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司法試験の過去問を見直す5 その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

 前回はこの問題を「教育の自由」という観点から検討した。

 今回はこの問題を「営業の自由」という観点から検討する。

 

7 経済的自由に対する制約、いわゆる「二重の基準論」

 本問のが学校法人Aの制限された自由を「営業の自由」と考えた場合、不認可処分が憲法上の権利の制約に該当しうることは前回までに述べたとおりである。

 この点は「教育の自由」から見た場合と比較すれば、容易に認定できる。

 もちろん、認定できることの確認・営業の自由の憲法上の保障について簡単に触れる必要があるとしても。

 

 

 このことから、営業の自由から考える場合、重要になるのはいわゆる「正当化」の部分になる

 つまり、違憲審査基準の定立とあてはめである。

 当然だが、営業の自由も絶対無制限ではない。

 さらに言えば、営業の自由を含む経済的自由に対してはいわゆる12条・13条の「公共の福祉」による制約だけではなく、22条1項の「公共の福祉」による制約も受ける。

 そこで、本件不認可処分が「公共の福祉」による制約といいうるか。

 まず、第一段階として営業の自由に対する違憲審査基準が問題になる。

 

 ここから、違憲審査基準の定立にまつわる話についてみていく。

 最初に、前提知識となる「二重の基準論」と「規制目的二分論」についてみておく。

 

 

「二重の基準論」とは何か。

 いわゆる二重の基準論は「経済的自由に対する違憲審査基準は合憲性の推定が及ぶ合理性の基準のような緩やかな基準を採用し、精神的自由に対する違憲審査基準については厳格な基準を用いる」といったものである。

 

 では、「二重の基準論」を採用する根拠は何か。

 まず、形式的根拠、つまり、憲法の条文上の根拠は憲法22条1項や29条2項にある「公共の福祉」である。

 この点、「公共の福祉」という12条や13条と同じ文言が使われているが、22条1条や29条2項にわざわざ「公共の福祉」という文言を挿入している以上、経済的自由や財産権には他の自由とは異なる制約が予定されていると考えるのである。

 また、実質的根拠を考えると、経済政策や社会福祉政策を考える際には政策判断の要素が重くなる関係で、裁判所は国会や内閣といった政治部門の判断を尊重する必要があること、がある。

 さらに、経済的自由の制約についてその判断に誤りがある場合、政治過程での是正が可能、かつ、有益という事情もある

 これらの事情は、精神的自由、特に、政治的表現の自由にはない事情である。

 

 この辺について、最高裁判所はいわゆる薬事法違憲判決で次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 もつとも、職業は、前述のように、本質的に社会的な、しかも主として経済的な活動であつて、その性質上、社会的相互関連性が大きいものであるから、職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して、公権力による規制の要請がつよく、憲法二二条一項が「公共の福祉に反しない限り」という留保のもとに職業選択の自由を認めたのも、特にこの点を強調する趣旨に出たものと考えられる。このように、職業は、それ自身のうちになんらかの制約の必要性が内在する社会的活動であるが、その種類、性質、内容、社会的意義及び影響がきわめて多種多様であるため、その規制を要求する社会的理由ないし目的も、国民経済の円満な発展や社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで千差万別で、その重要性も区々にわたるのである。そしてこれに対応して、現実に職業の自由に対して加えられる制限も、あるいは特定の職業につき私人による遂行を一切禁止してこれを国家又は公共団体の専業とし、あるいは一定の条件をみたした者にのみこれを認め、更に、場合によつては、進んでそれらの者に職業の継続、遂行の義務を課し、あるいは職業の開始、継続、廃止の自由を認めながらその遂行の方法又は態様について規制する等、それぞれの事情に応じて各種各様の形をとることとなるのである。それ故、これらの規制措置が憲法二二条一項にいう公共の福祉のために要求されるものとして是認されるかどうかは、これを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。この場合、右のような検討と考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。しかし、右の合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。

(引用終了)

 

昭和43年(行ツ)120号

昭和50年4月30日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「薬事法違憲判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/936/051936_hanrei.pdf

 

 最高裁判所はこの判決で「経済的自由の制約については政治部門に裁量があるので、その範囲には最高裁は突っ込まない。しかし、その裁量は常に同じではない」と述べている。

 このことから、いわゆる「合理性の基準」で判断するとしても、そのまま、あてはめに移るわけにはいかないようだ。

 そこで、この「合理性の基準」をさらに具体化するための方法がいわゆる「規制目的二分論」と言われるものである。

 

8 いわゆる「規制目的二分論」

 規制目的二分論とは何か。

 これは「規制目的によって違憲審査基準」を使い分ける、という考え方である。

 政治的表現の自由においては内容規制か内容中立規制かによって基準が変わった(このことを扱った過去問は次のリンクの通り)。

 その経済的自由バージョンと考えればいい。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 つまり、規制目的が経済活動がもたらす弊害を除去することにある場合、いわゆる消極目的規制の場合は厳格に判断する。

 逆に、社会政策(社会福祉政策)ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置、いわゆる積極手目的規制の場合には緩やかに判断する。

 これが規制目的二分論である。

 

 規制二分論の根拠は次のとおりである。

 つまり、積極目的規制においては、憲法社会福祉政策・経済政策を行うことを予定している(憲法25条以下)ところ、社会福祉政策・経済政策の政治的要素が極めて強く、裁判所は国会・内閣などの政治部門の判断を極めて尊重する必要がある一方、調査能力についても各分野に関する専門性を有する内閣・国政調査権憲法62条)を行使できる国会に比較して、裁判所の能力は国会・内閣には及ばないことが挙げられる。

 それに対して、消極目的規制においては、警察比例の法則に従うことになることから裁判所も積極目的規制との比較において判断が比較的容易であるも根拠の一つになる。

 

 

 まず、消極目的規制については最高裁判所は次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。

(引用終了)

 

 いわゆる「より緩やかな制限では目的を十分達成できない」というLRAを要求している。

 その意味で厳格な基準といいうる。

 

 他方、積極目的規制については最高裁判所はいわゆる小売市場距離制限事件で次のように述べている。

 

(以下、小売市場距離制限事件判決から引用、強調は私の手による)

 ところで、社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。

(引用終了)

 

昭和45年(あ)23号

昭和47年11月22日最高裁判所大法廷判決

(いわゆる「小売市場距離制限事件判決」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/995/050995_hanrei.pdf

 

 このように規制目的によって基準を分けている。

 ただ、内容中立規制と内容規制の境界が不明確であるという批判があったように、「規制目的二分論においても規制目的が併有している場合があるではないか」という批判が成り立つ。

 よって、規制目的だけで判別できない場合、規制態様を加味しながら基準を調整することになる。

 

 なお、最高裁判所は規制態様を考慮している。

 そのことを示しているのが、薬事法違憲判決の消極目的規制に対する前述の基準が示される部分の直前に書かれているこの部分である。

 

(以下、薬事法違憲判決から該当部分を引用、強調は私の手による)

 職業の許可制は、法定の条件をみたし、許可を与えられた者のみにその職業の遂行を許し、それ以外の者に対してはこれを禁止するものであつて、右に述べたように職業の自由に対する公権力による制限の一態様である。このような許可制が設けられる理由は多種多様で、それが憲法上是認されるかどうかも一律の基準をもつて論じがたいことはさきに述べたとおりであるが、一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限であるから、その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、(以下、上の引用に続く)

(引用終了)

 

 この点、「規制目的だけに着目し、規制態様には着目しない」という意味での規制目的二分論は妥当ではないだろう。

 しかし、規制目的と規制態様を見て基準を具体化するという発想は問題ないものと考える。

 いうなれば、「相対化された規制目的二分論」というべきであろうか。

 

9 本問における違憲審査基準

 以上の知識を前提に本問を見て、違憲審査基準を立ててみる。

 まず、問題文を確認しよう。

 

(以下、過去問の本文を引用、引用元は従前の通り)

 学校教育法等の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。

 学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事に対してその許可を申請した。

 X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間の過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため、教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

 この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 まず、X県知事の不認可処分はいわゆる「不許可処分」に準じて考えることになることから、営業の自由に対する全面的な制限である。

 このことは「教育の自由」で述べたことと変わりはない。

 よって、規制態様は強力ということになる。

 

 では、規制目的はどうだろうか。

 ちなみに、問題文にある「過当競争→経営基盤の不安定→教育水準の低下などの社会的害悪の発生するおそれの発生」という一連の流れは、薬事法距離制限事件と同様の主張である。

 そこで、薬事法違憲判決の関連部分を確認してみよう。

 

(以下、「薬事法違憲判決」より引用)

 薬事法六条二項、四項の適正配置規制に関する規定は、昭和三八年七月一二日法律第一三五号「薬事法の一部を改正する法律」により、新たな薬局の開設等の許可条件として追加されたものであるが、右の改正法律案の提案者は、その提案の理由として、一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進することの二点を挙げ、これらを通じて医薬品の供給(調剤を含む。以下同じ。)の適正をはかることがその趣旨であると説明しており、薬事法の性格及びその規定全体との関係からみても、この二点が右の適正配置規制の目的であるとともに、その中でも前者がその主たる目的をなし、後者は副次的、補充的目的であるにとどまると考えられる。これによると、右の適正配置規制は、主として国民の生命及び健康に対する危険の防止という消極的、警察的目的のための規制措置であり、そこで考えられている薬局等の過当競争及びその経営の不安定化の防止も、それ自体が目的ではなく、あくまでも不良医薬品の供給の防止のための手段であるにすぎないものと認められる。すなわち、小企業の多い薬局等の経営の保護というような社会政策的ないしは経済政策的目的は右の適正配置規制の意図するところではなく(この点において、最高裁昭和四五年(あ)第二三号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五八六頁で取り扱われた小売商業調整特別措置法における規制とは趣きを異にし、したがつて、右判決において示された法理は、必ずしも本件の場合に適切ではない。)、また、一般に、国民生活上不可欠な役務の提供の中には、当該役務のもつ高度の公共性にかんがみ、その適正な提供の確保のために、法令によつて、提供すべき役務の内容及び対価等を厳格に規制するとともに、更に役務の提供自体を提供者に義務づける等のつよい規制を施す反面、これとの均衡上、役務提供者に対してある種の独占的地位を与え、その経営の安定をはかる措置がとられる場合があるけれども、薬事法その他の関係法令は、医薬品の供給の適正化措置として右のような強力な規制を施してはおらず、したがつて、その反面において既存の薬局等にある程度の独占的地位を与える必要も理由もなく、本件適正配置規制にはこのような趣旨、目的はなんら含まれていないと考えられるのである。

(引用終了)

 

 薬事法の距離制限の目的が消極目的と判断された背景には次の事情があるようである。

 

1、そもそも中小企業の保護を目的としているわけではない

2、薬局の経営に関しては、「職務の公共性+役務の提供方法などに関する厳格な規制+対価としての経営基盤の安定化という特権の付与」といった構造がない

 

 よって、本問の幼稚園の経営が薬局の経営と同様のことが言えるのであれば、薬事法違憲判決のロジックに従い、消極目的規制として厳格な合理性の基準を採用することができる。

  

 確かに、本問も最終目的は「入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれの防止」であって、経営基盤の不安定の防止といった事情は手段に過ぎない。

 しかし、薬の販売と比較すれば、幼児教育は「福祉」の要素が強く、その意味で「職務の公共性」に関する要素は薬局と異なる。

 また、役務の提供方法などに関する規制について見ると、幼児教育は「教育」に属する分野であることから、学校教育法と関連法令による細かい制約があり、この点も薬局と異なるように見える。

 というのも、今、学校教育法と関係法令を見たところ、同法25条には「幼稚園の教育課程その他の保育内容に関する事項は、第二十二条及び第二十三条の規定に従い、文部科学大臣が定める。」とあり、また、学校教育法施行規則の第38条には「幼稚園の教育課程その他の保育内容については、この章に定めるもののほか、教育課程その他の保育内容の基準として文部科学大臣が別に公示する幼稚園教育要領によるものとする。
」とあり、また、幼稚園教育要領にはこれまた細かい内容が定められているからである。

 そして、この厳格な規制を考慮すると、「対価としての独占的地位の付与による経営基盤確保」についても薬局の場合と異なることになる。

 よって、「規制目的は積極目的ではない」とまで断言することはできないかもしれない

 本問を解く際には、学校教育法の細かい規定は知る必要はなく、その点を考慮するならば、「消極目的規制」に傾くことはありうるとしても。

 

 

 以上、前提知識について確認した。

 そして、本問が教育分野に関する営業の制限である点を強調すれば、あるいは、薬局営業との違いを強調するのであれば、積極目的規制に引き付けて考えることになる。

 この場合、違憲審査基準はいわゆる「明白性の基準」を採用することになる

 そうなれば、「入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれの防止」という規制目的は一応の合理性があり、手段として不認可処分を採用することも幼稚園の新設がこのおそれを惹起する可能性がある以上は、著しく不合理であるとまでは言えない。

 よって、積極目的規制を採用した場合の結論は合憲となる。

 これは「教育の自由」の観点から見た場合の結論と同様である。

 

 これに対して、「幼児教育は義務教育それ自体ではないから、公共性はそれほど高くない」、「文部大臣の定めるの定めた基準(学校教育法25条)はそれほど厳格ではない」、「不認可処分は強力な制限である」という点を強調すれば、本問規制は消極目的規制となり、いわゆる厳格な合理性の基準を採用することになる。

 このブログでは敢えて後者を採用し、以下、あてはめについて考えてみる。

 

 

 ただ、ここまでで結構な分量になってしまった。

厳格な合理性の基準」を採用した場合のあてはめについては次回で。