今回はこのシリーズの続き。
旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成17年度の憲法第1問についてみていく。
5 いわゆる「新しい人権」と飲酒の自由
前回で法律1の検討は終わった。
今回から法律2の検討に移る。
まず、問題文と出題趣旨を確認する。
(以下、問題文を引用、ただし、法律1に該当する部分は省略)
酒類が致酔性・依存性を有する飲料であり,飲酒者自身の健康面に与える悪影響が大きく,酩酊者の行動が周囲の者に迷惑を及ぼすことが多いほか,種々の社会的費用(医療費の増大による公的医療保険制度への影響等)も生じることにかんがみて,次の内容の法律が制定されたとする。
(中略)
2 道路,公園,駅その他の公共の場所において管理者の許可なく飲酒することを禁止し,これに違反した者は拘留又は科料に処する。
この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
(引用終了)
(以下、出題趣旨を引用、ただし、法律1に該当する部分は省略)
本問は,酒類提供及び飲酒に関する規制を行う法律が成立したと仮定して,(中略)公共の場所における飲酒禁止につき,飲酒の自由の憲法上の位置付けを踏まえつつ,その合憲性審査基準や当該事案への適用,刑罰法規の明確性との関係等について,論理的に思考する能力を問うものである。
(引用終了)
法律2はいわば「公然飲酒罪」のようなものである。
そして、前回見た通りこれに準じた法律として、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」という法律がある。
この条文は次のとおりである(なお、酩酊者の定義は本問法律と同じ)。
法4条第1項
酩酊者が、公共の場所又は乗物において、公衆に迷惑をかけるような著しく粗野又は乱暴な言動をしたときは、拘留又は科料に処する。
法4条1項は「(飲酒+)酩酊状態+一定の言動」で刑事罰を受けることになる。
これに対して、本問法律2は「無許可飲酒」のみによって刑事罰を受けることになる。
つまり、本問法律2は「粗野又は乱暴な言動」がなくても、また、「酩酊状態」にならなくても罰則が適用されることになる。
その意味で処罰範囲が拡大されている。
この比較の視点は知っておくといいだろう。
さて、本問法律は公共の場所における飲酒の自由の制限が問題になる。
とすれば、飲酒の自由に関する「憲法上の権利の認定」から始めるべきである。
以下、みていこう。
まず、「飲酒の自由」については明文の規定がない。
そこで、飲酒の自由が憲法上の権利として保障されるのか、憲法13条後段の「幸福を追求する権利」の解釈が問題となる。
この点、人権は憲法に書かれているものだけが保障されるわけではない。
このことは、名誉権やプライバシー権、あるいは、知る権利や営業の自由が保障されている現状を見れば明らかである。
また、人権規定は歴史的に個人の尊厳を確保する際に必要だったものを列挙しているに過ぎない。
よって、個人の尊厳の確保、つまり、人格的生存に不可欠な自由は憲法13条後段の幸福追求権の一つとして保障されうるものと考える。
なお、この見解と対立する見解として「あらゆる自由を幸福追求権の一内容として認める」という見解(一般的行為自由説)がある。
しかし、あらゆる自由を人権として認めてしまうと、「公共の福祉」の概念が肥大化する(公共の福祉の中核部分は他者の人権であるところ、その人権にこのあらゆる自由が含まれることを意味する)し、人権規定の希薄化が生じることを考慮すると妥当でない。
これを飲酒の自由について見てみると、飲酒によって快適な気分になるといったことはあるとはいえ、人格的生存に不可欠なレベルで重要なものということはできない。
そこで、飲酒の自由は憲法上の権利としては保障されないものと考える。
ここでは敢えて憲法上の権利として保障されない結論を採用した。
この点、一般的行為自由説から考えれば、憲法上の権利として保障されうることになる。
ただ、一般的行為自由説を採用した場合、権利の重要性が違憲審査基準に反映されること、飲酒の自由が営業の自由や表現の自由と同程度の保障が受けられるわけではないことなどから、違憲審査基準は緩やかなものになる。
そのため、どちらの説を採用するかによって結論が大きく変わることはあまりない。
もちろん、微妙な事案において原則論がものを言うことはあっても。
6 実体的デュープロセスから見た場合の違憲審査
さて、憲法上の権利としての保障を否定した場合、「法律2は憲法上の問題はなく合憲である」という結論になりそうである。
しかし、憲法上の権利として認められない自由であっても、国会は自由に刑罰権を課せられるわけではない。
その根拠条文が憲法31条の適正手続きの保障(デュー・プロセス・オブ・ロー)である。
この適正手続の保障の内容は「手続の法定・適正」と「実体の法定・適正」の4点である。
そして、まず問題になるのが「実体の適正」(実体的デュープロセス)の部分である。
この点、刑罰権の行使について最高裁判所は2つの事件で次のようなことを述べている。
昭和45(あ)1310号尊属殺人被告事件
昭和48年4月4日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/807/051807_hanrei.pdf
(以下、尊属殺人重罰規定違憲判決から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)
普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。
すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない。
(引用終了)
昭和44年(あ)1501号国家公務員法違反事件
昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決
(いわゆる「猿払事件」)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf
(以下、猿払事件判決から引用)
およそ刑罰は、国権の作用による最も峻厳な制裁であるから、特に基本的人権に関連する事項につき罰則を設けるには、慎重な考慮を必要とすることはいうまでもなく、刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであつて、とうてい許容し難いものであるときは、違憲の判断を受けなければならないのである。
そして、刑罰規定は、保護法益の性質、行為の態様・結果、刑罰を必要とする理由、刑罰を法定することによりもたらされる積極的・消極的な効果・影響などの諸々の要因を考慮しつつ、国民の法意識の反映として、国民の代表機関である国会により、歴史的、現実的な社会的基盤に立つて具体的に決定されるものであり、その法定刑は、違反行為が帯びる違法性の大小を考慮して定められるべきものである。
(引用終了)
つまり、ある自由を憲法上の権利として保障しうる場合はもちろん、保障しえない場合としても、著しく不合理な内容の法律は違憲となる。
猿払事件では「基本的人権に関する事項」について述べているが、そうでない場合も著しく不合理なものは違憲になる(その範囲がより例外的な場合に限定されるとしても)。
事実、尊属殺重罰規定違憲判決は憲法上の自由と関係なく法令違憲の審判が下された。
よって、例外の議論は憲法上の権利として保障されようが、されなかろうがなされることになる。
では、法律2の内容は「著しく不合理」と言えるか、規制目的・規制手段について検討する。
まず、法律2の目的は前述の通り飲酒者当人の健康の維持、酩酊者による他人への迷惑行為の防止、医療費制度の財政的規律になるところ、法律1での検討結果を考慮すれば、これらの目的には一定の合理性がある。
また、公共の場所での飲酒が制約されることを考慮すれば、広範囲での規制になるように見える。
しかし、自宅などの公共の場所以外の飲酒が自由であること、許可を得ることによる飲酒が可能であることなどを考慮すれば、個人の飲酒が事実上全面的に不可能になるといったことまでは言えないから、著しく不合理と言うことまではできない。
とすれば、法律2が「著しく不合理」とは言えず、この観点から違憲とは言えない。
これで例外の議論は完了である。
なお、一般的行為自由説から例外を考えた場合、違憲審査基準は緩やかなものになる。
とすれば、この点の結論の判断は合憲になるであろう(違憲になることはあるとしても)。
また、本問の分量を考慮すれば、ここで終わっても仕方がないように思われる。
ところで、この法律2を見て気になる部分が「『公共の場所で(許可なく)酒を飲むだけで刑罰?』ってやりすぎじゃね?広すぎじゃね?」という部分である。
そして、「やりすぎじゃね?」の部分の検討は上で行った。
ここでの結論を後押しする価値判断が、「刑罰権の設定の判断権者は第一次的には国会だから裁判所は積極的に介入できない」という発想である。
とすれば、この部分を違憲にしない点はそれほど不合理ではない。
もっとも、「広すぎじゃね?」の部分は検討した方がいいかもしれない。
また、出題趣旨を見ると、この部分も出題趣旨として想定されていたらしい。
そこで、次回、「刑罰法規の明確性」という観点から法律2を検討する。