薫のメモ帳

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『日本人と組織』を読む 5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

5 第5章「日本人の『盆地文化』」を読む

 本章は「世界の脱宗教化」から始まる。

 つまり、当時の世界全体の方向として脱宗教の方向に向かっていた点は否定できない、と。

 この点、細かくみると揺り戻しがたくさんあるのだろうが、大きなトレンドを見れば正しいのだろう。

 もっとも、「脱宗教した行先」については誤解がある、という。

 つまり、「脱宗教化の結果、宗教の差がなくなって、総ては一つにまとまる」という結果が導かれるように考えられるが、実際は「各民族は各民族の伝来の方向に脱宗教化するため、総てが一つにまとまることはない」ということになる。

 何故なら、脱宗教化は科学化を意味するにすぎない上、「科学化によって手段の精密化はできても、目的・方向を規定し得ないから」である。

 もちろん、流通可能・共有可能な部分もありうるであろうが。

 

 ところで、脱宗教化と相互流通化が進むと、各民族毎に異なる部分・共有できない部分がめんどくさくなる。

 では、このめんどくささを回避・軽減するためにはどうすればいいか。

 本書は、この問題を見るために相互の発想の基本に立ち返る。

 

 

 最初に確認すべきことは、欧米は一神教・モノティズムの世界なのに対して、日本は汎神論・パンティズムの世界である、という点である。

 例えば、「IN_GOD_WE_TRUST」という発想もモノティズムの発想であり、パンティズムにはこの発想がない。

 そして、モノティズムは「中心軸主義」であり、一つの原理・原則から派生するルールで全体を規律しようとする

 他方、パンティズムは「枠内主義」であり、一つの大きな枠を作って全体を拘束し、枠の中では自由と考える

 

 本書にない具体例を考えてみる。

「1日にAを一定数摂取しなければならない」というルールを考える。

 モノティズムの世界では「1日、塩を10.0グラム摂取しなければならない。ただし、誤差の範囲は2.5gとする」となる。

 これに対し、パンティズムの場合、「1日、7.5g以上12.5g以下のAを摂取しなければならない」となる。

 結果だけ見れば、両者によって規律される行為は同一である。

 また、パラメータの個数を見てみると、モノティズムの場合は「中心」と「誤差」の2つ、パンティズムの場合は「下限」と「上限」の2つであり、規律を制御するパラメータの数も同じである。

 しかし、モノティズムの場合は、摂取量は10.0・・・・・gが最善で、10.0gから離れるほど次善、次次善と評価が落ちていく。

 これに対して、パンティズムであれば、7.5gから12.5gの間の評価に差がない。

 この微妙な違いがときに決定的な違いを引き起こすことになる。

 

 また、本書で書かれていないことを自分の知識で埋めると、西ヨーロッパ・アメリカ(キリスト教)の他、東ヨーロッパ(ギリシャ正教)やアラブ(イスラム教)も一神教であり、中国も一神教に近いイメージがある(儒教でも上に天がある一方、孔子等の儒者は神ではない)。

 私が無学な関係で、インド(ヒンズー教)はよくわからない。

 ただ、世界をけん引している(た)国は一神教の国ばかりである。

 

 

 では、このモノティズムとパンティズムの違いがどのような形で現れるか。

 この違いを日本人に対する外国人の報告書から見てみる。

 

 例えば、江戸時代には権力者はいたし、統治機構もあった。

 しかし、江戸時代の統治機構はヨーロッパの国民国家と大きく異なり、近代国家における「主権」を行使する中央政府が存在しなかった、という。

 この点、日本人は江戸時代の徳川幕府を近代の中央政府のように考えている。

 しかし、これは我々が近代国家像を過去に投影して再編成しているに過ぎない。

 

 どういうことか。

 例えば、現代においてアメリカが日本と条約を結ぼうとする。

 現代であれば、日本政府と交渉して日米の法令に基づいて条約を締結する。

 そうすれば、日本政府と締結した条約は成立し、条約の効果は日本国内の領土に及び、国民を拘束する。

 一方、江戸時代の末期(徳川政権)の場合はどうか。

 現代的視点で考えれば、徳川幕府と交渉して法令に従って条約を締結すればいいということになる。

 では、徳川幕府と締結した条約は日本の津々浦々まで効力が及ぶか。

 我々の考えだと「あった」ということになるはずだが、どうやらそうではないらしい。

 もちろん、幕府の領土と直轄地、つまり、天領には及ぶ。

 しかし、他の藩には条約の効果は及ぶ保証はない。

 条約の効果を受け入れるか否かは、他の事情(幕府と自分の藩の関係、権力の大小その他)によって決まる、という。

 また、基本的に、幕府は他藩の領内に干渉できなかった。

 藩の間の居住・営業等の許可権は藩主が握っており、幕府は直接これに介入できなかった。

 この点、幕府と藩の関係を現代の中央政府地方自治体の関係と同様に考え、藩主のこれらの権限は地方自治体の権限と同じようにみるかもしれない。

 しかし、地方自治体の権限の由来は憲法こと中央であるし自治体の権限は中央政府地方自治法によって拘束されているのだから、由来の発生源が逆である。

 このことは「徳川家は武家の棟梁に過ぎない」という事実関係から考えても、モノティズムとパンティズムの発想から考えても整合する。

 

 では、徳川幕府中央政府でないなら、中央政府はどこにあるのか。

 征夷大将軍を任命した天皇家・朝廷か。

 考えられる他の候補はここしかない。

 しかし、天皇家には権威はあっても権限はない。

 よって、これもおかしい、ということになる。

 

 では、中央政府はどこにあるのか。

 江戸時代末期、日本人と条約等の交渉を行った外国人はこの中央政府不在の問題に困惑し、怒り、あきれ、最終的には投げ出す者もいたという。

 例えば、日米通商修好条約締結交渉に臨んだハリスは「徳川幕府中央政府」と誤認したから、江戸幕府の対応に憤慨した。

 それに対して、「そもそも日本に中央政府は存在しない」と考えたのがアーネスト・サトウというイギリスの外交官である。

 

 この点、前述のハリスの憤慨はモノティズムの世界の価値感に従えば妥当かもしれない。

 しかし、パンティズムの世界に住む江戸幕府の役人から見れば、ハリスの要求は「夷敵の無理難題」と感じたであろう。

 住む世界が違う以上、このようなことが起きても不思議ではない。

 この点は、太平洋戦争末期の日米交渉でも同様のようで、この時点の両者の実態と相手への理解の程度が似たり寄ったりだったらしい。

 実態が似たり寄ったりなのは当然だが、理解の程度が同程度、とは。

 追加して言えば、今も大差ないのではないかと考えられる。

 

 

 さて、「日本には中央政府がない」と述べた。

 もちろん、「中央政府がないこと」は「秩序がないこと」を意味しない。

 つまり、江戸時代は「鎖国」・「士農工商」・「藩」といった枠があった。

 これらは中心(軸)に見える。

 しかし、「枠内であれば自由だった」と言え、この意味で見れば「中心軸」ではない。

 

 そして、この状態でも「枠による規制」がかけられており、自由ではない。

 だから、この「枠による規制」の上に「中心的統制」を重ねて加えれば、日本人は枠と中央の二方向から二重の拘束を受けることになる。

 枠と中央の両方から圧力を受けるのは苦しいので、我々は中央による拘束を排除する方向に向かう。

 

 これも先ほどの例を使ってイメージする。

 日本の伝統的な規制は「1日、7.5g以上12.5g以下のAを摂取しなければならない」であった。

 これに、「1日、10.0gのAを摂取しなければならない(以下略)」が重ねるとどうなるか。

 実際問題、誤差と中心の設定が同じであれば、ルールを違反したかしなかったかの基準は変わらない。

 しかし、「10.0gに近ければ近いほど良い」という細かい評価が加わる。

 その結果、めんどくさくなる。

 そこで、「後者(中心軸的統制)を排除してしまえ。排除してもルール自体は変わらん」となる。

 

 そして、このパンティズムの発想は「絶対不可侵な神命的契約を作って、その契約によって組織を統制する」というモノティズムの発想とは全然異なることになる。

 というか、異なって当然である。

 

 

 では、何故、日本はパンティズムの世界になったか。

 この根本は風土的秩序に由来することになるだろう。

 つまり、島国である日本は海という「枠」でできている上、この枠は神話の時代から現代まで不変の枠である。

 また、日本語という枠もある。

 この点、「言語圏と国境の一致」が珍しい例であることは、ベルギーやスイスなどをみれば明らかである。

 さらに、日本は、国土・国籍・文化圏・言語圏・汎神論的宗教圏・自然的境界がぴったりと一致しており、このような国はむしろ例外である。

 これだけ枠が一致していれば、中央的統制は不要と言えるかもしれない。

 

 そして、もう一つ。

 日本の文化の基礎が盆地文化・準盆地文化であることも挙げられる。

 つまり、日本文化の発生源は周囲が山で囲まれた盆地である、とか、三方が山で囲まれて一方は海に面しているといった準盆地であることが多い。

 例えば、奈良・京都・甲府秩父等は盆地であるし、鎌倉や富山は準盆地である。

 この「盆地」も山によって作られた「枠」ということになる。

 そして、「『枠』である山が外敵から共同体を守ったり、水源地となって共同体に恵みをもたらす」といった盆地文化での生活から山岳信仰やパンティズムを生み出したと考えられる。

 ここでも、登場するのは「枠」であり中心ではない。

 

 

 海・山という「枠」に囲まれた環境にいれば、日本人が「枠」を無視するのは不可能であろう。

 これは、遊牧民が砂漠や平原を無視できないことと同様である。

 そして、砂漠や平原には枠がなく、中心から統制をかけなければ分裂してしまうことを考慮すれば、秩序は人工的・自覚的に制定していくことになる。

 他方、海・山といった枠に囲まれた日本人には中心からの統制は必要ない。

 逆に、砂漠と異なり、枠から強い制約(と恵み)を受けているのだから「枠の中での対処」が求められることになる。

 

 つまり、モノティズムの世界の「自由意思に基づく参加・離脱と契約による拘束」を秩序づける前提、具体的には「周囲が砂漠や平原で、水と食料と移動手段さえあれば、遠方まで自由に行ける環境」は日本の枠の世界にはない。

 我々の世界にあるのは、「周囲が山や海であるため、遠方まで自由に行くことは不可能な環境」と「『枠』に依存している限り、『枠』から便益を得ることができる環境」である。

 その結果、「『枠』の無視は自分を含むすべての無視」となり、この規定を逸脱できる人間は存在しない(逸脱できるのはクリエーターくらいなものであろう)。

 その一方で、『枠』の内側に関して「中心に近ければ近いほど尊い」といったモノティズムの世界における序列はなく、「枠内は『汎』であり、総て平等」といったパンティズム的発想を生む。

 この世界は「神々が枠という限界を設定している世界」であり、強力な中心の存在する世界ではない。 

 

 

 そして、この世界からは色々な発想が生まれた。

 例えば、浄土真宗を大きく発展させた蓮如は伝道において、「農民を車座に座らせ、徹底的に話し合わせつつも、一定の方向に誘導させる」という方法を採用した。

 これは「中心軸なき円環方式」というものであり、かつ、平等式稟議制の古い形と言える。

 そして、現代でもこの「中心軸なき円環」による意思決定は用いられている。

 もちろん、組織において階級に違いがあり、階級の有無を問わず車座にすることはできないだろう。

 しかし、同じ階級内では実質的にこの方式をとって意思決定を行っている

 この点、本書によると、ロッキード事件における全日空の社長の国会証言を見ていると、この方式を用いているのだな、ということが分かるらしい。

 

 この「中心軸なき円環による意思決定」を西欧は伝統的に排除している。

 というのも、この決定方法に従った場合、責任は全体で引き受けることになるが、全員で責任を引き受けると責任者がいなくなり、無責任に転化するからである。

 このことを示した諺が「全員の責任とは『責任者なし』のこと」と訳した方がいいと考えられるイギリスの諺である。

 他方、この意思決定方式を利用することで、自分の意思通りの方向に構成員全員を誘導し、かつ、その意思決定が全員の自発的発意による合意との外観を装える。

 このように言うと、「中心軸なき円環による意思決定」は権力者の責任逃れのための方法に見え、だからこそ、西欧では政治的決定においてこれを排除しているのだろうが、日本においては責任回避の手段のために用いているわけではないと考えられる。

 ロッキード事件における全日空も、将来、このような問題が生じることを事前に想定し、その対策として「中心軸なき円環による意思決定」という手段を選択したとは考え難く、「全日空」という大きな枠があって、この枠に適応したに過ぎないと考えられるからである。

 

 

 以上、パンティズムの成り立ち等を見てきたところで、話は「契約」に移る。

 戦国時代末期、キリスト教宣教師が日本にやってきて驚いたことの一つに、日本人が持っていた「明確な契約概念」だったという。

 つまり、この時点から見たとしても、「日本人には契約概念があった」ということになる。

 もっとも、「契約」の中身は西欧の「契約」とは違っていた。

 日本人においては「契約」とは「対外契約」のことだけを指し、ヨーロッパにあった「対内契約」としての「契約」が欠落していた。

 この対外契約にあたるのは「個人間契約」や「集団間契約」であり、パンティズムの言い方をすれば「盆地間契約」や「枠対枠契約」となる。

 そして、戦国時代末期におけるこの契約意識はパンティズム的契約概念とも言える、らしい。

 

 

 そして、話は契約から契約の原型である誓約に向かう。

 つまり、モノティズムの世界、パンティズムの世界のいずれでも、「聖なる対象への誓約」が契約の履行の担保となっている点は同じである。

 しかし、「聖なる対象」が一つしかないモノティズムの世界では誓約される対象の存在は双方同じだったのに対して、パンティズムの世界では「聖なる何か」が異なることになる。

 そのため、パンティズムの世界の誓約は「各自が各自の聖なる対象への誓約」という形でなされる。

 簡単に言うなら、「お前はお前の神に誓え、私は私の神に誓う」でオッケーと言うべきか。

 もちろん、パンティズム的誓約が成立するには以下の2点が条件となる。

 

1、「お前の神」と「私の神」の二つに共通する一定の枠(上位枠)があること

2、上位枠の存在を相互に承認すること

 

 この2点が成立すれば、「お前はお前の神に誓え、私は私の神に誓う」でオッケーになる。

 つまり、上位枠の外側にある神に対する誓約は認められない

 

 パンティズム的誓約が成立しない具体例として、モノティズムの世界に住むキリスト教信者とイスラム教信者との間でパンティズム的誓約が成立しないことを確認する。

 パンティズム的誓約の形は、「キリスト教徒はキリストに対して契約の履行を誓約する。イスラム教徒はアッラーに対して契約の履行を誓約する」となる。

 しかし、パンティズム的誓約が成立するためには、アッラーとキリストが共に一神教における神であることを相互に承認する必要がある。

 だが、自分の信仰する神(一神)以外の絶対神の存在の容認というのは、一神教において最も許さざるべき涜神罪であるから、こんな承認はキリスト教徒にもイスラム教徒にもできないことになる。

 よって、パンティズム的誓約はモノティズムの世界では利用できないことになる。

 まあ、当然の結果である。

 

 

 このようなパンティズム的誓約が背景にある結果、日本における契約は「①相互の枠の承認、②相互の枠を共通する抽象的な上位枠の設定」という形になる。

 そして、契約の内容は上位枠の設定内容・運用内容となる。

 そのため、契約条項が抽象化し、抽象化された枠は解釈でどうにもでき、逆に、その解釈の範囲の広さがトラブルの元にもなるわけである

 

 そして、この「契約とは枠の設定のことである」というのは日本ではどこでも見られる通常のことになる。

 つまり、会社と労働者との間の雇用契約、あるいは、親会社と子会社との間の契約もこの「枠内への受け入れ」・「新しい枠の設定」という形を採ることになる。

 この点から見れば、欧米の契約と日本の契約は言葉は同じであれやっていることは別々のことであり、それに気付いたのが戦国時代末期のキリスト教宣教師ということになる。

 そして、この契約の違いは戦後になっても変わっていない。

 

 

 結局、我々は社会の持つ伝統的な枠からは逃れられない。

 その意味で、日本人も日本の枠から逃れられない。

 もっとも、日本の「枠の文化」は、欧米との接触において欧米との摩擦を減らし、欧米の長所を吸収して日本用にアレンジするという意味では最高の枠であったとも言える。

 この枠の文化が近代化と高度経済成長に寄与したことは間違いない。

 もっとも、短所のない文化は存在しない。

 ならば、この枠の文化がマイナスに転化することは十分にあるということになる。

 

 

 以上が本章のお話。

 うーん、参考になった(この言葉しか思いつかないのがあれだが)。

 しかし、これまでの私が日本の社会に対して感じていた漠然とした疑問についてちゃんと言葉で整理できるのだなあ。

「言葉にできない何かである」と考えていたがそれは誤りだったようである。

 この点が訂正でき、さらに、言葉にできた点はすごい収穫かもしれない。