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司法試験の過去問を見直す5 その5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成12年度の憲法第1問についてみていく。

 

9 厳格な合理性の基準を用いた場合のあてはめ

 まず、問題文を掲載する。

 出典はこれまでと同様である。

 

(以下、過去問の本文を引用、引用元は従前の通り)

 学校教育法等の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。

 学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事に対してその許可を申請した。

 X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間の過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため、教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望児及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

 この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。

(引用終了)

 

 また、ここでの「あてはめ」は以上を前提とする。

 

・学校法人Aの制限された憲法上の権利は「営業の自由」である

違憲審査基準は、憲法上の権利の制限の程度が大きいこと、規制目的が主として消極目的規制であることなどを考慮し、「厳格な合理性の基準(目的が重要で、かつ、手段が目的との関係で実質的関連性を有する場合に合憲)」を用いる

 

 

 まず、不認可処分の目的、そして、その手段を具体的にみると、次のようになる。

 

・処分の目的=「教育水準の低下の防止」と「(休廃園の防止による)幼児とその親の選択の幅の確保」

・具体的な処分=不認可処分(教育による営業の全面的制限)

 

 

 この点、規制目的についてみていく。

 まず、幼児の未熟性を考慮すれば、幼稚園における教育水準の低下は幼児の学習権に対する侵害に直結しかねないものである。

 また、幼稚園の選択の幅の確保・維持することは、幼児の学習権の実効化に寄与し、また、親の教育の自由を実効化させるために役に立つ。

 そして、学習権は憲法26条により保障されるし、親の子供に対する教育の自由も学習権を実質化させるためのものとして憲法上の保護を受ける。

 よって、目的は公共の利益を実現するために重要なものであるといえる

 

 

 では、手段についてはどうだろうか。

 厳格な合理性の基準を用いる以上、手段の合理性は合理的関連性(形式的・抽象的な結びつき)の有無ではなく、実質的関連性、または、相当性の有無で判断することになる。

 

 この点、幼稚園の新設により需要サイドの当事者が増えることを考慮すれば、また、平成12年の当時においても少子化の進行が著しいことを考慮すれば、認可処分によって競争がより激化することは明らかである。

 その結果、個々、または、全体のの幼稚園の経営基盤が悪化する可能性は高い。

 そして、経営基盤が悪化すれば、教育水準の確保の低下が生じる可能性がある。

 また、経営悪化による撤退などにより休廃園が生じ、幼児とその親の幼稚園の選択の幅が狭まる可能性もある。

 このことを考慮すれば、不認可処分とその目的との間に合理的関連性がないということはできない。

 

 他方、発生する危険は「おそれ」でしかない

「明らかに教育の質が下がる」とか「明らかに選択の幅が狭まる」といった主張はしていない。

 さらに言うと、具体的な「蓋然性がある」といった主張でもない。

 需要サイドを増やせば競争の激化は明白なのに。

 

 そりゃそうだろう。

 競争により、切磋琢磨が生じ、教育の質が向上する可能性もあるのだから。

 あるいは、質の劣る幼稚園の休園・廃園によって需要サイドが入れ替わり、その結果として、教育の多様性が確保されるといったこともありうるのだから。

 

 この辺を考慮すると、X県知事の主張はちょっと弱くないか、という疑問が思い浮かぶ。

 

 

 ここで参考になるのが、最高裁判所薬事法違憲判決において述べている事実認定と事実評価である。

 この点、最高裁判所は薬局の距離制限(適正配置基準)について次のように述べている。

 

(以下、薬事法違憲判決より引用、セッション番号は省略して、それぞれ注で説明、また、文章ごとに改行、さらに、強調は私の手による、あと、本問と関係のない部分は省略)

四 適正配置規制の合憲性について。

(私の注、ここから「(一)」が始まる)

 薬局の開設等の許可条件として地域的な配置基準を定めた目的が前記三の(一)に述べたところ(私による注、これは「一部地域における薬局等の乱設による過当競争のために一部業者に経営の不安定を生じ、その結果として施設の欠陥等による不良医薬品の供給の危険が生じるのを防止すること、及び薬局等の一部地域への偏在の阻止によつて無薬局地域又は過少薬局地域への薬局の開設等を間接的に促進すること」を指す)にあるとすれば、それらの目的は、いずれも公共の福祉に合致するものであり、かつ、それ自体としては重要な公共の利益ということができるから、右の配置規制がこれらの目的のために必要かつ合理的であり、薬局等の業務執行に対する規制によるだけでは右の目的を達することができないとすれば、許可条件の一つとして地域的な適正配置基準を定めることは、憲法二二条一項に違反するものとはいえない。

 問題は、果たして、右のような必要性と合理性の存在を認めることができるかどうか、である。

(私の注、ここから「(二)」が始まる)

 薬局等の設置場所についてなんらの地域的制限が設けられない場合、被上告人の指摘するように、薬局等が都会地に偏在し、これに伴つてその一部において業者間に過当競争が生じ、その結果として一部業者の経営が不安定となるような状態を招来する可能性があることは容易に推察しうるところであり、現に無薬局地域や過少薬局地域が少なからず存在することや、大都市の一部地域において医薬品販売競争が激化し、その乱売等の過当競争現象があらわれた事例があることは、国会における審議その他の資料からも十分にうかがいうるところである。

 しかし、このことから、医薬品の供給上の著しい弊害が、薬局の開設等の許可につき地域的規制を施すことによつて防止しなければならない必要性と合理性を肯定させるほどに、生じているものと合理的に認められるかどうかについては、更に検討を必要とする。

(私の注、ここから「(1)」が始まる)

 薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。

(私の注、ここから「(2)」が始まる)

 被上告人は、右のような地域的制限がない場合には、薬局等が偏在し、一部地域で過当な販売競争が行われ、その結果前記のように医薬品の適正供給上種々の弊害を生じると主張する。

 そこで検討するのに、

(私の注、ここから「(イ)」が始まる)

 まず、現行法上国民の保健上有害な医薬品の供給を防止するために、薬事法は、医薬品の製造、貯蔵、販売の全過程を通じてその品質の保障及び保全上の種々の厳重な規制を設けているし、薬剤師法もまた、調剤について厳しい遵守規定を定めている

 そしてこれらの規制違反に対しては、罰則及び許可又は免許の取消等の制裁が設けられているほか、不良医薬品の廃棄命令、施設の構造設備の改繕命令、薬剤師の増員命令、管理者変更命令等の行政上の是正措置が定められ、更に行政機関の立入検査権による強制調査も認められ、このような行政上の検査機構として薬事監視員が設けられている。

 これらはいずれも、薬事関係各種業者の業務活動に対する規制として定められているものであり、刑罰及び行政上の制裁と行政的監督のもとでそれが励行、遵守されるかぎり、不良医薬品の供給の危険の防止という警察上の目的を十分に達成することができるはずである。

 もつとも、法令上いかに完全な行為規制が施され、その遵守を強制する制度上の手当がされていても、違反そのものを根絶することは困難であるから、不良医薬品の供給による国民の保健に対する危険を完全に防止するための万全の措置として、更に進んで違反の原因となる可能性のある事由をできるかぎり除去する予防的措置を講じることは、決して無意義ではなく、その必要性が全くないとはいえない。

 しかし、このような予防的措置として職業の自由に対する大きな制約である薬局の開設等の地域的制限が憲法上是認されるためには、単に右のような意味において国民の保健上の必要性がないとはいえないというだけでは足りず、このような制限を施さなければ右措置による職業の自由の制約と均衡を失しない程度において国民の保健に対する危険を生じさせるおそれのあることが、合理的に認められることを必要とするというべきである

(私の注、ここから「(ロ)」が始まる)

 ところで、薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。

 被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。

 確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。

 しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである

 被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。

 殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。

 このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない

 なお、医薬品の流通の機構や過程の欠陥から生じる経済上の弊害について対策を講じる必要があるとすれば、それは流通の合理化のために流通機構の最末端の薬局等をどのように位置づけるか、また不当な取引方法による弊害をいかに防止すべきか、等の経済政策的問題として別途に検討されるべきものであつて、国民の保健上の目的からされている本件規制とは直接の関係はない。

(私の注、ここから「(ハ)」となる)

 仮に右に述べたような危険発生の可能性を肯定するとしても、更にこれに対する行政上の監督体制の強化等の手段によつて有効にこれを防止することが不可能かどうかという問題がある

 この点につき、被上告人は、薬事監視員の増加には限度があり、したがつて、多数の薬局等に対する監視を徹底することは実際上困難であると論じている。

 このように監視に限界があることは否定できないが、しかし、そのような限界があるとしても、例えば、薬局等の偏在によつて競争が激化している一部地域に限つて重点的に監視を強化することによつてその実効性を高める方途もありえないではなく、また、被上告人が強調している医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等は、不時の立入検査によつて比較的容易に発見することができるような性質のものとみられること、更に医薬品の製造番号の抹消操作等による不正販売も、薬局等の段階で生じたものというよりは、むしろ、それ以前の段階からの加工によるのではないかと疑われること等を考え合わせると、供給業務に対する規制や監督の励行等によつて防止しきれないような、専ら薬局等の経営不安定に由来する不良医薬品の供給の危険が相当程度において存すると断じるのは、合理性を欠くというべきである

(私の注、ここから「(ニ)」・「(ホ)」があるが、この部分は省略)

(私の注、ここから「(ヘ)」が始まる)

 以上(ロ)から(ホ)までに述べたとおり、薬局等の設置場所の地域的制限の必要性と合理性を裏づける理由として被上告人の指摘する薬局等の偏在―競争激化―一部薬局等の経営の不安定―不良医薬品の供給の危険又は医薬品乱用の助長の弊害という事由は、いずれもいまだそれによつて右の必要性と合理性を肯定するに足りず、また、これらの事由を総合しても右の結論を動かすものではない。

(私の注、ここから「(3)」が始まるが、関連性が乏しいので省略)

(引用終了)

 

 少々長いので、まとめてみよう。

 

 結論から述べると、「被上告人(国)の「『薬局の偏在』から『不良医薬品の供給による国民の生命・身体・健康に対する危険の発生」という主張は、観念的なものに過ぎず、合理的な根拠に基づくものではない。また、代替手段によって目的も達成できる。(以上より、合理的な制限とは言えず、違憲)」となる。

 その理由として、「薬局が不良品を売れば、罰則や免許取り消しといった制裁が科されるところ、薬局がその制裁をものともせずに違法行為に手を染めることは考えにくいこと」・「薬局に対しては行政の監督が及び、立入検査権などの強力な手段もあること」・「本件の規制が必要になっている主原因は薬局ではなく、現金問屋やマーケットの展開や製薬会社の販売合戦などによることなども否定できないこと」・「監視手段を実効化する方法も十分あることなど」を挙げている。

 

 

 この最高裁判所の判決を比較しながら、本問を見てみよう。

 この点、薬事法違憲判決では規制を必要とする背景の原因は薬局以外、例えば、製薬会社やスーパーマーケットにも存在し、薬局のみに存在するわけではない旨述べている。

 これに対して、幼児教育の主体は幼稚園である

 とすると、薬事法違憲判決と比較すれば、不認可処分と処分目的との関連性はより強くなると言えそうである。

 しかし、結びつきが強いとしても、予見している害悪発生の可能性がそれほど高くない、という点は薬事法違憲判決ど同様である

 また、教育水準を満たさない結果、幼稚園が休廃園に追い込まれることは、幼児と親の選択の幅を制限することにつながらない。

 さらに、競争による教育水準の向上の可能性もなくはない。

 とすると、当該不認可処分は不認可処分の理由の実現に対して有効とまでは言えない、といえる。

 なお、本問のX県知事の主張にどこまでの合理的根拠が付されているかは不明であるが、「あれば問題文中に書かれているだろう」という点を考慮すると、「ない」と考えたほうがいいように思われる。

 例えば、合理的な裏付けがあるのであれば、「過去の事例から」といった文言があると思われる。

 

 次に、確かに、幼稚園に対する監督の程度は薬局ほど強くはない。

 しかし、学校法人に対する自治体の監督は学校教育法14条による勧告・命令によって可能であり、また、それに従わない場合は、学校教育法13条によって学校の閉鎖を命じることができ、学校の閉鎖を無視して教育を強行すれば学校教育法143条による刑事罰が待っている。

 となると、教育水準の低下に対する事後的介入は可能である、と言える。

 つまり、認可処分を下したうえで、これらの手段を使って教育水準の維持を図ることが十分可能であると考えられ、それを不可能と考える理由はこれまた「とりあえずない」ということになる。

 その一方で、X県知事の不認可処分はA学校法人の幼児教育の機会を全面的に奪うという強力なものである。

 とすれば、当該不認可処分は適切な手段と言えない、ということになる。

 

 したがって、厳格な合理性の基準に従えば、本問不認可処分は目的の重要性(合理性)は是認されるとしても、手段が目的との関係で有効・適切とは言えず、実質的関連性は認められない、ということになる。

 以上より、結論は違憲、になる。

 少なくても、「過去のケースなどから合理的に考えて教育水準の低下が発生する」とか「過去の事例から考慮すると、事後的介入では間に合わない」といった事情がない限り、合憲にもっていくのは厳しいのかなあ、と考えられる。

 

 

 以上、営業の自由から見た場合の検討をし、一つの結論を導いてみた。

 ただ、規制目的二分論によらないで違憲審査基準を組み立てる発想もあり、また、関連判例もある。

 それらを用いたらどうなるか、それについては次回以降でみていく。