薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

「痩我慢の説」を意訳する その6

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 これまでは江戸城無血開城について。

 これにより「痩我慢」の美風がどうなったか、そして、美風をどう回復させるか、という話に移っていく。

 

16 第十四段落を意訳する

 今回は第十四段落から意訳する。

 第十四段落というのは、「或はいう、王政維新の成敗は内国の事にして、」から、「自から一例を作りたるものというべし。」までの部分である。

 

(以下、第十四段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 こんな意見をする奴がいる。

 王政復古は日本国内のこと、徳川家と薩長は兄弟のようなもので、敵ではない。

 つまり、戊辰戦争は兄弟げんかのようなものであって、外国との戦争ではない。

 だから、兄弟げんかを骨肉の争いになる前にうまく終わらせたのは素晴らしいことである、と。

 この意見、もっともらしく聴こえるが、一時逃れの詭弁にしかならないぞ。

 考えて見よ。

 国民同士であろうが友人同士であろうが、敵味方に分かれて争えば、敵は敵でしかない。

 その敵に対して「戦うのは無益だ、無謀だ。戦えば確実に負ける」などと言って平和裏に収めようとする輩どもが、外国から戦争を挑まれたときに「痩我慢」をして日本のための臥薪嘗胆に耐えられるはずがあるものか。

 対内的に「痩我慢」が発揮できない人間がどうして外国に対してのみ「痩我慢」が発揮できると思えるんだ、甘いわ。

 言葉にするのもはばかられるが、外国からの侵略があったとき、今回の件を先例として日本国を解散して、外国に吸収されることを選択したらどうするのだ。

 江戸城無血開城は不穏な先例を作ったことになるぞ。

(意訳終了)

 

 薩長(島津家・毛利家)と幕府(徳川家)は兄弟のようなもの、か。

 この点、第十三代将軍徳川家定正室篤姫

 篤姫近衛忠煕の養女として家定の正室になるが、篤姫自身は薩摩藩第九代藩主である島津斉宣の孫である。

 一方、長州藩の第十二代藩主の毛利斉広は正妻が第十一代将軍徳川家斉の娘である(なお、次の第十三代藩主が村田清風に藩政改革を委ね、また、幕末において長州藩を仕切った毛利敬親である)。

 親戚、兄弟、まあ分からなくもない。

  

 さて、次の段落にいこう。

 

17 第十五段落を意訳する

 次は第十五段落である。

 具体的には、「然りといえども勝氏も亦人傑なり、」から、「当時の実際より立論すれば敵の字を用いざるべからず)。」までの部分である。

 

(以下、第十五段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 今まで色々とケチをつけているが、勝海舟は偉人である。

 抗戦しようと考えていた旗本たちを説得した。

 また、身を犠牲に幕府を解散させ、その結果、明治政府への政権交代を容易にした。

 さらに、江戸城下での戦争を回避して、庶民の生命や財産を守った。

 これらは素晴らしい功徳である。

 信じてもらえる分からないが、私もこの点に異論はない。

 ただ、気になるのは、この勝海舟薩長の功臣と一緒に並んで明治政府の重臣になっている点である。

(なお、「敵」という言葉を使うことについて付け加える。

 明治維新とは、幕末、薩摩藩長州藩という雄藩が帝室を奉じて徳川幕府を相手に挙兵し、徳川幕府から帝室に政権を戻したことを指す。

 そして、帝室を仰ぐ立場・帝室の恩恵を受ける立場から見れば、我々は同じ立場になるが、その立場を離れて互いに争うときは敵・味方とならざるを得ないのである。

 現実、敵と味方に分かれて争うのだから。

 だから、「同胞の日本人を指して『敵』とは何事だ」と名分・形式しか見ない輩がいるが、現実を見れば「敵」という文字を使うしかない。

 つーか、事実を見ないと実態を見誤るぞ。

(意訳終了)

 

 勝海舟の命がけの行為の結果、日本に少なからぬ利益をもたらした。

 しかし、徳川を裏切った者が明治維新の功臣と肩を並べてていいのか。

 その行為が「痩我慢」の美風をぶっ壊すことが分からないのか。

 そういうお話である。

 

 次の段落に進もう。

 

18 第十六段落を意訳する

 どんどん意訳しよう。

 次は第十六段落、具体的には「東洋和漢の旧筆法に従えば、氏のごときは到底終を全うすべき人にあらず。」から、「是等の事例は実に枚挙に遑あらず。」までの部分である。

 

(以下、第十六段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 日本や中国の歴史を見た場合、勝海舟のようなことをした人間の末路は悲惨だった。

 例えば、漢の高祖劉邦は、自分を見逃した敵方の武将の丁公を誅殺した。

 清の四代目の皇帝・康煕帝は、清に協力して藩王となっていた明の遺臣たちを滅亡させた。

 日本でも、織田信長武田勝頼を征伐した際、土壇場で裏切った小山田信茂は処刑された。

 こんな例は山ほどある。

(意訳終了)

 

 裏切り者の末路、というやつである。

 前回示した文天祥と反対の生き方をした人間たちとも言える。

 

 この点、丁公という武将は項羽の家臣である。

 劉邦項羽が争っていた際、丁公はある戦いで大敗して逃亡する劉邦を追撃したが、意図的に劉邦を逃がす。

 これにより劉邦九死に一生を得、その後、項羽劉邦に滅ぼされることになる。

 そして、項羽の死後、劉邦は「項羽が敗れたのはこいつのせいだ。我が家臣はこいつを見習ってはならない」と言い、見せしめに丁公を誅殺することになる。

 

 また、清の康煕帝が明の遺臣を排斥した事件はいわゆる「三藩の乱」と呼ばれている事件である。

 明の滅亡の際、清に協力した明の遺臣たち三人は領土(藩)を与えられ、一種の独立政権ができていた。

 それを疎ましく思った康煕帝は三藩を廃止することを決め、それにより藩王たちの反乱がおきる。

 そして、反乱は鎮圧され、彼らは滅亡することになる。

 

 小山田信茂の話はまあいいだろう。

 

 ところで、以前出てきた文天祥

 彼が刑死を選ばず、フビライに仕えたらどうなっただろう。

 どこかのタイミングで不忠の臣として誅されただろうか。

 あるいは、耶律楚材のようになっただろうか?

 

19 第十七段落を意訳する

 今回は第十七段落まで意訳しよう。

 第十七段落は、「騒擾の際に敵味方相対し、その敵の中に謀臣ありて平和の説を唱となえ、」から、「自から経世の一法として忍んでこれを断行することなるべし。」までの部分である。

 

(以下、第十七段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 戦争のとき、敵方に戦争の無益を主張し、裏切るつもりなく自分に降伏してくる敵方の家臣がいる。

 このような人物は自分にとって都合がよいのは明らかである。

 だから、この時点では厚遇する。

 しかし、戦争が終わったらその者はどうなるだろう。

 不忠の輩と罵倒され、排斥されるだけで済めばまだマシ、見せしめとして誅殺されることも少なくない。

「こんなバカな」と考えるかもしれないが、新時代の秩序のためやむなく行われてきた面もあるのだろう。

(意訳終了)

 

 

 今回はこの辺までとしよう。

 私が考えさせられたことなどについては勝海舟に対する部分を意訳し終えてからにしたい。

「痩我慢の説」を意訳する その5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 前回までが総論部分、今回から各論に入る。

 

11 第九段落を意訳する

 今回は第九段落から意訳する。

 第九段落というのは、「然に爰に遺憾なるは、我日本国において今を去ること二十余年、」から、「得を以て損を償うに足らざるものというべし。」までの部分である。

 この段落から各論、つまり、勝海舟江戸城の無血明け渡しについてみていくことになる。

 

(以下、第九段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 しかし、残念ながら、日本では20年前の王政復古の際、「痩我慢」を軽視し、「痩我慢」の美風に泥を塗る人間たちが現れた。

 つまり、徳川家の家臣の中に、早々と徳川幕府の将来に見切りをつけ、敵対する朝廷に対して戦争することなく和睦し、幕府を解散させてしまった輩どもがおる。

 もちろん、これによって戦渦から庶民の生命・財産が守られた。

 しかし、「痩我慢」の美風を汚した損害は、その代わりに得られた一時的利益で補えるものではない。

(意訳終了)

 

 ここで見ておくべきことは次の点。

 江戸城無血開城は戦渦による庶民の生命・財産を浪費という損害を回避した一方で、痩せ我慢の美風に傷がつくという損害を発生させた。

 そして、後者の損害は前者の免れた損害を上回っている。

 つまり、「計算をしている」という点である

 

 このことを忘れず、次を意訳していく。

 

12 第十段落を意訳する

 次に、第十段落を意訳する。

 具体的には、「そもそも維新の事は帝室の名義ありといえども、」から、「かくありてこそ瘠我慢の主義も全きものというべけれ。」までの部分である。

 

(以下、第十段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 そもそも戊辰戦争は、錦の御旗があったとはいえ、薩摩・長州が徳川家に敵対したに過ぎない。

 ならば、三河武士の末裔たる徳川家臣団としては、鳥羽と伏見で負けて江戸に逃げ帰った後であっても、幕府を支持する藩に命令して再起を図り、いざとなったら江戸城に籠城して戦い、万策尽きたら江戸城を枕に討死にすべきであった。

 要は、死病にかかった父母に対して叶わぬ奇跡を祈りつつ看病するようなものである。

 これを実行してこそ「痩我慢」の美風も維持されるのである。

(意訳終了)

 

 この段落では、事実関係と「痩我慢」に殉じる立場の者がすべきことが書かれており、特に見るべきことは書いていない。

 また、「痩我慢」に殉じた具体的な人物として南宋文天祥などがいたこと、文天祥などの人間を称揚した『靖献遺言』が幕末志士のバイブルとなっていたことは前回述べた通りである。

 さて、次に進もう。

 

13 第十一段落を意訳する

 次に、第十一段落を意訳する。

 具体的には、「然るに彼の講和論者たる勝安房氏の輩は、」から、「竊に冷笑したるも謂れなきにあらず。」までの部分である。

 

(以下、第十一段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 しかし、勝海舟は「幕府の兵は使えない」、「薩長を敵にすべきではない」、「治安を守らなければならない」、「将軍慶喜公の命が危ない」、「外交上、戦うのは得策ではない」と周りに説いて回り、場合によっては、自分の身を危険にさらしてまで和議を主張した。

 そして、江戸城は戦うことなく明け渡され、徳川家は70万石の大名への降格で終わった。

 当時、この事件を見たある外国人が、「殺される前に抵抗しない人はいない。小さな昆虫だって、その小さな足を使って1トンものの鉄槌から身を守ろうとするもんだ。それに比べて、徳川家はなんだ。二百七十年間もの長い間、国を治め、金も兵も武器もあるであろう政府が、2つの地方の同盟軍に対して、敵対もせずひたすら和睦や慈悲を乞うとは。こんなプライドのない主君は他に例がない。」と冷笑したという。

 この冷笑、単なる誹謗中傷ではない。

(意訳終了)

 

 ここも事実関係が書いてある。

 あと、外国人の冷笑に関しては「普通はそうだよね。」という話。

 ただ、あくまでも「通常」のお話。

 どのような場合、例外的な振る舞いをすべきなのかは知らない。

 

 次に進もう。

 

14 第十二段落を意訳する

 次は第十二段落である。

 具体的には、「蓋し勝氏輩の所見は内乱の戦争を以て無上の災害無益の労費と認め、」から、「具眼卓識の君子は終に欺くべからず惘うべからざるなり。」までの部分である。

 

(以下、第十二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 勝海舟が和議に走ったのは、算盤をはじいてみたら「内乱の戦争は無意味な災害・無益な浪費である。また、勝算がないならばさっさと講和して内乱を終息させるべし」という結果になったからだろう。

 もちろん、口では「慶喜公の安否」や「外交上の利害」などと言っているが。

 さて、この計算、背景を突き詰めてしまえば、「国造りに『痩我慢』は不要であり、無益である」という思想に基づく。

 よって、古くから日本の上流社会で重視されていた「痩我慢の維持」をうやむやにしたと言われても、抗弁できまい。

 確かに、一時の豪気は凡人を驚かせ、詭弁は凡人を篭絡することはできる。

 しかし、立派な人間はこんなのに騙されん。

(意訳終了)

 

 ここで、福沢諭吉勝海舟の行動の背景にあった計算とその計算を支える思想について考察する。

 その結果が、「国造りに『痩我慢』は不要であり、無益である」という思想だ、と。

 

 この点、このような思想を持っていれば、無血開城に走ってもおかしくはない。

 しかし、このような思想を持っていなければ、無血開城に走らないわけでもない。

 この文章だけを見ると、この二つが混同されているように見える(単に見えるだけであり、当人が混同しているとは思えないが)。

 どうなのだろう。

 

15 第十三段落を意訳する

 今度は第十三段落である。

 具体的には、「左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、」から、「その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。」までの部分である。

 

(以下、第十三段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 ちなみに、私も「幕府に勝算がない」という勝海舟の見込みには賛成する。

 しかし、「痩我慢」の維持から見たら、「勝算がない、イコール、戦わない」とはならない。

 まして、「勝算」が外れることなんかいくらでもあるんだから、「勝算がないが、それでも戦う」という選択だって十分ありうる。

 このような状況で、勝海舟は「確実な負け」を予見し、負ける前に大権を放棄して、穏便に済ませようとしたわけである。

 つまり、「戦渦による損害を減らした代わりに、『痩我慢』の美風を害した」ことになる。

 この責を勝海舟は免れられない。

 そして、戦渦の被害は一時のものだが、「痩我慢」の美風が消えればその損害は未来永劫続く。

 戦渦の被害は痩我慢を失うことと釣り合いがとれるのか。

 これは簡単な問題ではない。

(意訳終了)

 

 ここまでをまとめるとこんな感じになる。

 

① 無血開城に及んだ人たちの背景と思想

『痩我慢』は国造りにおいて無用・無益

 勝算なき場合はさっさと戦火を交えず、和議を結ぶべき

② 事実認定(規範に関係ないもの含む)

 薩長は強い

 幕府軍は弱い

 戦争になれば、慶喜公は守れない

 内乱になれば治安が乱れ、民は塗炭の苦しみを味わう

 内乱になれば諸外国がこれに付けこんでくる

③ ①と②に基づいた方針

 幕府方に勝算はない

 よって、薩長と和議を結び、江戸城を明け渡す

④ ③の結果

 江戸城無血開城により、戦渦による生命・身体・財産は守られた

 国造りに重要・不可欠な「痩せ我慢」の精神は損なわれた

⑤ 福沢諭吉の結果に対する評価

 少なくても、前者によって回避した損害は後者の損害を上回るものではない

 

 

 気になるのは、福沢諭吉が「彼らは『痩我慢』を不要・無益と考えた」と言い切った理由である。

 というのも、「痩我慢の重要性は認識しているが、今回は内乱の戦渦を回避する方が大事」という戦略判断から江戸城を明け渡すこともありうるからである。

 福沢諭吉は何故そうは思わなかったのか。

 次回以降、この辺を見ながら意訳していく。

司法試験の過去問を見直す4 その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 前回、「今回は立法不作為について」などと書いたが、平等原則について考えたことがあったので、それについてメモにまとめる。

 

5 平等原則の文章構成について

 司法試験の論文試験、その答案には一定の「型」がある。

 ここで「型」と書いたが、「テンプレート」・「論証パターン」等と言い換えてもよい。

 

 この点、このような「型」を用いることについて、「型」を用いること自体を否定する見解もある。

 しかし、司法試験の答案では知識だけが問われているだけではない。

 理解力・思考力・判断力も問われていることは、司法試験法3条4項をみれば明らかである。

 そして、思考力には「思考の過程」も含まれる。

 また、論文試験は書かれた答案の内容が総てである。

 ならば、「一定の思考の過程を踏まえていること」を答案上に明確に示さなければならない。

 そして、思考の過程を示すために「一定の型」を採らざるを得ない。

 

 以上を考慮すれば、「型」について最初から最後まで一切考慮しないのはまずい。

 もちろん、「『型』なんか意識せずに使えるようになるべきである」とか「『型』の質が問題外だ」といったことはいくらでもあっても。

 

 

 ところで、司法試験法3条4項とは次のような条文である。

 

(以下、司法試験法3条第4項、強調は私の手による)

 司法試験においては、その受験者が裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を備えているかどうかを適確に評価するため、知識を有するかどうかの判定に偏することなく、法律に関する理論的かつ実践的な理解力、思考力、判断力等の判定に意を用いなければならない。

 

 ちなみに、司法試験法は法律である。

 つまり、国民の代表者で構成される国会が、行政(ここでは、法務省司法試験委員会)に対して、「お前ら、司法試験をやる際には、知識の有無だけに偏った判定するんじゃねーぞ。理解・思考・判断についてもちゃんと判定しろよ」と命令しているわけである。

 考えてみればシュールである。

 

 

 さて、設問1で問われている平等原則のケース。

 当時の私が持っていた平等原則のケースの答案の「型」は次のような感じであった。

 

(以下、答案の型)

1 設問に存在する憲法上の問題点の指摘

2 平等原則について

(1)「法の下」の意義

(2)「平等」の意義

3 違憲審査基準の定立

(1)後段列挙事由の趣旨の指摘

(2)具体的な基準の設定

4 事案の検討

(1)目的の検討

(2)手段の関連性の検討

(3)不利益の程度に関する検討

(4)基準に適合するかの結論

5 設問に対する結論

(以上、終了)

 

 この答案の型はオーソドックスなものであり、いわゆる予備校の教科書であればこれに類似のものが必ず書いてある。

 だから、設問1の場合、この答案の型に事案をあてはめていけば、そこそこの答案を書くことができる、

 というか、「これすらできない」ようでは話にならない。

 

 

 ところで、この答案の型、設問1はそのまま使えた。

 しかし、設問2はそのまま使うと結論に不都合があったため、原則修正パターンを使って修正することになった。

 

「修正が必要」ということは答案の型として不十分であることを意味する。

(なお、試験本番でこの型を修正する力があればこの型だけで足りるところ、その力は合格する上で極めて重要であること、また、覚えることの多さ等の問題を考慮すれば、この「型」をまず押さえるという手段は合格という目的に対して有効・適切とも言いうる)。

 そこで、どうすればより精密になるのかについて検討する。

 

 この点、1と5は文章として不可欠な部分(問題提起と結論)なのでいじる必要はない。

 また、2は法解釈の問題であり、教科書の内容をそのまま書いてあるわけだから、ここもいじる必要はない。

 さらに、4のあてはめは3によって決まる。

 そこで、3の審査基準の定立部分について考えることになる。

 

 

 この型を形式的に見た場合の問題点は「後段列挙事由か否か」という二分法になっていることである。

 そのため、①「日本国籍を有する人に『住所』を理由として選挙権(極めて重要な憲法上の権利)を与えない、選挙権の価値に差をつける」というケースにおいて、平等原則違反か否かを判断する際には緩やかに判断するということになりかねない。

 また、②アファーマティブ・アクションのような社会福祉政策においては一定の立法裁量が憲法上認められているところ、その点を審査基準に反映できない、という問題もある。

 設問2では②が問題となった。

 

 とすれば、審査基準を定立前に考慮すべき要素を追加する必要があることになる。

 まず、①後段列挙事由は重要である。

 例示列挙に過ぎないと考える場合であっても、「条文がある」ことを考慮すれば、言及しないのはまずい。

 また、前述の点を考慮すると、②立法裁量とそれを裏付ける条文も触れるべき要素になる。

 設問2であれば、社会権等の規定がこれにあたる。

 また、このように考えれば、設問1において憲法24条について触れるべきということになる。

 では、③制限される憲法上の権利の内容と制限の程度については審査基準の段階で触れるべきであろうか。

 この点、審査基準の要素を①目的・②手段の関連性・③不利益の程度の3つにして考える場合、あてはめで言及することになるので先に検討する必要はない、と言うことはできる。

 しかし、制限する権利によって審査基準の密度を変更するならここで触れる必要がある。

 例えば、選挙訴訟のように。

 ならば、ここで触れるべきであろう。

 

 

 このように考えることで、平等原則の型をより精密に修正出来た気がする。

 改めてその型を表示するとこんな感じになる。

 

(以下、答案の型)

1 設問に存在する憲法上の問題点(事実と事実が抵触しうる原則・条文)の指摘

2 平等原則についての解釈

(1)平等原則における「法の下」の意義

(法適用の平等だけではなく、法内容の平等を含む)

(2)平等原則における「平等」

(形式的・機械的平等ではなく、実質的・相対的平等をいい、合理的区別を許容する)

3 平等原則違反に関する違憲審査基準

(1)後段列挙事由・立法裁量と関連する条文・制限される権利と制限の程度の指摘

(2)審査基準の設定

4 事案の検討

(1)目的の検討(事実の指摘、事実の評価、目的要件の結論)

(2)手段の関連性の検討(事実の指摘、事実の評価、関連性要件の結論)

(3)利益の関する検討(事実の指摘、事実の評価、利益要件の結論)

(4)審査基準に適合するか否かの結論

5 設問に対する結論

(以上、終了)

 

 これなら「より良い型」になったと言えるかな。

 また、後段列挙事由を例示列挙と考える型に近くなったような気がする。

 

 

 では、今回はこの辺で。

 次回はこの手の訴訟で問題となる争点、「立法不作為」について知識を確認し、私の考えたことをメモにしていく。

司法試験の過去問を見直す4 その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回は設問2を見る。

4 設問2について

 ここで今一度、過去問を確認しよう。

 

(問題文を再び引用)

以下の場合に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

1  再婚を希望する女性が,民法の再婚禁止期間規定を理由として婚姻届の受理を拒否された場合

2  女性のみに入学を認める公立高等学校の受験を希望する者が,男性であることを理由として願書の受理を拒否された場合

(引用終了)

 

 設問1は古くからある論点であった。

 一方、設問2はいきなり現代的な論点に変わることになる。

 

 設問2の事例、一見すると「なんじゃこりゃ?」と思うかもしれない。

 あるいは、「性同一性障害のケース」を想像するかもしれない。

 しかし、書いていない以上、性同一性障害のケースにリンクさせるのはまずかろう。

 

 そこで、「いわゆる『逆差別』の問題かな」と考えることになる。

 つまり、アファーマティブ・アクション」(積極的差別解消措置)のケースなのかな、と。

 

 

 さて、この問題。

 後段列挙事由を重視しない立場なら、あまり悩むことはない。

 つまり、受理を拒否した目的、つまり「女子のみの公立高校の運営」という目的は「女性の学習機会の確保」、または、「多様な教育機会の確保」にある。

 この目的は高校生の学習機会の確保を促進し、ひいては、子どもの学習権(憲法26条1項)を実質化することに貢献する。

 よって、①目的は重要、または、正当と言え、目的の要件は満たされる。

 次に、「女子のみの公立高校を運営」のためには、男性の入学は一律拒否するしかない。

 ならば、②手段は目的達成のため必要不可欠であるとさえ言え、手段の関連性の要件は満たされる。

 最後に、不利益の程度を見ると、この男性は特定の高校での学習の機会を失ったに過ぎず、別の高校に入学することは可能である。

 また、その高校で学ぶ予定の内容を図書館や別の高校を通じて学習することは十分できる。

 よって、③この男性の被る不利益の程度は重大ではない。

 したがって、目的・手段の関連性・不利益の程度、全部の要件をみたして合憲となる。

 特段の事情のないのであれば、ある種常識的な結論になって万事めでたしめでたし、である。

 

 ただ、ここには「アファーマティブ・アクション」のアの字も出てこない。

 だから、この場合は、結論を書いた後に、結論が妥当であることについてアファーマティブ・アクションを絡めて少し言及した方がいいかもしれない。

 

 

 しかし、私は設問1で後段列挙事由において特別な意味を持たせる立場を採用した。

 よって、何も考えなければ、違憲審査基準は厳格なままになる。

 この場合、③不利益の程度は必要最小限度であり、②手段は「女性の学習機会の確保、教育機会の多様性の確保」のために必要不可欠とまでは言える。

 ただ、目的である「女性の学習機会の確保」・「教育機会の多様性の確保」という目的が必要不可欠とまで言えるかどうか。

 子供の学習権を具体的に促進するものとは言えるが、義務教育と比べれば学習権のそもそも前提となっているとまでは言い難い。

 となると、①目的の必要不可欠性については認定し難いことになる。

 ならば、違憲になる、ようにみえる。

 ただ、違憲の結論は採用し難い。

 

 だが、設問1で後段列挙事由に特別な意味を持たせた以上、設問2で知らん顔をして特別な意味を持たせない立場を採るのは、法的矛盾とみられても抗弁できず、もっと避けなければならない。

 それくらいなら、原則論を貫いて違憲だと言って逃げた方がマシである。

 というのも、「戦後間もないころならともかく、現代の女子の高校進学率を考慮すれば、公立における女子高は逆差別そのものであり、このような制度自体が違憲である」という主張自体、出来ないとまでは言えないから。

 

 しかし、違憲の結論自体避けた方がよいことは言うまでもない。

 だからといって、①目的が必要不可欠と認定することも少し無理がある。

 

 

 では、どうするか。

 設問2の出題者の意図は、「あんたはアファーマティブ・アクションについてどう考えるの?」である。

 よって、アファーマティブ・アクションであることを考慮して、原則の審査基準を変えてしまえばよい。

 

 もちろん、「アファーマティブ・アクションだから」とだけ言って基準を変えてしまうと、法的許容性のないただの評論文になってしまう。

 よって、法的な許容性を憲法などから見つけ出し、それを明示する必要がある。

 これは、憲法社会権憲法25条以下)を保障しており、国家の社会福祉政策を前提としている点に触れればいい。

 そして、精神的自由の規制と異なり、社会福祉政策については政治部門の判断を尊重せざるを得ないから、違憲審査基準は緩やかにならざるを得ないことも付け加える。

 これで、アファーマティブ・アクションしては審査基準を緩やかなにすることができる。

 そして、社会福祉政策が関係するを考慮し、審査基準を①目的が正当であり、②目的と手段との間に合理的関連性がある場合は合憲といった極めて緩やかな基準にすることができる。

 

 あてはめは、後段列挙事由を重視しない立場と同様なので省略。

 これにて合憲の結論となって終了である。

 もちろん、「アファーマティブ・アクションの結果、男女間の均衡が崩れるようなことがあってはいけない」といったことが言えるが、その辺について言及がない以上、敢えて書く必要はないだろう(もちろん、一言触れてもいいかもしれない)。

 

 

 これにて司法試験の過去問に答えること自体は終了。

 ただ、現在の司法試験でこの手の問題が出た場合、憲法訴訟とセットで問題になるはずである。

 そこで、次回以降は憲法訴訟に関する問題、具体的には「立法不作為」の問題について知識を確認し、そこについて私が改めて考えたことを述べていく。

「痩我慢の説」を意訳する その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 

9 第七段落を意訳する

 今回は第七段落から意訳する。

 具体的には、「左れば瘠我慢の一主義は固より人の私情に出いずることにして、」から、「さらに眼界を広くして文明世界に独立の体面を張らんとするもこの主義に由らざるべからず。」までの部分である。

 

(以下、第七段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 このように見た場合、「『痩我慢』はエゴに過ぎず、冷静に行われた合理性計算から見たら子供の戯れに過ぎない」と言われるかもしれない。

 でも、歴史や世界を見れば、国造りには『痩我慢』が不可欠であることが分かる。 

 藩を維持・発展させるためにも、日本を維持・発展させるためにも。

(意訳終了)

 

「国造り」における「痩我慢」の重要性を述べている。

 

 気になったのは、「損得計算(冷淡な数理計算)から見たら、『痩せ我慢』は児戯に等しいと言われても抗弁できないかもしれない」という部分である。

 当然だが、この主張に対して「『痩我慢』は計算じゃねー」という反論はできる。

「痩我慢」が目的化していれば当然の反論である。

 しかし、「あんたの計算式は間違っている」という反論もできるはずである。

 これは「痩我慢」を相対化した上での反論である。

 

 この段落の文章、これを見るだけだと前者の形式による反論に見え、後者の形式による反論に見えない。

 しかし、勝海舟の論評を部分は後者の形式で反論している。

 それを考えると、「うーむ」と考えざるを得ない。

 もちろん、福沢諭吉が後者の形式で反論していると考えているが。

 

10 第八段落を意訳する

 次の段落に進もう。

 具体的な部分は第八段落の「故に人間社会の事物今日の風にてあらん限りは、」から「これすなわち両者が今に至るまで臭芳の名を殊にする所以なるべし。」までである。

 

(以下、第八段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 よって、時代の経過に伴う見栄えの変遷はあるとしても、国造りにおいて「痩我慢」を重視し、「痩我慢」を称揚し、「痩我慢」を維持していくことが社会の重要な課題である。

 例えば、南宋の末期、モンゴル帝国の侵略に対して主戦派と講和派に分かれた。

 そして、主戦派の人々は退けられ、あるいは、殺されてしまった。

 しかし、後世の人々で講和派の不義を非難し、主戦派の忠義を憐れまない人はいない。

 もちろん、南宋の国力を冷静に計算すれば、明らかに南宋に勝ち目はなかった。

 ならば、恥を忍んでさっさと降伏し、南宋の趙氏の存続を図った方がいいとも言える。

 しかし、「痩我慢」を重視するならば、講和論者を排して主戦論者の「痩我慢」を選択せざるを得ない。

 それゆえ、主戦論者は称えられ、講和論者が非難されるのである。

(意訳終了)

 

 第六段落以前では、「痩我慢」によって成功・繁栄した例が示されていた。

 例えば、徳川家や皇室。

 他方、ここでは「痩我慢」を貫いて敗れ、滅亡したものについて触れられている。

 具体例は南宋のケース。

 主戦論者として日本で著名な人物を挙げれば、「文天祥」になるだろうか。

 

ja.wikipedia.org

 

 文天祥、彼は20歳で科挙に合格する。

 その意味で秀才である。

 しかも、ただの受験秀才ではない。

 モンゴル軍の侵攻に対してゲリラ活動などによる抗戦を行うのである。

 

 しかし、武運拙く元に捕らわれる。

 捕らわれた文天祥は元の皇帝フビライから「自分に仕えよ。厚遇する」などと言われるが、文天祥は固辞する。

 そして、文天祥は「正気の詩」を遺して刑死した。

 

 この文天祥を日本的朱子学の聖人として取り上げたのが浅見絅斎であり、それを書いた書物が『靖献遺言』である。

 この『靖献遺言』は尊王論者たる幕末志士のバイブルになる。

 ならば、福沢諭吉も知っていたであろう。

 

 

 ただ、気になることがある。

 文天祥フビライの仕官を蹴って、刑死の選択を選んだ。

 この背後にあるのは彼のこの言葉である。

 

(以下、文天祥の『零丁洋を過ぐ』の最後の部分より)

人生古自り 誰か死無からん 丹心を留取して 汗青を照らさん」

(引用終了)

 

 意訳するならこんな感じか。

 

(以下、意訳)

人はいずれ死ぬ、死ぬなら我が真心を歴史に残そう

(意訳終了)

 

 小室直樹先生によると(詳しくは後にメモにする『日本人のためのイスラム原論』で触れる)、文天祥のいた南宋儒教

 そして、儒教は歴史教であり、「時代によって真理は普遍(不変)」と考える。

 そのため、「真理がずっと続くことを前提にその歴史に名を遺す」ことが個人の救済になる。

 

 文天祥はこの救済に殉じたのである。

 その後、文天祥の名は800年経っても輝き続け、処刑したフビライですら彼への賞賛を隠さなかった。

 殉じたとおりの救済が得られたと言ってもよい。

 

 これに対し、この文天祥の生き方をキリスト教を前提とする欧米から見たらどうなるだろう。

 キリスト教は人格のある絶対神を戴く一神教

 絶対神はなんでもできる。

 ならば、神が真理をねじまげることくらいお茶の子さいさい。

 その関係で「時代によって真理は変遷する」と考える。

 例えば、マルクスは「社会は奴隷制封建制、資本主義、共産主義」という形で進化すると考えた。

 もちろん、それぞれの制度毎に法則は変わると考えていたわけである。

 

 この価値観で見れば、南宋は滅亡寸前であり、時代の変遷に取り残され、滅亡したことになる。

 そして、文天祥はその時代の変遷を理解していなかった。

 あるいは、時代の変遷を理解しつつも、変遷に適応できずに死んだ。

 以上、となりかねない。

 ちょうど、古代ローマにおいてシーザーを暗殺したブルータスのように。

 

 私は、別にキリスト教がよいとか儒教がよいとか言いたいわけではない。

 単に、文天祥が賞賛される理由が一定の価値感によることを示したに過ぎない。

 私は称賛する側の人間であるが、称賛しない側の人間がいることを示しただけである。

 

 

 もう一つ気になったことがある。

 それは「痩我慢を称賛するなら主戦論者を称揚するしかない」という部分。

 戦略的判断として分からないではないが、「それを露骨に言うか」という。

 これだと文天祥主戦論者を称揚するのが手段になってしまうではないか。

「それはひどくね?」と考えるのだが、どうなんだろう。

 まあ、「正直者でよろしい」とも言え、この辺は何とも言い難いが。

 

 

 以上が総論部分である。

 次の段落から勝海舟江戸城無血開城などについて論評していく。

 ただ、丁寧に読んでいくといろいろ「あれ?」と考えさせられることがあるのだなあ。

 それが分かっただけでもこのブログを書いた意味があった。

「痩我慢の説」を意訳する その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 

6 第四段落を意訳する

 今回は第四段落から意訳する。

 具体的には、「左れば自国の衰頽に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、」から「我慢能く国の栄誉を保つものというべし。」までの部分である。

 

(以下、第四段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 したがって、自国が滅亡寸前のヤバい状態で明らかに敵に滅ぼされると考えていても、結果が明らかになるまではあらゆる手を尽くすべきだ。

 和議という名の降伏や滅亡などは結果が明らかになってから考えればいい。

 これこそ、国造りの基礎で国民の義務である。

 そして、この「痩我慢」、弱者が強者に立ち向かうなら必要不可欠である。

 また、戦争のときだけ必要というわけではない。

 外交においても「痩我慢」を忘れてはならない。

 例えば、ヨーロッパではフランスとドイツという大国があるが、その間にオランダやベルギーといった小国が頑張っている。

 小国で頑張るよりも大国に吸収された方が楽かもしれねえ。

 でも、彼らは「痩我慢」をして小国を維持している。

 そして、この「痩我慢」が小国の名誉を維持しているのだ。

(意訳終了)

 

 この段落では「国造り」(立国)における「痩我慢」の重要性について述べている。

 このことは理解できた。

 

 ただ、気になったのは、「大国に吸収された方が安楽かもしれない」という部分である。

 リバイアサンに厳重な鎖をかけた近代主義から見れば、ある程度妥当かもしれない。

 しかし、現実はどうなのだろう?

「大国に吸収された方が利益がある」というのはそれほど正しくないのではないか?

 

7 第五段落を意訳する

 どんどん意訳していこう。

 次は第五段落、具体的には、「我が封建の時代、」から「その瘠我慢こそ帝室の重きを成したる由縁なれ。」の部分を意訳する。

 

(以下、第五段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 江戸時代、一万石の小大名が百万石の大大名に対して大名として譲るところがなかったのは「痩我慢」である。

 また、武士の世となった鎌倉時代以降、皇室は何百年もの長い間あってないような存在だった。

 ならば、公武合体といった手段で皇室を何かに吸収させるという便宜もあっただろう。

 しかし、皇室は困難にめげずにその権威を維持しようとした。

 例えば、皇室の忠臣、中山大納言は江戸に行った折、徳川将軍家を「吾妻の代官」と放言したらしい。

 こんなことを言えば、どんな後難があるかわからない。

 だが、この背後には「痩我慢」がある。

 そして、この「痩我慢」こそ皇室の権威を作っているのだ。

(意訳終了)

 

 この段落では「痩我慢」がもたらしたものについて書いてある。

 小大名が大大名に屈しなかったこと、承久の乱以降の逼塞されていた皇室がその状態を盛り返したこと、などなどである。

 ちなみに、ここで中山大納言(中山愛親)の話が出てくるが、これは光格天皇松平定信がもめた「尊号一件」のときのこと。

 中山愛親尊号一件の結果、閉門処分を受ける。

 ただ、結果的に見た場合、「尊号一件」を含む光格天皇の時代、天皇の権威を大きく世に知らしめることになる。

 

8 第六段落を意訳する

 次は第六段落を意訳する。

 具体的には、「また古来士風の美をいえば三河武士の右に出る者はあるべからず、」から「その家の開運は瘠我慢の賜というべし。」の部分である。

 

(以下、第六段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 三河武士は古来武士の美風を持つ集団として素晴らしかった。

 もちろん、それぞれの武士が持っていた長所はバラバラ。

 しかし、戦国時代、徳川の旗に集い、ひたすら徳川家に尽くして他家のことを見ず、不運や苦しい状況にもめげず、徳川のためには明らかに負ける状況でも突進していったこと、これは三河武士の特徴にして、徳川家の家風であった。

 そして、この家風があればこそ、家康公は天下を取れたのであり、これは「痩我慢」のおかげである。

(意訳終了)

 

 この段落では徳川家について言及している。

 徳川家臣団の「ひたすら徳川家に尽くす」という「痩我慢」、これこそ徳川家の天下を作ったのだ、と。

 

 ここまで、オランダ・ベルギー・小大名・皇室・徳川家とみてきた。

「痩我慢」がそれらの維持・繁栄の前提となっていることは分かる。

 

 私がメモを作っていて気になったのは、「『痩我慢』は手段か目的か」ということである。

「手段としての『痩我慢』の有用性」は理解できた。

 しかし、「利益を確保できるから『痩我慢』を採用しているのではないか」とも言える。

 

 その点が最も現れているのが徳川家の例である。

 徳川家康の少年時代、三河武士はあらゆる艱難辛苦がもたらされているような状況であった。

 それが緩和されたのは、武田勝頼織田信長が死んだ天正十年以降のことだろう。

 そして、そのような状況で一家離散を防び、自分たちの利益を維持するためには「痩我慢」という手段しかない。

「痩我慢が気に入ったから」痩我慢を選んだわけではないだろう。

 

 無論、「手段としての『痩我慢』に過ぎない」いったところで、「痩我慢」の重要性を否定するつもりはない。

 絶対化を否定し、相対化しているだけである。

 また、福沢諭吉勝海舟に対する論評を見る限り、福沢諭吉も「痩我慢」を目的化していないと考えられる。

 だから、私の考えたことはそれほど外れてないとは言えそうだ。

 

 

 そろそろ2000字を超えたので、今回は次回。

(変なところでぶつぎりすることはしないし、2000文字のボーダーは維持するが、去年よりも1記事の分量を減らしたいとは考えているので)。

「痩我慢の説」を意訳する その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 

4 第二段落を意訳する

 前回、第一段落を意訳したので、第二段落を意訳する。

 具体的には、「すべてこれ人間の私情に生じたることにして」から「その競争の極は他を損じても自から利せんとしたるがごとき事実を見てもこれを証すべし。」までの部分である。

 

(以下、第二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

「国造り」は人間のエゴによるもので、パブリックなんてフィクションだ。

 しかし、世界を眺めてみれば、人々は集団を作る。

 そして、言語・文字・歴史を共有し、結婚や交際を通じて衣食を共にし、苦楽を共にする。

 すると、あら不思議、集団は維持され、人々は集団から離れることができない。

 こうして国家や政府が作られる。

 国家や政府ができると人民はますます国家に執着する。

 他国のことを考えず、自国のことだけ考える。

 さらに、自国のことだけを考える人間を忠君だの愛国だのと称て美徳として称える。

 当初の我々が望むことから考えれば、なんと不思議なことか。

 このように、忠君だの愛国だのといったのものは人間のエゴに過ぎん。

 だからと言って、国家や集団を維持するためにはこれを美徳とせねばならん。

 つまり、哲学的に見たらエゴだとしても、立国から見れば公道である。

 さらに、この公道公徳は国家だけで行われるものではない。

 例えば、日本においても都道府県や市町村といった小さな区域に分けられている。

 この場合も、同じように自分の住む区域だけの利益を考えることは国家の場合と同じ、同様に美徳となる。

 このことは、欧米列強の各国、東アジアの日本・朝鮮・中国が隣接しつつも利害を異にしていること、日本の江戸時代、幕府を中央に戴く一方で地方は300近い藩に分けられ、藩同士が藩の利害・栄辱を重んじ、互いに譲らず、他の藩に損をさせても自分の藩の利益を図っていったという事実を見れば明らかだ。

(意訳終了)

 

 うーん、あまりいい訳ができていない。

 修業が足らないなあ。

 

 さて。

 第一段落では、自然状態を前提として「なんで国家が作って、それだけで飽き足らず、国家間で争うんだ?」みたいな問いを立てられていた

 この問い、ホッブスなら「万人の万人に対する闘争による不利益回避」を理由にするのだろう。

 他方、ジョン・ロックホッブスのような闘争は念頭にしないだろうが、「利益調整機関の必要性」を理由にすることになる。

 これに対して、福沢諭吉の主張は興味深い。

 要は、「人情的に離れられなくなる」という事実から「集団が政府になる」と述べている。

 機能的な必要性を掲げない点が日本的というかなんというか。

 この解釈は興味深い(よしあしについてはさておく)。

 

 あと、福沢諭吉は「国家ー地方」という形で複数の集団が階層的になっている構造を想定している点も興味深い。

 この辺は「『空気』の研究」を含む山本七平氏の研究を参照して欧米と比較すると何かが見えてきそうな気がするが、自分の頭のなかではまだまとまっていないので、別の機会にする。

 

5 第三段落を意訳する

 さて、訳を続けよう。

 今度は第三段落の「さて、この立国立政府の公道を」という部分から「情において忍びざるところなり」の部分までである。

 

(以下、第二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 さて、国家や政府の運営、平時はそれほど大変ではない。

 しかし、時勢の変遷とかもあるので、常に平時とはいかない。

 特に、衰退期には自国の維持できず、滅亡が明らかになるということもあるかもしれない。

 だが、この場合、奇跡を望み、または、力を尽くして亡ぶことを選ぶことは人情として普通にありえる。

 これは、両親が余命を宣告され、回復の望みがないことを理解していても、死の瞬間まで奇蹟を祈って看病や治療を続けるようなものだ。

 これだって、哲学的に見た場合、回復不可能であれば、病気による苦痛を死ぬまで味わわせるよりも、モルヒネを使って安楽死させた方が良いとだって言える。

 でも、生じえない奇跡を祈ることはあっても、親を安楽死させる選択は情として選べないだろ、それと同じことさ。

(意訳終了)

 

 以上が第三段落である。

 ここで、福沢諭吉は国家の運営について両親を使って喩えている。

 とすれば、国家と家族をある程度同一視していると考えてみてよい。

 つまり、国家を両親のように入れ替え不可能なもの考えている

 この発想は日本独特の色が強いように思われる。

 

 

 例えば、ジョン・ロックは社会的要請から政府が作られたと考えた。

 その結果、政府がその社会的要請を満たせないのであれば、革命を起こして政府を作り変えてもよい、という考えにもなった。

 つまり、「政府」は入れ替え可能なものと考えており、「共同体」と「政府」を一致したものとしては考えていない。

 

 また、中国の儒教では「忠」と「孝」という言葉が別の意味をもっていた。

 二つの言葉がある、別の意味を持つということから分かる通り、「忠」と「孝」は対象が異なる。

 また、行為規範も異なる(この辺は『「空気」の研究』で学んだ範囲のことしか分からないので、この辺を学んだときのメモへのリンクを貼るにとどめ、これ以上は踏み込まない)。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 ならば、中国・儒教において朝廷や政府に対する規範と家の中の規範は分離していた(共通項はあるのは当然としても)と考えられる。

 

 

 他方、福沢諭吉のこの主張においてその分離が見えない。

 やや極端な見方をすれば、「『政府』=『共同体』と考えている」ように見える。

 

 誤解されると困るので言い添えておくが、私は「福沢諭吉が『政府と共同体は一致するもの』と考えていた」とは思っていない(実際のところ、「分からない」としか言えない)

「『痩我慢の説』ではそのような前提を置いている」と考えるだけである。

 さらに、「政府と共同体は一致する」という考えについて今のところどうこういうつもりはない。

 現段階では私は考え方を確認しているにすぎないからである。

 

 

 以上、第三段落を見てきた。

 第四段落は次回以降に。

司法試験の過去問を見直す4 その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回は「区別」と「差別」の判断、つまり、違憲審査基準を見て、設問1を検討する。

4 区別か差別かの判断、つまり、平等原則に関する違憲審査基準

 まず、条文を確認する。

 

憲法14条第1項

 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

 この点、「平等」が原則だといっても、様々な社会的要請により取り扱いを変えること(合理的な区別)をせざるを得ないことがある。

 例えば、税金や保険料は所得によって税率が違うし、また、課税額も異なる。

 これは相対的平等・実質的平等を考慮した区別の具体例と言ってもよい。

 

 

 では、区別と差別はどのように基準で判断するのか。

 いわゆる平等原則違反の審査基準が問題となる。

 

 そして、ここで問題となるのが「後段列挙事由」に関する問題である

 つまり、憲法14条1項は後段で「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により」という文言があるが、この部分を審査基準においてどのように解釈するのかという問題がある。

 

 これについては大きく二つの考え方がある。

 一つ目の立場は「後段列挙事由は例示に過ぎない」と考えて、審査基準においてさほど重視しないもの。

 最高裁は一般にこの説を採っていると言われている。

 もう一方の立場は「人種差別、信条や信仰による差別、男女差別、身分による差別は歴史的になされてきた」という経緯を踏まえて、これらの差別についてはそうでない場合と比較して厳しい基準で臨むという立場である。

 

 この点、どちらの立場においても、審査基準は①目的の合理性(個人主義・民主主義が具体化した憲法上の権利・利益・要請との関係)、②目的と手段の関連性、③手段に伴う不利益の程度という3つの要件について検討することになる。

 しかし、後者の立場に立ち、かつ、後段列挙事由に基づく場合、各3要件について厳しく判断することになる。

 

 これに対して、前者の立場に立った場合、または、後者の立場を採用しながら、後段列挙事由に当たらない場合、「手段によって制限される権利」を見ながら、慎重に判断したり、緩やかに判断したりすることになる。

 例えば、「住所」によって日本国籍を有する国民に選挙権を与えない、または、投票の価値に差(3倍以上の差)を付けるといったことを考える。

 この場合、「住所」後段列挙事由にあたらないから、この場合は厳格な基準は用いない、あるいは、用いるべきではないと考えるかもしれない。

 しかし、選挙権は参政権のうち最も基本となる権利であることを考慮すれば、緩やかに考える、あるいは、約5倍近い差があっても合理的と言いうると主張するのは、制限される権利の重要性や民主主義の正当性の担保という観点から見れば妥当ではない。

 よって、この場合、制限される権利を見て、厳格に、慎重に判断することになる。

 

 

 この点、どちらか一方の立場に立つ必然性はない。

 ただ、ここでは「条文の文言に意味を持たせる」ということを尊重して後段列挙事由に意味を持たせる後者の立場で考えることにする。

 

 そして、後者の立場に立った場合、本問は「性別による差異が生じているケース」であるから、厳格に判断していくことになる。

 つまり、①目的が憲法上の利益を達成する上で必要不可欠なものであり、②手段が目的を達成するために必須のものであり、③手段による不利益が最小限度であるという3要件を満たさない限り、不合理な差別として違憲になる。

 

 以上を前提に設問1からみてみよう。

 

5 設問1(再婚禁止期間規定)に対する違憲審査

 では、設問1から見てみる。

 まず、設問1の問題文を確認する。

 

(問題文を再び引用)

以下の場合に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

1  再婚を希望する女性が,民法の再婚禁止期間規定を理由として婚姻届の受理を拒否された場合

2  女性のみに入学を認める公立高等学校の受験を希望する者が,男性であることを理由として願書の受理を拒否された場合

(引用終了)

 

 まず、目的から見てみよう。

 判例民法を知っている人間はこの規定が「生まれてきた子供の法律上の父親を確定させること(いわゆる、父性推定重複の防止)」のものであることは当然の前提になっている。

 

 これに対して、「本当か?」と思う人がいるかもしれない。

 例えば、「この規定は離婚直後に直ちに再婚するのは道徳上不謹慎であることから、それを法律で禁止し、健全な道徳を維持することが目的ではないのか?」など。

 しかし、このような目的を設定すると、次の疑問に答えられないことになる。

 

① 何故、女性だけ禁止するのか(男性が禁止されない理由は何か)

② 何故、出産後や妊娠していないことが確定している場合に禁止されない(民法733条2項)のか

 

 つまり、条文の作り(②は重要である)を考慮すると、「道徳の維持」という目的と整合しない。

 よって、この目的を認定してしまうと、「この人は論点を知識として知っているだけで、具体的な条文を知らないのではないか?」と疑問を持たれても抗弁できないだろう。

 もちろん、このような「道徳の維持」という目的を認定した場合、これこそ「後段列挙事由に基づく差別の典型例」となって、目的の部分で違憲となって一蹴されることになるが。

 閑話休題

 

 話を戻そう。

 再婚禁止規定の目的は「子供の父親を早期に確定すること」にある。

 そして、父親が誰かが決まらなければ、「子を扶養する義務を負うのは誰か(離婚前の夫か再婚後の夫か)」といった問題が生じる。

 当事者でスムーズに話し合いができればいいが、逆に、離婚・再婚をめぐって紛争が起きていたら、父親が決まらない。

 この場合、生まれた子どもの福祉の実現に対する重大な支障となりうる。

 産まれたばかりの子供に対する福祉に支障が生じれば、子どもの発育に重大な懸念が生じ、ひいては、子どもの人格(憲法13条によって保障)が致命的に損なわれかねない。

 以上を考慮すれば、①目的は憲法上の利益を実現するために必要不可欠であると言える。

 

 次に、②手段の関連性についてみてみよう。

 現代において父親を確定する手段としてDNA鑑定がある。

 そこで、「『父性推定の重複』が生じてもDNA鑑定をすればよく、再婚禁止期間を置く必要はそもそもない」という主張が考えられる。

 つまり、DNA鑑定で代替できるではないか、という主張である。

 しかし、DNA鑑定はタダではないし、鑑定結果が出るまでにタイムラグがある。

 その一方で、父親の早期確定は子の福祉にとっては重要であるし、そのためには形式的に決められる方が事務処理上の便宜もある。

 よって、DNA鑑定では代替手段となりえず、手段は必須であるということはできる。

 

 最後に、③手段の最小性についてみてみる。

 この点、法律上、父親が二重に推定される期間は離婚後百日間だけである。

 ならば、離婚後百日間については最小限度の制限と言える。

 しかし、離婚後百一日以降百八十日については父親が二重に推定される事はない。

 ならば、③百一日以降については最小限度の制限とは言えない。

 

 よって、百一日以降を禁止している部分については違憲であると言える。

 つまり、「本件が離婚後百一日以降の届出に対して受理しなかったのであれば違憲」という結論になる。

 

 

 この結論に関しては、実務から見れば様々な問題がある(これは後述する)が、司法試験の答案であれば、この結論でいいだろう。

 なお、この基準を採用した場合、必要不可欠の部分の評価は逆にして、再婚期間禁止規定の全部を違憲にもっていくことは可能かもしれないが、必要最小限度の要件をひっくり返すのは困難である。

 というのも、日数は客観的に、かつ、容易に判断できるからである。

 どうしても合憲の結論にもっていきたいなら、後段列挙事由に特別な意味を付与すべきではないと考えられる。

 

 

 では、最高裁判所の例示列挙で考えた場合、どうなるだろうか。

 この場合、違憲・合憲、どちらの結論も採用できる(私は全部を合憲にはしないが)。

 まず、審査基準が緩くなる関係で、目的と手段の関連性の基準は容易に満たすことができる。

 また、「手段の最小性」も要求されない(相当性は要求されるとしても)。

 ならば、①八十日は三カ月も満たないわずかな期間であること、②その期間であっても事実上婚姻生活を送ることができること、③内縁関係にも民法上の規定が類推適用できることなどを考慮して、不利益の程度を小さく評価することは不可能な話ではない。

 他方、①法律上「婚姻」と扱われるか否かは社会生活においても重要であること、②法律上婚姻が認められなければ名字の統一が不可能であること、憲法は24条において家族関係における両性の平等を重視していること等を主張して不利益の程度を大きく評価して百一日以降の不受理を違憲にすることもできる。

 この辺は丁寧に事実を拾い、丁寧に事実を評価すればよい(こちらの立場を採用した場合、丁寧な事実認定・事実評価は必須である)。

 また、答案政策上は設問がもう一個あることを考慮して、さらっと次にもっていくのもありだろう。

 

 

 以上、設問1の検討が終わった。

 ここまでは基本。

 次回は、応用、こと、設問2の検討に移る。

2021年の総括、2022年の目標

 令和3年が終わり、令和4年となった。

 そこで、去年を振り返りつつ、今年の目標をメモを残す。

 

1 メモ帳ブログについて

 令和3年、私は120個の記事をブログにアップした。

 つまり、「1カ月に『2000文字以上の記事』を10個ずつ書いた」ことになる(もちろん、ブログを本格的に書き始めたのは3月であり、「平均すればそうなる」に過ぎないが)。

 

 そこで、令和4年の目標は去年実践した量と同等にする。

 つまり、1年間で2000文字以上の記事を120個作成すること(1カ月あたり1個)を目標にする。

 

 

 次に、去年の私は読んだ本のうち特に重要と判断した本の内容をメモにまとめた

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 このメモ化は大いに勉強になった。

 そこで、今年も続けていく予定である。

 特に、山本七平氏と小室直樹氏の書籍はもっと理解したいので、この二方の書籍を読んでいく。

 具体的にメモにする予定の本はこちらである。

 

 

 

 

 

 

 また、『痛快!憲法学』等を読んだことをきっかけに、旧・司法試験の二次試験(論文式試験)の憲法第1問(人権)の問題を見直す、ということもした。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そこで、今年も去年行っていたことの続きを進めていく予定である。

 

 

 ただ、このメモブログ、時間をかけすぎている感じもしているので、量についてはセーブしていく。

 このブログは長く続けることの方が大事なので。

 

2 資格の取得について

 令和元年、私は「『資格を取る』という行為を通じて勉強をする」と決めた。

 そして、簿記3級と簿記2級の試験を受けて合格した。

 しかし、次の年の令和2年は体調が急激に悪化したこと、コビット・ナインティーンによる混乱などにより資格試験を一個も受けなかった。

 つまり、「令和の決意は1年で尻切れトンボ」とも言いえた。

 

 もっとも、去年の令和3年、「これではいかん」と考える。

 そして、FP技能検定の3級、FP技能検定の2級、統計検定の2級、そして、基本情報技術者の資格を得た。

 その結果、3年間で延べ6個の資格を得たことになる。

 これらの資格試験に関するメモは以前書いたとおりである。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、今年、令和4年。

「1年で尻切れトンボ」は免れたが、「3年で尻切れトンボ」というのは少々お寒い。

 そこで、今年も「資格試験を通じて勉強する」ことを考えている。

 ただ、去年は令和2年の遅れを取り戻すべく試験を受けすぎたので、今年は2個まで減らす予定である。

 

 受けようと考えている資格(カッコ内は試験のタイミング)は次のとおりである。

 

・統計検定1級(11月)

応用情報技術者(4月・10月)

・数学検定1級(4月・7月・10月)

・英語関係

 

 去年、私は統計検定2級の資格を取った。

 しかし、個人的には、もう少し統計に関して専門的に勉強したいと考えている。

 そこで、「統計検定1級」を目標にして統計学の勉強をしようと考えている。

 

 次に、去年、私は情報関係について基本情報技術者の資格を得た。

 しかし、こちらももう少し踏み込んで勉強したい。

 そこで、応用情報技術者」の資格を目指すのはありかな、と考えている。

 これはFP技能検定の2級や簿記の2級と同じ感覚である。

 

 さらに、「私がしたいと考えていること」があり(これは経済的利益と関連している)、それを実践するための前提知識に大学の数学がある。

 そこで、「数学検定1級」を目標にして大学数学の勉強をしようと考えている。

 

 最後に、英語関係。

 現時点で私に英語は必要ないが、将来は分からない。

 そこで、英語の勉強を始めるのもありかなあ、と考えている。

 ただし、優先順位は低いので、これは来年に回してもいい。

 

 

 以上、候補は4つ。

 英語を除けば3つ。

 去年との違いを見ると、「どの試験も簡単ではない」ということ。

 少なくても、去年受けた試験のように「直前に一気になんとかする」ということはできないだろう。

 そのため、「勉強の習慣の確立」という点も重要になる。

 その観点からチャレンジするのもありかなあ、と考えている。

 

3 プログラミングについて

 また、「将来したいこと」に必要不可欠なことの一つにプログラミングがある。

 この勉強、去年から始めたものの、あまり進まなかった。

 さらに、10月以降は何もしていない。

 

 これではいけない。

 こちらも勉強をしなければ。

 そして、勉強するだけでは意味がないので、「具体的な何かを作る」ところまでもっていきたい。

 

4 それ以外について

 最後に、大事なものとして「健康」がある。

 志半ばで目標が達成できずに終わるのは差し支えないが、そもそも「健康」がなければ目的は達成できない。

 健康の維持にも十分配慮する予定である。

 

 

 さて、年始に当たっていくつか具体的な目標(ミッション)を設定した。

 年末、どの程度達成できているだろうか。

 

 去年はだいたい半分というところであった。

 今年は7割くらい達成したいものである。

「痩我慢の説」を意訳する その1

1 はじめに

「痩我慢の説」という福沢諭吉の文章がある。

 

www.aozora.gr.jp

 

 これを「意訳」してみようと思う。

 

 この点、「意訳」であって「直訳」ではない。

 私がイメージしているのは「私釈三国志風意訳」である。

(当然だが、私が「私釈三国志」の訳の形を志向して意訳しているにすぎない、このブログの意訳の責任が私にあることは当然である

 

www5f.biglobe.ne.jp

 

 例えば、福沢諭吉は「痩我慢の説」の本文を勝海舟に送り、勝海舟に対して事実誤認の指摘や反論を求めた。

 その際の勝海舟の返答の一部(有名な部分)を意訳した結果は次のとおりである。

 なお、原文は次のサイトのものを利用した。

 

www.aozora.gr.jp

 

(原文)

 行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候。各人へ御示御座候とも毛頭異存無之候。

(引用終了)

 

(以下、意訳)

 私の出処進退は私が決める。

 あれこれいうのは他人の仕事、私は知らん。

 公開したけりゃ勝手にやれ。

(意訳終了)

 

 これでは「意訳を超えて異訳、または、違訳ではないか」と言えなくもない。

 まあ、直訳ではないことは明らかであるから、直訳を知りたい人は別のサイトなどを参照してほしい。

 ここから始まる一連の文章メモは言うなれば、「私釈『痩我慢の説』」なのだから。

 

2 「痩我慢の説」とは

 本文を意訳する前に「痩我慢の説」について確認する。

 

ja.wikipedia.org

 

「痩我慢の説」は福沢諭吉の書いた文章である。

 その内容は勝海舟と榎本武明が明治政府から爵位を受け(積極的かどうかはさておく)、または、出世していく様を論評・批判したものである。

 その批判の背景にあるものが「痩我慢」(やせがまん)である。

 

 この点、批判している部分は「新政府に対して2人が出世していく点」であって、戊辰戦争における二人の行為は称賛している。

 戊辰戦争における二人の立派な行為がなければ、「痩我慢の説」はそもそも存在しなかっただろう。

 

「痩我慢の説」は四部構成で成り立っている。

 最初に総論があり、「痩我慢」の重要性を説明している。

 次に、各論が二つあり、二人の行為を批判している。

 最後がまとめである。

 

 このまとめを要約し、私釈三国志風に意訳すると次のようになる。

 

(以下、私によるまとめ、私釈三国志風)

 民の暮らしを思えば、勝海舟江戸城無血開城は立派だった。

 徳川の家臣や「痩我慢」として見た場合、榎本武明の抵抗は特に立派だった。

 でも、その後、敵だった明治政府から爵位をもらったり、立身出世を重ねていったら、これらの立派な行為は台無し。

「痩我慢」の美徳も消し飛んでしまうじゃねーか。

 政府からもらった名誉や禄を捨て、さっさと隠棲しろ。

 まあ、人間弱いし、別の事情もあるだろうから隠棲できないかもしれねー。

 だから、痩せ我慢を維持していくために、同時代の人間として二人を批判した文章を書いとく。

(意訳終了)

 

 私が考える(違う可能性は十分ある)に、福沢諭吉は慎重だったと考えられる。

 というのも、この本文を批判した二人に文章を送り、「間違いや反論があったら指摘してほしい」と意見を求めているからである。

 それに対する勝海舟の返事(重要な部分のみ抜粋)は上の通り。

 また、この文章は明治24年頃に執筆されたが、公開されたのが明治34年である。

 つまり、長い間、関係者や周辺の人間しか知らなかった(それでも漏れたらしいが)ことになる。

 この点からも福沢諭吉の本文に対する慎重さが垣間見える。

 

 

 この点、私はどちらか一方のみの肩を持つ気はない。

 福沢諭吉のような立場であれば福沢諭吉のようなことを書くだろう。

 それに対して、勝海舟側のような立場であれば、勝海舟のような振る舞いをするだろう。

 そう考えるからである。

 

3 第一段落を意訳する

 まず、第一段落を意訳してみる。

 具体的には、「立国は私なり、公に非なり。」から「つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。」までの部分である。

 

(以下、第一段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 国家はエゴによって作られる。

 パブリックなんてフィクションだ。

 地球上にはたくさんの人間がいる。

 人々は海や山によって集団毎に分けられてしまう。

 だが、住んでいる土地を利用して食べ物や衣類を作って生活すればいい。

 また、余ったもの、足らないものはお互いに交易するのもいいだろう。

 このように、太陽や自然の恵みを使って、土地を耕して食料を食べ、物を生産し、交易をして豊かな生活を送る。

 これが実現すれば十分じゃねーか。

 それなのに、なんで国境を作って国家なんか作るんだ?

 なんで国家同士で縄張り争いするんだ?

 なんで隣の国家の不幸を気にせず、自分の利益に邁進するんだ?

 さらに、国家の中でボスを作って、ボスを「君」なんて立派に仰ぎ、その上、みんなの財産を空費するのはなんでやねん?

 しかも、国家の中で複数の集団に分け、それぞれの集団で中ボスを作って、中ボスを仰いで服従し、隣の集団と競争するなんてまあバカなことか。

(意訳終了)

 

 、、、改めて自分の言葉に変換してみると見えてくるものがあるな。

 この点、近代国家はジョン・ロックの思想の上に立っている。

 そのロックの前提は次のとおり。

 

・身分や特権はない(人はみな平等である)

・人には予見能力があるので、飢えをしのぐための食料などの資源(富)を求める、その際、現在の分だけではなく、将来の分も確保しようとする

・人間は「労働」によって富を増加させられるので、富は無限である

 

 第一段落の前半部分は、ロックの思想と極めて類似する。

 このロックの思想に対して、ホッブスが別の前提を置いた点はこれまで触れてきた通り。

 そして、ホッブスの前提と帰結が「富は有限である」であり、その結果、「万人の万人に対する闘争をもたらす」となる点はこれまでさんざん触れてきた通りである。

 

 日本は自然が豊かである。

 だから、ジョン・ロックの前提がすんなり受け入れられたのだろう。

 一方、日本が砂漠の国(アラビア)や人口過剰の国(中国・インド)だったらどうだろう。

 ジョン・ロックの思想は一顧だにされないかもしれない。

 

 ジョン・ロックの思想から見た場合、「なんで争うの?」という問いは正当である。

 しかし、現実に争いは絶えないし、争いを勝ち抜くにはリーダー(権力と権威を代行する者)が必要になる(アテナイペロポネソス戦争参照)。

 また、ホッブスの前提を置けば「争いは起きて当たり前」になる。

 

 当然だが、福沢諭吉をどうこういうつもりはない。

 ただ、明治時代は近代思想を必死で取り入れていった時代。

 近代思想という補助線を引きながら「痩我慢の説」を見ていったら面白いかもしれない。

 第一段落を意訳してそんなことを考えた。

 

 

 第二段落以降は次回、いや、来年以降に

(この記事は年内120個目の記事であり、これにて年内の記事は終了である)。

 では、皆さん、良いお年を。