今日はこのシリーズの続き。
『小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。
13 第4章を読む_後編後半
前回、忠臣蔵において赤穂藩に対する改易処分が決まった後になされた大石内蔵助たちの行動から、江戸時代の日本人には近代的所有概念が根付いていなかった話をした。
もちろん、これ自体当然の結論というべきものであって、特段不自然な点はない。
しかし、現代の日本人も同様であるならば問題がないというわけにはいかない。
今回はその辺りを見ていく。
なお、日本人の所有に対する意識については、過去に何度も読書メモで触れているため、言及していた読書メモのうちの重要なものを次に示すとともに、重複する部分についてはできる限り省略しながら読書メモを進めていくことにする。
ここから本書は近代日本・現代日本における「所有と占有の未分離」に関する話に移る。
ここで取り上げられている具体的な話題は川島教授によるものである。
つまり、終戦間際、都会から疎開してきた人間たちが疎開先の人たちの物(消耗品)を同意なく消費してしまう、とか。
あるいは、大学の教授が学生から『ある本を貸してほしい』と言われたので、その本を貸したところ、返された書籍にはあちこちに線が引かれており、かつ、学生にはそれらに関する罪悪感が全くなかった、とか。
つまり、終戦直後、日本では所有と占有の違いが意識されていなかった。
特に動産については、占有=所有に近い状態にあった、と。
もっとも、このような占有者と所有者の違いに対する意識のなさは資本主義社会以外の社会であれば当然に持っている特徴であるから、ことさら日本人がどうこう、という話ではない。
また、中世ヨーロッパにもこのような特徴があったと言われている。
では、近代資本主義社会では、何故所有権が抽象的に判断されるようになったのか。
これは、「所有権の性格(定義)が変わったから」となる。
つまり、所有権の中核部分が「支配」から「(交換)価値の把握」に変化したため、占有(支配)とは関係なく所有権が抽象的に把握されるようになった、と。
したがって、大石内蔵助らの行為も前近代の発想として至極合理的な行為であると言える。
さて、この大石内蔵助らの行為は現代においても取り立てて問題視されていない。
もちろん、これらの行為を問題視することは赤穂浪士の物語に水が差すことを意味する。
したがって、問題視すれば赤穂浪士や忠臣蔵のファンによる猛烈な「空気」による袋叩きにあうであろうが。
しかし、この「所有と占有の未分離」という発想は構造的汚職の温床となる。
そのことを示すのが、上の読書メモでも触れられた「役得」という概念である。
この点、本書では官官接待の問題を具体例に取り上げている。
そして、次の書籍における記者の「良心のマヒの慢性化」への驚きや「自己浄化能力が備わっていない」旨の結論を紹介している。
しかし、著者(小室先生)は「官僚の自己浄化機能のなさ、良心のマヒの慢性化は、官僚システムの中に構造的に埋め込まれている」と主張し、ここに注目すべきだと述べる。
上の記者は主観的、小室先生は客観的、といえようか。
本書では、上の読書メモでもあった「日本人の『役得を利用した接待』に対する外国人の感想」が紹介されている。
近代的所有概念を持つ外国人が見た場合、権限外の接待(権限内であれば役得にならない)は業務上横領や背任に他ならない。
そのため、外国人が役得による接待の真相を知れば、「このような人たちは到底信用できない」という感想を持つことになる。
しかし、役得を得た人間にそのような意識があったとは到底言えないであろう。
そして、役得に関する原因を構造的に探るのであれば、それは近代的所有意識の欠如にいきつくことになる。
本書では、「株式会社は誰のものか」という問題を取り上げ、所有権の一義的明確性に対する日本人の意識が希薄な点を述べている。
これは、これまでのメモで述べてきたいわゆる「株式会社という機能体の共同体化」である(読書メモは省略)。
そして、話は公認会計士に移る。
アメリカやヨーロッパにおける公認会計士は株主から委任を受けて取締役らの経営を監査する。
というのも、株主らは経営の素人であるから、取締役らの経営に関する適法性・妥当性を判断することはできない。
そこで、株主らが公認会計士に依頼をし、経営に関する適法性・妥当性をチェックする、ということになる。
これは、訴訟において弁護士に依頼するようなものである。
そして、その行使する権限を見れば、公認会計士と経営者の関係は検事と被告人のようなものである、といってもよい。
しかるに、日本ではどうか。
まず、公認会計士は税理士とは異なる職業であるという意識が相対的に乏しい。
たとえ、税理士の仕事をもすることがあるとしても。
さらに、重要なのは、公認会計士を雇っているのは株主ではなく経営者である、ということである。
本書では、著者(小室先生)が公認会計士の協会で講演をしたときのエピソードが紹介されている。
曰く、開口一番、「諸君(私による注、日本における公認会計士)は泥棒にやとわれた裁判官である」と言ってやったところ、聴衆は一度はキョトンとしたが、意味を説明すると爆笑した、と。
やや品のある言葉で言い直せば、被告人が検事や裁判官を任命しているようなものである。
しかし、これでは公認会計士に真面目に監査を期待するのは不可能であろう。
ましてや、主人に対する殉情を至高の価値とする日本教社会においては。
また、本書では労働者が経営者に対する責任追及のためのストをした際、経営者が失踪したため株主に対する責任追及を行った、というエピソードが紹介されている。
このエピソードは次の読書メモに紹介している。
この点、労働者たちは自分たちの権利・利益の保全のために行動しているため、労働者の行為に対して近代的所有概念から見てどうこう言うことは意味はない。
しかし、コメントした人間の中で近代的所有概念への言及がなかったのであれば、日本に近代的所有概念などあったものではない、と言われても抗弁できないであろう。
たとえ、日本の機能体の共同体化を考慮すれば、労働者らの行為を近代的所有概念のみから評価することが妥当ではないとしても。
著者はこのことから「日本には高度経済成長が終わったころの昭和50年ころでさえ近代的所有概念が根付いていない」と述べている。
また、本書が出版された21世紀間近のころでも同様である、と。
さらに、著者は所有概念においては日本も中国でも同様であるからトラブルが生じるのだ、と述べる。
そして、この「会社が株主の所有物である」という近代資本主義ならば当然の結論が何故意識されないのかというと、そこには「所有権の一義的明確性の不存在」が挙げられる。
つまり、株主は経営者に経営を委託し、経営者は労働者を雇って事業を実践する。
それゆえ、経営者は経営について株主に対して責任を負うし、労働者に対して雇用・待遇に関する責任を負う。
もっとも、経営者は経営について労働者に対して責任を負うことはない。
また、株主は労働者に対して責任を負うことは原則としてない。
この2点が労働者らの行為が近代的所有概念から見て違和感を持つ理由となる(もちろん、本件にこの原則論をひっくり返すだけの具体的例外事情はあったと考えられるとしても)。
著者は言う。
これでは、日本には所有権の一義的明確性が意識されている、または、二分法的発想があるとは言えない、と。
そして、この点は中国も同様である、と。
ここで本書の記載はないが、民法上の条文も確認しておく。
民法は715条に使用者責任を規定しているため、被用者が被害者に損害を加えた場合、原則として使用者も連帯して責任を負うことになっている。
しかし、委任契約や請負契約については原則としてこれは適用されない(もちろん、例外はあるが)。
そのことは716条を見ることで確認できる。
民法715条第1項
ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
民法716条
注文者は、請負人がその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わない。ただし、注文又は指図についてその注文者に過失があったときは、この限りでない。
以上は日本の話であった。
ここから話は中国に移る。
この点、中国では汚職の問題が国を揺るがすレベルの問題となっている。
もっとも、この汚職の根本的原因を探っていくと「近代的所有概念の欠如」に行きつく。
つまり、近代的所有概念と罪刑法定主義の理念が人々に行き渡っていないことが頻発する汚職の構造的・根本的原因となる。
この点、所有権の一義的明確性への意識の欠如が役得や汚職の構造的原因につながる点は既に述べた。
これに加えて、中国では罪刑法定主義が機能していない(日本も「空気」に対して憲法が無力であった現状や歴史を考慮すると、日本においても罪刑法定主義が意識されていると言えるのか、甚だ怪しいと言えなくもないが)。
これでは、中国では構造上汚職がやりたい放題になっても不思議ではない。
これに、中国の法家の思想を加えてみることで、別の側面が見える。
まず、科挙という極めて難易度の高い試験制度があった中国ではそもそも高級官僚の数が少ない。
その結果、高級官僚は巨大な権力を持つことになる。
ここで、閑話休題として「官吏」という言葉の説明が入る。
つまり、科挙に合格した人間(高級官僚)のことを「官」、高級官僚の「官」が雇った人間を「吏」という、と。
そして、地方に派遣された「官」のメインの仕事は税金の徴収と中央への移送にあった。
ここで驚くべきことは、国家の会計と官の会計に区別がない点である。
その結果、欲のない最も清廉潔白な人間でも3年地方に赴任すれば三代に渡って家が持つと言われていた。
では、欲深い人間だったら、というのは推して知るべしである。
このことから、そもそも中国には「汚職」の概念がなかったことになる。
したがって、中国で「汚職」と呼ばれる事件になれば、額が日本とはけた違いになった。
また、官僚は法律の終局的解釈権を持っている。
そして、税金の徴収をも行う。
その結果、地方に派遣された高級官僚は独立経営者として(自分に)法律を有利に解釈して商売している、という言い方もできる。
つまり、役人イコール商売人。
この商売人兼役人に検事や裁判官も含まれるので、アメリカやヨーロッパから見ても想像を絶する世界になる。
というのも、欧米では刑罰を執行することは民間に委託できたとしても、裁判だけは裁判官が判決を書いていたからである。
この高級官僚の傾向は今の中国にも残っている。
これでは、日本・アメリカ・ヨーロッパの企業が中国に出向いてトラブルにならないはずがない、ということになる。
本章の最後に、著者は日本人の中国社会の概念に対する誤解を取り上げている。
まず、『君子は義に喩り、小人は利に喩る』という論語の言葉があるが、日本人の社会科学的無知ゆえか、日本人は君子と小人という概念についてとんでもない誤解をしている、という。
社会科学における重要な発想に「事実と規範の区別」というものがある。
つまり、論語のこの言葉は事実を述べただけに過ぎない。
しかし、事実と規範の区別がつかない日本人(江戸時代)は、この文章を「君子は義に従わなければならない。それが出来ずに利に従うのは小人である」と解釈し、果てには主語と述語をひっくり返して、「義に従う者が君子で、利に従う者が小人だ」と解釈してしまった。
これではなんでもありである。
著者はこのようななんでもありの解釈をした原因に「日本人の階級に対する無知」を取り上げている。
例えば、日本教社会では「君子とは立派で正しい人な人。小人とは立派でなくつまらない人。だから君子になりましょう」といった発言をする。
しかし、論語の時代、つまり、中国の周の時代、階級がはっきりしていた。
つまり、天子がおり、その下に王がおり、諸侯がいる。
諸侯の下には大夫がいて、さらには士がいる。
ここまでが君子の領域であり、複雑な多重封建制と言える。
一方、庶民として一般人がいるところ、こちらは自由民と奴隷に分かれる。
もちろん、奴隷と言ってもヨーロッパから見れば、奴隷と農奴の中間のような立場といってもいいかもしれない。
このように、周の時代は厳密な階級社会であり、その階級ごとに規範が異なった。
例えば、妻にできる人数も階級ごとに定められているくらいである。
だから、頑張って君子になりましょう、というのは土台無理というしかない。
この辺を近代的一般規範の感覚で見れば大変なことになる。
ちなみに、日本では身分の壁により倫理規範が異ならないため、身分の壁を飛びこえても大変なことにならない。
だから、秀吉が関白になっても、あるいは、薩長の下級武士が元勲になってもそれほど問題にならないことになる。
ところで、中国の歴史上、初めて庶民から皇帝になった人間は漢の高祖、劉邦である。
だから、天下を取った後、礼儀や道徳という規範が根付くまで大分時間がかかった。
結局、武帝の時代になってなんとか定着することになる。
以前の読書メモでも触れたが、儒教の救済とは良い政治をすること。
良い政治をする主体は天子(皇帝)だが、一人でできることには限界があるため、君子の助けを借りる。
この君子に相当するのが、諸侯、大夫、士にあたる人たちである。
ところで、儒教のなかで著名である孟子は『恒産なくして恒心あるは、ただ士のみよくすとなす』(『孟子』「梁恵王」)と述べている。
これも規範ではなく事実を述べたもの。
「十分な収入なしでちゃんと仕事をするのは君子だけで、庶民は何をするか分からない」という意味である。
もっとも、この時代の中国は封建社会ではなく中央集権国家になっていた。
というのも、漢建国直後は封建社会と中央集権社会の両方が混在したような状態だったが、その後、ごたごたがあった結果、中央集権国家に改変されたからである。
その結果、諸侯・大夫・士がいなくなり、天子を助けて政治をする人間がいなくなった。
そこで、官僚が政治の助けをすることとなり、官僚が君子として働くことになった。
このように官僚制度が始まったわけだが、完成したのは宋の時代である。
ただ、官僚制度が始まったころの官僚になる条件は科挙ではなく選挙であった。
これは、地方の名望家が有能な人間、例えば、親孝行で長老にも恭しく仕え、礼儀も行いもいい人間を朝廷に推挙することを言う。
また、科挙の制度は隋の時代に始まり、唐の時代に発達し、宋の時代には科挙が高級官僚への道となった。
まず、儒学は共同体の道徳であること。
だから、儒学には立法とか時代に合わせて法律を改正するという概念がない。
つまり、儒学では法家に思想、法律に関する運用に対して無力、ということになる。
以上、「幇」と「情誼」、「宗族」、「法家の思想」など、中国を知るための手掛かりがそろった。
これらを知らずに、中国社会でトラブルを回避することは不可能であるといってもよい。
そのため、著者は法家の思想を知る手段として『韓非子』を読むことを勧めている。
以上、第四章までみてきた。
このように中国について知ることで、日本的儒教や日本教について知るための手掛かりを得ることができたような気がする。
これらについては、後ほど活用していきたい。