今回はこのシリーズの続き。
旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成18年度の憲法第1問についてみていく。
4 「公共の福祉」による制約_あてはめ
まず、前回までの流れを確認する。
・広告放送の自由が憲法上の権利として保障される根拠条文は21条1項
・「公共の福祉」による制約として正当化される基準はいわゆる厳格な合理性の基準(目的が重要、手段と目的との間に実質的関連性がある場合に合憲)による
・規範定立においては営利的言論である点には言及したが、放送の特殊性には言及していない
(よって、あてはめにおいて「放送の特殊性」に言及する必要がある)
また、過去問の問題文を今一度確認する。
(以下、問題文を引用・掲載、引用元は法務省のサイトから)
国会は,主に午後6時から同11時までの時間帯における広告放送時間の拡大が,多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセスを阻害する効果を及ぼしているとの理由から,この時間帯における広告放送を1時間ごとに5分以内に制限するとともに,この制限に違反して広告放送を行った場合には当該放送事業者の放送免許を取り消す旨の法律を制定した。この結果,放送事業者としては,東京キー局の場合,1社平均で数十億円の減収が見込まれている。この法律に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
(問題文終了)
まず、規制目的の合理性(重要性)をみてみる。
本問法律による規制目的は「多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセス」を実現することにある。
「多様で質の高い放送番組を視聴者に提供し、そのアクセスを実現すること」は憲法21条によって保障される国民の知る権利の実効化に寄与する。
ならば、規制目的は公共の利益の実現にとって重要であると言える。
目的と憲法上の利益をリンクさせれば、規制目的の正当化は容易であろう。
大展開する必要はないが、押さえるべきところ、例えば、「事実を認定し、事実を評価し、要件へあてはめる」といったことはちゃんと押さえる必要がある。
この点、「多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセス」、これ自体を国家の責務に含めていいのか、という疑問はなくはない。
というのも、思想言論の自由市場に対する介入という要素を含まざるを得ないからである。
しかし、「国民の知る権利へ寄与すること」が国民の人権とリンクすることは間違いない。
その点を考慮するならば、目的の重要性を否定するのは苦しいと考えられる。
では、規制手段の相当性(実質的関連性)についてはどうだろうか。
まず、肯定的な事情に目を向けてみる。
この点、テレビ放送は放送事業者が国民に一方的に情報を提供するという特徴がある(いわゆる「お茶の間効果」)ところ、放送の質・多様性の低下は国民の情報アクセスに対して重大な悪影響を及ぼす。
そのため、放送の質の向上・多様化の必要性は高い。
次に、広告放送の時間に上限を作れば、放送事業者は番組時間を増やさなければならなくなる。
番組時間が増えることで、放送内容の多様性や質の向上に寄与する可能性がある。
また、1時間に5分以内であれば、一般に使われている15秒間の広告を1時間に20個流すことができる。
30秒間のCMであっても1時間に10個流すことができる。
そして、広告放送の時間の上限設定は午後6時から午後11時までの5時間だけであり、他の19時間については上限の制約がない。
また、広告の内容に対する制約があるわけではない。
とすれば、他の時間帯に広告放送を増やすこと、または、広告の内容を改良することで、従前の損害をフォローしながら、番組の質・多様性を確保していくといったことができないとは言えない。
これらの点を考慮すると、規制手段に一定の合理性があること自体を否定することはできないことになる。
ここから一気にひっくり返す。
本問規制に対する最大の疑問は、「広告放送時間の上限設定」によって「多様で質の高い放送番組への視聴者のアクセス」が実現できるのか、という疑問である。
確かに、広告時間の上限を設定すれば、番組の放送時間が増える。
しかし、時間が増えた分、中身が薄くなってしまえば、または、間延びしてしまえば質の向上にはつながらないし、同じ放送を繰り返すようであれば、これまた、多様性の向上にはつながらない。
そして、本問規制によっていわゆる東京キー局によって数十億の減収が見込まれている。
一般に、収入が減少すれば制作費用を削ることになることは容易に想定され、その結果、本放送の質は下がる可能性が高くなる。
また、減収と時間の増加が重なった結果、同様の放送が繰り返される・間延びするといった可能性が高まり、結果、多様性の向上の可能性も減少することになる。
このように、「減収とセット」で考えた場合、広告時間の上限設定という手段は質・多様性の高い番組へのアクセスという目的を達成する手段として現実的に有効とは言えない。
また、放送事業者の広告放送の時間の上限を制限するということは単に放送事業者の放送の自由を制約するという意味にとどまらない。
何故ならば、広告放送で放送されるCMは放送事業者から放送枠を購入した私企業のコマーシャルだからである。
そして、前述の通り、広告放送の上限枠の設定により東京キー局クラスの放送事業者で数十億の減収が見込まれている。
さらに、規制がかけられている時間帯の午後6時から午後11時はいわゆるゴールデンタイムやプライムタイムを含んでおり、この時間にテレビを視聴する人の割合が増えるのだから、この時間の広告放送を制限させれば、他の時間で挽回するのは難しいことになる。
そのため、放送事業者はこの減収をカバーするため、放送枠の単価を増やすことで対応せざるを得ない。
その結果、お金のない中小企業は本件規制により放送のCMから締め出されることになり、これらの企業の営業の自由を制限することになる。
さらに、お金のない企業を広告放送のCMから締め出した結果、放送事業者はお金のある小数の企業のCMに頼ることになり、その結果、放送事業者は小数となったスポンサーの意向に引きずられ、結果的に、情報の多様性を損なうといったことにもなりかねないことになる。
とすれば、当該規制手段は情報の偏りをもたらすおそれがあるという意味において有効性に疑義があり、加えて、放送という表現媒体の公共性に照らして考えれば、手段として適切であるとも言い難いことになる。
さらに、広告時間の制限に違反して広告放送を行った場合の制裁は免許取消であるから、将来の放送自体が全面的に不可能になる強力な規制である。
そして、金銭的な不利益処分で目的が十分達成できないといった事情が見受けられない本問においては過剰な規制と言え、手段として適切とは言い難いことになる。
以上を考慮すると、本問の規制目的は重要であるとはいえるもの、その手段の実効性に疑問があるのみならず、重大な副作用があると考えられ、手段と目的との間に実質的関連性があるとは言えない。
よって、本問規制は「公共の福祉」による制約として正当化できない。
以上より、本問法律は違憲である。
こんなところであろうか。
ここでは、「手段の実効性に疑問があるため違憲」という考えでいるため、代替手段の検討は特に考えていない。
なぜなら、代替手段を吟味する価値があるのは、「実効性があるが、副作用が大きい」という場合だからである(この場合、代替手段があれば違憲、なければ合憲になる)。
ただ、「多様性あふれた、しかも、質の高い放送番組へのアクセスの実現」を達成するための具体的な手段ってあるのだろうか?
確かに、広告放送の時間の上限設定が安易であるとは言いやすい。
しかし、他の適切な手段があるのかどうか、と考えるとよくわからない。
一案として、国が情報の偏りを是正するような番組に対するスポンサーになる、つまり、そのような番組を作るために補助金を出すという手段が考えられる。
しかし、これはこれで別の重大な問題を引き起こしそうな気がする。
以上、過去問の検討を行った。
次回は、本問を通じて考えたことについて述べていきたい。