薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

司法試験の過去問を見直す5 その7(最終回)

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 ちなみに、今回が本問の最終回。

 今回は「本問を通じてつらつら考えたこと」について書いていく。

 

12 司法試験の勉強とは

 このシリーズでは、旧司法試験・二次試験の論述式試験・憲法第1問の過去問を判例を参照しながら見直している。

 

 この点、ここで私がしたかったことは、「近代憲法立憲民主主義憲法)について『憲法の外側』、特に、『日本教』の視点から見直す」というものであった。

 しかし、具体的にみていくと、憲法について様々な再発見があった。

 そして、それらは当時の司法試験の勉強では見つけられなかったものである

 

 この点、司法試験において、いや、法学や憲法学にとって、最高裁判所判例は重要な先例であり貴重な教材でもある。

 だから、当時の司法試験の勉強においても判例を見ていたはずである。

 少なくても、判例を無視していた記憶はない。

 

 また、このブログにおける私の判例の見方は次の書籍を参考にしている。

 

 

 つまり、今回、私がやっているような手段は受験当時の勉強方法として紹介されていた。

 そして、私はこの書籍を買って読んでいたから知っていた。

 しかし、今回のような発見・感想を持つことはなかった

 

 

 これはどういうことなのだろう。

 原因としては、次の3点が考えられる。

 

1、理系出身の私が法学について全く何も知らない状態から司法試験の勉強を始めた関係でよくわからなかった

2、司法試験の勉強が大変だったのでこのような手法まで手が回らなかった

3、司法試験に合格するためのハードルからみれば不要だった

 

 まず、1について。

 当時の司法試験、いわゆる「旧司法試験」は、大学の教養課程を修了していれば(つまり、大学3年生になっていれば)二次試験から受けることのできる試験であった。

 つまり、受験の要件に「法学部を卒業していること」といった要件がない。

 この点は、医学部の卒業を要件とする医師とは異なることになる。

 

 さらに、大学の教養課程を修了していない場合であっても、いわゆる一次試験に合格すれば二次試験の受験は可能であった。

 そして、この一次試験は教養試験であり、法律的な素養・法律実務に関する知識は問われなかった。

 だから、旧司法試験を受験するための要件に「法律・法学に関する学習歴・学校歴」は不要であったことになる

 もちろん、受験することができる、つまり、門前払いにならないだけであって合格できるわけではないが

 

 なお、現在の司法試験を受験するためには、法科大学院の卒業か予備試験の合格のいずれかが必要なところ、予備試験では旧司法試験と同等かそれ以上の法律実務に関する知識を要求している。

 よって、旧司法試験と異なり、現在の司法試験においては「法律・法学に関する学習歴・学校歴」を要求していることになる

 

 つまり、理系の学部を卒業したに過ぎず、法律について無知の状況だった私でも当時の司法試験の勉強を開始し、試験に挑戦することができた

 ただ、法学部を経由していなかったせいか、六法が前提にしている基礎知識といったものを全く知らなかった。

 例えば、「痛快!憲法学」に登場する前提などが。

 

 

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 その点が、私に災いをもたらしたのか、幸いをもたらしたのか、それはわからない。

 合格とは関連性がないが、その辺が少し気になるところである。

 

 次に、2について。

 一から司法試験の勉強を始めた私にとって、司法試験の六科目(憲法民法・刑法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法)は「範囲が広かった」と記憶している。

 それゆえ、判例の概要(事案の概要・規範・あてはめの概要)を見るのが精いっぱいであって、細かく見ていくことができなかった。

 

 この点、司法試験の外から見た場合、司法試験の6科目如きを「試験範囲が広い」などといっていたら、「何を言っているんだ」と白い目で見ることになるだろう。

 もちろん、その点は現在の司法試験の8科目(憲法行政法民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法・選択科目)にも言えるのだけれども。

 

 最後に3について。

 これが一番大きいのではないかと考えている。

 

 現在、このブログのようなことをやるのは「合格への最短距離の道」から見れば完全に逸脱する。

 つまり、ここまでやらなくても合格できる

 現に、私は旧司法試験の論文式試験に合格した。

 また、合格した時の試験結果を見れば、順位は上位2割のところにあり、試験の点数はその年の合格最低点を優に超え、平成16年度の試験の合格最低点さえ上回っていた。

 つまり、ギリギリ合格ではない(この点数がたまたま出た可能性があるにしても)。

 

 さらに言えば、この状況は今も大差がない。

 その点は、司法試験の採点実感の記載から推察することができる。

 

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 この点、司法試験委員が合格のための要求として、私がブログでやっていることなどを要求しているのは、上記採点実感からも十分推測できる。

 しかし、現実を見ると、そのレベルに達する者は、現在の合格者数と比較してはるかに少ないのではないかと考えられる。

 

 とすれば、要求されるハードルを下げるか、人数を昭和の時代まで下げるか。

 政策的に見た場合、後者は不可能である(そもそも人員増加の必要性こそが司法制度改革の出発点であった)が、どうなのだろう。

 

13 新規参入障壁と憲法

 本問の出題趣旨を簡単に述べると「幼児教育に対する新規参入規制の合憲性」ということができる。

 そして、新規参入規制について現実で争われた事件としていわゆる酒税法判決(事件)がある。

 

昭和63年(行ツ)56号

平成4年12月15日最高裁判所第三小法廷判決

(いわゆる「酒税法判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/281/054281_hanrei.pdf

 

 興味深いのは、この判決の補足意見と反対意見で「新規参入障壁・既得権益擁護」に関する言及があることである。

 そこで、この判決の補足意見と反対意見を見てみる。

 

 まずは、合憲判決を支えている補足意見から。

 

(以下、園部逸夫裁判官の補足意見より引用、強調と注釈は私の手による)

 私(私による注、園田裁判官のこと)は、租税法の定立については、立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべきところが多く、とりわけ、具体的な税目の設定及びその徴収確保のための法的手段等について、裁判所としては、基本的には、立法府の裁量的判断を尊重せざるを得ないと考えており、このことを基調として、本件上告を棄却すべきであるとする多数意見に同調するものである。ただ、本件の場合、多数意見の説示が、酒税の国税としての重要性を再確認し、現行の酒税法の法的構造とその機能の現状を将来にわたって積極的に支持したものと理解されるようなことがあれば、それは私の本意とは異なるので、以下、その点について、私の意見を述べておきたい。

 沿革的に見て、酒税の国税全体に占める割合が高く、これを確実に徴収する必要性が高い税目であったことは、多数意見の説示するとおりであるが、現在もなお、酒税が国税において右のような地位を占める税目であるかどうか、議論があることは否定できない。また、仮に酒税が国税として重要な税目であるとしても、酒類販売業を現行の免許制(許可制)の下に置くことによってその徴収を確保しなければならないほどに緊要な税目であるかもまた、議論のあるところである。私は、酒類販売業の許可制について、大蔵省の管轄の下に財政目的の見地からこれを維持するには、酒税の国税としての重要性が極めて高いこと及び酒税の確実な徴収の方法として酒類販売業の許可制が必要かつ合理的な規制であることが前提とされなければならないと考える(私は、財政目的による規制は、いわゆる警察的・消極的規制ともその性格を異にする面があり、また、いわゆる社会政策・経済政策的な積極的規制とも異なると考える。一般論として、経済的規制に対する司法審査の範囲は、規制の目的よりもそれぞれの規制を支える立法事実の確実な把握の可能性によって左右されることが多いと思っている。)。そして、そのような酒税の重要性の判断及び合理的な規制の選択については、立法政策に関与する大蔵省及び立法府の良識ある専門技術的裁量が行使されるべきであると考える。

 他方、酒類販売業の許可制が、許可を受けて実際に酒類の販売に当たっている既存の業者の権益を事実上擁護する役割を果たしていることに対する非難がある酒税法上の酒類販売業の許可制により、右販売業を税務署長の監督の下に置くという制度は、酒税の徴収確保という財政目的の見地から設けられたものであることは、酒税法の関係規定に照らし明らかであり、右許可制における規制の手段・態様も、その立法目的との関係において、その必要性と合理性を有するものであったことは、多数意見の説示するとおりである。酒税法上の酒類販売業の許可制は、専ら財政目的の見地から維持されるべきものであって、特定の業種の育成保護が消費者ひいては国民の利益の保護にかかわる場合に設けられる、経済上の積極的な公益目的による営業許可制とはその立法目的を異にする。したがって、酒類販売業の許可制に関する規定の運用の過程において、財政目的を右のような経済上の積極的な公益目的と同一視することにより、既存の酒類販売業者の権益の保護という機能をみだりに重視するような行政庁の裁量を容易に許す可能性があるとすれば、それは、酒類販売業の許可制を財政目的以外の目的のために利用するものにほかならず、酒税法の立法目的を明らかに逸脱し、ひいては、職業選択の自由の規制に関する適正な公益目的を欠き、かつ、最小限度の必要性の原則にも反することとなり、憲法二二条一頃に照らし、違憲のそしりを免れないことになるものといわなければならない。しかしながら、本件は、許可申請者の経済的要件に関する酒税法一〇条一〇号の規定の適用が争われている事件であるところ、原審の確定した事実関係から判断する限り、右のような見地に立った裁量権の行使によって本件免許拒否処分がされたと認めることはできないのである。

 もっとも、昭和一三年法律第四八号による酒税法の改正当初において酒類販売業の許可制を定めるに至った酒税の徴収確保の必要性という立法目的の正当性及び右立法目的を達成するための手段の合理性の双方を支えた立法事実が今日においてもそのまま存続しているかどうかが争われている状況の下で、上告人及び上告代理人らの主張するところによれば、右許可制について本来の立法趣旨に沿わない運用がされているというのである。しかし、記録に現れた資料からは、上告人及び上告代理人らの主張に係る酒税行政の現状が現行の許可制自体の欠陥に由来するものであるとして、右許可制に関する規定の全体を直ちに違憲と判断すべきものとするには足りないといわざるを得ないのである。

(引用終了)

 

 学者出身の園田裁判官は「既得権益擁護のためにこの規制を用いるならば、裁量の濫用・逸脱として違憲になるぞ」と述べている。

 言い換えれば、「本件規制は財政目的規制であって、積極目的規制ではない。だから、積極目的規制の名のもとに権利を制約しようものなら、違憲になるぞ」ということになる。

 

 これに対して、厳しい見解を述べているのが弁護士出身の坂上壽夫裁判官の反対意見である。

 

(以下、反対意見の引用、強調は私の手による)

 私は、酒税法九条が憲法二二条一項に違反するということはできないとする多数意見に賛成することができない。

 私は、許可制による職業の規制は、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定し得るためには、原則として、それが重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要するというべきであり、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための許可制による職業の規制についても、その必要性と合理性についての立法府の判断は、合理的裁量の範囲にとどまることを要し、立法府の判断が政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するものでないかどうかで、裁判所は、その合憲性を判断すべきものと考える。そして、私は、右の合理的裁量の範囲については、多数意見が引用する職業の自由についての大法廷判決が説示するとおり、「事の性質上おのずから広狭がありうるのであって、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきもの」であって、国家の財政目的のためであるとはいっても、許可制による職業の規制については、事の軽重、緊要性、それによって得られる効果等を勘案して、その必要性と合理性を判断すべきものと考える。

 酒税法は、第一章において、酒類には酒税を課することを定め(一条)、その納税義務者を酒類の製造者又は酒額を保税地域から引き取る者(後者の酒類引取者は例外的な場合であるので、以下には酒類製造者のみについて論を進める。)と定めている(六条)。そして、第二章以下において、酒類の製造免許及び酒類の販売業免許等についての規定を置いている。酒税法の右のような構成をみると、酒税の賦課、徴収について直接かかわりがあるのは第一章の規定であって、酒類の製造や酒類販売業を免許制にしている第二章の各規定は、主として酒税の確保に万全を期するための制度的な支えを手当てしたものと解される。

 酒類製造者に対して、いわゆる庫出税方式による納税義務を課するという酒税法の課税方式は、正に立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるべき領域であるというべきであろうし、かかる課税方式の下においては、酒類製造者を免許制の下に置くことは、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置ということができよう。しかし、酒税の確保を図るため、酒類製造者がその販売した商品の代金を円滑に回収し得るように、酒類販売業までを免許制にしなければならない理由は、それほど強くないように思われる。販売代金の回収は、本来酒類製造者が自己の責任において、取引先の選択や、取引条件、特に代金の決済条件を工夫することによって対処すべきものである。また、わが国においても、昭和一三年にこの制度が導入されるまでは、免許制は酒類製造についてのみ採られていたものであり、揮発油税等の他の間接税の場合に、販売業について免許制を採った例を知らないのである。

 もっとも、この制度が導入された当時においては、酒税が国税全体に占める割合が高く、また酒類の販売代金に占める酒税の割合も大きかったことは、多数意見の説示するとおりであるし、当時の厳しい財政事情の下に、税収確保の見地からこのような制度を採用したことは、それなりの必要性と合理性があったということもできよう。しかし、その後四〇年近くを経過し、酒税の国税全体に占める割合が相対的に低下するに至ったという事情があり、社会経済状態にも大きな変動があった本件処分時において(今日においては、立法時との状況のかい離はより大きくなっている。)、税収確保上は多少の効果があるとしても、このような制度をなお維持すべき必要性と合理性が存したといえるであろうか。むしろ、酒類販売業の免許制度の採用の前後において、酒税の滞納率に顕著な差異が認められないことからすれば、私には、憲法二二条一項の職業選択の自由を制約してまで酒類販売業の免許(許可)制を維持することが必要であるとも、合理的であるとも思われない。そして、職業選択の自由を尊重して酒類販売業の免許(許可)制を廃することが、酒類製造者、酒類消費者のいずれに対しても、取引先選択の機会の拡大にみちを開くものであり、特に、意欲的な新規参入者が酒類販売に加わることによって、酒類消費者が享受し得る利便、経済的利益は甚だ大きいものであろうことに思いを致すと、酒類販売業を免許(許可)制にしていることの弊害は看過できないものであるといわねばならない。

 本件のような規制措置の合意性の判断に際しては、立法府の政策的、技術的な裁量を尊重すべきであるのは裁判所の持すべき態度であるが、そのことを基本としつつも、酒類販売業を免許(許可)制にしている立法府の判断は合理的裁量の範囲を逸脱していると結論せざるを得ないのであり、私は、酒税法九条は、憲法二二条一項に違背するものと考える。

(引用終了)

 

 このようにみると、両意見の違憲審査基準は同じであり、あてはめにおいて結論を異にしている。

 反対意見は立法裁量を肯定しつつも、その裁量に濫用・逸脱があると考えている。

 

 

 では、本問の場合はどうだろうか。

 本問の権利の制限を「教育の自由の制限」としてとらえた場合、酒税法判決の基準を用いている。

 その一方、本問問題文中には既得権に関する言及はない。

 とすれば、本問の規制を既得権擁護のものと決めつけて違憲に引っ張るのは積極ミスにあたるのではないかと考えられる。

 もちろん、反対利益への配慮として言及することができるとしても。

 

 あと、法科大学院をめぐるドタバタを見た現在から考えると、新規参入障壁を広く開放することが果たしていいことなのか、よく分からない

 もちろん、一長一短だから、よくわからなくて当然であるとしても。

 勉強時代に見たこの過去問に対する答案例、または、違憲の結論に対する違和感については、この辺りも理由の一つになっている。

 

 

 以上、本問について色々とみてきた。

 本問についてはこの辺で終わりとしたい。