となった。

 厳遂の意図がどんなものかとは関係なく。

 

 

 以上、中国で著名な刺客の人生についてみてきた。

 ここから中国における「救済」についてみていく。

 

 ただ、結構な分量になってしまったので、今回はこの辺にしておく。

 続きは次回に。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 14

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

14 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(最終編)

 これまで、古代のイスラエルの民が生み出した概念である「奇蹟」と「預言者を取り上げた。

 また、古代のイスラエルの民の発想である「宗教の合理化」によって因果律」から「予定説」が生まれる過程についてもみてきた。

 以上を前提に、イスラム教の「救済」についてみてみる。

 

 

 既に見てきたように、イスラム教では信者であるムスリムに「六信」を求める。

「六信」における6つの内容は「神・天使・啓典・預言者・来世・天命」である。

 そして、ここでは6個目の「天命(カダル)」に注目する

 

 イスラム教でも天地の間に起きるすべてのことは神の意志によるものであり、この点について例外はないものと考える。

 このことは、クルアーンで何度も強調されている。

 なお、「クルアーンを和訳したもの」については次のサイトのものを利用させていただいている。

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

(以下、クルアーンの和訳の第16章の第40節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 本当に事を望む時それに対するわれの言葉は、唯それに「有れ」と言うだけで、つまりその通りになるのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 その意味では、アッラーイエス・キリストヤハウェと同様である。

 

 このことからイスラム教は予定説に立脚しているように見える。

 もちろん、クルアーンには予定説をにおわせる記述がそこかしこに出てくる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第16章第95節から引用、具体的なリンク先は引用後に記載、なお、強調は私の手による)

 もしアッラーが御好みならば、かれはあなたがたを一つのウンマになされたであろう。だがかれは、御望みの者を迷うに任せ、また御望みの者を導かれる。あなたがたは、行ったことに就いて、必ず問われるであろう。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

(以下、クルアーンの和訳の第87章の第1節から第4節まで引用、節番号は省略、節は改行で区別、具体的なリンク先は引用後に記載)

 至高の御方、あなたの主の御名を讃えなさい。

 かれは創造し、整え調和させる御方、

 またかれは、法を定めて導き、

 牧野を現わされる御方。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 一方、クルアーンにはいわゆる「善因楽果、悪因苦果」のようなことも書かれている。

 

(以下、クルアーンの和訳の第53章の第31節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 本当に天にあり地にある凡てのものは、アッラーの有である。だから悪行の徒には相応しい報いを与えられ、また善行の徒には最善のもので報われる。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 さらに、クルアーンには「大罪でなければ、神はお目こぼしすらありうる」といった表現さえある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第53章の第32節を引用、リンク先は上述のとおり)

 小さい誤ちは別として、大罪や破廉恥な行為を避ける者には、主の容赦は本当に広大である。かれは大地から創り出された時のあなたがたに就いて、また、あなたがたが母の胎内に潜んでいた時のあなたがたに就いて、最もよく知っておられる。だから、あなたがたは自分で清浄ぶってはならない。かれは主を畏れる者を最もよく知っておられる。

(引用終了)

 

 この点、慈悲深いアッラーならお目こぼしがあるということは十分ありうる。

 しかし、その一方で「では、予定説はどこへ行ったのか」といった問題も生じることになる。

 

 

 この点、キリスト教の神は峻厳である一方、アッラーは寛大である。

 このことは、イスラム教では、人間の行為によって救済リストに入っていなかった者を救済リストに入れる可能性があること、多少の罪を犯しても救済リストから外されないことからもわかる。

 しかし、その結果として予定説と因果律の矛盾をどう解決すべきか、という問題が発生した。

 なぜなら、人間の自由意思を前提とする因果律と人間を神の操り人形と考える予定説は両立しないからである。

 そして、いずれもクルアーンにある記載、つまり、神が仰ったことである。

 そのため、人間の判断でいずれかを切り捨てるわけにもいかない。

 その結果、イスラム教は予定説と因果律を同時に抱え込むことになった。

 

 この問題はイスラム教の大学者を悩ませる大問題であった。

 そして、この複雑な神学的状況についてマックス・ウェーバーは次のように述べている。

 

(以下、大塚久雄先生が訳された『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の記載について本書に書かれた部分を再引用、なお、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』へのリンクは次の通り)

 イスラム教のばあいは、(中略)宿命論的な予定説であり、したがって地上の生活の運命には関係があっても、来世での救いにはなんら関係するところがない

(引用終了)

 

 

「宿命論的な予定説」とは次のような考え方である。

 

 この世の出来事、また、人間の運命は神が決めた予定通りの結果となる。

 しかし、人間の来世の運命については因果律が成り立つ。

 

 つまり、イスラム教では「この世では予定説、来世では因果律というように予定説と因果律を振り分けたことになる。

 

 

 さて、イスラム教における因果律と予定説の振り分け。

 この点を「宗教の合理化」という点から評価すれば、一歩後退したとみることができる。

 しかし、このような振り分けによって、信者に対して途方もない安心感を与えた、途方もない緊張感から解放することになった

 

 この点、予定説においてはその人間が救済されるか否かは神が決めていることになる。

 そのため、人間の努力によってその結果が変わることはない。

 例えば、「信仰を深めれば救済されるのか」と考えた場合、因果律に従えば「救済される」と考えることになる一方、予定説の立場に立てば「わからない」ということになる。

 もちろん、予定説に立っても、「私が信仰を深めるように神が決めたところ、私がその設定に従って動くのであれば、私は救われる可能性が高いだろう」といえるが、あくまで「だろう」にとどまる

 人間の尺度で神をはかれるか、『ヨブ記』はどうだったか。

 神は神の都合で自分をキリスト教徒にしたのであって、救済とは関係ないのではないのか、などなど。

 

 その結果、真面目な信者であればあるほど不安はどんどん増していくことになる。

 不安を解消するためには信仰を深めるしかないわけだが、これとて一時しのぎにしかならない。

 このような観点から中世のカトリック教会の秘蹟といった儀式を見ると、このような緊張を緩和させるための策だったともいいうる。

 

 しかし、イスラム教では救済に関する因果律を導入することでこの緊張感を根本から解消した。

 アッラーは万能にして絶対である。

 しかし、ヤハウェイエス・キリストと異なり、アッラーは寛大である。

 信仰を守らなかった者を除いて来世での救済を確約する。

 一方、現世のことは神が決めたこと、アッラーの御心のまま(いわゆる「インシャラー」)なのだから、くよくよするな。

 イスラム教は予定説による問題をこのように解決していった。

 カトリック教会の対策と比較するとこれまた対照的である。

 

 

 以上、イスラム教における予定説と因果律についてみてきた。

 話はここからイスラム教における具体的な「救済」、つまり、天国と地獄についてみていく。

 

 まず、対比の観点から、ユダヤ教キリスト教における「救済」を確認する。

 この点、集団救済を旨とするユダヤ教において、「救済」とは「神によるユダヤ民族の現在の惨状からの解放」=「神によるユダヤ人による世界支配」という形で実現することになる。

 また、個人救済を旨とするキリスト教でも、救済とは「最後の審判に通過することで『神の国』に入ること」を指す。

 このようにみると、ユダヤ教キリスト教にはも天国という概念がないことがわかる

 ユダヤ教においては「救済」によってユダヤ人が世界の支配者になるに過ぎないし、キリスト教においても地上に打ち立てられた「神の国」に入って永遠の命が得られるのに過ぎないのだから。

 もちろん、地上に打ち立てられた「神の国」を天国と評価することができるとしても。

 逆に、救済されなかったとしても地獄に落ちて永遠に苦しむというわけではない

 

 なお、本書にある中村元という方の説によると、釈迦は死後の世界について何も語ってないらしい。

 だから、本来の仏教にも天国や地獄がないようである。

 

 

 この点、古代エジプトの宗教にも死後の世界について考えられていた。

 だからこそ、エジプトでは巨大なピラミッドという墓があり、また、王の身体をミイラにしたのである。

 それに対して、イスラエルの民は死後の世界について考えなかった

 これはエジプトの宗教に同化されることを嫌ったのであろう。

 

 この死後の世界を考えない発想はキリスト教にも引き継がれた。

 しかし、ギリシャ思想には「霊肉二元論」という発想があり、その思想には霊魂や肉体は魂の入れ物に過ぎないといった考え、天国や地獄といった発想があった。

 そして、キリスト教ギリシャ文化が浸透したヘレニズム社会に広まった際、「霊肉二元論」がキリスト教に侵入した。

 その結果、カトリック教会では、「肉体が滅んでも魂が残る。そして、魂は永遠に生きる。また、生前の行いにより、死後、天国や地獄へ行く」といった考えが採用されるようになる。

 

 また、カトリック教会は「煉獄」といった概念をも作り出す

 つまり、「罪を犯した者が地獄に行く」と考えた場合、人間は大なり小なり罪を犯すことになるから天国に行けることはない。

 しかし、そう考えると全員が地獄が落ちてしまい、救いがなくなる。

 そこで、カトリック教会が生み出したのが、大罪を犯さなかったが微罪を犯した人間を収容する「煉獄」という施設である。

 煉獄に入った魂は業火で焼かれる。

 しかし、魂が業火で焼かれると罪が浄化され、浄化された魂は天国に行ける。

 

 著者は「この『煉獄』は人間の機微に触れた素晴らしい発明である」という。

 どんなに善良な人間でも罪を犯さないことはない。

 しかし、「煉獄があり、そこで業火に焼かれて魂が浄化されれば天国に行ける」と言われれば大いに安心するだろうから。

 

 

 以上、ユダヤ教キリスト教について色々見てきた。

 では、イスラム教では「救済」についてどのように考えているか

 

 イスラム教でも「最後の審判」が行われる。

 うまり、アッラーがすべての人間を蘇らせ、完全な肉体を与えたうえで、個別に救済の決定を行う。

 そして、救済された人間は、永遠の命が与えられて、イスラム教における「神の国」にあたる「天国」、つまり、「緑園」に行くことができる。

 

 イスラム教とキリスト教の違いはここからである。

 キリスト教では「神の国」に関する説明がない。

 だから、キリスト教では「神の国」に入ることが果たして幸せなのかどうかわからない。

 しかし、イスラム教では「神の国」に関する具体的な説明がある

 クルアーンの記載を上記サイトから確認してみる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第56章の第10節から第40節まで引用、節番号は省略し、節と説は改行で区別、具体的なリンク先は引用後に記載)

(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、

これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、

至福の楽園の中に(住む)。

昔からの者が多数で、

後世の者は僅かである。

(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、

向い合ってそれに寄り掛かる。

永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、

(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。

かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。

また果実は、かれらの選ぶに任せ、

種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。

大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、

丁度秘蔵の真珠のよう。

(これらは)かれらの行いに対する報奨である。

そこでは、無益な言葉や、罪作りな話も聞くことはない。

只「平安あれ、平安あれ。」と言う(のを耳にする)だけである。

右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。

(かれらは)刺のないスィドラの木、

累々と実るタルフ木(の中に住み)、

長く伸びる木陰の、

絶え間なく流れる水の間で、

豊かな果物が

絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。

高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。

本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、

かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。

愛しい、同じ年配の者。

(これらは)右手の仲間のためである。

昔の者が大勢いるが、

後世の者も多い。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 ちなみに、イスラム教は現世での飲酒を禁じている。

 もちろん、偶像崇拝の罪に比べれば微罪であり、その後の善行で帳消しにできるものだったとしても。

 この点は、「天国はこのようなうまい酒があって、しかも、いくら飲んでも酔わないのに、なんで地上の(まずい)酒なんか飲む必要があるんだ」ということらしい。

 

 

 この点、日本教から見た場合、イスラム教は規範でがんじがらめにされているように見え、この結果として、「イスラム教は禁欲的な宗教である」ように見える。

 しかし、イスラム教は欲望を否定していない

 というのも、イスラム教では「天国に行って至上の快楽を求めたほうが、現世で質の低い快楽を求めるよりもマシである」と考えているのに過ぎないからである。

 この点は、修行者に対して飲酒・金儲けなどを禁止し、あらゆる欲望を断つことを目的とする仏教とは対極的である

 さらに、アッラーの99の美質には「勘定高い」という点がある。

 つまり、アッラーは商売上手の神様でもある。

 このことはクルアーンにある言葉からも伺われる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第2章の第245節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 アッラーによい貸付をする者は、誰であるのか。かれはそれを倍加され、また数倍にもなされるではないか。アッラーは、乏しくもまた豊かにも自由自在に与えられる。あなたがたはかれの御許に帰されるのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 この「神に貸付けせよ」という表現、仏教には当然ない。

 また、キリスト教ユダヤ教にも出てこない。

 しかし、イスラム教ではアッラーは商売の論理でも語ることができる。

 

 だから、「善行をせよ」という表現は「アッラーに貸付せよ」と表現することになる。

「善行が報われる」という表現も「後でたくさんになって返ってくる」といった表現することになる。

 さらに、最後の審判についても次のような記載がある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第3章第25節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 疑いの余地のないその日、われがかれらを集める時には、どのように(かれらはなるだろう)。各人は、自分の稼いだことに対し(十分に)報いられ、不当に扱われないのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 日本人から見れば、「なんと明け透けなことか」と考えるかもしれない。

 

 もちろん、このような表現の背景にはマホメットが生きていたころのアラビア社会が商業で栄えていたこと、マホメット自身も商売をしていたことに由来する。

 ただ、アッラーは恐ろしくアラビア社会に通じているようである。

 全知全能なんだから当然と言ってしまえばそれまでだが。

 

 

 以上は緑園、つまり、天国の話である。

 では、地獄についてはどうか。

 こちらについても具体的な記載がある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第56章の第92節から第94節まで引用、節番号は省略し、節と説は改行で区別、リンク先は上述の通り)

 もしかれが、嘘付きで、迷った者であるならば、

 煮え立つ湯の待遇を受け、

 獄火で焼かれよう。

(引用終了)

 

 つまり、イスラム教では、最後の審判によって有罪と判定された人間は完全な肉体を持ったまま地獄に堕とされる

 そこでは、熱湯や烈火にあぶられ、大蛇やサソリによって苦しめられるといった形ですさまじい苦痛に襲われることになる。

 もちろん、完全な肉体をもっているため、その苦痛がやむことがない。

 この点は、「永遠の死」で終わるキリスト教とは対照的である。

 だから、イスラム教徒は「天国は退屈だなあ」と考えたとしても「地獄に行かない」ために善行や信仰に励むことになる。

 

 

 以上、イスラム教における救済と救済の先にある緑園(天国)と地獄についてみてきた。

 このように見れば、イスラム教の明快さがわかる。

 つまり、キリスト教の予定説はわかりにくい。

 さらに、信じたところで救われるか否かがわからず、真面目であれば真面目であるほど不安になる。

 一方、イスラム教の救済は「信じたものは救われ、信じないものは救われない」という意味で明快である。

 また、微罪であれば挽回のチャンスもある。

 さらに、アッラーは慈悲深く、人間の欲望自体は否定しない。

 

 このように見えると、イスラム教は現実主義的で、信者に甘いのではないかと考えるかもしれない。

 しかし、このイスラム教からは昔から暗殺者やテロリストを出してきた。

 例えば、英語の暗殺者(アサシン=assassin)という言葉はイスラム教の「暗殺教団」が語源になっている。

 この集団は文字通り「一人一殺」でイスラム教の敵を抹殺してきた。

 さらに、今日のイスラム教徒による暗殺・自爆テロもそうである。

 

 この暗殺とテロの歴史とイスラム教のアッラーの慈悲深さはどのようにリンクするのか。

 これについては次節について述べていく。

 

 

 というのが、本節のお話である。

 非常に参考になった。

 この先もどんどん読んで、理解を深めていきたい。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 13

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 ただ、この節はかなり長いので、3つではなく4つに分けることにする

(この点、第2章の第1節も4つに分けるべきであった)。

 

 

13 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(後編)

 前回、古代のイスラエルの民が「宗教の合理化」を果たすために用いた預言者「奇蹟」という概念について説明した。

 そして、この合理化の刃は契約・律法の背後にある因果律にも及び、その結果、キリスト教」への扉を開いたことまで進めた。

 話はここから続ける。

 

 

 前回述べた「予定説」に関する問題。

 つまり、「『信じる者は救われる』と『神が誰を救うかを決める』をどう調整するのか」という問題。

 カトリック教会・プロテスタント正教会といったものはとりあえず外に置き、ユダヤ教から独立したころのキリスト教、あるいは、パウロはこの点についてどう考えていたのか。

 この辺に関するパウロの考えは新約聖書の『ローマ人への手紙』からみることができる。

 該当部分をウィキソースから引っ張ってこよう。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第9章の第15節から24節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)

 神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

 ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。

 聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。

 だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。

 そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

 ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

 陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。

 もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、

 かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。

 神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

(引用終了)

 

 つまり、その人間が神を信仰するか信仰しないか、それを決めるのは神である。

 なお、ジャン・カルヴァンの予定説の場合、神が決めるタイミングは天地創造の時になるらしいが。

 

「信じる者が救われる」と「神は総てを決める」、この二つを両立させる基本的な軸は「神が『その人間が神を信仰するかしないか』を決定する」にならざるを得ない。

 もちろん、この場合、人間が自由意思によって神を信仰するように見えても、よくよく見てみればその意思決定すら「神の恩寵」ということになる。

 

 パウロがこのように考えていることを補強するものとして、『ローマ人への手紙』の冒頭部分の内容がある。

 そこにはこのように書かれている。

 

(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第1章の第1節から7節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)

 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―

 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、

 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、

 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、

 あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである―

 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

(引用終了)

 

 パウロ「召されて使徒になった」と述べている。

 つまり、パウロは「神が信仰する側の人間として選ばれた側」に過ぎないと述べている。

 また、ローマにいる信者に対して「召された」=「救済されることが確定した」と述べている。

 もちろん、これについては鼓舞の意味合いもあるだろうが。

 

 このようにみると、パウロも予定説か、あるいは、予定説に近い考えを持っていることがわかる。

 救済の決定の時期はさておくとしても。

 まあ、ジャン・カルヴァンは聖書を徹底的に研究して予定説にたどりついたのだから、この結果は当然、とも言いうるが。

 

 

 ところが、カトリック教会はこの予定説を無視していくようになる

 パウロの『ローマ人への手紙』を見れば、予定説を信者に広めていくこそが教会の責務になるはずなのに。

 それどころか、中世のカトリック教会は「秘蹟」と呼ばれる宗教儀礼をおこないだした。

秘蹟」にあたるのは「洗礼」・「堅信」・「回心」・「聖餐」・「叙階」・「婚姻」・「終油」の七つである。

 カトリック教会は、「この7つの儀式を教会で行えば、信者は必ず救われる」と説くことになる。

 

 この7つの儀式は、教会の僧侶が特別な儀式を行うことで神の意思決定に影響を与えることになる。

 これは、古代のイスラエルの民が排除してきた呪術そのものである。

 また、当時のカトリック教会にはエクソシストや祈祷師がいたといわれている。

 これでは、「啓典宗教の観点から見て」中世カトリック教会が堕落したといわれても抗弁できないだろう。

 

 もちろん、カトリック教会もバカではない。

 カトリック教会の僧侶は知識と知恵をめぐらし、秘蹟を正当化する理論を作り上げた。

 例えば、「過去の聖人たちが膨大な徳を積み上げ、その結果、教会には莫大な救済財があるから」といったものである。

 ただ、救済財を聖書から引っ張り出すことはできない。

 また、本書に記載のない言葉を追加するのであれば、「救済財云々を持ち出すならば、聖書や啓典宗教から独立すべきだった」とは言いうる。

 ユダヤ教からキリスト教から独立したように、あるいは、イスラム教ができたように。

 もちろん、それ以外にも中世のカトリック教会の側に言い分はあるとしても

 

 中世の終わり、宗教改革の嵐が吹き荒れる。

 宗教改革ではマルティン・ルターはこのカトリック教会の堕落を弾劾した。

 マルティン・ルターの主張を一言でまとめれば「聖書に帰れ」になる。

 カトリック教会の僧侶が言っているマリア信仰や秘蹟について聖書から裏付けることができない。

 そんなもんは捨てて、イエスパウロの時代に戻せ、ということになる。

 

 その意味で宗教改革は原点回帰運動である。

 さすがに、カトリック教会もプロテスタントとは対決する一方で、自己改革に乗り出すことになる。

 そして、キリスト教に合理性が戻ってきた。

 

 そして、この合理性をさらに突き詰めたのがジャン・カルヴァンである。

 予定説のおそろしさに日和ったマルティン・ルターと異なり(まあ、よほどのことがない限り予定説には日和るだろう、ジョン・ミルトンの言葉も参照)、ジャン・カルヴァンは容赦なく予定説を広めていった。

 この予定説が資本主義を生み出す温床になったことは『痛快!憲法学』や『経済学をめぐる巨匠たち』で述べたとおりである。

 そして、これまでの内容に「宗教の合理化」というキーワードを挿入するとより深く理解することができる

 

 つまり、カルヴァンたちはまず呪術の園と化していた中世カトリック教会から呪術の要素を徹底的に排除しようとした。

 その結果、キリスト教社会に合理性が戻ってきた。

 その合理性がそのまま資本主義への道をまい進させた。

 このようにみると、古代イスラエルの宗教精神と近代資本主義をリンクさせることができる。

 

 

 ところで、「聖書に帰れ」という宗教改革のスローガン。

 考えてみると妙である。

 キリスト教において聖書は神からいただいた啓典であり、普段から信者一人一人が読み親しんでおくべきものではないのか、と。

 こんなスローガンがわざわざいうべきことか、と。

 もっともな疑問である。

 

 この点、中世カトリック教会の堕落について糾弾した人間はマルティン・ルターが最初ではない。

 例えば、ジョン・ウィクリフというイングランド神学者が同様の批判を展開している。

 本書に記載されていないことを追加していくと、ジョン・ウィクリフは14世紀の時代の人であり、宗教改革の先駆者ともいわれている。

 ジョン・ウィクリフは教会を批判するだけではなく、史上初となる英訳の聖書を出版する。

 この点は、ドイツ語訳の聖書を初めて作ったマルティン・ルターと同様である。

 しかし、ジョン・ウィクリフは生前から弾圧される。

 ジョン・ウィクリフの死後、彼の訳した聖書は禁書扱いとなり、また、彼自身もカトリック教会から異端宣告を受け、彼の墓は暴かれることになる。

 この話は宗教改革の100年以上前の話である。

 

 では、カトリック教会の権威の背後には何があったのか。

 答えは簡単、中世のクリスチャンたちは聖書を読んでいなかったという点である。

 だから、中世カトリック教会の権威は保たれていた。

 

 ところで、この聖書を読まないクリスチャンの話。

 イスラム教社会では考えられない話である。

 何故なら、イスラム教は信者にクルアーンを読ませるからである

 

 さらに言えば、儒教の世界では科挙に合格しようと思ったら、四書五経は暗記して使いこなせなければ話にならない。

 また、ユダヤ教でもトーラー(モーセ五書)を教え込み、暗記させる

 イスラム教やユダヤ教において啓典(聖書)は神からの贈り物、そして、日常生活を規律するものである。

 ならば、信者なら暗記して当然、のレベルなのだろう。

 

 まあ、この辺は日本教徒にはピンと来ないかもしれないが。

 

 

 では、何故、中世カトリック教会が支配する中世ヨーロッパでは「神からいただいた啓典を信者が読む」といった啓典宗教における当たり前が実践されなかったのか

 理由は2点ある。

 

 まずは、当時のヨーロッパの識字率の低さである

 そもそも字を知らなければ、聖書を読むことはできない。

 また、当時の聖書はギリシャ語かラテン語で書かれていたものしかなかった。

 ヨーロッパの各言語に聖書が翻訳されるのは宗教改革の後である。

 それゆえ、僧侶の中にもギリシャ語聖書や聖ヒエロニムスによるラテン語訳聖書を読めない人がいた。

 

 あと、理由をもう一つ上げれば、カトリック教会が聖書を読ませることを嫌った、というのもあるだろう。

 先ほどのジョン・ウィクリフのような人間が現れたら困るのは言うまでもないから。

 

 その観点からイスラム社会を見た場合、識字率はヨーロッパほど低くなかった。

 その意味で両者の民度には大きな開きがあった。

 また、イスラム教社会では、モーセ五書福音書預言者の書として啓典クルアーンに次いで重要なものとされていた

 よって、ギリシャ語で書かれた聖書を読める人間はいたし、その研究もおこなわれていた。

 さらに、ギリシャ哲学に対する研究も行われていた。

 そして、それらの研究結果はヨーロッパ人(キリスト教)による留学などを通じてヨーロッパ社会に還元されていた。

 その意味でイスラム教社会はキリスト教のヨーロッパ社会の恩師である。

 まあ、これはいわゆる「巨人の肩に乗る」というものに過ぎないとしても。

 

 ちなみに、著者はこれらのことから次の寸評を加えている。

 

(以下、本書の247ページから引用)

 つまり、キリスト教社会にとっては、イスラム圏は大事な恩師なのである。

 今日のキリスト教神学があるは、まさにイスラムのおかげと言ってもよい。

 その恩師を十字軍で襲うのだから、ほんとうにキリスト教徒というのは因業の連中だ。

(引用終了)

 

 この言葉、固有名詞を入れ替えると、、、という感じがするが、それはさておこう。

  

 

 さて。

 以上、宗教の合理化・奇蹟・預言者因果律・予定説、といった言葉を使っていろいろ述べてきた。

 というのも、これらの理解をしなければ、イスラム教における救済について理解できないからである。

 では、イスラム教における「救済」とは何か

 これについては次回に。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 12

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

10 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(中編)

 前回は古代のイスラエル人の宗教感覚をユダヤ教からみてきた。

 キーワードは「宗教の合理化」である。

 または、「呪術との決別」といってもよい。

 

 

 そして、「呪術との決別」を具体的に実行するために、古代のイスラエル人は二つの概念を用意した。

 それが「奇蹟」と「預言者である。

 もちろん、「奇蹟」と「預言者」はキリスト教イスラム教においても重要な意味を持つ。

 

 この点、イエス・キリストは様々な奇蹟を起こす一方で、「悪魔の力を借りているのではない」と弁明した、と言われている。

 これは「私の奇蹟は呪術ではない」という意味になる。

 

 では、奇蹟と呪術の違いは何か。

 この点、表面的・客観的な結果だけを見て、その他の要素を捨象してしまえば、呪術と奇蹟との間には区別はない。

 しかし、宗教的に見た場合、両者には大きな違いがある。

 そして、呪術と奇蹟は「奇蹟は誰が起こしたものか」・「この奇蹟は倫理的にかなっているか」という観点から見た場合に明らかになる

 

 この点、呪術によって超常的な結果が発生した場合、「この結果は私の呪術によるものだ」と主張する。

 呪術の本質が「人間が神を操る点」にあるを考慮すれば、この主張は当然の主張である。

 しかし、奇蹟によって超常的な結果は発生した場合、「この結果は神が起こしたものである。自分の功績ではない」と主張する。

 その主張をより細かく説明すると次の通りになる。

 

 つまり、造物主たる神は天地に存在するものや様々な法則を作った。

 例えば、万有引力の法則を定めたのは神である。

 そのため、人間には万有引力の法則を変更することはできない。

 しかし、法則を作った神であれば一時的に万有引力の法則を停止させることができる。

 そのような一時的な変更によって生じたものが奇蹟である。

 啓典宗教においては超常的な結果としての奇蹟をこのように説明するのである。

 

 

 奇蹟と呪術の違いとしてもう一点重要な観点が「倫理性」である。

 つまり、呪術には倫理性がなくてもよいが、奇蹟には倫理性がなければならない

 というのも、人間の意志によって人間が起こす呪術には倫理性があろうがなかろうが関係ない一方、神が起こす奇蹟には神の意志が存在する以上、奇蹟には倫理的な説明がつけられるからである。

 

 例えば、旧約聖書の「出エジプト記」のモーセの起こした奇蹟を見てみる。

 モーセはエジプトの王ファラオと交渉し、その際に、たくさんの奇蹟を見せつけた。

 しかし、その奇蹟の内容は、「イナゴの大発生を起こして食料を食い尽くさせる」・「疫病を流行らせて人々のバタバタ倒れる」といったものである。

 エジプトから見れば大損害である(日本的に言えば、また、本書の記載によれば「迷惑」になるだろうが、もはや「迷惑」で片づけられるレベルではない)。

 エジプトから見れば、呪術や魔術、いや、悪魔の仕業と考えたことであろう。

 しかし、イスラエルの民から見れば、これらの結果は神の「イスラエルの民を救う」という神意によって起こしたのである。

 例えば、「イスラエルの民を奴隷として苦しめたエジプトの連中に対する憎しみを思い知らせる」・「イスラエルの民を奴隷として苦しめたエジプトの連中に対して復讐する」といった意図で行ったのではない。

 事実、ファラオがイスラエルの民の出国を認めてからは上記災害はやんでいる。

 また、ファラオは、後にイスラエルの民を追撃するために軍隊を派遣したが、モーセイスラエルの民を守るため、奇蹟によって軍隊を撃退した。

 しかし、それ以上のこと、例えば、エジプトの軍隊が全滅したのを好機と考え、奇蹟を駆使してエジプトを征服する、といったことはしていない。

 この後、カナンの地を求めて何十年も放浪する、また、カナンの地を手に入れるための諸々を考えれば、奇蹟を駆使してエジプトを蹂躙し、エジプトそれ自体をイスラエルのものにするという選択肢もあったであろうに。

(もちろん、このような話は本書にはない、このブログは私の勉強のためのメモ書きに過ぎず、本書のコピペではない)

 

 奇蹟に対してはこのような「説明」をつけることができる。

 もちろん、「説明」に意味を見出さない人間が見れば、この差に意味はないだろうが。

 

 他方、いわゆる日本の新興宗教の教祖の起こしているものを見てみよう。

 本書では、「神を拝んだら、宝くじがあたり、3億円をゲットした」、「夫の不倫に困っていた妻が教祖に献金したら、不倫相手の女が病気になった」といった具体例が挙げられている。

 このような結果に対して、「では、神は自分を拝んだ人間に3億円を与えたのか、倫理的な説明をしてみろ」といってもそれは不可能であろう。

 また、夫の不倫を妻が非難するのは当然としても、相手を病気にさせることが神意であるといいうるであろうか。

 神ならば不倫を治すための抜本的な手段を採用し、小手先の手段を採用しないのではないか。

 これらの事象に対しては、想定外の超常的な結果に対して「通常の現象から説明することは不可能である」という消極的な説明は可能であっても、「この結果は神意にかなっている」ことを裏付ける積極的な説明はできない

 

 

 以上のように、啓典宗教においては「奇蹟」であるためには、神意にかなっている、つまり、倫理的にかなっていることが重要になる

 もちろん、日本的・形式的・員数的に「倫理的にかなっている」と説明するだけではダメであることは当然である。

 具体的・実質的な理論と事実関係に関する説明が必要である。

 それゆえ、キリスト教では「奇蹟」の認定、奇蹟を起こした聖人の認定にはたくさんの時間をかけ、綿密な調査を行う、らしい

 

 例えば、「現代医学では治療不可能な病にかかっていた者がいたが、『ある人間がある行為』をしたところ、その者の病が完治して元気になった」という例を考える。

 この場合、「ある人間のある行為」は奇蹟といえるか。

 元気になった、病気が治った原因は様々なものがありうる。

 例えば、人間には治癒能力があるので、それがたまたま奇蹟的に目まぐるしく働いて病を叩きのめした可能性がある。

 あるいは、常用していた水・薬に未知の成分があり、それによって病が退治されたのではないか、云々。

 もちろん、それらの可能性が微細であることは言うまでもないが、それらの可能性を全部つぶしていく必要がある。

 それらの可能性をつぶしてはじめて、「ある人間のある行為」と「病の完治」との間に因果関係が認定できることになる。

 この点の認定は、日本の民事訴訟の因果関係の認定よりはるかに厳密である。

 最低でも刑事裁判の因果関係の認定と同等である。

 あるいは、欧米の科学的な手法と共通している、といってもよいかもしれない。

 

 また、因果関係の問題をクリアしたとしても、神意に沿っていることの認定も重要である。

 患者から大金をふんだくっていたとなれば、まあ、奇蹟とは言わないだろう。

 神は患者から大金をふんだくる人間に対してそのような恩恵(アメージング・グレイス)を施さないであろうから。

 

 ところで、キリスト教でも「奇蹟」を起こすのは神である。

 しかし、奇蹟を実行した人は神が「奇蹟を行うためにその人物を選んだ」ということを意味する。

 そのため、奇蹟を実行した人を聖人・聖女として尊ぶことになる

 つまり、神に選ばれた「神の使徒」と考えるのである。

 

 

 ところで、イスラム教も啓典宗教であるので、「奇蹟」と「預言者」が重要になる

 また、呪術といったものを排除する。

 ただ、イエス・キリストについては「奇蹟」のエピソードがたくさんあるのに対して、マホメットについては奇蹟のエピソードが少ない

 そこで、マホメットに対して「神の声が聴こえているならば、奇蹟の一つでも起こしてみたらどうだ?」と揶揄するキリスト教徒・ユダヤ教徒が現れた。

 これに対して、マホメットは堂々と「クルアーンこそが最大の奇蹟である。それが証拠に、それを疑うならクルアーンを超える作品を作ってみよ」と答えたといわれている。

 この返答に対して、アラブの詩人たちはクルアーン以上の作品を作ろうとしたが失敗した、そのように伝えられている。

 

 この点について、「それはイスラム教の自画自賛では?」と疑問に思うかもしれない。

 しかし、クルアーンの詩句が極めて優れていることは多くの人間が証言している。

 また、「クルアーン」は「読誦」というアラビア語から生まれた言葉である。

 などなどから、クルアーンの美しさは異教徒でも認めるレベル、ということができる、らしい。

 

 なお、本書によると、クルアーンアッラーの言葉だけを集めたものである。

 また、ストーリー性がなく、おおむね古い順に並べただけ、というものである。

 だから、予備知識なくクルアーンを読んでも早々に挫折する、らしい。

 もちろん、クルアーンが編纂されて正典が確立されるのは、第三代正統カリフの時代、マホメットは既にいない。

 よって、マホメットにこの点を責めることはできないのだが。

 

 

 以上が「奇蹟」に関するお話。

 次に、「預言者」について話が移る。

 預言者は「神の言葉を人間に伝えるため、神が製作したラウド・スピーカー」と定義するとわかりやすい。

 つまり、預言者は神の道具である。

 

 例えば、モーセはエジプトにいるイスラエルの民を救おうと思っていたわけではない。

 しかし、突如、神(ヤハウェ)がモーセの前に現れ、「お前、ちょっとエジプトに行ってな、私の民を救い出して来い」(私釈三国志風意訳)と言って、モーセをエジプトに派遣する。

 そこにモーセの意志はなく、モーセは神の道具に過ぎない。

 

 この預言者像が極限的に推し進められた結果、生まれた預言者がエレミヤである

 エレミヤは産まれる前から預言者と規定され、生まれた後も預言者として生きる。

 しかし、エレミヤにはなんの富も幸福ももたらされなかった。

 それどころか、エレミヤは不幸な人生を送ることになる

 

 というのも、ラウド・スピーカーとなったエレミヤが伝えるべき言葉が「イスラエルの民よ、このままでは滅亡するぞ」というもの、つまり、民に対する警句だったからである。

 神の意図を私釈三国志風に書くならば、「最近、我がイスラエルの民は契約(律法)を軽んじておる。これは民がたるんでおる証拠だ。だから、いっちょ災いを与えることにした。だから、エレミヤよ、ちょっと民に警告してこい」といったところであろうか。

 これに対して、エレミヤは「私は何をすればいいかすらわからない若輩者でしてー」などと言って拒否しようとするが、当然神はそんなのお構いなしである。

 結果、エレミヤはラウドスピーカーになって神の御心のままに行動するが、神の警句はその時代のイスラエルの民にとっては不快・不吉なものでしかない。

 そりゃそうだ。

 エレミヤの言葉は「このままでは神のが裁きを下され、滅ぶことになる。」なのだから。

 

 

 その結果、エレミヤは誰からも相手にされず、また、犯罪者のごとく扱われた。

 エレミヤもさすがに音を上げ、神に対してこのように述べることになる。

 ウィキソースにある『口語訳旧約聖書』の『エレミヤ書』、第20章の第7節・第8節を引っ張ってこよう。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、上記リンク先から引用、節番号省略、改行で節を分ける、強調は私の手による)

 主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。

 それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。

(引用終了)

 

 日本人から見た場合、エレミヤは気の毒な存在である。

 しかし、エレミヤにはどうすることができない。

 神が命令を撤回しない限り、そして神が撤回しない以上は。

 

 この点、シナイ山でエジプトから脱出したイスラエル人を皆殺しにしようとした際、モーセは言葉で神を説得した。

 しかし、モーセは神を操った、論破したわけではない。

 モーセの言葉により神が自己の判断を変更しただけである。

 判断するのは神、人間は判断の材料を提供しただけである。

 

 エレミヤの場合、シナイ山の場合と異なり、神が命令を撤回しなかったので、エレミヤは神のラウド・スピーカーとして行動し続けることになる。

 そして、エレミヤは非業の死を遂げたといわれる。

 また、イスラエルの国は分裂・崩壊、イスラエルの民はバビロン捕囚の悲劇を迎えることになる。

 

 

 ところで。

 仏教の背後には因果律があった。

 また、古代のイスラエル人にも因果律的な発想があった。

 その象徴が律法であり契約である。

 

 これを具体的に示せば、「我々が契約を守れば神は我々を救済する。また、我々が契約を守らなければ、神は我々を滅ぼす」となる。

 しかし、この因果律に対しても「合理的な発想」が及んでいった

 その結果、次の疑問が浮かぶ。

 

 エジプトから脱出した際、我々の先祖はシナイ山の麓で偶像崇拝の罪を犯した。

 これは十戒の第二条に背く大罪である。

 にもかかわらず、神は我々を皆殺しにしていない。

 例えば、ゾドムやゴモラ偶像崇拝の罪を犯していないのに滅亡の憂き目にあったというのに。

 とすれば、「我々が律法を守らなくても、神は我々を滅ぼさないのではないのか」と。

 

 また、次のような疑問も浮かぶ。

 

 信仰を持ち、律法を守り、清く正しく生きている人間がいる。

 しかし、彼らの皆が幸せになっているわけではない。

 ならば、「我々が律法を守っても、神は必ずしも救済するわけではないのではないか?」と。

 

 かくして古代イスラエル人は因果律への疑問を持つことになる。

 このことを端的に示しているのが、以前言及した「ヨブ記」である。

 正しい信仰を持ち、正しい生活をしていたヨブに対して、神はとんでもない苦難を課す。

 ここで作動した法則は因果律ではない

 あるいや、エレミヤについても同様に考えることができる。

 神がエレミヤを預言者と選び、エレミヤが預言者として忠実として動いた。

 しかし、その結果はどうか。

 エレミヤは不幸になり、また、預言者としての職を辞することすら許さなかった。

 

 かくして、因果律に対しても合理化の波が襲う。

 そして、古代イスラエル人の合理性は因果律をも崩すことになる

 この因果律の崩壊が新世界への扉を開くことになる。

 

 

 その新世界こそ「キリスト教」である。

 キリスト教「人間の救済は神の恩寵による」ということを軸に考える。

 

 ここで私による注意書き。

 この点、本書の記載によるものではないが、「神の恩寵に対して人間の働きかけがどの程度可能であるか」という点については温度差がある

 ざっくりとしてみた場合、人間の働きかけの寄与度をより大きく評価するのが正教会、小さく評価する(ほとんど評価しない)のがプロテスタントカトリック教会はその中間といった感じのようである。

 ただ、本書は比較宗教学的観点から宗教を見ていること、ざっくりした理解のためにはシンプルなモデルで考えることが有用であることなどから、プロテスタント、特に、カルヴァンの発想を見ていく。

 以下の予定説の発想はジャン・カルバンの発想で、それを容認する教派は複数存在するが、カトリック教会・正教を含めたキリスト教全体が共有している発想ではないため、その点は注意が必要である。

 

 そして、キリスト教のなかで「人間の働きかけは不可能である」と考える発想が予定説になる。

 つまり、この発想においては「神は総てを決め給う。人間には自由意志がなく、神の命ずるままに決めたロボットに過ぎない」と考えることになる。

 この発想、一方に「万能の神」を、他方に「脆弱な人間」を置き、これを極限まで推し進めれば出てくる発想である。

 

 この点、この発想に対して「それでは、神の支配する全体主義国家ではないか」と考えるかもしれない

 その感覚は正しい。

 特に、人間を神と考える日本教の観点から見た場合は。

 しかし、キリスト教には大なり小なりこの発想がある

 例えば、ソ連共産主義にはこの発想があった。

 そして、人間の力、ソ連の幹部の力は全知全能の神にはるか及ばないものであったため、ソ連は崩壊した。

 しかし、ソ連の幹部ではなく神が同様のことを行えばどうなるか。

 神は全知全能であり、無限の力が行使できる。

 5000兆円どころではない。

 ならば、ソ連のような統制体制を完璧に運営できると考えることになる。

 

 なお、キリスト教と聖書が全体主義的な志向をを持ちうるということについては、以前、読書メモに書いた次の記事などが参考になるかもしれない。

 リンク先をここに貼っておく。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 ところで、一般の宗教は「信仰する者、規範を遵守する者は、救済される」と考える。

 しかし、この発想は「人間は信仰した、または、規範を遵守した。よって、神はその人間を救済した」ということになり、因果律的な前提を置いている

 また、「人間の信仰・規範順守が神を操るという」という意味で呪術的でもある

 よって、「信じる者は救われる」という発想は「神は絶対にして、総てを決定する」という発想とは相容れないことになる

 

 

 その結果、キリスト教社会では「人間が信じれば神が救うのか」、あるいは、「神が一方的に救済するか否か決定するのか」という点が問題になった。

 そして、正教・カトリック教会・プロテスタントで結論が分かれた。

 そのうち、「神が救済を決定する」を全面的に採用したのが、プロテスタントということになる。

 神の絶対性を否定すればキリスト教は成り立たないことを考慮すると、聖書への原点回帰を旨とするプロテスタントがこの見解を採用するのは当然のことである。

 

 もっとも、この予定説はキリスト社会に受け入れられていたわけではない。

 現に、カトリック教会と正教会はこの見解を採用していない。

 なにしろ、この予定説を採用することは、「人間の為す行為は神の意志によるもの、人間の意志決定には何も意味がない」と考えるのと同義なのだから

 自己評価の低かった私はある程度すんなり受け入れることができたが、まあ、普通の人は素直にうなづけないであろう。

 イギリスの詩人、ジョン・ミルトンは予定説を批判し、「たとい地獄に堕とされようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と述べたらしいが、それが素直な反応であろう。

 日本教徒なら「(空気によって)退治すべき対象」にまでなってしまうかもしれない。

 

 

 さて、ジャン・カルバンの予定説。

 この点について、ユダヤ教からキリスト教を独立させたパウロはどのように考えていたのか。

 これに対してカトリック教会はどうしたか。

 それらについて見ていきたいところではあるが、分量が相当量になっているので、今回はこの辺で。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 11

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

11 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(前編)

 

 前節(第2章の第1節)で、ユダヤ教キリスト教イスラム教が奉じる「神」についてみてきた。

 キリスト教イスラム教・ユダヤ教の奉ずる神は「人格をもった絶対神」である点は共通する。

 しかし、その性格は大きく違う。

 

 第2章の第2節のタイトルは「予定説と宿命論_イスラムにおける『救済』とは何か」。

「救済」の具体的内容について、ユダヤ教キリスト教と比較しながらみていく。

 

 

 この点、古代イスラエル人が信仰した絶対神

 彼らが信仰した絶対の神は苦難をもたらす神、必ずしも幸福をもたらさない神であった。

 また、この神は自らの民でさえ滅すことを厭わない。

 その最たる例が、イスラエルの民がエジプトを脱出してシナイ山の麓で野営しているときにおきたエピソードである。

 

 エジプトから脱出したイスラエルの民はシナイ山の麓で野営する。

 その野営中、神から呼び出されたモーセシナイ山に登り、キャンプを留守にした。

 そのとき、イスラエルの民はエジプトに住んでいたころに拝んでいた犢(こうし)の像を作り、その像を拝みだしたのである。

 

 この行為は偶像崇拝であり、律法に反する行為である。

 これを知った神は怒り狂い、「このような民は皆殺しにしてくれる」モーセに告げた。

 他方、モーセは必死に神を説得する。

 このモーセの説得により神はイスラエルの民の抹殺を思いとどまった、そう聖書は記している。

 

 なんと神は怒りにまかせて自らの民を皆殺しにしようとしたのである。

 せっかくなので、この部分をウィキソースの口語訳旧約聖書から引用してみる。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、『口語訳旧約聖書』の『出エジプト記』の第32章を引用、節番号は省略し改行でで対応、強調は私の手による)

 民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。

 アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。

 そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。

 アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。

 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。

 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。

 主はモーセに言われた、「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。

 彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。

 主はまたモーセに言われた、「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。

 それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。

 モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。

 どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、

 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。

 それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。

 モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。

 その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。

 ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。

 しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。

 モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。

 また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。

 モーセはアロンに言った、「この民があなたに何をしたので、あなたは彼らに大いなる罪を犯させたのですか」。

 アロンは言った、「わが主よ、激しく怒らないでください。この民の悪いのは、あなたがごぞんじです。

 彼らはわたしに言いました、『わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセは、どうなったのかわからないからです』。

 そこでわたしは『だれでも、金を持っている者は、それを取りはずしなさい』と彼らに言いました。彼らがそれをわたしに渡したので、わたしがこれを火に投げ入れると、この子牛が出てきたのです」。

 モーセは民がほしいままにふるまったのを見た。アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。

 モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。

 そこでモーセは彼らに言った、イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」

 レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。

 そこで、モーセは言った、「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた。それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう」。

 あくる日、モーセは民に言った、「あなたがたは大いなる罪を犯した。それで今、わたしは主のもとに上って行く。あなたがたの罪を償うことが、できるかも知れない」。

 モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。

 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば―。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。

 主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。

 しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。

 そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。

(引用終了)

 

「神がモーセの説得を受け入れ皆殺しを思いとどまった」という話は知っていたが、話はこれだけで終わらなかったらしい。

 皆殺しにこそならなかったが、相応の騒動にはなったようである。

 

 

 ところで、このエピソードには古代イスラエル人の宗教センスが反映されている。

 そして、この感覚を把握することがユダヤ教キリスト教イスラム教を理解するカギになる。

 

 そのカギは二点に集約される。

 一つ目は、古代イスラエルの民が奉じた「神」は感情の起伏が激しい人格神である、ということ。

 もう一つ、神に対し「人」は「合理的」に対処した、ということである。

 

 つまり、古代イスラエル人の奉じる神は、太陽神や儒教の「天」のような自然界を抽象化した存在ではなく、意思や感情、そして、人格や個性を持っている。

 また、感情の起伏も穏やかではなく激しい。

 

 さらに、シナイ山で神はモーセから「ここで自分の民を皆殺しにすれば、エジプトの民から『あの神は自分を奉ずる民を騙して連行し、皆殺しにした』と言われますよ」と言われて、皆殺しを思いとどまった。

 このことから、この神様はエジプトの民(自分の民より恵まれている異教徒というべきか)の評判が気になるらしい。

 絶対神ともあろうお方がなぜそのようなことを気にしなければならないのか、よくわからないところではあるが。

 

 

 もう一点、対象を神から人(モーセ)に移すころで別のことがわかる。

 モーセは神を「言葉」で説得した。

 つまり、神に対して人は合理的な対処をした

 この合理性こそが古代イスラエルの宗教の特徴であると喝破したのが、かの大学者マックス・ウェーバーであった。

 

 

 この点、古代に遡ってみれば、イスラエル人の存在感はなきに等しかった。

 そのことをマックス・ウェーバーは「賤民」という言葉を用いて表現した

 読み方は「せんみん」であるが、「選民」ではない。

 

 事実、イスラエル人はエジプトを脱出してカナンにてイスラエル王国を作るが、のちに分裂、結果的に、バビロン捕囚の憂き目にあう。

 その結果、古代イスラエル人の記録は歴史書の片隅に記載されておしまい、ということもありえた。

 ところが、この古代イスラエルの宗教センスからユダヤ教キリスト教イスラム教といった宗教を生み出し、世界を完全に変えてしまった。

 その理由、つまり、古代イスラエル人の宗教の特徴(他の宗教との相違点)は何か。

 その特徴こそ「宗教の合理化」である。

 

 

 話はここで「一神教」に移る。

 この点、古代エジプトでは多数の神々が信仰の対象となっていた。

 古代ギリシャやヒンディー教、過去の日本のように。

 しかし、多神教から一神教に変えようとする試みが行われた。

 つまり、エジプトの王イクナートンは太陽神アテンのみを信仰し、他の神に対する信仰を禁止しようとした。

 もっとも、この試みは失敗し、イクナートンの次の次の王であるツタンカーメン多神教に戻すことになる。

 

 このように、一神教はいきなり一神教ができるのではなく、「多神教における神々が整理されて一つの絶対神に収束する」という形で出来上がる

 そして、そのことは古代イスラエルでも例外ではないらしい。

 

 

 さて、先ほど述べた「宗教の合理化」

 古代イスラエル人は「人格や意思を有する神」を崇拝するだけではなく、崇拝方法も合理的にしていった。

 では、その「合理化」とは具体的に何を意味するのか。

「宗教の合理化」は「呪術からの脱却」という形で具体化されることになる。

 

 この点、宗教と呪術は切っても切れない関係にある。

 例えば、呪術というと「黒魔術」とか妖術師といったものを想定するかもしれない。

 あるいは、五寸釘とか雨乞いとか。

 しかし、宗教学の範囲で見た場合は呪術の範囲はもっと広い。

 例えば、神社で手を合わせて神様に大学合格や安産などを祈る。

 このような「神に対してよい結果をもたらすようお願いすること」も呪術である。

 

 と、このような結論を示すと「呪術が伴わない宗教なんかあるのか」と疑問に思うかもしれない。

 しかし、本来の宗教は呪術は厳禁である。

 そのことは、ユダヤ教イスラム教、キリスト教などの啓典宗教はもちろん、儒教や仏教も例外ではない。

 その点について日本人がピンとこないのは、日本がその意味で呪術の園だからである。

 そこで、呪術の決別と宗教の合理性について深く見てみる。

 

 

 この点、まっとうな宗教は呪術を嫌う

 そのことを理解することがイスラム教をはじめとする宗教を理解する大事な鍵である。

 では、ここで述べる「呪術」とは何か。

 簡単に述べると、呪術とは「人間が神を操ること」をいう

 

 この点、ユダヤ教の「十戒」に関する部分をウィキソースから引用する(リンク元は上と同じ)。

 

(以下、『口語訳旧約聖書』の『出エジプト記』の第20章の第2節から第17節まで引用、節番号は省略し、改行によって対応、強調は私の手による、また、強調した部分が十戒の条項である)

「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。

 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。

 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、

 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。 

 あなたは殺してはならない。

 あなたは姦淫してはならない。

 あなたは盗んではならない。

 あなたは隣人について、偽証してはならない。

 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

(引用終了)

 

 この十戒のうち、日本人にとってピンとこないのが、3つ目の「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。」である。

 何故、神の名前を述べることがダメなのか。

 この規定は他の九か条と同様、重要な規定であり、形式的なものではない。

 とすれば、逆に、「神の名前を述べることに重要な意味がある」ことになる。

 では、神の名前を述べることにどんな意味があるのか?

 この点を理解することで呪術の意味が理解できると考えられる。

 

 

 古代イスラエルの神は自分の名前を明かすのを嫌う。

 そのことは、神がモーセに対してエジプトに行ってイスラエルの民を救ってくるように命じた際にもみることができる(『出エジプト記』の第3章)。

 最初、神はモーセに対して「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(訳は上のウィキソースより、「出エジプト記」の第3章第6節)と名乗るが、本名を明かさない。

 モーセも、エジプトにいるイスラエルの民から「その神の名前は何というのですか?」と質問されて答えられないのも困るので、神の名前を頂戴しようとする。

 そうすると、神は「わたしは、『有って有る者』」と返答したりしている。

 まあ、神は最終的に自分の本名(ヤハウェ)を明かすわけだが。

 

 もちろん、他にもエピソードがある。

 例えば、アブラハムの子孫にしてイスラエルの直接の先祖にあたるヤコブとのやり取りでもそのような傾向を見ることができる。

 ヤコブは神と格闘して、神を負かす。

 そして、彼は神に「どうかあなたの名前を教えてください。」と尋ねるのだが、神は「なぜ私の名前が知りたいのか。」と言って、本名を教えなかった(『創世記』の第32章)。

 

 

 では、何故十戒では神の名前を唱えるのを禁じたのか。

 それは、「人間が神の名前を唱えることが呪術に、神を操ることにつながるから」である。

 

 例えば、先ほどの神にお祈りをして願いをかなえる例を考える。

 神の名前(願いをかなえてほしい人の名前)を述べ、願い事を言い、所定の行為(祝詞を唱える、いけにえを捧げるなど)を行う。

 その結果、神がそのお願いをかなえる。

 このルーチンワークを見ると、神の名前を呼ぶことは「願いをかなえたい人が神を操って願い事を実現する手段」の出発点にあたる。

 これが「神の名を呼ぶことが呪術につながる」の意味である。

 

 呪術の本質は神をして人間の思い通りの行為をなさせしむることだと述べた。

 そして、古来から神を操るための手段として、祝詞だの護摩壇だの生贄などの手段が開発されてきた。

 こうした呪術を知っている人間を魔術師などと言ったわけだが、こうやってみれば古代の宗教の神官も似たようなものである。

 これらの神官たちは「自分は神のしもべである」といった風な顔をしているが、彼らが重用されるのは人間の都合にあわせて神を操る方法を知っているからである。

 もちろん、人の願いを実現するのは神であって神官ではないとしても。

 その意味で、古代宗教の神官とは神と交流・会話する存在ではなく、神を操る存在といえる。

 

 

 この点、このような呪術は世界中にあり、古代エジプトに限った話ではない。

 その意味で宗教と呪術は密接な関係がある。

 人間のわがままさを考慮すれば、これはしょうがない。

 ただ、倫理的な宗教者はこのような呪術を嫌い、なんとか追放しようとする。

 

 この点を仏教を通じてみてみる。

 法前仏後で構成される仏教の世界では釈迦といえども世の法則を覆すことはできない。

 とすれば、仏や操る、あるいは、法則をねじまげる呪術といったものが存在する余地はないように思える。

 しかし、神通力なるものは存在する

 これはテレパシー、未来予知といった超能力のようなものである。

 

 この点、釈迦はこの神通力を持っていた、と言われている。

 しかし、釈迦自身は神通力の開発を奨励しなかった。

 というのも、神通力は修行をすれば自然と備わると考えられていたところ、神通力の取得を目的とするのは本末転倒になってしまうからである。

 

 もっとも、この釈迦の精神は仏教の普及とともに廃れていく。

 本来、仏教では悟りを得るためには出家をしてサンガに入り、修行をする必要があった。

 しかし、仏教が広がり、多数の在家信者が生まれることで、「出家しないで悟りを得る方法はないか」という要求が高まることになる。

 その結果、生まれたのが大乗仏教である。

 

 そして、仏教の広がりと仏教の大衆化は呪術の発達を促した。

 仏や菩薩を動かして人間の願いをかなえる方法が開発されるようになったのである。

 その一方で、仏教の普及に神通力を用いるといったことも行われるようになる。

 

 

 このような宗教に対する呪術の進入は仏教に限った話ではない。

 例えば、儒教についてみてみる。

 集団救済を想定する儒教でも呪術の出番はない。

 このことは、顔回が病に倒れたときに孔子が何もしなかった、つまり、天に対して何もしなかったことからもわかる。

 もちろん、他にもエピソードはある。

 

 儒教においては正しい政治を行うことで集団が救済され、その結果、個人が救済されると考える。

 その意味で呪術に頼ることに意味がない。

 しかし、儒教も時代を経るにつれ、呪術的要素が混入する。

 その過程を経て生まれたものの一つに陰陽道がある。

  

 このように仏教も儒教も呪術による進入を免れることができなかった。

 そもそも、人間の本性から考慮すれば、宗教が呪術の園になるのは不可避的である。

 そのことは山本七平がいうところの日本の「雨」を見ればわかるかもしれない。

 

 しかし、古代イスラエル人は呪術への傾斜を徹底的に拒否し、宗教の合理化への道をまい進することになる

 もちろん、その過程に紆余曲折があるとしても。

 

 つまり、神が絶対にして万能であるならば、人間に神が操れるわけがない

 もし、人間が神を操れるなら、むしろその神のレベルはたかがしれている。

 そのように考えたのである。

 

 イスラエルの神が自分の名前をいうのを嫌った理由はこのことが背景になっている。

 つまり、イスラエルの民が自分の名前を呼び、自分の操ろうとすることを警戒した、嫌った、というわけである。

 まあ、絶対の能力を持つ神なら名前を教えたくらいで操られるわけないと考えそうなものではあるが。

 

 このことで「神を名をみだりに呼ぶこと」を禁止した理由も見える。

「神に願い事をして、その願いを聞いてくれる」と考え、また、お願いをすることは不合理な行為である。

 というのも、「神に願い事をして、その願いを聞いてくれる」と考えることは「神が人間ごときに動かされること」を意味し、「神は万能・絶対である」ということと両立しないから。 

 このように徹底して合理的に考えていくことで、呪術を追放していった。

 その結果、普通の宗教とは逆の方向に進んでいったのである。

 そして、この発想が当時ちっぽけだったイスラエルの宗教が世界を変えた秘訣でもある。

 以上がマックス・ウェーバーの主張である。

 

 

 うーむ、参考になった。

 しかし、こう見ると、日本教のモデルタイプは古代イスラエルの宗教のモデルタイプと真逆に位置するように見えなくもない。

 合理化を徹底したのが古代イスラエルの宗教なら、不合理を徹底したのが日本教というか。

 この妄想(仮説というにもおこがましい超適当な私の思い付き)、暇があったら考えてみたい。

 

 では、今回はこの辺で。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 10

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

10 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第1節」を読む(後編)

 前回と前々回は、古代ユダヤ教キリスト教における「神」のイメージを見てきた。

 今回からイスラム教における「神」のイメージをみていく。

 

 

 ユダヤ教キリスト教と異なり、イスラム教における神アッラーは寛大である。

 このことは、クルアーンが「神が慈悲深い」ことを強調していることからも明らかである。

 なお、クルアーンの冒頭については次のウィキペディアの記事が参考になるだろう。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 もっとも、アッラーは、過去にモーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)などの預言者を派遣した、また、アブラハム(イブラーヒーム)の前に現れた、とも述べている。

 つまり、ユダヤ教の神ヤハウェイスラム教の神アッラーは同じ、ということになる。

 そこで、従来の神のイメージとアッラーの違いに対する説明が必要になる。

 

 では、イスラム教はこの点をどう説明しているか。

 簡単に言えば、ユダヤ教徒キリスト教徒は『神』を誤解している」ということになる。

 

 つまり、「もし、神がユダヤ教徒キリスト教徒が考えているような恐ろしい存在・心の狭い存在・慈悲のない存在だとしたら、ソロモン(ダビデ王の息子)の『異教の神を祀った行為』に対して、ユダヤの民がゾドムやゴモラの民のような皆殺しの結末を迎えていないのは何故だ?」と考えるのである。

 この点、ソロモンの異教の神を祀った行為は十戒の冒頭にある第一条の「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」に抵触する(出エジプト記第20章・第3節、口語訳旧約聖書へのリンクは次の通り)。

 

ja.wikisource.org

 

 異教の神を祀る行為が一神教における大罪であることは言うまでもない。

 その結果、イスラエル王国は分裂し、滅亡した。

 また、イスラエルの民はバビロン捕囚やディアスポラなどの悲劇を味わうことになった。

 しかし、ユダヤ民族は健在である。

 ヨシュア記に出てくるカナンの先住民、創世記に出てくるゾドムやゴモラの結末と比較すれば、「異教の神を祀ったソロモン王の行為に対する処分」としてはかなり寛大である。

 なお、ゾドムとゴモラ偶像崇拝の罪を犯したわけではないのに皆殺しの憂き目にあっている。

 旧約聖書の記載だけではこの程度の処分で済んだ理由が説明できない。

 

 イスラム教ではその理由を「アッラーが慈悲深いから」と説明する。  

 つまり、アッラーは慈悲深い。だから、ユダヤ民族の数々の背信的行為に対して、皆殺しといった厳格な処分ではなく、王国の滅亡と民族離散といった寛大な処分で済ませている。にもかかわらず、それを異教徒たち(ユダヤ教徒キリスト教徒)は『神は恐ろしいもの』と誤解している」と説明するのである。

 まあ、これなら合理的な説明と言いうるし、十分に納得しうるものにはなっている。

 日本教天皇教などから見た場合、別の評価がありうるとしても。

 

 

 ここで、話は神の慈悲深さから教理の整合性・合理性について進む

 つまり、イスラム教はユダヤ教キリスト教と比べて教理の整合性・合理性が高い、という点に進む。

 もっとも、イスラム教はユダヤ教キリスト教の後に生まれた啓典宗教であることを考慮すれば、当然の結果とも言いうるが。

 

 例えば、マホメット預言者であるが、人間に過ぎないと規定した点。

 キリスト教ではイエス・キリストに関する議論が紛糾し、ローマ帝国の皇帝が二ケア公会議が開いた。

 その過程でキリスト教は「三位一体説」を採用していくことになる。

 ただし、二ケア公会議によって事態は収拾せず、その後、カルケドン公会議によって「三位一体説」を確認したことは第1章でみてきたとおりである。

 これに対して、イスラム教では「マホメットは『預言者』だが、人間に過ぎない」と規定し、このような問題が起きないようにしている。

 

 また、「悪魔」に関する扱い方もイスラム教の教義の整合性・合理性を示す根拠になる

 聖書にはいたるところに「悪魔」(サタン)が登場する。

 もちろん、イエス・キリストの前にも悪魔が出現した。

「ルカ福音書」の記載に従うと、悪魔はイエス・キリストに対して様々な誘惑を仕掛けるが、イエス・キリストは悪魔の誘惑を拒み続け、ついには、悪魔は退散する。

 また、イエス・キリストは伝道の途中で様々な奇蹟を起こす一方で、そのたびに「これは悪魔の力を借りたのではない」と釈明する。

 このようにたびたび聖書で登場する悪魔だが、ユダヤ教キリスト教ではこの悪魔の位置づけが曖昧である。

 

 この点、啓典宗教において神は造物主である。

 よって、悪魔も神が作ったことになる

 この場合、キリスト教のようにイエス・キリストが神であれば、「悪魔の力を借りたわけではない」などと釈明する必要はない。

「悪魔であっても所詮は神である私が作った物に過ぎない。神である私が悪魔を操って(命令して)、奇蹟を起こしてやったんだ」と言った方が論理的にすっきりするし、合理的でもある。

 しかし、その神が悪魔との関連性を否定するのは不可解である。

 また、聖書では神が作ったであろう悪魔が神に敵対する

 となれば、「何故、神はそのような悪魔を作ったのだ」ということになり、矛盾しているように見える。

 

 これに対して、イスラム教における悪魔の定義は明快である。

 イスラム教の悪魔は「神が『天使として作った物』が、なんらかの理由で神に罰された結果生まれた者」ということになる

 つまり、「悪魔は神が作った、かつ、悪魔は神に罰せられた。よって、人間は悪魔に近づいてはいけない」ということでこれまた明快な説明がある。

 もちろん、これに対して「では、神は全知全能であるにもかかわらず、結果的であるとはいえそのような失敗作をおつくりになられたのか?」と言いうるとしても。

 

 これまで悪魔の話をもってきたが、天使についても同様である

 ユダヤ教キリスト教では天使について判然としない。

 また、宗教改革の際にルターが天使に関する記載があったものを外典として追放した。

 その結果、天使とは「なんとなく存在していたもの」、「さまざまな傍証から神の召使と推定されたもの」であった。

 他方、イスラム教では天使とは神に仕える清浄な霊であり、六信のうちの二つ目(天使、マラク)になっている

 

 もちろん、後発性を考慮すれば、「そりゃそうだよね」という感想を持つとしても。

 

 

 ところで、ユダヤ教キリスト教と異なり、イスラム教におけるアッラーは慈悲深い神である点が大きく異なることを述べた。

 そのことは「異教徒に対する態度」に現れている。

 

 既に述べた通り、クルアーンでは「宗教に強制なし」と述べている部分がある(クルアーン第2章)。

 特に、啓典の民であるキリスト教徒やユダヤ教徒に対してはより寛大だった。

 少なくても「異教徒は人ではない。むしろ、虐殺することが正義にかなう」といったレベルからかけ離れていることは明らかである。

 

 本書では、歴史的観点からキリスト教徒に対する寛容性を裏付ける事実を二つ挙げている。

 

 一つ目は1453年、コンスタンティノープル(現イスタンブル)の陥落による東ローマ帝国ビザンティン帝国)の滅亡。

 十字軍による一時的な陥落はあったものの約1000年以上続いた東ローマ帝国の滅亡、また、正教会の本拠地であるコンスタンティノープルの陥落がヨーロッパに与えた衝撃は大きかった。

 もっとも、オスマン帝国コンスタンティノープル陥落後もギリシア正教の存続を許した。

 また、キリスト教徒の信仰・教会の自治権も一定の条件付きで認めた。

 現在でもコンスタンティノープル教会は存続しており、正教会の席次においては筆頭の地位を占めている。

 

 

 もう一つの例として書かれているのがコプト教の例である。

 コプト教は三位一体説の解釈において「イエス・キリストは人であり、かつ、神である。ただし、バランスを見れば神性が人性を圧倒している」と考える。

 この発想は三位一体説と矛盾するわけではない。

 この点は「イエス・キリストは偉大なる人ではあるが、神ではない」と述べ、イエス・キリスト教の神性を否定したために異端として排除されたアリウス派と異なる。

 しかし、コプト教会はカルケドン公会議をきっかけに孤立し、一時はエジプト教会からも追放された。

 このまま何事もなければコプト教会は歴史の中に埋没していたことであろう。

 もっとも、イスラム帝国アレクサンドリア征服によって流れが変わる。

 イスラム帝国コプト教アレキサンドリア帰還を許可したのである。

 

 コプト教会の教えはイスラム教の「イエス(イーサー)は預言者であるが、神ではない(人に過ぎない)」という発想からすれば大違いである。

 この点については、異端として排除されたアリウス派の発想の方がイスラム教の教えに近い。

 しかし、当時のイスラム帝国コプト教の存続を許した。

 その後、コプト教はエジプトを中心に活動している。

 

 もちろん、歴史を見れば、逆の例も大いに存在するだろう。

 それでも、カナンの例や大航海時代以後に新大陸やアジア・アフリカで行ったキリスト教徒(カトリックプロテスタント)の行為と比較すれば、その差はある程度明らかである。

 そのことは本書の次の話題によって補強される。

 

 

 話題はここからイスラム教からキリスト教に移る。

 これらのイスラム教の態度に対してキリスト教はどのように応えたか。

 これまでの記載、あるいは、17世紀にヨーロッパ内で起きたプロテスタントカトリックの抗争などを見れば、答えは想像のとおりである。

 

 本書ではその例を二つ挙げている。

 一つ目は十字軍である。

 この十字軍はセルジューク・トルコに対して劣勢となっていた東ローマ帝国カトリック教会に援助を求めることで始まった。

 東ローマ帝国の援助に対してカトリック教会は聖地エルサレムの奪還をもくろみ、十字軍を編成することになる。

 この十字軍の一行、または、聖地エルサレム奪還の熱狂に推されて立ち上がったキリスト教徒がやらかしたことは、このメモでは「まあ、お察しのとおりである」と述べるにとどめる。

 本書では、「宗教に名を借りた『ならず者集団』だったと理解した方が、ずっと実態に近い」とまで酷評されている。

 

 これに対して、イスラム側はどうだったか。

 第1回十字軍が編成されたころ、アラビア社会はセルジューク朝が分裂し、相互に争っていた。

 そのため、イスラム社会は大同団結することができず、領主の中には十字軍に降伏・味方する者もいた(まあ、侵攻してきたならず者集団に領土と領民を蹂躙されるよりもマシな道を選んだ、とも言える)。

 その後、十字軍に対する反撃において主導的な役割を果たすのが、サラーフッディーンサラディン)である。

 このイスラム社会の英雄は、第1回十字軍侵攻時にエルサレムを領有していたファーティマ朝(エジプト中心のイスラム王朝)の宰相であり、後のアイユーブ朝の君主である。

 サラーフッディーンエルサレムを奪回、第3回十字軍ではリチャード1世の攻撃に耐え、守り抜いている。

 その態度はヨーロッパ人を驚嘆せしめ、12世紀に戴冠したドイツ王に対してとある詩人がサラーフッディーンの言葉を引用したと言われている。

 また、捕虜の取り扱いも公平であった。

 たびたび休戦協定を破った者(ルノー・ド・シャティヨン)は容赦なく斬首しているものの、捕虜だからといって直ちに処刑するといったことはなかった。

 総てのイスラム教徒がこのような紳士的態度だったかはさておくとしても、両者の違いは雲泥の差である。

 

 十字軍の話はこの辺としよう。

 本書で取り上げられているもう一つの例がイベリア半島(スペイン)でなされた異端審問(宗教裁判)である。

 

 まず、本書に記載がないイベリア半島の歴史を確認する。

 イベリア半島キリスト教西ゴート王国が支配していた。

 その後、ウマイヤ朝の時代にイスラム教勢力に征服される。

 もっとも、11世紀のコルドバウマイヤ朝の滅亡により、それまでのイスラム教とキリスト教のバランスが崩れる。

 そして、13世紀にはグラナダ王国を除いてイスラム教の王国は駆逐され、1492年にはグラナダ王国も滅亡する。

 

 この点、イスラム教がキリスト教に寛容だった点はイベリア半島でも同様であった。

 無論、人頭税といった負担や社会的な差別があったことは否定できないとしても。

 もっとも、イスラム教に改宗した人間は少なくなく、レコンキスタが終了した後もイベリア半島にはグラナダを中心にイスラム教徒が残留していた。

 また、レコンキスタが完了するまではユダヤ教徒イスラム教徒に対して寛容であった。

 以上、歴史の確認終了。

 

 しかし、レコンキスタの終了、スペイン王国の成立などによりイベリア半島にとってイスラム教徒の運命は大きく暗転する。

 スペイン王国は、改宗か国外退去を迫るようになる。

 それに対して、ムスリムは表面上の改宗でしのごうとする。

 しかし、隠れキリシタンは不可能でなくても、隠れムスリムというのは不可能である。

 何故なら、クルアーンには様々な行動規範があるので、メッカに向かって礼拝していることを見つかれば直ちにばれてしまうから。

 さらに、本書に記載されていないが、スペインは17世紀に隠れムスリムことモリスコを国外追放している。

 

 この辺の話も、新大陸でスペインがしてきたことを見れば「お察しのとおり」と言うしかない。

 

 

 もちろん、「イスラム教が異教徒に寛容である」といっても、近代社会のような「信教の自由」があるわけではない。

 また、異教徒に対して人頭税が課せられていたこと、社会的な区別ないし差別があったのは事実である(もっとも、イスラム教徒には喜捨の義務があった)。

 さらに、後述する通り「寛容だ」といっても限度がある。

 

 しかし、日本やヨーロッパに流布されているイメージの中では「イスラム教の持つ寛容性」は全く見られないと言ってよい。

 本書では、「コーランか、剣か」を参照しながらその点を紹介している。

 

 著者は「コーランか、剣か」というイメージにまつわる有名な話としてイスラム教徒は剣とクルアーンを引っ提げて、全世界を荒らしまわった。被征服者に剣を突きつけて、『クルアーンを信じなければ殺す』と脅かした」という話からこんなことを述べている。

 この話が正しければ、そのイスラム教徒は両手にクルアーンと剣を携えていたことになる。

 では、クルアーンをどちらの手で持っていたのか

 左手にクルアーン、右手に剣を持っていた場合、イスラム教徒にとって不浄の手でクルアーンを持っていたことになるが、これはイスラム教徒としてあるまじき行為ではないか。

 逆に、右手にクルアーンを持ち、左手に剣を持っていたなら、イスラム教徒はみな左利きになるように訓練していたことになるが、戦争という高い合理性が要求されるところでそんな不合理なことをするのか、と。

 まあ、右手、左手云々は冗談であるし、これを論破することはそれほど難しくないとしても(右手で剣を持ち、コーランは背に担いでいたその他)。

 

 

 もちろん、イスラム教が異教徒に対して寛容だ」といったところで限度はある

 そして、イスラム教が絶対許さないものとして「偶像崇拝」がある

 もちろん、ユダヤ教でも偶像崇拝は宗教的大罪である。

 このことはヤハウェモーセに与えた十戒において偶像を拝むことを禁止していることからも明らかである。

 

(以下、ウィキソース出エジプト記第20章の第4節から第6節まで引用、節番号は省略、文毎に改行、ウィキソースのリンクは次の通り)

 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。

 上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。

 それにひれ伏してはならない。

 それに仕えてはならない。

 あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

(引用終了)

 

ja.wikisource.org

 

 よって、古代イスラエル王国でイスラエル人はモーセ十戒を刻んだ石を運んだ箱(聖櫃)を神殿において、それに頭を下げた。

 この点はイスラム教徒も同様であり、イスラム教の聖地、メッカのカーバ神殿に安置されているのは聖なる黒石である。

 ちなみに、クルアーンによると、カーバ神殿を作ったのはアブラハム(イブラーヒーム)とその庶子であるイシュマエル(イスマーイール)であると言われている。

 このイシュマエルの子孫がアラブ人とされている。

 

 

 ちなみに、キリスト教ユダヤ教イスラム教と同じ啓典宗教である。

 しかし、偶像崇拝に対する規範意識が弱い。

 それが証拠に、キリスト教ではイエス・キリストの像や聖母マリアの像があり、それに頭を下げていた。

 これが偶像崇拝にあたることは言うまでもない。

 

 この偶像崇拝を嘆いたのが、宗教改革において大活躍した神学者ジャン・カルヴァンである。

 カルヴァンは「聖書に戻れ」と主張して、各地のイエス像やマリア像などの偶像を破壊していくが、いつの間にか尻すぼみになってしまった。

 このカルヴァンの行為は日本社会から見れば文化財破壊運動であり、過激な行為に見える。

 しかし、聖書から考えれば筋は通っている。

 特に、イスラム教では偶像崇拝は徹底しており、神の像はおろか、マホメットの図画・像を作ることさえ禁じている。

 その点は他人や異教徒に対しても容赦がない。

 

 本書では、タリバン政権によるバーミヤン石仏の破壊の事件について触れている。

 この点、文化財の破壊としてみた場合、タリバン政権の行為に対して非難することは十分可能である。

 また、財産権不可侵その他のロジックによって非難することも不可能ではない。

 しかし、タリバン政権から見た場合、石仏を拝んでいる仏教徒に対して、仏教徒がすべきことは『修行による解脱』であり、仏像などといった『ただの石くれ』を拝む必要はないし、むしろ、解脱から遠のくのではないか」などと反論されることにはなろう。

 これに対してどう再反論するのか、あるいは、行動するのか。

 感情的な反発が生じることは十分あり得るし、それは当然である。

 しかし、感情的な反発だけで終えるのであれば、イスラム教に対する理解もイスラム教徒との交流も不可能である。

 もちろん、理解することとそれに対してどう行動するかは全部別問題である

 また、理解する気がない、交流する気がないというのであれば、構わないとも言いうるが。

 

 

 ところで。

 クルアーンには「聖戦(ジハード)」という言葉がある。

 また、イスラム教では、イスラム教の国家を「イスラムの家」、それ以外の地域を「戦争と家」と区別し、「イスラム教徒は戦争の家をイスラムの家に変える努力をしなければならない。それが聖戦の義務である」としている。

 しかし、これまでの歴史を見る限り、イスラム教は「ただひたすら好戦的な宗教」ではない

 また、イスラム教を奉じるイスラム社会が現在押されているキリスト教社会に反撃し、余勢をかってアジア(インド圏・中華圏・日本)に進出したとき、必ずしもアジア圏において大航海時代の新大陸や19世紀のアジアで起きた惨劇が再来するわけではない。

 その意味で、世間のイメージと歴史との間には乖離がある。

 

 もっとも、それは「これまでの傾向」であって、ヨーロッパの侵略に懲りたイスラム社会が方針を調整することはありうる。

 さらに、イスラム社会の指導者によっては例外的に逆のことが起こることもある。

 それゆえ、無警戒でいいということにはならない。

 

 さらに、これまで見てきたように寛容性の基準が違うだけで、「無条件で寛容」というわけではない。

 この点は、日本における八百万の神々とは態度が異なる。

 そして、現在、イスラム社会から自爆テロのようなことをする人間も出てきている

 これらを見て、「信者に対して自爆テロのような殉教を勧めるアッラーは本当に慈悲深いのか?」と疑問が生じることは無理からぬことである。

 

 これに対する回答は「『殉教(自爆テロ)』と『異教に対する寛容』は矛盾しない」となる。

 ただ、これについて理解するためには、イスラム教における「救済」について理解しなければならない。

 そこで、次節からイスラム教・ユダヤ教キリスト教などにおける「救済」についてみていく。

 

 

 以上が、第2章第1節のお話である。

 うーむ、参考になった。

 

 ふと、イスラム教政権による石仏破壊の話題が出たので、少々気になった思考実験を。

 もちろん、これは本書に書いていない私の個人的感想(意見でさえない)である。

 

 現実ではイスラム社会と日本社会の接点は極めて少ない。

 地政学的にも距離がだいぶ隔てられている。

 しかし、仮に、日本教に拠る日本社会がイスラム社会の間近にあった場合はどうだろう。

 仮に、日本社会がイスラム社会に敵対しなかったとしても、イスラム社会が日本社会に対してその寛容性が発揮されただろうか?

 偶像崇拝に対する彼らの態度を見ると正直分からないところである。

令和4年の半年間の総括

0、はじめに

 7月に入り、令和4年も半分が終了した。

 そこで、この半年を振り返っておく。

 

1、生活記録から言えること

 3か月前の「令和4年の1月から3月までを振り返ったとき」にも同様のことを述べたが、私は令和3年から生活に関する記録を取っている。

 この点、どの範囲まで生活に関する記録を録るかについては開始当初に試行錯誤があったが、令和3年7月以降は次の記録を録ることで固定している。

 もちろん、記録の際にはリカバリーの方法も決めておく。

 大事なのは継続することであって、精度ではないからである。

 

 その結果、次のようなことが分かり、生活に関する私の基礎情報がそろった。

 

「この時間に何をしていたか(何もしていなかったか)」

「どの程度寝たか」

「どの程度歩いたか」

「どの程度食べたか」(内容・時間・カロリーの概算)

「体重はどの程度か」

「お金の出し入れはどうなっているか」

 

 これまでは「結果を評価することによる自己否定・モチベーションの悪化」を懸念して記録は録るだけにとどめ、細かい評価は行わなかった

 しかし、ここ1年半の諸々の活動により、私自身の自己否定の要素が非活性化している。

 ならば、少々細かい分析・評価などをしてもいいのかもしれない。

 

 

 なお、このような記録を録ることで、「あっという間に時が過ぎてしまった。その間、何もできなかった」と考えることがなくなった。

 もちろん、「『やりたいと考えていたこと』をどの程度消化できたか」と考えれば、暗澹たる結果と言うしかない。

 しかし、「具体的にしてきたこと」を記録を見ながら積み上げれば、そこそこの量になる。

 そのことが自己否定に向かうものをいくばくか緩和させていることは間違いない。

 

 また、自分の限界もわかり、かつ、それを受け入れられるようになった

 例えば、ここ1年間、睡眠時間について淡々と記録をつけている。

 よって、この1年間の睡眠時間の95%信頼区間の外側にある睡眠時間まで変える(減らす)のは容易ではない。

 そう考えることで、自己否定の感覚を持つことなく自分の限界を知り、かつ、その限界を受容できるようになった。

 

 もちろん、「もう少し活動時間の割合を増やしたいなあ」と考えることはなくはない。

 しかし、この1年間の傾向として活動時間は増加傾向にある。

 ならば、この増加傾向を捨ててまで生活時間の分配割合を変えに行く必要もないだろう、とは考える。

 別に、何かをしなければならない特段の緊急性もないのだから。

 

2 読書とブログについて

「令和3年から始めたこと」にこのメモブログと読書がある。

 そして、ブログの記事作成は順調に進んでいる。

 また、読書の結果、色々なことが相対化され、過去の私をがんじがらめにしていた呪いが解けた。

 

 この点、前回(令和4年4月)、「読書やブログに分配される時間が多い」という感想を持った。

 しかし、4月以降、読書やブログにかける時間は相対的に減少している。

 他にやること(これらのことはこのブログに書くことはできない)が増えたからであろうが、いいことである。

 

 ただ、7月に入ってからブログの記事作成が遅延気味になっている。

 この点について、週2記事のペースは維持したい

 

3 資格について

 前回でも述べたが、令和元年から令和3年までの間に6つの資格を取った

 また、今年の5月に1つの資格を取った

 ノルマは1年に2つの資格である。

 そこで、今年中にもう1つ資格を取りたい

 具体的に取ろうと思っている資格は「実用数学技能検定1級」であるが、これは一度失敗していることもあり、周到な準備が必要であると考えられる。

 また、次回の試験日は10月30日。

 そろそろ計画を立てないと間に合わなくなりそうだが。

 

 ところで、資格取得の主目的は「学習の習慣化」であり、「資格そのもの」ではない。

 また、現時点において、資格取得を通じて「学習の習慣化」が実現できているとは到底言えない。

 このことは、どの資格を取った際も、直近の一夜漬け・二夜漬け・一週間漬けみたいな感じになっていることからも明らかである

 もっとも、数学検定1級は一夜漬けやそれに準じたもので合格できるようなものではない。

 そこで、数学検定1級を目指す際には「学習の習慣化」という視点を大いに導入しようと考えている。

 

 ただ、学習の習慣化は読書やブログによって達成されている、と言えなくもない。

 メモブログを書くために専門書を読んで、内容をまとめるといったことをしているのだから。

 そのため、学習の習慣化が資格の取得によって達成されないなら、資格の取得という目的自体、やめてもいいのかもしれない

 

 あと、せっかく取った資格を対外的に活かす方法を考えるのもいいかもしれない

 もちろん、「学習習慣の確立・学習の成果」として資格を取ったのだから、活かさなければならない必然性はない。

 ただ、「チャレンジ」という観点からなら考えてみてもいいだろう。

 

4 体重について

 体重については令和2年の年末にガクンと下がり、その後、約1年間横ばいが続いたが、令和4年に入りまた下がりだした。

 少なくても体重の記録を開始して以降、体重が上昇したなどの事情はない。

 

 もっとも、適正体重から見た場合、自分の体重はまだまだ上にある。

 標準のラインまで、肥満のラインに入らない程度までは体重を下げたいところである。

 

5 プログラミングについて

 最近、プログラミングについては縁が遠くなっており、その状態を解消するために、5月にpython3エンジニア認定基礎試験といった試験を受けた。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 もっとも、遠くなっていた縁が近くなったかどうかは微妙である。

 というのも、この資格の勉強はほとんど一夜漬けだったし、その後、猛烈にプログラミングを始めたわけでもないからである。

 

 この点、このブログに書けない「他にやるべきこと」があるといったやむを得ない事情もある。

 ただ、どうしたものかなあ、とは考える。

  

 

 以上、半年を振り返ってみた。

 残り半年は「現状維持」・「健康維持」が目標。

 さて、3か月後や半年後、私はどう振り返っているだろうか。

司法試験の過去問を見直す5 その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

 前回は「憲法上の権利とその制限」について見てきた。

 ここからはいわゆる正当化、つまり、違憲審査基準とそのあてはめについてみていく。

 そして、教育の自由と営業の自由、それぞれの観点から見た場合の違憲審査基準は異なる可能性がある(同じになることもある)ので、権利毎に丁寧に見ていくことにする。

 

4 教育の自由に対する違憲審査基準

 まず、旭川学テ事件最高裁判決における教育の自由の評価を確認する。

 

・親の教育の自由

 子女に対する教育を行う義務に対応した教育の自由・学校選択の自由がある

・普通教育(初等中等教育)における教育の自由

 効果的な教育を行うためには目の前の子供に対応にあわせる必要があるという教育の本質的要請、公権力による不合理な介入は認められない、という意味で教育の自由が認められる

 ただし、児童生徒の批判能力の弱さ・普通教育における親の選択の幅の狭さ・全国一律の教育水準確保の要請を考慮すれば、その自由の程度は弱い

・国による教育への介入の許容性・許容範囲

 教育に携わる人間の自由の調整(これは各当事者の自由の調整にあたることから、「公共の福祉」による制約といいうる)

 子ども自身の利益の擁護のため、あるいは、子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるためのもので、かつ、必要かつ相当と認められる範囲

 

 以上を前提に、学校法人による幼児教育の自由についてまとめると次のようになる。

 

・教育は目の前の子供に対応して柔軟に行うべき、という教育の本質的要請、この本質的要請に対して国家による不合理な介入は認められないことを考慮すれば、憲法23条によって教育の自由を保障することができる

・私学による学校教育は親の学校選択の幅を広げることに資する点を考慮すれば、学習権を保障した26条の実質化に貢献するため、26条によっても教育の自由が保障される。

・もっとも、幼児は普通教育における児童・生徒以上に教育内容に対する批判能力が乏しく、教育者側に強い支配力・影響力があること、教育の自由は学習権に対する責務が伴っていることを考慮すれば、大学における教授の自由と同等に見ることができない。

 

 このように、本問で教育の自由を検討するなら、自由の認定に対する丁寧な検討が不可欠になるようである。

 また、このように見直してみると、当時、司法試験の勉強で見えてこなかった点が見えてくる。

 当時の勉強は何だったのだろうか、と感じないではない。

 

 

 さて、権利の認定・制限の認定は終わったので、次のステップ、つまり、違憲審査基準の設定に進む。

 違憲審査基準について考えるべきことは、権利の重要性・制限の程度・憲法上与えられた国家の裁量である(この辺は以前述べたことと同様である)。

 そして、違憲審査基準を決める大きな枠は「憲法上与えられた立法・行政の裁量」になるので、ここから考える。

 

 例えば、表現の自由に対する制限の場合、制限によって言論活動それ自体が封じられるため、その制限が不合理なものであった場合に政治過程での回復(言論活動による批判、国会や地方議会での討論による法律・条例改正、選挙による国会・議会の配分の変更)が困難であるから、裁判所は厳格な基準で対応することになる。

 他方、本問のような教育の自由を制限したとしても、制限に対する批判は自由であるから、政治過程での回復が困難であるとは言えない。

 また、憲法上、政府・自治体は社会福祉政策を行うことを予定している(憲法25条以下)ので、福祉政策の中に教育に関する政策は含まれている。

 以上の2点を考慮すると、教育の自由の違憲審査基準は合憲性の推定を基本とする「合理性の基準」によるべきだ、ということができる

 その意味では、教育の自由の大きなフレームワークは経済的自由と同じように考えることができる。

 

 もっとも、経済的自由の違憲審査基準については合理性の基準を前提として規制目的二分論がある。

 また、表現の自由の規制に対しても内容規制と内容中立規制で審査基準が異なる。

 これらのことを考慮すると、合理性の基準だけ示してあてはめに移るのはどうかと考えられる

 そこで、憲法から見た場合の権利の重要性と権利の制限の程度を見て合理性の基準を具体化していくことになる。

 

 まず、見落としてはならない重大なことは、幼稚園設立の不認可処分は法人の教育事業の機会を全面的に奪うという点である。

 つまり、「幼稚園を設立する以外の代替手段」を学校法人は採用できない。

 また、別の県で認可をもらえばいい、というのは現実的ではない。

 このことを考慮すれば、制限の程度の重大さを考慮して合理性の基準の範囲であってもより厳格に判断する、といったことは十分に考えられる。

 当時の勉強で見てきた答案はこの部分を強調し、「厳格な合理性の基準」を審査基準に設定して、違憲の結論にもっていったものが多かったと記憶している。

 

 しかし、幼児教育の自由の権利の重要性の程度は大学の教授の自由よりは弱い

 また、教育内容や教育行政に関する専門性については、裁判所は行政の専門知識を尊重せざるを得ない

 さらに、厳格な合理性の基準はいわゆる経済的自由に対する消極目的規制に用いられる基準であり、政治部門(国会・政府・自治体)の専門的判断がそれほど要らないときに用いられる基準である。

 そのような事情を考慮すれば、本問で厳格な合理性の基準をストレートに用いることに躊躇いを感じざるを得ない。

 

 そして、本問のような行政の専門分野に関する不許可処分が問題となった事件に酒税法事件という事件がある。

 酒税法事件の場合、関連する専門分野は租税であって、本問のような教育ではない。

 しかし、政府・自治体の専門的判断が重要になる点では本問と同様である。

 そして、この事件で最高裁判所明白性の原則(著しく不合理である場合に限り違憲)より少し厳しい「著しく不合理であること」を審査基準にした

 そこで、本件もこの基準を用いるのがバランスのいい結論なのかな、という感じがする。

 

 酒税法事件判決の関連部分を引用してみよう。

 この判決は営業の自由から論じているが、考え方は本問にも用いることができる。

 

 まず、判決へのリンクは次のとおりである。

 

昭和63年(行ツ)56号・酒類販売業免許拒否処分取消事件

平成4年12月15日最高裁判所第三小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/054281_hanrei.pdf

 

 まずは、許可制(認可制)に関する言及から。

 

(以下、酒税法事件最高裁判決の関連部分を引用、強調は私の手による)

 一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するものというべきである最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。

(引用終了)

 

 次に、専門判断と基準に関する部分をみてみる。

 

(以下、酒税法事件最高裁判決の関連部分を引用、強調は私の手による)

 また、憲法は、租税の納税義務者、課税標準、賦課徴収の方法等については、すべて法律又は法律の定める条件によることを必要とすることのみを定め、その具体的内容は、法律の定めるところにゆだねている(三〇条、八四条)。租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五号同六〇年三月二七日大法廷判決・民集三九巻二号二四七頁参照)。

 以上のことからすると、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項の規定に違反するものということはできない。

(引用終了)

 

 もちろん、この最高裁判決には補足意見と反対意見があるので、これ以外の選択がないわけではない。

 ただ、無理のない判断の一つにはなるだろう。

 

5 教育の自由から見た場合の違憲審査基準に対するあてはめ

 教育の自由から見た場合、憲法上の権利の認定と違憲審査基準によって既に書くことが多い。

 そのことを考慮すると、あてはめの部分を分厚くする必要はないのではないのか、という推測は働く。

 もっとも、あてはめを抜きで結論を出すことは不可能であるから、ここもちゃんと見ていく必要がある。

 

 まず、問題文を確認しよう。

 

(以下、上記教科書から過去問の部分を引用、ただし、版は私が持っているものである)

 学校教育法等の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。

 学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事に対してその許可を申請した。

 X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間の過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため、教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

 この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 不認可の理由を書きぬくと次のようになる。

 

 認可による幼稚園の新設→過当競争の発生→

 教育水準の低下・既存の幼稚園の休廃園の発生→

 入園者(幼児)とその保護者の選択の幅を狭めるおそれの発生

 

 ここで見ておきたいのは生じるであろう不都合の発生確率が「おそれ」である点である。

 明らかに発生するとか、具体的に発生する(蓋然性がある)、とまでは判断されていない。

 その程度の確率しかないのに不認可にしていいのか、という問題はありうる。

 審査基準が厳格な合理性の基準であれば、「抽象的なおそれしかなく具体的な蓋然性がない」ということで違憲になるだろう。

 

 しかし、ここで見るべきはこの判断過程が「著しく不合理か」という点である。

 その観点から見る限り、あるいは、定性的に見る限り、「幼稚園の新設→教育水準の低下・休廃園」という現象はありえない話ではない

 もちろん、競争状態に入ることで逆に教育の水準が向上する可能性もあるし、また、休廃園の理由が経営状態ではなく教育の質にあるのであれば、むしろ認可を認めたほうがいい、という判断は十分ありうるとしても、である。

 そして、裁判所が政治部門の専門判断を尊重するということは、そこに口出しするのはNGということになる。

「上がるか下がるか、確実なことは分からない」となれば、著しく不合理とまでは言えないだろう。

 よって、この基準では合憲ということになる

 せいぜい、「判断過程に利用した事実関係と現実の事実関係との間に著しい乖離があるなどの特段の事情のない限り合憲」という留保をつけるのが精いっぱいではないか、と考えられる。

 

 この点、この結論に対して釈然としないものがあるかもしれない。

 しかし、その場合、合憲の結論を書いた後に「もし、この判断が不当であるように見えても、政治活動による是正が不可能ではないので、著しく不当とまでは言えない」とでもフォローしておけばいいだろう。

 少なくても、この場面が司法積極主義を採用しなければならない場面とも言い難いから。

 

 

 以上、教育の自由から見た場合の問題の検討を行った。

 ただ、前回述べた通り、教育の自由よりも営業の自由の方が憲法上の保障の程度は強い。

 そこで、営業の自由で見たらどうなるのか、次回で検討する。

司法試験の過去問を見直す5 その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 今回から当分の間は過去問を検討する上での前提知識などの確認を行う。

 

2 憲法上の権利(1)_法人の人権と営業の自由

 本問では、「A学校法人の幼稚園設立計画の申請」に対してX県知事が不認可処分を出した。

 つまり、学校法人Aの幼稚園を設立する自由が制限されたことになる。

 まず、この自由を憲法上の権利とリンクさせなければならない。

 リンクしなければ、憲法上の問題が原則として発生しないからである。

 

 幼稚園の設立目的を金儲け(経済活動)に特化させて考えれば、制限された自由は「法人の営業の自由」に該当する。

 一方、幼稚園の設立目的が学校法人の理念に沿った教育を行うことにあることを考慮すれば、制限された自由は「法人の教育の自由」になる。

 では、これらの自由は憲法上の権利とリンクするだろうか?

 

 

 まず、自由の制限された主体が法人であることから「法人に人権があるか」という人権共有主体性の問題がなる。

 この点は、「一言だけ」触れたほうがいいだろう(触れないのも、長く書くのもまずい)。

 もちろん、現代社会において法人は社会的に実在する重要な構成要素となっているから、権利の性質上可能な限り肯定される」という言い回しを使って簡単に肯定してよい。

 

 

 次に、問題になるのが「教育の自由」・「営業の自由」が憲法上の権利と言いうるかである。

 なぜなら、条文が規定するのは「職業選択の自由」・「学問の自由」・「教育を受ける権利」に過ぎず、営業の自由や教育の自由を明文で保障していないからである。

 

 もっとも、憲法22条1項が「職業選択の自由」を認めた以上、選択した職業を遂行する自由、つまり、営業の自由を認めなければ職業選択の自由を認めた意味がない。

 よって、営業の自由も憲法22条1項によって保障されている、と考えられる。

 これは判例も認めていることなので、一言だけ触れる必要があり、それで足りる。

 

3 憲法上の権利(2)_教育の自由

 では、教育の自由についてはどうか。

 この点は、旭川学テ事件の「教育の自由」に関する最高裁判決の部分を確認する。

 

昭和43年(あ)1614号

建造物侵入、暴力行為等処罰に関する法律違反被告事件

 昭和51年5月21日・最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「旭川学テ事件」判決)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/016/057016_hanrei.pdf

 

(以下、旭川学テ事件最高裁判所判決から引用、

 ただし、文毎に改行し、段落は私による注により区別している、

 さらに、カッコは私の注であり、強調は私の手による)

(ここから第一段落)

 憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条であるが、同条は、一項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。

 この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。

 換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。

 しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。

 すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである

(ここから第二段落)

 次に、学問の自由を保障した憲法二三条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない。

 確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。

 しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。

 もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。

(ここから第三段落、最高裁判所の主張)

 思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。

 それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる

 子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。

 憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。

 そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである

 そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。

 もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。  

(引用終了)

 

 全部を引用してみたが、かなり長い。

 そこで、最高裁判所の見解を意訳・要約してみる。

 最初は私釈三国志風に意訳できないかと考えていたが、少し難しいので、単なる要約にとどめる。

 

(以下、旭川学テ事件最高裁判決の上記引用部分を私釈三国志風に意訳、意訳である点に注意)

 憲法26条が権利として保障していることは、①国民の学習権と②子どもが国に対して教育内容を整備するよう要求する権利である。

 それを受けて、憲法は、福祉国家の理念に基づいて①国の教育環境を設備する責務を定め、②親の子女に教育を受けさせる義務を定め、さらに、③義務教育の無償を定めた。

 このように見れば、憲法が定めているのは子供たちの学習権を充足するための関係者の責務であって、教育によって子供を支配する権利ではない

 また、教育内容を決定する権限については憲法に明文がない。

 ならば、当然に国会・政府にあると見ることもできない。

 よって、国家教育権説(に基づく検察官の主張)はこれらの憲法規定とは適合しないし、極端であるから妥当でない。

 次に、学問の自由を保障した憲法23条により学校の教師に教育の自由を認めることができるだろうか。

 確かに、学問の自由には教授の自由が含まれる。

 また、公権力の介入を受けないという意味で、現場の教師が目の前の子供に対応した教育を行うべきであるという意味で、教師の教育内容に対する裁量は必要だろう

 しかし、大学の教育と異なり、児童・生徒には批判能力がなく、普通教育の教師には児童・生徒に対して強い影響力・支配力を有する

 また、普通教育は義務でもある関係で、子どもとその親に学校・教師を選択する余地が乏しい

 さらに、普通教育の機会均等を図る点を考えれば、全国的に一定水準を確保すべき要請が強い

 この3点を考慮すれば、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることはできない

 さらに、憲法は教師の教育の自由について「公共の福祉」による制約以外の公権力の介入を避けるべきである旨の規定がない。

 ならば、(弁護人らのよって立つ)国民教育権説を採用することもできない。

 では、どうするか。

 子供の可塑性を考慮すれば、子供の将来はかかわる関係者が決定的な役割を果たす。

 そして、その関係者が教育内容について一定の主張を行うことは当然の成り行きである。

 もっとも、関係者の意見調整は必須であるし、意見調整の方法について憲法は何も言及していない。

 そこで、関係者の主張と関係者の拠って立つ憲法的根拠からその自由の範囲を決定するのが合理的な態度である

 この観点から見た場合、子女を教育させる義務を有する親には子供に対する家庭教育の自由・学校選択の自由が保障される。

 次に、教師には、教育が目の前の子供にあわせた妥当な教育が行われるべきである、公教育の不合理な介入を受けないという意味で教育の自由がある。

 さらに、私学にも同様の意味での教育の自由がある。

 しかし、それ以外の領域については、国にも教育内容を決定する権限があると言える。

 もちろん、国の権限は「子ども自身の利益の擁護・子どもの成長に対する社会公共の利益の関心に応じるためのものであり、かつ、介入の程度も必要かつ相当な範囲」に限られる。

 また、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は憲法二六条、一三条の規定上からも許されない

 しかし、それは単に「必要かつ相当」な範囲から外れるだけで、権限それ自体を否定する理由にはならない。

(引用終了)

 

 この判決では、普通教育における教師や私学の教育の自由を一定の範囲で認めている。

 しかし、権利の保障の程度は学問の自由(憲法23条)の一内容たる「教授の自由」には及ばない。

 この点は、営業の自由が憲法22条からストレートに認められる点と異なる。

 その点を考慮すると、教育の自由を主戦場にすることは果たして妥当なのか。

 少し微妙な気がする。

 

 なお、旭川学テ事件の教育の自由は普通教育であり、本問の幼児教育とは事情が少しずれている。

 そして、幼児教育は義務教育ではない。

 その結果、普通教育の前提となる「全国一律の要請」が弱い。

 また、親の選択の幅も広くなる。

 ならば、その結果として教育側の自由は広くなるとは言いうる。

 しかし、幼児の年齢が児童・生徒よりもさらに低くなることを考慮すれば、子どもの側に批判能力がない点、教える側に支配力が強い点は普通教育よりも上になる。

 このように考えると、幼児教育と普通教育の事情の違いにより、幼児教育の自由が大学と同程度にあると考えるのは少し無理があると言える。

 

 以上の教育の自由の権利の弱さを考えると、教育の自由のみを展開してしまうと憲法上弱い権利を主張しているのではないか、といった疑問が生じる。

 合憲の結論にするならさておき、これで違憲に引っ張るのは微妙な気がする。

 

 

 以上、憲法上の権利の制限についてみてきた。

 営業の自由なら明白な憲法上の権利の制限と言える。

 逆に、教育の自由だと営業の自由ほど強気に出れない感じか。

 

 もっとも、営業の自由か教育の自由かという点は違憲審査基準とセットで考えたほうがいい。

 そこで、どちらを選ぶかは判断を留保しておく。

 

 次回は、憲法上の権利の制限の正当化について、その違憲審査基準についてみていく。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 9

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

9 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第1節」を読む(中編)

 前回は「キリスト教の博愛」と「キリスト教徒の異教徒に対する態度」についてみてきた。

 そして、旧約聖書に遡ってキリスト教における隣人愛の『隣人』とは同胞(キリスト教徒)の人間に限る」ということも確認した。

 このことは、例外はあるものの様々な歴史から確認することができる。

 

 今回は一神教についてユダヤ教からみていく。

 なお、このメモブログと本書はマックス・ウェーバーの『古代ユダヤ教』の内容に準じている。

 

 

 

 

 

 ユダヤ教キリスト教イスラム教。

 これらの宗教は一神教であり、かつ、神に人格が備わっている

 この点は、仏教の「法」といった抽象的存在、あるいは、儒教の「天」と異なる。

 もちろん、多神教とも異なるのは言うまでもない。

 

 ところで、ユダヤ人の描いた「神」は通常の宗教とは異なる特徴がある。

 それは「神は我々に苦難をもたらす」と考えていることである。

 

 

 この点、日本では「基本的に神は人間(我々)に利益や幸福をもたらす存在」として考えられている。

 神は大漁豊作といった恩恵をもたらすので祀って祈る。

 逆に、災厄が訪れたら神に祈って解決してもらう。

 日本については次のメモが参考になる。

 

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 つまり、通常、神は人間にやさしく、また、心の広い存在ということになる。

 

 これに対して、古代イスラエル人は「苦難や災厄は神のはからいである」と考えた。

 厳密に考えれば、「神のはからいにより民は幸福にも不幸にもなる」と言うべきか。

 もちろん、神が民に幸福をもたらすこともある。

 しかし、人間の世界では幸福よりも不幸の方が多く、その点は古代イスラエル人も例外ではない。

 その上で、古代イスラエル人は「神は幸福だけではなく苦難をももたらす」と考えた。

 その意味で恐るべき神でもある。

 

 さらに、古代イスラエル人は「神に人格が備わっている」と考えた

 そして、「神を不機嫌にすると神は民に苦難をもたらす」と考えた

 よって、イスラエル人は神を信仰して、機嫌を損ねないようにし、苦難をもたらさないようにしなければならないと考えることになる。

 

 つまり、古代イスラエル人と日本人の感覚では信仰の理由が逆なのである

 日本人は幸福をもたらすために神に祈る。

 古代イスラエル人は不幸を回避するために神に祈る。

 まあ、結果それ自体は似たり寄ったりになるであろうが。

 そして、「この逆転の発想なくして一神教は生まれなかった」というのがマックス・ウェーバーの研究結果にして大発見である。

 

 

 ここから話は古代イスラエル人が抱いていた神のイメージに移る。

 つまり、古代イスラエル人の神への理解を旧約聖書から確認する。

 このことにより、いかに古代イスラエル人が神を恐れていたかが分かる。

 

 まずは、土地を与えると啓示したアブラハムに対する神の命令をみてみる。

 前述のとおり、アブラハムは神に対する信仰が篤かった

 神はそのアブラハムに対して、アブラハムのたった一人の息子であるイサクを子ヤギの代わりに焼いて、神への生贄にせよ、と命令したのである(『創世記』の第22章)。

 神への信仰に対するアブラハムは反問することなく命令を実行しよう、息子を殺そうとする。

 もっとも、神は、息子を殺す直前にアブラハムに対して中止命令を出して、息子のイサクは救われる。

 また、神は天使を遣わしてアブラハムに対する祝福を約束する。

 ただ、神が信仰の篤いアブラハムに試練を課したこと、アブラハムに苦悩をもたらしたことには間違いない。

 

 次に、神のヨブに課した試練をみてみる(『ヨブ記』より)。

 ヨブは模範的な信者であった。

 しかし、神はこの模範的な信者ヨブの所有していた家畜を暴漢に虐殺させ、ヨブを無一文にした。

 次に、子供たちと食事をしていたところに突風を吹かせて家を潰し、ヨブから子供たちを奪った。

 さらに、ヨブの身体に腫物を作って、ヨブを悩ませた。

 

 神はヨブに対してこのようなことをした理由は何か。

 ヨブが罪を犯したので神はヨブに罰を与えたのか。

 確かに、仏教の発想や因果律から考えればそうなる。

 また、神が因果律に拘束されているならばそれが正解になるだろう。

 しかし、全知全能の神が因果律に縛られると考えるのは不自然である。

 とすれば、この発想は間違い、ということになる。

 

 つまり、神は因果律を無視できる。

 よって、善人に不幸をもたらすことも、逆に、悪人に幸福をもたらすこともできる。

 そのため、因果律が無視されたとしても、神を非難してはならない

 ヨブ記が示していたことは以上のことになる。

 

 なお、ヨブ記では神との対話を通じてヨブがこの真理を悟る。

 そして、そのことを悟ったヨブに対して、神は子供を返し、失った財産以上の財産を与えた。

 真理を悟ったヨブは百四十歳まで生きた旨記されている。

 

 他にも旧約聖書に書かれた預言者たちがいる。

 彼ら預言者のうちで幸福になれた者はいない。

 例えば、モーセは神の命令に従い、イスラエルの民を救い出したが、神はモーセ自体に対して何もしていない。

 さらに言えば、モーセはカナンに至る道中で死んでいる。

 

 

 このように、古代イスラエルの民の信仰した神はやっかいなことこの上ない

 真面目な信者に試練を課し、不幸を与え、さらには、不幸を与えらえた敬虔な信者の不平不満を許さないのだから。

 このような神を拝むことに意味があるのか、と考えるのも無理からぬ話である。

 

 ところで、古代のイスラエル人は不幸な境遇にあった

 アブラハムの子孫はエジプトで奴隷となっていた。

 その後、モーセイスラエルの民を救出し、ヨシュアがカナンの先住民を虐殺してイスラエル王国を建国するも、その後、周囲の強国に攻め立てられて王国は滅亡、住民はバビロン捕囚の憂き目にあう。

「何故、我々だけこのような目に遭うのか」と考えても不思議ではない。

 また、「我々の信仰が間違っているのではないか、エジプトの神を信仰するのが正しいのではないか」とも考えたであろう。

 通常の人間ならここで棄教してもおかしくない。

 

 しかし、古代イスラエルの人々は安直な道を選ばなかった

 なぜなら、エジプトの神々を信仰すれば、エジプト文明に消化吸収されてしまい、民族としてのアイデンティティが崩壊してしまうからである。

 そこで、アイデンティティを維持するために考えた信仰が「苦難をもたらす神」への信仰である。

 このような信仰が民族アイデンティティを強化させる。

 そして、出来上がったのがユダヤ教である。

 ただ、次のメモにもある通り、このアイデンティティが民族離散になり、また、イスラエル建国の原因にもなる。

 そう考えてみると、はたしていいのか悪いのか。

 

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 では、このユダヤ教の特徴は何か。

 まず、ユダヤ教は集団救済の宗教である、ということが言える。

 この点は、集団救済の宗教という点は儒教と同様である。

 しかし、「理想の政治が万民を救済し、万民の救済が個人を救済する」と考える儒教ユダヤ教では救済の意味が異なる。

 ユダヤ教では神の意志によって救済は突如訪れる、と考える。

 また、救済によってユダヤ人はこれまでの不遇な状況から厚遇な環境に急変すると考える。

 これは一発逆転の発想であり、フランス革命ロシア革命にみられる革命思想の原点にもなっている。

 さらに、救済されるためには「律法(規範)の実践」という条件があると考える。

 というのも、規範を破った者に対する神の怒りが旧約聖書のあちらこちらに書かれているからである。

 神はカナンにおいて異教徒を虐殺したが、虐殺したのは異教徒に限られない。

 ゾドムやゴモラはどうか。

 古代イスラエル王国はどうか。

 異国の神を拝めばユダヤ民族であっても神は容赦をしない。

 

 民族皆殺しといった悲劇を回避するためにも、『律法』を守りつつ救済の日を待たなければならない。しかし、神が救済がをもたらした暁にはユダヤ民族にとって一発逆転の状況が生まれる。

 ユダヤ教ではこのように考えることになる。

 

 

 ところで、キリスト教はこのユダヤ教から生まれた。

 ならば、キリスト教の神はユダヤ教の神と変わらないと考えることになる。

 そして、そのことを示しているのが最後の審判の教えである。

 イエス・キリストは人々に次のように警句を述べてまわった。

 

(以下、『マルコ福音書』の第1章14節と15節から引用、節番号は省略、引用元は次のリンク先参照)

 ヨハネが捕えられた後、イエスガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

(引用終了)

 

ja.wikisource.org

 

 この点、「神の国」とは天国のことではない。

 この地上に突如として現れる神の支配する国家である。

「神の意志によって突如現れる点」はユダヤ教と同様である。

 

 この国に入れば、(一度、生物的に死んだ人間も)永遠の命を与えられることになる。

 また、ユダヤ教と異なり、キリスト教の「神の国」に入れるのはユダヤ民族に限られない。

 その意味で、ユダヤ教と異なり、キリスト教個人救済の宗教と言える。

 しかし、神の国」に入ることの人間は「最後の審判」で認められた人間であり、その数は非常に限られている

 そして、「神の国は近づいた」と述べているため、最後の審判も間近に迫っていることになる。

 

 ところで、最後の審判の結果、「神の国」に入れなかった人間はどうなるか。

 この点について、イエス・キリストは次のように述べている。

 

(以下、『マタイ福音書』第11章20節から24節まで引用、節番号は省略、リンク先は次の通り)

 それからイエスは、数々の力あるわざがなされたのに、悔い改めることをしなかった町々を、責めはじめられた。

「わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰をかぶって、悔い改めたであろう。

 しかし、おまえたちに言っておく。さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。

 ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、その町は今日までも残っていたであろう。

 しかし、あなたがたに言う。さばきの日には、ソドムの地の方がおまえよりは耐えやすいであろう」。

(引用終了)

 

ja.wikisource.org

 

 この点、ゾドムの町は神によって焼き尽くされ、その住民は皆殺しに遭った。

 そして、「悔い改めなかった町が負う運命よりもゾドムが被った運命の方がマシだ」とも言っている。

 このことから、神の国に入れなければ、神による滅びを免れないことは確かである

 

 そして、最後の審判は間近だから、仏教のような途方もない時間をかけている時間もない。

 それゆえ、イエス・キリストは福音(ゴスペル)を広めるために必死になった。

 福音を聞けば救われる人、つまり、神の国に入れる人も増えるであろうから。

 その意味で、イエス・キリストにとって「神の国の出現」と「最後の審判によって選ばれなかった人々の滅亡」は現実のものだったことになる。

 

 このことを考えれば、イエス・キリストにおいても神は「滅ぼす者」であって、慈悲深い神ではない。

 

 

 以上のように、ユダヤ教キリスト教の神は人々に容赦ない力を行使する

 それは、アブラハムやヨブのような信仰篤き人間でも例外ではなかった。

 異教の神を拝んだソロモン王に対しても容赦しなかった。

 また、異教徒であれば、なおさらである。

 その意味で「異教徒は『隣人』ではない」ことになる。

 このことが大航海時代やアジア侵略における諸々の行為を平然とできた原因になる。

 まあ、このような信仰があれば、むしろ当然とも言いうる。

 その意味で、当時の白人はキリスト教や聖書に忠実であったともいえる。

 

 

 しかし、この神は「アッラー」になった途端性格が一変する

 アッラーは(大天使ガブリエルを通じて)マホメットを啓示を与える。

 その際、アッラーは自らアブラハム(イブラーヒーム)の前に現れた、あるいは、イエス(イーサー)を預言者として派遣したとも述べている。

 しかし、その態度は全然異なる。

 

 この点、第一章でイスラム教の「六信」を紹介した。

「六信」とは「神」・「天使」・「啓典」・「預言者」・「来世」・「天命」を信じることを指すが、最も重要なものが「神」であることは間違いない。

 では、アッラー(神)を信じる」を何を信じることを指すのか

 規範がしっかりしているイスラム教はその答えをちゃんと用意している。

 まず、アッラーの他に神はいない」から始まる。

 そして、アッラー天地創造絶対神であり、アッラーは全知全能であり、どこでも遍在していること」と続く。

 さらに、アッラーが九十九の美徳を持っていること」も信じる(疑わない)ことが求められる。

 

 ところで、九十九の美質のうち最も大事なものは何か。

 それは「慈悲」である。

 そのことは「慈悲」という言葉がクルアーンで頻繁に出てくる言葉であること、真っ先に出てくる言葉であることからも明らかである。

 

 

 以上、一神教における「一神」についてみてきた。

 次回はイスラム教においてアッラーがどんな存在か、ユダヤ教キリスト教と比較してどのような違いがあるのか、についてみていく。