今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
17 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第3節」を読む(後編)
前回と前々回で中国における刺客と「歴史教」についてみてきた。
これまで見てきたように、中国人は歴史は普遍かつ不変のものとしてとらえる。
だから、中国人は歴史を重視し、史官たちは真実を後世に語り継ごうとした。
これに対して、キリスト教社会は歴史をどう見るか。
中国人と異なり、アメリカ・ヨーロッパ人は歴史は発展・変転するものと考える。
このことを示しているのが、カール・マルクスの発想である。
マルクスは「人間の社会は『原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義』というように発展していく」と考えた。
もちろん、それぞれの社会に成立する歴史法則・社会法則は異なると考える。
この場合、例えば、奴隷制で成立する社会法則が資本主義でも成立するとは考えない。
よって、この発想では「古をもって鏡となす」という発想は出てこないことになる。
では、この「歴史・社会は発展・変化する」と考える歴史観を産み出したものは何か。
神は万能であり、創造神(クリエーター)である。
だから、この世の出来事は神の定めたとおりに起こる。
また、社会法則・歴史法則などの法則も神が定めたと考える。
この点は自然科学法則でさえ例外ではない。
この発想を前提とすると、神のさじ加減によって法則を含めたあらゆることの変化が可能となる。
よって、歴史は不変・普遍であるといった発想は出てこない。
このことを示しているのが、古代イスラエルの民が考えた救済である。
彼らは救済について、「律法を守り続けていれば、神は我々を救済する。その結果、我々は世界の主人になる」と考える。
では、神が彼らを救済した後、社会法則はどうなるだろうか。
「わからない」と言えばより正確であろうが、もし、社会法則が同じであれば彼らは救済されない状態のままになりかねない。
よって、「救済によって社会法則は変わる」と考えることになる。
つまり、「新しい時代には新しい法則が妥当する」と考えることになる。
この点、中国人だけではなく、ユダヤ人たちも歴史を尊重する。
そのことは、旧約聖書に記されている古代イスラエル人の記録が示している。
古代イスラエル人は苦難の中、自分たちの先祖の記録を語り継ぎ、それを旧約聖書の形にまとめた。
苦難の中、こんなことをするのは歴史を尊重しているからに他ならない
(たとえるなら、貧窮にあえいでいる一族がひたすら先祖が書き続けた日記帳などの記録を保管し続けるようなものである)。
しかし、彼らが歴史を尊重するのは「古をもって鏡とする」ためではない。
歴史は神から賜ったものだから、その記録を遺すのである。
それが苦難であれ、救済であれ。
以上の思想は、キリスト教にも引き継がれている。
そのことを示すのがヨーロッパの革命思想である。
キリスト教でも、神は人格を持つ万能の絶対神であり、創造神でもある。
そのため、この絶対神が歴史や社会科学法則・自然科学法則を作ったものと考える。
また、最後の審判によって「神の国」が生まれ、キリスト教徒は救済されると考える。
そこで、この「神の国」では従前の社会法則は成立しないだろうと考える。
というのも、皇帝・貴族がいばっていた従前の社会(「地の国」)と「神の国」が同じであるはずがないので。
キリスト教では以上の発想が革命思想に発展する。
つまり、最後の審判によって「神の国」が来ると確信・信仰しているクリスチャンから見れば、現世のことなどかりそめに過ぎず、色あせて見える。
だって、最後の審判がくれば、現世の秩序など全部消し飛んでしまうのだから。
この場合、「いっそ最後の審判の前に『神の国』を現世に打ち立てて何の不都合があろう」と考えることになる。
つまり、「現世の腐った秩序を転覆して、『神の国』にふさわしい新時代の秩序を産み出すことは神の御心に沿うだろう」と考える。
かくして、革命を肯定する思想をキリスト教徒(特に、新教徒)は抱くことになる。
この辺については、従前の読書メモでも触れている(各メモへのリンクは次の通り)。
さて、このヨーロッパ人の革命思想。
この革命思想は中国の易姓革命と異なる点がある。
この点、ヨーロッパの近代革命と中国の易姓革命はともに「革命」という言葉を用いる。
しかし、ヨーロッパの革命では革命前と革命後には大きな断絶がある。
例えば、フランス革命は絶対王政たるアンシャン・レジームの破壊が目的であった。
また、ロシア革命が目指したのは、皇帝独裁体制の転覆と社会主義に基づく新生ロシアの創造にあった。
どちらも、革命前の社会と革命後の社会との間には大きな断絶がある。
この点は、第一次世界大戦末期のドイツ革命、イギリスのピューリタン革命・名誉革命も例外ではない。
名誉革命を除けば、革命の結果、君主制が(いったん)廃止されている。
名誉革命も君主制自体は存続したが、新しいイギリス国王は「権利の章典」という枷をはめられ、議会と君主のパワーバランスは大きく議会に傾いた。
これに対して、中国の易姓革命はどうか。
確かに、中国の易姓革命では皇帝の姓が変更される。
しかし、体制、つまり、システムは大きく変わらない。
このことは易姓革命のプロセスを考えることで理解できる。
つまり、中国では「天」が天下を統治させるための任務を「皇帝」に与える。
そして、皇帝は地上において絶対的権力を持ち、中国を統治する。
しかし、皇帝によっては天から与えられた任務を忘れて、自分の栄華を求めることがある。
そこで、その天命から逸脱した皇帝を排除し、新たに天命が与えられたものを皇帝に入れ替えるための一連の行為、これが易姓革命になる。
よって、易姓革命によって皇帝の姓が変わっても、従前の社会システムに変化は生じない。
つまり、革命前後で体制は連続しており、また、社会は連続していることになる。
この革命によっても体制が変わらない中国。
ヘーゲルはこれを「持続の帝国」と名付けることになる。
以上のように、ヨーロッパ(アメリカ)では歴史や社会は進化すると考える。
他方、中国では歴史や社会は普遍・不変と考える。
このことが刺客や暗殺者に対する評価を分けることになる。
つまり、中国の刺客たちは「士は己を知る者のために死す」という理想に殉じたわけであるが、この理想も不変・普遍のものと考える。
これが中国において刺客が高く評価される理由となる。
もし、理想が普遍のものではなく、ころころ変わるものと考えていたら、理想に殉じる意味はないから(将来、理想が変わってしまうから)。
その場合、おいそれと歴史に殉じることはできないだろう。
この点については、刺客のみならず、文天祥においても同様である。
文天祥は南宋のため立ち上がったが、文天祥自身が南宋に勝算があったと考えていなかったであろう。
しかし、「忠臣としての生涯を全うできれば、自分の行為は未来永劫評価される」と確信できたから、文天祥はフビライの勧誘を蹴ることができたし、また、元を敵に回すことができたと言える。
これをヨーロッパの価値観で見たら、文天祥の行いをヨーロッパで行ったらどうなるか。
それは、酷評の一言に尽きる。
つまり、「文天祥は時流が見えていなかった無能な人間である」か「文天祥は時流が見えていながらも過去の遺物に固執した守旧派の人間であった」のいずれかになる。
こうならざるを得ない。
これでは、ヨーロッパでは暗殺者は評価されなくて当然、ということになる。
プロの殺し屋を除けば、ヨーロッパとアメリカでは、暗殺者は歴史の変化に抵抗する時代錯誤者であり、抵抗勢力と考えることになるのだから。
これでは暗殺者を褒めるはずがない。
以上のように、中国とアメリカ・ヨーロッパでは、刺客・暗殺者に対する評価に天地の開きがある。
では、アラビア社会、つまり、イスラム社会は中国とヨーロッパのいずれに似ているか。
同じ啓典宗教だからキリスト教社会ことヨーロッパに近くなるか。
そんなことはない。
イスラム教徒は中国寄りである。
というのも、中国と同様、イスラム社会も変化を否定する社会だからである。
この点、イスラム教では絶対神(アッラー)が世界を統べていると考える。
また、「最後の審判」も存在する。
ならば、キリスト教などのように「法則は神のさじ加減で変転しうる」と考えるようにみえる。
しかし、キリスト教やユダヤ教と異なり、イスラム教は「マホメットが最後の預言者である」としている。
このことが大きな違いを生むことなる。
どういうことか。
つまり、イスラム教徒は預言者の実在を信じなければならないことになる。
では、これは具体的に何を信じることを意味するのか。
本書によると、イスラム教における重要な預言者は「アーダム(アダム)」・「ヌーフ(ノア)」・「イブラーヒーム(アブラハム)」・「ムーサー(モーセ)」・「イーサー(イエス)」、そして、「マホメット」の6人である。
もちろん、一番重要なのがマホメットである。
そして、クルアーンには「マホメットはアッラーの使徒であり、最後の預言者である」という趣旨の記載がある。
(以下、和訳されたクルアーンの第33章の第40節より引用、引用元は次のリンク参照)
ムハンマドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。
本当にアッラーは全知であられる
(引用終了)
つまり、マホメットが最後の預言者であり、コーランは神から与えられた最後の啓示である。
この事実を信じることは「預言者を信じる」ことの一部である。
この「預言者はもう現れない」という考えは、ユダヤ教とキリスト教にはない。
例えば、ユダヤ教において神は必要に応じて預言者をこの世界に送り込む。
だから、エジプトのイスラエルの民を救うために、神はモーセを派遣した。
古代イスラエル王国を救うために、神はエレミヤを預言者として派遣した。
それから、イエスが現れたときも、ユダヤ教徒は「イエスは預言者かもしれない」と考えた。
もっとも、イエスは律法を無視して、律法学者を誹謗した。
そのため、ユダヤ教徒はイエスを偽預言者として排撃したわけである。
では、キリスト教の場合はどうか。
聖書には「今後、預言者が現れることはない」とは書いていない。
よって、「今後、預言者が登場するかもしれないし、しないかもしれない」ということになる。
この点、その預言者が現れたと考えるキリスト教の一派がモルモン教である。
モルモン教は19世紀に興ったキリスト教の一派なのだが、大きな特徴として「モルモン経」という聖書以外の啓典を持つ点にある。
「モルモン経」は、「西暦5世紀ころ、モルモンという預言者によって書かれたものであり、その後、1823年に天使によって創始者ジョセフ・スミスに引き渡された」と言われている。
この点、聖書を見る限り「(モルモンという)預言者が現れない」とか「今後、新しい啓典が下されることがない」と書かれていない以上、聖書とモルモン教は矛盾しない。
まあ、正統なキリスト教から見ればどうなるかはさておくとしても。
ところで、本書によると、この「モルモン経」には面白い逸話があるらしい。
スミスの発見したこの「モルモン経」は英語で書かれており、さらには、英語の欽定訳聖書から引用されている(文言が使われている)こともわかった。
英語の欽定訳聖書が作られたのは17世紀のジェームズ一世(ピューリタン革命で処刑されたイギリス国王チャールズ1世の父親)の時代である。
欽定訳聖書は別名「キング・ジェームズ・バイブル」とも呼ばれ、英語訳聖書のなかで最も格式が高いものと言われている。
一方、スミスの主張によると、モルモン経を書いたモルモンという預言者が存在したのは5世紀である。
はてはて、5世紀ころの時代の人間に17世紀の言葉が用いることができようか。
こはいかに。
このような当然、かつ、常識的な突込みに対して、スミスは次のように即答したそうである。
「神は万能であって、将来、どのような聖書が作られるか・訳されるかも神がお定めになっております。その数ある聖書のうち欽定訳聖書が優れている聖書になるというご判断から、それを見越して『モルモン経』に欽定訳聖書の言葉をお使いになったのでしょう。神の全能性がまた一つ証明されました」と。
もちろん、つじつまがあわないわけではない。
また、これを即座に切り返したのであれば、論戦として見た場合、スミスはすごいと言える。
もっとも、それをどう評価するかは、、、さておいて。
話はここからイスラム教の視点に戻る。
ただ、きりがいいので、今回はこの辺で。