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司法試験の過去問を見直す18 その7

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 司法試験・二次試験・論文式試験の平成2年度の憲法第1問を見ていく。

 なお、前回から合理的区別に関する最高裁判所の判決をみているところ、今回もその続きとなっている。

 

10 合理的区別について_合理的関連性を否定した最高裁判決から

 前回、再婚禁止規定違憲判決と非嫡出子相続分差別規定違憲判決をみてきた。

 今回見ていくのが国籍法違憲判決である。

 特に、この判決では「合理的関連性」という言葉が登場するため、この言葉に注意しながらみていきたい。

 

平成19年(行ツ)164号国籍確認請求事件

平成20年6月4日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「国籍法違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/416/036416_hanrei.pdf

 

 

 最初に、当時の国籍法の関連規定による帰結を確認する。

 

 この点、母親が日本国籍を持つ場合、産まれた子供には日本国籍が与えられる。

 次に、父親が日本国籍を持つ場合、その子を認知し、かつ、母親が父親と産まれる前に結婚しているか、産まれた後で結婚すれば(言い換えると、嫡出子の身分を取得すれば)、その産まれている子供に日本国籍が与えられる。

 他方、父親が日本国籍を持つ場合、その子を認知したが、母親と父親が婚姻関係を一切結ばなければ、その産まれた子に対して日本国籍が与えられない。

 

 つまり、父親が子供と認めただけでは日本国籍を得られない一方、母親にはこのような制限がない、ということが区別の内容であり憲法適合性の争点となる。

 なお、胎児については割愛する。

 

 具体例をイメージすれば、こんな感じであろうか。

 ある日本人男性が外国人の女性と懇ろな関係になり、女性は妊娠・出産した。

 ところが、日本人男性は産まれてきた子供を認知したが、その女性と結婚せずに、別の女性と結婚してしまった(その理由は知らない)。

 この場合、その子供に日本国籍が与えられることはない。

 

 この点、この懇ろな関係になったのが外国であり、かつ、母子が外国にいれば、男性の行為に対する倫理性の問題はさておき、国籍に関する結論自体を著しく不当とまでは言えないかもしれない。

 しかし、懇ろな関係になったのが日本で、かつ、相手が定住外国人だった、などとなったら、子供にとって酷なことになりかねない。

 ちなみに、判決によると本件の原告(子供)は、父親が日本国籍、母親が外国籍、出生地は日本となっている。

 

 

 まず、合理的区別か否かの規範定立部分で最高裁判所は次のように述べている。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 憲法10条は,「日本国民たる要件は,法律でこれを定める。」と規定し,これを受けて,国籍法は,日本国籍得喪に関する要件を規定している。

(中略)国籍は国家の構成員としての資格であり,国籍の得喪に関する要件を定めるに当たってはそれぞれの国の歴史的事情,伝統,政治的,社会的及び経済的環境等,種々の要因を考慮する必要があることから,これをどのように定めるかについて,立法府の裁量判断にゆだねる趣旨のものであると解される。(中略)

 立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても,なおそのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠が認められない場合,又はその具体的な区別と上記の立法目的との間に合理的関連性が認められない場合には,当該区別は,合理的な理由のない差別として,同項に違反するものと解されることになる。

(引用終了)

 

 この辺の言い回しを見ると、合理的区別か否かの基準はいわゆる合理的関連性の基準が原則なんだなあ、ということがわかる。

 そして、この判決の言い回しと再婚禁止規定違憲判決の千葉裁判官の補足意見がオーバーラップしていることもわかる。

 

 しかし、判決文はここから次のように述べており、この判決で用いられる「合理的関連性」が猿払事件の合理的関連性かについて疑問符が付くことになる。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,(中略)重要な法的地でもある。

 一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。

 したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。

(引用終了)

 

 つまり、①本件の差異は自分の意志や努力では変えられいことと②差異に伴う不利益は重大である、という2点を取り上げて、慎重に合理性の有無を判断する旨述べている。

 そして、泉徳治裁判官(裁判官出身)の補足意見を読むと、「合理的関連性」という文言を用いているが、その中身は「実質的関連性」である、といってもいいのかもしれない。

 

(以下、泉徳治裁判官の補足意見から引用、セッション番号省略、一部中略、各文毎改行、強調は私の手による)

 これは,日本国籍の付与に関し,非嫡出子であるという社会的身分と,日本国民である親が父であるという親の性別により,父に生後認知された非嫡出子を差別するものである。

 この差別は,差別の対象となる権益が日本国籍という基本的な法的地位であり,差別の理由憲法14条1項に差別禁止事由として掲げられている社会的身分及び性別であるから,それが同項に違反しないというためには,強度の正当化事由が必要であって,国籍法3条1項の立法目的が国にとり重要なものであり,この立法目的と,「父母の婚姻」により嫡出子たる身分を取得することを要求するという手段との間に,事実上の実質的関連性が存することが必要である

(引用終了)

 

 泉裁判官は裁判官出身であるにもかかわらず、様々な場で保守的・国権的ではない判断を示されている。

 また、この補足意見の部分はそのまま司法試験の答案に用いることができるのではないか、というものでもある。

 

 

 そして、この判決は次のように述べて目的の合理性と法制定当時の手段と目的の合理的関連性を肯定している。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 そして,国籍法3条1項は,日本国民である父が日本国民でない母との間の子を出生後に認知しただけでは日本国籍の取得を認めず,準正のあった場合に限り日本国籍を取得させることとしており,これによって本件区別が生じている。

 このような規定が設けられた主な理由は,日本国民である父が出生後に認知した子については,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得することによって,日本国民である父との生活の一体化が生じ,家族生活を通じた我が国社会との密接な結び付きが生ずることから,日本国籍の取得を認めることが相当であるという点にあるものと解される

 また,上記国籍法改正の当時には,父母両系血統主義を採用する国には,自国民である父の子について認知だけでなく準正のあった場合に限り自国籍の取得を認める国が多かったことも,本件区別が合理的なものとして設けられた理由であると解される。

  日本国民を血統上の親として出生した子であっても,日本国籍を生来的に取得しなかった場合には,その後の生活を通じて国籍国である外国との密接な結び付きを生じさせている可能性があるから,(中略)。

 このような目的を達成するため準正その他の要件が設けられ,これにより本件区別が生じたのであるが,本件区別を生じさせた上記の立法目的自体には,合理的な根拠があるというべきである。

 また,国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては,(中略)当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。

(引用終了)

 

 判決を読むと、国籍法3条1項の区別を正当化する理由は次の3点に集約されるようである。

 なお、3の部分で「可能性」という言葉を用いていることが興味深い。

 

1、「父親の子であるだけでは不十分で、結婚した妻の子供となって初めて、日本人として認める(日本国籍保有者となれる)」という日本の社会通念の存在

2、諸外国も同様の傾向があったこと

3、父の子と認知されただけで結婚していなければ、その子供の生活が外国と密接にかかわっている可能性があり、日本国籍を与える状況になっていない

 

 

 もっとも、判決文は次のように述べて、合理的関連性を否定することになる。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 しかしながら,(中略),夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており,(中略),家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。

(中略),近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ,両親の一方のみが日本国民である場合には,同居の有無など家族生活の実態においても,法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての認識においても,両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり,その子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって直ちに測ることはできない

 これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。

 また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ,我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。(中略)

 以上のような我が国を取り巻く国内的,国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると,準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。(中略)

 とりわけ,日本国民である父から胎児認知された子と出生後に認知された子との間においては,日本国民である父との家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く,日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である

 また,父母両系血統主義を採用する国籍法の下で,日本国民である母の非嫡出子が出生により日本国籍を取得するにもかかわらず,日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子が届出による日本国籍の取得すら認められないことには,両性の平等という観点からみてその基本的立場に沿わないところがあるというべきである。

(中略)国籍法が,(中略),上記のような非嫡出子についてのみ,父母の婚姻という,子にはどうすることもできない父母の身分行為が行われない限り,生来的にも届出によっても日本国籍の取得を認めないとしている点は,今日においては,(中略),我が国との密接な結び付きを有する者に限り日本国籍を付与するという立法目的との合理的関連性の認められる範囲を著しく超える手段を採用しているものというほかなく,(中略)。

(引用終了)

 

 つまり、①日本が出生による差別を否定した子供の権利条約を批准した、②周りの国がやめてしまった、③国際化の流れが進んだ結果、婚姻関係の有無と日本人としての生活環境がリンクするとは限らなくなってしまった、という事情で合理的関連性を否定しているらしい。

 この点、最も重要なのは③であろうか。

 

 まず、「昔は諸外国もやっていたが、その後やめてしまったこと」が合理的関連性を否定する根拠になる、というのは少々興味深い。

 よそがやめたことが合理的関連性に影響するとは・・・。

 というのも、「父が子供を認知しただけでは、子供の生活が外国と密接にかかわっている可能性がある」ということは外国の事情とは関係がないからである。

 

 また、「父が子供を認知しただけでは、子供の生活が外国と密接にかかわっている可能性がある」という点が現代において否定されているとは思えない。

 とすれば、やはり合理的関連性はあるのではないか。

 この点、猿払事件で用いられた合理的(な)関連性を基準にすればありそうな気がする。

 というのも、日本教集団主義的発想を基礎とすれば、形式的・理論的・抽象的意味での合理的関連性くらい余裕で肯定できそうな気がするので。

 

 この点については、泉裁判官の補足意見の方が説得力がある。

 

(以下、泉裁判官の補足意見を引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による

 一方,日本国民である父に生後認知された非嫡出子は,(中略),互いに扶養の義務を負う関係にあって,日本社会との結合関係を現に有するものである。

 上記非嫡出子の日本社会との結合関係の密接さは,(中略)日本国民である母の非嫡出子や日本国民である父に胎児認知された非嫡出子のそれと,それ程変わるものではない。

 また,父母が内縁関係にあり,あるいは事実上父の監護を受けている場合においては,(中略)非嫡出子の日本社会との結合関係が嫡出子のそれに実質的に劣るものということは困難である。

 そして,上記非嫡出子は,父の認知を契機として,日本社会との結合関係を発展させる可能性を潜在的に有しているのである。

 家族関係が多様化しつつある現在の日本において,上記非嫡出子の日本社会との結合関係が,「父母の婚姻」がない限り希薄であるとするのは,型にはまった画一的な見方といわざるを得ない

(引用終了)

 

 泉裁判官が補足意見で用いている審査基準は実質的関連性の基準だから、あてはめも具体的な比較となっている。

 もちろん、私なら実質的関連性の基準を用いて答案を作成するから合理的関連性の有無は結論には関係しない。

 

 

 ところで、本判決では猿払事件の用いた合理的関連性の使い方を否定している部分がある

 それが、仮装認知のおそれの部分である。

 判決では次のように述べている。

 この部分を猿払事件の部分と比較すると興味深い。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 なお,日本国民である父の認知によって準正を待たずに日本国籍の取得を認めた場合に,国籍取得のための仮装認知がされるおそれがあるから,このような仮装行為による国籍取得を防止する必要があるということも,本件区別が設けられた理由の一つであると解される。

 しかし,そのようなおそれがあるとしても,父母の婚姻により子が嫡出子たる身分を取得することを日本国籍取得の要件とすることが,仮装行為による国籍取得の防止の要請との間において必ずしも合理的関連性を有するものとはいい難く,上記オの結論を覆す理由とすることは困難である。

(引用終了)

 

昭和44年(あ)1501号国家公務員法違反被告事件

昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「猿払事件」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf

 

(以下、いわゆる猿払事件最高裁判決から引用)

 右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。

(引用終了)

 

 猿払事件で用いた合理的関連性を用いれば、「仮装認知による国籍取得のおそれがある以上、「認知のみの(婚姻によらない)日本国籍取得」を制限しても目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであって、たとえ、仮装認知のおそれが具体的、直接的に発生していない範囲まで限定されていなかったとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。」となりそうな気がするのだが。

 

 

 最後に、この判決で国籍法の規定が合理的区別である旨の反対意見を述べた3名の裁判官がいる。

 ちなみに、この判決は法令の違憲性に関しては12VS3、原告に国籍を与える点では10VS5となっている。

 この対立と前回取り上げた再婚禁止規定違憲判決や非嫡出子相続分差別規定の違憲判決とを比較すると興味深い。

 

 また、この判決では国籍付与に関する行政裁量についても言及している。

 

(以下、国籍法違憲判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 確かに,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知された子についても,国籍法8条1号所定の簡易帰化により日本国籍を取得するみちが開かれている。

 しかしながら,帰化法務大臣の裁量行為であり,同号所定の条件を満たす者であっても当然に日本国籍を取得するわけではないから,これを届出による日本国籍の取得に代わるものとみることにより,本件区別が前記立法目的との間の合理的関連性を欠くものでないということはできない。

(引用終了)

 

 いわゆるフランダイス・ルールをファンダメンタルに守る最高裁判所のこと、行政裁量の濫用・逸脱で判決を書くことができれば、国籍法の違憲は宣言しなかっだろう。

 あるいは、国籍法の違憲判決を宣言することになったとしても、反対意見がなお書きで一言書くこともできたはずである。

 しかし、そのようなことが一切なかった、ということはそのロジックでは判決を書けなかったのだろう。

 その意味で、この判決は最高裁判所による新たな価値創造宣言を伴う判決なのかもしれない

 

 

 以上、国籍法判決をみてきたがなかなか勉強になった。

 続いてサラリーマン税金訴訟などを見ていく予定が、既にかなりの分量になってしまった。

 よって、残りは次回以降に回す。

 と言いながら、まだまだ見るべき判決が残っているけれども。