薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『昭和天皇の研究』を読む 4

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

4 第3章を読む

 第3章のタイトルは、「『三種の神器』の非神話化」

 この章では、前章に登場した杉浦博士の講義の内容についてみていく。

 

 

 本章は、杉浦博士が昭和天皇に対する教育のために作成した『倫理御進講草案』の冒頭に書かれた趣旨の話から始まる。

 具体的に見ると、『倫理御進講草案』の趣旨は次の3点にあるらしい。

 

(以下、本書の第3章、66ページから引用、強調は私の手による)

一、三種の神器に則り皇道を体し給うべきこと。

一、五箇条の御誓文を以て将来の標準と為し給うべきこと。

一、教育勅語の御趣旨の貫徹を期し給うべきこと

(引用終了)

 

 この表現を21世紀から見れば「少々神がかり的で超国家主義くさい」と見えなくもないが、当時の基準から見れば常識の範囲と言える。

 

 では、杉浦博士は「三種の神器」についてどのように講義をしたか。

『倫理御進講草案』によると、冒頭で「『三種の神器』が神話に由来する」とサラッと述べる一方、この三種の神器を「『知仁勇(知情意)』の象徴である」と道徳に変換して説明するらしい

 この点について本書で引用されている『倫理御進講草案』の部分を私釈三国志風に意訳(直訳ではないため注意)してみる。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること、なお、強調は私の手による)

 皇祖天照大神が、お孫さんの瓊瓊杵尊に日本(大八州)を統治させるにあたり、三種の神器を渡した。

(中略)

 三種の神器皇位の御証として授けられたものではない。

 要するに、三種の神器は知・仁・勇の三徳を示されたのである。

 このことは、北畠親房中江藤樹山鹿素行頼山陽らが説明している通りである。

(意訳終了)

 

 神話の宗教性をあっさりと世俗化してしまうところに、日本教的なものを感じなくはない。

 

 また、この道徳についても「中国(儒教)や欧米(キリスト教)の倫理・道徳について説明しながら、日本について説明する」という形をとるらしい。

 この点について本書で引用されている『倫理御進講草案』の部分を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること、なお、強調は私の手による)

 中国では、知・仁・勇の三徳を兼ね備える者が天下の達徳であることは『中庸』に示されている。

 人倫五常(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)も三徳がなければ完全に実行できない

 だから、中国の学者は、「知は三徳への道を知ること、仁は三徳の道を体現すること、勇は三徳の道を実践するものである」と述べている。

 ヨーロッパでは、知・情・意の三つが尊ばれている。

 ヨーロッパの知は日本の知と同じ、ヨーロッパの情は日本の仁を指し、ヨーロッパの意は日本の勇を示している。

 ヨーロッパでは、知・情・意を極めた人を完全な人物としている。

 このように、「知・仁・勇」の三徳を極めることが重要であることは日本も中国もヨーロッパも変わらない

 ヨーロッパと中国は理論を用いて説明する一方で、日本では皇祖大神が三種の神器を通じて示す、という違いがあるとしても。

(意訳終了)

 

 この点、「三種の神器」という言葉は、戦後、生活水準の向上を示す象徴的家具を示すために用いられ、三種の神器を備えることが一人前の生活水準を満たすことのように扱われていた。

 杉浦博士は、「優秀な人とは、三種の神器(=知・情・意)を究めた人」と規定している

 その意味で見れば、杉浦博士は三種の神器を近代的な意味で象徴的に用いた最初の人、と言えなくもないかもしれない。

 

 

 話はここから「普通倫理」と「帝王倫理」に進む。

 杉浦博士は、「普通倫理」と「帝王倫理」には違う面もあるが、基礎的な部分は共通しているものと考えていたらしい。

 そして、『倫理御進講草案』では、「知・仁・勇(知・情・意)」の象徴たる「三種の神器」が個人倫理の象徴として用いられている

 実に化学者らしいというべきか。

 

 

 以上が「三種の神器」についての話。

 では、「五箇条の御誓文」についてはどうか。

 

 この点、「五箇条の御誓文」の説明の前に、明治時代を生きた人々の天皇制に対して持っている感覚についての注釈が入る。

 つまり、現代人から見た場合、天皇制は長い間続いているという認識を持っている人が少なくないが、江戸時代を知っているの人間の場合、鎌倉幕府以前の天皇制と明治時代から始まった天皇制は分けて考える人は少なくなかった。

 そのため、新しい天皇制が樹立されたということは激烈な革命であり、「新しい天皇制の基本」について意識せざるを得なかった。

 

 その点は、杉浦博士を推挙した山川健次郎も変わりはない

 特に、山川健次郎会津出身で官軍と戦っており、俊英の彼の才能を惜しんだ人によって新潟に脱出して、その後の人生を歩んでおり、ある種の忘れることのできない体験を持っていたのだから。

 その点は、山本七平の世代が太平洋戦争の惨劇を忘れられないのと似ている。

 そして、山川健次郎は相当な国家主義者であったが、それは明治維新において同胞の血を背景に持つものであり、これと昭和の浮ついたナチスかぶれの超国家主義者と同一視するのはまずかろう。

 

 そして、前述した明治維新によって樹立された天皇制の基本」こそ「五箇条の御誓文ということになる。

 杉浦博士が徳川時代に生まれ明治維新を経験しているからであろうか、『倫理御進講草案』の記述には一種の熱を帯びているらしい。

 そして、『倫理御進講草案』の趣旨に従うなら、明治天皇が「五箇条の御誓文」を天地神明に誓ったことが明治からの天皇制の基礎となるらしい。

 とすれば、いわゆる「人間宣言」が五箇条の御誓文の再確認と再宣言であるという主張も納得できるだろう。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること、なお、強調は私の手による)

 日本では、鎌倉時代から武家が政権を担っていたが、明治時代になって朝廷に政権が返上された。

 そこで、朝廷は時代に見合った政治を行うために、大方針として明治天皇が天地神明に成約したのが「五箇条の御誓文」である

 大日本帝国憲法の発布、議会の開設、これらはこの「五箇条の御誓文」の趣旨を実現したものに他ならない。

 だから、大正時代においても政治の根本は「五箇条の御誓文」にある。

 だから、これから日本を統治しようとする者は、この「五箇条の御誓文」をよくよく理解し、明治天皇が誓約した「五箇条の御誓文」に従って政治を行わなければならない。

(意訳終了)

 

 このように、『倫理御進講草案』には神話は出てこないらしい。

三種の神器」は前述のように非神話化されてしまっている。

 ただ、ここまでいくとやや冷たい感じがしないではない。

 

 

 本文は、ここから五箇条の御誓文の各論の解説に移る。

 興味深いものとして本書で取り上げられているのは第一条である。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること)

 第一条は、門閥専横の政治を退け、天下の政治は天下の公論に従って行うべきだと述べている。

 天下の公論を知るためには、広く会議を興して政治について意見を求めることが重要である。

 だから、町村には町村会が、郡には郡会が、県には県会があり、全国の政治を議論するために帝国議会があって、政治について議論されている。

 これぞ、第一条の趣旨に基づくものである。

(意訳終了)

 

『倫理御進講草案』において、第1条における「会議」とは、国会を含む様々な議会を指すと述べたうえ、「大小の政治、これら会議によりて議せらるるは、すなわちこの趣意の実行せられたるものなり」と述べられている。

 ちなみに、この「広く会議を興」すのをやめ、「軍閥専横」にすればそれは太平洋戦争前夜ということになるだろうか

 このように考えると、昭和天皇にとってこの時代の政治は「五箇条の御誓文」と明治憲法を否定することとなり、自己を否定されるようなものだったのだろう。

 

 本書によると、他に興味深いものとして第5条があるらしい。

 第5条は「智識を世界に求め」から始まる条文であるが、杉浦博士は『倫理御進講草案』において「科学者」に関する章を設けて、ヨーロッパの科学者・技術者を紹介している

 ここでは、日本の科学はヨーロッパに劣っている点を指摘し、第5条を極力実施に移すように強調している。

 このようにみると、杉浦博士はイギリスで学んだ化学者なのだなあ、と考えさせられる。

 ここも本書で引用されている部分を意訳してみよう。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること)

 ヨーロッパの優れている点は科学の進歩にある。

 日本の道徳はヨーロッパに負けることはない。

 しかし、理化学的研究を比較すれば、大いに劣るものと言わなければならない。

 だから、彼らの長所たる理化学を学んで、我が国の欠点を補うべきである。

(意訳終了)

 

 

 ところで、道徳を最高の力とみる杉浦博士が、道徳において日本の優秀性を認めつつも国力の基本たる科学の力の劣勢を認めるのは少々一貫性がないように見える。

 そこで、『倫理御進講草案』において、杉浦博士は科学の振興もまた道徳の力の基礎となる旨述べる

 ここも本書で引用されている部分を意訳してみよう。

 

(以下、本書で引用されている『倫理御進講草案』を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること)

 ヨーロッパにおける科学の研究者たちは、不断の努力をもって研究活動に励んでいる。

 世の名誉・損得に拘泥せず、学問に一身を捧げる態度は崇高なものと言わざるを得ない。

 この崇高な態度により、ヨーロッパの科学の研究は大いに進歩した。

 汽車・電信・電話の発明は、理化学の応用として生まれたものである。

 だから、日本もこのような研究を奨励して、彼らと肩を並べられる程度にならなければならない。

(意訳終了)

 

 そして、彼はヨーロッパの科学者たるアイザック・ニュートン、ジョン・ダルトン、ユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエを紹介し、さらには、ヨーロッパの技術者たるジェームズ・ワット、ジョージ・スチーブンソン、エドワード・ジェンナー、リチャード・アークライト、グリエルモ・マルコーニを紹介している。

 興味深いことは、マルコニー以外はイギリス人であること、杉浦博士が熱を込めて語っているのがダルトンであること、である。

 

 推測になるが、杉浦博士は将来のダルトンたらんと考えていたのかもしれない。

 また、杉浦博士は、科学上の発見や技術的な発明は継続的の努力の結晶とみていたようである

 そして、ワットの紹介では、スマイルズの『自助論』を引用して、科学の進歩と進歩した理論の実地応用の両輪により大いに国力を増進させるとともに人類の進歩に貢献した旨述べている

 さらに、日本の現状がイギリスなどのヨーロッパに劣ることを素直に認める。

 そして、前述のように、「五箇条の御誓文」の第5条の趣旨を実践しなければならないと結論付けている。

 

 

 なお、本書では、『倫理御進講草案』の興味深い点として「詩歌」・「万葉集」・「絵画」の章がある一方で「文学者」の章がないことを取り上げている。

 特に、近代文学は日本・ヨーロッパのいずれも登場しない。

 また、「倫理」以外の科目を見ても、「国文」・「漢文」・「美術史」はあっても「西欧文学」や「近代文学」はない。

 これは昭和天皇が「私が文学を全く知らない」と述べたことと整合する。

 

 また、『倫理御進講草案』を読むと、「修身」を思い出してうんざりしたり、堅苦しく感じたりするかもしれず、杉浦博士の風貌と相俟って堅苦しい授業をイメージするかもしれない。

 しかし、本書によるとそんなことはないらしい。

 というのも、書生道楽で中学生教育のベテランだった杉浦博士にとって、堅苦しい話を続けてしまえば生徒に飽きられてしまうことは熟知しており、堅苦しい話と面白い話が出てくる上、関係者の思い出によると杉浦博士はその風貌とは裏腹に明るく、かつ、自分も笑う人だったからである。

 

 

 以上が本章のお話。

 次章は、歴史を担当した白鳥博士についてみていく。