今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
ただ、この節はかなり長いので、3つではなく4つに分けることにする
(この点、第2章の第1節も4つに分けるべきであった)。
13 「第2章_イスラムの『論理』、キリスト教の『病理』_第2節」を読む(後編)
前回、古代のイスラエルの民が「宗教の合理化」を果たすために用いた「預言者」や「奇蹟」という概念について説明した。
そして、この合理化の刃は契約・律法の背後にある因果律にも及び、その結果、「キリスト教」への扉を開いたことまで進めた。
話はここから続ける。
前回述べた「予定説」に関する問題。
つまり、「『信じる者は救われる』と『神が誰を救うかを決める』をどう調整するのか」という問題。
カトリック教会・プロテスタント・正教会といったものはとりあえず外に置き、ユダヤ教から独立したころのキリスト教、あるいは、パウロはこの点についてどう考えていたのか。
この辺に関するパウロの考えは新約聖書の『ローマ人への手紙』からみることができる。
該当部分をウィキソースから引っ張ってこよう。
(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第9章の第15節から24節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)
神はモーセに言われた、「わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ」。
ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神のあわれみによるのである。
聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。
だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。
そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。
もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、
かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。
神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。
(引用終了)
つまり、その人間が神を信仰するか信仰しないか、それを決めるのは神である。
なお、ジャン・カルヴァンの予定説の場合、神が決めるタイミングは天地創造の時になるらしいが。
「信じる者が救われる」と「神は総てを決める」、この二つを両立させる基本的な軸は「神が『その人間が神を信仰するかしないか』を決定する」にならざるを得ない。
もちろん、この場合、人間が自由意思によって神を信仰するように見えても、よくよく見てみればその意思決定すら「神の恩寵」ということになる。
パウロがこのように考えていることを補強するものとして、『ローマ人への手紙』の冒頭部分の内容がある。
そこにはこのように書かれている。
(以下、口語訳『ローマ人への手紙』の第1章の第1節から7節まで引用、節番号は省略、各節は改行で区別、強調は私の手による)
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―
この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、
聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、
あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである―
ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
(引用終了)
つまり、パウロは「神が信仰する側の人間として選ばれた側」に過ぎないと述べている。
また、ローマにいる信者に対して「召された」=「救済されることが確定した」と述べている。
もちろん、これについては鼓舞の意味合いもあるだろうが。
このようにみると、パウロも予定説か、あるいは、予定説に近い考えを持っていることがわかる。
救済の決定の時期はさておくとしても。
まあ、ジャン・カルヴァンは聖書を徹底的に研究して予定説にたどりついたのだから、この結果は当然、とも言いうるが。
ところが、カトリック教会はこの予定説を無視していくようになる。
パウロの『ローマ人への手紙』を見れば、予定説を信者に広めていくこそが教会の責務になるはずなのに。
それどころか、中世のカトリック教会は「秘蹟」と呼ばれる宗教儀礼をおこないだした。
「秘蹟」にあたるのは「洗礼」・「堅信」・「回心」・「聖餐」・「叙階」・「婚姻」・「終油」の七つである。
カトリック教会は、「この7つの儀式を教会で行えば、信者は必ず救われる」と説くことになる。
この7つの儀式は、教会の僧侶が特別な儀式を行うことで神の意思決定に影響を与えることになる。
これは、古代のイスラエルの民が排除してきた呪術そのものである。
また、当時のカトリック教会にはエクソシストや祈祷師がいたといわれている。
これでは、「啓典宗教の観点から見て」中世カトリック教会が堕落したといわれても抗弁できないだろう。
もちろん、カトリック教会もバカではない。
カトリック教会の僧侶は知識と知恵をめぐらし、秘蹟を正当化する理論を作り上げた。
例えば、「過去の聖人たちが膨大な徳を積み上げ、その結果、教会には莫大な救済財があるから」といったものである。
ただ、救済財を聖書から引っ張り出すことはできない。
また、本書に記載のない言葉を追加するのであれば、「救済財云々を持ち出すならば、聖書や啓典宗教から独立すべきだった」とは言いうる。
ユダヤ教からキリスト教から独立したように、あるいは、イスラム教ができたように。
もちろん、それ以外にも中世のカトリック教会の側に言い分はあるとしても。
中世の終わり、宗教改革の嵐が吹き荒れる。
宗教改革ではマルティン・ルターはこのカトリック教会の堕落を弾劾した。
マルティン・ルターの主張を一言でまとめれば「聖書に帰れ」になる。
カトリック教会の僧侶が言っているマリア信仰や秘蹟について聖書から裏付けることができない。
そんなもんは捨てて、イエスやパウロの時代に戻せ、ということになる。
その意味で宗教改革は原点回帰運動である。
さすがに、カトリック教会もプロテスタントとは対決する一方で、自己改革に乗り出すことになる。
そして、キリスト教に合理性が戻ってきた。
そして、この合理性をさらに突き詰めたのがジャン・カルヴァンである。
予定説のおそろしさに日和ったマルティン・ルターと異なり(まあ、よほどのことがない限り予定説には日和るだろう、ジョン・ミルトンの言葉も参照)、ジャン・カルヴァンは容赦なく予定説を広めていった。
この予定説が資本主義を生み出す温床になったことは『痛快!憲法学』や『経済学をめぐる巨匠たち』で述べたとおりである。
そして、これまでの内容に「宗教の合理化」というキーワードを挿入するとより深く理解することができる。
つまり、カルヴァンたちはまず呪術の園と化していた中世カトリック教会から呪術の要素を徹底的に排除しようとした。
その結果、キリスト教社会に合理性が戻ってきた。
その合理性がそのまま資本主義への道をまい進させた。
このようにみると、古代イスラエルの宗教精神と近代資本主義をリンクさせることができる。
ところで、「聖書に帰れ」という宗教改革のスローガン。
考えてみると妙である。
キリスト教において聖書は神からいただいた啓典であり、普段から信者一人一人が読み親しんでおくべきものではないのか、と。
こんなスローガンがわざわざいうべきことか、と。
もっともな疑問である。
この点、中世カトリック教会の堕落について糾弾した人間はマルティン・ルターが最初ではない。
例えば、ジョン・ウィクリフというイングランドの神学者が同様の批判を展開している。
本書に記載されていないことを追加していくと、ジョン・ウィクリフは14世紀の時代の人であり、宗教改革の先駆者ともいわれている。
ジョン・ウィクリフは教会を批判するだけではなく、史上初となる英訳の聖書を出版する。
この点は、ドイツ語訳の聖書を初めて作ったマルティン・ルターと同様である。
しかし、ジョン・ウィクリフは生前から弾圧される。
ジョン・ウィクリフの死後、彼の訳した聖書は禁書扱いとなり、また、彼自身もカトリック教会から異端宣告を受け、彼の墓は暴かれることになる。
この話は宗教改革の100年以上前の話である。
では、カトリック教会の権威の背後には何があったのか。
答えは簡単、中世のクリスチャンたちは聖書を読んでいなかったという点である。
だから、中世カトリック教会の権威は保たれていた。
ところで、この聖書を読まないクリスチャンの話。
イスラム教社会では考えられない話である。
何故なら、イスラム教は信者にクルアーンを読ませるからである。
さらに言えば、儒教の世界では科挙に合格しようと思ったら、四書五経は暗記して使いこなせなければ話にならない。
また、ユダヤ教でもトーラー(モーセ五書)を教え込み、暗記させる。
イスラム教やユダヤ教において啓典(聖書)は神からの贈り物、そして、日常生活を規律するものである。
ならば、信者なら暗記して当然、のレベルなのだろう。
まあ、この辺は日本教徒にはピンと来ないかもしれないが。
では、何故、中世カトリック教会が支配する中世ヨーロッパでは「神からいただいた啓典を信者が読む」といった啓典宗教における当たり前が実践されなかったのか。
理由は2点ある。
まずは、当時のヨーロッパの識字率の低さである。
そもそも字を知らなければ、聖書を読むことはできない。
また、当時の聖書はギリシャ語かラテン語で書かれていたものしかなかった。
ヨーロッパの各言語に聖書が翻訳されるのは宗教改革の後である。
それゆえ、僧侶の中にもギリシャ語聖書や聖ヒエロニムスによるラテン語訳聖書を読めない人がいた。
あと、理由をもう一つ上げれば、カトリック教会が聖書を読ませることを嫌った、というのもあるだろう。
先ほどのジョン・ウィクリフのような人間が現れたら困るのは言うまでもないから。
その観点からイスラム社会を見た場合、識字率はヨーロッパほど低くなかった。
その意味で両者の民度には大きな開きがあった。
また、イスラム教社会では、モーセ五書や福音書は預言者の書として啓典クルアーンに次いで重要なものとされていた。
よって、ギリシャ語で書かれた聖書を読める人間はいたし、その研究もおこなわれていた。
さらに、ギリシャ哲学に対する研究も行われていた。
そして、それらの研究結果はヨーロッパ人(キリスト教)による留学などを通じてヨーロッパ社会に還元されていた。
その意味でイスラム教社会はキリスト教のヨーロッパ社会の恩師である。
まあ、これはいわゆる「巨人の肩に乗る」というものに過ぎないとしても。
ちなみに、著者はこれらのことから次の寸評を加えている。
(以下、本書の247ページから引用)
つまり、キリスト教社会にとっては、イスラム圏は大事な恩師なのである。
今日のキリスト教神学があるは、まさにイスラムのおかげと言ってもよい。
その恩師を十字軍で襲うのだから、ほんとうにキリスト教徒というのは因業の連中だ。
(引用終了)
この言葉、固有名詞を入れ替えると、、、という感じがするが、それはさておこう。
さて。
以上、宗教の合理化・奇蹟・預言者・因果律・予定説、といった言葉を使っていろいろ述べてきた。
というのも、これらの理解をしなければ、イスラム教における救済について理解できないからである。
では、イスラム教における「救済」とは何か。
これについては次回に。