薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す18 その6

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 司法試験・二次試験・論文式試験の平成2年度の憲法第1問を見ていく。

 なお、問題自体の検討は前回で終了しているため、今回以降は問題を通じて考えたことを述べて、本問の検討を終了する。

 

8 法の下の平等の意義

 平等原則が問題になるときに問われるのが、「法の下の平等」の意義である。

 そして、この問いは「法の下」に意義と「平等」の意義の2つに分解される。

 

 まず、「法の下」が法適用の平等を含むことは争いはない。

 しかし、法適用の平等を超えて法内容の平等を含むかどうか、ということは争点になりえた。

 そして、判例通説がこれを肯定している点はこれまで確認した通りである。

 

 そして、平等の意義について「絶対的」・「機械的」平等だけではなく、「相対的」・「実質的」平等をも含むと考える。

 相対的平等を認めるのは、事実上の差異を機械的に適用すればかえって不都合な結果を招来するためである。

 また、実質的平等を認めるのは、憲法社会福祉政策を予定しているから、となる。

 

 以上がいわゆる判例・通説の考え方である。

 

 

 ところで、事実上の差異に対して合理的区別を定めることが差別に当たらない、と言う結論はある種当然の結論である。

 ただ、平等が実質的・相対的平等を指すからこそ「法内容の平等」まで要求できる、という感じもしないではない

 その意味で、この両論点は本来分離できないような気もする。

 どうなんだろう。

 

9 合理的区別について_最近の最高裁判決から

 憲法は合理的区別を容認することは既に見てきた通り。

 とはいえ、合理的区別と差別の境界は正直よくわからない。

 

 というわけで、平等に関する最高裁判例を眺めてみた。

 見ていった判例を新しい順番でみていく。

 ただ、選挙権に関するものは後回しにして一括してみていく。

 

 

 まずは、以前に確認した再婚禁止規定違憲判決である。

 

平成25年(オ)1079号損害賠償請求事件

平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「再婚禁止規定違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/547/085547_hanrei.pdf

 

 この判決は、法律上の二重の推定が及ばない部分(80日間)の再婚を禁止する規定を違憲と判断した。

 興味深いことは、この判決で手段の合理性を検討する際、「合理的関連性」という6文字が使われていないことである。


(以下、再婚禁止規定違憲判決より引用、セッション番号は省略、各文毎改行、一部中略、強調は私の手による)

 次に,女性についてのみ6箇月の再婚禁止期間を設けている本件規定が立法目的との関連において上記の趣旨にかなう合理性を有すると評価できるものであるか否かが問題となる。(中略)

 女性の再婚後に生まれる子については,計算上100日の再婚禁止期間を設けることによって,父性の推定の重複が回避されることになる。

(中略)父性の推定の重複を避けるため上記の100日について一律に女性の再婚を制約することは,婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものではなく,上記立法目的との関連において合理性を有するものということができる。(中略)

 婚姻をするについての自由が憲法24条1項の規定の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであることや妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。(中略)

 本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。(中略)

 婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものとして,その立法目的との関連において合理性を欠くものになっていたと解される。

(引用終了)

 

 この点について、千葉勝美裁判官(裁判官出身)は「本判決は『合理的関連性があれば足りる』という原則が適用されない事例であるため、いわゆる実質的関連性の基準(厳格な合理性の基準)を用いて判断している」旨述べている。

 

(以下、千葉裁判官の補足意見、セッション番号は省略、各文毎改行、一部中略、強調は私の手による)

 ところで,従前,当審は,法律上の不平等状態を生じさせている法令の合憲性審査においては,このように,立法目的の正当性・合理性とその手段の合理的な関連性の有無を審査し,これがいずれも認められる場合には,基本的にはそのまま合憲性を肯定してきている。

 これは,(中略)そもそも国会によって制定された一つの法制度の中における不平等状態であって,当該法制度の制定自体は立法裁量に属し,その範囲は広いため,理論的形式的な意味合いの強い上記の立法目的の正当性・合理性とその手段の合理的関連性の有無を審査する方法を採ることで通常は足りるはずだからである。

 しかしながら,(中略),憲法上の保護に値する婚姻をするについての自由に関する利益を損なうことになり,(中略),形式的な意味で上記の手段に合理的な関連性さえ肯定できれば足りるとしてよいかは問題であろう。

 このような場合,立法目的を達成する手段それ自体が実質的に不相当でないかどうか(この手段の採用自体が立法裁量の範囲内といえるかどうか)も更に検討する必要があるといえよう。

(引用終了)

 

 この判決において、合理的関連性・合理的な関連性という言葉はこの意見の部分にしか登場しない。

 とすると、この判決における「立法目的との関連において合理性を欠く」とは、「合理的関連性がない」ではなく、いわゆる「実質的関連性がない」ということなのだろう。

 

 

 次に、非嫡出子相続分差別規定の違憲判決を見てみる。

 

平成24年(ク)984号遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件

平成25年9月4日最高裁判所大法廷決定

(いわゆる「非嫡出子相続分差別規定違憲決定」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/520/083520_hanrei.pdf

 

 この判決を見ていて興味深い部分があったので、その点を先に取り上げておく。

 

(以下、非嫡出子相続分差別規定違憲判決から引用)

 その定めの合理性については,個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され,吟味されなければならない。

(引用終了)

 

 以前、「『合理性』とはなんぞや」ということを考えたことがあったが、最高裁判所は平等における合理性は憲法秩序、つまり、個人主義や民主主義にとってのものである旨述べている。

 最高裁判所がこんなことを言っていたとは知らなかった・・・。

 

 ところで、ここでも千葉裁判官が補足意見を書かれているが、ここでは別の憲法訴訟上の重大な論点(違憲判決の効果)について述べられているので、省略する。

 もちろん、この問題点があったからこそ、次の引用部分に示された通り最高裁判所は当該規定への違憲判決を控えていたという事情があったから、極めて重要なものではあるのだが。

 

(以下、非嫡出子相続分差別規定違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎改行、一部中略、強調は私の手による)

 当裁判所は,平成7年大法廷決定以来,結論としては本件規定を合憲とする判断を示してきたものであるが,平成7年大法廷決定において既に,嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに,婚姻,親子ないし家族形態とこれに対する国民の意識の変化,更には国際的環境の変化を指摘して,昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ,その後の小法廷判決及び小法廷決定においても,同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた(中略)。

 特に,前掲最高裁平成15年3月31日第一小法廷判決以降の当審判例は,その補足意見の内容を考慮すれば,本件規定を合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。

 前記キの当審判例の補足意見の中には,本件規定の変更は,相続,婚姻,親子関係等の関連規定との整合性や親族・相続制度全般に目配りした総合的な判断が必要であり,また,上記変更の効力発生時期ないし適用範囲の設定も慎重に行うべきであるとした上,これらのことは国会の立法作用により適切に行い得る事柄である旨を述べ,あるいは,速やかな立法措置を期待する旨を述べるものもある。(中略)

 そうすると,関連規定との整合性を検討することの必要性は,本件規定を当然に維持する理由とはならないというべきであって,上記補足意見も,裁判において本件規定を違憲と判断することができないとする趣旨をいうものとは解されない。

 また,裁判において本件規定を違憲と判断しても法的安定性の確保との調和を図り得ることは,後記4で説示するとおりである。

(引用終了)

 

 裁判官たちの「お前らえーかげんにせー」という感情が見えてくるのはうがちすぎであろうか。

 ちなみに、上の再婚禁止規定の違憲判決とこの非嫡出子相続分差別規定の違憲判決では差別規定を合憲とする意見(反対意見)を付す裁判官が1人もいなかった点は興味深い

 次回に述べる予定の国籍法違憲判決や尊属殺重罰規定違憲では少なくても1人以上の裁判官が反対意見を述べているのに。

 

 それから、当判決は平成25年の9月になされたところ、国会は3か月後の12月に民法を改正し、同月中に施行している。

「国会は違憲判決を待っていた」のだろうか。

 

 

 この点、この規定に対して合憲判決が下した最高裁判決では次のように述べている。

 

平成3年(ク)144号遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件

平成7年7月5日最高裁判所大法廷決定

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/859/055859_hanrei.pdf

 

(以下、上記判決から引用、セッション番号は省略、一部中略、強調は私の手による)

 本件規定を含む法定相続分の定めは、右相続分に従って相続が行われるべきことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮すれば、本件規定における嫡出子と非嫡出子の法定相続分の区別は、その立法理由に合理的な根拠があり、かつ、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、いまだ立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる限り、合理的理由のない差別とはいえず、これを憲法一四条一項に反するものということはできないというべきである。(中略)

 現行民法法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。

(引用終了)

 

 つまり、法定相続分における違憲審査基準は明白性の原則によって審査する旨述べており、それに従い、2分の1の差をつけたことを著しく不合理ではないと述べている。

 この半分がどの辺までいくと著しく不合理になるのか、という点は興味深いところである。

 ある時、参議院の定数配分の訴訟で約5倍の差を合憲と考えていたことを考慮すれば、1桁の差(10倍の差)であればともかく、半桁の差(3.2倍)であれば著しく不合理とまでは言えないのではないか、とも推測できる。

 まあ、よくわからないが。

 

 なお、反対意見では次のように述べ、いわゆる「実質的関連性の基準」によって審査すべきと述べ、当該規定を違憲としている。

 

(以下、反対意見から引用、強調は私の手による)

 本件規定で問題となる差別の合理性の判断は、基本的には、非嫡出子が婚姻家族に属するか否かという属性を重視すべきか、あるいは被相続人の子供としては平等であるという個人としての立場を重視すべきかにかかっているといえる。

 したがって、その判断は、財産的利益に関する事案におけるような単なる合理性の存否によってなされるべきではなく、立法目的自体の合理性及びその手段との実質的関連性についてより強い合理性の存否が検討されるべきである。

(引用終了)

 

 この基準を採用すべき背後にあるのが、尾崎行信裁判官(弁護士出身)の追加反対意見で示された次の部分であろう。

 

(以下、裁判官尾崎行信の追加反対意見から引用、セッション番号は省略、各文毎改行、強調は私の手による)

 本件規定の定める差別がいかなる結果を招いているかをも考慮すべきである。

 双方ともある人の子である事実に差異がないのに、法律は、一方は他方の半分の権利しかないと明言する。

 その理由は、法律婚関係にない男女の間に生まれたことだけである。

 非嫡出子は、古くから劣位者として扱われてきたが、法律婚が制度として採用されると、非嫡出子は一層日陰者とみなされ白眼視されるに至った。(中略)

 本件規定の本来の立法目的が、かかる不当な結果に向けられたものでないことはもちろんであるけれども、依然我が国においては、非嫡出子を劣位者であるとみなす感情が強い。

 本件規定は、この風潮に追随しているとも、またその理由付けとして利用されているともみられるのである。

 こうした差別的風潮が、非嫡出子の人格形成に多大の影響を与えることは明白である。

 我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である。(中略)

 憲法が個人の尊重を唱え、法の下の平等を定めながら、非嫡出子の精神的成長に悪影響を及ぼす差別的処遇を助長し、その正当化の一因となり得る本件規定を存続させることは、余りにも大きい矛盾である。

 本件規定が法律婚や婚姻家族を守ろうとして設定した差別手段に多少の利点が認められるとしても、その結果もたらされるものは、人の精神生活の阻害である。

 このような現代社会の基本的で重要な利益を損なってまで保護に値するものとは認められない。

(引用終了)

 

 この判決は約30年前の判決である。

 ただ、憲法という観点から離れてみると、この文章の「我々の目指す社会は、人が個人として尊重され、自己決定権に基づき人格の完成に努力し、その持てる才能を最大限に発揮できる社会である」という部分が日本教に適合するものだろうか、そのような社会を目指す意思を日本国民や政治家が持っているだろうか、という疑問を持たないではない。

 どうなんだろう。

 

 

 実は、この後、国籍法違憲判決、サラリーマン税金訴訟、尊属重罰規定違憲判決、選挙訴訟などを見ていく予定だった。

 しかし、既に結構な分量になってしまったため、残りは次回と次々回に回す。