薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

先日の最高裁判所の違憲判決を見て感じたこと

 最近、13件目の最高裁判所による法令違憲判決が出た。

 そこで、その最高裁判決を見て感じたこと、確認したことをメモに残しておく

 

 この点、「被害者救済に照らして妥当な判決である」といった実体的な部分に対してコメントすることはない。

 結論自体に反対するつもりは全くないから

 また、法理論的なところに踏み込むつもりもない。

 

 つまり、このブログで書くことはそれ以外のことである。

 そして、その内容をワンワードで示せば、

 

嗚呼、国会は大いに劣化せり

 

ということになるだろうか。

 

1 憲法上の権利に対する制約が違憲であることに対する言及

 最初に感じたのが、「法令違憲の理由がたったこれだけ?」という点である。

 

 この点、判決理由中、法令違憲と立法不作為の違憲性に関する言及は第6項第1号にあるところ、文字数をカウントしたら約2200文字しかなかった

 ちなみに、平成27年の再婚禁止規定違憲判決は明らかに8000文字を超えている。

 他の法令違憲判決も似たり寄ったりであろう(他の判決も調べようかと考えたが、あまりの落差にやる気をなくした)。

 

 この点、本件は重要な争点が別にあり、かつ、その点について判例変更もなされている。

 それゆえ、法令違憲に分量を割けなかったと言えなくもない。

 ただ、この規定を合憲であると考える側が、「こんな簡単に法律を違憲にしていいのか」と批判的に考えたとしても不思議ではない。

 もちろん、「簡単に違憲にできるほど法令があれだった」ということなのだろうが。

 

 

 ここで法令違憲に関する最高裁判所判決の判示を確認する。

 なお、この件に関する最高裁判決は5点あるが(後述)、今回はそのうちの1点を取り上げるものとする。

 

令和5年(オ)第1341号国家賠償請求事件

令和6年7月3日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「旧優生保護法違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/159/093159_hanrei.pdf

 

令和5年(受)第1050号国家賠償請求事件

令和5年(受)第1319号国家賠償請求事件

令和5年(受)第1323号国家賠償請求事件

令和5年(受)第1411号国家賠償請求事件

令和6年7月3日最高裁判所大法廷判決

 

 まず、法令が憲法13条に反する点から。

 

(以下、上記リンク先の最高裁判決から引用、セッション番号等は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 本件規定は、①優生保護法の定める特定の疾病や障害(以下「特定の障害等」という。)を有する者、②配偶者が特定の障害等を有する者又は③本人若しくは配偶者の4親等以内の血族関係にある者が特定の障害等を有する者を対象者とする不妊手術について定めたものである。

 憲法13条は、人格的生存に関わる重要な権利として、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由を保障しているところ(中略)、不妊手術は、生殖能力の喪失という重大な結果をもたらす身体への侵襲であるから、不妊手術を受けることを強制することは、上記自由に対する重大な制約に当たる

 したがって、正当な理由に基づかずに不妊手術を受けることを強制することは、同条に反し許されないというべきである

 これを本件規定についてみると、(中略)、本件規定の立法目的は、専ら、優生上の見地(中略)から、特定の障害等を有する者が不良であるという評価を前提に、その者又はその者と一定の親族関係を有する者に不妊手術を受けさせることによって、同じ疾病や障害を有する子孫が出生することを防止することにあると解される。

 しかしながら、憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重を宣言しているところ、本件規定の立法目的は、特定の障害等を有する者が不良であり、そのような者の出生を防止する必要があるとする点において、立法当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえないものであることが明らかであり、本件規定は、そのような立法目的の下で特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反するものといわざるを得ない。

 したがって、本件規定により不妊手術を行うことに正当な理由があるとは認められず、本件規定により不妊手術を受けることを強制することは、憲法13条に反し許されないというべきである。

 なお、本件規定中の優生保護法3条1項1号から3号までの規定は、本人の同意を不妊手術実施の要件としている。

 しかし、(中略)そのような規定により行われる不妊手術について本人に同意を求めるということ自体が、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されないのであって、これに応じてされた同意があることをもって当該不妊手術が強制にわたらないということはできない。

 加えて、優生上の見地から行われる不妊手術を本人が自ら希望することは通常考えられないが、周囲からの圧力等によって本人がその真意に反して不妊手術に同意せざるを得ない事態も容易に想定されるところ、同法には本人の同意がその自由な意思に基づくものであることを担保する規定が置かれていなかったことにも鑑みれば、(中略)その実質において、不妊手術を受けることを強制するものであることに変わりはないというべきである。

(引用終了)

 

「こんなことを『あの』最高裁判所が判決として書けるのか」と考えさせられるような文章であった。

 そして、正直に申し上げれば、私自身、こんなことを最高裁判所が判決で書けるとは想定すらしていなかった。

 この点は、素直に自分の思い違いを恥じなければならないだろう。

 

 

 なお、ここで確認しておきたいのは次の2点。

 

 まず、規範部分について

 最高裁判決は、「正当な理由に基づかずに(上記自由に対する重大な制約に当たる)不妊手術を受けることを強制することは、同条に反し許されない」と規範を立てている。

 そして、「目的において正当な理由すらない」と切って捨てている。

 

 ただ、この規範部分だけを見ると、「上記自由に対する重大な制約に対して『正当な理由』さえあれば合憲になる」とも読める

 そして、この「正当な」というのは結構緩やかな基準に見える。

 この点は、猿払事件に対する憲法学者らの批判を見ればわかるし、選挙権の制限が問題になった在外日本人選挙権制限違憲判決を見てもわかる。

 

平成13年(行ツ)第82号在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件

平成17年9月14日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「在外日本人選挙権制限違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/338/052338_hanrei.pdf

 

 選挙権の行使という重要な権利の制限について、最高裁判所は次のように述べた。

 

(以下、在外日本人選挙権制限違憲判決から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず,国民の選挙権又はその行使を制限するためには,そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。

 そして,そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り,上記のやむを得ない事由があるとはいえず,このような事由なしに国民の選挙権の行使を制限することは,憲法15条1項及び3項,43条1項並びに44条ただし書に違反するといわざるを得ない。

 また,このことは,国が国民の選挙権の行使を可能にするための所要の措置を執らないという不作為によって国民が選挙権を行使することができない場合についても,同様である。

(引用終了)

 

 この判決は「やむを得ない事由」を要求しており、「正当な理由」どころではない。

 とすれば、故意または日本教的習性により規範の部分のみを「切り抜き」をする人間が現れて、この基準が独り歩きすれば、と不安に感じないわけではない。

 

 

 しかし、千葉勝巳裁判官が次の最高裁判決の補足意見で述べていたことを考慮すれば、最高裁判所は通常のパターンを踏んだだけ、ともいえる。

 逆に言えば、この短い点は通常通りであって、その点が確認できたともいえる。

 

平成22年(あ)第762号国家公務員法違反被告事件

平成24年12月7日最高裁判所第二小法廷判決

(いわゆる「堀越事件判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/801/082801_hanrei.pdf

 

(以下、「堀越事件判決」より引用、各文毎に改行、一部中略、なお強調は私の手による)

 この見解を踏まえると,猿払事件大法廷判決の上記判示は,当該事案については,公務員組織が党派性を持つに至り,それにより公務員の職務遂行の政治的中立性が損なわれるおそれがあり,これを対象とする本件罰則規定による禁止は,あえて厳格な審査基準を持ち出すまでもなく,その政治的中立性の確保という目的との間に合理的関連性がある以上,必要かつ合理的なものであり合憲であることは明らかであることから,当該事案における当該行為の性質・態様等に即して必要な限度での合憲の理由を説示したにとどめたものと解することができる(中略)。

 ちなみに,最高裁平成10年12月1日大法廷決定・民集52巻9号1761頁(裁判官分限事件)も,裁判所法52条1号の「積極的に政治運動をすること」の意味を十分に限定解釈した上で合憲性の審査をしており,厳格な基準によりそれを肯定したものというべきであるが,判文上は,その目的と禁止との間に合理的関連性があると説示するにとどめている。

 これも,それで足りることから同様の説示をしたものであろう

(引用終了)

 

 なお、これに対する私の感想は従前と同じなので、省略する。

 あるいは、最高裁判所の基準は限定的に使わないと足元をすくわれる」とも。

 

 あと、最高裁判所が「空気による圧力」を事実として認定した点はちゃんと確認したい。

 できれば、刑事手続においても、という感じがしないではないが。

 

 

 なお、平等原則違反に関する判示は次のとおりである。

 憲法第13条違反が認定されている以上、こちらはあっさりしている。

 

(以下、上記リンク先の最高裁判決から引用、セッション番号等は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 また、憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定が、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(中略)。

 しかるところ、(中略)、上記のとおり、本件規定により不妊手術を行うことに正当な理由があるとは認められないから、上記①から③までの者を本件規定により行われる不妊手術の対象者と定めてそれ以外の者と区別することは、合理的な根拠に基づかない差別的取扱いに当たるものといわざるを得ない。

(引用終了)

 

2 国会の機能

 次に、立法不作為に関する判示は次のとおりである。

 

(以下、上記リンク先の最高裁判決から引用、セッション番号等は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 以上に述べたところからすれば、本件規定の内容は、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であったというべきであるから、本件規定に係る国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評価を受けると解するのが相当である(最高裁平成13年(行ツ)第82号、第83号、同年(行ヒ)第76号、第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。 

(引用終了)

 

 立法不作為ではなく、立法行為自体の違憲性があっさり認定されてしまった

 それから、憲法上の権利の制限を正当な理由がないことが明らか=立法行為の違法性が明白」というのはリンクしているとみていいのだろうか。

 いずれにせよあれである。

 

 

 ところで、この最高裁判決を見てから、立法行為の違憲性を事実上否定した在宅投票制度廃止違憲訴訟最高裁判決と比較すると興味深い。

 なお、この判決は判例変更されておらず、在外日本人選挙権制限違憲判決でさえこの判例の趣旨に変更はない旨述べている。

 

昭和53年(オ)第1240号国家賠償請求事件

昭和60年11月21日最高裁判所第一小法廷判決

(いわゆる「在宅投票制度廃止違憲訴訟最高裁判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/654/052654_hanrei.pdf

 

(以下、在宅投票制度廃止違憲訴訟から引用、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

(前略)憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれらを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意を形成すべき役割を担うものである。

 そして、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであつて、議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためにも、国会議員の立法過程における行動で、立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものは、これを議員各自の政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とする

 さらにいえば、立法行為の規範たるべき憲法についてさえ、その解釈につき国民の間には多様な見解があり得るのであつて、国会議員は、これを立法過程に反映させるべき立場にあるのである。

 憲法五一条が、「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。」と規定し、国会議員の発言・表決につきその法的責任を免除しているのも、国会議員の立法過程における行動は政治的責任の対象とするにとどめるのが国民の代表者による政治の実現を期するという目的にかなうものである、との考慮によるのである。

 このように、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであつて、その性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から、あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原則的には許されないものといわざるを得ない。(中略)

 以上のとおりであるから、(中略)、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。

(引用終了)

 

 最近の法令違憲判決や国会のごたごたを見るに、原則論的な話で済まなくなった、というところなのだろうか

 本判決の結論自体には大いに賛成であるが、判決を見るにつけ国会の劣化を感じざるを得なかった

 

 

 以上、感じたことをメモに残しておいた。

 では、今回はこの辺で。