薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す11 その3(最終回)

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成13年度の憲法第1問についてみていく。

 なお、前回で過去問の検討が終了したので、今回は本問と前回(平成20年度)の過去問)の関連論点について私が考えたことをつらつら書いていく。

 

7 人権規定の私人間効力について

 平成20年度の過去問を検討したとき、「国民の私的行為は憲法違反にならない」について私が考えたことを述べた。

 ここでは、もう少し踏み込んで人権規定の私人間効力それ自体についてみていく。

 

 これまで見てきた通り、判例と通説は間接適用説を採用している、と言われている。

 この間接適用説は、民法90条や709条などの私法の一般条項に人権規定の趣旨を解釈・適用することで、間接的に私人間の人権保障を確保するという考え方である。

 この見解は判断が恣意的になる危険がある(解釈の方法で直接適用説になる一方、無適用説にもなる)一方、具体的事情に即した妥当な解決を図ることもできると言われている。

 そして、直接適用説や無効力説と比較すると、間接適用説は日本教的なものと適合的な解釈と言える

 そのため、日本でこの説が通説になるのは当然の結果なのかもしれない。

 

 なお、調べたところによると三菱樹脂事件最高裁判決が間接適用説のみを採用しているのか、という点が問題になるらしいが、ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

 

8 寄付・献金を強制されない自由について

 前回と今回の過去問、それから前回と今回で取り上げた諸々の判例では(多数決によって)「寄付・献金を強制されない自由」について見てきた。

 そして、これらの判決でこの自由が思想良心の自由に属することも認定している

 

 また、政治献金については次のようなことを述べている。

 

(以下、国労広島地本組合費請求事件最高裁判決より引用、リンク先後述、各文毎に改行、強調は私の手による)

 いわゆる安保反対闘争のような活動は、(中略)、このような政治的要求に賛成するか反対するかは、本来、各人が国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきことであるから、それについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではない

 もつとも、この種の活動に対する費用負担の限度における協力義務については、これによつて強制されるのは一定額の金銭の出捐だけであつて、問題の政治的活動に関してはこれに反対する自由を拘束されるわけではないが、たとえそうであるとしても、一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない

(引用終了)

 

昭和48年(オ)499号組合費請求事件

昭和50年11月28日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「国労広島地本組合費請求事件」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/439/062439_hanrei.pdf

 

 最高裁判所政治団体に対する寄付の強制について「一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しい」とまで言っている。

 もちろん、「寄付を強制されない自由」を思想良心の自由に引き付ければ、こうなるのは当然の結果としても。

 

 しかし、現実ではどうなのだろう。

 我々は寄付についてそんなに指向性の高い行為だと評価しているのだろうか。

 

 この点、政治団体への寄付(献金)については指向性が高いと言えそうである。

 それゆえ、最高裁判所は南九州税理士会事件と国労広島地本組合費請求事件においては多数決による政治献金の決議を無効であると判断している。

 

 しかし、それ以外の目的の寄付についてはどうなのだろうか。

 群馬司法書士会事件においては「震災によって甚大な被害を受けた同種のギルドの援助目的」であり、多数決による寄付の強制を肯定した。

 南九州税理士会事件との違いは、「政治とは関連性がない点」だろうか、「支持の表明を強制されても不利益は小さい点」であろうか、「寄付金の負担が小さい点」であろうか、「寄付に対する協力を拒否した場合の制裁が小さい点」であろうか。

 

 あるいは、平成20年4月3日の最高裁判決のケース(平成20年度の過去問の元ネタ、ただ、元ネタになったのは控訴審大阪高等裁判所の判決であろうが)はどうか。

「政治とは関連性がない点」のは群馬司法書士会事件と同様である。

 にもかかわらず結論が逆になったのは、「時代が変わったから」であろうか、「負担が重いから」であろうか、「寄付に対する協力を拒否した場合の制裁が大きいから」であろうか。

 

 

 それから、「寄付を強制されない自由」はどの程度の保障を受けるのだろう

「支持の表明に等しい」と評価されるならば、保障の程度は強くなる。

 しかし、上で見ればわかる通り、総ての寄付においてそうなるわけではない。

 そうするとどう考えるべきなのか。

 

 この点、自治体の寄付金に関する違法判決が出るまでは、「寄付に関する強制は、『政治目的・宗教目的、かつ、法律上・事実上の強制加入団体の場合』に限り違法、それ以外は適法」といったおおまかな基準が引けた(この点、宗教目的は判決に記載されていないが、宗教団体への寄付が政治団体への寄付よりも思想良心の自由を制約しない可能性は低い、ならば、宗教についても同様に見てよかろう)。

 ただ、自治体の寄付の判決はこの大まかな基準と整合しない。

 どうなのだろう。

 

9 団体の自律的決定権、特に、多数決の限界について

 今回と前回で問題になっているのは、法人(私団体)の多数決による協力義務の有効性である。

 このことから法人・団体の自律的決定権の限界を問うているともいえる。

 そこで、この点についてもみていく。

 

 判例を概観した限りだと、脱退の自由な団体においては団体の自律的決定権を広く認めているように見える。

 これは八幡製鉄事件の最高裁判例を見れば明らかである。

 

 また、最高裁判所の判決、過去問で問題となった団体の性質は税理士会司法書士会といった「法律上の強制加入団体」や、労働組合自治会といった「事実上の強制加入団体」である。

 そして、法律上の強制加入団体については法人の目的の範囲を限定的に考えている。

 他方、事実上の強制加入団体については、そのような傾向は必ずしもみられない。

 

 そこで、次の見方ができる。

 つまり、強制加入団体であろうと団体の自律的決定権は広く考えている、と。

 その原則が全面的に適用された事案が株式会社が団体である八幡製鉄事件である。

 また、法律上の強制加入団体については目的の範囲を制限しているだけで、自律的決定権については広く考えている。

 とすれば、中間に属する事実上の強制加入団体についても同様であろう。

 

 どうなのだろう。

 この点、団体の自律的決定権の行使が憲法的秩序に適合しないとして公序良俗違反になった著名な事件が2点ある。

 一つは、日産自動車事件であり、もう一つが次の平成18年判決である。

 

昭和54年(オ)750号雇傭関係存続確認等事件

昭和56年3月24日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「日産自動車事件最高裁判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/345/056345_hanrei.pdf

 

平成16(受)1968号地位確認等請求事件

平成18年3月17日最高裁判所第二小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/834/032834_hanrei.pdf

 

 判決内容に踏み込むことは避けるが、いずれも「平等」(性別)が絡んだ事件である

 なお、憲法の人権規定の趣旨が不法行為民法709条)に適用された事件である小樽公衆浴場入浴拒否事件(平成17年7月4日最高裁判所第一小法廷判決)も「平等」(こちらは人種)が絡んだものである。

 とすれば、「平等」(特に、憲法14条1項の後段列挙事由にかかわる)については裁判所は積極的に踏み込むことがあっても、それ以外については消極的な面があるように見られる

 この点は、団体の自律的決定権は結社の自由を保障した憲法21条1項に由来する以上、国家権力(当然、裁判所も司法権という国家権力である)もおいそれと踏み込めないこと、また、私人間適用の問題が福祉主義的観点(現代的観点)を有するところと整合的ではあるが。

 

 

 以上で本問の検討を終了する。

 次回は、平成17年の憲法第1問の検討に移る予定である。