薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

司法試験の過去問を見直す12 その5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成17年度の憲法第1問についてみていく。

 

7 罪刑法定主義明確性の原則

 憲法は31条で適正手続の保障を定めている。

 そして、憲法上の「適正手続の保障」という言葉を刑法の言葉で置き換えると罪刑法定主義になる。

 罪刑法定主義は「法律なくして犯罪なし、法律なくして刑罰なし」というルールである。

 

 この罪刑法定主義は次の6つの具体的内容を持つ。

  

1、慣習的刑法の禁止

2、絶対的不定期刑の禁止

3、刑罰法規の内容の明確性の原則

4、類推解釈の禁止

5、事後法の禁止

6、罪刑均衡の原則(実体的デュープロセス)

 

 この点、罪刑法定主義「犯罪行為と刑罰について『①事前』、かつ、『②明文』の『③法律』で決めておけ」ということを内容とする。

 その結果、「慣習的刑法の禁止」と「事後法の禁止」が導かれる。

 なお、法律で定めることを要求しているのは民主主義を採用しているからである。

 よって、法律による委任がない限り行政権が刑罰法規を定めることはできない。

 この点は、憲法73条6号が「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」とあることからも明らかである。

 

 次に、刑罰法規の内容が不明確では何をしたら罰せられるのかが判明しない

 そこで、「刑罰法規の明確性」と「類推解釈の禁止」が導かれる。

 後者が導かれるのは、類推解釈を許すといくらでも処罰範囲を拡大することができてしまうからである。

 もっとも、類推解釈は許されないが、文言の拡大解釈は許される。

 この辺は微妙なことではあるけれども。

 

 なお、犯罪の恣意的な設置が許されないように、恣意的な刑罰権の行使も許されない

 そこで、「罪刑の均衡」と「絶対的不定期刑の禁止」が導かれることになる。

 

 以上は刑法で習うことでもあるが、憲法ともリンクする。

 教科書に載っていることだが、少し細かめに紹介した。

 

8 明確性の原則から見た場合の検討

 さて、前回、罪刑の均衡の観点から法律2を検討した。

 今回は明確性の原則から法律2を検討する。

 

 明確性の原則とは「犯罪と刑罰の内容は事前に国民に了知しうる程度には明確でなければならない」という原則である。

 刑罰権は重大な人権侵害をもたらす以上、犯罪か犯罪でないかの境界が明確でないと、国民が本来なら犯罪でない行為すら「これも犯罪ではないか」と委縮してしまって自由に行動できなくなってしまう。

 明確性の原則はこの委縮効果を防止するためものである。

 なお、この明確性の原則は刑罰権の行使だけではなく表現の自由や集会の自由の制約においても用いられている。

 

 

 集会の自由に対する刑罰権の行使でこれを示したのが、徳島県公安条例事件最高裁判決である。

 その部分を引用してみよう。

 

昭和48年(あ)910号

集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反事件

昭和50年9月10日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「徳島県公安条例事件判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/070/051070_hanrei.pdf

 

(以下、徳島県公安条例事件最高裁判決から引用、一部中略、各文毎に改行、強調は私の手による)

 およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる

(中略)

 それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

(引用終了)

 

 徳島県公安条例事件最高裁判決によると、明確性の基準を満たすかの基準は「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうか」である。

 そして、法律2を見ると「公共の場所」の文言の明確性が問題になるように見える。

 しかし、これまで引用した「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」の3条には次のように規定されている。

 

法3条1項

 警察官は、酩酊者が、道路、公園、駅、興行場、飲食店その他の公共の場所又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機その他の公共の乗物(以下「公共の場所又は乗物」という。)において、粗野又は乱暴な言動をしている場合において、当該酩酊めいてい者の言動、その酔いの程度及び周囲の状況等に照らして、本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由があると認められるときは、とりあえず救護施設、警察署等の保護するのに適当な場所に、これを保護しなければならない。

 

 このように見ると、公共の場所の定義はある程度明確であって、一般人に推知できない内容とまでは言えない。

 とすれば、「公共の場所」が明確でないという主張は少し無理があるように見える。

 もっとも、「広範だなあ」ということはあるとしても。

 

 

 では、「基準は明確だが極めて広範な場合」、明確性の原則との関係で問題はないのだろうか

 実は、明確性の基準は「過度に広範な場合」にも問題があることを示している。

 このことを示しているのが、次の福岡県保護育成条例事件である。

 

昭和57年(あ)621号福岡県青少年保護育成条例違反被告事件

昭和60年10月23日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/269/050269_hanrei.pdf

 

(以下、上記判決から引用)

 このような解訳は通常の判断能力を有する一般人の理解にも適うものであり、「淫行」の意義を右のように解釈するときは、同規定につき処罰の範囲が不当に広過ぎるとも不明確であるともいえないから、本件各規定が憲法三一条の規定に違反するものとはいえず憲法一一条、一三条、一九条、二一条違反をいう所論も前提を欠くに帰し、すべて採用することができない。

(引用終了)

 

 興味深いのは、判決文中の「不当に広過ぎるとも不明確であるともいえない」という部分である。

 つまり、明確性の原則に関する検討において「不明確」だけではなく「不当に広すぎ」ないかもチェックしていることになる。

 

 では、本問の場合、「公共の場所」は不当に広すぎると言えるか。

 確かに、公共の場所の範囲は自宅や法人の事務所といった場所以外はすべてが含まれているように見え、その意味では広すぎるように見えなくもない。

 しかし、憲法上の権利の制限でないこと、自宅などでの飲酒ができることを考慮すれば、過度に広範であるとまでは言えないのではないかと考える。

 よって、法律2は明確性の原則を定めた憲法31条に反しない。

 

 以上より、法律2は合憲である。

 

 

 以上、明確性の原則の観点から検討した。

 結論の妥当性は正直分からない

 ただ、罪刑均衡の観点から違憲にしないならば、明確性の原則の観点からも違憲にできないと考えられる。

 逆に、違憲にするならば罪刑均衡の観点から違憲にした方がよいだろう。

 飲酒自体は広く行われていること、対外的行為を伴うまでは他者加害の危険がないこと、公園などでは事前の許可を取ることは事実上困難であり、その結果、いわゆる公園での「花見」などが事実上できなくなることなどを取り上げれば、著しく困難であるといった評価は不可能ではないだろうから。

 

 なお、私は試験本番で法律1を違憲にし、法律2は合憲としている。

 また、明確性の原則にはタッチしていない。

 後者については分量的にできなかった、と考えている。

 

 

 以上で本問の検討を終了する。

 以下、本問を通じて考えたことに触れる予定である。