薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

司法試験の過去問を見直す6 その1

 これまで、旧司法試験の二次試験・論文式試験憲法第1問(人権)の過去問を見てきた。

 具体的にみてきたのは、平成3年度・平成4年度・平成8年度・平成12年度・平成15年度の各問題である。

 

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 今回から新しい過去問、具体的には平成18年度の過去問をみていく。

 この過去問のテーマは「営利的言論」である。

 

1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成18年第1問

 まず、問題文を確認する。

 なお、過去問は法務省のサイト、具体的には、次のリンク先にあるものをお借りしている。

 

www.moj.go.jp

 

 問題文と出題趣旨は以下のとおりである。

 

(以下、平成18年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の問題文)

 国会は,主に午後6時から同11時までの時間帯における広告放送時間の拡大が,多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセスを阻害する効果を及ぼしているとの理由から,この時間帯における広告放送を1時間ごとに5分以内に制限するとともに,この制限に違反して広告放送を行った場合には当該放送事業者の放送免許を取り消す旨の法律を制定した。この結果,放送事業者としては,東京キー局の場合,1社平均で数十億円の減収が見込まれている。この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

(問題文終了)

 

(以下、平成18年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の出題趣旨)

 本問は,放送事業者の広告放送の自由を制約する法律が制定されたという仮定の事案について,営利的表現の自由の保障根拠や放送という媒体の特性を踏まえて,その合憲性審査基準を検討し,当該事案に適用するとともに,放送事業者に生じうる損害に対する賠償ないし補償の可能性をも検討し,これらを論理的に記述できるかどうかを問うものである。

(出題趣旨終了)

 

 出題趣旨を見て「興味深い」と考えるのは、「見込まれる損害に対してどうするか」ということが出題の趣旨に含まれていたということである。

 確かに、損害に対する救済手段として、憲法17条の国家賠償請求権や憲法29条3項の財産権の補償の条文がある。

 しかし、通常、このような問題であれば、当該表現に対する規制の合憲性を述べれば十分である、と考えられていた。

(よって、私も試験本番では国家賠償請求権などには触れていない、それでも、憲法はA評価であった)。

 

 この点、関連しうる条文は次のとおりである。

 

第12条後段(前段は省略)

 国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条後段(前段は省略)

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第17条

 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第22条1項

 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

第29条3項

 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 

 

 まず、本問の法律で制限される自由は何か。

 放送免許取消(あるいは、東京キー局の場合に生じる数十億単位の損害)の原因となる規制内容を見ると「午後6時から午後11時までの時間帯における広告放送を1時間あたり5分以内にすること」になる。

 つまり、「放送事業者の広告放送の自由」が制限されている。

 となれば、答案の型としては、①広告放送の自由を憲法上の権利とリンクさせる、②そのうえで、本件規制が例外として許されるか、違憲審査基準を立てて、あてはめを行う、ということになる。

 

 では、順にみていこう。

 

2 営利的言論の自由憲法上の保障

 そもそも、コマーシャルのような営利的言論の自由憲法上保障されるのか。

 また、保障される場合、何条によって保障されるのか。

 保障される場合、漠然と、あるいは、単に、「保障される」と書いても無意味であるから、条文を明示する必要がある。

 

 この点、コマーシャルといった営利的言論は営業活動の一環としてなされる。

 よって、表現活動の目的たる営業目的を強調すれば、営業の自由として憲法解釈上保障される22条1項によって保障されると考えることもできる。

 しかし、憲法21条1項は「その他一切の表現の自由」とあるのだから、表現の目的によらずとも21条の保障を受けると考えるのが自然である。

 さらに、営利的言論を受領する国民から見たところ、営利的言論の自由な発表は国民の知る権利の実効化につながるところ、この知る権利は憲法21条1項を再構成することにより、同条によって保障されると考えられている。

 したがって、営利的言論は憲法21条1項によって保障される。

 このことから、本問法律による放送事業者に対する広告放送の制限は憲法21条1項の制限にあたりうる。

 

 

 ・・・以上の内容は、記載の微妙な違いがあれ、私が平成18年の海の日に試験会場で答案に書いた内容である。

 そして、これがオーソドックスな書き方である。

 もちろん、この部分は答案の原則論であるから、大展開は不要であるとはいえども絶対に示さなければならない。

 

 ただ、知る権利云々は余計ではないか、と思わないではない。

憲法21条1項は表現の目的に制限はない。よって、表現の自由の保障を受ける。以上」でよいのではないか。

 あるいは、このような書き方をすると、「経済的な情報をアクセスする自由を当然のように憲法21条1項で保障されるとしているが、これは憲法22条で保障すべきという要素を何故無視していいのか」といった疑問も浮かぶ。

 まあ、コマーシャルによって得られた情報は経済活動のみに利用されるわけではないので、この疑問はこじつけに近い感じがしないではないが。

 

 次に、ここで21条と22条の違いって重要なのだろうか、という疑問もなくはない。

 もちろん、この点については、いわゆる「二重の基準論」の発想によれば、または、最高裁判所が経済的自由に対する規制には立法裁量を認める一方、精神的自由の規制に対する立法裁量を認めていない(立法裁量という言葉を用いていない)という発想から考えれば、21条と22条の差は大きいとも言いうる。

 この辺はよくわからない。

 

 

 以上、憲法上の権利の制限に関する認定は終わった。

 このブログでは21条1項によって保障される立場に立つ。

 

 次から、正当化の議論、いわゆる、違憲審査基準の定立とあてはめに移るわけだが、きりがいいので、今回はこの辺で。

司法試験の過去問を見直す5 その7(最終回)

 今回はこのシリーズの続き。

 

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 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 ちなみに、今回が本問の最終回。

 今回は「本問を通じてつらつら考えたこと」について書いていく。

 

12 司法試験の勉強とは

 このシリーズでは、旧司法試験・二次試験の論述式試験・憲法第1問の過去問を判例を参照しながら見直している。

 

 この点、ここで私がしたかったことは、「近代憲法立憲民主主義憲法)について『憲法の外側』、特に、『日本教』の視点から見直す」というものであった。

 しかし、具体的にみていくと、憲法について様々な再発見があった。

 そして、それらは当時の司法試験の勉強では見つけられなかったものである

 

 この点、司法試験において、いや、法学や憲法学にとって、最高裁判所判例は重要な先例であり貴重な教材でもある。

 だから、当時の司法試験の勉強においても判例を見ていたはずである。

 少なくても、判例を無視していた記憶はない。

 

 また、このブログにおける私の判例の見方は次の書籍を参考にしている。

 

 

 つまり、今回、私がやっているような手段は受験当時の勉強方法として紹介されていた。

 そして、私はこの書籍を買って読んでいたから知っていた。

 しかし、今回のような発見・感想を持つことはなかった

 

 

 これはどういうことなのだろう。

 原因としては、次の3点が考えられる。

 

1、理系出身の私が法学について全く何も知らない状態から司法試験の勉強を始めた関係でよくわからなかった

2、司法試験の勉強が大変だったのでこのような手法まで手が回らなかった

3、司法試験に合格するためのハードルからみれば不要だった

 

 まず、1について。

 当時の司法試験、いわゆる「旧司法試験」は、大学の教養課程を修了していれば(つまり、大学3年生になっていれば)二次試験から受けることのできる試験であった。

 つまり、受験の要件に「法学部を卒業していること」といった要件がない。

 この点は、医学部の卒業を要件とする医師とは異なることになる。

 

 さらに、大学の教養課程を修了していない場合であっても、いわゆる一次試験に合格すれば二次試験の受験は可能であった。

 そして、この一次試験は教養試験であり、法律的な素養・法律実務に関する知識は問われなかった。

 だから、旧司法試験を受験するための要件に「法律・法学に関する学習歴・学校歴」は不要であったことになる

 もちろん、受験することができる、つまり、門前払いにならないだけであって合格できるわけではないが

 

 なお、現在の司法試験を受験するためには、法科大学院の卒業か予備試験の合格のいずれかが必要なところ、予備試験では旧司法試験と同等かそれ以上の法律実務に関する知識を要求している。

 よって、旧司法試験と異なり、現在の司法試験においては「法律・法学に関する学習歴・学校歴」を要求していることになる

 

 つまり、理系の学部を卒業したに過ぎず、法律について無知の状況だった私でも当時の司法試験の勉強を開始し、試験に挑戦することができた

 ただ、法学部を経由していなかったせいか、六法が前提にしている基礎知識といったものを全く知らなかった。

 例えば、「痛快!憲法学」に登場する前提などが。

 

 

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 その点が、私に災いをもたらしたのか、幸いをもたらしたのか、それはわからない。

 合格とは関連性がないが、その辺が少し気になるところである。

 

 次に、2について。

 一から司法試験の勉強を始めた私にとって、司法試験の六科目(憲法民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法)は「範囲が広かった」と記憶している。

 それゆえ、判例の概要(事案の概要・規範・あてはめの概要)を見るのが精いっぱいであって、細かく見ていくことができなかった。

 

 この点、司法試験の外から見た場合、司法試験の6科目如きを「試験範囲が広い」などといっていたら、「何を言っているんだ」と白い目で見ることになるだろう。

 もちろん、その点は現在の司法試験の8科目(憲法行政法民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法・選択科目)にも言えるのだけれども。

 

 最後に3について。

 これが一番大きいのではないかと考えている。

 

 現在、このブログのようなことをやるのは「合格への最短距離の道」から見れば完全に逸脱する。

 つまり、ここまでやらなくても合格できる

 現に、私は旧司法試験の論文式試験に合格した。

 また、合格した時の試験結果を見れば、順位は上位2割のところにあり、試験の点数はその年の合格最低点を優に超え、平成16年度の試験の合格最低点さえ上回っていた。

 つまり、ギリギリ合格ではない(この点数がたまたま出た可能性があるにしても)。

 

 さらに言えば、この状況は今も大差がない。

 その点は、司法試験の採点実感の記載から推察することができる。

 

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 この点、司法試験委員が合格のための要求として、私がブログでやっていることなどを要求しているのは、上記採点実感からも十分推測できる。

 しかし、現実を見ると、そのレベルに達する者は、現在の合格者数と比較してはるかに少ないのではないかと考えられる。

 

 とすれば、要求されるハードルを下げるか、人数を昭和の時代まで下げるか。

 政策的に見た場合、後者は不可能である(そもそも人員増加の必要性こそが司法制度改革の出発点であった)が、どうなのだろう。

 

13 新規参入障壁と憲法

 本問の出題趣旨を簡単に述べると「幼児教育に対する新規参入規制の合憲性」ということができる。

 そして、新規参入規制について現実で争われた事件としていわゆる酒税法判決(事件)がある。

 

昭和63年(行ツ)56号

平成4年12月15日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「酒税法判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/054281_hanrei.pdf

 

 興味深いのは、この判決の補足意見と反対意見で「新規参入障壁・既得権益擁護」に関する言及があることである。

 そこで、この判決の補足意見と反対意見を見てみる。

 

 まずは、合憲判決を支えている補足意見から。

 

(以下、園部逸夫裁判官の補足意見より引用、強調と注釈は私の手による)

 私(私による注、園田裁判官のこと)は、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべきところが多く、とりわけ、具体的な税目の設定及びその徴収確保のための法的手段等について、裁判所としては、基本的には、立法府の裁量的判断を尊重せざるを得ないと考えており、このことを基調として、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見に同調するものである。ただ、本件の場合、多数意見の説示が、酒税の国税としての重要性を再確認し、現行の酒税法の法的構造とその機能の現状を将来にわたって積極的に支持したものと理解されるようなことがあれば、それは私の本意とは異なるので、以下、その点について、私の意見を述べておきたい。

 沿革的に見て、酒税の国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であったことは、多数意見の説示するとおりであるが、現在もなお、酒税が国税において右のような地位を占める税目であるかどうか、議論があることは否定できない。また、仮に酒税が国税として重要な税目であるとしても、酒類販売業を現行の免許制(許可制)の下に置くことによってその徴収を確保しなければならないほどに緊要な税目であるかもまた、議論のあるところである。私は、酒類販売業の許可制について、大蔵省の管轄の下に財政目的の見地からこれを維持するには、酒税の国税としての重要性が極めて高いこと及び酒税の確実な徴収の方法として酒類販売業の許可制が必要かつ合理的な規制であることが前提とされなければならないと考える(私は、財政目的による規制は、いわゆる警察的・消極的規制ともその性格を異にする面があり、また、いわゆる社会政策・経済政策的な積極的規制とも異なると考える。一般論として、経済的規制に対する司法審査の範囲は、規制の目的よりもそれぞれの規制を支える立法事実の確実な把握の可能性によって左右されることが多いと思っている。)。そして、そのような酒税の重要性の判断及び合理的な規制の選択については、立法政策に関与する大蔵省及び立法府の良識ある専門技術的裁量が行使されるべきであると考える。

 他方、酒類販売業の許可制が、許可を受けて実際に酒類の販売に当たっている既存の業者の権益を事実上擁護する役割を果たしていることに対する非難がある酒税法上の酒類販売業の許可制により、右販売業を税務署長の監督の下に置くという制度は、酒税の徴収確保という財政目的の見地から設けられたものであることは、酒税法の関係規定に照らし明らかであり、右許可制における規制の手段・態様も、その立法目的との関係において、その必要性と合理性を有するものであったことは、多数意見の説示するとおりである。酒税法上の酒類販売業の許可制は、専ら財政目的の見地から維持されるべきものであって、特定の業種の育成保護が消費者ひいては国民の利益の保護にかかわる場合に設けられる、経済上の積極的な公益目的による営業許可制とはその立法目的を異にする。したがって、酒類販売業の許可制に関する規定の運用の過程において、財政目的を右のような経済上の積極的な公益目的と同一視することにより、既存の酒類販売業者の権益の保護という機能をみだりに重視するような行政庁の裁量を容易に許す可能性があるとすれば、それは、酒類販売業の許可制を財政目的以外の目的のために利用するものにほかならず、酒税法の立法目的を明らかに逸脱し、ひいては、職業選択の自由の規制に関する適正な公益目的を欠き、かつ、最小限度の必要性の原則にも反することとなり、憲法二二条一頃に照らし、違憲のそしりを免れないことになるものといわなければならない。しかしながら、本件は、許可申請者の経済的要件に関する酒税法一〇条一〇号の規定の適用が争われている事件であるところ、原審の確定した事実関係から判断する限り、右のような見地に立った裁量権の行使によって本件免許拒否処分がされたと認めることはできないのである。

 もっとも、昭和一三年法律第四八号による酒税法の改正当初において酒類販売業の許可制を定めるに至った酒税の徴収確保の必要性という立法目的の正当性及び右立法目的を達成するための手段の合理性の双方を支えた立法事実が今日においてもそのまま存続しているかどうかが争われている状況の下で、上告人及び上告代理人らの主張するところによれば、右許可制について本来の立法趣旨に沿わない運用がされているというのである。しかし、記録に現れた資料からは、上告人及び上告代理人らの主張に係る酒税行政の現状が現行の許可制自体の欠陥に由来するものであるとして、右許可制に関する規定の全体を直ちに違憲と判断すべきものとするには足りないといわざるを得ないのである。

(引用終了)

 

 学者出身の園田裁判官は「既得権益擁護のためにこの規制を用いるならば、裁量の濫用・逸脱として違憲になるぞ」と述べている。

 言い換えれば、「本件規制は財政目的規制であって、積極目的規制ではない。だから、積極目的規制の名のもとに権利を制約しようものなら、違憲になるぞ」ということになる。

 

 これに対して、厳しい見解を述べているのが弁護士出身の坂上壽夫裁判官の反対意見である。

 

(以下、反対意見の引用、強調は私の手による)

 私は、酒税法九条が憲法二二条一項に違反するということはできないとする多数意見に賛成することができない。

 私は、許可制による職業の規制は、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、それが重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するというべきであり、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための許可制による職業の規制についても、その必要性と合理性についての立法府の判断は、合理的裁量の範囲にとどまることを要し、立法府の判断が政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するものでないかどうかで、裁判所は、その合憲性を判断すべきものと考える。そして、私は、右の合理的裁量の範囲については、多数意見が引用する職業の自由についての大法廷判決が説示するとおり、「事の性質上おのずから広狭がありうるのであって、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきもの」であって、国家の財政目的のためであるとはいっても、許可制による職業の規制については、事の軽重、緊要性、それによって得られる効果等を勘案して、その必要性と合理性を判断すべきものと考える。

 酒税法は、第一章において、酒類には酒税を課することを定め(一条)、その納税義務者を酒類の製造者又は酒額を保税地域から引き取る者(後者の酒類引取者は例外的な場合であるので、以下には酒類製造者のみについて論を進める。)と定めている(六条)。そして、第二章以下において、酒類の製造免許及び酒類の販売業免許等についての規定を置いている。酒税法の右のような構成をみると、酒税の賦課、徴収について直接かかわりがあるのは第一章の規定であって、酒類の製造や酒類販売業を免許制にしている第二章の各規定は、主として酒税の確保に万全を期するための制度的な支えを手当てしたものと解される。

 酒類製造者に対して、いわゆる庫出税方式による納税義務を課するという酒税法の課税方式は、正に立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべき領域であるというべきであろうし、かかる課税方式の下においては、酒類製造者を免許制の下に置くことは、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置ということができよう。しかし、酒税の確保を図るため、酒類製造者がその販売した商品の代金を円滑に回収し得るように、酒類販売業までを免許制にしなければならない理由は、それほど強くないように思われる。販売代金の回収は、本来酒類製造者が自己の責任において、取引先の選択や、取引条件、特に代金の決済条件を工夫することによって対処すべきものである。また、わが国においても、昭和一三年にこの制度が導入されるまでは、免許制は酒類製造についてのみ採られていたものであり、揮発油税等の他の間接税の場合に、販売業について免許制を採った例を知らないのである。

 もっとも、この制度が導入された当時においては、酒税が国税全体に占める割合が高く、また酒類の販売代金に占める酒税の割合も大きかったことは、多数意見の説示するとおりであるし、当時の厳しい財政事情の下に、税収確保の見地からこのような制度を採用したことは、それなりの必要性と合理性があったということもできよう。しかし、その後四〇年近くを経過し、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下するに至ったという事情があり、社会経済状態にも大きな変動があった本件処分時において(今日においては、立法時との状況のかい離はより大きくなっている。)、税収確保上は多少の効果があるとしても、このような制度をなお維持すべき必要性と合理性が存したといえるであろうか。むしろ、酒類販売業の免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことからすれば、私には、憲法二二条一項の職業選択の自由を制約してまで酒類販売業の免許(許可)制を維持することが必要であるとも、合理的であるとも思われない。そして、職業選択の自由を尊重して酒類販売業の免許(許可)制を廃することが、酒類製造者、酒類消費者のいずれに対しても、取引先選択の機会の拡大にみちを開くものであり、特に、意欲的な新規参入者が酒類販売に加わることによって、酒類消費者が享受し得る利便、経済的利益は甚だ大きいものであろうことに思いを致すと、酒類販売業を免許(許可)制にしていることの弊害は看過できないものであるといわねばならない。

 本件のような規制措置の合意性の判断に際しては、立法府の政策的、技術的な裁量を尊重すべきであるのは裁判所の持すべき態度であるが、そのことを基本としつつも、酒類販売業を免許(許可)制にしている立法府の判断は合理的裁量の範囲を逸脱していると結論せざるを得ないのであり、私は、酒税法九条は、憲法二二条一項に違背するものと考える。

(引用終了)

 

 このようにみると、両意見の違憲審査基準は同じであり、あてはめにおいて結論を異にしている。

 反対意見は立法裁量を肯定しつつも、その裁量に濫用・逸脱があると考えている。

 

 

 では、本問の場合はどうだろうか。

 本問の権利の制限を「教育の自由の制限」としてとらえた場合、酒税法判決の基準を用いている。

 その一方、本問問題文中には既得権に関する言及はない。

 とすれば、本問の規制を既得権擁護のものと決めつけて違憲に引っ張るのは積極ミスにあたるのではないかと考えられる。

 もちろん、反対利益への配慮として言及することができるとしても。

 

 あと、法科大学院をめぐるドタバタを見た現在から考えると、新規参入障壁を広く開放することが果たしていいことなのか、よく分からない

 もちろん、一長一短だから、よくわからなくて当然であるとしても。

 勉強時代に見たこの過去問に対する答案例、または、違憲の結論に対する違和感については、この辺りも理由の一つになっている。

 

 

 以上、本問について色々とみてきた。

 本問についてはこの辺で終わりとしたい。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 16

 今回はこのシリーズの続き。

 

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『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

16 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第3節」を読む(中編)

 前編では中国の刺客についてみてきた。

 司馬遷が『史記』で示した中国の刺客たち、彼らは欧米の暗殺者と異なる点が多い。

 今回は刺客となった中国人、また、これらを尊敬する中国人の背後にある考え方についてみていく。

 

 

 刺客になった人たちの背後にあった考え、それは「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」になる。

 つまり、刺客たちは自己の名前を歴史に刻むために刺客となった。

 

 この点、彼らの目的から見た場合、「刺客になる」という選択肢は不合理に見える。

 というのも、「名を刻みたいのであれば他に手段があるだろう」という疑問が思い浮かぶからである。

 努力して政治家になる、軍人になる、商人になる、などなど。

 この点、身分のあるこの時代に努力ごときでできることなど限られているのではないかと考えられるのだが、それはさておき。

 しかし、彼らが望んだものはただの名誉欲ではない。

「男子たるもの、かく生きるべし」、その模範を示して歴史に名を刻むことこそ彼らの目的である。

 自分は壮士として生き、また、自分の名前は壮士として永遠に語り継がれる。

 そのような目的が達成できるなら自分の生命や現世での栄華など必要ない。

 かくして、聶政や荊軻は刺客となったのである。

 事実、刺客列伝に掲載された聶政、荊軻、そして、豫譲の名は今でも語り継がれている。

 漢民族が滅びるまで、あるいは、人類が滅ぶまでこれは続くであろう。

 このことから、中国では「歴史」の重みは強いことになる

 

 

 さて、この「死んで歴史に名を残すことができれば、この世の幸福や命は惜しくない」という感覚。

 この「現世の幸福や命にこだわらない」点は宗教に通じるものがある。

 

 例えば、キリスト教イスラム教では、最後の審判の後に救済が訪れると考える。

 そして、「その救済を得るためには現世の幸福などにこだわるな」と説く。

 また、仏教では、苦をもたらす因果のくびきから逃れ、「涅槃」に至ることで救済される、と述べる。

 そして、「『涅槃』に至るためには、現世の幸福を振り捨て、出家せよ」と釈迦は言った。

 

 中国の「歴史教」も似た構造がある。

 キリスト教イスラム教では最後の審判によって救済された人間が永遠の命が与えられる。

 それに対して、中国では歴史の中に名を刻むことで永遠の命を得る。

 中国の刺客たちはそのために命を捨てたことになる。

 この点を示しているのが、刺客列伝に記された「豫譲」の物語である。

 

 豫譲には自分を国士として扱った智伯という主君がいた。

 この主君が趙襄子に討たれた。

 そこで、豫譲は主君の仇を討つため趙襄子の暗殺を考える。

 しかし、一回目の暗殺は失敗する。

 趙襄子の側近は豫譲の処刑を進言するが、趙襄子は豫譲の忠誠心を惜しんだのか、彼を釈放する。

 しかし、豫譲は趙襄子の暗殺をあきらめなかった。

 豫譲は趙襄子を暗殺するために、ハンセン病(20世紀まで不治の病とされていた)を患ったかのように装った。

 さらに、自分の声が出ないようにし、さらには、ぼろぼろの物乞いの振りをした。

 これらの行為に対して、豫譲の友人は「あんたは優秀なんだから、そんな振りをしなくても、趙襄子に仕えて暗殺のチャンスを探せばいいではないか」と忠告する。

 まあ、普通の忠告である。

 しかし、豫譲は「趙襄子に仕えて暗殺したら、家来が自分を主君を殺すことになってしまう。それでは、後世の模範にならないではないか」と答えたと言われている。

 この豫譲の姿勢、宗教と求道者と大差ないと言っても差し支えないであろう。

 

 

 さて、中国の「歴史教」という言葉を見て、違和感を持つ人がいるかもしれない。

 中国の宗教は儒教ではないのか、儒教はどこへ行ったのか、と。

 

 著者(小室直樹先生)によると、中国の歴史教は儒教を補完するものとして機能するという。

 つまり、儒教は集団救済を目的とし、個人の救済は基本的に考えない

 聖人が理想的な政治を行えば、集団が救済され、その救済に個人が与るという形をとる。

 このことは孔子のエピソードからもわかる。

 

 とすれば、儒教の教えに従って、親に孝を尽くした者、あるいは、君に忠義を尽くした者たちを、天は救わないことになる。

 しかし、天の代わりに歴史が彼らを救済することになる。

 そして、この「歴史による救済の確信」が刺客たちの根底にあった

 だからこそ、彼ら刺客たちは生還かなわぬ暗殺を実行したと言える。

 

 この点、キリスト教の歴史にはたくさんの殉教者がいる。

 例えば、ローマ皇帝のネロはキリスト教徒を火刑に処した。

 しかし、彼らは死をおそれなかった。

 彼らにも「救済の確信」があったからである。

 クリスチャンは神による救済、刺客は歴史による救済という違いはあれ、救済の確信があったことは間違いない。

 こうやってみると、刺客たちは中国の歴史教の殉教者だったと言える

 

 

 ところで。

 司馬遷の刺客の話は昔の話であって、現代の話ではないと考えるかもしれない。

 しかし、この発想は南宋末期の時代にもあったことがわかる

 そのことを示すのが、南宋の忠臣・文天祥である。

 文天祥の話はここでも触れており、日本の思想、特に、天皇教と大きくかかわっている。

 一部、重複があるかもしれないがご容赦願う。

 

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 宋の時代、中国は文化的・経済的にに大いに成熟した。

 しかし、文化・経済の重点を置きすぎたせいか、文官を重用しすぎたせいか、軍事力はふるわなかった。

 そのため、宋は北方の国々の侵略に悩まされることになる。

 この点、11世紀の間は、遼や西夏に対しては財貨を送ってなんとかしていた(いわゆる澶淵の盟や慶暦の和約)。

 しかし、12世紀にはいると、金によって北方を占領され、宋は南に追いやられてしまう。

 これがいわゆる「南宋」である。

 

 ところが、その後、金を滅亡させたモンゴル帝国がやってきて、南宋は窮地に立たされる。

 これに対して、南宋の皇帝は勤王の士を募る詔を発するが、応募する人間さえ現れない。

 しかし、そこに文天祥という例外が現れる。

 

 

 まあ、応募する人間が現れないことからわかる通り、南宋の劣勢は明白であった。

 文天祥の奮戦むなしく、彼は囚われの身になる。

 元の皇帝フビライは好条件で文天祥を仕官させようとするが、文天祥はこれを拒否する。

 獄につながれること3年、フビライは惜しみながらも文天祥を処刑することとなる。

 

 なお、ここであっさり「拒否する」と書いたが、これはすごいことである。

 臣下の礼をとって仕官すれば、この世での栄華が待っていたであろう。

 モンゴル帝国は耶律楚材など異国の人間を重用した例が少なくない。

 他方、拒否すれば、その場で首を切られてもおかしくないのだから。

 

 ところで、獄につながれたときの文天祥の心境を現した彼の詩がある。

 それは「人生古自り 誰か死無からん 丹心を留取して 汗青を照らさん」(『零丁洋を過ぐ』の最後の部分より)というもの。

 意訳するなら「人はいずれ死ぬ、死ぬなら我が真心を歴史に残して後世の模範になってやろうではないかっ」(私釈三国志風意訳)といったところであろうか。

 ここにも、中国の「歴史教」を見ることができる。

 

 

 この文天祥の逸話と司馬遷の「刺客列伝」を合わせてみることで、中国の「歴史が個人を救済する」という歴史教の構造が見えてくる。

 もちろん、その一方で「政治が集団が救済する」という儒教があるわけだが。

 そして、歴史教をこのようにみることで、歴史は一神教における神であり、刺客は歴史教の殉教者である

 そして、史家は歴史(神)が掲示するものを示す人間であり、啓典宗教における「預言者」の役割を果たしている

 それゆえ、司馬遷は刺客の記録を遺す義務があった、ということになる。

 

 ところで、文天祥の遺したもので、幕末の日本で著名となったものとして「正気の歌」というものがある。

 

ja.wikisource.org

 

 ここで文天祥は中国の歴史に現れた代表的な人物を挙げていく。

 該当する部分を引用しよう。

 

(以下、上記リンクから引用、強調は私の手による)

 在齊太史簡 在晉董狐筆

 在秦張良椎 在漢蘇武節

 爲嚴將軍頭 爲嵆侍中血

 爲張睢陽齒 爲顏常山舌

 或爲遼東帽 淸操厲冰雪

 或爲出師表 鬼神泣壯烈

 或爲渡江楫 慷慨呑胡羯

 或爲撃賊笏 逆豎頭破裂

(引用終了)

 

 最初に登場するのが、「在齊太史簡」つまり、斉の国の史官のトップの話である。

 斉の大臣・崔杼は自分の君主荘公を殺してしまう。

 まあ、当時、この荘公は崔杼のおかげで君主になれたという事情があるだが。

 

 このとき、斉の太史は「崔杼、その君を弑す」と記録に残した

 この行為が時の権力者となった崔杼の怒りを買わないわけがない。

 この太史は直ちに殺された。

 しかし、この太史を継いだ彼の弟が「崔杼、その君を弑す」を記録に残した。

 そこで、この弟も崔杼に殺される。

 しかし、弟の後を継いだ太史も「崔杼、その君を弑す」を記録に残した。

 さすがに、崔杼もあきらめてこれを許した。

(本書では、本人と弟二人の合計3人が殺されたと書かれているが、原典を見る限り殺されたのは二人になっているので、ここでは二人としておく)

 なお、太史の兄弟が殺されたと知って、別の史官は「崔杼、その君を弑す」と書いて駆けつけたというおまけまでついている。

 ともあれ、このおかげで「崔杼の不忠」は歴史に残っているわけだが。

 

 ちなみに、次に登場する董狐も晋の史家である。

 彼は晋の国史に「趙盾、その君(霊公)を弑す」と記録を遺す。

 まあ、趙盾は霊公から殺されるところを間一髪で逃れ、逃れている間に霊公は殺されたのであって、直接手を下したわけでもないため、「弑す」というのは少し酷な気がするが。

(なお、本書の296ページでは「斉の大臣・崔杼(さいじょ)は、君主たる荘公(そうこう)が弑される(殺される)のを放置した」との記載が296ページにあるが、これは趙盾と取り違えたものと思われる、細かいことであるが記載しておく)

 

ja.wikipedia.org

 

 

 以上を見ればわかる通り、中国における歴史家はただのオタクやマニアではない。

 歴史の重さ・歴史に殉じる覚悟なければ史家にはなれない。

 このことを歴史が教えてくれる。

 そして、史家の姿は啓典宗教の預言者に通じるものがある

 

 

 ところで、この刺客を歴史に刻むという発想、このような発想はアメリカやヨーロッパにはない

 例えば、ジュリアス・シーザーを暗殺したブルータスを讃える箇所が歴史書にあるか。

 あるいは、『ローマ帝国衰亡史』に皇帝暗殺者列伝があるか。

 アメリカ史にリンカーンの暗殺者の半生が紹介されているか?

 そんなことはない。

 

 そして、これが文化の違いである。

 ヨーロッパやアメリカと異なり、中国では「歴史を普遍・不変のもの」と考える。

 それを示すのが、唐の皇帝・太宗が語った次の言葉である。

 

(以下、本書にある『貞観政要』の仁賢篇から引用)

 それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。古をもって鏡となせば、もって興替を知るべし

(引用終了)

 

 つまり、「(自然科学法則と同様)歴史の法則は古今東西を通じて一貫している」ということである。

 ならば、「歴史は繰り返す。一度目が悲劇で、二番目が茶番かさておいて」ということになり、「現在を知り、未来を予測するためには歴史ほど役に立つものはない」ということになる。

 

 

 以上、中国の歴史教と歴史観についてみてきた。

 ここから話はアメリカ・ヨーロッパの歴史観に移るが、きりがいいので、今回はこの辺で。

司法試験の過去問を見直す5 その6

 今回はこのシリーズの続き。

 

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 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

10 酒税法判決の基準を用いた場合のあてはめ

 ここまで、本問で制限されている憲法上の権利が営業の自由であると考えた場合についてみてきた。

 そして、前回は「厳格な合理性の基準」を用いたあてはめについて検討した。

 

 もっとも、他に考えられる違憲審査基準として、「教育の自由の制限」で考えた場合に用いた酒税法判決の基準がある。

 

昭和63年(行ツ)56号

平成4年12月15日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「酒税法判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/054281_hanrei.pdf

 

 酒税法判決で問題となったのは「許可制による営業の自由の制限」である。

 そして、権利の制約が強いことを認める一方で、財政・租税に関する事情が規制目的にあり、政府(立法・行政)の裁量が広いことを考慮して、明白性の原則よりも厳しい基準である「著しく不合理である場合に違憲」という基準を採用した。

 本問では、不認可事由の目的が教育に関する事情であり、政府・自治体の裁量が広くなるという点で酒税法判決と同様である。

 そこで、この基準を用いることは十分可能である。

 

 もちろん、この基準を用いる前提としていわゆる「合理性の基準」があることは言うまでもない。

 だから、この基準を採用する場合、「(相対化された)規制目的二分論による違憲審査基準の定立」の部分を差し替えることになる。

 つまり、「合理性の基準」を基本に規制態様と規制目的を考慮して具体的な審査基準を立てる、という点ではどちらも同じである。

 

 

 そして、あてはめについては「教育の自由」に対するあてはめと同様になる。

 したがって、この基準を用いた場合、結論は合憲になると考えられる。

 

 

 もっとも、営業の自由の制限を認定して、この基準を用いるとあてはめが充実せず、中身の薄い答案になるかもしれない

「答案政策上」という観点から考えると、営業の自由で考えるなら厳格な合理性の基準を採用して、充実したあてはめを展開した方がいいような気がする。

 あるいは、制限される権利が「教育に関する営業の自由」であって、憲法上の権利としての教育の自由について論じた上で、要保護性が通常の営業の自由よりも弱いことを認定するとか。

 ただ、それなら「教育の自由の制限」を軸に答案を書いたほうがいいだろうが。

 

 以上、本問に回答するために必要な知識の確認は終わった。

 ここからは、本問を見直して考えたことについてつらつら述べていく。

 

11 本問が問うていること

 私が司法試験の勉強をしていたころ、本問が何を問うているのかよくわからなかった。

 教育の自由について訊いているのか、あるいは、営業の自由について訊いているのか。

 

 しかし、今、振り返ってみると、この問題はもっと大きいフレームで訊いているような気がする(あくまで「気がする」であって、これ以外の正解がないと言うつもりはない)。

 つまり、「現実の複雑な事情に即して、憲法上の権利の制限を認定し、違憲審査基準を立てて、あてはめをして、結論を出す」という意味の違憲審査のフレームワークについて訊いているのではないか、と考えている。

 

 もちろん、いわゆる人権の問題(憲法第1問)でこのフレームワークに乗らないことは平等原則や政教分離といった問題を除けば原則としてない。

 しかし、人権の問題は「表現の自由について問う」といった形で問題がよりフォーカスされていることが多い。

 このことはこれまで扱った平成3年や平成8年の過去問を見ればわかる。

 これに対して、本問にはそういったものがない。

 

 そして、この仮説・推測を前提とすると、「営業の自由の制限の認定→合理性の基準の導出→厳格な合理性の基準による違憲審査基準の定立→充実したあてはめ」という答案は「問いに答えたことになるのかな」という疑問がある。

 この点、この答案でも書いてある内容が正確で、あてはめが丁寧でであれば、合格答案になりうると考えられる。

 それでなくても、いわゆる「守りの答案」として考えるならば十分なりうるだろう。

 しかし、「充実したあてはめ」という観点から見た場合、問題文に書かれた事情はあまりに少ない。

 なんか、本問を薬事法違憲判決に引き付けて答案にしている、薬事法違憲判決を振り回している、という感じが否めないのである。

 

 また、「本問は違憲審査基準の定立の部分までで勝負が決まるのかな」という感想を抱いた。

 教育の自由を軸に答案を考えた場合、「違憲審査基準の定立」までで考えるべきこと・書くべきことはたくさんある。

 教育の自由の認定・合理性の基準の導出・具体的な審査基準の定立、どれも大変である。

 ただ、それをこなしてしまえば、あてはめはそれほど重視しなくてもいいのかもしれない。

 もちろん、最低限のあてはめは必須であるし、酒税法判決の反対意見を参考にして違憲にもっていけばさらに加点する可能性があるとしても。

 

 

 以上、本問に回答するために必要な知識をみてきた。

 本問を通じてつらつら考えたことは他にもあるが、分量(2000文字)を超えているので、残りは次回に。

司法試験の過去問を見直す5 その5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

9 厳格な合理性の基準を用いた場合のあてはめ

 まず、問題文を掲載する。

 出典はこれまでと同様である。

 

(以下、過去問の本文を引用、引用元は従前の通り)

 学校教育法等の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。

 学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事に対してその許可を申請した。

 X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間の過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため、教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

 この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 また、ここでの「あてはめ」は以上を前提とする。

 

・学校法人Aの制限された憲法上の権利は「営業の自由」である

違憲審査基準は、憲法上の権利の制限の程度が大きいこと、規制目的が主として消極目的規制であることなどを考慮し、「厳格な合理性の基準(目的が重要で、かつ、手段が目的との関係で実質的関連性を有する場合に合憲)」を用いる

 

 

 まず、不認可処分の目的、そして、その手段を具体的にみると、次のようになる。

 

・処分の目的=「教育水準の低下の防止」と「(休廃園の防止による)幼児とその親の選択の幅の確保」

・具体的な処分=不認可処分(教育による営業の全面的制限)

 

 

 この点、規制目的についてみていく。

 まず、幼児の未熟性を考慮すれば、幼稚園における教育水準の低下は幼児の学習権に対する侵害に直結しかねないものである。

 また、幼稚園の選択の幅の確保・維持することは、幼児の学習権の実効化に寄与し、また、親の教育の自由を実効化させるために役に立つ。

 そして、学習権は憲法26条により保障されるし、親の子供に対する教育の自由も学習権を実質化させるためのものとして憲法上の保護を受ける。

 よって、目的は公共の利益を実現するために重要なものであるといえる

 

 

 では、手段についてはどうだろうか。

 厳格な合理性の基準を用いる以上、手段の合理性は合理的関連性(形式的・抽象的な結びつき)の有無ではなく、実質的関連性、または、相当性の有無で判断することになる。

 

 この点、幼稚園の新設により需要サイドの当事者が増えることを考慮すれば、また、平成12年の当時においても少子化の進行が著しいことを考慮すれば、認可処分によって競争がより激化することは明らかである。

 その結果、個々、または、全体のの幼稚園の経営基盤が悪化する可能性は高い。

 そして、経営基盤が悪化すれば、教育水準の確保の低下が生じる可能性がある。

 また、経営悪化による撤退などにより休廃園が生じ、幼児とその親の幼稚園の選択の幅が狭まる可能性もある。

 このことを考慮すれば、不認可処分とその目的との間に合理的関連性がないということはできない。

 

 他方、発生する危険は「おそれ」でしかない

「明らかに教育の質が下がる」とか「明らかに選択の幅が狭まる」といった主張はしていない。

 さらに言うと、具体的な「蓋然性がある」といった主張でもない。

 需要サイドを増やせば競争の激化は明白なのに。

 

 そりゃそうだろう。

 競争により、切磋琢磨が生じ、教育の質が向上する可能性もあるのだから。

 あるいは、質の劣る幼稚園の休園・廃園によって需要サイドが入れ替わり、その結果として、教育の多様性が確保されるといったこともありうるのだから。

 

 この辺を考慮すると、X県知事の主張はちょっと弱くないか、という疑問が思い浮かぶ。

 

 

 ここで参考になるのが、最高裁判所薬事法違憲判決において述べている事実認定と事実評価である。

 この点、最高裁判所は薬局の距離制限(適正配置基準)について次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決より引用、セッション番号は省略して、それぞれ注で説明、また、文章ごとに改行、さらに、強調は私の手による、あと、本問と関係のない部分は省略)

四 適正配置規制の合憲性について。

(私の注、ここから「(一)」が始まる)

 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところ(私による注、これは「一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進すること」を指す)にあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。

 問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。

(私の注、ここから「(二)」が始まる)

 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。

 しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。

(私の注、ここから「(1)」が始まる)

 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。

(私の注、ここから「(2)」が始まる)

 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。

 そこで検討するのに、

(私の注、ここから「(イ)」が始まる)

 まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている

 そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。

 これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。

 もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。

 しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである

(私の注、ここから「(ロ)」が始まる)

 ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。

 被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。

 確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。

 しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである

 被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。

 殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。

 このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない

 なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。

(私の注、ここから「(ハ)」となる)

 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある

 この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。

 このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである

(私の注、ここから「(ニ)」・「(ホ)」があるが、この部分は省略)

(私の注、ここから「(ヘ)」が始まる)

 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。

(私の注、ここから「(3)」が始まるが、関連性が乏しいので省略)

(引用終了)

 

 少々長いので、まとめてみよう。

 

 結論から述べると、「被上告人(国)の「『薬局の偏在』から『不良医薬品の供給による国民の生命・身体・健康に対する危険の発生」という主張は、観念的なものに過ぎず、合理的な根拠に基づくものではない。また、代替手段によって目的も達成できる。(以上より、合理的な制限とは言えず、違憲)」となる。

 その理由として、「薬局が不良品を売れば、罰則や免許取り消しといった制裁が科されるところ、薬局がその制裁をものともせずに違法行為に手を染めることは考えにくいこと」・「薬局に対しては行政の監督が及び、立入検査権などの強力な手段もあること」・「本件の規制が必要になっている主原因は薬局ではなく、現金問屋やマーケットの展開や製薬会社の販売合戦などによることなども否定できないこと」・「監視手段を実効化する方法も十分あることなど」を挙げている。

 

 

 この最高裁判所の判決を比較しながら、本問を見てみよう。

 この点、薬事法違憲判決では規制を必要とする背景の原因は薬局以外、例えば、製薬会社やスーパーマーケットにも存在し、薬局のみに存在するわけではない旨述べている。

 これに対して、幼児教育の主体は幼稚園である

 とすると、薬事法違憲判決と比較すれば、不認可処分と処分目的との関連性はより強くなると言えそうである。

 しかし、結びつきが強いとしても、予見している害悪発生の可能性がそれほど高くない、という点は薬事法違憲判決ど同様である

 また、教育水準を満たさない結果、幼稚園が休廃園に追い込まれることは、幼児と親の選択の幅を制限することにつながらない。

 さらに、競争による教育水準の向上の可能性もなくはない。

 とすると、当該不認可処分は不認可処分の理由の実現に対して有効とまでは言えない、といえる。

 なお、本問のX県知事の主張にどこまでの合理的根拠が付されているかは不明であるが、「あれば問題文中に書かれているだろう」という点を考慮すると、「ない」と考えたほうがいいように思われる。

 例えば、合理的な裏付けがあるのであれば、「過去の事例から」といった文言があると思われる。

 

 次に、確かに、幼稚園に対する監督の程度は薬局ほど強くはない。

 しかし、学校法人に対する自治体の監督は学校教育法14条による勧告・命令によって可能であり、また、それに従わない場合は、学校教育法13条によって学校の閉鎖を命じることができ、学校の閉鎖を無視して教育を強行すれば学校教育法143条による刑事罰が待っている。

 となると、教育水準の低下に対する事後的介入は可能である、と言える。

 つまり、認可処分を下したうえで、これらの手段を使って教育水準の維持を図ることが十分可能であると考えられ、それを不可能と考える理由はこれまた「とりあえずない」ということになる。

 その一方で、X県知事の不認可処分はA学校法人の幼児教育の機会を全面的に奪うという強力なものである。

 とすれば、当該不認可処分は適切な手段と言えない、ということになる。

 

 したがって、厳格な合理性の基準に従えば、本問不認可処分は目的の重要性(合理性)は是認されるとしても、手段が目的との関係で有効・適切とは言えず、実質的関連性は認められない、ということになる。

 以上より、結論は違憲、になる。

 少なくても、「過去のケースなどから合理的に考えて教育水準の低下が発生する」とか「過去の事例から考慮すると、事後的介入では間に合わない」といった事情がない限り、合憲にもっていくのは厳しいのかなあ、と考えられる。

 

 

 以上、営業の自由から見た場合の検討をし、一つの結論を導いてみた。

 ただ、規制目的二分論によらないで違憲審査基準を組み立てる発想もあり、また、関連判例もある。

 それらを用いたらどうなるか、それについては次回以降でみていく。

司法試験の過去問を見直す5 その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

 前回はこの問題を「教育の自由」という観点から検討した。

 今回はこの問題を「営業の自由」という観点から検討する。

 

7 経済的自由に対する制約、いわゆる「二重の基準論」

 本問のが学校法人Aの制限された自由を「営業の自由」と考えた場合、不認可処分が憲法上の権利の制約に該当しうることは前回までに述べたとおりである。

 この点は「教育の自由」から見た場合と比較すれば、容易に認定できる。

 もちろん、認定できることの確認・営業の自由の憲法上の保障について簡単に触れる必要があるとしても。

 

 

 このことから、営業の自由から考える場合、重要になるのはいわゆる「正当化」の部分になる

 つまり、違憲審査基準の定立とあてはめである。

 当然だが、営業の自由も絶対無制限ではない。

 さらに言えば、営業の自由を含む経済的自由に対してはいわゆる12条・13条の「公共の福祉」による制約だけではなく、22条1項の「公共の福祉」による制約も受ける。

 そこで、本件不認可処分が「公共の福祉」による制約といいうるか。

 まず、第一段階として営業の自由に対する違憲審査基準が問題になる。

 

 ここから、違憲審査基準の定立にまつわる話についてみていく。

 最初に、前提知識となる「二重の基準論」と「規制目的二分論」についてみておく。

 

 

「二重の基準論」とは何か。

 いわゆる二重の基準論は「経済的自由に対する違憲審査基準は合憲性の推定が及ぶ合理性の基準のような緩やかな基準を採用し、精神的自由に対する違憲審査基準については厳格な基準を用いる」といったものである。

 

 では、「二重の基準論」を採用する根拠は何か。

 まず、形式的根拠、つまり、憲法の条文上の根拠は憲法22条1項や29条2項にある「公共の福祉」である。

 この点、「公共の福祉」という12条や13条と同じ文言が使われているが、22条1条や29条2項にわざわざ「公共の福祉」という文言を挿入している以上、経済的自由や財産権には他の自由とは異なる制約が予定されていると考えるのである。

 また、実質的根拠を考えると、経済政策や社会福祉政策を考える際には政策判断の要素が重くなる関係で、裁判所は国会や内閣といった政治部門の判断を尊重する必要があること、がある。

 さらに、経済的自由の制約についてその判断に誤りがある場合、政治過程での是正が可能、かつ、有益という事情もある

 これらの事情は、精神的自由、特に、政治的表現の自由にはない事情である。

 

 この辺について、最高裁判所はいわゆる薬事法違憲判決で次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。

(引用終了)

 

昭和43年(行ツ)120号

昭和50年4月30日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「薬事法違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

 

 最高裁判所はこの判決で「経済的自由の制約については政治部門に裁量があるので、その範囲には最高裁は突っ込まない。しかし、その裁量は常に同じではない」と述べている。

 このことから、いわゆる「合理性の基準」で判断するとしても、そのまま、あてはめに移るわけにはいかないようだ。

 そこで、この「合理性の基準」をさらに具体化する必要があるわけだが、そのための手段にいわゆる「規制目的二分論」と言われるものである。

 次に、「規制目的二分論」について見ていく。

 

8 いわゆる「規制目的二分論」

 規制目的二分論とは何か。

 これは「規制目的によって違憲審査基準」を使い分ける、という考え方である。

 政治的表現の自由においては内容規制か内容中立規制かによって基準が変わった(このことを扱った過去問は次のリンクの通り)。

 その経済的自由バージョンと考えればいい。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 つまり、規制目的が経済活動がもたらす弊害を除去することにある場合、いわゆる消極目的規制の場合は厳格に判断する。

 逆に、社会政策(社会福祉政策)ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置、いわゆる積極手目的規制の場合には緩やかに判断する。

 これが規制目的二分論である。

 

 規制二分論の根拠は次のとおりである。

 つまり、積極目的規制においては、憲法社会福祉政策・経済政策を行うことを予定している(憲法25条以下)ところ、社会福祉政策・経済政策の政治的要素が極めて強く、裁判所は国会・内閣などの政治部門の判断を極めて尊重する必要がある一方、調査能力についても各分野に関する専門性を有する内閣・国政調査権憲法62条)を行使できる国会に比較して、裁判所の能力は国会・内閣には及ばないことが挙げられる。

 それに対して、消極目的規制においては、警察比例の法則に従うことになることから裁判所も積極目的規制との比較において判断が比較的容易であるも根拠の一つになる。

 

 

 まず、消極目的規制については最高裁判所は次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。

(引用終了)

 

 いわゆる「より緩やかな制限では目的を十分達成できない」というLRAを要求している。

 その意味で厳格な基準といいうる。

 

 他方、積極目的規制については最高裁判所はいわゆる小売市場距離制限事件で次のように述べている。

 

(以下、小売市場距離制限事件判決から引用、強調は私の手による)

 ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。

(引用終了)

 

昭和45年(あ)23号

昭和47年11月22日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「小売市場距離制限事件判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/995/050995_hanrei.pdf

 

 このように規制目的によって基準を分けている。

 ただ、内容中立規制と内容規制の境界が不明確であるという批判があったように、「規制目的二分論においても規制目的が併有している場合があるではないか」という批判が成り立つ。

 よって、規制目的だけで判別できない場合、規制態様を加味しながら基準を調整することになる。

 

 なお、最高裁判所は規制態様を考慮している。

 そのことを示しているのが、薬事法違憲判決の消極目的規制に対する前述の基準が示される部分の直前に書かれているこの部分である。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、(以下、上の引用に続く)

(引用終了)

 

 この点、「規制目的だけに着目し、規制態様には着目しない」という意味での規制目的二分論は妥当ではないだろう。

 しかし、規制目的と規制態様を見て基準を具体化するという発想は問題ないものと考える。

 いうなれば、「相対化された規制目的二分論」というべきであろうか。

 

9 本問における違憲審査基準

 以上の知識を前提に本問を見て、違憲審査基準を立ててみる。

 まず、問題文を確認しよう。

 

(以下、過去問の本文を引用、引用元は従前の通り)

 学校教育法等の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。

 学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事に対してその許可を申請した。

 X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間の過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため、教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

 この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 まず、X県知事の不認可処分はいわゆる「不許可処分」に準じて考えることになることから、営業の自由に対する全面的な制限である。

 このことは「教育の自由」で述べたことと変わりはない。

 よって、規制態様は強力ということになる。

 

 では、規制目的はどうだろうか。

 ちなみに、問題文にある「過当競争→経営基盤の不安定→教育水準の低下などの社会的害悪の発生するおそれの発生」という一連の流れは、薬事法距離制限事件と同様の主張である。

 そこで、薬事法違憲判決の関連部分を確認してみよう。

 

(以下、「薬事法違憲判決」より引用)

 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。

(引用終了)

 

 薬事法の距離制限の目的が消極目的と判断された背景には次の事情があるようである。

 

1、そもそも中小企業の保護を目的としているわけではない

2、薬局の経営に関しては、「職務の公共性+役務の提供方法などに関する厳格な規制+対価としての経営基盤の安定化という特権の付与」といった構造がない

 

 よって、本問の幼稚園の経営が薬局の経営と同様のことが言えるのであれば、薬事法違憲判決のロジックに従い、消極目的規制として厳格な合理性の基準を採用することができる。

  

 確かに、本問も最終目的は「入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれの防止」であって、経営基盤の不安定の防止といった事情は手段に過ぎない。

 しかし、薬の販売と比較すれば、幼児教育は「福祉」の要素が強く、その意味で「職務の公共性」に関する要素は薬局と異なる。

 また、役務の提供方法などに関する規制について見ると、幼児教育は「教育」に属する分野であることから、学校教育法と関連法令による細かい制約があり、この点も薬局と異なるように見える。

 というのも、今、学校教育法と関係法令を見たところ、同法25条には「幼稚園の教育課程その他の保育内容に関する事項は、第二十二条及び第二十三条の規定に従い、文部科学大臣が定める。」とあり、また、学校教育法施行規則の第38条には「幼稚園の教育課程その他の保育内容については、この章に定めるもののほか、教育課程その他の保育内容の基準として文部科学大臣が別に公示する幼稚園教育要領によるものとする。
」とあり、また、幼稚園教育要領にはこれまた細かい内容が定められているからである。

 そして、この厳格な規制を考慮すると、「対価としての独占的地位の付与による経営基盤確保」についても薬局の場合と異なることになる。

 よって、「規制目的は積極目的ではない」とまで断言することはできないかもしれない

 本問を解く際には、学校教育法の細かい規定は知る必要はなく、その点を考慮するならば、「消極目的規制」に傾くことはありうるとしても。

 

 

 以上、前提知識について確認した。

 そして、本問が教育分野に関する営業の制限である点を強調すれば、あるいは、薬局営業との違いを強調するのであれば、積極目的規制に引き付けて考えることになる。

 この場合、違憲審査基準はいわゆる「明白性の基準」を採用することになる

 そうなれば、「入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれの防止」という規制目的は一応の合理性があり、手段として不認可処分を採用することも幼稚園の新設がこのおそれを惹起する可能性がある以上は、著しく不合理であるとまでは言えない。

 よって、積極目的規制を採用した場合の結論は合憲となる。

 これは「教育の自由」の観点から見た場合の結論と同様である。

 

 これに対して、「幼児教育は義務教育それ自体ではないから、公共性はそれほど高くない」、「文部大臣の定めるの定めた基準(学校教育法25条)はそれほど厳格ではない」、「不認可処分は強力な制限である」という点を強調すれば、本問規制は消極目的規制となり、いわゆる厳格な合理性の基準を採用することになる。

 このブログでは敢えて後者を採用し、以下、あてはめについて考えてみる。

 

 

 ただ、ここまでで結構な分量になってしまった。

厳格な合理性の基準」を採用した場合のあてはめについては次回で。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 15

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

15 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第3節」を読む(前編)

 今回から第2章の第3節に進む。

 第2章の第3節のタイトルは、「『殉教』の世界史_イスラムのジハードと中国の刺客、その相似性」

 

 これまで、イスラム教について見るため、キリスト教ユダヤ教についてみていくことが多かった。

 しかし、この節では中国における「救済」についてもみていく。

 中国における「救済」がイスラム教の理解に役に立つからである。

 

 

 これまで、キリスト教イスラム教についてみてきた。

 両者は同じ啓典宗教であるが、異なる点が多い。

 両者の特徴をまとめると次のようになる。

 

キリスト教_信仰を重視・基本的に予定説

イスラム教_信仰と規範の双方重視・宿命論的予定説

 

 このことから、キリスト教イスラム教の隔たりは非常に大きいことがわかる。

 このことから、相手と妥協する、または、相手を打倒するためにも相手の理解は重要になる。

 このことは、孫子』の「彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず」という言葉を持ち出さずとも明らかである。

 

 ところで、2001年のセプテンバー・イレブン

 当時のブッシュ大統領の言動を見ていると、キリスト教徒の発想でしか物事を見ていないように推測される。

 周囲にいる、あるいは、アメリカにいるイスラム教やイスラム社会の研究者から何かを教えてもらった、といった形跡がない。

 これでは、イスラム社会を理解するのは無理というしかない

 まあ、最後まで相手を理解する気がなく、相手を一方的に蹂躙する気しかないならば、それでいいのかもしれないが。

 

 このことを裏付けているのが、実行犯たちのことを「ならず者」とか「狂信者」と述べている点である。

 この点はブッシュ政権に限った話ではない。

 アメリカのマスメディアについても同様のようである。

 もちろん、キリスト教徒やアメリカ・ヨーロッパの発想に立った場合、「自分の命を捨てて旅客機を乗っ取り、軍事施設でもないビルに突っ込んでテロを実行する」ような人間は「まともではない」と考える。

 よって、アメリカ人の目から見て「狂信者」・「ならず者」と判断したことは必ずしも不当というわけではない。

 

 確かに、体当たりに利用した旅客機は軍用機ではない。

 また、体当たりしたビルも軍事施設ではない。

 そして、ビルで働いていた人間は民間人であり、具体的な罪もない。

 よって、これを無差別に殺してしまえばテロになる。

 

 

 さらに、アメリカの基準に従えば、このような行為に出た人間は「狂信者」となる

 このことは、J・F・ケネディリンカーン大統領などの暗殺者に対する評価を見ればわかる。

 その意味で、アメリカではテロや政治的な暗殺に対して非常に厳しい判断を下す。

 賛美をすることはもちろん、同情することすら許されない、といってもよい。

 その厳しさは日本の「空気」に支配された状況に劣るものではない。

 

 しかし、この基準は世界共通ではない

 理性的判断に基づいてテロや暗殺を行うことがありうる。

 また、やむに已まれぬ場合など例外的な場合には暗殺者が尊敬される文化もある

 残念ながら、アメリカの上記反応を見ると、アメリカにはその認識がないようである。

 これに同調しているヨーロッパや一部のアメリカかぶれした日本人も。

 

 なお、本書に書いていないことを追加して書くと、「狂信者扱いするか否か」という点と「実行者を厳罰にすべきか」という問題はストレートに関係しない

「狂信者ではないが、厳罰に処する」という選択があることはちゃんと認識しておくべきである。

 

 

 さて。

 世界にはやむに已まれぬ場合など例外的な場合には暗殺者が尊敬される文化がある。

 その具体例がイスラム社会である。

 イスラム社会では政治家の暗殺はよく行われていた。

 また、暗殺教団として恐れられていた集団もあった。

 このことは、イスラム社会においてはテロや暗殺を善と考える、あるいは、例外的な場合に善と考えるといった思想があったことを十二分に推認させるであろう。

 

 もっとも、同様の思想を持つ文化は中国にもある

 そのことが端的に示されているのが、中国の太史公・司馬遷の書いた『史記』である。

 後世において最高の史書と呼ばれた『史記』、ここには「暗殺者賛歌」がある。

 つまり、史記』の中に暗殺者を讃えるための章が存在する

 その章は『刺客列伝』と言われている。

 

 

 このことから、暗殺者・刺客に対する扱いが万国共通ではないことがわかる

 アメリカやヨーロッパでは犯罪者・異常者扱いされるのに対して、中国の場合、讃えるべき人として歴史書に名が残るのだから。

 この点、『史記』は「人を基準にして歴史を記す」という形式、つまり、紀伝体で書かれた文章である。

 そして、『史記』では、皇帝・天子の伝記である「本紀」があり、次に、天子・皇帝に仕える諸侯を扱う『世家』があり、さらに、臣下の伝記としての「列伝」に続く。

 この形式を作り出したのはもちろん司馬遷である。

 もちろん、一般人がこの「列伝」に掲載されることは大変な栄誉となる

 実際、名丞相や大将軍クラスでない限り、列伝にリストアップされないのだから。

 また、韓非子孟子でさえ司馬遷は単独の列伝を立てていないのだから。

 

 司馬遷はこの列伝に「刺客列伝」という章を設け、6人の刺客(暗殺者)の生涯を記した。

 ちなみに、「刺客列伝」の位置を見ると、『史記』にある70の列伝の26番目、前後にあるのが「呂不韋列伝」と「李斯列伝」である。

 呂不韋と李斯はいずれも秦の政王(後の始皇帝)に仕えた丞相である。

 もちろん、司馬遷は適当にこの場所に放り込んだのではなく、それなりの意図があった。

 そのことは司馬遷の友人の言葉を借りて記した次の言葉からもわかる。

 

(以下、本書にある刺客列伝の巻末の記載を引用)

『ここに掲げた刺客は、ある者はそれに成功し、ある者は成功しなかった。しかし、いずれも一度、志に決めたことを守りとおした。彼らの名は後世に残った。彼らの行為はけっして無意味ではなかったのだ』

(引用終了)

 

 このことから、司馬遷は、刺客(暗殺者)はただの犯罪者ではないこと、まして異常者でもないこと、それどころかその行為は賛美に値すること、そして、「後世に名を残すべき存在」であると考えていたことになる。

 

 

 では、司馬遷は刺客(暗殺者)のどこを賛美しているのか。

 その際に、気を付けなければならないのが、欧米の暗殺者と中国の刺客の違いである。

 

 この点、欧米の暗殺者と中国の刺客はその性質が大きく異なる。

 欧米の暗殺者のタイプは、大きく二つのタイプに分類される。

 一つは、邪魔な政敵を排除するために自分の命を捨てて邪魔者を排除するタイプ

 アメリカ人がいうところのいわゆる「狂信者」である。

 そして、もう一つが依頼人と契約を結んで報酬を受け取って暗殺を実行するプロの殺し屋である

 このタイプは営利目的があるので、自己の生還を前提に行動する。

 生還しなければ報酬をもらって暗殺する意味がないからである。

 

 このように、欧米の暗殺者はいずれのタイプであれ自己の利益のために行動する

 プロの場合は報酬のために暗殺し、アマチュアの場合は死後ではあるが自分の望みを果たすために暗殺する。

 

 これに対して、中国の『史記』刺客は欧米でいうところの「自己の利益」の為に暗殺を実行しない。

 刺客列伝に登場する人物で「刺客中の刺客」として尊敬される人物に聶政という男がいる。

 この聶政と荊軻は刺客の中で特に有名である。

 

 この聶政はターゲットである韓の大臣・侠累を暗殺したが、現場からの帰還がかなわず、自殺した。

 また、韓は刺客(聶政)の身元が分からず、死体を公開して身元を求めた。

 そして、刺客の死体を見た聶政の姉は、刺客が聶政であることがわかり、「この男は私の弟で聶政である」と述べ、周囲の人の「そんなことを言ったら、あなたにも危難が及ぶ。だから、言わないほうがいい」という静止に対して、「私が言わなければ、弟の名は埋もれてしまう。それでは弟がかわいそうすぎる。名乗った以上は覚悟している」という趣旨のことを述べ、その場で自決した、と言われている。

 人々は聶政だけでなく、その姉の立派さを讃えたといわれている(だからこそ、史記にはこのエピソードが掲載されている)。

 

 このように姉弟ともに名を挙げたわけだが、ここで一つ確認しなければならないことがある。

 それは、聶政が侠累に対して会ったこともなければ、恨みすらなかった

 というのも、聶政は斉の国の人間であり、韓はよその国である。

 つまり、聶政に侠累を暗殺するメリットはない。

 また、聶政には生還を期すことができなかったのだから報酬もない

 そんな状況で、聶政はなぜ自らの命を捨てて刺客となったのか。

 それは、厳遂という男に頼まれたからである。

 つまり、代理殺人ということになる。

 

 もっとも、この代理殺人による報酬がない。

 また、聶政と厳遂は長年親しい関係にあったわけでもない。

 さらに、聶政は厳遂に対して恩があったわけでもない。

 キリスト教、つまり、アメリカやヨーロッパの価値観で考えれば、こんな状況で暗殺を引き受けた聶政は常軌を逸したクレイジーな人間ということになるであろう。

 もちろん、このことは荊軻を含む他の刺客についてもいえる。

 例えば、荊軻は刺客となってターゲットの秦の政王(後の始皇帝)を暗殺するために燕を出発する際、次の詩を遺している。

 

 風蕭蕭として易水寒く 壮士ひとたび去って復た還らず

 

 私釈三国志風に意訳すれば、「冷たい水、厳しい風の中、私は刺客として旅に出るぜ。ま、二度と戻ることのないけどねっ」といったところだろうか。

 キリスト教アメリカ・ヨーロッパの感覚から見た場合、この生還を想定しないスタンスは常軌を逸したものに見える。

 しかし、中国では聶政と荊軻は刺客の鑑として名を後世に残している

 

 では、後世に名を残った背景には何があったのか。

 この背景を知ることでイスラム社会の暗殺やテロの位置をも理解することができる。

 

 

 本書では、聶政の物語が本文で、荊軻の物語はコラムで紹介されている。

 聶政の物語の概略を示すと次の通りになる。

 

 聶政は斉の国で姉や母とひっそりと暮らしていた

 というのも、昔、聶政は郷里で人を殺めてしまい、仇を避ける必要があったからである。

 その聶政のところに韓の臣下であった厳遂という男が訪ねてきた。

 厳遂が聶政を訪ねた理由は韓の大臣・侠累を暗殺してもらうためである。

 厳遂にとって韓の大臣・侠累は不倶戴天の敵であった。

 その敵を暗殺するために、厳遂は勇敢な男と評判の聶政に暗殺を依頼しようとしたのである。

 しかし、聶政は厳遂に会おうとせず、厳遂は何度も門前払いを食らう

 もっとも、厳遂は門前払いにめげず、やがて、厳遂は聶政に面会することになる。

 その際、厳遂は「あなたのお母様に」と大金を聶政に差し出すのだが、聶政は「そんなものを受け取る謂れはない」と言って受け取らない

 これに対して、厳遂は訪問の意図を打ち明け、また、母親に対する贈り物の意図を告げる。

 しかし、聶政は老母に対する孝養を理由に依頼を断る。

 それを聴いた厳遂は礼を尽くして聶政の元から立ち去った

 その後、聶政の老母が死亡する。

 そして、三年間の喪が明けた聶政は厳遂の依頼を受けることにする。

 曰く、(以下、私釈三国志風意訳)「厳遂殿はいやしい庶民の私をわざわざ訪ね、礼を尽くしてくれた。非常に栄誉なことと感じております。以前は母への孝養を理由にお断りしましたが、その母はなくなり喪も明けました。かくなる上は、厳遂殿の依頼を受けることにします」と。

 かくして聶政は刺客になるのである。

 

 

 さて、聶政の心境を変えたものは何か。

 この点の理解こそ中国における刺客を理解するための重要なポイントとなる。

 

 この点、中国には「士は己を知る者の為に死す」という言葉がある

 士とは国士、つまり、天下第一等の人物を指す。

 つまり、この言葉を私釈三国志風に意訳するならば、「歴史で語られるような立派な人間はなぁ、自分を知り、自分に礼を尽くしてくれた人のために死ぬもんだぜっ」という感じになる。

 

 これに当てはまる事例に「三顧の礼」がある。

 後漢が衰退し、天下が乱れていたころ、漢の皇帝の子孫である劉備(玄徳)は庶民である諸葛亮孔明)の力を借りるために三度もその家を訪れた。

 孔明劉備の態度に感激し、劉備とその息子劉禅(阿斗)に仕えて、その生涯を終えることになる。

 これも「士は己を知る者の為に死す」の一例である。

 

 厳遂の聶政に対する態度は劉備三顧の礼と同様に考えることができる。

 厳遂は聶政に対して礼を忘れなかった。

 また、聶政の母親に対しても礼を尽くした。

 さらに、聶政のつれない態度に全く怒らなかった。

 つまり、厳遂は聶政に対して国士として扱ったわけだ。

 

 もちろん、厳遂の行為の裏には「刺客になってもらう」という思惑があっただろう。

 あるいは、厳遂にとって聶政は刺客候補に過ぎなかった、ということもあるかもしれない。

 しかし、聶政にとって厳遂の意図は関係ない。

 

「(外形的に)貴人が自分に対して礼を尽くし、それに私が応える。その行為は『士は己を知る者の為に死す』にあたるので、私の行為は『義挙』として歴史に残る」

 

 このような展開が確信できたからこそ、聶政は刺客となり、帰らぬ人となった。

 厳遂の意図がどんなものかとは関係なく。

 

 

 以上、中国で著名な刺客の人生についてみてきた。

 ここから中国における「救済」についてみていく。

 

 ただ、結構な分量になってしまったので、今回はこの辺にしておく。

 続きは次回に。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 14

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

14 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(最終編)

 これまで、古代のイスラエルの民が生み出した概念である「奇蹟」と「預言者を取り上げた。

 また、古代のイスラエルの民の発想である「宗教の合理化」によって因果律」から「予定説」が生まれる過程についてもみてきた。

 以上を前提に、イスラム教の「救済」についてみてみる。

 

 

 既に見てきたように、イスラム教では信者であるムスリムに「六信」を求める。

「六信」における6つの内容は「神・天使・啓典・預言者・来世・天命」である。

 そして、ここでは6個目の「天命(カダル)」に注目する

 

 イスラム教でも天地の間に起きるすべてのことは神の意志によるものであり、この点について例外はないものと考える。

 このことは、クルアーンで何度も強調されている。

 なお、「クルアーンを和訳したもの」については次のサイトのものを利用させていただいている。

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

(以下、クルアーンの和訳の第16章の第40節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 本当に事を望む時それに対するわれの言葉は、唯それに「有れ」と言うだけで、つまりその通りになるのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 その意味では、アッラーイエス・キリストヤハウェと同様である。

 

 このことからイスラム教は予定説に立脚しているように見える。

 もちろん、クルアーンには予定説をにおわせる記述がそこかしこに出てくる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第16章第95節から引用、具体的なリンク先は引用後に記載、なお、強調は私の手による)

 もしアッラーが御好みならば、かれはあなたがたを一つのウンマになされたであろう。だがかれは、御望みの者を迷うに任せ、また御望みの者を導かれる。あなたがたは、行ったことに就いて、必ず問われるであろう。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

(以下、クルアーンの和訳の第87章の第1節から第4節まで引用、節番号は省略、節は改行で区別、具体的なリンク先は引用後に記載)

 至高の御方、あなたの主の御名を讃えなさい。

 かれは創造し、整え調和させる御方、

 またかれは、法を定めて導き、

 牧野を現わされる御方。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 一方、クルアーンにはいわゆる「善因楽果、悪因苦果」のようなことも書かれている。

 

(以下、クルアーンの和訳の第53章の第31節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 本当に天にあり地にある凡てのものは、アッラーの有である。だから悪行の徒には相応しい報いを与えられ、また善行の徒には最善のもので報われる。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 さらに、クルアーンには「大罪でなければ、神はお目こぼしすらありうる」といった表現さえある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第53章の第32節を引用、リンク先は上述のとおり)

 小さい誤ちは別として、大罪や破廉恥な行為を避ける者には、主の容赦は本当に広大である。かれは大地から創り出された時のあなたがたに就いて、また、あなたがたが母の胎内に潜んでいた時のあなたがたに就いて、最もよく知っておられる。だから、あなたがたは自分で清浄ぶってはならない。かれは主を畏れる者を最もよく知っておられる。

(引用終了)

 

 この点、慈悲深いアッラーならお目こぼしがあるということは十分ありうる。

 しかし、その一方で「では、予定説はどこへ行ったのか」といった問題も生じることになる。

 

 

 この点、キリスト教の神は峻厳である一方、アッラーは寛大である。

 このことは、イスラム教では、人間の行為によって救済リストに入っていなかった者を救済リストに入れる可能性があること、多少の罪を犯しても救済リストから外されないことからもわかる。

 しかし、その結果として予定説と因果律の矛盾をどう解決すべきか、という問題が発生した。

 なぜなら、人間の自由意思を前提とする因果律と人間を神の操り人形と考える予定説は両立しないからである。

 そして、いずれもクルアーンにある記載、つまり、神が仰ったことである。

 そのため、人間の判断でいずれかを切り捨てるわけにもいかない。

 その結果、イスラム教は予定説と因果律を同時に抱え込むことになった。

 

 この問題はイスラム教の大学者を悩ませる大問題であった。

 そして、この複雑な神学的状況についてマックス・ウェーバーは次のように述べている。

 

(以下、大塚久雄先生が訳された『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の記載について本書に書かれた部分を再引用、なお、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』へのリンクは次の通り)

 イスラム教のばあいは、(中略)宿命論的な予定説であり、したがって地上の生活の運命には関係があっても、来世での救いにはなんら関係するところがない

(引用終了)

 

 

「宿命論的な予定説」とは次のような考え方である。

 

 この世の出来事、また、人間の運命は神が決めた予定通りの結果となる。

 しかし、人間の来世の運命については因果律が成り立つ。

 

 つまり、イスラム教では「この世では予定説、来世では因果律というように予定説と因果律を振り分けたことになる。

 

 

 さて、イスラム教における因果律と予定説の振り分け。

 この点を「宗教の合理化」という点から評価すれば、一歩後退したとみることができる。

 しかし、このような振り分けによって、信者に対して途方もない安心感を与えた、途方もない緊張感から解放することになった

 

 この点、予定説においてはその人間が救済されるか否かは神が決めていることになる。

 そのため、人間の努力によってその結果が変わることはない。

 例えば、「信仰を深めれば救済されるのか」と考えた場合、因果律に従えば「救済される」と考えることになる一方、予定説の立場に立てば「わからない」ということになる。

 もちろん、予定説に立っても、「私が信仰を深めるように神が決めたところ、私がその設定に従って動くのであれば、私は救われる可能性が高いだろう」といえるが、あくまで「だろう」にとどまる

 人間の尺度で神をはかれるか、『ヨブ記』はどうだったか。

 神は神の都合で自分をキリスト教徒にしたのであって、救済とは関係ないのではないのか、などなど。

 

 その結果、真面目な信者であればあるほど不安はどんどん増していくことになる。

 不安を解消するためには信仰を深めるしかないわけだが、これとて一時しのぎにしかならない。

 このような観点から中世のカトリック教会の秘蹟といった儀式を見ると、このような緊張を緩和させるための策だったともいいうる。

 

 しかし、イスラム教では救済に関する因果律を導入することでこの緊張感を根本から解消した。

 アッラーは万能にして絶対である。

 しかし、ヤハウェイエス・キリストと異なり、アッラーは寛大である。

 信仰を守らなかった者を除いて来世での救済を確約する。

 一方、現世のことは神が決めたこと、アッラーの御心のまま(いわゆる「インシャラー」)なのだから、くよくよするな。

 イスラム教は予定説による問題をこのように解決していった。

 カトリック教会の対策と比較するとこれまた対照的である。

 

 

 以上、イスラム教における予定説と因果律についてみてきた。

 話はここからイスラム教における具体的な「救済」、つまり、天国と地獄についてみていく。

 

 まず、対比の観点から、ユダヤ教キリスト教における「救済」を確認する。

 この点、集団救済を旨とするユダヤ教において、「救済」とは「神によるユダヤ民族の現在の惨状からの解放」=「神によるユダヤ人による世界支配」という形で実現することになる。

 また、個人救済を旨とするキリスト教でも、救済とは「最後の審判に通過することで『神の国』に入ること」を指す。

 このようにみると、ユダヤ教キリスト教にはも天国という概念がないことがわかる

 ユダヤ教においては「救済」によってユダヤ人が世界の支配者になるに過ぎないし、キリスト教においても地上に打ち立てられた「神の国」に入って永遠の命が得られるのに過ぎないのだから。

 もちろん、地上に打ち立てられた「神の国」を天国と評価することができるとしても。

 逆に、救済されなかったとしても地獄に落ちて永遠に苦しむというわけではない

 

 なお、本書にある中村元という方の説によると、釈迦は死後の世界について何も語ってないらしい。

 だから、本来の仏教にも天国や地獄がないようである。

 

 

 この点、古代エジプトの宗教にも死後の世界について考えられていた。

 だからこそ、エジプトでは巨大なピラミッドという墓があり、また、王の身体をミイラにしたのである。

 それに対して、イスラエルの民は死後の世界について考えなかった

 これはエジプトの宗教に同化されることを嫌ったのであろう。

 

 この死後の世界を考えない発想はキリスト教にも引き継がれた。

 しかし、ギリシャ思想には「霊肉二元論」という発想があり、その思想には霊魂や肉体は魂の入れ物に過ぎないといった考え、天国や地獄といった発想があった。

 そして、キリスト教ギリシャ文化が浸透したヘレニズム社会に広まった際、「霊肉二元論」がキリスト教に侵入した。

 その結果、カトリック教会では、「肉体が滅んでも魂が残る。そして、魂は永遠に生きる。また、生前の行いにより、死後、天国や地獄へ行く」といった考えが採用されるようになる。

 

 また、カトリック教会は「煉獄」といった概念をも作り出す

 つまり、「罪を犯した者が地獄に行く」と考えた場合、人間は大なり小なり罪を犯すことになるから天国に行けることはない。

 しかし、そう考えると全員が地獄が落ちてしまい、救いがなくなる。

 そこで、カトリック教会が生み出したのが、大罪を犯さなかったが微罪を犯した人間を収容する「煉獄」という施設である。

 煉獄に入った魂は業火で焼かれる。

 しかし、魂が業火で焼かれると罪が浄化され、浄化された魂は天国に行ける。

 

 著者は「この『煉獄』は人間の機微に触れた素晴らしい発明である」という。

 どんなに善良な人間でも罪を犯さないことはない。

 しかし、「煉獄があり、そこで業火に焼かれて魂が浄化されれば天国に行ける」と言われれば大いに安心するだろうから。

 

 

 以上、ユダヤ教キリスト教について色々見てきた。

 では、イスラム教では「救済」についてどのように考えているか

 

 イスラム教でも「最後の審判」が行われる。

 うまり、アッラーがすべての人間を蘇らせ、完全な肉体を与えたうえで、個別に救済の決定を行う。

 そして、救済された人間は、永遠の命が与えられて、イスラム教における「神の国」にあたる「天国」、つまり、「緑園」に行くことができる。

 

 イスラム教とキリスト教の違いはここからである。

 キリスト教では「神の国」に関する説明がない。

 だから、キリスト教では「神の国」に入ることが果たして幸せなのかどうかわからない。

 しかし、イスラム教では「神の国」に関する具体的な説明がある

 クルアーンの記載を上記サイトから確認してみる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第56章の第10節から第40節まで引用、節番号は省略し、節と説は改行で区別、具体的なリンク先は引用後に記載)

(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、

これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、

至福の楽園の中に(住む)。

昔からの者が多数で、

後世の者は僅かである。

(かれらは錦の織物を)敷いた寝床の上に、

向い合ってそれに寄り掛かる。

永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、

(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。

かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。

また果実は、かれらの選ぶに任せ、

種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。

大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、

丁度秘蔵の真珠のよう。

(これらは)かれらの行いに対する報奨である。

そこでは、無益な言葉や、罪作りな話も聞くことはない。

只「平安あれ、平安あれ。」と言う(のを耳にする)だけである。

右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。

(かれらは)刺のないスィドラの木、

累々と実るタルフ木(の中に住み)、

長く伸びる木陰の、

絶え間なく流れる水の間で、

豊かな果物が

絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。

高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。

本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、

かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。

愛しい、同じ年配の者。

(これらは)右手の仲間のためである。

昔の者が大勢いるが、

後世の者も多い。

(引用終了)

 

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 ちなみに、イスラム教は現世での飲酒を禁じている。

 もちろん、偶像崇拝の罪に比べれば微罪であり、その後の善行で帳消しにできるものだったとしても。

 この点は、「天国はこのようなうまい酒があって、しかも、いくら飲んでも酔わないのに、なんで地上の(まずい)酒なんか飲む必要があるんだ」ということらしい。

 

 

 この点、日本教から見た場合、イスラム教は規範でがんじがらめにされているように見え、この結果として、「イスラム教は禁欲的な宗教である」ように見える。

 しかし、イスラム教は欲望を否定していない

 というのも、イスラム教では「天国に行って至上の快楽を求めたほうが、現世で質の低い快楽を求めるよりもマシである」と考えているのに過ぎないからである。

 この点は、修行者に対して飲酒・金儲けなどを禁止し、あらゆる欲望を断つことを目的とする仏教とは対極的である

 さらに、アッラーの99の美質には「勘定高い」という点がある。

 つまり、アッラーは商売上手の神様でもある。

 このことはクルアーンにある言葉からも伺われる。

 

(以下、クルアーンの和訳の第2章の第245節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 アッラーによい貸付をする者は、誰であるのか。かれはそれを倍加され、また数倍にもなされるではないか。アッラーは、乏しくもまた豊かにも自由自在に与えられる。あなたがたはかれの御許に帰されるのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 この「神に貸付けせよ」という表現、仏教には当然ない。

 また、キリスト教ユダヤ教にも出てこない。

 しかし、イスラム教ではアッラーは商売の論理でも語ることができる。

 

 だから、「善行をせよ」という表現は「アッラーに貸付せよ」と表現することになる。

「善行が報われる」という表現も「後でたくさんになって返ってくる」といった表現することになる。

 さらに、最後の審判についても次のような記載がある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第3章第25節を引用、具体的なリンク先は引用後に記載)

 疑いの余地のないその日、われがかれらを集める時には、どのように(かれらはなるだろう)。各人は、自分の稼いだことに対し(十分に)報いられ、不当に扱われないのである。

(引用終了)

 

www2.dokidoki.ne.jp

 

 日本人から見れば、「なんと明け透けなことか」と考えるかもしれない。

 

 もちろん、このような表現の背景にはマホメットが生きていたころのアラビア社会が商業で栄えていたこと、マホメット自身も商売をしていたことに由来する。

 ただ、アッラーは恐ろしくアラビア社会に通じているようである。

 全知全能なんだから当然と言ってしまえばそれまでだが。

 

 

 以上は緑園、つまり、天国の話である。

 では、地獄についてはどうか。

 こちらについても具体的な記載がある。

 

(以下、クルアーンの和訳の第56章の第92節から第94節まで引用、節番号は省略し、節と説は改行で区別、リンク先は上述の通り)

 もしかれが、嘘付きで、迷った者であるならば、

 煮え立つ湯の待遇を受け、

 獄火で焼かれよう。

(引用終了)

 

 つまり、イスラム教では、最後の審判によって有罪と判定された人間は完全な肉体を持ったまま地獄に堕とされる

 そこでは、熱湯や烈火にあぶられ、大蛇やサソリによって苦しめられるといった形ですさまじい苦痛に襲われることになる。

 もちろん、完全な肉体をもっているため、その苦痛がやむことがない。

 この点は、「永遠の死」で終わるキリスト教とは対照的である。

 だから、イスラム教徒は「天国は退屈だなあ」と考えたとしても「地獄に行かない」ために善行や信仰に励むことになる。

 

 

 以上、イスラム教における救済と救済の先にある緑園(天国)と地獄についてみてきた。

 このように見れば、イスラム教の明快さがわかる。

 つまり、キリスト教の予定説はわかりにくい。

 さらに、信じたところで救われるか否かがわからず、真面目であれば真面目であるほど不安になる。

 一方、イスラム教の救済は「信じたものは救われ、信じないものは救われない」という意味で明快である。

 また、微罪であれば挽回のチャンスもある。

 さらに、アッラーは慈悲深く、人間の欲望自体は否定しない。

 

 このように見えると、イスラム教は現実主義的で、信者に甘いのではないかと考えるかもしれない。

 しかし、このイスラム教からは昔から暗殺者やテロリストを出してきた。

 例えば、英語の暗殺者(アサシン=assassin)という言葉はイスラム教の「暗殺教団」が語源になっている。

 この集団は文字通り「一人一殺」でイスラム教の敵を抹殺してきた。

 さらに、今日のイスラム教徒による暗殺・自爆テロもそうである。

 

 この暗殺とテロの歴史とイスラム教のアッラーの慈悲深さはどのようにリンクするのか。

 これについては次節について述べていく。

 

 

 というのが、本節のお話である。

 非常に参考になった。

 この先もどんどん読んで、理解を深めていきたい。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 13

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 ただ、この節はかなり長いので、3つではなく4つに分けることにする

(この点、第2章の第1節も4つに分けるべきであった)。

 

 

13 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(後編)

 前回、古代のイスラエルの民が「宗教の合理化」を果たすために用いた預言者「奇蹟」という概念について説明した。

 そして、この合理化の刃は契約・律法の背後にある因果律にも及び、その結果、キリスト教」への扉を開いたことまで進めた。

 話はここから続ける。

 

 

 前回述べた「予定説」に関する問題。

 つまり、「『信じる者は救われる』と『神が誰を救うかを決める』をどう調整するのか」という問題。

 カトリック教会・プロテスタント正教会といったものはとりあえず外に置き、ユダヤ教から独立したころのキリスト教、あるいは、パウロはこの点についてどう考えていたのか。

 この辺に関するパウロの考えは新約聖書の『ローマ人への手紙』からみることができる。

 該当部分をウィキソースから引っ張ってこよう。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第9章の第15節から24節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)

 神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。

 ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。

 聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。

 だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。

 そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。

 ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。

 陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。

 もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、

 かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。

 神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

(引用終了)

 

 つまり、その人間が神を信仰するか信仰しないか、それを決めるのは神である。

 なお、ジャン・カルヴァンの予定説の場合、神が決めるタイミングは天地創造の時になるらしいが。

 

「信じる者が救われる」と「神は総てを決める」、この二つを両立させる基本的な軸は「神が『その人間が神を信仰するかしないか』を決定する」にならざるを得ない。

 もちろん、この場合、人間が自由意思によって神を信仰するように見えても、よくよく見てみればその意思決定すら「神の恩寵」ということになる。

 

 パウロがこのように考えていることを補強するものとして、『ローマ人への手紙』の冒頭部分の内容がある。

 そこにはこのように書かれている。

 

(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第1章の第1節から7節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)

 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―

 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、

 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、

 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、

 あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである―

 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

(引用終了)

 

 パウロ「召されて使徒になった」と述べている。

 つまり、パウロは「神が信仰する側の人間として選ばれた側」に過ぎないと述べている。

 また、ローマにいる信者に対して「召された」=「救済されることが確定した」と述べている。

 もちろん、これについては鼓舞の意味合いもあるだろうが。

 

 このようにみると、パウロも予定説か、あるいは、予定説に近い考えを持っていることがわかる。

 救済の決定の時期はさておくとしても。

 まあ、ジャン・カルヴァンは聖書を徹底的に研究して予定説にたどりついたのだから、この結果は当然、とも言いうるが。

 

 

 ところが、カトリック教会はこの予定説を無視していくようになる

 パウロの『ローマ人への手紙』を見れば、予定説を信者に広めていくこそが教会の責務になるはずなのに。

 それどころか、中世のカトリック教会は「秘蹟」と呼ばれる宗教儀礼をおこないだした。

秘蹟」にあたるのは「洗礼」・「堅信」・「回心」・「聖餐」・「叙階」・「婚姻」・「終油」の七つである。

 カトリック教会は、「この7つの儀式を教会で行えば、信者は必ず救われる」と説くことになる。

 

 この7つの儀式は、教会の僧侶が特別な儀式を行うことで神の意思決定に影響を与えることになる。

 これは、古代のイスラエルの民が排除してきた呪術そのものである。

 また、当時のカトリック教会にはエクソシストや祈祷師がいたといわれている。

 これでは、「啓典宗教の観点から見て」中世カトリック教会が堕落したといわれても抗弁できないだろう。

 

 もちろん、カトリック教会もバカではない。

 カトリック教会の僧侶は知識と知恵をめぐらし、秘蹟を正当化する理論を作り上げた。

 例えば、「過去の聖人たちが膨大な徳を積み上げ、その結果、教会には莫大な救済財があるから」といったものである。

 ただ、救済財を聖書から引っ張り出すことはできない。

 また、本書に記載のない言葉を追加するのであれば、「救済財云々を持ち出すならば、聖書や啓典宗教から独立すべきだった」とは言いうる。

 ユダヤ教からキリスト教から独立したように、あるいは、イスラム教ができたように。

 もちろん、それ以外にも中世のカトリック教会の側に言い分はあるとしても

 

 中世の終わり、宗教改革の嵐が吹き荒れる。

 宗教改革ではマルティン・ルターはこのカトリック教会の堕落を弾劾した。

 マルティン・ルターの主張を一言でまとめれば「聖書に帰れ」になる。

 カトリック教会の僧侶が言っているマリア信仰や秘蹟について聖書から裏付けることができない。

 そんなもんは捨てて、イエスパウロの時代に戻せ、ということになる。

 

 その意味で宗教改革は原点回帰運動である。

 さすがに、カトリック教会もプロテスタントとは対決する一方で、自己改革に乗り出すことになる。

 そして、キリスト教に合理性が戻ってきた。

 

 そして、この合理性をさらに突き詰めたのがジャン・カルヴァンである。

 予定説のおそろしさに日和ったマルティン・ルターと異なり(まあ、よほどのことがない限り予定説には日和るだろう、ジョン・ミルトンの言葉も参照)、ジャン・カルヴァンは容赦なく予定説を広めていった。

 この予定説が資本主義を生み出す温床になったことは『痛快!憲法学』や『経済学をめぐる巨匠たち』で述べたとおりである。

 そして、これまでの内容に「宗教の合理化」というキーワードを挿入するとより深く理解することができる

 

 つまり、カルヴァンたちはまず呪術の園と化していた中世カトリック教会から呪術の要素を徹底的に排除しようとした。

 その結果、キリスト教社会に合理性が戻ってきた。

 その合理性がそのまま資本主義への道をまい進させた。

 このようにみると、古代イスラエルの宗教精神と近代資本主義をリンクさせることができる。

 

 

 ところで、「聖書に帰れ」という宗教改革のスローガン。

 考えてみると妙である。

 キリスト教において聖書は神からいただいた啓典であり、普段から信者一人一人が読み親しんでおくべきものではないのか、と。

 こんなスローガンがわざわざいうべきことか、と。

 もっともな疑問である。

 

 この点、中世カトリック教会の堕落について糾弾した人間はマルティン・ルターが最初ではない。

 例えば、ジョン・ウィクリフというイングランド神学者が同様の批判を展開している。

 本書に記載されていないことを追加していくと、ジョン・ウィクリフは14世紀の時代の人であり、宗教改革の先駆者ともいわれている。

 ジョン・ウィクリフは教会を批判するだけではなく、史上初となる英訳の聖書を出版する。

 この点は、ドイツ語訳の聖書を初めて作ったマルティン・ルターと同様である。

 しかし、ジョン・ウィクリフは生前から弾圧される。

 ジョン・ウィクリフの死後、彼の訳した聖書は禁書扱いとなり、また、彼自身もカトリック教会から異端宣告を受け、彼の墓は暴かれることになる。

 この話は宗教改革の100年以上前の話である。

 

 では、カトリック教会の権威の背後には何があったのか。

 答えは簡単、中世のクリスチャンたちは聖書を読んでいなかったという点である。

 だから、中世カトリック教会の権威は保たれていた。

 

 ところで、この聖書を読まないクリスチャンの話。

 イスラム教社会では考えられない話である。

 何故なら、イスラム教は信者にクルアーンを読ませるからである

 

 さらに言えば、儒教の世界では科挙に合格しようと思ったら、四書五経は暗記して使いこなせなければ話にならない。

 また、ユダヤ教でもトーラー(モーセ五書)を教え込み、暗記させる

 イスラム教やユダヤ教において啓典(聖書)は神からの贈り物、そして、日常生活を規律するものである。

 ならば、信者なら暗記して当然、のレベルなのだろう。

 

 まあ、この辺は日本教徒にはピンと来ないかもしれないが。

 

 

 では、何故、中世カトリック教会が支配する中世ヨーロッパでは「神からいただいた啓典を信者が読む」といった啓典宗教における当たり前が実践されなかったのか

 理由は2点ある。

 

 まずは、当時のヨーロッパの識字率の低さである

 そもそも字を知らなければ、聖書を読むことはできない。

 また、当時の聖書はギリシャ語かラテン語で書かれていたものしかなかった。

 ヨーロッパの各言語に聖書が翻訳されるのは宗教改革の後である。

 それゆえ、僧侶の中にもギリシャ語聖書や聖ヒエロニムスによるラテン語訳聖書を読めない人がいた。

 

 あと、理由をもう一つ上げれば、カトリック教会が聖書を読ませることを嫌った、というのもあるだろう。

 先ほどのジョン・ウィクリフのような人間が現れたら困るのは言うまでもないから。

 

 その観点からイスラム社会を見た場合、識字率はヨーロッパほど低くなかった。

 その意味で両者の民度には大きな開きがあった。

 また、イスラム教社会では、モーセ五書福音書預言者の書として啓典クルアーンに次いで重要なものとされていた

 よって、ギリシャ語で書かれた聖書を読める人間はいたし、その研究もおこなわれていた。

 さらに、ギリシャ哲学に対する研究も行われていた。

 そして、それらの研究結果はヨーロッパ人(キリスト教)による留学などを通じてヨーロッパ社会に還元されていた。

 その意味でイスラム教社会はキリスト教のヨーロッパ社会の恩師である。

 まあ、これはいわゆる「巨人の肩に乗る」というものに過ぎないとしても。

 

 ちなみに、著者はこれらのことから次の寸評を加えている。

 

(以下、本書の247ページから引用)

 つまり、キリスト教社会にとっては、イスラム圏は大事な恩師なのである。

 今日のキリスト教神学があるは、まさにイスラムのおかげと言ってもよい。

 その恩師を十字軍で襲うのだから、ほんとうにキリスト教徒というのは因業の連中だ。

(引用終了)

 

 この言葉、固有名詞を入れ替えると、、、という感じがするが、それはさておこう。

  

 

 さて。

 以上、宗教の合理化・奇蹟・預言者因果律・予定説、といった言葉を使っていろいろ述べてきた。

 というのも、これらの理解をしなければ、イスラム教における救済について理解できないからである。

 では、イスラム教における「救済」とは何か

 これについては次回に。

『日本人のためのイスラム原論』を読む 12

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

10 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(中編)

 前回は古代のイスラエル人の宗教感覚をユダヤ教からみてきた。

 キーワードは「宗教の合理化」である。

 または、「呪術との決別」といってもよい。

 

 

 そして、「呪術との決別」を具体的に実行するために、古代のイスラエル人は二つの概念を用意した。

 それが「奇蹟」と「預言者である。

 もちろん、「奇蹟」と「預言者」はキリスト教イスラム教においても重要な意味を持つ。

 

 この点、イエス・キリストは様々な奇蹟を起こす一方で、「悪魔の力を借りているのではない」と弁明した、と言われている。

 これは「私の奇蹟は呪術ではない」という意味になる。

 

 では、奇蹟と呪術の違いは何か。

 この点、表面的・客観的な結果だけを見て、その他の要素を捨象してしまえば、呪術と奇蹟との間には区別はない。

 しかし、宗教的に見た場合、両者には大きな違いがある。

 そして、呪術と奇蹟は「奇蹟は誰が起こしたものか」・「この奇蹟は倫理的にかなっているか」という観点から見た場合に明らかになる

 

 この点、呪術によって超常的な結果が発生した場合、「この結果は私の呪術によるものだ」と主張する。

 呪術の本質が「人間が神を操る点」にあるを考慮すれば、この主張は当然の主張である。

 しかし、奇蹟によって超常的な結果は発生した場合、「この結果は神が起こしたものである。自分の功績ではない」と主張する。

 その主張をより細かく説明すると次の通りになる。

 

 つまり、造物主たる神は天地に存在するものや様々な法則を作った。

 例えば、万有引力の法則を定めたのは神である。

 そのため、人間には万有引力の法則を変更することはできない。

 しかし、法則を作った神であれば一時的に万有引力の法則を停止させることができる。

 そのような一時的な変更によって生じたものが奇蹟である。

 啓典宗教においては超常的な結果としての奇蹟をこのように説明するのである。

 

 

 奇蹟と呪術の違いとしてもう一点重要な観点が「倫理性」である。

 つまり、呪術には倫理性がなくてもよいが、奇蹟には倫理性がなければならない

 というのも、人間の意志によって人間が起こす呪術には倫理性があろうがなかろうが関係ない一方、神が起こす奇蹟には神の意志が存在する以上、奇蹟には倫理的な説明がつけられるからである。

 

 例えば、旧約聖書の「出エジプト記」のモーセの起こした奇蹟を見てみる。

 モーセはエジプトの王ファラオと交渉し、その際に、たくさんの奇蹟を見せつけた。

 しかし、その奇蹟の内容は、「イナゴの大発生を起こして食料を食い尽くさせる」・「疫病を流行らせて人々のバタバタ倒れる」といったものである。

 エジプトから見れば大損害である(日本的に言えば、また、本書の記載によれば「迷惑」になるだろうが、もはや「迷惑」で片づけられるレベルではない)。

 エジプトから見れば、呪術や魔術、いや、悪魔の仕業と考えたことであろう。

 しかし、イスラエルの民から見れば、これらの結果は神の「イスラエルの民を救う」という神意によって起こしたのである。

 例えば、「イスラエルの民を奴隷として苦しめたエジプトの連中に対する憎しみを思い知らせる」・「イスラエルの民を奴隷として苦しめたエジプトの連中に対して復讐する」といった意図で行ったのではない。

 事実、ファラオがイスラエルの民の出国を認めてからは上記災害はやんでいる。

 また、ファラオは、後にイスラエルの民を追撃するために軍隊を派遣したが、モーセイスラエルの民を守るため、奇蹟によって軍隊を撃退した。

 しかし、それ以上のこと、例えば、エジプトの軍隊が全滅したのを好機と考え、奇蹟を駆使してエジプトを征服する、といったことはしていない。

 この後、カナンの地を求めて何十年も放浪する、また、カナンの地を手に入れるための諸々を考えれば、奇蹟を駆使してエジプトを蹂躙し、エジプトそれ自体をイスラエルのものにするという選択肢もあったであろうに。

(もちろん、このような話は本書にはない、このブログは私の勉強のためのメモ書きに過ぎず、本書のコピペではない)

 

 奇蹟に対してはこのような「説明」をつけることができる。

 もちろん、「説明」に意味を見出さない人間が見れば、この差に意味はないだろうが。

 

 他方、いわゆる日本の新興宗教の教祖の起こしているものを見てみよう。

 本書では、「神を拝んだら、宝くじがあたり、3億円をゲットした」、「夫の不倫に困っていた妻が教祖に献金したら、不倫相手の女が病気になった」といった具体例が挙げられている。

 このような結果に対して、「では、神は自分を拝んだ人間に3億円を与えたのか、倫理的な説明をしてみろ」といってもそれは不可能であろう。

 また、夫の不倫を妻が非難するのは当然としても、相手を病気にさせることが神意であるといいうるであろうか。

 神ならば不倫を治すための抜本的な手段を採用し、小手先の手段を採用しないのではないか。

 これらの事象に対しては、想定外の超常的な結果に対して「通常の現象から説明することは不可能である」という消極的な説明は可能であっても、「この結果は神意にかなっている」ことを裏付ける積極的な説明はできない

 

 

 以上のように、啓典宗教においては「奇蹟」であるためには、神意にかなっている、つまり、倫理的にかなっていることが重要になる

 もちろん、日本的・形式的・員数的に「倫理的にかなっている」と説明するだけではダメであることは当然である。

 具体的・実質的な理論と事実関係に関する説明が必要である。

 それゆえ、キリスト教では「奇蹟」の認定、奇蹟を起こした聖人の認定にはたくさんの時間をかけ、綿密な調査を行う、らしい

 

 例えば、「現代医学では治療不可能な病にかかっていた者がいたが、『ある人間がある行為』をしたところ、その者の病が完治して元気になった」という例を考える。

 この場合、「ある人間のある行為」は奇蹟といえるか。

 元気になった、病気が治った原因は様々なものがありうる。

 例えば、人間には治癒能力があるので、それがたまたま奇蹟的に目まぐるしく働いて病を叩きのめした可能性がある。

 あるいは、常用していた水・薬に未知の成分があり、それによって病が退治されたのではないか、云々。

 もちろん、それらの可能性が微細であることは言うまでもないが、それらの可能性を全部つぶしていく必要がある。

 それらの可能性をつぶしてはじめて、「ある人間のある行為」と「病の完治」との間に因果関係が認定できることになる。

 この点の認定は、日本の民事訴訟の因果関係の認定よりはるかに厳密である。

 最低でも刑事裁判の因果関係の認定と同等である。

 あるいは、欧米の科学的な手法と共通している、といってもよいかもしれない。

 

 また、因果関係の問題をクリアしたとしても、神意に沿っていることの認定も重要である。

 患者から大金をふんだくっていたとなれば、まあ、奇蹟とは言わないだろう。

 神は患者から大金をふんだくる人間に対してそのような恩恵(アメージング・グレイス)を施さないであろうから。

 

 ところで、キリスト教でも「奇蹟」を起こすのは神である。

 しかし、奇蹟を実行した人は神が「奇蹟を行うためにその人物を選んだ」ということを意味する。

 そのため、奇蹟を実行した人を聖人・聖女として尊ぶことになる

 つまり、神に選ばれた「神の使徒」と考えるのである。

 

 

 ところで、イスラム教も啓典宗教であるので、「奇蹟」と「預言者」が重要になる

 また、呪術といったものを排除する。

 ただ、イエス・キリストについては「奇蹟」のエピソードがたくさんあるのに対して、マホメットについては奇蹟のエピソードが少ない

 そこで、マホメットに対して「神の声が聴こえているならば、奇蹟の一つでも起こしてみたらどうだ?」と揶揄するキリスト教徒・ユダヤ教徒が現れた。

 これに対して、マホメットは堂々と「クルアーンこそが最大の奇蹟である。それが証拠に、それを疑うならクルアーンを超える作品を作ってみよ」と答えたといわれている。

 この返答に対して、アラブの詩人たちはクルアーン以上の作品を作ろうとしたが失敗した、そのように伝えられている。

 

 この点について、「それはイスラム教の自画自賛では?」と疑問に思うかもしれない。

 しかし、クルアーンの詩句が極めて優れていることは多くの人間が証言している。

 また、「クルアーン」は「読誦」というアラビア語から生まれた言葉である。

 などなどから、クルアーンの美しさは異教徒でも認めるレベル、ということができる、らしい。

 

 なお、本書によると、クルアーンアッラーの言葉だけを集めたものである。

 また、ストーリー性がなく、おおむね古い順に並べただけ、というものである。

 だから、予備知識なくクルアーンを読んでも早々に挫折する、らしい。

 もちろん、クルアーンが編纂されて正典が確立されるのは、第三代正統カリフの時代、マホメットは既にいない。

 よって、マホメットにこの点を責めることはできないのだが。

 

 

 以上が「奇蹟」に関するお話。

 次に、「預言者」について話が移る。

 預言者は「神の言葉を人間に伝えるため、神が製作したラウド・スピーカー」と定義するとわかりやすい。

 つまり、預言者は神の道具である。

 

 例えば、モーセはエジプトにいるイスラエルの民を救おうと思っていたわけではない。

 しかし、突如、神(ヤハウェ)がモーセの前に現れ、「お前、ちょっとエジプトに行ってな、私の民を救い出して来い」(私釈三国志風意訳)と言って、モーセをエジプトに派遣する。

 そこにモーセの意志はなく、モーセは神の道具に過ぎない。

 

 この預言者像が極限的に推し進められた結果、生まれた預言者がエレミヤである

 エレミヤは産まれる前から預言者と規定され、生まれた後も預言者として生きる。

 しかし、エレミヤにはなんの富も幸福ももたらされなかった。

 それどころか、エレミヤは不幸な人生を送ることになる

 

 というのも、ラウド・スピーカーとなったエレミヤが伝えるべき言葉が「イスラエルの民よ、このままでは滅亡するぞ」というもの、つまり、民に対する警句だったからである。

 神の意図を私釈三国志風に書くならば、「最近、我がイスラエルの民は契約(律法)を軽んじておる。これは民がたるんでおる証拠だ。だから、いっちょ災いを与えることにした。だから、エレミヤよ、ちょっと民に警告してこい」といったところであろうか。

 これに対して、エレミヤは「私は何をすればいいかすらわからない若輩者でしてー」などと言って拒否しようとするが、当然神はそんなのお構いなしである。

 結果、エレミヤはラウドスピーカーになって神の御心のままに行動するが、神の警句はその時代のイスラエルの民にとっては不快・不吉なものでしかない。

 そりゃそうだ。

 エレミヤの言葉は「このままでは神のが裁きを下され、滅ぶことになる」なのだから。

 

 

 その結果、エレミヤは誰からも相手にされず、また、犯罪者のごとく扱われた。

 エレミヤもさすがに音を上げ、神に対してこのように述べることになる。

 ウィキソースにある『口語訳旧約聖書』の『エレミヤ書』、第20章の第7節・第8節を引っ張ってこよう。

 

ja.wikisource.org

 

(以下、上記リンク先から引用、節番号省略、改行で節を分ける、強調は私の手による)

 主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。

 それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。

(引用終了)

 

 日本人から見た場合、エレミヤは気の毒な存在である。

 しかし、エレミヤにはどうすることができない。

 神が命令を撤回しない限り、そして、神が撤回しない以上は。

 

 この点、シナイ山でエジプトから脱出したイスラエル人を皆殺しにしようとした際、モーセは言葉で神を説得した。

 しかし、モーセは神を操った、論破したわけではない。

 モーセの言葉により神が自己の判断を変更しただけである。

 判断するのは神、人間は判断の材料を提供しただけである。

 

 エレミヤの場合、シナイ山の場合と異なり、神が命令を撤回しなかったので、エレミヤは神のラウド・スピーカーとして行動し続けることになる。

 そして、エレミヤは非業の死を遂げたといわれる。

 また、イスラエルの国は分裂・崩壊、イスラエルの民はバビロン捕囚の悲劇を迎えることになる。

 

 

 ところで。

 仏教の背後には因果律があった。

 また、古代のイスラエル人にも因果律的な発想があった。

 その象徴が律法であり契約である。

 

 これを具体的に示せば、「我々が契約を守れば神は我々を救済する。また、我々が契約を守らなければ、神は我々を滅ぼす」となる。

 しかし、この因果律に対しても「合理的な発想」が及んでいった

 その結果、次の疑問が浮かぶ。

 

 エジプトから脱出した際、我々の先祖はシナイ山の麓で偶像崇拝の罪を犯した。

 これは十戒の第二条に背く大罪である。

 にもかかわらず、神は我々を皆殺しにしていない。

 例えば、ゾドムやゴモラ偶像崇拝の罪を犯していないのに滅亡の憂き目にあったというのに。

 とすれば、「我々が律法を守らなくても、神は我々を滅ぼさないのではないのか」と。

 

 また、次のような疑問も浮かぶ。

 

 信仰を持ち、律法を守り、清く正しく生きている人間がいる。

 しかし、彼らの皆が幸せになっているわけではない。

 ならば、「我々が律法を守っても、神は必ずしも救済するわけではないのではないか?」と。

 

 かくして古代イスラエル人は因果律への疑問を持つことになる。

 このことを端的に示しているのが、以前言及した「ヨブ記」である。

 正しい信仰を持ち、正しい生活をしていたヨブに対して、神はとんでもない苦難を課す。

 ここで作動した法則は因果律ではない

 あるいや、エレミヤについても同様に考えることができる。

 神がエレミヤを預言者と選び、エレミヤが預言者として忠実として動いた。

 しかし、その結果はどうか。

 エレミヤは不幸になり、また、預言者としての職を辞することすら許さなかった。

 

 かくして、因果律に対しても合理化の波が襲う。

 そして、古代イスラエル人の合理性は因果律をも崩すことになる

 この因果律の崩壊が新世界への扉を開くことになる。

 

 

 その新世界こそ「キリスト教」である。

 キリスト教「人間の救済は神の恩寵による」ということを軸に考える。

 

 ここで私による注意書き。

 この点、本書の記載によるものではないが、「神の恩寵に対して人間の働きかけがどの程度可能であるか」という点については温度差がある

 ざっくりとしてみた場合、人間の働きかけの寄与度をより大きく評価するのが正教会、小さく評価する(ほとんど評価しない)のがプロテスタントカトリック教会はその中間といった感じのようである。

 ただ、本書は比較宗教学的観点から宗教を見ていること、ざっくりした理解のためにはシンプルなモデルで考えることが有用であることなどから、プロテスタント、特に、カルヴァンの発想を見ていく。

 以下の予定説の発想はジャン・カルバンの発想で、それを容認する教派は複数存在するが、カトリック教会・正教を含めたキリスト教全体が共有している発想ではないため、その点は注意が必要である。

 

 そして、キリスト教のなかで「人間の働きかけは不可能である」と考える発想が予定説になる。

 つまり、この発想においては「神は総てを決め給う。人間には自由意志がなく、神の命ずるままに決めたロボットに過ぎない」と考えることになる。

 この発想、一方に「万能の神」を、他方に「脆弱な人間」を置き、これを極限まで推し進めれば出てくる発想である。

 

 この点、この発想に対して「それでは、神の支配する全体主義国家ではないか」と考えるかもしれない

 その感覚は正しい。

 特に、人間を神と考える日本教の観点から見た場合は。

 しかし、キリスト教には大なり小なりこの発想がある

 例えば、ソ連共産主義にはこの発想があった。

 そして、人間の力、ソ連の幹部の力は全知全能の神にはるか及ばないものであったため、ソ連は崩壊した。

 しかし、ソ連の幹部ではなく神が同様のことを行えばどうなるか。

 神は全知全能であり、無限の力が行使できる。

 5000兆円どころではない。

 ならば、ソ連のような統制体制を完璧に運営できると考えることになる。

 

 なお、キリスト教と聖書が全体主義的な志向をを持ちうるということについては、以前、読書メモに書いた次の記事などが参考になるかもしれない。

 リンク先をここに貼っておく。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 ところで、一般の宗教は「信仰する者、規範を遵守する者は、救済される」と考える。

 しかし、この発想は「人間は信仰した、または、規範を遵守した。よって、神はその人間を救済した」ということになり、因果律的な前提を置いている

 また、「人間の信仰・規範順守が神を操るという」という意味で呪術的でもある

 よって、「信じる者は救われる」という発想は「神は絶対にして、総てを決定する」という発想とは相容れないことになる

 

 

 その結果、キリスト教社会では「人間が信じれば神が救うのか」、あるいは、「神が一方的に救済するか否か決定するのか」という点が問題になった。

 そして、正教・カトリック教会・プロテスタントで結論が分かれた。

 そのうち、「神が救済を決定する」を全面的に採用したのが、プロテスタントということになる。

 神の絶対性を否定すればキリスト教は成り立たないことを考慮すると、聖書への原点回帰を旨とするプロテスタントがこの見解を採用するのは当然のことである。

 

 もっとも、この予定説はキリスト社会に受け入れられていたわけではない。

 現に、カトリック教会と正教会はこの見解を採用していない。

 なにしろ、この予定説を採用することは、「人間の為す行為は神の意志によるもの、人間の意志決定には何も意味がない」と考えるのと同義なのだから

 自己評価の低かった私はある程度すんなり受け入れることができたが、まあ、普通の人は素直にうなづけないであろう。

 イギリスの詩人、ジョン・ミルトンは予定説を批判し、「たとい地獄に堕とされようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と述べたらしいが、それが素直な反応であろう。

 日本教徒なら「(空気によって)退治すべき対象」にまでなってしまうかもしれない。

 

 

 さて、ジャン・カルバンの予定説。

 この点について、ユダヤ教からキリスト教を独立させたパウロはどのように考えていたのか。

 これに対してカトリック教会はどうしたか。

 それらについて見ていきたいところではあるが、分量が相当量になっているので、今回はこの辺で。