今回はこのシリーズの続き。
司法試験・二次試験・論文式試験の平成2年度の憲法第1問を見ていく。
今回は、私人(企業・団体)による憲法14条1項の後段列挙事由に基づく差別が問題となったケースをみていく。
具体的に見ていく判決は2つであり、1つは性別が、もう1つは人種が問題となったケースである。
13 公序良俗と性別
まずはこちらの判決をみていく。
平成16年(受)1968号地位確認等請求事件
平成18年3月17日最高裁判所第二小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/834/032834_hanrei.pdf
本件の重要争点は、入会権の資格のうち男子孫に限定する規定が公序良俗に反しないか、である(判決では他にも争点があったが、ここでは省略する)。
興味深いのは、女性に対する差別について原審と上告審で判断が分かれた点である。
まず、原審は長年の慣習の重みを考慮して、女性の排除を肯定した。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
本件慣習のうち,入会権者の資格を原則として男子孫に限り,A部落民以外の男性と婚姻した女子孫は離婚して旧姓に復しない限り入会権者の資格を認めないとする部分(以下,この資格要件を「男子孫要件」という。)も,それなりの合理性があり,公序良俗に反して無効とはいえない。
もっとも,男子孫と女子孫とで取扱いに差異を設ける必要性ないし合理性は特に見当たらないし,(中略)。
しかし,入会権は,過去の長年月にわたって形成された地方の慣習に根ざした権利であるから,そのような慣習がその内容を徐々に変化させつつもなお存続しているときは,これを最大限尊重すべきであって,その慣習に必要性ないし合理性が見当たらないということから直ちに公序良俗に反して無効ということはできない。
そして,入会権が家の代表ないし世帯主としての部落民に帰属する権利であって,(中略),歴史的社会的にみて,家の代表ないし跡取りと目されてきたのは多くの場合男子,(中略)であって,現代においても,長男が生存している場合に二男以下又は女子が後継者となったり,婚姻等により独立の世帯を構えた場合に女子が家の代表ないし世帯主となるのは比較的まれな事態であることは公知の事実といえること,(中略)などに照らせば,家の代表ないし世帯主として入会権者の資格要件を定めるに際し男子と女子とで同一の取扱いをすべきことが現代社会における公序を形成しているとまでは認められない。
(引用終了)
この判決の興味深いのは、「差異を設ける必要性も合理性も特に見当たらない」と言いつつ、「歴史的に続いていたから(裁判官には分からない)なんらかの合理性はある」と言っているところであろうか。
これでは、「憲法14条1項後段列挙事由は歴史的・伝統的になされてきた差別を特別に規定したもの」という趣旨を無視している、と言われてもしょうがなく見えるのだが。
ああ、裁判所は後段列挙事由に特段の意味合いを持たせてないからいいのか。
これに対して、最高裁判所は次のように述べて、原審の判断をひっくり返した。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
本件慣習のうち,男子孫要件は,専ら女子であることのみを理由として女子を男子と差別したものというべきであり,遅くとも本件で補償金の請求がされている平成4年以降においては,性別のみによる不合理な差別として民法90条の規定により無効であると解するのが相当である。(中略)
男子孫要件は,世帯主要件とは異なり,入会団体の団体としての統制の維持という点からも,入会権の行使における各世帯間の平等という点からも,何ら合理性を有しない。(中略)
男女の本質的平等を定める日本国憲法の基本的理念に照らし,入会権を別異に取り扱うべき合理的理由を見いだすことはできないから,原審が上記3(3)において説示する本件入会地の入会権の歴史的沿革等の事情を考慮しても,男子孫要件による女子孫に対する差別を正当化することはできない。
(引用終了)
結構ばっさりと切り捨てている。
14 公序良俗と人種
次に取り上げるのが小樽温泉入浴拒否訴訟である。
引用する判決は第一審の判決であるが、控訴審も上告審も一審の判決を支持しているため、そのまま引用する。
平成13年(ワ)206号損害賠償等請求事件
平成14年11月11日札幌地方裁判所判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/644/008644_hanrei.pdf
判決に従うと事案の概要は次のとおりである。
なお、訴訟では小樽市の不作為も違法であるとして小樽市をも相手方にしているが、この点は触れない。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
本件は,原告らが,被告Aが経営する小樽市所在の公衆浴場に入浴しようとしたところ,外国人であることを理由に入浴を拒否されたことについて(中略)被告Aに対し,不法行為に基づき,損害賠償及び謝罪広告の掲載を求める(中略)事案である。
(引用終了)
この点、原告が外国籍であれば、外国人の問題(日本国籍を持たない者の問題)として主張することも可能であった。
もっとも、本件の原告は日本国籍を持っていた。
つまり、日本国籍を持っていた原告らを排除してしまったことにより、この問題は人種問題に発展してしまったのである。
さて、第一審は次のように述べて、公衆浴場側の違法性を肯定していく。
まず、人権規定の私人間適用については次のような一般論を展開した。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
私人相互の関係については,上記のとおり,憲法14条1項,国際人権B規約,人種差別撤廃条約等が直接適用されることはないけれども,私人の行為によって他の私人の基本的な自由や平等が具体的に侵害され又はそのおそれがあり,かつ,それが社会的に許容しうる限度を超えていると評価されるときは,私的自治に対する一般的制限規定である民法1条,90条や不法行為に関する諸規定等により,私人による個人の基本的な自由や平等に対する侵害を無効ないし違法として私人の利益を保護すべきである。
(引用終了)
そして、あてはめにおいて次のように述べた。
まず、本件の取り扱いの差異が何に基づくものか、について次のように説明する。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
これを本件入浴拒否についてみると,本件入浴拒否は,(中略),国籍による区別のようにもみえるが,外見上国籍の区別ができない場合もあることや,第2入浴拒否においては,日本国籍を取得した原告Jが拒否されていることからすれば,実質的には,日本国籍の有無という国籍による区別ではなく,外見が外国人にみえるという,人種,皮膚の色,世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく区別,制限であると認められ,(中略)私人間においても撤廃されるべき人種差別にあたるというべきである。
(引用終了)
そして、公衆浴場の営業の自由について次のような評価を加えた。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
被告Aには,Oに関して,財産権の保障に基づく営業の自由が認められている。
しかし,Oは,公衆浴場法による北海道知事の許可を受けて経営されている公衆浴場であり,公衆衛生の維持向上に資するものであって,公共性を有するものといえる。
そして,その利用者は,(中略),公衆浴場である限り,希望する者は,国籍,人種を問わず,その利用が認められるべきである。
(引用終了)
そして、全面排除の処置の違法性について次のように述べた。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
公衆浴場といえども,他の利用者に迷惑をかける利用者に対しては,利用を拒否し,退場を求めることが許されるのは当然である。
したがって,被告Aは,入浴マナーに従わない者に対しては,入浴マナーを指導し,それでも入浴マナーを守らない場合は,被告小樽市や警察等の協力を要請するなどして,マナー違反者を退場させるべきであり,また,入場前から酒に酔っている者の入場や酒類を携帯しての入場を断るべきであった。
たしかに,これらの方法の実行が容易でない場合があることは否定できないが,公衆浴場の公共性に照らすと,被告Aは,可能な限りの努力をもって上記方法を実行すべきであったといえる。
そして,その実行が容易でない場合があるからといって,安易にすべての外国人の利用を一律に拒否するのは明らかに合理性を欠くものというべきである。
しかも,入浴を希望した原告らについては,他の利用者に迷惑をかけるおそれは全く窺えなかったものである。
したがって,外国人一律入浴拒否の方法によってなされた本件入浴拒否は,不合理な差別であって,社会的に許容しうる限度を超えているものといえるから,違法であって不法行為にあたる。
(引用終了)
簡単に言えば、「公共性を有する以上、安易に人種による一律排除はするな」というところであろうか。
この「公共性を有する以上、安易に一律排除をするな」は使えるのかもしれない(この判決は地裁判決だが、高裁も最高裁も支持している点は既に述べた通り)。
もちろん、裁判所が述べた方法が本当に容易なのかどうかは知らないが。
ところで、裁判所は、被告の「原告たちは入浴拒否されることが明らかであるにもかかわらず、入浴しようとして拒否されたのだから、違法性や損害などはない」という主張について次のように一刀両断した。
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
被告Aは,原告らがOを訪れたのは,入浴拒否の事実をマスコミを通じて世間にアピールし,又は,被告Aに抗議するためであったから,原告らが本件入浴拒否により侵害された利益の実体に照らして被告Aの経済的自由と比較衡量すれば,本件入浴拒否が社会的に許容される限界を超えていたとまではいえない旨主張するが,原告らは,被告Aの入浴拒否に抗議し,その事実を社会に認知してもらうという目的をもっていたとしても,拒否されずに入浴することを望んでいたことに変わりはなく,本件入浴拒否によって不合理な差別を受けたことは否定できないから,原告らが上記のような目的をもっていたことによって本件入浴拒否の違法性がなくなるわけではない。
(引用終了)
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号省略、一部中略、強調は私の手による)
被告Aは,(中略)原告らにとってOで入浴する必要性はそもそもなく,原告らは何ら精神的打撃を受けたとはいえず,損害は発生していない旨主張するけれども,原告らが,(中略),本件入浴拒否によって,現実に入浴ができず,人種差別を受けて精神的苦痛を受けた以上,損害が発生していないということはできないから,被告Aの上記主張は採用することができない。
(引用終了)
この点、相手方が違法な行為に及ぶことを予見していたことそれ自体が行為者の適法性に影響するとは考えにくいため、違法性の判断についてはその通りと言える。
しかし、損害についてはどうなのか。
この判決によると、「風呂に入れなかったことよりも人種差別されたこと自体が損害」と読める。
これを日本教的なもの、あるいは、日本教的喧嘩両成敗の規範に照らすと、、、。
以上、私人間における平等についての判例をみてきた。