今回はこのシリーズの続き。
旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成17年度の憲法第1問についてみていく。
なお、今回は本問を通じて考えたことを述べていく。
8 最高裁判所の法令違憲判決から見えてくるもの
戦後約80年間、最高裁判所はいくつかの法令違憲判決を下している。
具体的に見ていくと、次のとおりである。
(なお、カッコ内は違憲判決が出されたタイミングと問題となった権利)
昭和45年(あ)2580号尊属殺人事件
昭和48年4月4日最高裁判所判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/578/059578_hanrei.pdf
昭和43年(行ツ)120号行政処分取消請求
昭和50年4月30日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf
3、公職選挙法定数配分規定違憲判決(衆議院、昭和51年判決、平等権)
昭和49年(行ツ)75号選挙無効請求事件
昭和51年4月14日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/234/053234_hanrei.pdf
4、公職選挙法定数配分規定違憲判決(衆議院、昭和60年判決、平等権)
昭和59年(行ツ)339号選挙無効事件
昭和60年7月17日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/712/052712_hanrei.pdf
5、森林法共有林事件違憲判決(昭和62年、財産権)
昭和59(オ)805号共有物分割等事件
昭和62年4月22日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/203/055203_hanrei.pdf
6、郵便法事件違憲判決(平成14年、国家賠償請求権)
平成11年(オ)1767号損害賠償請求事件
平成14年9月11日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/038/057038_hanrei.pdf
7、在外日本人選挙権訴訟違憲判決(平成17年、選挙権)
平成13年(行ツ)82号在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件
平成17年9月14日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/338/052338_hanrei.pdf
8、国籍法違憲判決(平成20年、平等権)
平成19年(行ツ)164号国籍確認請求事件
平成20年6月4日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/416/036416_hanrei.pdf
9、非嫡出子相続分差別規定違憲判決(平成25年、平等権)
平成24年(ク)984号遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件
平成25年9月4日最高裁判所大法廷決定
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/520/083520_hanrei.pdf
10、再婚禁止規定違憲判決(平成27年、平等権)
平成25年(オ)1079号損害賠償請求事件
平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/547/085547_hanrei.pdf
11、在外邦人国民審査権制限規定違憲判決(令和4年、参政権)
令和2年(行ツ)255号
在外日本人国民審査権確認等、国家賠償請求上告、同附帯上告事件
令和4年5月25日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/190/091190_hanrei.pdf
興味深いのはその多くが参政権と平等権に関連している点であろうか。
定数配分規定違憲判決は平等権の問題である一方、参政権の問題でもある。
「最高裁判所は何を志向しているのか」という観点からこれを見ると興味深い。
前回の過去問検討において、最高裁判所は人権規定の私人間適用について、平等が関連する問題に対して公序良俗違反・違法の判断をすることがより多いのではないか、という推測を立てたが、この傾向と法令違憲の傾向はある程度重なるようである。
そして、平等権も参政権も関連しない判決は3つ。
国家賠償請求権といった請願権が関連する法令違憲判決が1個である。
営業の自由・財産権といった経済的自由権に関連する法令違憲判決が2個である。
ちなみに、精神的自由権や社会権に関する法令違憲判決は現時点では存在しない。
この点、社会権に対する制約については立法裁量が極めて広くなることから、違憲判決が存在しないことは不思議ではない。
しかし、精神的自由権に関する法令違憲判決がないというのは興味深い。
経済的自由に対する立法裁量論、あるいは、いわゆる二重の基準の発想を考慮すると、経済的自由を規制する立法よりも精神的自由を規制する立法の方が厳格な審査を受けると言われている。
これは憲法学者が述べているだけではなく、最高裁判所が認めている。
というのも、泉佐野市民会館事件最高裁判決に次の記載があるからである。
(以下、泉佐野市民会館事件判決から引用)
集会の自由の制約は、基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならない(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。
(引用終了)
興味深いのはこの判決では薬事法距離制限事件違憲判決を引っ張ってきていることであろうか。
しかし、精神的自由を制約する規制立法に関する法令違憲判決がない。
また、これらのケースでは合憲限定解釈で法令を救済していることもしばしある。
例えば、税関検査事件最高裁判決。
例えば、よど号ハイジャック新聞記事抹消事件。
あるいは、平成18年の在監者の表現の自由を違法に制限した国家賠償請求事件での監獄法の法解釈。
(以下、各判決へのリンクを掲載)
昭和57年(行ツ)156号輸入禁制品該当通知処分等取消事件
昭和59年12月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/690/052690_hanrei.pdf
(いわゆる「税関検査事件最高裁判決」)
昭和52(オ)927号損害賠償請求事件
昭和58年6月22日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/137/052137_hanrei.pdf
(いわゆる「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件最高裁判決」)
平成元年(オ)762号損害賠償事件
平成7年3月7日最高裁判所第三小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/449/052449_hanrei.pdf
平成19年9月18日最高裁判所第三小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/114/035114_hanrei.pdf
平成15年(オ)422号損害賠償請求事件
平成18年3月23日最高裁判所第一小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/855/032855_hanrei.pdf
広島県暴走族追放条例事件では、反対意見(条例を違憲無効にせよとの主張)においても「被告人らの行為について可罰性がある」旨述べている。
そこで、判決では規制範囲が広範に見える本件条例について法解釈を用いて限定化し(これを合憲限定解釈と述べるかはさておく)、条例を救済している。
そして、他の事件もこれとパラレルに見える。
とすれば、他の事件でも「利益衡量の結果として、あるいは、利益衡量をするまでもなく、原告・被告人の行為は保護に値しない」という発想が背後にあることになる。
札幌の税関検査事件最高裁判決はまさにその通りではないか。
そして、泉佐野市民会館事件も。
これらの判決からも、最高裁判所は精神的自由権それ自体に重要な価値を見出していない、と言えそうである。
もちろん、リップサービスをするくらいの配慮はする、あるいは、するべきだと考えているということあっても。
なお、このことは社会権や経済的自由権の違憲審査の際に背景にある立法裁量などは関係ない。
というのも、二重の基準論は政府・国会と裁判所の役割分担の問題に過ぎず、必ずしも精神的自由権の方が経済的自由権よりも重要であるということを意味しないからである。
つまり、二重の基準論のような最高裁判所の意見と精神的自由それ自体に重要な価値を見出していないという判断は十分両立する。
また、日本教が言葉や議論(論理)に価値を見出さないことは「数学嫌いな人のための数学」などで見てきている。
論理や議論に価値を見出さなければ、表現の自由などに価値を見出す必要性は下がる。
とすれば、以上の日本教的判断を最高裁判所が持っても不思議ではない。
さらに、これを裏書きしているように見えるのが、最近読んだ千葉元最高裁判所裁判官の書籍である。
どうなのだろう。
今度、猿払事件・世田谷事件・堀越事件を参照しながら、この辺を確認しようと考えている。
もちろん、仮にそうだったとして、それを批判しようとは考えないが。
9 本問の結論の妥当性について
本問の過去問検討では、法律1(飲食店への規制)を違憲に、法律2(飲酒者への規制)を合憲とした。
この結論について考えてみたい。
法律1と法律2を比較すると次の特徴がある。
要素1、法律1の方が憲法上の権利に対する制約が強い
法律1は営業の自由という憲法上の権利への直接的な制限
法律2は憲法上の権利と認定しなかった(一般的行為自由説を採用しないと憲法上の権利として保障されない)飲酒の自由に対する広範な規制
要素2、法律1の方が二次的責任である
法律1は飲酒を提供する人間への規制
法律2は飲酒者本人に対する規制
要素3、法律1の方が不利益処分の程度は軽い
法律1が定めた不利益は免許取消
法律2の定めた制裁は刑事罰
要素4、規制目的は共に同じ
規制目的は、飲酒者の健康維持、飲酒者に対する迷惑行為の防止、社会保障費用の抑制
このように比較すると、不利益の程度は法律1の方が軽いが、規制の必要性(責任主体との関係)では法律1の方が乏しく、さらに、権利侵害の程度は法律1の方が強い。
この点を考慮すると、どちらか片方を違憲にするならば、法律1を違憲にすべきであろう。
しかし、法律1と法律2は本来関係がない。
また、法律2では「健康を害しないレベルで適度に酒を嗜む多数の人間」の自由を広範に制限していることになる。
とすれば、法律2は違憲になりうることはあっても不思議ではない。
どうなのだろう。
法律2については正直分からないので、これ以上は何とも言えないけど。
以上で本問の検討を終了する。
次回は、平成19年度の過去問を見ていく予定である。