薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

司法試験の採点実感を読む

1 「採点実感」というマジックアイテム

 司法試験が現在のシステムに変更されてから、「採点実感」という採点者のコメントが発表されるようになった。

 例えば、去年(令和2年)の試験に関してはこんな感じで公開されている。

 

www.moj.go.jp

 

 当然だが、司法試験に合格したい者は必ず読まなければならない。

 この点、予備校・法科大学院等の講義・教材はこれらの採点実感を踏まえているはずなので、それらに接していれば間接的に採点実感に触れていることにはなる。

 しかし、訴訟法における「直接主義」の点を考慮すれば、というか、そんな大げさなものを持ち出すまでもなく、直接見るべきものである。

 

 さて、私が司法試験の勉強をしていた当時は、新旧両方の試験が行われていた(試験勉強期間中に現在のシステムの司法試験がスタートした)。

 そして、私が受験し、合格したのは昔のシステムの方。

 

 昔のシステムでは、こんなコメントは公開されなかった。

 出題趣旨が数行発表されるだけである。

 だから、採点実感の公開については「うらまやしー」という気持ちを抱いていた。

 

 この点、私は新司法試験を受験する全くなかった。

 しかし、当時の試験の採点実感はちゃんと読んだ。

 試験の形式は異なるとはいえ、同じ司法試験。

 採点者の思考・感想は極めて重要だからである。

 

2 「判読困難な~」というコメント

 さて、久々に採点実感を読んでみた。

 約10年ぶりであろうか。

 

 採点実感を見ると、「判読困難な答案がある」旨コメントしている科目が複数あった。

 必修科目(7科目)のうち憲法行政法民法、商法、民事訴訟法、刑法に同趣旨のコメントが見られた(刑事訴訟法にはなかったらしい)。

 

 この「読めん文字で答案を書くんじゃない」という趣旨のコメントは昔もあった。

 その点は昔も今も変わらないということか。

 

 さて、冷静に考えてみると、これは異様である。

 解答の内容以前の問題なのだから。

 そして、受験者は大学を卒業して法科大学院に合格し、卒業した者たちなのだから。

 司法試験は高校入試・大学入試ではない。

 

 この点、現在の人はスマホ・PC等の電子機器を活用しており、手を使って文章を書く機会は昔より明らかに少ない。

 そして、社会においても手で文章を書かなければならない機会は少ない。

 そう考えると、試験のシステムの方を変えた方がいい気がする。

 まあ、受験者全員分のPCを司法試験委員会が用意するとなるとそれはそれで大変であり、変更はかなり難しいのかもしれないが。

 

 また、当時も、そして、今は「さらに」というべきであろうが、司法試験の論文試験は時間が足りない。

 採点実感に「時間が足らないのは理解できるが~」と書いてある科目があったが、それはどの科目にも言えることであり、本当に時間が足りない。

 過去も昔もそうなのであれば、いっそ試験時間を増やした方がいいのではないか。

 別に、司法試験は10将棋や100メートル走ではないのだから。

 

3 憲法の採点実感を読む

 採点実感には採点者が答案に求めていることが書かれている。

 よって、それを読むことで「どんな答案を書けばいいか」が分かる。

 その結果、勉強法も分かる。

 さらに言えば、司法試験は「法律実務」に携わる者が合格しなければならない試験であるから、実務で求められているものなどについても分かる。

 というわけで、ここに込められている情報量は膨大である。

 

 このブログでは、「旧司法試験の憲法の人権の過去問を振り返ってみよう」という趣旨でいくつかの過去問を見直そうとしているので、憲法について読んでみた。

 求められる能力は過去も今も大差ない以上、これを踏まえることは過去問を振り返る上でも有益だからである。

 

 感想は次の2点。

 昔、色々と口酸っぱく言われていたことのいくつかは正しかったのだな、と。

 例えば、「どんな自由が侵害されているのか認定し、その自由が憲法上の権利として保障されていることを明示せよ(厚く展開しなくてもよいが)」というもの。

 あるいは、「規制目的を掲げ、直ちに、「正当(重要、または、合理的)」などと結論を出さず、規制目的を評価して、その評価を明示せよ」とか。

 この辺は、この採点実感を見る限り正しかったのだな、ということが分かる。

 

 他方、異なる部分もある。

 

 まず、違憲審査基準を立てるまでの過程。

 また、判例に対する評価

 この2点はなんか違う感じがある。

 

 ブログで過去問を取り上げる際には、この2点を踏まえているが、この2点は昔とスタンスが異なる。

 ただ、昔と今でどうして違うのか、その原因は分からないが。

 

4 さいごに

 最後に、風呂敷をかなり広げた感想を。

 

 採点実感というのは極めて有益な情報である。

 採点に関して緻密な情報を提供し、試験の目標・勉強の方針を具体的に明示している。

 

 しかし、ここまで明示していいのか、という疑問がある。

 もちろん、司法試験委員会(採点者)が具体例を示しつつ「こういう勉強をしろ」と言い、他方、受験者が「はい、わかりました」とそれに対応した勉強するのは非常に効率がいい。

 そして、司法試験の対象の広さを考慮すれば、効率を求めることが悪いことではないことも間違いない。

 しかし、過去問の情報以上に採点実感等としてこんなに情報を与えてしまえば、受験者側は「出題者の意図を断片情報から推測する」努力が不要になってしまう。

 それは、重大な副作用を生むのではないか。

 

 もちろん、採点実感を公開する背景・司法試験のシステムを変更した背景を振り返れば、「この措置がやむを得ないものである」という認識はある。

 だから、「やめるべき」とは言わない。

 ただ、「正解を与えすぎではないか」という気がするのである。

 

 それからもう一つ。

 昭和の時代、司法試験の合格者はかなり絞られていたと言われている。

 そして、それは制度改革の出発点となった。

 しかし、人数を増やしても質が悪化したら意味がない。

 そして、この採点実感を見る限り、「質は大丈夫なのか」という疑問を持たざるを得ない(私が合格した当時だって「質が云々」というコメントは多々あった)。

 

 この点、太平洋戦争の敗因の一つとして故・山本七平氏らは「員数主義」を示した。

 簡単に説明すると、「形式的に数があれば、あとはどうとでも」という考え方である。

 

 この「員数主義」は太平洋戦争後の様々な場所で見られているらしい。

 そして、私は法科大学院に携わる制度改革においても現れているのではないかと感じている。

 この点は、もう少し資料を集めて検討したい。