薫のメモ帳

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『昭和天皇の研究』を読む 18

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

18 第10章を読む_後半

 前回は、尾崎咢堂の東条内閣に対する批判についてみてきた。

 今回は、この尾崎咢堂の発言に対する裁判所の判決とそれに対する尾崎咢堂の反撃等についてみていく。

 

 

 この点、第一審判決は有罪判決(懲役8か月、執行猶予2年)であった

 そこで、尾崎咢堂は『不刑罪の宣告を受けて』という声明を発表した。

 なお、この「不刑罪」は誤字ではない。

 なぜなら、本文において、「三代目」という表題が儀礼的欠如であるから不敬罪の構成要件を満たす(有罪となる)というのならば、それは「刑あらざる罪」である旨述べているからである。

 

 ところで、尾崎咢堂の主張は、「東条英機近衛文麿の意図した翼賛的政治体制の実施は実質的に見れば天皇棚上げに等しい。それはイタリアの例を見ればわかることだ」ということであった。

 そして、この主張は、昭和天皇近衛文麿に対して「大政翼賛会は幕府のようなものではないのか」と述べた意見と同じなのである。

 そのため、これらの主張は東条英機にとって弱点であり、非常にうるさい、沈黙させたい対象だったのだろう。

 

 ところで、本文では『不刑罪の宣告を受けて』の末尾が引用されている。

 なかなかに皮肉が聴いているため、引用部分を私釈三国志風に意訳(意訳であって引用や直訳ではない)してみる。

 

(以下、本書で引用されている『不刑罪の宣告を受けて』の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、なお、強調は私の手による)

 今回の起訴は私を政治的に葬らんとするものである。

 そこで、私は東条の希望に従って刑罰を受けた方が司法部の改善や憲政確立につながり、むしろその方が御奉公になるであろうと考えた

 しかし、私の友人には、「司法部も昔よりもだいぶ改善されているし、独立性も維持している。だから、司法が行政に従属しているといった心配は要らないから、無罪判決を勝ち取るように戦うべきだ」と述べる者が多かった。

 そこで、当初の方針を変更し、口調も穏やかにして、裁判官の倫理に期待することにした。

 しかし、結果は当初の私の予想通りとなった。

 こんなんなら、法廷でも政府関係者を批判して、彼らを刺激して権限逸脱・濫用に走らせた方が、裁判所改善のきっかけにもなり、その方が御奉公としてもよかったなあ、と思った。

 いや、まあよかろう。

 司法部の行政に尻尾を振るありさまは今回の判決で十分証明できた。

 あとは、ドイツやイタリアの真似をする空気が一掃され、憲政再興がなされれば、今回の目論見がきっかけになり、司法権の独立を促すことになる。

 そうなれば、十分御奉公になるだろうから。

(意訳終了)

 

 有罪判決を受けてこの発言は・・・。

 さすが、という言葉しか浮かばない。

 

 

 もっとも、尾崎咢堂の予想は意外にも裏切られることになる。

 というのも、大審院は「司法権の独立」を宣言するがごとく本件に対して無罪判決を下すからである。

 ここで役に立っている可能性があるのが、先ほどの『不刑罪の宣告を受けて』と『大審院への上申書』である。

 ちなみに、本書で引用されている『大審院への上申書』を要約するならば、「意見の相違は政治問題であって、法律問題、特に、刑事問題にならない」となる。

 

 そりゃ、立憲民主主義社会において、意見の相違を法律上の問題にしてしまえば、言論の自由は吹き飛んでしまう。

 特に、行政権などの権力を行使する人間は、権力の行使を批判したい人間を黙らせたいだろうから。

 それゆえ、立憲民主主義社会であれば当然のこと、ともいえる。

 まあ、立憲民主主義社会でなければどうなのか、日本は民主主義社会なのかはさておいて。

 

 もっとも、権力者がマス・メディアを利用するために捜査情報などをリークする、スラップ訴訟を利用するといった手段は今日でも見られるものである。

 そして、今日において、これに抵抗するためのエネルギーは想像を絶するものであることは昔も今も変わらない。

 ならば、意見の相違を「不刑罪」にして沈黙させる傾向は今も昔も変わらないのかもしれない

 

 

 ところで、尾崎咢堂は自分の意見を述べており、その内容が本書に引用されている。

 重要なことが述べられていると考えるため、これも私釈三国志風に意訳しようとしてみる。

 

(以下、本書で引用されている尾崎咢堂の主張の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、なお、強調は私の手による)

 私は「臣民は大帝国の国民たる資格を持ち、かつ、それを広めるべきである」と考えている。

 また、敵か味方かで判断を曲げるような行為は小人卑夫のやることであって、我が国古来の武士道の精神にも反するものと信じている。

 ならば、「開戦」するや否やかつての同盟相手を「鬼畜」とののしり、「撃滅」と叫ぶが如きは、平和を愛する天皇陛下の趣旨に反するだろうと確信している。

(意訳終了)

 

(以下、本書で引用されている『不刑罪の宣告を受けて』の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意

 そのためにも、事実の直視・道義心は、戦時であっても極力維持すべきであると考えている。

 また、現に、在野に蔓延する野卑醜陋の言動を一掃して、体面を施すべきである。

 だからこそ、国家の体面を考慮し、世俗が無用不謹慎と考えることも敢えて行うのである。

 当然、ことの当否は政治問題にはなるだろうが、法律問題となはならない。

 それどころか、この発言を法律問題として刑事問題に持ち込むに至っては、ただただ私の揚げ足を取って葬ろうとする愚かな策略と言わざるを得ない。

(意訳終了)

 

 確かに、ここで述べていたことは概ね事実であり、これを批判すれば犯罪だというのであれば、国民は沈黙するかせいぜいさポタージュ以外の手段はない。

 

 ところで、何故東条英機は尾崎咢堂を攻撃したか、その理由を東条英機近衛文麿の戦略から見てみる。

 彼らは、天皇機関説を排撃しながら、昭和天皇天皇機関説の遵守を逆用した

 つまり、天皇機関説は「天皇は議会によって制限を受ける一方、議会は天皇の命令に服さない」ことを意味するから、帝国陸軍が翼賛会を操って議会を乗っ取ればよい。

 そして、軍部が乗っ取った議会によって軍部の内閣を作れば、「国務大臣天皇のなす違法な命令を拒否することができる」ので、独裁政権が出来上がることになる。

 こうして、近衛文麿東条英機は事実上の独裁政権を樹立した。

 

 こうなると、天皇は裁可の拒否という手段しかなくなるが、これにも限度があるし、意に添わぬものの裁可を拒否することは立憲主義を葬ることと同義である。

 もちろん、これにより司法権も制約されることになる。

 まあ、憲法には一応司法権の独立が示されているため、裁判所は天皇よりも抵抗できたわけだが。

 

 

 以上は、政治的な部分をみてきた。

 では、尾崎咢堂の『大審院への上申書』における「三代目」発言についてその内容をみていく。

 

(以下、本書で引用されている『大審院への上申書』の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意

 どうやら、一審の裁判官は、私の引用した『売家と唐様で書く三代目』という川柳を用いたことを過大に評価したらしい。

 つまり、私の主張は「昭和天皇が三代目であるから、昭和天皇が国を破滅させる」というもので、それゆえ不敬であると考えたらしいが、それは甚だしい誤解である。

 あと、裁判官はこの川柳を卑俗と言っているが、この川柳は金言でもある。

 そのことは、杉浦重剛博士も昭和天皇への御進講の際にこの言葉を利用していることからも明らかである。

(意訳終了)

 

 この辺の説明は不要であろう。

 ちなみに、尾崎咢堂は、天皇ではなく、国民を一代目・二代目・三代目と分けながら「世態民情」を説明している。

 

 なお、ここで尾崎咢堂の略歴について簡単に示されている。

 尾崎咢堂こと尾崎行雄は1858年の江戸時代に生まれた。

 明治維新における徳川幕府の最後の抵抗、五稜郭の戦いが終わる明治2年、彼は11歳である。

 そして、不平士族の反乱の最終章たる西南戦争終結し、自由民権運動が活発化する明治10年が彼が19歳の時である。

 その後、自由民権運動を弾圧するための保安条例が制定・公布されたことで、尾崎行雄は他の自由民権運動活動家と共に東京から追放された。

 これが29歳のときであり、政府の無謀さに名を「愕堂」と号したが、後に、「咢堂」と変えることになる。

 このように、尾崎咢堂は「憲政」に向けて突っ走り、藩閥内閣とやりあっていた

 そして、彼はこのように説明する。

 

(以下、本書で引用されている『大審院への上申書』の一部を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳ではあって引用ではないことに注意、なお、強調は私の手による)

 成功に乗じて人は傲慢になるからで、守成は難しい。

 そこで、これを戒めるためにもかの川柳ほど有効なものはない。

 あと、変な勘違いをしているから言っておくが、二代目・三代目と言っているのは天皇陛下ではない。

 明治維新の発展にうつつを抜かしている国民全体のことである

(意訳終了)

 

 

 以上が第10章のお話。

 正直、尾崎咢堂のすごさに脱帽、である。

 

 もっとも、私自身、これを読んでいて気になったことがないわけではない。

 しかし、これは全部を読み終えてから改めてみていきたい。

 

 次回は第11章についてみていく。

 第11章では、尾崎咢堂が見てきた一代目・二代目・三代目について述べている。