薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す6 その1

 これまで、旧司法試験の二次試験・論文式試験憲法第1問(人権)の過去問を見てきた。

 具体的にみてきたのは、平成3年度・平成4年度・平成8年度・平成12年度・平成15年度の各問題である。

 

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 今回から新しい過去問、具体的には平成18年度の過去問をみていく。

 この過去問のテーマは「営利的言論」である。

 

1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成18年第1問

 まず、問題文を確認する。

 なお、過去問は法務省のサイト、具体的には、次のリンク先にあるものをお借りしている。

 

www.moj.go.jp

 

 問題文と出題趣旨は以下のとおりである。

 

(以下、平成18年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の問題文)

 国会は,主に午後6時から同11時までの時間帯における広告放送時間の拡大が,多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセスを阻害する効果を及ぼしているとの理由から,この時間帯における広告放送を1時間ごとに5分以内に制限するとともに,この制限に違反して広告放送を行った場合には当該放送事業者の放送免許を取り消す旨の法律を制定した。この結果,放送事業者としては,東京キー局の場合,1社平均で数十億円の減収が見込まれている。この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

(問題文終了)

 

(以下、平成18年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の出題趣旨)

 本問は,放送事業者の広告放送の自由を制約する法律が制定されたという仮定の事案について,営利的表現の自由の保障根拠や放送という媒体の特性を踏まえて,その合憲性審査基準を検討し,当該事案に適用するとともに,放送事業者に生じうる損害に対する賠償ないし補償の可能性をも検討し,これらを論理的に記述できるかどうかを問うものである。

(出題趣旨終了)

 

 出題趣旨を見て「興味深い」と考えるのは、「見込まれる損害に対してどうするか」ということが出題の趣旨に含まれていたということである。

 確かに、損害に対する救済手段として、憲法17条の国家賠償請求権や憲法29条3項の財産権の補償の条文がある。

 しかし、通常、このような問題であれば、当該表現に対する規制の合憲性を述べれば十分である、と考えられていた。

(よって、私も試験本番では国家賠償請求権などには触れていない、それでも、憲法はA評価であった)。

 

 この点、関連しうる条文は次のとおりである。

 

第12条後段(前段は省略)

 国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条後段(前段は省略)

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第17条

 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第22条1項

 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

第29条3項

 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 

 

 まず、本問の法律で制限される自由は何か。

 放送免許取消(あるいは、東京キー局の場合に生じる数十億単位の損害)の原因となる規制内容を見ると「午後6時から午後11時までの時間帯における広告放送を1時間あたり5分以内にすること」になる。

 つまり、「放送事業者の広告放送の自由」が制限されている。

 となれば、答案の型としては、①広告放送の自由を憲法上の権利とリンクさせる、②そのうえで、本件規制が例外として許されるか、違憲審査基準を立てて、あてはめを行う、ということになる。

 

 では、順にみていこう。

 

2 営利的言論の自由憲法上の保障

 そもそも、コマーシャルのような営利的言論の自由憲法上保障されるのか。

 また、保障される場合、何条によって保障されるのか。

 保障される場合、漠然と、あるいは、単に、「保障される」と書いても無意味であるから、条文を明示する必要がある。

 

 この点、コマーシャルといった営利的言論は営業活動の一環としてなされる。

 よって、表現活動の目的たる営業目的を強調すれば、営業の自由として憲法解釈上保障される22条1項によって保障されると考えることもできる。

 しかし、憲法21条1項は「その他一切の表現の自由」とあるのだから、表現の目的によらずとも21条の保障を受けると考えるのが自然である。

 さらに、営利的言論を受領する国民から見たところ、営利的言論の自由な発表は国民の知る権利の実効化につながるところ、この知る権利は憲法21条1項を再構成することにより、同条によって保障されると考えられている。

 したがって、営利的言論は憲法21条1項によって保障される。

 このことから、本問法律による放送事業者に対する広告放送の制限は憲法21条1項の制限にあたりうる。

 

 

 ・・・以上の内容は、記載の微妙な違いがあれ、私が平成18年の海の日に試験会場で答案に書いた内容である。

 そして、これがオーソドックスな書き方である。

 もちろん、この部分は答案の原則論であるから、大展開は不要であるとはいえども絶対に示さなければならない。

 

 ただ、知る権利云々は余計ではないか、と思わないではない。

憲法21条1項は表現の目的に制限はない。よって、表現の自由の保障を受ける。以上」でよいのではないか。

 あるいは、このような書き方をすると、「経済的な情報をアクセスする自由を当然のように憲法21条1項で保障されるとしているが、これは憲法22条で保障すべきという要素を何故無視していいのか」といった疑問も浮かぶ。

 まあ、コマーシャルによって得られた情報は経済活動のみに利用されるわけではないので、この疑問はこじつけに近い感じがしないではないが。

 

 次に、ここで21条と22条の違いって重要なのだろうか、という疑問もなくはない。

 もちろん、この点については、いわゆる「二重の基準論」の発想によれば、または、最高裁判所が経済的自由に対する規制には立法裁量を認める一方、精神的自由の規制に対する立法裁量を認めていない(立法裁量という言葉を用いていない)という発想から考えれば、21条と22条の差は大きいとも言いうる。

 この辺はよくわからない。

 

 

 以上、憲法上の権利の制限に関する認定は終わった。

 このブログでは21条1項によって保障される立場に立つ。

 

 次から、正当化の議論、いわゆる、違憲審査基準の定立とあてはめに移るわけだが、きりがいいので、今回はこの辺で。