0 はじめに
昨年末、「旧司法試験過去問の再検討」のシリーズが終了した。
このシリーズは、「平成元年度から平成20年度までの旧司法試験の二次試験・論文式試験・憲法第1問(人権)の過去問を検討する」というものであり、20問の過去問検討に約3年間を要し、ブログの記事数は120を超えることになった。
そして、現在継続しているシリーズとして「『小室直樹の中国原論』の読書メモ」がある。
また、「今後も継続しよう」と考えている「AML/CFTに関する勉強」については、去年の12月にマネロン関係の資格をあっさりと取ってしまった(詳細は次の記事参照)ため、このブログにおいてどうするかは決まっていない。
もちろん、資格取得以外にも「マネロン対策に関する学習」は積みあがっているし、「マネロン対策を日本教から見た感想」もあれば、「マネロン対策に関する別の資格取得の可能性」もあることを踏まえれば、「書くべき内容がない」といったことはないとしても。
そこで、今回から別の読書メモを書き始めることにする。
具体的に選んだ本はこちらである。
著者は故・山本七平氏である。
ところで、この本の帯には次のようなことが書かれている。
(以下、『昭和天皇の研究』の帯から引用)
(引用終了)
その根拠は本文に示されているとおりであって、私自身も異論はない。
ただ、この昭和天皇の行為に対して帝国臣民や日本国民は「いいこと」と見るだろうか、「悪いこと」と見るのだろうか。
日本教から考えてみると非常に気になることである。
では、まえがきから本書を読んでいく。
1 『初版時の著書まえがき』を読む
まえがきの初めで、著者(故・山本七平氏)は「昭和天皇が極めて稀有な存在である」と述べる。
それゆえ、昭和天皇に対する様々な論評の洪水に呑まれ、昭和天皇自体が見えなくなっている、とも。
というのも、「昭和天皇に対しては一種の緊張感をもって相対せざるを得なくなるから」、本書で引用されている本田靖春氏の言葉を用いると「昭和天皇に対して一種『むっ』としまうから」だという。
当然だが、「むっ」とした場合の原因は多々あり、かつ、その原因は感情的なものに由来する。
それゆえ、外装は理論をまとおうとも、人々の天皇論は「天皇への感情論」となってしまう、らしい。
したがって、天皇論の研究は日本人の深層心理を探求するために十分有用である。
しかし、そもそも論として重要なのが「昭和天皇自身の天皇論(自己規定)」である。
そして、本書で探求しているものは「昭和天皇自身の自己規定」である。
そして、以下、次のような言葉が続く。
これは帯にも書かれていた部分なので、直接引用したい。
(以下、本書から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)
各人が各人の「天皇論」を持つことは自由である。
しかし、「天皇は自分の天皇論どおりに動くロボット」であらねばならないと考えるなら、二・二六事件の将校と同じことになるであろう。
(引用終了)
なかなかきつい言葉である。
少し前の明仁天皇陛下(現上皇陛下)が退位されるときの発言、または、現在の皇統に関する発言を見ていると、この言葉が刺さる方々がたくさんいるような気がしないではない。
その上で、著者は次のように続ける。
それだけではなく、二・二六事件の青年将校たちも天皇を「自らの天皇論の象徴」とした。
このことは、青年将校たちが「天皇陛下の周囲にいる重臣を一掃すれば自らの目的が実現できると考えて、二・二六事件を起こしたこと」からも分かる。
もちろん、青年将校の目論見は天皇陛下の判断(自己規定)によって失敗することになるわけだが。
そこで、天皇の自己規定は「周囲の天皇論に基づく行動に対する(自身の自己規定を持った)昭和天皇の対応」を通じて検討されることになる。
本書で行われているのがこの検討である。
ちなみに、本書の発行は平成元年の2月10日である。
ドラマティックなタイミングである。
以上、まえがきをみてきた。
今回、本書を読書メモに選んだ理由は、「日本教」を知る上で「天皇論」と「昭和天皇の自己規定」を見ることが有益であると考えたからである。
なかなかに重い話であるとは考えるが。
なお、本書には資料として「新日本建設に関する詔書」の全文が記載されている。
この「人間宣言」には冒頭に「五か条の御誓文」が登場する。
その下りを私釈三国志的に意訳(あくまで意訳である、直訳ではない)してみると次のようになる。
(以下、「新日本建設に関する詔書」の一部を私釈三国志風に意訳、各文毎に改行、強調は私の手による)
昭和21年が始まった。
そういえば、明治時代が始まるとき、明治天皇は国是として「五箇条の御誓文」を掲げた。
その内容は次のとおり。
一、様々な場所で会議を開き、公論によって国家の重要事項を決めること
一、誰もが団結して、様々な政策を実行すること
一、誰もがそれぞれの志を成し遂げるようにし、堕落や退廃を減らしていくこと
一、従前の不合理な制度を排除し、条理・正義にかなう制度に変えること
一、叡智を世界から求め、国家を繫栄させること
この五箇条は実に公明正大で、追加すべきものすらない。
私は改めて「五箇条」の実践を誓い、国運を開くことにする。
(引用終了)
なお、明治天皇はこの五箇条を天地神明を前に誓約している。
そのことは、五箇条の御誓文の末尾にある「我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ、朕󠄂躬ヲ以テ衆󠄁ニ先ンシ、天地神󠄀明󠄁ニ誓ヒ」という部分からも明らかである(詳細は次の記事参照)。
そして、昭和天皇も終戦の翌年(戦後の始まりに)に五箇条を誓っている。
とすれば、近代日本の天皇陛下の自己規定はこの五箇条から始まるのではないか、という推測が働く。
この点は本書を見ながら確認していきたい。
では、今回はこの辺で。