薫のメモ帳

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『数学嫌いな人のための数学』を読む 15

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

15 第3章の第2節を読む(後編)

 前回と前々回で資本主義社会における「所有権の絶対性・抽象性」について数学と関連させながらみてきた。

 今回は、日本の企業・商家の特徴を取り上げ、これと資本主義社会の企業を比較する。

 

 

 本書は、ここから「所有と経営の分離」へと話題が進む。

 この点、ハワード・ヒューズの例を見ればわかる通り、資本主義社会の企業において最終的な経営権を持つのは所有者たる資本家である。

 所有権の絶対性を考慮すれば、この結果は当然である。

(なお、「最終的な経営権」と書いたのは、具体的な経営を「経営のプロフェッショナル」に委任することもできるからである、資本家が経営のプロフェッショナルとは限らないから)。

 もちろん、法律上は現在の日本の株式会社でも重要事項・基本的事項は資本家たる株主たちが参加する株主総会の決定事項となっている。

 このことは次の条文からも明らかである。

 なお、会社法295条2項にある「この法律に規定する事項」は株式会社の基本的事項・重要事項である(それゆえ、同3項においてそれらの重要事項について取締役会に委任することができなくなっている)。

 

会社法295条

1項 株主総会は、この法律に規定する事項及び株式会社の組織、運営、管理その他株式会社に関する一切の事項について決議をすることができる。
2項 前項の規定にかかわらず、取締役会設置会社においては、株主総会は、この法律に規定する事項及び定款で定めた事項に限り、決議をすることができる。
3項 この法律の規定により株主総会の決議を必要とする事項について、取締役、執行役、取締役会その他の株主総会以外の機関が決定することができることを内容とする定款の定めは、その効力を有しない。

 

 ところが、徳川時代の日本は違った。

 本書によると、所有権を持たない人間が経営を行っていたらしい

 なお、この慣行は戦後の日本(現代)になってからも引き継がれており、創業者といった特別な人間を除き、株主は「物を言わない株主」となっていた

 その結果、取締役(経営の執行を委任された人間)の行為を株主に代わって監視する監査役が従業員(取締役の部下)から選ばれるといった現象が発生した。

 従業員は取締役側の人間であるから、この監査役は従業員・取締役の意向・利益に従って動く。

 そのため、これらの監査役は株主から委託されているという意識、株主の利益の為に働くといった意識に乏しい。

 このことと「物を言わない株主」と相俟って、日本の株主総会は形骸化する傾向があった。

 

 この一種の逆転現象は重要、かつ、興味深い現象である。

 そこで、この点を見ていく。

 

 日本の「物を言わない資本家」の背後にある思想、それは江戸時代の商家の家訓に見ることができる。

 例えば、大商人たる鴻池家の家訓には家督の儀は先祖よりこれ預かり物と心得よ」とあった。

 つまり、所有者は「先祖」であって、企業の資産は資本家個人の物ではなく「家」の所有物であるとされていた。

 そのことが「家産」という言葉にこめられている。

 そして、家督(当主)は「家産」の所有者ではなく、受寄者、つまり、預かり人に過ぎなかった。

 また、家督は預かり物たる「家産」を子孫へ譲り渡していく当番に過ぎなかった。

 これでは、家督の権利など資本家の所有権には全く及ばないことになる。

 

 では、この「家」とは何か。

 この点、「家」には当主と当主の家族、同族だけではなく、奉公人まで含むものと考えられていた。

 これは武士の「一族郎党」をイメージすればいいだろう。

 つまり、武士の当主は一族郎党(当主の家族、同族、それから家来)を率いて戦場で一心同体の働きをした。

 この家の概念が武士から商家へ広がった。

 それゆえ、当主が欠格者とみなされれば廃嫡されて、当主の変更が行われた。

 また、相続人は家族のみならず、同族、果てには奉公人であることもあった(例えば、奉公人が一族の娘に婿入りすることもあった)。

 このような状況であったから、商人の所有権の行使については強い制約が課されていた。

 

 なお、このような家訓は京都の商家でも見受けられる。

 本書では、次の文献の一部が引用されている。

 

 

 上述の文献から本書に引用されている家訓として「夫れ家を起すも崩すも、皆子孫の心得なり。亭主たるもの、其の名跡、財産、自身の物と思うべからず」というものがある(本書152ページ、上述の文献77ページ)。

 

 ところで、江戸時代という時代は日本の前期的資本が大いに発展した

 この発展の一部が明治時代の近代化(資本主義化)に貢献したことは山本七平氏の書籍などからも見ることができる。

 例えば、江戸時代には生活水準が向上し、人口も増えた。

 また、複式構造を持った帳簿を産み出し、現代の株式会社で見られるプロフェッショナルによる経営、いわゆる「所有と経営の分離」も進んでいった。

 

 このように見ると、江戸時代の商業の発展、目的合理性の進歩には目を見張るものがあった。

 しかし、著者によると日本の所有権の形態は資本主義とは逆の方向に向かっていったという。

 このことの背後に所有権の抽象性のなさ、絶対性のなさ、日本の集団主義を見ることができる(当然だが、キリスト教は個人を単位としている)。

 

 ところで、所有権が資本主義的なものになるためには、商品流通(交換)の大規模化・広域化が必須であること、利潤最大化・効用最大化などの目的合理性の浸透が重要であるについては既にみてきた。

 これに対して、江戸中期以降の日本における商品流通には特異的なものがあった

 というのも、日本の商品流通は日本社会全域にゆきわたっていたわけではないし、また、同族企業であっても所有権の在り方が大きく違っていた。

 商業の発展は著しいものがあったのに、である。

 そこで、欧米と日本の比較をしてみる。

 

 まず、欧米では同族のうちのリーダーが経営を引き継いでいくという意志が強い。

 そのため、欧米では、その1人のリーダーが企業の資産を引き継ぎ、自分の意志で経営を行っていく。

 それを支えているのが、資本主義の所有権の絶対性である。

 その結果、「所有と経営の分離」ということはあまり進まなかった。

 これに対して、日本では資本主義の所有権は確立されていなかった。

 そのため、日本では企業(商家)はみんなのものであり、その中で有能な人が経営するという考え方に行きつくことになった。

 

 その結果、日本の江戸時代の商家は名目上家督を相続する当主には必ずしも能力が必要なかった。

 そして、経営は番頭たちに委任され、所有と経営は分離されるとともに、番頭経営が発達した。

 この当主の名目化と番頭経営の発達が、無能な当主の放漫経営などを防止し、商家の長期永続を支える要因になる。

 

 ところで、番頭経営に対する経営委任が行われる場合、その商家には「家訓」・「家憲」・「店掟」・「店制」などが制定された。

 そして、家産維持・運用、相続、帳簿、労務管理、取扱商品などのルールが作られた。

 その際の番頭経営の基礎にあったのが「新儀停止」・「祖法墨守」であった。

 これは、家産は先祖の物という点を考慮すれば想像に難くない。

 

 もちろん、この番頭経営の中でも例外はある。

 具体的には、鈴木商店金子直吉がいる。

 彼は鈴木商店の番頭経営者として事業を拡大させる。

 その意味で、彼は進取性と合理的精神を兼ね備えた日本人離れした経営者であった。

 ただ、鈴木商店は拡張主義がたたり、昭和3年の金融恐慌によって倒産してしまったが。

 

 とはいえ、このような存在は例外。

 ただ、「祖法墨守」・「新儀停止」の番頭経営であっても、目的合理性の推進、所有と経営の分離といったことが行われていたことは興味深い点である

 しかし、日本の商家の目的は「伝統主義」に向かっていき、資本主義の目的たる「利潤追求」に向かわなかった。

 この二律背反には注意すべきである。

 

 また、日本の商家の背後に「伝統主義」があるためか、経営者(支配人・番頭)たちの教育システムもまた伝統主義的であった。

 これを単純なモデルにすると、次のようになる。

 また、これは現在の社内教育システムと類似している。

 まあ、この点は次のメモで言及した通りだが。

 

支配人→番頭(大番頭・小番頭)→手代→丁稚

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 つまり、新儀停止の趣旨から過去の経営とノウハウに基づいた奉公教育が行われていた。

 これではどのような思想を持つ経営者になるのか想像するのは難しくないだろう。

 資本主義とはかけ離れた「伝統主義」に縛られた経営者の出来上がりである。

 

 しかも、この経営者には資本主義的な所有権がない。

 このような経営者に資産を合理的に活用して、新規の事業も考慮した利潤の最大化を目指す、といったことは不可能であろう。

 

 

 以上が本節の内容である。

 現代日本の資本主義を見る上でも非常に役に立った。

 また、今回の話から考えると、日本教は個人救済ではなく集団救済なのだなあ、ということが分かる。

 

 続きは次回に。