薫のメモ帳

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『日本人のためのイスラム原論』を読む 25

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

25 「第3章_欧米とイスラム_なぜ、かくも対立するのか_第2節を読む」(後編)

 前回はイスラム教と近代資本主義の相性の悪さについてみてきた。

 今回は近代資本主義と双子の関係にある近代民主主義とイスラム教の相性についてみていく。

 

 

 本書では、ここから話が近代資本主義から近代民主主義に移る

 この点、ジャン・カルヴァンの予定説が資本主義と民主主義の起源となった、という話は本書でも以前のメモでも述べた。

 

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 また、民主主義が興る前夜、国王の権力が絶対化し、絶対王政が出現していた

 この点、中世ヨーロッパにおいて国王はプリムス・インテル・パーレス(同輩中の首席)に過ぎず、カトリック教会と伝統主義に縛られていた。

 その雁字搦めに縛られていた国王が絶対権力者になっていく過程は次のメモで述べたとおりである。

 

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 つまり、ペストの大流行や十字軍による貨幣経済の浸透によって貴族や教会が権力を失う一方、貨幣経済の浸透によって勢力を増した都市の商工業者が国王に加担した結果、「国王(+都市の商工業者)VS教会+諸侯(貴族)の戦い」のバランスが国王に傾き、その果てに絶対王政が出現した。

 

 この絶対王政における国王の権力と権威は神のようなものであった。

 このことを示している言葉が太陽王ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉である。

 さらに、絶対王政を正当化する理論として「王権神授説」という理論まで作られるようになる。

 かくしてリヴァイアサンが出現し、また、このリヴァイアサンは聖書によって退治され(大きな鎖をはめられる)、近代デモクラシーが産まれることになる。

 

 ところで、この王権神授説は聖書に根拠があるわけではない。

 このことは、イエスパウロが内面の信仰だけを重視し、俗界の権力に口出ししなかった点、または、「カエサルのものはカエサルに」という言葉を見ればわかる。

 つまり、俗権力と聖書は無関係であって、俗権力の何かを許容したり何かを否定したりすることはない、ということになる。

 もちろん、イエスパウロローマ皇帝のことを批判していたら、絶対王政の出現は抑えられた可能性があると言いうるとしても。

 

 ただ、この聖書の俗権力への無関心が絶対王権を呼び、また、この王権の巨大化・絶対化がデモクラシーをもたらすことになる

 というのも、プロテスタントは「我こそは神から救済リストに入れられた人間である」という意識(妄念)があって絶対王権に立ち向かったわけだが、逆に、絶対王権が存在しなければこのような過激な行動に踏み切らなかったかもしれないからである。

 また、デモクラシーにおいても国家権力の絶対性は許容しており(このことは近代国家の主権の三要素たる「統治権・対内最高性・最高決定権」から理解できる)、その暴走を憲法で歯止めをかけているに過ぎないからである。

 

 

 では、このような「中世→絶対王政→近代デモクラシー」というプロセスはイスラム教社会で起こりうるだろうか。

 イスラム教社会の場合、近代デモクラシーの前段階たる絶対王政の出現すら難しい、ということになる。

 

 この点、イエスパウロと異なり、アッラー遣わされた最後の預言者たるマホメットは特権階級を積極的に批判した。

 近代革命の基礎となった「神から見れば、国王も国民も紙の同じ神も奴隷」という発想はキリスト教でもイスラム教でも成立しうる。

 つまり、近代革命の基礎となった平等思想はイスラム教の発足時からイスラム教社会にあったということになる

 このことはイスラム教の喜捨(ザカード)の義務にも表れている。

 

 また、現代の視点ではなく中世の時点から見た場合、イスラム教は男女平等を志向していた。

 つまり、当時のアラビア社会は圧倒的な男性優位の社会であった。

 マホメットはこの点を批判して女性を大事にすることを強調した。

 

 もちろん、平等をかなり実現した現代の視点から見れば、イスラム教の規定には男女不平等な点が見られる。

 一夫多妻制などはその例であろう。

 もっとも、イスラム教の発足当時、イスラム帝国はジハードを行う過程でたくさんの男性信者が死に、その結果、孤児や未亡人が発生した。

 一夫多妻制はその孤児や未亡人を保護するための社会保障システムとして機能した。

 また、イスラム法では離婚において男性側は女性に対する生活保障を義務付け、また、女性の側からの離婚の申し立ても可能であった。

 当時の視点から見れば、例を見ないレベルでの女性尊重と言える。

 

 このマホメットの「アッラーの前には富貴の差も男女の差もない」という教え。

 これが当時の被差別者にとってどれだけ衝撃的であったか、また、魅力的であったか、想像に難くないだろう。

 

 

 もっとも、このイスラム教の平等思想こそが近代デモクラシーの出現を妨げる原因となっている

 本書にない言葉を足せば、「イスラム教の『合法的な差別を規範として認める』平等システム」が、といってもいいのかもしれない。

 何故なら、イスラム教の教えは近代革命以前の絶対王政の出現にとって大きなハードルになるからである。

  

 この点、世俗のことにタッチしなかったキリスト教とは異なり、本来の(理想形としての)イスラム教では世俗における身分の差を認めていない。

 また、「王」や「国」という概念も認めていない。

 その意味で、イスラム教では世界を一つの共同体として考えることになる。

 とはいえ、現実の政治を考えれば、統治システムがないと不都合である。

 しかも、これまでの歴史を見ればわかるとおり、イスラム教社会の範囲は極めて広い。

 そこで、イスラム帝国オスマン帝国ムガル帝国ティムール帝国といった帝国が出現した。

 これらの帝国は絶対王政を実現したヨーロッパの各王国よりもはるかに大きい大帝国であった。

 

 ただ、問題となるのはこの帝国の主張たる皇帝(スルタン)の地位である

 この点、イスラム教の教えからみれば、巨大な権力を持つスルタンのような存在は許されない。

 他方で、現実にはスルタンは存在する。

 そこで、この矛盾を解消すべく、オスマン帝国ではスルタンがカリフの地位を兼ねるということで対応した。

 

 この対応、ヨーロッパの感覚で見た場合、国王がカトリック教会の教皇を兼ねるようなものである。

 江戸時代の感覚で考えれば、天皇陛下征夷大将軍になるようなものである。

 よって、とんでもない権力と権威を持っているように見える。

 ところが、さにあらず。

 

 カトリック教会の場合、初代の教皇はキリストの後継者たるペテロと考える。

 そして、カトリック教会の神学者たちは歴代のカトリック教会の教皇を神の代官と定義した。

 このことから、ローマ教皇の権威は絶対的であり、不可侵のものとなった。

 

 これに対して、イスラム教のカリフはそれほど大きい権威をもちえない。

 というのも、預言者マホメットでさえ一信者と同様の「人間」に過ぎないからである

 そして、カリフは「預言者マホメットの代理」と考えるところ、「カリフは人間の代理に過ぎない」ということになる関係で、カリフに大きな権威は生じなかった。

 たとえるなら、カリフの地位は「信者総代」のようなものである

 日本の神社や寺には「信者総代」と呼ばれる人たちがいるが、それと同様の権威しかないことになる。

 とすれば、スルタンがカリフを名乗るといっても気休めにしかならないと言ってもよい。

 しかも、スルタンといえどもイスラム法による制限がある

 これでは「朕は国家なり」というような絶対王権など出現するはずがない。

 また、絶対王権が出現しなければ、近代革命も近代デモクラシーも生じえないことになる。

 

 

 以上、イスラム教社会において近代デモクラシーが発生しない理由をみてきた。

 この点、イスラム教は非常によくできた宗教であると言える。

 イスラム教には三位一体説・予定説のような難解なものがない。

 また、マホメットを最終預言者にすることで異端の出現をかなり減らしている

 さらに、平等思想も存在している。

 ヨーロッパのキリスト教社会が平等思想を持つようになるのが、マホメットの出現から約1000年後であったことを考えれば、マホメットの大宗教家としての才能に驚嘆する以外の感想を持ちえない。

 

 しかし、イスラム教社会の近代からの侵食、また、イスラム教社会が近代から長所を取り入れようというときに、このイスラム教が大きな障壁となっている

 キリスト教の「予定説」から生まれた「行動的禁欲」・「天職への邁進」・「労働は救済である」という思想、「信仰のみ!」から生まれた「利潤徹底否定の思想」、「隣人愛」がもたらした「利潤の正当化・徹底化(合理化)」・「ヨコの契約絶対の思想」、これらの近代化に至る要素がないのだから。

 

 なお、近代資本主義・近代民主主義を支えた近代科学についてはどうだろうか。

 マックス・ウェーバーは「目的合理性」の極限である「形式合理性」の例として物理学を代表とする近代科学・複式簿記近代法・古典経済学が前提としている完全競争市場を取り上げていた

 そして、これらの近代科学は目的合理性達成の手段として存在する

 ならば、目的合理性が必要ないイスラム教においては近代科学も不要、ということになってしまう。

 とすれば、ギリシャの学問を引き継いだイスラム教社会が近代科学に達成できる可能性もかなり低かった、ということにならざるを得ないことになる。

 

 これでは、明治時代の日本のように「欧米列強に対抗するために近代化を取り入れる」と考えた場合、その先にあるものは「イスラム教と近代の二者択一」ということになる。

 また、「十字軍コンプレックス」と裏返しになる「イスラム教社会の誇り」の背後にあるものは、イスラム教社会にとってイスラム教に感化されなかったのはキリスト教だけ、という点にある。

 ササン朝ペルシャ帝国の国教だったゾロアスター教は滅ぼすことで完全に抑えた。

 インドのヒンディー教についてもムガル帝国が一度は抑えている。

 仏教については押しまくる一方。

 さらには、アラビアを蹂躙したモンゴル帝国でさえアッラーの前にひれ伏した。

 

 とすれば、近代化を徹底してイスラム教を放棄すればどうなるか。

 これはキリスト教に対する完敗」を意味してしまい、十字軍コンプレックスの解消どころではなくなってしまう。

 これが超強大な急性アノミーをもたらすことは想像に難くない。

 イスラム教社会の現状はこのような状況にある、ということになる。

 

 

 ここから話はこの苦悩に対するイスラム教社会の具体的な悪戦苦闘と現代におけるキリスト教社会とイスラム教社会の抗争についてみていくわけだが、きりがいいので今回はこの辺で。