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 今回はこのシリーズの続き。

 

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 犯収法の条文を通じて、マネロン対策(AML/CFT)についてみていく。

 

7 犯収法に犯収法施行令を紐づける

 前回、法律上記載された具体的なマネロン対策を見ていく前に、犯収法・犯収法施行令・犯収法施行規則の紐づけを行うことにした。

 そして、前回は具体的に犯収法の条文をざっと確認して、紐づけの準備をした。

 

 今回は、紐づけの準備をした犯収法に対して具体的に犯収法施行令を紐づけていく。

 やってみた結果は次のとおりである。

 なお、紐づけ結果においては、犯収法のことを「法」、犯収法施行令のことを「施行令」と略して書くものとする。

 

犯収法 第1章 総則

 法第1条(目的)

 法第2条(定義)

  第1項 「犯罪による収益」の定義

   施行令第1条(定義)

  第2項 「特定事業者」の定義

   施行令第2条(法第二条第二項第三十号に規定する政令で定める者)

   施行令第3条(法第二条第二項第三十九号に規定する政令で定める賃貸)

   施行令第4条(貴金属等)

    第1項 「貴金属」の定義

    第2項 「宝石」の定義

  第3項 「顧客等」の定義

   施行令第5条(顧客に準ずる者)

 法第3条(国家公安委員会の責務等)

  第1項 国家公安委員会の責務

  第2項 疑わしい取引や犯罪収益に関する情報の集約・整理・分析等

  第3項 犯罪収益移転危険度調査書の作成・公表

  第4項 国家公安委員会による他の関係機関・関係者に対する必要な協力の要請

  第5項 行政機関と地方公共団体の関係機関との犯罪収益移転防止に関する協力

 

犯収法 第2章 特定事業者による措置

 法第4条(取引時確認等)

  第1項 特定事業者が(特定業務の)特定取引を行う際に行うべき「取引時確認」

   施行令第6条(金融機関等の特定業務)

   施行令第7条(金融機関等の特定取引)

    第1項 金融機関等の特定取引

    第2項 信託・信託行為などによる特定取引に関する補足

    第3項 特定取引該当回避目的でなされる分割取引に関する特則

   施行令第8条(司法書士等の特定業務)

    第1項 司法書士等の顧客のためにする次に掲げる行為又は手続のうち特定業務に該当しないもの

    第2項 司法書士等の会社等の組織、運営又は管理に関する行為又は手続のうち特定業務に該当するもの

    第3項 司法書士等の特定業務に該当する組織、運営又は管理に関する行為又は手続のうち会社以外の法人、組合又は信託に該当するもの

    第4項 司法書士等の「これらに相当する」行為又は手続のうち特定業務に該当するもの

   施行令第9条(司法書士等の特定取引)

    第1項 士業等の特定取引

    第2項 士業等との特定取引該当回避目的としてなされる分割取引における特則

   施行令第10条(法第四条第一項第一号に規定する政令で定める外国人)

  第2項 ハイリスク取引時の「厳格な取引時確認」

   施行令第11条(法第四条第二項に規定する政令で定める額)

   施行令第12条(厳格な顧客管理を行う必要性が特に高いと認められる取引等)

    第1項 法第4条第2項第1号に該当するハイリスク取引

    第2項 法第4条第2項第2号に該当するハイリスク取引

    第3項 法第4条第2項第3号に該当するハイリスク取引

  第3項 特定取引を行う際に行うべき「取引時確認」の適用除外

   施行令第13条(既に確認を行っている顧客等との取引に準ずる取引等)

    第1項 別の特定事業者に委託した場合、特定事業者の組織変更した場合における既に確認を行っている顧客等との取引に準ずる取引等に該当する場合

    第2項 既に確認を行っている顧客等との取引に準ずる取引等に該当する場合

  第4項 会社と特定取引等を行う際の代表者や担当者に対する本人確認

  第5項 顧客等が国・地方公共団体その他の場合の第1項・第2項の読み替え

   施行令第14条(法第四条第五項に規定する政令で定めるもの)

  第6項 取引時確認における虚偽回答の禁止

 法第5条(特定事業者の免責)

 法第6条(確認記録の作成義務等)

  第1項 取引時確認の確認記録の作成

  第2項 取引時確認の確認記録の保存期間

 法第7条(取引記録等の作成義務等)

  第1項 取引記録等の作成

   施行令第15条(少額の取引等)

    第1項 特定業務のうち少額の取引等として保存すべき取引記録等から除外される範囲

    第2項 士業等の特定業務のうち少額の取引等として保存すべき取引記録等から除外される範囲 

  第2項 士業などの特定事業者おける取引記録等の作成

  第3項 取引記録等の保存期間

 法第8条(疑わしい取引の届出等)

  第1項 疑わしい取引の届出

   施行令第16条(疑わしい取引の届出の方法等)

    第1項 疑わしい取引の届出方法

    第2項 疑わしい取引の届出をする際に報告すべき内容

  第2項 疑わしい取引の判断方法

  第3項 疑わしい取引を届出に関する関係者への漏洩の禁止

  第4項 疑わしい取引の届出がなされたときの主務大臣への通知

  第5項 疑わしい取引の届出がなされたときの国家公安委員会への通知

 法第9条(外国所在為替取引業者との契約締結の際の確認)

 法第10条(外国為替取引に係る通知義務)

  第1項 特定事業者が外国への支払に係る為替取引を委託する際の顧客と相手方の情報等の通知

   施行令第17条(通知義務の対象とならない外国為替取引の方法)

  第2項 特定事業者が外国への支払に係る為替取引を再委託する際の顧客と相手方の情報等の通知

  第3項 特定事業者が外国金融機関から為替取引を委託された際の顧客と相手方の情報等の通知

  第4項 特定事業者が外国金融機関から為替取引を再委託された際の顧客と相手方の情報等の通知

 法第10条の2(外国の所在電子決済手段等取引業者との契約締結の際の確認)

 法第10条の3(電子決済手段の移転に係る通知義務)

  第1項 電子決済手段等取引業者が電子決済手段の移転する際に、他の電子決済手段等取引業者等に対して行う場合または電子決済手段の移転を他の電子決済手段等取引業者等に委託する場合の移転元(顧客)と移転先(相手方)の本人情報等の通知

   施行令第17条の2(通知義務の対象とならない外国為替取引の方法)

  第2項 電子決済手段等取引業者が他の電子決済手段等取引業者等から電子決済手段の移転の委託を受けて電子決済手段の移転を行う場合、または、再委託を行う場合の電子決済手段の移転に関する情報(移転元と移転先に関する本人情報等)の通知

 法第10条の4(外国所在暗号資産交換業者との契約締結の際の確認)

 法第10条の5(暗号資産の移転に係る通知義務)

  第1項 暗号資産交換業者が暗号資産の移転を行う際に移転先が他の暗号資産交換業者等の顧客である場合または暗号資産の移転を他の暗号資産交換業者等に委託する場合の暗号資産の移転元と移転先の本人情報等の通知

   施行令第17条の3(通知義務の対象とならない外国為替取引の方法)

  第2項 暗号資産交換業者が、他の暗号資産交換業者等から暗号資産の移転を(再)委託されて暗号資産の移転を行う場合または暗号資産の再委託を行う場合の暗号資産の移転に関する情報(移転元と移転先の本人情報など)の通知

 法第11条(取引時確認等を的確に行うための措置)

 法第12条(弁護士等による本人特定事項の確認等に相当する措置)

  第1項 弁護士等による犯収法対策に関する規定制定につき日弁連への権限付与

  第2項 弁護士等による取引時確認(本人確認)時の犯収法5条の準用

  第3項 犯罪収益移転防止に関する政府と日弁連の相互協力

 

犯収法 第3章 特定事業者による措置

 法第13条(捜査機関等への情報提供等)

  第1項 国家公安委員会による検察官等への疑わしい取引に関する情報の提供

  第2項 検察官等による疑わしい取引に関する情報の記録の閲覧・謄写・写しの送付の請求

 法第14条(外国の機関への情報提供)

  第1項 国家公安委員会の外国の捜査機関等に対する疑わしい取引に関する情報提供

  第2項 疑わしい取引に関する情報提供の際の使用方法を制限するための措置

  第3項 国家公安委員会の外国からの要請があった場合の疑わしい取引に関する情報を捜査等に使用することの同意

  第4項 国家公安委員会が第3項の同意をする場合の法務大臣または外務大臣の事前の確認

  第5項 国家公安委員会が提供した疑わしい取引に関する情報が国際約束に基づき、かつ、その範囲で当該疑わしい取引が使用されたときの第3項の同意の擬制

 

犯収法 第4章 監督

 法第15条(報告)

 法第16条(立入検査)

  第1項 行政庁の職員による特定事業者の営業所等の立ち入り、帳簿書類その他の物件の検査、業務に関する関係人への質問

  第2項 第1項により立入検査する当該職員の身分証明書の携帯・提示

  第3項 第1項の規定による立入検査権限が犯罪捜査目的でないことの確認

  第4項 日本銀行への適用除外

 法第17条(指導等)

 法第18条(是正命令)

 法第19条(国家公安委員会の意見の陳述)

  第1項 国家公安委員会の行政庁に対して法令違反等を行った特定事業者に対する行政処分等を行う旨の意見の陳述

  第2項 国家公安委員会による特定事業者に対する業務に関する報告や資料の提出、または、警察に対する調査の指示

  第3項 警察が第2項の指示をうけて調査をする際に特に必要がある場合の国家公安委員会の事前の承認を受けた上での特定事業者の営業所等の立ち入り、帳簿書類その他の物件の検査、業務に関する関係人への質問

  第4項 第3項の承認する際の国家公安委員会の行政庁への事前の通知

  第5項 第4項の通知を受けた行政庁による国家公安委員会への権限の行使との調整を図るため必要な協議の請求

   施行令第18条(協議の求めの方法)

 

犯収法 第5章 雑則

 法第20条(主務省令への委任)

 法第21条(経過措置)

 法第22条(行政庁等)

  第1項 犯収法における行政庁

  第2項 一定の事項に関する行政庁について第1項の特則

  第3項 一定の金融商品取引を扱う特定事業者に関する事項について第1項の特則

  第4項 貴金属等取扱事業者に関する第1項の特則

   施行令第19条(方面公安委員会への権限の委任)

  第5項 内閣総理大臣の権限に関する金融庁長官への委任

   施行令第20条(証券取引等監視委員会への検査等の権限の委任等)

    第1項 法第二十二条第五項の規定により金融庁長官に委任された権限の証券取引等監視委員会への委任等

    第2項 証券取引等監視委員会が委任された権限の行使したときの金融庁長官への報告

   施行令第21条(銀行等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 金融庁長官権限のうち銀行等に対する金融庁長官検査・是正命令等権限に関する本店等の所在地を管轄する財務局長等への委任等

    第2項 銀行等の支店等に対する金融庁長官検査等権限に関する支店等の所在地を管轄する財務局長等へ委任

    第3項 銀行等の支店等に対する検査等を行った財務局長等の当該本店等や別の支店等に対する検査等

   施行令第22条(労働金庫等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 金融庁長官及び厚生労働大臣の報告等・立入調査等の権限の単独行使

    第2項 金融庁長官が単独で権限を行使した場合の厚生労働大臣への通知

    第3項 厚生労働大臣が単独で権限を行使した場合の金融庁長官への通知

    第4項 労働金庫に対する金融庁長官検査等権限の財務局長等への委任等

    第5項 都道府県労働金庫に対する金融庁長官検査等権限並び厚生労働大臣の報告等・立入調査等の権限に属する事務のについて都道府県知事への委任等

    第6項 都道府県労働金庫に対して都道府県知事が第5項により委任された権限を行使した場合の金融庁長官及び厚生労働大臣への報告

    第7項 都道府県労働金庫が行う疑わしい取引の届出を受ける事務の都道府県知事への委任

   施行令第23条(農業協同組合等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 農業協同組合等並びに漁業協同組合等に対する報告等・立入調査等の権限の金融庁長官及び農林水産大臣の単独行使と事後的通知

    第2項 農業協同組合等に対する金融庁長官検査・是正命令等権限及び漁業協同組合等に対する金融庁長官検査等権限の財務局長等への委任等

    第3項 農業協同組合等に対する報告等を求める農林水産大臣の権限の管轄下にある地方農政局長への委任等

    第4項 都道府県連合会に対する金融庁長官検査等権限並び農林水産大臣の報告等・立入調査等の権限に属する事務のについて都道府県知事への委任等

    第5項 都道府県連合会に対して都道府県知事が第4項により委任された権限を行使した場合の金融庁長官及び農林水産大臣への報告

    第6項 金融庁長官及び農林水産大臣都道府県連合会に対して報告等・検査等を行った際のその結果の関係都道府県知事への通知

   施行令第24条(農林中央金庫に係る取引に関する行政庁の権限行使)

   施行令第25条(株式会社商工組合中央金庫に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 株式会社商工組合中央金庫に対する金融庁長官、財務大臣及び経済産業大臣による報告等・立入調査等の権限(金融庁長官検査等権限含む)の単独行使等

    第2項 第1項の単独行使をしたときの速やかな事後通知

    第3項 株式会社商工組合中央金庫に対する金融庁長官検査等権限の財務局長等への委任等

    第4項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

   施行令第26条(株式会社日本政策投資銀行に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 株式会社日本政策投資銀行に対する金融庁長官及び財務大臣の報告等・検査等の権限(金融庁長官検査等権限含む)の単独行使等

    第2項 株式会社日本政策投資銀行に対する金融庁長官検査等権限の財務局長等への委任等

    第3項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

   施行令第27条(保険会社等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 保険会社等に対する金融庁長官検査等権限並びに少額短期保険業者に対する金融庁長官検査・是正命令等権限の財務局長等への委任等

    第2項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

   施行令第28条(金融商品取引業者等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 金融商品取引業者等に対する報告等・指導等・是正命令に関する金融庁長官の権限の財務局長等への委任等

    第2項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

    第3項 金融商品取引業者等に対する証券取引等監視委員会に委任された権限の財務局長等への委任等

    第4項 金融商品取引業者等の支店等に対する証券取引等監視委員会に委任された権限の財務局長等への委任

    第5項 金融商品取引業者等の支店等に対する検査等を行った財務局長等の当該本店等や別の支店等に対する検査等

    第6項 証券取引等監視委員会の指定する金融商品取引業者等に対する証券取引等監視委員会の権限の委任に関する適用除外

    第7項 前項の指定をした場合等の公示

   施行令第29条(不動産特定共同事業者等に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 不動産特定共同事業者等に対する金融庁長官検査等権限と特定不動産特定共同事業者等に対する指導等・是正命令に関する金融庁長官権限の財務局長等への委任等

    第2項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

    第3項 不動産特定共同事業者等に対する国土交通大臣検査等権限並びに特定不動産特定共同事業者等に対する指導等・是正命令に関する国土交通大臣の権限の地方整備局長等への委任等

    第4項 不動産特定共同事業者等の従たる事務所に対する国土交通大臣検査等権限に関する地方整備局長等への委任

    第5項 不動産特定共同事業者等の従たる事務所に対して報告・検査等を行った地方整備局長等の主たる事務所又は別の従たる事務所に対して検査等

    第6項 特定不動産特定共同事業者等に対する金融庁長官検査等権限及び国土交通大臣検査等権限に属する事務の都道府県知事への委任等

    第7項 都道府県知事が第6項により委任された権限を行使した場合の金融庁長官及び国土交通大臣への報告

    第8項 特定不動産特定共同事業者等が行う疑わしい取引の届出を受ける事務の都道府県知事への委任

   施行令30条(貸金業者に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 貸金業者に対する金融庁長官検査・是正命令等権限の財務局長等への委任等

    第2項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

    第3項 都道府県貸金業者に対する金融庁長官検査等権限に属する事務の都道府県知事への委任等

    第4項 都道府県知事が第3項により委任された権限を行使した場合のの金融庁長官への報告

    第5項 貸金業者都道府県貸金業者が行う疑わしい取引の届出を受ける事務の都道府県知事の委任

   施行令31条(商品先物取引業者に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 商品先物取引業者の本店等に対する農林水産大臣及び経済産業大臣の報告等・検査等・指導等・是正命令の権限の地方農政局長及び経済産業局長への委任等

    第2項 商品先物取引業者の支店等に対する農林水産大臣及び経済産業大臣の報告等・検査等の権限の地方農政局長及び経済産業局長への委任

    第3項 商品先物取引業者の支店等に対する検査等を行った地方農政局長及び経済産業局長の当該本店等や別の支店等に対する検査等

   施行令32条(電子債権記録機関に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 電子債権記録機関に対する金融庁長官の報告等・検査等の財務局長等への委任等

    第2項 施行令第21条第2項及び第3項の前項への準用

   施行令33条(両替業者に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 両替業者に対する財務大臣の検査等の権限の財務局長等への委任

    第2項 両替業者の支店等に対する財務大臣の検査等の権限の財務局長等への委任

    第3項 両替業者の支店等に対する検査等を行った財務局長等の当該本店等や別の支店等に対する検査等

    第4項 両替業者に対する財務大臣の報告等の権限の財務局長等への委任

    第5項 財務大臣の指定する両替業者に対する財務大臣の報告等の権限の委任関する適用除外

    第6項 前項の指定をした場合等の公示

   施行令34条(宅地建物取引業者に係る取引に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 宅地建物取引業者に対する国土交通大臣の報告等・検査等・指導等・是正命令の権限に関する地方整備局長等への委任等

    第2項 宅地建物取引業者の支店に対する国土交通大臣の報告等・検査等・指導等・是正命令の権限に関する地方整備局長等への委任等

    第3項 宅地建物取引業者が行う疑わしい取引の届出を受ける事務の地方整備局長等への委任

   施行令35条(司法書士等に係る取引等に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 司法書士等に対する法務大臣の報告等・検査等・指導等の権限に関する法務局等の長への委任等

    第2項 司法書士法人の従たる事務所に対する法務大臣の報告等・検査等・指導等の権限に関する法務局等の長への委任

    第3項 司法書士法人の従たる事務所に対する検査等を行った法務局等の長の主たる事務所や別の従たる事務所に対する検査等

   施行令36条(税理士等に係る取引等に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 税理士等に対する財務大臣の報告等・検査等・指導等の権限に関する国税庁長官への委任等

    第2項 税理士等に対する国税庁長官の報告等・検査等・指導等の権限に関する国税局長及び税務署長への委任等

    第3項 税理士法人の従たる事務所に対する国税庁長官の報告等・検査等・指導等の権限に関する国税局長及び税務署長への委任

    第4項 税理士法人の従たる事務所に対する検査等を行った国税局長又は税務署長の長の主たる事務所や別の従たる事務所に対する検査等

   施行令37条(外国所在為替取引業者等との契約締結の際の確認等に関する行政庁の権限委任等)

    第1項 外国為替取引業者等に対する報告等・検査等の権限(金融庁長官検査等権限も含む)の各行政庁の単独行使

    第2項 報告等・検査等の権限の単独行使した場合の他の行政庁に対する速やかな通知

    第3項 外国為替取引業者等に対する財務大臣の権限のうち検査等の権限に関する財務局長等への委任等

    第4項 外国為替取引業者等の支店等に対する財務大臣の権限のうち検査等の権限に関する財務局長等への委任等

    第5項 外国為替取引業者等の支店等に対する検査等を行った財務局長等の当該本店等や別の支店等に対する検査等

    第6項 外国為替取引業者等に対する財務大臣の権限のうち報告等の権限に関する財務局長等への委任等

    第7項 財務大臣の指定する外国為替取引業者等に対する財務大臣の報告等の権限の委任関する適用除外

    第8項 前項の指定をした場合等の公示

  第6項 内閣総理大臣から金融庁長官に委任された権限について金融庁長官による証券取引等監視委員会への委任

  第7項 金融庁長官権限に関する証券取引等監視委員会への委任

  第8項 証券取引等監視委員会が行う報告又は資料の提出の命令に関する審査請求

  第9項 犯収法上の行政庁の権限に属する事務の都道府県知事への委任

  第10項 犯収法第8条、15条から19条までの行政庁の権限に関する事項の政令への委任

 法第23条(主務大臣等)

  第1項 犯収法上の主務大臣

  第2項 犯収法における主務省令

 法第24条(事務の区分)

   施行令第38条(法定受託事務等)

    第1項 第一号法定受託事務都道府県に委任した事務を追加

    第2項 都道府県知事が前項に規定する事務を行うこととする場合の事務に係る行政庁に関する規定の準用

 

犯収法 第6章 罰則

 法第25条(是正命令違反)

 法第26条(報告や資料提出の拒否、虚偽報告や虚偽の資料の提出、検査の拒否・妨害・忌避)

 法第27条(本人特定事項の隠ぺい目的での本人特定事項に関する虚偽回答)

 法第28条(預貯金口座の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして預貯金口座を利用する目的を有する者の預貯金通帳やキャッシュカードの受領等

  第2項 第三者になりすまして預貯金口座を利用する目的を有する者への預貯金通帳やキャッシュカードの譲渡等

  第3項 業としての預貯金口座の不正売買

  第4項 預貯金口座の不正売買の勧誘・誘引

 法第28条の2(高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして高額電子移転可能型前払式支払手段を利用する目的等を有する者の高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして高額電子移転可能型前払式支払手段を利用する目的等を有する者への高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の提供等

  第3項 業としての高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買

  第4項 高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買の勧誘・誘引

 法第29条(資金移動業者の為替取引カード等の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして資金移動業者のサービスを利用する目的等を有する者の為替取引カード等の受領等

  第2項 第三者になりすまして資金移動業者のサービスを利用する目的等を有する者への為替取引カード等の譲渡等

  第3項 業としての資金移動業者の為替取引カード等の不正売買

  第4項 資金移動業者の為替取引カード等の不正売買の勧誘・誘引

 法第29条の2(電子決済手段等取引用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして電子決済手段等取引業者のサービスを利用する目的等を有する者の電子決済手段等取引用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして電子決済手段等取引業者のサービスを利用する目的等を有する者への電子決済手段等取引用情報の譲渡等

  第3項 業としての電子決済手段等取引用情報の不正売買

  第4項 電子決済手段等取引業者の電子決済手段等取引用情報の不正売買の勧誘・誘引

 法第29条の3(電子決済等利用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして電子決済等取扱業者等のサービスを利用する目的等を有する者の電子決済等利用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして電子決済等取扱業者等のサービスを利用する目的等を有する者への電子決済等利用情報の譲渡等

  第3項 業としての電子決済等利用情報の不正売買

  第4項 電子決済等取扱業者等の電子決済等利用情報の不正売買の勧誘・誘引

 法第30条(暗号資産交換用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして暗号資産交換業者のサービスを利用する目的等を有する者の暗号資産交換用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして暗号資産交換業者のサービスを利用する目的等を有する者への暗号資産交換用情報の譲渡等

  第3項 業としての暗号資産交換用情報の不正売買

  第4項 暗号資産交換業者の暗号資産交換用情報の不正売買の勧誘・誘引

 法第31条(第25条から第27条違反における法人の両罰規定)

 法第32条(金融商品取引法の準用)

 

 

 これにて犯収法と犯収法施行令を紐づける作業が終わった。

 施行令第19条まではそれほど大変ではなかったけれども、施行令第20条以降に続いた委任規定を見ていくことが大変だった・・・。

 

 それから、憲法73条6号に定められた政令とはこんな感じなのか。

 マネロンとは別で意味で勉強になった。

 

 施行規則との紐づけは次回に。

マネー・ローンダリング等の勉強を始める 3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 犯収法の条文を通じて、マネロン対策(AML/CFT)についてみていく。

 

6 犯収法を整理する

 前回は、犯収法の第2条と第3条を見てきた。

 そして、今回は犯収法の第4条を見ていくつもりであった。

 

 しかし、第4条から犯収法と犯収法施行令と犯収法施行規則が絡み合っている。

 そこで、犯収法と犯収法施行令と犯収法施行規則の紐づけを先にやることにした。

 そうしないと、どこに何が書いてあるかが分からない状態で見ていくことになるので。

 

 もっとも、犯収法・犯収法施行令・犯収法施行規則の紐づけを行うためには、犯収法自体を整理する必要がある。

 そこで、事前に犯収法自体の整理を行うことにした。

 その整理の結果は次のとおりである。

 

 

犯収法 第1章 総則

 第1条(目的)

 第2条(定義)

  第1項 「犯罪による収益」の定義

  第2項 「特定事業者」の定義

  第3項 「顧客等」の定義

 第3条(国家公安委員会の責務等)

  第1項 国家公安委員会の責務

  第2項 疑わしい取引や犯罪収益に関する情報の集約・整理・分析等

  第3項 犯罪収益移転危険度調査書の作成・公表

  第4項 国家公安委員会による他の関係機関・関係者に対する必要な協力の要請

  第5項 行政機関と地方公共団体の関係機関との犯罪収益移転防止に関する協力

 

犯収法 第2章 特定事業者による措置

 第4条(取引時確認等)

  第1項 特定事業者が(特定業務の)特定取引を行う際に行うべき「取引時確認」

  第2項 ハイリスク取引時の「厳格な取引時確認」

  第3項 特定取引を行う際に行うべき「取引時確認」の適用除外

  第4項 会社と特定取引等を行う際の代表者や担当者に対する本人確認

  第5項 顧客等が国・地方公共団体その他の場合の第1項・第2項の読み替え

  第6項 取引時確認における虚偽回答の禁止

 第5条(特定事業者の免責)

 第6条(確認記録の作成義務等)

  第1項 取引時確認の確認記録の作成

  第2項 取引時確認の確認記録の保存期間

 第7条(取引記録等の作成義務等)

  第1項 取引記録等の作成

  第2項 士業などの特定事業者おける取引記録等の作成

  第3項 取引記録等の保存期間

 第8条(疑わしい取引の届出等)

  第1項 疑わしい取引の届出

  第2項 疑わしい取引の判断方法

  第3項 疑わしい取引を届出に関する関係者への漏洩の禁止

  第4項 疑わしい取引の届出がなされたときの主務大臣への通知

  第5項 疑わしい取引の届出がなされたときの国家公安委員会への通知

 第9条(外国所在為替取引業者との契約締結の際の確認)

 第10条(外国為替取引に係る通知義務)

  第1項 特定事業者が外国への支払に係る為替取引を委託する際の顧客と相手方の情報等の通知

  第2項 特定事業者が外国への支払に係る為替取引を再委託する際の顧客と相手方の情報等の通知

  第3項 特定事業者が外国金融機関から為替取引を委託された際の顧客と相手方の情報等の通知

  第4項 特定事業者が外国金融機関から為替取引を再委託された際の顧客と相手方の情報等の通知

 第10条の2(外国の所在電子決済手段等取引業者との契約締結の際の確認)

 第10条の3(電子決済手段の移転に係る通知義務)

  第1項 電子決済手段等取引業者が電子決済手段の移転する際に、他の電子決済手段等取引業者等に対して行う場合または電子決済手段の移転を他の電子決済手段等取引業者等に委託する場合の移転元(顧客)と移転先(相手方)の本人情報等の通知

  第2項 電子決済手段等取引業者が他の電子決済手段等取引業者等から電子決済手段の移転の委託を受けて電子決済手段の移転を行う場合、または、再委託を行う場合の電子決済手段の移転に関する情報(移転元と移転先に関する本人情報等)の通知

 第10条の4(外国所在暗号資産交換業者との契約締結の際の確認)

 第10条の5(暗号資産の移転に係る通知義務)

  第1項 暗号資産交換業者が暗号資産の移転を行う際に移転先が他の暗号資産交換業者等の顧客である場合または暗号資産の移転を他の暗号資産交換業者等に委託する場合の暗号資産の移転元と移転先の本人情報等の通知

  第2項 暗号資産交換業者が、他の暗号資産交換業者等から暗号資産の移転を(再)委託されて暗号資産の移転を行う場合または暗号資産の再委託を行う場合の暗号資産の移転に関する情報(移転元と移転先の本人情報など)の通知

 第11条(取引時確認等を的確に行うための措置)

 第12条(弁護士等による本人特定事項の確認等に相当する措置)

  第1項 弁護士等による犯収法対策に関する規定制定につき日弁連への権限付与

  第2項 弁護士等による取引時確認(本人確認)時の犯収法5条の準用

  第3項 犯罪収益移転防止に関する政府と日弁連の相互協力

 

犯収法 第3章 特定事業者による措置

 第13条(捜査機関等への情報提供等)

  第1項 国家公安委員会による検察官等への疑わしい取引に関する情報の提供

  第2項 検察官等による疑わしい取引に関する情報の記録の閲覧・謄写・写しの送付の請求

 第14条(外国の機関への情報提供)

  第1項 国家公安委員会の外国の捜査機関等に対する疑わしい取引に関する情報提供

  第2項 疑わしい取引に関する情報提供の際の使用方法を制限するための措置

  第3項 国家公安委員会の外国からの要請があった場合の疑わしい取引に関する情報を捜査等に使用することの同意

  第4項 国家公安委員会が第3項の同意をする場合の法務大臣または外務大臣の事前の確認

  第5項 国家公安委員会が提供した疑わしい取引に関する情報が国際約束に基づき、かつ、その範囲で当該疑わしい取引が使用されたときの第3項の同意の擬制

 

犯収法 第4章 監督

 第15条(報告)

 第16条(立入検査)

  第1項 行政庁の職員による特定事業者の営業所等の立ち入り、帳簿書類その他の物件の検査、業務に関する関係人への質問

  第2項 第1項により立入検査する当該職員の身分証明書の携帯・提示

  第3項 第1項の規定による立入検査権限が犯罪捜査目的でないことの確認

  第4項 日本銀行への適用除外

 第17条(指導等)

 第18条(是正命令)

 第19条(国家公安委員会の意見の陳述)

  第1項 国家公安委員会の行政庁に対して法令違反等を行った特定事業者に対する行政処分等を行う旨の意見の陳述

  第2項 国家公安委員会による特定事業者に対する業務に関する報告や資料の提出、または、警察に対する調査の指示

  第3項 警察が第2項の指示をうけて調査をする際に特に必要がある場合の国家公安委員会の事前の承認を受けた上での特定事業者の営業所等の立ち入り、帳簿書類その他の物件の検査、業務に関する関係人への質問

  第4項 第3項の承認する際の国家公安委員会の行政庁への事前の通知

  第5項 第4項の通知を受けた行政庁による国家公安委員会への権限の行使との調整を図るため必要な協議の請求

 

犯収法 第5章 雑則

 第二十条(主務省令への委任)

 第二十一条(経過措置)

 第二十二条(行政庁等)

  第1項 犯収法における行政庁

  第2項 一定の事項に関する行政庁について第1項の特則

  第3項 一定の金融商品取引を扱う特定事業者に関する事項について第1項の特則

  第4項 貴金属等取扱事業者に関する第1項の特則

  第5項 内閣総理大臣の権限に関する金融庁長官への委任

  第6項 内閣総理大臣から金融庁長官に委任された権限について金融庁長官による証券取引等監視委員会への委任

  第7項 金融庁長官権限に関する証券取引等監視委員会への委任

  第8項 証券取引等監視委員会が行う報告又は資料の提出の命令に関する審査請求

  第9項 犯収法上の行政庁の権限に属する事務の都道府県知事への委任

  第10項 犯収法第8条、15条から19条までの行政庁の権限に関する事項の政令への委任

 第23条(主務大臣等)

  第1項 犯収法上の主務大臣

  第2項 犯収法における主務省令

 第24条(事務の区分)

 

犯収法 第6章 罰則

 第25条(是正命令違反)

 第26条(報告や資料提出の拒否、虚偽報告や虚偽の資料の提出、検査の拒否・妨害・忌避)

 第27条(本人特定事項の隠ぺい目的での本人特定事項に関する虚偽回答)

 第28条(預貯金口座の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして預貯金口座を利用する目的を有する者の預貯金通帳やキャッシュカードの受領等

  第2項 第三者になりすまして預貯金口座を利用する目的を有する者への預貯金通帳やキャッシュカードの譲渡等

  第3項 業としての預貯金口座の不正売買

  第4項 預貯金口座の不正売買の勧誘・誘引

 第28条の2(高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして高額電子移転可能型前払式支払手段を利用する目的等を有する者の高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして高額電子移転可能型前払式支払手段を利用する目的等を有する者への高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の提供等

  第3項 業としての高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買

  第4項 高額電子移転可能型前払式支払手段利用情報の不正売買の勧誘・誘引

 第29条(資金移動業者の為替取引カード等の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして資金移動業者のサービスを利用する目的等を有する者の為替取引カード等の受領等

  第2項 第三者になりすまして資金移動業者のサービスを利用する目的等を有する者への為替取引カード等の譲渡等

  第3項 業としての資金移動業者の為替取引カード等の不正売買

  第4項 資金移動業者の為替取引カード等の不正売買の勧誘・誘引

 第29条の2(電子決済手段等取引用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして電子決済手段等取引業者のサービスを利用する目的等を有する者の電子決済手段等取引用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして電子決済手段等取引業者のサービスを利用する目的等を有する者への電子決済手段等取引用情報の譲渡等

  第3項 業としての電子決済手段等取引用情報の不正売買

  第4項 電子決済手段等取引業者の電子決済手段等取引用情報の不正売買の勧誘・誘引

 第29条の3(電子決済等利用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして電子決済等取扱業者等のサービスを利用する目的等を有する者の電子決済等利用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして電子決済等取扱業者等のサービスを利用する目的等を有する者への電子決済等利用情報の譲渡等

  第3項 業としての電子決済等利用情報の不正売買

  第4項 電子決済等取扱業者等の電子決済等利用情報の不正売買の勧誘・誘引

 第30条(暗号資産交換用情報の不正売買等)

  第1項 第三者になりすまして暗号資産交換業者のサービスを利用する目的等を有する者の暗号資産交換用情報の受領等

  第2項 第三者になりすまして暗号資産交換業者のサービスを利用する目的等を有する者への暗号資産交換用情報の譲渡等

  第3項 業としての暗号資産交換用情報の不正売買

  第4項 暗号資産交換業者の暗号資産交換用情報の不正売買の勧誘・誘引

 第31条(第25条から第27条違反における法人の両罰規定)

 第32条(金融商品取引法の準用)

 

 

 ふー、長かった・・・。

 本当は、今回の範囲で犯収法施行令や犯収法施行規則を紐づけようとしたのだが、犯収法だけで結構労力を割いてしまった。

 犯収法施行令や犯収法施行規則を紐づける作業は次回以降に回そうと考えている。

『昭和天皇の研究』を読む 2

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

昭和天皇の研究_その実像を探る』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

2 第1章を読む

 第1章のタイトルは天皇の自己規定_あくまでも憲法絶対の立憲君主

 なお、各章には御歌も掲載されており、全部で15個の和歌が掲載されている。

 

 本章の話は、昭和天皇に対する言及が非常に多いこと、それと比較して昭和天皇の自己規定の研究に関する言及がないこと」から始まる。

 この点、昭和天皇自らが「私はかくかくしかじかの規範に従って、かくかくしかじかの行為を行った」と述べること、かつ、その発言が対外的に公開されることは稀であることを考慮すれば、しょうがないこととも言いうる。

 しかし、昭和天皇の発言、公的文書、行動などから「昭和天皇の自己規定」を推測することはできないではないから、言及できないものでもない。

 

 そして、話は天皇の戦争責任(開戦決定責任)」に移る。

 この主張を要約すると、「天皇陛下が『終戦の聖断』を下せたならば、開戦を阻止する聖断も(憲法や法律上)可能であった。したがって、戦争前に開戦を阻止しなかったという意味での(法的な)戦争責任がある」となる。

 

 この主張は、「天皇陛下が絶対君主たるべし」・「天皇陛下が絶対君主であった」という前提を採用すれば、十分成立しうる。

 この是非はさておくとして、この主張(「一定の天皇論」に基づいた主張)に対する昭和天皇の返答に「昭和天皇の自己規定」を垣間見ることができる。

 本書では『侍従長の回想』における天皇の主張が引用されている。

 

 

 以下、本書に引用されている昭和天皇の言葉を私釈三国志風に意訳してみた(直訳ではないため注意)。

 

(以下、本書に引用されている昭和天皇の言葉を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 先の戦争は、私が戦争を辞めるべきだと意見を述べることで終わった。

 ならば、開戦も阻止できたのではないか、という議論があるらしい。

 一見筋が通っているし、もっともにも見える。

 しかし、私は憲法によって統治を行うことになっている。

 そして、憲法には議会や国務大臣の権限について明記されている。

 そのため、これらの権限に対して天皇が介入することは憲法違反にあたり、許されるものではない。

 言い換えれば、憲法上の権限を持つ者が慎重に審議を尽くして、私に提出して裁可を求めれば、私に気に入らないものであっても、「よきにはからえ」と裁可するしかない。

 それをしないで、「気に入らん」といってちゃぶ台をひっくり返して裁可を拒んでいたら、憲法上の責任者は私の気持ちばかりを気にしてしまい、最善を尽くすことも責任を取ることもできなくなるではないか。

 これは憲法を蹂躙するものである。

 それは独裁君主がやることであって、立憲君主の私にできることではない。

(意訳終了)

 

 返答を要約すれば、天皇たる自分は絶対君主ではなく、立憲君主に過ぎないから」となる。

 

 

 このように、色々な発言を見てみると、昭和天皇憲法を擁護する発言は多い

 これは「憲法を盾にして身を守る」というよりも、憲法を蹂躙することは自己否定になる」という感じがするほどであったらしい。

 そして、昭和天皇の側近の中には、この昭和天皇の態度に対して消極的評価をする者もいたようである。

 

 では、そのように考えていた昭和天皇が何故終戦の聖断を下せたのか

 これについても前述の『侍従長の回想』が引用されているが、この部分も意訳してみよう。

 

(以下、本書に引用されている昭和天皇の言葉を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 では、戦争を止める際、何故自分の意見が言えたのか。

 それは、「戦争を継続するか継続しないか」をめぐる「憲法上の権限を持つ機関の議論」において収拾がつかなかったところ、そのような状況で、首相の鈴木(貫太郎)が最高戦争指導会議で私の意見を求めてきたからである。

 だから、私は憲法上の権限を侵すことなく戦争中止の意見を言うことができたのである

(意訳終了)

 

 その答えを要約すると、「憲法上の権限を侵害することがなく自分の意見を表明できたから」となる。

 ここでも、制限君主の矩を超えない昭和天皇の意思を見出すことができる

 

 もっとも、天皇陛下は「御意見」・「御希望」といったものは述べている。

 例えば、昭和14年の「日独伊三国同盟における駐独大使と駐伊大使の参戦表明に対する不満」とか。

 こちらは『西園寺公と政局』からの引用であるが、これを意訳すればこのようになるだろうか。

 

 

(以下、本書に引用された昭和天皇の言葉を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 出先の両大使が余の意志を無視して参戦の約束をしおった。

 これは余(天皇)の大権を犯したものではないか

 余は面白くない。

(意訳終了)

 

 この不満が外に漏れれば、右翼がすっ飛んできてもおかしくないように見えるが、当時、これによって誰かが辞職した、という話はない。

 結構、あれである。

 

 

 このように、昭和天皇は几帳面なまでに立憲君主として忠実にふるまった

「振る舞いすぎた」といえる程度まで。

 まあ、憲法出でて日本帝国滅ぶ」ではあれだから、これに対する消極的な評価はありえないではない。

 ただ、昭和天皇は、アメリカで出てきた見方である「ファシズムの民意を背景に絶対君主の如く振る舞ったヒットラームッソリーニと同列と評価されること」をことのほか嫌ったらしい。

 この点は、本書で引用されている『木戸幸一日記』の一説を私釈三国志風に意訳してみよう。

 

 

 

 

 

(以下、本書に引用された昭和天皇の言葉を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 私(昭和天皇)があたかもファシズム信奉者に思われているのは、最もつらいことだ。

 あまりに立憲君主として行動しすぎたせいだろうか。

 そういえば、先の戦争では、「もう少し主体的に命令してくれ」という意見もなくはなかった。

 しかし、私は立憲君主として振舞う予定だったのだが・・・

(意訳終了)

 

 立憲主義的にふるまいすぎた、という部分に関してはやや自己批判的なニュアンスがあるように見える。

 ただ、天皇陛下終戦の聖断でさえやや問題があったと考えているらしい

 あるいは、二・二六事件の際にも。

 

 この点、二・二六事件では、大蔵大臣が殺され、総理大臣は生死不明、軍の首脳は反乱軍に同情的で態度が不明確であった。

 そのため、天皇陛下憲法の矩を守れば、立憲政治が壊れる」といった緊急事態になった。

 その意味で状況は終戦と同じである。

 もちろん、終戦二・二六事件天皇陛下の政治的判断が適切であったとはいえるとしても、妥当性が違憲性を治癒するわけではないから、憲法から見て疑義があるという判断はあり得ないではない。

 

 ここで、明治時代の統治について注釈が入る。

 つまり、大日本帝国憲法日本国憲法のルールが違うが、そのことは、明治憲法がにルールがないことを意味しない。当時には当時のルールがあった」というもの。

 これはある種当然である。

 まあ、「空気主義者」から見れば、憲法や法律など方便に過ぎない」という暴言が飛んできそうな気もするが。

 

 

 以上、ここまで本書を見てみると、ある違和感が生じることになる。

「あれ?大日本帝国憲法天皇陛下って現人神だったのではないの?」と。

 つまり、「昭和一桁時代に社会において一般化されていた天皇観」(絶対君主、現人神、絶対神)と「昭和天皇自身の自己規定」(立憲君主、つまりは制限君主)との間にギャップが存在していることが分かる。

 このギャップを意識しながら、昭和21年の詔勅、いわゆる『人間宣言』を読むと興味深い。

 

 この点、いわゆる『人間宣言』と同じ内容は、既に戦前たる昭和12年の「文部省通達」でも同じことを述べているらしい

 以下、この「文部省通達」を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書に引用された「文部省通達」を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 天皇陛下は皇祖皇宗の御心を受けて我が国を統治する現人神である。

 ただ、ここでいう現人神というのはヨーロッパで登場する「絶対神」ではない。

 天皇は皇祖皇宗であり、臣民・国土の生成発展の源泉である。

 その意味で、限りなく畏き方であることを示しているだけである。

(意訳終了)

 

 この点、昭和12年というと、2年前に天皇機関説事件・国体明徴声明ががあり、1年前には二・二六事件があった。

 それゆえ、動揺する教育現場に対する指針として出されたものではあるが、それでも天皇陛下は『人』に過ぎない」ことは明示されている。

 もちろん、「人に過ぎない」点に対して右翼が抗議してきても、文部省は対応できるだけの論拠を持っていた。

 それは、本居宣長の『古事記伝』における「かみ」の定義である。

 

 

 以下、本書で引用されている古事記伝の一説を私釈三国志風に意訳してみる。

 

(以下、本書に引用された「古事記伝」を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 そもそも「かみ」とは古典に登場する天地の諸々の神、社に坐しておられる御霊、人、鳥や獣、海山など「通常より優れた、徳のある、畏き物」をいうのである。

 だから、「かみ」には尊いもの、賤しいもの、強きもの、弱しもの、善きもの、悪しきもの、さまざまだ。

 とても、単純な要素にまとめられるものではない。

(意訳終了)

 

 確かに、この「かみ」では「GOD」とは全然違う概念と言えるだろう。

 

 ここで、本書はやや余談に入り、「現人神」という言葉は、ヨーロッパの「神」の概念の導入により混乱してしまった旨述べている。

 そして、「現代におけるカタカナの乱用は問題かもしれないが、こと『神』に関しては、無理やり『神』にしないで『ゴッド』としていた方がよかったかもしれない」とも。

 この辺は、次の読書メモで触れたような気がする。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 もっとも、本居宣長の定義を忘れ、「かみ」=「GOD」と考えれば、天皇陛下は神権的絶対君主となり、立憲君主たる自己規定とは完全に乖離してしまうことになる。

 その観点から見ると、昭和12年の文部省通達はこの点を問題視し、修正を図ろうとしたと言えなくもない。

 

 ただ、昭和21年の『人間宣言』の意図は別のところにあるのではないか、と著者(山本七平先生)はいう。

 というのも、この詔勅には「憲法」が登場せず、代わりに『五箇条の御誓文』が登場するからである。

 なお、憲法が登場しなかったのは、憲法改正が予定されていたからであろう。

 このことから、天皇陛下の「憲法」の背後には『五箇条の御誓文』があることが推測できる

 

 そして、「天皇陛下=神権的絶対君主」というイメージを横においてこの詔勅を読むと、『人間宣言』に対するイメージはかなり変わったものになる。

 さらに言えば、「そもそもこれは『人間宣言』なのか」という感じすらする。

 

 ところで、いわゆる「人間宣言」の段落を私釈三国志風に意訳するのであれば、次のようになるのだろうか。

 

(以下、『人間宣言』の「朕ト爾等国民トノ」以下の段落を私釈三国志風に意訳しようとしたもの、意訳であって本文とは異なるので注意すること

 天皇たる私と国民をつなぐものは「信頼」と「敬愛」だ。

 神話や伝説じゃねえ。

 まして、私は絶対神じゃねーし、日本国民だって優性民族として世界を統べる運命にあるわけでもねえ。

(意訳終了)

 

 

 では、この『人間宣言』の意図は何なのか。

 素直に読めば、「『五箇条の御誓文』に誓いを新たとし、日本を再建する」ということになるだろう。

 とはいえ、当時のマスコミはそうは受け取らなかったらしいが。

 

 もっとも、「天皇絶対神であって、(以下略)」という発想は、江戸時代にあった。

 天皇家が存続している日本こそが中華であるという『中朝事実』や山崎闇斎一派とか。

 これに「GOD」という概念と作用したりして、「天皇陛下絶対神大和民族は郵政民族、じゃない、世界を支配すべき優性民族」といったところまでいったのではないかと考えられる。

 また、この点はイラン革命におけるホメイニ政権と共通する部分があるらしい。

 

 話はここから終戦前に敗戦を予想する天皇陛下に話が移る。

 太平洋戦争敗戦後、マッカーサーのところに乗り込んで「You may hang me」と仰せになられた天皇陛下には、開戦前から敗戦の予感はあったらしい。

 というのも、日独伊三国同盟を締結する旨の奏上に対して天皇陛下は「アメリカとことを構えた場合、本当に大丈夫なのか?」といった趣旨のことを言われているからである。

 

 

 ここで、本書の話は『真相箱』に掲載されたある記述に移る。

 本書によると(以下、『真相箱』という著書からの引用)には次の趣旨のことが書かれているらしい。

 もちろん、この表現は一度英訳されて再び和訳されているため、ニュアンスはよくわからないとしても。

 

(以下、本書に示されている『真相箱』の記述として本書に掲載されたものの引用)

 天皇陛下が、マッカーサー元帥を御訪問になったとき、『なぜ貴方は開戦を許可されたのですか」というマッカーサー元帥の問に対して、元帥の顔を見つめられた陛下はゆっくり、『もし、私が許さなかったら、きっと新しい天皇が建てられたでしょう。それは国民の意志でした。こと、ここに至って国民の望みにさからう天皇は、恐らくいないでありましょう』と言われたのであります」

(引用終了)

 

 では、ここにいう「新しい天皇」とは何か。

 本書によると、天皇を退位させて、大日本帝国憲法を停止し、ファシズムによる独裁を始めること」ということであり、別の皇族を天皇に立てる話ではないらしい。

 というのも、大政翼賛会が実質的にそうした性質を持っていたし、近衛文麿大政翼賛会的を作ったとき、昭和天皇「こんな組織をつくってうまくいくのかね。まるで、これはむかしの幕府ができるようなものではないか」と皮肉な返答を返し、近衛を絶句させているからである。

 確かに、翼賛会が議会をおさえ、その翼賛会を軍部が支配すれば、ナチスのような独裁政権ができるため、幕府の出現と言っても大差ない。

 そこで、この幕府を「新しい天皇」ということならありうる、と著者は言う。

 というのも、「幕府」って言ってもマッカーサーには伝わらないだろうから。

 

 

 以上、開戦前夜から終戦までの昭和天皇の言動から昭和天皇の自己規定を推論すると「『五箇条の御誓文』と『憲法』の遵守」といった規範が見えてくる。

 このことは、大政翼賛会を「幕府」と言い、五・一五事件後の首相選定へのご希望にもみられる。

 もちろん、天皇陛下大日本帝国憲法を不磨の大典にしようとした、わけではない。

 しかし、その場合であっても、憲法改正手続に則って行うべきであると考えていた。

 このことは『木戸幸一日記』にも示されている。

 

 では、何故、昭和天皇大日本帝国憲法を絶対化したのか。

 その理由は、憲法発布の明治天皇の直後に見出すことができる。

 これを私釈三国志風に意訳するならば、天皇の権力は祖先から子孫に続いていく。私(明治天皇)と私の子孫はこの憲法に従って政治を行え」といったところになるだろうか。

 

 以上、昭和天皇の自己規定に「憲法五箇条の御誓文の遵守」があることを見てきた。

 もっとも、この他にも自己規定があったらしい。

 例えば、昭和天皇にはナポレオン一世やフリードリヒ大王のような「英雄」になる気がない、とか。

 もっとも、太平洋戦争を始める昭和天皇を外から眺めれば、ナポレオンやフリードリヒ大王に見えたであろうが。

 

 このように、昭和天皇になんらかの自己規定があったとは言える。

 以下、この自己規定について色々見ていく。

 

 

 以上が第1章のお話である。

 

 興味深いと考えるのは、「君主が『立憲君主』を是と考えていること」である。

 御存じの通り、立憲主義とはリヴァイアサンとなった権力者を『憲法』という鎖で縛り付けることにより、国民の権利・自由を擁護する思想」である。

 そして、立憲主義の背後には「権力者は暴走し、国民の権利・自由を蹂躙することを方向に走る」ことが当然の前提(事実関係)となっている。

 しかし、昭和天皇憲法絶対を掲げてしまえば、この当然の前提が成り立たなくなってしまう。

 まあ、この場合、暴走はなくても堕落といった問題が生じるだろうが。

 

 ところで、これって政治的にいいことなのだろうか。

「権力者が暴走しないでくれるならば、いいではないか」と考える一方、「暗愚は暴君に劣る」という見解もある。

 また、宮台先生風に表現するところの「まかせてぶーたれる日本国民」から見て「良い」と評価するかは微妙である。

 この辺はよくわからない。

 

 次回は第2章についてみていく。

マネー・ローンダリング等の勉強を始める 2

3 前回と今回とで間が空く

 前回、「マネー・ローンダリング対策の勉強を始めた」旨書いた。

 そして、犯収法第1条の条文を確認した。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 このシリーズ、「続けていこうかなあ」と考えていたけれど、次のマネロン資格を取ったり、色々忙しくなってしまったりして、どのように続けるべきか分からなくなってしまった。

 

https://www.kinzai.or.jp/kentei/5h7.html

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そこで、インターネットに公開されている次の文章などを参考にしながら、犯収法の条文を読んでいこうと考えている。

 

(『犯罪収益移転防止法の概要』_警察庁・令和5年6月1日の時点)

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/hourei/data/hougaiyou20230601.pdf

 

(『マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン 』_金融庁・令和3年11月22日)

https://www.fsa.go.jp/common/law/amlcft/211122_amlcft_guidelines.pdf

 

(『マネロン・テロ資金供与対策ガイドラインに関するよくあるご質問(FAQ)』_金融庁・令和4年8月5日) 

https://www.fsa.go.jp/news/r4/202208_amlcft_faq/202208_amlcft_faq.pdf

 

(『マネー・ローンダリング・テロ資金供与・拡散金融対策 の現状と課題(2023年6月)』_金融庁・令和5年6月)

https://www.fsa.go.jp/news/r4/20230630/2023063001.pdf

 

(『令和5年12月_犯罪収益移転危険度調査書』_国家公安委員会

https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jafic/nenzihokoku/risk/risk051207.pdf

 

4 犯収法第2条を読む

 次は、犯収法第2条を見てみる。

 この点、犯収法第2条は定義規定であるから、ざっと見るにとどめたいところではある。

 しかし、「犯罪による収益」は「疑わしい取引」(犯収法第8条)にも関連するので、少しだけ細かめにみてみる。

 

 この点、犯収法第2条で定められている定義は、「犯罪による収益」(第1項)・「特定事業者」(第2項)・「顧客等」(第3項)の3つである。

 以下、順に見ていこう。

 

 

 まず、犯収法第2条1項によると、「犯罪による収益」とは組織的犯罪処罰法第二条第四項に規定する「犯罪収益等」と麻薬特例法第二条第五項に規定する「薬物犯罪収益等」をいうらしい。

 つまり、「犯罪による収益」とは「犯罪収益等」と「薬物犯罪収益等」をあわせたものとなる。

 この点、「犯罪収益等」は範囲が広いため、「薬物犯罪収益等」からみていく。

 

 まず、「薬物犯罪収益等」とは、「①薬物犯罪収益と②薬物犯罪収益に由来する財産と③これらの財産とこれらの財産以外の財産とが混和した財産」を指すらしい(麻薬特例法第2条第5項)。

 あと、「薬物犯罪収益に由来する財産」とは、「①薬物犯罪収益の果実として得た財産、②薬物犯罪収益の対価として得た財産、③これらの財産の対価として得た財産その他薬物犯罪収益の保有又は処分に基づき得た財産」を指す(麻薬特例法第2条第4項)。

 ざっくりと把握すれば、「収益等」は「収益自体」や「収益の果実・収益財産・処分財産」(収益に由来する財産)が少しでも混ざった財産を指す。

 一部でも混ざっていれば全部が「収益等」になると考えると、結構範囲が広そうである。

 

 次に、重要なものが「薬物犯罪収益」であるが、「薬物犯罪収益」とは、①薬物犯罪の犯罪行為により得た財産と②当該犯罪行為の報酬として得た財産と③第2項第七号に掲げる罪に係る資金をいうらしい。

 ざっくり言えば、「薬物犯罪収益」とは薬物犯罪による取得財産・報酬財産・輸出入や製造のための資金を指すらしい。

 

 最後に、「薬物犯罪」とは、薬物(あへん、覚せい剤、麻薬等、大麻)の①不法な輸出入、②違法な製造や栽培、③薬物の所持や譲渡、④これらの行為の教唆や周旋を指すらしい。

 

 以上、「薬物犯罪収益等」についてみてきた。

 この辺にマネロン対策は薬物犯罪対策から始まったことを見ることができそうである。

 

 

 次に、「犯罪収益等」をみていく。

 この点、組織的犯罪処罰法第2条4項を見ると、「犯罪収益等」とは「犯罪収益」と「犯罪収益に由来する財産」と「犯罪収益や犯罪収益に由来する財産とその他の財産が混和した財産」の3つを指す。

「収益等」の定義は薬物犯罪収益等と同様なので、ここでは割愛する。

 

 さらに、「犯罪収益」について確認する。

 組織的犯罪処罰法第2条第2項には「犯罪収益」の内容について1号から5号まで規定されているが、これを全部把握するのは大変そうである。

 しかし、ざっくりと見れば、2号から5号は次のようにまとめられそうである

 なお、「された」というものの中には「されようとした」というものも含みうるものとする。

 

覚せい剤の輸入・製造に提供された資金(2号イ)

・売春や管理売春をするために提供された場所や資金(2号ロ)

・拳銃等の輸入の為に提供された資金・運搬物等(2号ハ)

サリン等の発散、サリンの製造・輸入のために提供された資金や器具等(2号ニ)

・軽微ではない犯罪に対する偽証、証拠の偽造・変造・隠滅などの対価として提供された資金(3号)

・外国の公務員に提供された賄賂として提供された資金(3号)

・テロ行為のために提供された資金(4号)

・テロ行為の準備のために提供された資金(5号)

 

 マネロン対策が現在組織犯罪対策・テロ資金対策・租税回避対策といったことを考慮すると、その辺が追加された部分をここに見ることができそうである。

 

 

 また、1号で定められた「犯罪収益」を見てみる。

 この点、1号に該当する罪はたくさんある。

 そこで、一般論を確認し、例外的に成立しない範囲をみていく。

 

 この点、1号の要件は次の①・②・③にまとめられる。

 

① 財産上不正の利益を得る目的があること(加害目的とか損壊目的は入らない)

② 成立する犯罪が軽微でない犯罪であること(死刑、無期、または長期4年以上の懲役・禁錮であるか、別表に記載されている犯罪であること)

③ ②の犯罪行為によって生成・取得した財産、または、②の犯罪行為の報酬となった財産

 

 つまり、財産獲得目的で軽微でない犯罪行為を行い、その行為による報酬財産やその行為による生成財産・取得財産であれば「犯罪収益」に該当することになる

 そして、ここでいう「軽微でない犯罪」は懲役4年未満で、かつ、別表に記載のない犯罪ということになるが、刑法の罪で該当する罪は少ない。

 

 というのも、生命や身体に対する犯罪は暴行罪を除けば、そもそも重い。

 また、財産罪の懲役の上限は基本的に10年、軽い罪(単純横領、背任)でも5年となる。

 さらに、長期4年未満の懲役刑であっても、一定の罪が別表に加えられている。

 例えば、贈賄罪、わいせつ物頒布罪、常習賭博罪などが別表に含まれている。

 したがって、刑法典にある犯罪で「3年以下懲役」となっている罪で別表に記載されていない罪を探してみると、住居侵入罪、名誉棄損罪、器物損壊罪、、、といったところになりそうである(もちろん、これ以外にもある)。

 このことから犯罪収益の「犯罪」に該当する罪は相当広いといえる。

 

 以上、「犯罪収益等」について見てきた。

 これを機にこのように条文の構造を見ることができて、理解が進んだように見える。

 

 

 次に、犯収法第2条第2項「特定事業者」を見てみる。

 条文を見ると、53個の業種が列挙されている。

 これを4つのグループに分けると次のようになりそうである。

 

①受信・与信・送金取引を担当する金融業者

(銀行などの金融機関とその上部団体、保険会社、証券会社、貸金業者、資金決済業者、暗号資産交換業者、口座や債権の管理業者、両替業者、カード会社)

②比較的高価な物を取り扱う業者

(不動産を取り扱う宅地建物取引業者、高価な製品を扱うファイナンス・リース業者、貴金属等扱う 宝石・貴金属等取扱事業者)

③士業

(弁護士、司法書士行政書士公認会計士、税理士)

④マネロンに使われやすい業者

(カジノ業者・郵便物の受け取りや電話の代行サービス)

 

 そして、犯収法施行令第3条には「ファイナンシャル・リース業」の定義が書かれている。

 また、犯収法施行令第3条を受けて、犯収法施行規則第2条でファイナンシャル・リース契約の具体的な条件が示されている。

 さらに、犯収法施行令第4条には「宝石・貴金属等取扱事業者」における宝石や貴金属等の定義が示されている。

 ちゃんと条文で規定されているのだなあ(なお、条文の内容は省略)。

 

 

 最後に、犯収法第2条第3項に登場する「顧客等」の定義をみてみる。

 こちらは、顧客(特定事業者の契約の相手方)と犯収法施行令に定める者をいうらしい。

 そこで、犯収法施行令の第5条を見ると、様々な信託契約の受益者が「顧客等」に含まれるらしい。

 そして、犯収法施行令第5条に定められた信託契約の受益者でありながら「顧客等」に含まれない者について犯収法施行規則第3条に定められているようだ。

 

 ここはざっくりと把握できればよしとしておこうか。

 

 

 以上、犯収法第2条をみてきた。

 定義規定だけでこんなに疲れるとは・・・。

 今後はざっくり見ていきたいものである。

 

5 犯収法第3条を読む

 次に、犯収法3条をざっとみてみる。

 犯収法第3条には国家公安員会の責務として次のことを定めている。

 

・特定事業者に対し犯罪による収益の移転に係る手口に関する情報の提供その他の援助(第1項)

・犯罪による収益の移転防止の重要性について国民の理解の促進(第1項)

・疑わしい取引や犯罪収益に関する情報を集約・整理・分析することにより、刑事事件の捜査や犯則事件の調査などに活用できるようにすること(第2項)

・犯罪による収益の移転の危険性の程度その他の当該調査及び分析の結果を記載した犯罪収益移転危険度調査書の作成・公表(第3項)

・関係行政機関、特定事業者その他の関係者に対する資料の提出、意見の表明、説明その他必要な協力の要請(第4項)

・犯罪による収益の移転防止について相互協力の要請(第5項)

 


 重要なのは第3項の「犯罪収益移転危険度調査書」の作成・公表であろうか

 上の参考にするものとして取り上げた文章の1つはこの調査書であるが、いずれ確認しておきたいものである。

 

 

 では、今回はこの辺で。

『昭和天皇の研究』を読む 1

0 はじめに

 昨年末、「旧司法試験過去問の再検討」のシリーズが終了した。

 このシリーズは、「平成元年度から平成20年度までの旧司法試験の二次試験・論文式試験憲法第1問(人権)の過去問を検討する」というものであり、20問の過去問検討に約3年間を要し、ブログの記事数は120を超えることになった。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、現在継続しているシリーズとして「『小室直樹の中国原論』の読書メモ」がある。

 また、「今後も継続しよう」と考えている「AML/CFTに関する勉強」については、去年の12月にマネロン関係の資格をあっさりと取ってしまった(詳細は次の記事参照)ため、このブログにおいてどうするかは決まっていない。

 もちろん、資格取得以外にも「マネロン対策に関する学習」は積みあがっているし、「マネロン対策を日本教から見た感想」もあれば、「マネロン対策に関する別の資格取得の可能性」もあることを踏まえれば、「書くべき内容がない」といったことはないとしても。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そこで、今回から別の読書メモを書き始めることにする。

 具体的に選んだ本はこちらである。

 

 

 著者は故・山本七平氏である。

 

ja.wikipedia.org

 

 ところで、この本の帯には次のようなことが書かれている。

 

(以下、『昭和天皇の研究』の帯から引用)

昭和天皇ほど、憲法を守り通した君主はいなかった

(引用終了)

 

 その根拠は本文に示されているとおりであって、私自身も異論はない。

 ただ、この昭和天皇の行為に対して帝国臣民や日本国民は「いいこと」と見るだろうか、「悪いこと」と見るのだろうか。

 日本教から考えてみると非常に気になることである

 

 では、まえがきから本書を読んでいく。

 

1 『初版時の著書まえがき』を読む

 まえがきの初めで、著者(故・山本七平氏)は昭和天皇が極めて稀有な存在である」と述べる。

 それゆえ、昭和天皇に対する様々な論評の洪水に呑まれ、昭和天皇自体が見えなくなっている、とも。

 というのも、昭和天皇に対しては一種の緊張感をもって相対せざるを得なくなるから」、本書で引用されている本田靖春氏の言葉を用いると昭和天皇に対して一種『むっ』としまうから」だという。

 当然だが、「むっ」とした場合の原因は多々あり、かつ、その原因は感情的なものに由来する。

 それゆえ、外装は理論をまとおうとも、人々の天皇論は「天皇への感情論」となってしまう、らしい。

 したがって、天皇論の研究は日本人の深層心理を探求するために十分有用である

 

 

 しかし、そもそも論として重要なのが「昭和天皇自身の天皇論(自己規定)」である

 そして、本書で探求しているものは昭和天皇自身の自己規定」である。

 

 そして、以下、次のような言葉が続く。

 これは帯にも書かれていた部分なので、直接引用したい。

 

(以下、本書から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 各人が各人の「天皇論」を持つことは自由である。

 しかし、天皇は自分の天皇論どおりに動くロボット」であらねばならないと考えるなら、二・二六事件の将校と同じことになるであろう

(引用終了)

 

 なかなかきつい言葉である。

 少し前の明仁天皇陛下(現上皇陛下)が退位されるときの発言、または、現在の皇統に関する発言を見ていると、この言葉が刺さる方々がたくさんいるような気がしないではない。

 

 その上で、著者は次のように続ける。

 

 大正時代、津田左右吉博士は天皇陛下を「象徴」と規定した。

 それだけではなく、二・二六事件青年将校たちも天皇を「自らの天皇論の象徴」とした。

 このことは、青年将校たちが「天皇陛下の周囲にいる重臣を一掃すれば自らの目的が実現できると考えて、二・二六事件を起こしたこと」からも分かる。

 もちろん、青年将校の目論見は天皇陛下の判断(自己規定)によって失敗することになるわけだが。

 

 そこで、天皇の自己規定は「周囲の天皇論に基づく行動に対する(自身の自己規定を持った)昭和天皇の対応」を通じて検討されることになる。

 本書で行われているのがこの検討である。

 

 ちなみに、本書の発行は平成元年の2月10日である。

 昭和天皇崩御されて約1か月後。

 ドラマティックなタイミングである。

 

 

 以上、まえがきをみてきた。

 

 今回、本書を読書メモに選んだ理由は、日本教」を知る上で「天皇論」と「昭和天皇の自己規定」を見ることが有益であると考えたからである。

 なかなかに重い話であるとは考えるが。

 

 

 なお、本書には資料として「新日本建設に関する詔書」の全文が記載されている。

 この詔書はいわゆる「人間宣言」と呼ばれているものである。

 

 この「人間宣言」には冒頭に「五か条の御誓文」が登場する。

 その下りを私釈三国志的に意訳(あくまで意訳である、直訳ではない)してみると次のようになる。

 

(以下、「新日本建設に関する詔書」の一部を私釈三国志風に意訳、各文毎に改行、強調は私の手による)

 昭和21年が始まった。

 そういえば、明治時代が始まるとき、明治天皇は国是として「五箇条の御誓文」を掲げた。

 その内容は次のとおり。

一、様々な場所で会議を開き、公論によって国家の重要事項を決めること

一、誰もが団結して、様々な政策を実行すること

一、誰もがそれぞれの志を成し遂げるようにし、堕落や退廃を減らしていくこと

一、従前の不合理な制度を排除し、条理・正義にかなう制度に変えること

一、叡智を世界から求め、国家を繫栄させること

 この五箇条は実に公明正大で、追加すべきものすらない。

 私は改めて「五箇条」の実践を誓い、国運を開くことにする。

(引用終了)

 

 なお、明治天皇はこの五箇条を天地神明を前に誓約している。

 そのことは、五箇条の御誓文の末尾にある「我國未曾有ノ變革ヲ爲ントシ、朕󠄂躬ヲ以テ衆󠄁ニ先ンシ、天地神󠄀明󠄁ニ誓ヒ」という部分からも明らかである(詳細は次の記事参照)。

 

ja.wikipedia.org

 

 そして、昭和天皇終戦の翌年(戦後の始まりに)に五箇条を誓っている

 とすれば、近代日本の天皇陛下の自己規定はこの五箇条から始まるのではないか、という推測が働く。

 この点は本書を見ながら確認していきたい。

 

 

 では、今回はこの辺で。

『小室直樹の中国原論』を読む 17

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

17 第5章を読む_後編後半

 前回は、中国における「歴史は繰り返す(以下略)」の実例を見てきた。

 今回は、この続きである。

 

 ここまで、中国人の歴史に対する執念、「歴史は繰り返す」という法則の存在に言及した。

 ここから、話は近現代へ移る。

 

 まず、著者は、「現代の中国人は歴史に関心がないため、『歴史からエートスを抽出する方法』は有効ではなくなっていないか」という質問に答える形で「現代の中国人のエートスを知る際の歴史の学習の重要性」について説明する。

 つまり、「歴史からエートスを抽出する方法は体験談を読むより勝る」と。

 

 確かに、エートスを抽出するための調査が存在するわけではない。

 しかし、その一方で、体験談はその体験談を書く側、つまり、調査をした人間に科学的素養がなければ、その体験談はデータとしても信用性がなく、使用できない。

 このことを示しているのが、人類学の歴史である。

 この点については、次の読書メモにて触れている。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 人類学の発展の概要を述べるならば、マリノフスキーは物理学を手本にして人類学における科学的方法を導入し、ラドクリフ・ブラウンはデュルケーム社会学的方法を応用することによって、科学として成立させた。

 その意味で、科学的素養が欠いた、または、科学的調査方法を欠いた体験談はそもそもデータになりえない。

 

 ところで、本書では、マックス・ヴェーバーから始まる比較歴史学的方法を用いて、中国について分析している。

 その理由は、国史の記述が正確であること(崔杼のケースを想定されたし)、中国史が同じようなことを何度も繰り返すから、比較歴史学的データとして十分利用できるから、である。

 

 この点、「『呉楚七国の乱』が発生し(事実の発生)、その理由(『藩屛となる皇族が勢力を持ちすぎたため』)を考察し(法則の理論化)、同様の理由に基づいて再び同様の事件(八王の乱、靖難の役)が再現される」という流れは、物理学における法則の発見・証明のプロセスと同様である。

 そして、物理学と異なり社会学は実験ができないため、社会科学的法則の発見には反復された歴史が重要になる。

 もちろん、「歴史が必ずしも繰り返される」とは限らないとしても。

 

 なお、「歴史における事件には固有の意味があって、同一事件は二度と起きない」という思想もある。

 確かに、この思想をその人が採用すること自体、憲法19条に保障される思想良心の自由の保護範囲ではあろう。

 また、日本教はこの思想と整合的なもののようにも見える。

 しかし、この発想を採用すれば、歴史における類似性を否定することになるため、社会法則を発見することは不可能になる。

 

 

 ここで、話はヘーゲルの世界史に移る。

 ヘーゲル中華帝国の持続性に驚いている。

 というのも、西洋では革命の後には社会構造が変わることが多いのに対して、中国では易姓革命があっても、変わるのは統治者の姓であって、社会構造・社会組織・規範は変わらないから、である

 

 この点、ヘーゲル史観もマルクス史観も進歩史観を前提としている。

 しかし、中国史観は進歩史観ではない。

 それを見たヘーゲルは中国を「持続の帝国」と述べ、中国は自らを自ら以外の者へと変えることができないと結論付けている。

 

 なお、中国の歴史家もこのことは認識しているようである。

 例えば、近代中国に黄宗羲という偉大な学者がいた。

 あるとき、その学者が正史を全部読破しようとした

 そして、司馬遷の『史記』を半年で読み終えた。

 しかし、『史記』を読み終えて振り返ったところ、「『史記』は読み物として面白く、様々な感動が残っているが、覚えていることは何もない」ということとなった。

 その理由が「無数に起きた『似たような事件』を整理できなかったから」だそうである。

 

 その後、この偉大な学者は『漢書』の読破に挑んだが同じような結果となった。

 そのため、この偉大な学者は正史を読み続ける試みを断念したという

 

 では、正史がダメなら、ダイジェストならどうか

 宋の時代、中国の偉大なる学者司馬光が歴史書資治通鑑』を編集した。

 この書は戦国時代から宋の前代たる五代十国時代までの歴史のダイジェストが書かれている偉大な名著である。

 

 司馬光はこの史書を約20年かけて作り上げた。

 そして、世の絶賛を受け、人々は「この本は立派である」と述べた。

 しかし、具体的な言及がなかったそうである。

 というのも、歴史を重視する中国人であっても、億劫で誰も読んでいなかったから、らしい

 唯一の例外だった司馬光の親友は、忌憚のない意見を求められた際、「読むには読んだが、何が書かれていたが覚えていない」と感想を述べたという。

 つまり、正史同様、似た事件が延々と続いているため、その際を覚えられないのである。

 

 このような「似たような事件が延々と繰り返される」という事象は物語としては用をなさないだろう。

 しかし、科学者にとっては格好のサンプルである。

 何故なら、類似の事件から共通項を抽出し、そうなる理由を考察してモデルを作ることにより、社会法則を発見できるから、である。

 

 なお、以上のエピソードについて、本書は次の書籍を引用している。

 

 

 

 この点、物理学などの自然科学と異なり、社会科学では実験ができない

 それゆえ、実証のスピードが自然科学と圧倒的に異なるため、社会科学の進歩のスピードは遅くならざるを得ない。

 しかし、社会において同型の事件が何度も起きてくれれば、その事実を実験結果と同様の扱いをすることによって、法則の抽出が可能となるだろう。

 もちろん、ヴェーバーの手法を用いることもできる。

 その意味で、国史はこの手法を用いて理論を作る際の絶好のサンプルとなる

 

 そして、類似する事件が頻発することは、それらの事件はランダム、あるいは、個人の意図的な何かによって発生したわけではなく、ある法則に対して発生していることを示している

 よって、国史の中から中国人の本質を発見しうるし、中国史から中国人のエートスを抽出することができる

 

 なお、これに対しては、中国人の主観の方が重要なのではないか、という疑問がわくかもしれない。

 しかし、次の読書メモにあるように、中国人の主観や歴史知識は中国人のエートスとさしたる関係はない。

 何故なら、社会法則は人間の主観(意志・意識)と関係なく独立に作動するからである。

 なお、この現象のことをマルクス「人間疎外」と述べている。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 例えば、ジャガイモなどの物の価格は所有者や栽培者の意志とは関係なく独立に市場法則によって決められる。

 市場に「価格よ、あがれ」と命令しても意味がない。

 そのことを知らなかったスーパーエリート(天保の改革の際の水野忠邦、戦後日本の大蔵官僚)は経済政策において大失敗をすることになる。

 まあ、この錯覚こそマルクス主義に反するものなのだが、マルクス主義の末裔たるスターリンさえこの錯覚を抱き、結果としてソビエト帝国を崩壊させたので、水野忠邦以下略の錯覚をどうこういうのはやや気が引けないではないが。

 

 この「社会は人間によって形作られるが、社会法則は人間の意志・意識からは独立に動く」というルール、この人間疎外の理解こそ社会理解の急所である。

 

 本書では、失業を通じて人間疎外の例を挙げている。

 つまり、失業は経済法則によって発生し、個々の意識によってどうにかなるものではない。

 そして、ケインズ派は「失業は有効需要の不足によって発生する」という経済法則を主張し、セイの法則が恒常的に発生すると考える古典経済学派は「失業は自発的なものに限り発生する」という経済法則を主張した。

 ここで、各々の主張する経済法則の妥当性は問題になるが、経済法則によって失業の発生メカニズムが決まると述べている点では同様である

 それは、ガンを治療したければ医学の知識が、空を飛びたければ物理学や工学の知識が必要なのと同様である。

 逆に、医学や物理学や工学の内容を誤解していれば、治療や飛行機の設計でとんでもない失敗を招くこともありえるところ、それと同様である。

 

 ここで、本書は大恐慌時代のケースを具体例にして説明する。

 1930年代の経済はケインズ経済学がまさに妥当する領域だった。

 しかし、古典経済学派全盛こともあり、当時の権力者はそのことに気付かず、世界はファシズムに雪崩れ込んだ。

 また、当時において失業をなくすのに成功したのはヒトラーだけであった。

 つまり、アウトバーンの建設で有効需要を増大させるとともに、シャハトの貨幣政策でインフレーションを抑え、ドイツは経済を立て直すことになる。

 

 以上の例に限らず、社会法則は人間の意志・意識とは関係がない。

 よって、国史の法則は中国人の歴史認識と関係なく作動することになる。 

 

 なお、四大科学者の一人に入っているフロイトは、歴史法則は人間の意志・意識よりも深いところにあり、無意識によって決定される、と述べている。

 また、フロイトは個人の精神分析を対象としているように見えるが、本当の意図は民族単位の精神分析にあったという意見もある

 これについては、岸田秀が述べていることであり、私自身は今後彼の本も読む予定でいる。

 

 フロイト理論を前提とした場合、「歴史法則に作用する人間の無意識は極めて深いところにあり、人間の意識ではどうにもできない」となる。

 この発想はデュルケームに応用され、「民族の集団的無意識」として重視されるようになった。

 

 デュルケームの主張のアウトラインをつかむと次のようになる。

 個人に無意識があるように、民族にも無意識がある。

 個人の無意識は幼児体験によって形成されるように、民族の無意識は民族の起源によって形成される、と。

 以上を前提とすれば、歴史を貫徹する社会法則は滅多なものでは変わらない、ということになる。

 この結論はヴェーバーの結論と同趣旨である。

 

 以上より、中国の理解において中国史の歴史は極めて重要となる。

 もちろん、これらの社会学者の理論を前提とすれば、というif文があるとしても。

 

 

 以上が本章のお話。

 何故、中国人のエートスを知る上で中国の歴史が重要になるのか、ということを見てきた。

 学問的根拠がどこにあるのかもわかって、非常にわかりやすい。

 

 ただ、こうやって見ると、日本教と社会科学はつくづく相性が悪いな、と考える。

 日本教は人前神後であり、人間の意志(精神)をより大きく評価する。

 日本教徒が上のフロイトデュルケームの主張を見たら、内容を理解する前に嫌悪感がきそうではないか。

 あるいは、社会科学を用いることそれ自体が反日本教的ではないか

 どうなのだろう。

 

 次回は第6章について見ていく予定である。

『小室直樹の中国原論』を読む 16

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

16 第5章を読む_後編前半

 前回は、中国人の歴史観ユダヤ教歴史観についてみてきた。

 今回は、「歴史は繰り返す。『一度目は悲劇、二度目は茶番』かはさておいて」という発想に立って、中国の王朝交代に関する歴史を見ていく。

 

 

 前回、マルクス史観とユダヤ教歴史観は類似していること、また、これらの歴史観と中国人の歴史観は真逆であることを示した。

 この点を見て、人によっては「あれ?」と考えるかもしれない。

 共産主義を採用した現代中国はマルクス史観ではないのか、と。

 

 この点、著者は毛沢東のエピソードをもって返答している。

 つまり、中国人はマルキストであっても実質的には中国史観に立脚している人が多い、と。

 具体的には、毛沢東は『三国志演義)』を読み、古を鏡にすること、つまり、歴史を十分に活用して革命を成功させた、と。

 

 ところで、本書で紹介されているのは明の建国者たる朱元璋である。

 以前の読書メモでも触れた通り、朱元璋は大粛清を行う一方、法体系を完備し、官僚システムを能率化して、完璧な独裁システムを築いた。

 つまり、朱元璋は秦の始皇帝が行おうとした「法家の思想による国家システム」を完成させたと言える。

 

 そのため、韓非子が死後もずっと中国社会を見ていたならば、法術完備の政治家として朱元璋を見出すことであろう。

 実際、朱元璋の統治システムは中国や日本の手本となった上、ヴォルテールもこの統治システムに理想的な官僚制を見出したのだから。

 

 以上の意味で、朱元璋は偉大な皇帝であった。

 しかし、朱元璋は古を鏡としなかったがため、政策を誤り、朱元璋の死後、「靖難の役」という皇族間の激烈なバトルが発生し、方孝儒が中国的殉教を実践することになる

 そして、「靖難の役」は、過去にあった「呉楚七国の乱」や晋の「八王の乱」にそっくりなものであった。

 以下、明の「靖難の役」へ至る道と過去の「呉楚七国の乱」と「八王の乱」の説明がなされていく。

 

 まず、「靖難の役」の前夜までについて。

 明の皇帝朱元璋は漢の劉邦を尊敬して、彼の皇子を王に封じて各地に配置した。

 もっとも、その王の権限は、呉楚七国の乱以後の王のようなものである。

 つまり、その王らは領地と軍隊を持たず、それらを預かっていただけであった。

 そして、皇帝の勅書が届いて初めて指揮権が発動する。

 まあ、そのときに軍隊を指揮できなければ意味がないので、それぞれの王は相応の軍事的知識を持っていたことは容易に想定されるが。

 

 さて、明を建国した当初、明はモンゴル帝国(元)を北京から追い払ったが、滅亡させてはいなかった。

 一方の元はモンゴルに帰り、いわゆる「北元」を再興し、満州を含む広大な領地を持って、中国の奪回をもくろんでいた。

 そこで、明は北方に警戒し、辺境には塞王が配置し、そこには強大な軍隊を持っていた。

 そして、具体的に北方で大軍を率いていたのが、当時の燕王の朱棣である。

 彼は朱元璋の四男であり、後の永楽帝である。

 

 朱棣は北方の守りを固め、あるいは、戦って勝つなどして、朱元璋の期待に応えた。

 朱元璋も朱棣を信頼し、長男の皇太子が亡くなったときは、孫ではなく朱棣を皇太子にしようと考えたくらいである。

 もっとも、このときは儒学者の諫言もあり、皇太子の子供を皇太孫にすることとなった。

 

 さて、その後、洪武帝朱元璋崩御し、皇太孫が即位し、建文帝となった。

 そして、様々な儒学者が抜擢された。

 

 彼らは「古をもって鏡とする」との規範で現状を観察した。

 その結果、気付く。

 現状は、前漢の呉楚七国の乱や西晋八王の乱の前夜と同様ではないか、と。

 

 

 本書は、呉楚七国の乱の状況についての説明に移る。

 秦は中央集権制(郡県制)を目指したが、たった15年で滅びてしまった。

 その次にできたのが漢である。

 

 漢の高祖劉邦は諸侯をまとめあげて項羽を破ったこともあり、その者たちを列侯に封じ、領地を与えた。

 その結果、皇帝の直轄地がわずかになってしまい、王の領地の方が多かったところもあるくらいである。

 

 この諸侯王の領地は「国」と呼ばれ、統治権こそ持っていたが、その統治権は皇帝によって規制されていた。

 その意味で、独立国家とまでは言えず、昔の諸侯とは異なる。

 しかし、時と共に諸国は独立し、場合によっては中央政府に対する反抗の機運も高まってきた

 そこで、文帝の時代、賈誼である。

 賈誼は、「古の制度に反するから、諸侯のうち広大な領地を持つ者は縮小させていくのがいい」と主張した。

 興味深いのは、根拠が先例であって、政治力学などの社会科学法則ではない、ということ。

 ここにも「古をもって鏡となす」の精神が生きている。

 

 この点、文帝はこの策を実行しなかった。

 実行されたのは、文帝の次の皇帝、景帝の時代である。

 これに対して、呉や楚、あわせて7国の王がこれに反抗し、直ちに挙兵した。

 これが呉楚七国の乱である。

 

 呉楚七国の勢力は侮りがたく、漢王朝にとっては危機的状況であった。

 ただ、皇帝側の名将の活躍もあり、反乱は3ヶ月で平定された。

 その結果、漢は中央集権国家への道を歩き始めることになる。

 

 しかし、この反乱は中国に貴重な教訓を残した。

 封じられた王が兄弟・近親であっても、力を持ちすぎれば皇帝の脅威になる、と。

 

 そして、三国時代が終焉したころ、同様の事件が起きる。

 これが、西晋八王の乱である。

 

 後漢献帝は、曹操の息子の曹丕に皇帝を禅譲し、曹魏が建国される。

 この曹魏はやがて司馬一族に乗っ取られる。

 やがて、曹魏蜀漢を滅ぼした後に西晋禅譲し、この晋が孫呉を降伏させて中国を統一した。

 西晋の初代皇帝は司馬懿の孫の司馬炎である。

 司馬炎は近親者を王にし封じ、中には有力な王もいた。

 

 そんな状況で、武帝崩御、即位した恵帝は冴えなかった。

 その結果、有力な王たちが政権奪取を狙い、反乱が頻発、この結果、晋は急激に弱体化する。

 これが「八王の乱」であり、ほどなく西晋は滅亡、五胡十六国時代へと移行する。

 

 

 以上の歴史を、建文帝に採用された儒学者たちが知らないはずがない。

 そのため、儒学者たちは「このままでは、呉楚七国の乱や八王の乱が再来する」と考えた

 もちろん、その背後に「歴史は繰り返す(以下略)」があることは言うまでもない。

 

 この点、現代人から見たら、ばんなそかな。これらの反乱から既に1000年も経過していて、時代が違うのに同じことが起きるはずがない」と考えるかもしれない。

 これについて、同様に考えたのが、朱元璋である。

 彼は、「法家の思想に基づいて完璧な統治システムを築いたのだ。前回と同じようなことが起きるはずがない。さらに言えば、その発想は親族の情を割くものである」と言って、朱棣を塞王に封じることに反対した儒学者を粛清した。

 しかし、中国人は基本的にそのようには考えず、「歴史は繰り返す」と考える。

 

 その結果、建文帝は王の権力削減に取り組み、事実、多くの王が廃された。

 しかし、朱棣は自分の番になりそうだと気付くや否や、「君側の奸を排除する」と考えて挙兵し、4年に渡る戦いの後、首都南京を攻略する。

 これが「靖難の役」であり、朱棣は皇帝永楽帝となり、一方の建文帝は行方不明、また、周囲にいた儒学者は粛清されることになる。

 なお、この粛清された中の一人に方孝儒がいる。

 この人は幕末の志士のバイブルとなった「靖献遺言」に登場する1人である。

 

 

 以上、王朝の衰退に関する歴史法則についてみてみた。

 気になるところがないではないが、なかなかに面白い。

 

 残りは次回に。

『小室直樹の中国原論』を読む 15

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

15 第5章を読む_前編後半

 前回、歴史に名の残すために命を惜しまない中国人、歴史を残るために執念を燃やす中国の歴史家(太史)についてみてきた。

 また、インドと比較してなお中華文明における歴史学のすごさについても確認した。

 今回はこの続きである。

 

 もっとも、今回触れる部分は既に次の読書メモでも触れている部分も少なくない。

 そこで、重複部分については簡単に触れながら進めていく予定である。

 

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 上で述べた読書メモ、前回の読書メモなどを通じて、歴史に名を残す者たち、歴史書に真実を遺そうとする太史の執念について触れた。

 このことから、「後世に語り継がれること」が中国人にとっての救済になることを示す。

 

 ただ、歴史の影響はこれだけではない。

 歴史を遺すことに執念を燃やした結果、「歴史を見れば中国が分かる」という状況になった。

 そのことを示しているのが、中国で長らく読まれてきた『貞観政要』に登場する次の一説である。

 

(以下、『貞観政要』の任賢篇の一説を引用、引用元は本書、なお、各行ごとに改行、強調は私の手による)

 それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。

 古ともって鏡となせば、もって興替を知るべし。

(引用終了)

 

 

 上の言葉に、中国の歴史観をワン・ワードで言い表している。

 つまり、「良い政治をしたければ、歴史に学べ」と。

 

 この『貞観政要』は代表的名君と言われた唐の太宗と名臣たちの問答集である。

 そして、長らく帝王学を学ぶための最高のテキストと言われていた。

 現に、日本でも北条政子北条泰時(政子の甥)・徳川家康らも参考にしたと言われている。

 なお、山本七平もこの本については一冊書籍を出しており、次の『山本七平ライブラリー3』に収録されているし、近代以降の天皇陛下も学ばれている、らしい。

 

 

 なお、「良い政治をしたければ、歴史に学べ」という命題が成立するためには、ある条件がある。

 それは「歴史法則は変わらない」ということである。

 というのも、時代によってころころ法則が変わるようであれば、歴史=過去の目撃者の記録を見ても意味がないから、である。

 

 以上をまとめれば、中国人は歴史法則は変わらないと考えるため、歴史に名を残すために執念を燃やし、良き政治をするために歴史を学ぶ、ということになる。

 

 一方、これと別の発想を持つのがユダヤ人(ユダヤ教徒)となる。

 この点、歴史を重視する点においてはユダヤ人も中国人も変わらない。

 しかし、その理由はユダヤ人が歴史法則が変わらないと考えているから、ではない。

 

 この点、ユダヤ教絶対神(主)との契約を基本とするところ、主は全能の力を持つと考える。

 ユダヤ教徒が主との契約を守れば、ユダヤ教徒の繫栄が約束される。

 その一方、ユダヤ教徒が主との契約を違えれば、ユダヤ教徒は風前の灯火となる。

 また、聖書(旧訳聖書)を見れば、神の怒りが様々なところに出てくる。

 ノアの洪水然り、ゾドム・ゴモラ然り、バビロン捕囚然り。

 その意味で、ユダヤ教徒にとっては、絶対神たる主との契約は絶対の意味を持つ。

 

 また、全能の力を持つ主が法則に介入すれば、法則は変化してしまう

 したがって、ユダヤ教徒から見れば、歴史=過去の事実は、現在の契約が維持される範囲でしか意味を持たないことになる。

 つまり、中国人と異なり、ユダヤ人は「歴史法則は変わらない」と考えないことになる。

 

 

 本書は、ここからユダヤ教における歴史観に話題が移る。

 ただ、これまでの読書メモと重複する部分が少なくないので、重複しないを除き簡単に述べるにとどめる。

 

 中国人(個人)の救済は「歴史に名を残すこと」。

 これに対して、(古代)ユダヤ教徒にとっての救済は「神との契約の更改による民族の繁栄」。

 バビロン捕囚の憂き目にあったイスラエル人たちはここに活路を見出した。

 

 ところで、悪魔の教団において、啓典に反することを行うことがその教団の儀式になるという。

 つまり、啓典に反することを行うことで神への反逆や瀆神の意思を明らかにするわけである。

 

 しかし、聖書に書かれた古代イスラエル人の行いは悪魔の教団の行為の比ではない、と著者(小室先生)は言う。

 なお、この点は旧訳聖書をなんとか読んだ私も同意見である(さらに言えば、「よくここまで正直に歴史を残したなあ」とさえ考える)。

 なにしろ、旧訳聖書の士師記列王記(上下)・歴代誌(上下)でにおいて、「主の目から見て悪とされる行為を(行い)」という表現がやたら目に付いたのだから。

 これらの行為は「異教の神を拝む行為」を指し、当然だが、『出エジプト記』にある十戒に抵触する。

 

 そして、その結果がバビロン捕囚となる。

 その憂き目を契機に古代のユダヤ教が産まれる。

 そして、そのドグマは「神との契約を守れ。さすれば、神は契約の更改を行い、ユダヤ民族は世界の主人公になるべし」となる。

 さらに、契約の更改が行われれば、法則は全部変わりうる。

 ならば、古代ユダヤ教徒の発想で見れば、歴史法則も契約の更改によって変わりうると考える。

 

 

 以上、ユダヤ教歴史観と中国人の歴史観を比較した。

 なお、この点についてはキリスト教ユダヤ教側、イスラム教は中国側である

 ただ、その原因などについては上の読書メモでみてきたため、ここでは簡単に触れるにとどめる。

 

 ちなみに、著者(小室先生)は、ユダヤ教歴史観という言い方でピンとこないならば、マルクス史観をイメージすればいい、という。

 マルクス史観は、社会の変化を「原始共産制奴隷制封建制→資本制→社会主義共産主義」と考える。

 そして、社会制度が変化する際に生じる「革命」はユダヤ教における「契約更改」に相当する

 また、革命によって社会法則は変化すると考える。

 したがって、マルクス史観とユダヤ教歴史観はぴったりであり、それらと比較することで中国人の歴史観を理解することができる、と述べている。

 

 

 以上、歴史観についてみてきた。

 ユダヤ教キリスト教マルクス主義は歴史法則を不変とは考えず、中国社会とイスラム教は歴史法則を不変と考える。

 とすると、「では、日本教は?」という疑問が生じる。

 

 この点、自然信仰、日本的儒教、あるいは、天皇教から考えると、中国側(歴史法則は不変)と考えているように見える

 ただ、「そもそもそんなことに関心を持っていないから分からない」という感じもしないではない。

 どうなんだろう。

 

 次回は、中国における歴史法則の普遍性について具体的な歴史をみていく。

『小室直樹の中国原論』を読む 14

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

14 第5章を読む_前編前半

 今回から第5章に移る。

 第5章のタイトルは「中国の最高聖典_それが『歴史』」

「中国人や中国社会における歴史の重要性」についてみていく。

 

 この点、中国において歴史が重視されていることは次の読書メモでも触れている。

 

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 そこで、上の読書メモで触れている部分については軽く確認するにとどめる。

 

 

 第5章は、「歴史」による中国人への具体的影響について説明すると述べた上で、次の言葉が紹介されている(出典は『新五代史』)。

 

「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」

 

 この点、良いことを行った者として名を留められれば最高だろうが、そうでなくても、悪行の限りを尽くした者として名をとどめた方が無名よりマシ、ということになる。

 そして、そのためであれば、自分の生命や身内の命だろうが差し出すことも厭わない

 

 その代表例が文天祥であり、本書には記載がないが方孝儒も加えられるであろう。

 文天祥はモンゴルの攻勢に対して最後まで抵抗し、最終的に処刑された。

 この文天祥吉田松陰といった尊王攘夷運動に奔る幕末の志士たちによって熱狂的に崇拝され、文天祥の「正気の歌」については長らく愛唱されることになる。

 

 この点、文天祥「人生自古誰無死、留取丹心照汗青」と述べて、フビライの仕官を蹴る。

 この言葉は、「死なない人間などいない、ならば、歴史に忠義を貫いた男として名を遺し、後世の模範となろう」という意味である。

 つまり、文天祥は歴史の模範となるために死を選んだ

 言い換えれば、歴史に殉じたことになる。

 これは中国的殉教というべきものでもある。

 

 この文天祥の態度は、第1章で述べた刺客列伝で紹介された予譲の態度にも通じるものである。

 彼は、「暗殺するのであれば、一旦仕官をして、油断した時を狙えばいいではないか」という友人の忠告に対して、「私がそのような手段を選ばず、苦難の道を選ぶのは、後世の人々に二心を抱いて主君に仕えることを戒めるためのものである」と返答した。

 

 このことから、中国では「『歴史に名声を遺すこと』が個人の救済になる」ということができる。

 

 

 ところで、他の宗教から見た場合、キリスト教の「救済」は「神から恩恵により永遠を命を得ること」になる。

 また、イスラム教では「死して緑園に入ること」を指す。

 このことから、中国では歴史書聖典として機能するということができる

 また、歴史家は歴史書を記す際、あたかも、聖書に対する態度と同じような態度を示すことになる。

 本書では、歴史家の情熱の具体例として『正気の歌』に登場する斉の太史(歴史官)のエピソードが紹介されている。

 このエピソードは、「斉の大臣だった崔杼が君主の荘公を殺害して独裁者になったところ、そのときの太史は歴史書に『大臣の崔杼が君主を弑した」と真実を記した。崔杼は直ちにその太史を殺したが、その太史の弟が再び同様のことを書き、弟を殺すやさらにその弟が、、、という展開になったため、崔杼は諦めた」というものである。

 このように、中国人が歴史に殉じるなら、歴史家は歴史を記すことに殉じる

 また、正気の歌には、斉の太史と晋の董狐が歴史家として登場する。

 

 これらのことからも中国人に対する歴史への思いの重さが理解できる。

 

 

 ここで、東洋圏における文化的先進国だったインドと中国の文化の比較(優劣)についての話に移る。

 この点、文化の優越について「どちらからどちらに流れていったか」で判断するならば、多くの点に関してインドの方が優れていたということができる。

 仏教をはじめ、さまざまなものがインドから中国に流出していったのだから。

 

 しかし、歴史学については中国の方が圧倒的に勝っていた

 というのも、インド人は何兆年、何億年といった時間スケールでものを考える。

 また、インド人は抽象的な一般真理を重視する。

 その結果、インド人は歴史のような細かいものに興味を持たず、その結果、インド歴史学は発展しなかった。

 また、釈迦の産まれたタイミングについて100年単位の誤差があり、しかも、その年代を推定する資料がインド以外の国の資料による、といった状態になっていた。

 というのも、インドに近い別の国々では、インドだけではなく中国からも影響を受けており、その部分については歴史学の恩恵を受けているから。

 もちろん、この歴史学の恩恵が仏教に対する科学的研究のためにも役に立っている。

 

 

 以上、読んできた。

 最後のインドについての項目は、日本を知る上で何か役に立ちそうな気がする。

 機会があれば、インドとヒンズー教について調べてみようかなあ。

『小室直樹の中国原論』を読む 13

 今日はこのシリーズの続き。

 

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小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。

 

 

13 第4章を読む_後編後半

 前回、忠臣蔵において赤穂藩に対する改易処分が決まった後になされた大石内蔵助たちの行動から、江戸時代の日本人には近代的所有概念が根付いていなかった話をした。

 もちろん、これ自体当然の結論というべきものであって、特段不自然な点はない。

 

 しかし、現代の日本人も同様であるならば問題がないというわけにはいかない。

 今回はその辺りを見ていく。

 

 なお、日本人の所有に対する意識については、過去に何度も読書メモで触れているため、言及していた読書メモのうちの重要なものを次に示すとともに、重複する部分についてはできる限り省略しながら読書メモを進めていくことにする。

 

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 ここから本書は近代日本・現代日本における「所有と占有の未分離」に関する話に移る。

 ここで取り上げられている具体的な話題は川島教授によるものである。

 つまり、終戦間際、都会から疎開してきた人間たちが疎開先の人たちの物(消耗品)を同意なく消費してしまう、とか。

 あるいは、大学の教授が学生から『ある本を貸してほしい』と言われたので、その本を貸したところ、返された書籍にはあちこちに線が引かれており、かつ、学生にはそれらに関する罪悪感が全くなかった、とか。

 

 つまり、終戦直後、日本では所有と占有の違いが意識されていなかった。

 特に動産については、占有=所有に近い状態にあった、と。

 

 もっとも、このような占有者と所有者の違いに対する意識のなさは資本主義社会以外の社会であれば当然に持っている特徴であるから、ことさら日本人がどうこう、という話ではない。

 また、中世ヨーロッパにもこのような特徴があったと言われている。

 

 では、近代資本主義社会では、何故所有権が抽象的に判断されるようになったのか。

 これは、「所有権の性格(定義)が変わったから」となる。

 つまり、所有権の中核部分が「支配」から「(交換)価値の把握」に変化したため、占有(支配)とは関係なく所有権が抽象的に把握されるようになった、と。

 したがって、大石内蔵助らの行為も前近代の発想として至極合理的な行為であると言える。

 

 

 さて、この大石内蔵助らの行為は現代においても取り立てて問題視されていない。

 もちろん、これらの行為を問題視することは赤穂浪士の物語に水が差すことを意味する。

 したがって、問題視すれば赤穂浪士忠臣蔵のファンによる猛烈な「空気」による袋叩きにあうであろうが。

 

 しかし、この「所有と占有の未分離」という発想は構造的汚職の温床となる

 そのことを示すのが、上の読書メモでも触れられた「役得」という概念である。

 

 この点、本書では官官接待の問題を具体例に取り上げている。

 そして、次の書籍における記者の「良心のマヒの慢性化」への驚きや「自己浄化能力が備わっていない」旨の結論を紹介している。

 

 

 しかし、著者(小室先生)は「官僚の自己浄化機能のなさ、良心のマヒの慢性化は、官僚システムの中に構造的に埋め込まれている」と主張し、ここに注目すべきだと述べる。

 上の記者は主観的、小室先生は客観的、といえようか。

 

 本書では、上の読書メモでもあった「日本人の『役得を利用した接待』に対する外国人の感想」が紹介されている。

 近代的所有概念を持つ外国人が見た場合、権限外の接待(権限内であれば役得にならない)は業務上横領や背任に他ならない。

 そのため、外国人が役得による接待の真相を知れば、「このような人たちは到底信用できない」という感想を持つことになる。

 しかし、役得を得た人間にそのような意識があったとは到底言えないであろう。

 そして、役得に関する原因を構造的に探るのであれば、それは近代的所有意識の欠如にいきつくことになる。

 

 本書では、「株式会社は誰のものか」という問題を取り上げ、所有権の一義的明確性に対する日本人の意識が希薄な点を述べている。

 これは、これまでのメモで述べてきたいわゆる「株式会社という機能体の共同体化」である(読書メモは省略)。

 

 

 そして、話は公認会計士に移る。

 アメリカやヨーロッパにおける公認会計士は株主から委任を受けて取締役らの経営を監査する。

 つまり、公認会計士は株主らの代理人、ということになる。

 というのも、株主らは経営の素人であるから、取締役らの経営に関する適法性・妥当性を判断することはできない。

 そこで、株主らが公認会計士に依頼をし、経営に関する適法性・妥当性をチェックする、ということになる。

 これは、訴訟において弁護士に依頼するようなものである。

 そして、その行使する権限を見れば、公認会計士と経営者の関係は検事と被告人のようなものである、といってもよい。

 

 しかるに、日本ではどうか。

 まず、公認会計士は税理士とは異なる職業であるという意識が相対的に乏しい

 たとえ、税理士の仕事をもすることがあるとしても。

 

 さらに、重要なのは、公認会計士を雇っているのは株主ではなく経営者である、ということである。

 本書では、著者(小室先生)が公認会計士の協会で講演をしたときのエピソードが紹介されている。

 曰く、開口一番、「諸君(私による注、日本における公認会計士)は泥棒にやとわれた裁判官である」と言ってやったところ、聴衆は一度はキョトンとしたが、意味を説明すると爆笑した、と。

 

 やや品のある言葉で言い直せば、被告人が検事や裁判官を任命しているようなものである

 しかし、これでは公認会計士に真面目に監査を期待するのは不可能であろう。

 ましてや、主人に対する殉情を至高の価値とする日本教社会においては。

 

 また、本書では労働者が経営者に対する責任追及のためのストをした際、経営者が失踪したため株主に対する責任追及を行った、というエピソードが紹介されている。

 このエピソードは次の読書メモに紹介している。

 

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 この点、労働者たちは自分たちの権利・利益の保全のために行動しているため、労働者の行為に対して近代的所有概念から見てどうこう言うことは意味はない。

 しかし、コメントした人間の中で近代的所有概念への言及がなかったのであれば、日本に近代的所有概念などあったものではない、と言われても抗弁できないであろう。

 たとえ、日本の機能体の共同体化を考慮すれば、労働者らの行為を近代的所有概念のみから評価することが妥当ではないとしても。

 

 著者はこのことから「日本には高度経済成長が終わったころの昭和50年ころでさえ近代的所有概念が根付いていない」と述べている。

 また、本書が出版された21世紀間近のころでも同様である、と。

 さらに、著者は所有概念においては日本も中国でも同様であるからトラブルが生じるのだ、と述べる。

 

 そして、この「会社が株主の所有物である」という近代資本主義ならば当然の結論が何故意識されないのかというと、そこには「所有権の一義的明確性の不存在」が挙げられる。

 つまり、株主は経営者に経営を委託し、経営者は労働者を雇って事業を実践する。

 それゆえ、経営者は経営について株主に対して責任を負うし、労働者に対して雇用・待遇に関する責任を負う。

 もっとも、経営者は経営について労働者に対して責任を負うことはない

 また、株主は労働者に対して責任を負うことは原則としてない

 この2点が労働者らの行為が近代的所有概念から見て違和感を持つ理由となる(もちろん、本件にこの原則論をひっくり返すだけの具体的例外事情はあったと考えられるとしても)。

 

 著者は言う。

 これでは、日本には所有権の一義的明確性が意識されている、または、二分法的発想があるとは言えない、と。

 そして、この点は中国も同様である、と。

 

 ここで本書の記載はないが、民法上の条文も確認しておく。

 民法は715条に使用者責任を規定しているため、被用者が被害者に損害を加えた場合、原則として使用者も連帯して責任を負うことになっている。

 しかし、委任契約や請負契約については原則としてこれは適用されない(もちろん、例外はあるが)。

 そのことは716条を見ることで確認できる。

 

民法715条第1項

 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

 

民法716条

 注文者は、請負人がその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わない。ただし、注文又は指図についてその注文者に過失があったときは、この限りでない。

 

 

 以上は日本の話であった。

 ここから話は中国に移る。

 

 この点、中国では汚職の問題が国を揺るがすレベルの問題となっている

 もっとも、この汚職の根本的原因を探っていくと「近代的所有概念の欠如」に行きつく。

 つまり、近代的所有概念と罪刑法定主義の理念が人々に行き渡っていないことが頻発する汚職の構造的・根本的原因となる。

 

 この点、所有権の一義的明確性への意識の欠如が役得や汚職の構造的原因につながる点は既に述べた。

 これに加えて、中国では罪刑法定主義が機能していない(日本も「空気」に対して憲法が無力であった現状や歴史を考慮すると、日本においても罪刑法定主義が意識されていると言えるのか、甚だ怪しいと言えなくもないが)。

 これでは、中国では構造上汚職がやりたい放題になっても不思議ではない。

 

 これに、中国の法家の思想を加えてみることで、別の側面が見える。

 まず、科挙という極めて難易度の高い試験制度があった中国ではそもそも高級官僚の数が少ない。

 その結果、高級官僚は巨大な権力を持つことになる。

 

 ここで、閑話休題として「官吏」という言葉の説明が入る。

 つまり、科挙に合格した人間(高級官僚)のことを「官」、高級官僚の「官」が雇った人間を「吏」という、と。

 そして、地方に派遣された「官」のメインの仕事は税金の徴収と中央への移送にあった。

 ここで驚くべきことは、国家の会計と官の会計に区別がない点である。

 その結果、欲のない最も清廉潔白な人間でも3年地方に赴任すれば三代に渡って家が持つと言われていた。

 では、欲深い人間だったら、というのは推して知るべしである。

 

 このことから、そもそも中国には「汚職」の概念がなかったことになる。

 したがって、中国で「汚職」と呼ばれる事件になれば、額が日本とはけた違いになった。

 

 また、官僚は法律の終局的解釈権を持っている。

 そして、税金の徴収をも行う。

 その結果、地方に派遣された高級官僚は独立経営者として(自分に)法律を有利に解釈して商売している、という言い方もできる。

 つまり、役人イコール商売人

 この商売人兼役人に検事や裁判官も含まれるので、アメリカやヨーロッパから見ても想像を絶する世界になる。

 というのも、欧米では刑罰を執行することは民間に委託できたとしても、裁判だけは裁判官が判決を書いていたからである。

 

 この高級官僚の傾向は今の中国にも残っている。

 これでは、日本・アメリカ・ヨーロッパの企業が中国に出向いてトラブルにならないはずがない、ということになる。

 

 

 本章の最後に、著者は日本人の中国社会の概念に対する誤解を取り上げている

 まず、『君子は義に喩り、小人は利に喩る』という論語の言葉があるが、日本人の社会科学的無知ゆえか、日本人は君子と小人という概念についてとんでもない誤解をしている、という。

 社会科学における重要な発想に「事実と規範の区別」というものがある。 

 つまり、論語のこの言葉は事実を述べただけに過ぎない。

 しかし、事実と規範の区別がつかない日本人(江戸時代)は、この文章を「君子は義に従わなければならない。それが出来ずに利に従うのは小人である」と解釈し、果てには主語と述語をひっくり返して、「義に従う者が君子で、利に従う者が小人だ」と解釈してしまった。

 これではなんでもありである。

 

 著者はこのようななんでもありの解釈をした原因に「日本人の階級に対する無知」を取り上げている。

 例えば、日本教社会では「君子とは立派で正しい人な人。小人とは立派でなくつまらない人。だから君子になりましょう」といった発言をする。

 しかし、論語の時代、つまり、中国の周の時代、階級がはっきりしていた。

 つまり、天子がおり、その下に王がおり、諸侯がいる。

 諸侯の下には大夫がいて、さらには士がいる。

 ここまでが君子の領域であり、複雑な多重封建制と言える。

 一方、庶民として一般人がいるところ、こちらは自由民と奴隷に分かれる。

 もちろん、奴隷と言ってもヨーロッパから見れば、奴隷と農奴の中間のような立場といってもいいかもしれない。

 

 このように、周の時代は厳密な階級社会であり、その階級ごとに規範が異なった。

 例えば、妻にできる人数も階級ごとに定められているくらいである。

 

 だから、頑張って君子になりましょう、というのは土台無理というしかない。

 この辺を近代的一般規範の感覚で見れば大変なことになる。

 ちなみに、日本では身分の壁により倫理規範が異ならないため、身分の壁を飛びこえても大変なことにならない。

 だから、秀吉が関白になっても、あるいは、薩長の下級武士が元勲になってもそれほど問題にならないことになる。

 

 ところで、中国の歴史上、初めて庶民から皇帝になった人間は漢の高祖、劉邦である。

 だから、天下を取った後、礼儀や道徳という規範が根付くまで大分時間がかかった。

 結局、武帝の時代になってなんとか定着することになる。

 

 以前の読書メモでも触れたが、儒教の救済とは良い政治をすること。

 良い政治をする主体は天子(皇帝)だが、一人でできることには限界があるため、君子の助けを借りる。

 この君子に相当するのが、諸侯、大夫、士にあたる人たちである。

 

 ところで、儒教のなかで著名である孟子『恒産なくして恒心あるは、ただ士のみよくすとなす』(『孟子』「梁恵王」)と述べている。

 これも規範ではなく事実を述べたもの

「十分な収入なしでちゃんと仕事をするのは君子だけで、庶民は何をするか分からない」という意味である。

 

 あと、儒教が国教になったのは漢の武帝の時代である。

 もっとも、この時代の中国は封建社会ではなく中央集権国家になっていた。

 というのも、漢建国直後は封建社会と中央集権社会の両方が混在したような状態だったが、その後、ごたごたがあった結果、中央集権国家に改変されたからである。

 その結果、諸侯・大夫・士がいなくなり、天子を助けて政治をする人間がいなくなった。

 そこで、官僚が政治の助けをすることとなり、官僚が君子として働くことになった

 

 このように官僚制度が始まったわけだが、完成したのは宋の時代である。

 ただ、官僚制度が始まったころの官僚になる条件は科挙ではなく選挙であった

 これは、地方の名望家が有能な人間、例えば、親孝行で長老にも恭しく仕え、礼儀も行いもいい人間を朝廷に推挙することを言う。

 また、科挙の制度は隋の時代に始まり、唐の時代に発達し、宋の時代には科挙が高級官僚への道となった

 この科挙の試験科目は儒学である。

 

 ただ、この儒学科挙の試験科目にしたため別の問題が起きた。

 まず、儒学は共同体の道徳であること

 だから、儒学には立法とか時代に合わせて法律を改正するという概念がない

 つまり、儒学では法家に思想、法律に関する運用に対して無力、ということになる。

 

 以上、「幇」と「情誼」、「宗族」、「法家の思想」など、中国を知るための手掛かりがそろった。

 これらを知らずに、中国社会でトラブルを回避することは不可能であるといってもよい。

 そのため、著者は法家の思想を知る手段として韓非子を読むことを勧めている。

 

 

 以上、第四章までみてきた。

 このように中国について知ることで、日本的儒教日本教について知るための手掛かりを得ることができたような気がする。

 これらについては、後ほど活用していきたい。