薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す12 その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成17年度の憲法第1問についてみていく。

 

4 法律1のあてはめ

 前回、法律1について厳格な合理性の基準を定立した。

 今回はそのあてはめを行う。

 

 まず、問題文を確認する。

 

(以下、問題文を再掲載、引用元は前述と同じ)

 酒類が致酔性・依存性を有する飲料であり,飲酒者自身の健康面に与える悪影響が大きく,酩酊者の行動が周囲の者に迷惑を及ぼすことが多いほか,種々の社会的費用(医療費の増大による公的医療保険制度への影響等)も生じることにかんがみて,次の内容の法律が制定されたとする。

1  飲食店で客に酒類を提供するには,都道府県知事から酒類提供免許を取得することを要する。酩酊者(アルコールの影響により正常な行為ができないおそれのある状態にある者)に酒類を提供することは当該免許の取消事由となる。

2  道路,公園,駅その他の公共の場所において管理者の許可なく飲酒することを禁止し,これに違反した者は拘留又は科料に処する。

 この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 まず、規制目的の重要性を認定しよう。

 

 

 本問についてこれを見ると、法律1の規制目的は、①飲酒者自身の健康の維持、②酩酊者の行為による迷惑防止、③社会的費用の抑制の3点である。

 そして、健康は個人にとって幸福追求権(憲法13条後段)の前提であること、周囲への迷惑は周囲の人々の幸福追求権を阻害すること、財政問題が大きい現代において社会費用の抑制は財政上重要な課題である。

 これらの考慮すれば、これらの目的はみな公共の利益の実現を具体的に促進するものとして重要である。

 

 

 目的の重要性を否定する必要はない。

 もっとも、少し丁寧な認定が必要ではないか、と考えている。

 目的を指摘して、直ちに「目的は重要」という結論に結び付けるのはよろしくない。

 

 

 では、手段についてみていく。

 法律1には規制について3つの手段が書いてある

 

1 酒類提供の免許の採用(免許のない酒類提供の禁止)

2 酩酊者に酒類を提供することの禁止

3 2に反した時は当該免許の取消事由となること

 

 現在、飲食店を営業する際には「食品衛生責任者」という資格が必要である

 つまり、現時点でも飲食店営業をするためには食品衛生責任者という資格と開業の許可が必要なのである。

 この点を考慮すると、「資格がいる(免許がいる)」という一点をもって違憲の理由にするのは妥当ではない。

 つまり、本問の問題点は酩酊者への酒類提供の禁止と取消事由になると考えられる

 

 では、酩酊者に対する酒類の提供を制限することは手段として実質的関連性があると言えるか。

 以下、合理性、必要性、相当性について(形式的ではなく)具体的に検討してみる。

 

 

 次に、手段についてみていくと、法律1の問題点は、免許制それ自体というよりも、酩酊者への酒類提供を禁止し、違反者には免許取消事由という制裁を用意している点にあるため、この点を検討する。

 確かに、酩酊者への酒類提供を禁止すれば、その場の飲酒によって当人の健康が害されることはないし、酩酊による迷惑行為も減らすことができる。

 また、その場の飲酒によって当人の健康が維持されるならば、社会的費用を抑えることもができないわけではない。

 その意味において、法律1の規制手段は不合理なものということはできない。

 しかし、健康を害したり、迷惑行為をしない義務があるのは主として本人であって、飲食店に主たる責任があるわけではない。

 また、飲食店での酒類提供を止めたところで、酩酊状態に陥った当人がコンビニその他で酒類を買って飲んでしまえば、結局、健康は害されるし、社会的費用は抑制できないことになる

 とすれば、これらの観点から見た場合、規制手段の実効性は高くなるとは言えない。

 さらに、法律1は迷惑行為という広い範囲の行為の防止を想定しており、飲酒運転や暴行・傷害といったもののみに限定されているわけではない。

 そして、酩酊者の全員が傷害事件や飲酒運転を行うわけではなく、特に、後者については既に罰則による規制がなされている。

 とすれば、迷惑行為の防止に対して酒類の提供の制限という強力な制約を課すことは過度な制限というべきものである。

 そして、迷惑行為の防止ついては現時点でも業務妨害罪や傷害罪の適用、あるいは、酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律第4条の適用といった方法が、社会的費用の増大については本人の費用負担など他の実効性のある方法、さらには、法律1の「おそれのある者」を「おそれの高い者」に限定して制限するといった方法も考えられる。

 以上を考慮すると、本問法律1の手段は目的達成との具体的関連において有効・適切とは言えず、実質的関連性があるとは言えない。

 したがって、本問法律1は厳格な合理性の基準を満たさず、違憲である。

 

 

 以上、違憲の結論までもっていった。

 本問で気になるのは、「この規制は必要なのか?または、実効性があるのか?」ということである。

 例えば、飲食店での飲酒を抑止したところで、当の本人が自宅で買い込んでいた酒、スーパー・コンビニで買った酒を飲んでしまったら、社会的費用の抑制と健康の維持という目的は達成できない。

 この目的に対して真面目に対策をするなら、本人の意識改善のための指導や費用負担の見直しであって、飲食店の責任を追及するのは当人の責任逃れのきっかけになりかねない。

 たとえ、この責任追及が日本的状況倫理に基づく行為と適合的であるとしても

 

 また、迷惑防止の点についても、現在ある刑法規定(業務妨害罪、暴行・傷害罪、飲酒運転については道路交通法違反など)でカバーできない範囲のものとなると、「そもそも規制する必要があるのか?」という疑問も生じる。

 そう考えると、厳格な合理性の基準で考えるなら違憲にするのが素直かなあ、という気がする。

 

 

 なお、上の理由に対して「そこまでハードルを高くする必要があるのか」という疑問があるかもしれない。

 しかし、薬事法事件最高裁判決では次のようなことを述べているのであるから、明らかに不合理ではない、とは言えそうである。

 特に、厳格な合理性の基準で判断するなら。

 

昭和43年(行ツ)120号

昭和50年4月30日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「薬事法違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

 

(以下、薬事法事件最高裁判決の一部引用、強調は私の手による)

 しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである。

(引用終了)

 

「消極目的規制・予防的措置・権利の制限の程度が大きい」という薬事法事件において最高裁判所はこのように述べている。

 ならば、本問でもこのように考えることは不合理ではない。

 

 

 さらに、違憲審査基準として厳格な合理性の基準を採用するのはどうか、という疑問もなくはない。

 例えば、財政上の理由を主要な規制目的ととらえて(私は妥当ではないとは思うが)、酒税法事件の基準(財政政策上の技術的裁量の逸脱・濫用があるような著しい不合理な場合に限り違憲)で考えるべきであるから、厳格な合理性の基準を採用するのは妥当ではない、と。

 しかし、酒税法事件において多数意見に回った園田裁判官(学者出身)はこの事件で次のようなことを述べている。

 

昭和63年(行ツ)56号

平成4年12月15日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「酒税法判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/054281_hanrei.pdf

 

(以下、園部逸夫裁判官の補足意見より引用、強調は私の手による)

 私は、財政目的による規制は、いわゆる警察的・消極的規制ともその性格を異にする面があり、また、いわゆる社会政策・経済政策的な積極的規制とも異なると考える。一般論として、経済的規制に対する司法審査の範囲は、規制の目的よりもそれぞれの規制を支える立法事実の確実な把握の可能性によって左右されることが多いと思っている。

(引用終了)

 

 ここにある、規制を支える立法事実の確実な把握の可能性というのは規制目的を実質的・構造的に見ることをいうものと推測できる。

 というのも、薬事法事件では最高裁は次の個所でその「構造的に見ること」をしているからである。

 

(以下、薬事法違憲判決から引用)

 これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。

(引用終了)

 

 このように見ていくと、違憲審査基準の具体化で見るべき点は「規制目的の構造的把握」であり、それによって違憲審査基準を作ることが重要ではないかと考えられる。

 その点を考慮すれば、今回の検討結果が著しく不合理であるとは言えなさそうである。

 もちろん、営業の自由の対する規制については異論がありえるため、逆の結論がありえないとは考えないが。

 

 

 以上で、法律1の検討は終わった。

 次回から法律2の検討へ移る。