今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
28 感想
前回まで本書を読み進めてきた。
そこで、今回は感想などをつらつらと述べる。
まず、近代数学の背後にある「宗教」の威力をまざまざと感じた。
このような感想は過去の読書メモで述べた感想と重なるが、感じた以上は素直に書くべきであろうから、その感想を銘記しておく。
この点、近代数学と形式論理学が結合できた宗教としてユダヤ教とキリスト教(新教)がある。
これに対して、中国と儒教社会で発達した数学と論理は近代数学・形式論理学と大きく異なる。
そして、その違いは目的の違いに由来することはこれまで確認した通りである。
当然、そのことと中国の数学・論理の精密さとは別問題である。
また、イスラム教と近代科学の関係は上の読書メモで触れた通りである。
この点、イスラム教ではマホメットが最後の預言者ということになっており、また、そのマホメットがアッラーを説得した、といった話は聴かない。
とすると、「神の論理」の要素は大きく減るのではないか、と考えられる。
もちろん、イスラム教は規範教であるから規範の体系や規範の取り扱い方は精密であるとしても。
そうやって見ると、近代科学も資本主義や民主主義同様、キリスト教社会に咲いた優曇華の華ではないかと考えられる。
ところで、こうやって色々見てみると、「じゃあ、仏教・ヒンディー教はどうなんだろう」という疑問が思い浮かぶ。
この点は、少し保留しておく。
次の感想として、「数学によって経済学の理解が進んだ」という感想を持った。
この点、過去に私は次の本を読んでおり、今また読み直そうとしている。
もっとも、昔に読んだとき、数式の部分は完全に読み飛ばしていた。
それゆえ、数学による経済の理解についてピンときていなかった。
それを本書でフォローできたのは大きな収穫である。
29 日本を数学に向かわせられる可能性
さて、本書は前書きで次の事実認定をしている。
1ー1、日本が生き残るには優秀な労働者・技術者・経営者が必要である
1-2、科学技術の根本には近代数学がある
1-3、優れた技術を使いこなすためには数学を自由自在にしておく必要がある
1-4、(にもかかわらず)日本の数学教育は崩壊している
1-5、(にもかかわらず)日本を生き残らせる必要がある
そして、これらの前提から、日本で数学を復活させる処方箋として次のことを述べている。
2-1、日本に数学を復活させるための第一段階として、あなた自身がマセマティシャン(数学好きの人)になる
2-2、第二段階として、マセマティシャンが数学を社会で縦横無尽に使いこなす
2-3、第三段階として、「数学ができないと21世紀の日本は真っ暗になる」と絶叫し、政府・関係者・企業を叱咤激励して世の中を数学に向かわせると同時に数学教育を改革する
処方箋としてはオーソドックスなものであり、極めて妥当なアイデアである。
もっとも、これを見た私の感想は「むーりぃー」だったり、「うん、それ、無理」だったりする。
その感想を持った背景事実を確認し、このメモを終了する。
まず、事実関係から。
この点、「日本に優秀な労働者・技術者・経営者がいなければ、日本は生き残れない」と考えない人間は極めて少なかろうから、その対偶を取った1-1には反論が極めて少ないと言えよう。
また、「現代の科学技術の根本に近代数学があること」は客観的事実として明白であるから、1-2にも反論は少ないだろう。
もっとも、「優れた技術を使いこなすためには数学を自由自在にしておく必要がある」についてはどうか。
「高校理系レベルの数学は理系の技術者以外不要である」といった主張はたびたび日本で登場する。
この主張がたびたび世情を騒がせることを考慮すると、1-3の命題については定着しているとは言い難い。
また、『「空気」の研究』や『日本人と組織』で見てきた通り(読書メモへのリンクは後述)、日本ファンダメンタリズムから見た場合、キリスト教と近代立憲主義といった他から見れば分離できないようなものも「分離できる」と考えるところがある。
とすれば、「技術の根本が数学にある」、つまり、外から見て数学と技術は不可分であると考えていても、日本においてそれは分離可能と考えることは日本ファンダメンタリズムから考えればありうる話ではある。
現状と日本ファンダメンタリズムの2点を考慮すると、この点は微妙だなあ、と考える次第である。
また、1-4の「数学教育が崩壊している」という評価も世論として一定の支持を受けているかは微妙である。
最後に、1-5の「日本を生き残らせる必要がある」という点も、「一部の人間が真剣に考え、かつ、行動している点は全く疑っていない」が、多くの人間が本気で考えているだろうかについては疑問視している点は前回と同様である。
この辺は、太平洋戦争の引き金を引かせられた東条英機が帝国陸軍の機能的要請から逃れられなかったこと、『痩せ我慢の説』で登場した南宋の文天祥に対する日本人の評価、この評価に従った勝海舟への批判を見ると何とも言い難い。
さらに、処方箋についての現実的可能性を見ても、可能なのは2-1だけではないか、という気がする。
まあ、この点は「明日世界が滅ぶとしても、今日私はリンゴの苗を植える」というマルティン・ルターの精神に従えばよく、後のことはあれこれ気にせず突っ走ればいいと考えているが。
以上で、本書の読書メモは終了する。
次は、小室直樹先生の『小室直樹の中国原論』を読んでいきたい。
というのも、日本は中国の影響を受けてきたところ、その中国について知ることは日本を知るうえで重要であると考えるからである。