薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 13

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

17 「第15章_私的所有権こそ資本主義の急所」を読む

 第15章の主役は川島武宜博士である。

 川島博士は法学者である。

 

 前章の大塚博士はマックス・ウェーバーを研究し、資本主義がどのようにして発生したのかを調べた。

 それに対して、川島博士は資本主義が作動するための条件、特に所有権について調べた。

 資本主義を支えているものの研究という意味では、両名は共通する。

 

 ジョン・ロックの思想のところで述べたとおり、資本主義は自然状態である。

 また、自然状態は政府(国家権力)ができる前の段階であり、その自然状態において既に個人は財産を持っている。

 よって、「所有権不可侵の原則」が成立し、これが資本主義の基本となる。

 

 ところで、所有権不可侵の原則、換言すれば、私的所有の原則、私有財産制度。

 資本主義社会に生きている私たちにとって当然に見える私有財産制度、これは資本主義のみに生じる稀有な制度である。

 このことを調査・研究して主張したのが川島博士である。

 

 

 ここで、「私有財産制度における所有権」について考える。

 私有財産制度に所有権の特徴はその「抽象性」と「絶対性」にある。

 

 まず、「所有権の抽象性」とは、占有(現実に所持していること)と所有権が原則として無関係であること。

 日本の民法では所有権の他に占有権という概念があるが、所有と占有が一致していなくてもよいと考えることが所有権の抽象性の特徴である。

 

 例えば、Aさんが土地付きの家が持っている(登記もある)。

 その土地付きの家をBさんに貸し、Bさんが住んでいる。

 この場合、土地付きの家という財産を現実に所持しているのは住んでいるBさんである。

 しかし、所有者はAさんである。

 具体的に、現実的に所持していなくても、Aさんの所有(財産)となるのである。

 これが「所有権の抽象性」の具体例である。

 

 次に、「所有権の絶対性」とは所有者は財産に対して自由に使用・収益・処分をすることができる、つまり、なんでもできることを指す。

 例えば、親から先祖代々住んでいた家屋とその家屋が建っている土地を承継したとする。

 この場合、親から土地・家屋をもらった子どもはこの財産を自由に処分することができる。

 家を好きなようにリフォームすることができるし、家を破却して高層マンションにして金儲けに走ることもできる(もちろん失敗して土地家屋を手放す可能性もある)。

 さらに、土地付き家屋をそのまま売り飛ばすこともできる。

「法令上の制限に抵触しない限り所有者は何でもなしえる。伝統等の社会的事情によって、所有者の使用・収益・処分の方法に制限を受けない」というのが所有権の絶対性の特徴である。

 例えば、日本の民法には206条に「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。」と書いており、この所有権の絶対性の原則が述べられている。

 なお、「法令」とあるが、この法令が憲法(近代憲法)に違反していないことは大前提である。

 

 

 この所有権の絶対性。

 これが成立するのは近代資本主義だけである。

 

 例えば、江戸時代を見てみる。

 ある家臣が大名(領主)から褒美(恩賞)として名馬をいただいたとする。

 資本主義の所有権の絶対性に従えば、名馬をどう使おうが自由ということになる。

 しかし、この時代、そんなことができたかと言えばそんなことはない。

 例えば、馬刺しにして食べる、馬を見世物にする。

 このようなことをすれば、直ちに切腹を含む法的制裁を浴びることだろう。

 

 また、江戸時代には田畑永代売買禁止令などというルールがあった。

 この法令、その内容は田畑を売ってはならないという。

 田畑の所有権の処分(譲渡)を全面的に禁止するものであり、現代でこんな法律を制定しようものなら憲法29条1項違反として即刻違憲になるレベルである。

 もっとも、このルールは訴えが生じないかぎり運用されることはほとんどなかったらしいが。

 

 さらに、徳政令を考えてみる。

 例えば、商人が旗本や大名に金を貸したが返済されない。

 現代ならば国家権力の一翼たる裁判所に訴えることになるが、それを当時の国家権力たる幕府に訴えても何もしてくれない。

 それどころが、財産(債権)の存在自体を無効化してしまう。

 いくら憲法などで財産権の保障を謳ったところで、それを実現する制度がなければ画餅に終わる。

 そのため、近代国家では訴訟と差押(保全)というシステムがあり、裁判所がその仕事を担当している(もちろん、ないところから差押えることはできないし、財産がないからといって相手を奴隷として売り飛ばすことができないとしても)。

 しかし、江戸幕府は何もしてくれない。

 資本主義を前提としていない江戸幕府だから問題ないと言えばそれまでだが、これまた資本主義から見れば重大な怠慢になってしまう。

 

 

 さて、この資本主義(近代)における所有権の抽象性と絶対性。

 この発想はどこから生まれたのか。

 この発想はキリスト教の神(クリエーター)と被造物(人間)の関係から見出すことができる

 つまり、キリスト教において「神は(世界・人に対して)なんでもできる」。

 このタテの関係を人と物(財産)の関係に置き換えれば、「人は財産に対して何でもできる」となり、所有権の絶対性が成立する。 

 

 このように所有権の絶対性を前提に置くことによって、資本主義の精神の一つである「目的合理性」も働くようになる。

 何故なら、所有権の絶対性がなければ、財産を自由に処分できず、合理的な計画が立てられないからである。

 なお、所有権の絶対性によって利子が生まれるが、利子の正当化が資本主義の作動の前提にあたることはすでに述べた通りである。

 

 ところで、私有財産制度の背景にキリスト教があることを考慮すれば、日本人には私有財産制度があまり理解されていないことが推察される。

 例えば、日本の株式会社を挙げてみればいい。

 少し前「会社は誰のものか」みたいな話題があったが、近代資本主義の私有財産制度から見れば答えは「株主」一択である。

 しかし、少し前まで日本の会社は所有者たる株主の不在なまま経営され、占有者たる経営者や労働者のものと思われていた。

 このことを見れば、所有権の抽象性についての理解が浸透しているとは言えまい。

 さらに、官僚の私物化(家産官僚)の問題も所有権の抽象性を前提にすれば分かりやすいだろう。

 もっとも、その原因を占有者に求めるのは酷な気がする。

 これは下剋上というより、上(所有者)の下(占有者)への依存と言った方がいいように思われるので。

 

 

 さて、資本主義・近代の私有財産制度。

 このような所有権の絶対性が認められるのは資本主義だけである、というのが川島博士の主張である。

 

 例えば、鎌倉時代には「悔い還し権」というシステムがあった。

 当主である親が隠居して、嫡男に家督が譲られ、所領・土地も譲られ、さらに、幕府もこれを承認した。

 しかし、この場合、嫡男たる新当主は土地を自由に処分できると思いきや、さにあらず。

 先代たる親の満足のいくように土地を使用・収益しなければならない。

 先代たる親に不満があれば、親は「悔い還し権」を行使して、所領を取り返すことができる(そして、幕府もそれを承認する)。

 これでは、土地の上級所有者は親(先代)のままであり、子は下級所有者に過ぎないではないか。

 これでは、所有権の絶対性もへったくれもない。

 

 次に、資本主義発生前のヨーロッパの事例を見てみる。

 ヨーロッパの土地の所有者は土地を自由に処分することができなかった。

 必ず上級の領主に同意を得る必要があり、そのためには同意を得るためのお金を支払う必要があった。

 また、上級所有権・下級所有権といったように、一つの物に対して複数の所有権が成立しえた。

 このように資本主義以外の時代の「所有」は資本主義における「所有」とは異なるものと言ってよい。

 

 このような複雑怪奇な所有権を認めていては、資本主義における合理的な計画は立てられない。

 また、古典経済学派のドグマたる自由放任から見れば、複雑怪奇な所有権は自由を妨げる。

 そういうことがあって、近代資本主義の所有権はシンプルになり、所有権の抽象性と絶対性が認められるようになったのだろう。

 もっとも、日本の民法にも昔の名残は残っている。

 例えば、地上権・永小作権・地役権といった所有権以外の物権が存在し、これらは実質的に見れば下級所有権のようなものである(物権であることから誰にでも主張できるという意味での一定の絶対性がある)

 ただし、「所有権」という言葉は使われないが。

 

 

 本章はここから資本主義の市場、つまり、自由市場について話題が移る。

 近代資本主義の市場は「需要と供給によって価格が決まる市場」である。

 もちろん、需要が価格を押し上げるといった現象は「洛陽の紙価を高める」といった故事、凶作時の米価の高騰を見れば分かる通り、資本主義以外の市場にもある。

 しかし、需要と供給以外の要素によって価格が致命的に変わるといったこともある。

 

 例えば、中国のケース。

 中国の親しさについてはある程度枠組みが決まっている。

 一番親しい者が「幇会」であり、三国志劉備関羽張飛の関係のようなもの。

 次が、「情誼」と呼ばれるもので、以下「関係」・「知り合い」と続く。

 このように、中国では需要と供給だけではなく、人間関係の濃淡により価格が変わるのである。

 

 このケースから近代資本主義の市場を見ると、やや奇異に見える。

 つまり、需要と供給だけで価格が決まると考えるのだから。

 では、この近代資本主義の市場(自由市場)が成立する場合とは何か。

 それは「完全競争市場」が成立している状況を指し、次の条件を満たす場合をいう。

 

① 財の同質性

② 需要者・供給者の多数性

③ 完全情報

④ 参入と退出の自由

 

 まず、①の「財の同一性」とは相手を差別しないことをいう。

 つまり、「この人なら売らない(買わない)」とか値段を変えたりしないことをいう。

 例えば、京都の一流の老舗のように「一見さんお断り」みたいなこともしない、「まんじゅうはこの店以外買わない」といったことをしないということである。

 次に、②の「需要者・供給者の多数性」というのは、個々の売買の量が全体から見て僅少であり、価格を滑らせるレベルにはならないこと、つまり、個人による価格操作ができないことをいう。

 さらに、③の「完全情報」とは、市場に関する総ての情報が総ての市場参加者に瞬時に届いており、かつ、そのコストがゼロであることをいう。

 最後に、④の「参入・退出の自由」はいつでも市場に参加し、かつ、退出する自由があることをいう。

 

 この条件が満たされれば、経済学の諸法則は作動する。

 もちろん、このような市場が必ず存在するわけではない、それどころかレアであることは中国の例を引くまでもなく明らかではあるが、。

 

 

 ところで。

 資本主義が興り、産業革命を経た19世紀末、セイの法則」が作動していたことにより、順調に資本主義は成長していた。

 その前提として「所有権の絶対性」があったことは言うまでもない。

 

 もっとも、20世紀に入り、「セイの法則」が作動しづらくなった。

 その後、大恐慌によって古典派が一度大きく失墜したのはこれまで見てきた通り。

 

 この点、セイの法則」が成立しない段階では、古典派の言う「自由放任」ではダメで、ケインズが述べた政府の経済政策が必要になる。

 ヒトラーアウトバーン建設などの公共投資によってドイツの不況を立て直した。

 

 では、ケインズの経済政策と「所有権の絶対性・抽象性」は矛盾しないのか。

「古典派=自由放任=所有権の絶対性・抽象性」との関連を考えれば矛盾しないはずがなさそうである。

 

 公共投資をするには元手が必要になるところ、政府の元手は税金である。

 そして、従前にない公共投資を行うならば新たな財源が必要になり、政府は国民の財産を税金として徴収する必要がある。

 そのため、公共投資は新たな財産権の制限になりうるので、公共投資には憲法から見た合理的な理由が必要になる。

 また、政府の公共投資は政府による経済活動であるから、民間の経済活動を圧迫する可能性がある(所謂、クラウティングアウト)。

 そこで、ケインズの主張に基づいてルーズベルト大統領がやろうとしたニューディール政策は片っ端から憲法訴訟のネタになり、連邦最高裁判所違憲にしていった。

 そのため、ルーズベルト最高裁の判事に自分の子分を送り込むことになる。

 

 また、大恐慌によって経済的自由の規制目的二分論が出てきたこと(消極目的規制の違憲判断は厳格に、積極目的規制の違憲判断は緩やか判断する)こともあり、「所有権の絶対性」も大きな変容を遂げることになる。

 例えば、当時、最も先進的なワイマール共和国憲法には財産権の規定について「所有権には義務が伴う。その行使は公共の福祉に役立つべきである」と示しており、所有権の絶対性が修正されている。

 

 

 近代資本主義を支えてきた所有権の絶対性、それから、契約の自由。

 これらは大恐慌や資本主義の成功によって崩壊・修正されようとしている。

 では、この変化の過程・変化の方向はどうなるのか。

 将来を見据えるうえで、過去の「所有」について調べた川島博士の業績は貴重な出発点になるだろう、と述べて、本章は終わる。

 

 

 うーむ、前章と本章は資本主義の前提に関する話であり、参考になった。

 次回でまとめをして、本書のメモを終わりとしたい。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 12

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

16 「第14章_資本主義の探究に生涯をかける」を読む

 第14章の主役は大塚久雄博士である。

 大塚博士はマックス・ウェーバーの解釈を探求した博士であり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の訳本を書かれた方である。

 

 

 第12章で紹介された高田博士は経済学に「勢力論」を導入した。

 また、外国の様々な経済学者の学説を日本に導入し、日本の近代経済学の基礎を築いた。

 その高田先生をして「理解できない」と言われた経済学者が二人いたそうである。

 一人はジョン・メイナード・ケインズ、もう一人がマックス・ウェーバー

 

 この点、ケインズについては前章の森嶋教授、サミュエルソン、ヒックス等によって解明された。

 その内容は『思想としての近代経済学にまとめられている通りである。

 

 他方、マックス・ウェーバーについて。

 ケインズは「経済学」の天才である一方、マックス・ウェーバーは経済学・法学・政治学等社会科学全般の大天才であるのみならず、音楽社会学なるものまで考えた。

 そのため、ウェーバーの分析を正しく評価出来た人間はほとんどおらず、ウェーバーの主張を正確に読みぬき、その分析を誰にでも理解できる形で解説したのはウェーバーがこの世を去ったあとであった。

 具体的には、アメリカのタルコット・パーソンズ博士、日本では大塚久雄博士である。

 

 

 パーソンズ博士は20世紀を代表するアメリカの社会学者である。

 パーソンズ博士はウェーバー、デリュケム、フロイト、パレートの四人を四大社会学者であるとし、彼らの説を中心に新社会理論を構築し、社会学研究に一世を画した。

 

 一方の大塚久雄博士。

 大塚博士は『プロテスタンティズムの倫理の資本主義の精神』を訳したが、本文のみならず脚注の一つ一つに至るまで訳している。

 脚注を訳したのは、脚注にこそウェーバーを理解するための重要なヒントが散りばめられているからである。

 このように、大塚博士の業績の中で特に重要なものはウェーバーを根本から理解し、徹底解説したところにある。

 現在、我々がウェーバーの偉業と学説を学ぶことができるのは大塚博士のおかげ、と言っても過言ではないだろう。

 

 

 このウェーバーの遺産は膨大である。

 何故なら、ウェーバーの業績は経済学のみならず、宗教社会学法社会学、政治社会学等多岐にわたるからである。

 さらに、官僚研究については格別である。

 ただ、ウェーバーの業績のエッセンスは経済社会学と宗教社会学に集約されている。

 

 この点はマルクスと比較すると分かりやすい。

 マルクスは「経済構造」が社会を見るうえで重要であると考え、この経済構造によって社会は規定されていると考えた。

 他方、ウェーバーは経済と宗教が社会を見るうえで重要であると考えて、ここから社会構造の本質に切り込んだ。

 そのうえで、「近代資本主義の背後には宗教がある」と指摘するのである。

 

 ところで、上述の研究の際、ウェーバーは様々な社会とその歴史を調べた。

 古代エジプト、古代メソポタミア、古代ヘレニズム、古代ローマ、古代インド、古代中国、イスラム帝国、中世イタリア、中世ドイツなどなど。

 この点、大塚博士も「歴史と数学が好き・得意」という稀な才能を持っており、その点はウェーバーと似ている。

 

 

 資本主義の背後にはキリスト教があることを発見・主張したウェーバーであったが、これに対しては反論が続出した。

 しかし、この反論が誤読・誤解に基づくことを発見して、ウェーバーの論著と思想を日本に伝えたのが大塚博士である。

 

 この点、ウェーバー以前の学者たちは「資本と技術と商業が発展すれば、勝手に資本主義になる」と考えていた。

 しかし、三条件が揃って繁栄を極めた地方は様々なところにあるので、その考えが正しければそれらの地方で資本主義が興ってもおかしくはないところ、どの地方でも近代資本主義は発生しなかった。

 例えば、中国の明の時代の技術・資本・商業はどれを見ても産業革命前夜のイギリスよりも素晴らしかった。

 永楽帝の時代の1405年、中国の提督が大艦隊を率いてインド洋を航海したが、その航海に用いられた船は80隻、乗員の総勢は約1万に及び、船の中には8000千トンというものすらあった。

 これに対して、コロンブス西インド諸島に向かったのはその約100年後であった。

 しかも、コロンブスの航海に用いられた船は一隻約120トン、乗員約50人。

 明の経済は当時のヨーロッパをはるかにしのぐものだったと言ってよい。

 しかし、中国に資本主義は興らなかった。

 そこで、ウェーバーは「資本主義の発生には主観的なもの、つまり、資本主義の精神が必要であり、その源泉となったのが核となるのがキリスト教の禁欲的な倫理観である」と主張した。

 

 これに対して、反論が怒涛の如く現れたのは言うまでもない。

 例えば、ウェーバー批判の急先鋒、経済学者ルヨ・ブレンターノは「キリスト教が『もっと儲けよ、もっと欲をかけ』と教えたことはない」・「宗教改革によって、営利欲に対する宗教的束縛が緩和されたから、人々はその営利欲を解放して資本主義を作り上げたのだ」と批判した。

 確かに、この批判は分かりやすいし、ウェーバーを読まずに聞けば「なるほど」と言いうる。

 大塚博士も大学の講義でこの批判を聴いたときはこの批判を「その通り」と考えたらしい。

 ただし、大塚博士はウェーバーの主張を精読しているうちに、ウェーバーの主張とウェーバーに対する批判の間の食い違いに気付くことになる。

 

 

 この点、資本主義を前提とせずに経済的繁栄を遂げた国はたくさんある。

 それらを総称して「前期的資本」と言うところ、「前期的資本」は商品交換と貨幣の流通があれば成立する。

 さらには、前期的資本によって経済的繁栄を遂げることは可能であり、その繁栄が資本主義による繁栄を上回る可能性だって否定できない。

 例えば、前述の中国のように。

 あるいは、現代の経済発展著しい中国もその例になるのかもしれない。

 しかし、重要なことは「前期的資本は近代資本主義の資本になることはない」ということである。

 そして、近代資本主義を生み出すためには、前期的資本を支えるプラットホーム、例えば、封建制のような前近代的制度や「伝統主義」を吹き飛ばす必要がある。

 そのプラットホームを吹き飛ばすためには資本・商業・技術もさることながら、プラットホームを吹き飛ばすだけの行動も必要であり、そのためには伝統主義等の基づくエートスから資本主義のエートスへの転換が必要なのである。

 そのエートスの核となったのが禁欲的なプロテスタンティズムであるというのがウェーバーの主張である。

 

 このように、ウェーバーを理解するためには宗教的な理解が不可欠ということになる。

 そして、大塚博士がそのウェーバーの主張を理解できたのは、科学的・論理的思考に優れ、世界史に精通し、そして、敬虔なクリスチャンである、らしい。

 

 

 本章の最後ではウェーバーの理解が急務と判断した小室先生と大塚博士のやり取りが紹介されている。

 このような時間を過ごせたのは確かに至福だろうなあ。

 

 以上が本章のお話。

ウェーバーを理解しようかなあ」と考える自分がいる一方、「これは自分にできるのか」・「やりだしたら泥沼にはまりそう」と考える自分もいる。

 さてさて、どうしたものか。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 11

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

14 「第12章_日本に経済学の道を拓いた先駆者」を読む

 この章から日本の経済学者の巨匠たちに話が移る。

 

 第12章の主役は高田保馬博士である

 この点、日本で本格的に近代経済学を研究したのは東京帝国大学出身の安井琢磨、木村健康の両教授であった。

 しかし、研究の視点となる当時の先端理論・学問の正統を導入したのは、京都帝国大学で教鞭をとっていた高田保馬博士である。

 

 高田博士は社会学を専攻した。

 そして、社会学において独自の学説を構築して、二つの大著を遺した。

 一つ目は『社会学原理』、もう一つが『社会学概論』である。

 

 高田博士は大学を卒業して数年後、母校の講師に就任するが、経済学の講師としてであった。

 しかし、高田博士は経済学の素人ということはない。

 学生時代から経済学の教科書も親しく読んでいたのである。

 また、高等数学への造詣も深めており、そのことが高田経済学の重要な礎石の一つとなる。

 

 その後、様々な大学を経て、再び京都帝国大学の教授になる。

 その際に刊行されたのが『経済学新講』である。

 この教科書は海外の代経済学者の理論・学説を紹介・解説したものであるが、各学説の意味と位置づけを正確に示している。

 

 

 では、高田博士の達成した偉業の背景には何があるのか。

 著者(小室直樹先生)によると語学力と数学的素養だという。

 当時、海外に留学するといっても国費を使ったもので期間は1年である。

 語学の壁もあり、海外の成果を持ち帰るのは極めて困難である。

 しかし、高田教授はドイツ語とフランス語が得意であり、初期の論文をドイツ語で書くほど語学力があった。

 また、数学的素養も大きい。

 当時の日本の経済学者は数学を勉強していなかった(と本書では書かれている)。

 他方、ヨーロッパでは経済学も数学も同じ学部、「Department of Arts and Sciences」という学部に含まれており、学者同士の交流等も盛んであった。

 そして、ワルラスの研究以後、経済理論の構築に高度な数学が駆使されるようになった。

 そのため、数学に無縁であれば、近代経済学を理解するのは無理である。

 しかし、高田博士は数学的モデルを正しく理解していたため、海外の経済学を正確に理解しえたのである。

 

 

 では、高田博士の経済学的業績は何か。

 それは、「独自の勢力論」を経済理論に導入したところにある。

 この点、現在の経済学では「需要と供給が等しくなったところで価格が決定される」と言われている。

 しかし、高田博士によるとその結果得られる数値(価格)は近似に過ぎないという。

 そして、「勢力(パワー)」によって価格が近似値からずれると主張したのが高田博士である。

 このような主張ができたのも高田博士が経済モデルを的確に理解していたからに他ならない。

 つまり、モデルがどんな設定(仮説)の下に成立しているかを把握し、そのモデルに変数を加えた(単純なモデルから現実に近いより複雑なモデルに変化させた)結果、このような主張ができたのである。

 

 この「勢力」の具体例が「力の欲望に基づくもの」である。

 この点、一般に言われるように、「効用」があると判断すれば商品は買われる

 例えば、「計算が簡単にできるから電卓を買おう」というように。

 しかし、「他人が買ったから、うちも買う」というようなこともありうる。

 例えば、「みんながスマホを持っているから自分もスマホを持つ」というように。

 そうなれば、効用はそのままであっても、需要が高まるので価格は押し上げられる。

 この効果が「勢力」による価格効果の上昇の具体例であり、「デューゼンベリー効果」と呼ばれているものである。

 この効果は、中国やアラビア等、定価制を採っていない地方における価格の決まり方を見る際に参考になる。

 この場合、買う人が親しければ安く売るが、旅行者など疎遠の者には高く売りつける。

 これも勢力論から考えれば経済学的に合理的な行為であることが分かる。

 

 

 さらに、高田博士はケインズ・ウェイバーの理解・解釈の先駆者であった

 ケインズウェーバーの価値を理解し、その研究に道筋をつけたのは高田博士である。

 そして、この高田先生の弟子にあたる方が次章の主役、森嶋通夫教授である。

 

15 「第13章_日本が生んだ世界に誇れる経済学者」を読む

 第13章の主役は森嶋通夫教授である。

 森嶋教授は日本で最もノーベル経済学賞に近い日本人であり、日本を代表する理論経済学者であり、国際的にも最もよく知られた日本人経済学者である。

 森嶋教授は日本で教鞭をとられていた期間よりも英国の一流校を拠点に活躍されていた期間の方が長い。

 また、ポストの少なく、就任が大変なことで知られるイギリスの名門大学の教授にも就任している。

 なお、近代経済学理論を欧米から吸収して日本に紹介したのが前章の高田博士、それを礎にして日本の近代経済学を確立したのが前章で登場した安井琢磨教授、そこから世界レベルの研究成果を生み出したのが森嶋教授ということになる。

 

 

 なお、本書によるとノーベル経済学賞を狙える日本人は森嶋教授以後いないらしい。

 そして、著者によると、その原因は受験によって学問のあり方や学問に対する意識が変容してしまったから、という。

 つまり、森嶋教授の時代は受験「戦争」というものはなかった。

 もちろん、大学入試はあり、それはそれで大変であったものの、今に比べればそれほどでもなかった。

 しかし、高度経済成長を経て昭和40年頃から受験事情は様変わりし、受験が激化するとともに、受験が目的化し、さらには、受験が大衆化した。

 その結果、受験時代に勉強に追われていた学生は受験が終わったら勉強をやめてしまうという現象が生じてしまったのである。

 これでは、、、というわけである。

 私もとある場所でこれに準じた感想を持つことがあったので、これについては「さもありなん」以上の感想は持てない。

 

 また、最近、早稲田大学政経学部で数学を受験科目にして話題になったが、経済学部の入試から数学を外してしまったことも人材が育たない原因だろう。

 近代経済学に数学が必須なのは言うまでもない。

 この点、数学ばかりに傾注している経済学の現状を批判しているものもあるが、それとて数学を用いることを否定してはいない。

 それらの批判は「別の要素も考慮せよ」と言っているが、「数学を用いるな」と主張しているわけではないのだから。

 

 

 では、経済学を会得する秘訣は何か。

 それは、ヒックスの主著『資本と価値』に書いてあることを使いこなせるようにすること、にある。

『資本と価値』は本格的な数学が使われている関係で、「読解が困難である」、「多くの経済学者にとって理解するのに五年以上かかる」と言われていた。

 にもかかわらず、森嶋教授は『資本と価値』を理解して活用しようと決意したのである。

 では、『資本と価値』をどのように読めばいいのか。

 それは、「本文の表現を数字・数式に変換する、そのうえで巻末の数学的付録と使わせる」ことである。

 そして、『価値の資本』をマスターしたら、サミュエルソンの『経済分析の基礎』を読み、自らケインズモデルを作成してみればいいのだそうだ。

 

 

 次に、森嶋教授の業績についてみてみる。

 まずは、二十七歳で上梓した『動学的変動理論』がある。

 これは、一般的な価格の成立機構を論述したものである。

 次に、「ターンパイク理論」をめぐる貢献がある。

 この「ターンパイク理論」を一言で言えば、「最適成長路をいかにして求めるか」という問題を解決するための理論である。

 ケインズ以降、経済成長が問題になるにつれて、成長のプロセスやプロセスの求め方が注目されるようになった。

 その求め方に関する理論が「ターンパイク理論」という。

 さらに、リカードワルラスマルクスの理論を数学的モデルとして表現したことも重要である。

 特に、森嶋教授はマルクスの労働価値説を近代経済学の最先端の知識を使って再構築している。

 

 

 話はここから「『セイの法則』の呪縛」に移る。

 

セイの法則」は古典派のドグマであり、公理である。

 つまり、古典派の「レッセ・フェール(自由放任)」を正当化させているルールが「セイの法則」である。

 

 この点、リカードセイの法則の重要性を意識していたし、意識的に利用していたため、「セイの法則」から自由であった。

 しかし、リカード以後の経済学者は「セイの法則」の重要性を必ずしも理解していなかった。

 意識的に「セイの法則」を否定している人ですら、無意識にセイの法則を使っていたという有様であった。

 それが理論公害を起こし、世界恐慌において何もできなかったというのはケインズの章で述べた通りである。

 この「セイの法則」の決定的重要性を見抜いて解説したのが森嶋教授なのである。

 

 この点、産業革命以降、セイの法則は成立していたが、次第に成立しなくなっていった。

 つまり、昔はセイの法則が成立し、利益は総て投資に回され、貯金がなされない世界であった。

 しかし、今の日本を見ればわかる通り、「利益が総て投資に回されるような世界」が常に成立するとは限らない。

 そして、その状況は第一次大戦後にさらに顕著になった。

 つまり、第一次世界大戦前以降は「貯蓄=投資(恒等式)」ではなくなったわけである。

 このことを森嶋教授は適切に理解させることを試みる。

 つまり、セイの法則が成立する場合は「貯蓄=投資(恒等式)」であるが、ケインズの主張は「S=I(方程式)」であると。

 そして、セイの法則が成立する経済(恒等式になる場合)」から「セイの法則が成立しない経済(方程式になる場合)」への転換を「耐久財のジレンマ」を用いて説明するのである。

 

 なお、この「セイの法則」の本格的理解のために読むといいのが、森嶋教授の著書『思想としての近代経済学』である。

 

 

 以上が本章のお話。

 次の章については次回。

『参謀は名を秘す』を読む 1

0 はじめに

 このブログに「この本を読んだ感想をメモにしよう」と考え、途中までメモを作成したが、書きかけのまま約半年間放置している原稿がある。

 司法試験過去問の検討と同様、書きかけで終わる気がしないでもないが、既に約6000文字近く書き散らしているので、下書きになっている部分を公開する。

 一部を公開してしまえば、「残りも書かなければ」と考えるようになるだろうから。

 

1 『参謀は名を秘す』という本

 先日、ある場所で私の目を引いて、購入することに決めた『参謀は名を秘す』という本を読んだ。

 

 

 これを読んで考えたことを書いてみる。

 ただ、小室直樹先生や山本七平氏の本と異なり、本の内容をまとめるわけではない。

 この本を読んで考えたことを徒然なるままに書くだけである。

 そういう意味では、このメモは「読書感想メモ」である。

 

2 本書の構成

  本書の構成は次のとおりである。

 

(以下、本書の目次から抜粋)

第一章、参謀は匿名であれ

第二章、信長に天下思想を与える_沢彦

第三章、家康を育てた反面教師_太原雪斎

第四章、忠臣蔵の真の演出者_堀部安兵衛

第五章、日本最後の将軍の黒幕_黒川嘉兵衛

終章、参謀不要の時代 

(抜粋終了)

 

 第1章では、巷で言われている名参謀・名軍師と呼ばれている人たちにスポットをあて、「この人たちは本当に名参謀・名軍師か?」という疑問点を投げかける。

 具体的にスポットが宛てられるのは次の人たちである。

 

楠木正成

山本勘助

竹中半兵衛

・山中鹿之介

真田幸村

直江兼続

 

 これらの人たちは、諸葛孔明のイメージ像を反映した結果、具体的には、次の要素を持っている結果、世間において名参謀・名軍師であるとの評価がなされている

 

・主人への絶対的な忠誠心

・智謀による部分的勝利

・悲劇的な最期

 

 しかし、参謀・軍師の機能性に照らしてみれば、次のような問題点も抱えている。

 

・局地戦で勝利したが、全体では負けた

・主家を潰したか、または、危機に陥れた

 

 というわけで、「彼らはそもそも名軍師・名参謀足りうるのか」という疑問点を投げかけ、具体的な事実を列挙して彼らに名軍師・名参謀失格の烙印を押していく。

 

 

 そして、著者の持論である「参謀は匿名であれ」と結び付け、部品に徹した参謀たちの紹介に移る。

 具体的に紹介されているのは、次の人たちである。

 なお、カッコ書きはその仕えた相手を指す。 

 

・沢彦(織田信長

太原雪斎徳川家康

堀部安兵衛大石内蔵助

・黒川嘉兵衛(一橋慶喜

 

 そして、最後にまとめに移る。

 この「まとめ」において「国民総参謀論」を推奨することで、上の「参謀待望論」を雲散霧消させようととしている。

 

 

 この本、私は1時間足らずで一気に読み切ってしまった。

 さらに、分析が具体的で詳細で合理的である。

 そして、参考になる部分が多かった。

 

 ただ、なんか釈然としないものを感じたので、以下、私の考えたことを記す。

 

3、「国政の中心」から遠い人物

 名参謀・名軍師の象徴たる諸葛孔明、この人は劉備玄徳が建国した蜀漢の丞相(総理大臣)である。

 そして、劉備亡きあとは息子の劉禅を補佐した。

 また、漢の復興のため、曹魏を討つ観点から北伐を行う。

 

 つまり、諸葛孔明は国政の中心にいたし、また、国運が懸かった戦争を自ら指揮している。

 よって、亡国の原因を諸葛孔明に求めること、さらには、諸葛孔明に名軍師・名参謀たりえないとの評価をすることは十分可能である。

 

 同様に、「主君の側に仕えた」と言える直江兼続山中鹿之助山本勘助についても同様の主張が成り立つ。

 主君を滅亡・危機に追いやった結果を見て、彼らを名軍師・名参謀たりえないと言うのは十分ありである。

 

 

 ただ、この観点から見た場合、疑問符が付く例がある。

 まずは、真田幸村(信繁)。

 彼は信州の豪族真田昌幸の息子である。

 関ケ原の戦いにおいて兄信幸(信之)と袂を分かち、父と共に豊臣方に着く。

 その結果、九度山に追放される。

 

 その後、大坂の陣の前に豊臣方から招かれ、大坂の陣において獅子奮迅の活躍をする。

 しかし、夏の陣で彼は討死、豊臣氏は滅亡する。

 

 この点について、筆者は「幸村は局地戦で勝ったが、その結果が主家の存続に結びつかなかった。だから、名参謀・名軍師たりえない」と言う。

 この事実に間違いはない。

 さらに、私自身は真田幸村を軍師・参謀とは考えていなかった。

「名軍師・名参謀ではない」という結論に異議があるわけではない。

 

 しかし、「そもそも幸村は『参謀・軍師』たりうる地位にいたのか」という疑問が残る。

 そもそも幸村は石田三成加藤清正のように豊臣家の譜代ではない。

 また、関ケ原の合戦の後、10年以上もの間大阪から離れていた。

 この観点から見れば、幸村は前線で戦った指揮官であり、秀頼や淀殿の側近とは言えない。

 よって、「幸村って参謀・軍師だっけ」とか「幸村の名声の源泉って大坂の陣というバトルで勝った点にあるのだから、名将じゃないの?」とか思ってしまう。

 なんかずれているのだ。

 

 もちろん、「上杉景勝における直江兼続のように、真田幸村は豊臣家の参謀的地位に上り詰めるための努力をするべきだった。それを怠り、その結果として幸村自身の才能が豊臣家に活用されず、豊臣家は滅亡した。よって、幸村は名軍師・名参謀ではない」と考えることは可能だ。

 ただ、この場合、「参謀になろうとしなかった」ことが原因になる。

 ずれていることに変わりはない。

 

 

 この点は楠木正成についても言える。

 確かに、幸村に比べれば、正成と主君たる後醍醐天皇の距離は近い。

 その観点から見れば、正成への批判は幸村よりは妥当性がある。

 

 しかし、正成は河内の土豪(新興勢力)であり、公家ではない。

 また、建武の新政において異例の抜擢をされるが、側に直接仕えるというレベルにはなっていない。

 北畠親房・顕家親子、日野俊基坊門清忠などと比べればはるかに遠い。

 そのように見た場合、「南朝を維持できなかった原因を正成に求め、それゆえ名参謀・名軍師たりえない」というのは、幸村ほどではないとはいえ「少しずれてないか」と言える。

 

 

 つまり、諸葛孔明直江兼続山本勘助山中鹿之助と比べると真田幸村楠木正成は距離が遠いのだ。

 

(次の「4、結果の過大評価と不可能な要求」に続く)

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 10

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

13 「第11章_『馬』にでもわかる経済学」を読む

 第11章の主役はポール・アンソニーサミュエルソンである。

 この本が出版されたのは2004年、サミュエルソンは存命であった(サミュエルソンが亡くなるのは2009年、著者小室直樹先生が亡くなるのは2010年)。

 本書ではサミュエルソンを「存命中最も偉大な経済学者」と評価している。

 そのサミュエルソンワルラスのことを「ワルラスは別格で偉大な経済学者だ」と述べているのだから、ワルラスはもっとすごいのだろう。

 

 サミュエルソンが発見したものはたくさんある。

 特に重要なものを挙げると、「乗数分析と加速度原理の相互作用」は経済学の常識を塗り替える景気変動分析のツールとなった。

 また、サミュエルソンは多くの分野に手を出している。

 例えば、消費者行動・動学理論・国際経済学厚生経済学、果てには、古典研究に政策理論

 それから、サミュエルソンは数学や物理学についても精通していた。

 そして、これらの知識を駆使して経済学を「誰にも分かりやすく」説明したのがサミュエルソンの大きな業績の一つである。

 

 この点、数理経済学の始祖はワルラス、数学を初めて本格的に駆使した経済理論を打ち立てたのがヒックスである。

 しかし、ヒックスの『価値と資本』は理解するのに五年もかかるらしい。

 また、経済学の巨匠のひとり、シュンペーターも数学理解は本格的ではなかったらしい。

 シュンペーターサミュエルソンワルラスの『純粋経済学要論』の研究を勧めたが、数学があまり得意でなかったシュンペーターは弟子のサミュエルソンの授業に出席して数学の勉強をしたというエピソードもあるらしい。

 

 この点、経済学を発展させた国はイギリスとオーストリアであった。

 前者の中にリカードが、後者の中にシュンペーターがいる。

 ただ、ヒトラーの台頭、ヒトラーオーストリア併合により、オーストリアの経済学者たちはウィーンから離れ、イギリスやアメリカに向かった。 

 ウィーンからアメリカに移った経済学者がアメリカの経済学を刺激したのは言うまでもない。

 その中からサミュエルソンが現れたのである。

 

 

 サミュエルソンケインズ解釈の第一人者である。

 あまりに難解で「本人でさえ本当は理解できていなかったのではないか」と揶揄されたケインズ理論を解きほぐし、数学の手法を使って誰にでも分かるようにケインズ理論の神髄を説明したのがサミュエルソンである。

 もちろん、単に「読み解いた」だけではなく、サミュエルソン博士はそれをさらに発展させ、新たな経済分析のツールを作り出した。

 それが「乗数分析と加速度原理の相互作用」である。

 

 ケインズは投資(公共投資)の国民所得に与える影響を分析するためのツールとして乗数理論を編み出した。

 この点、「投資が所得を刺激し、増大させる」という着眼点は画期的だが、ケインズの関心は結果、つまり、所得の収束箇所であった。

 そのため、ケインズは波及効果(投資による所得の単純な増加分)の分析に集中していた。

 しかし、所得と消費は相互連関の関係があるため、「投資は所得を生み、(それだけではなく)所得は消費を生み、消費が所得を生み、、、」という関係を生む。

 そのため、ケインズの理論だけでは出発地点直後だけしか分からない。

 そこで、サミュエルソンケインズの乗数理論に「加速度の原理」を加えて、「投資による所得の単純な増加」に加えて、「所得の単純な増加が生み出す相互連関作用」についても予測できる精密な理論を作成した。

 この理論については経済学の入門書として大ベストセラーになった『経済学』に分かりやすく解説されている。

 

 

 この『経済学』の出版もサミュエルソンの重要な功績である。

 この点、サミュエルソンの『経済学』が出版される前は、古典派の大御所マーシャルの『経済学原理』が教科書として使われていた。

 しかし、大恐慌ケインズが古典派に致命的な批判をたたきつけ、サミュエルソンの『経済学』にとって代わられることになる。

 ちなみに、マーシャルの『経済学原理』は50年間、出版当初のままであったが、サミュエルソンは『経済学』を何度も改訂し、様々な学説の簡易な解説を加えていった。

 その結果、『経済学』は経済学における様々な学説の簡易な解説書となった。

 

 かつて、ケインズ派を激しく批判したフリードマンが次のように語ったことがあるらしい。

「私の学説が分かりにくいというのであれば、サミュエルソン博士の『経済学』を読め。私の説を私以上に理解している人がいるならば、それはサミュエルソン博士である」と。

 なお、ケインズ派を猛烈に批判したルーカス博士の「合理的期待形成仮説」を最も正確に分かりやすく解説したもののやはりサミュエルソンの『経済学』である。

 

 

 ところで、経済学は「総ては総てに依存する」経済現象の均衡点を分析、解明することを目的にしている。

 ただ、経済全体の均衡状態を見出すのは途方もない話になるため、マーシャルは市場の需給に注目いて財の価格の均衡点を見出す「部分均衡」の理論を生み出した。

 そして、経済全体を研究とするマクロ分析はケインズによってなされたが、そこから新たな経済分析ツールを生み出し、誰でも使える形で掲示したのがサミュエルソンである。

 

 ところで、サミュエルソンによると一般均衡分析のエッセンスはケインズ・モデルに総て盛り込まれている、という。

 では、「総てが総てに依存する」といった途方もない複雑なものをどう単純化したのか。

 この単純化のために作られた「仮定」を見ると、「ばんなそかな」と言うこと引き合いである。

 

 政府がない

 外国がない

 時間の流れがない

 全員が経済人

 商品はひとつのみ

 

 注意しなければならないことは、学問における「モデル化」(理論化)というのはこのようなものからスタートするのである。

 それは、古典力学であろうが、経済学であろうが例外ではない。

 

 まず、「政府がない」くせに一国の大きさのGNPをカウントするのは矛盾するように思える。

 しかし、この背後にはジョン・ロックの思想がある。

 つまり、政府や国家がなくても人間(自然状態)はいる。

 また、労働があり、生産物がある。

 つまり、政府はないが、人々(国民)がいて、その人々の労働・生産物の合計をカウントすることでGNPを求めるわけである。

 

 次に、「外国がない」というと、世界連邦や巨大な世界帝国を想像するかもしれない。

 しかし、これは「貿易や金融取引がない」ことを意味するだけであって、論理的に捨象するだけである。

 もちろん、現実においては金融取引も貿易もあるだろうが、細かいものが大量に混在していると単純化できず、何も分からないまま終わる。

 だから、最初は単純化したものを考え、そのために一切無視するのである。

 

 さらに、「時間の流れがない」とは、定常状態・静学で考えるということである。

 もちろん、乗数理論を考慮すれば矛盾するが、単純なものから考える場合、静学から考えた方が単純であり、また、古代ギリシャ以来の伝統である。

 これも、単純化の状態が分かったら時間を取り入れ、動学で考えればよい。

 

 また、「全員が経済人である」とは二つの意味があり、①一種類の人間が大量にいること(個人の人格を捨象すること)、②効用・利潤を最大にするために振舞うことを意味する。

 これまた非現実的ではあるが、単純化のためここから考えるのである。

 

 さらに、「商品は一つ」とは、抽象的に一財しかないと考えることである。

 例えば、酒としてもたくさんの商品があるが、抽象化して一種類の商品としてみなすということである。

 

 もちろん、現実と比較したら、「ばんなそかな」と言うことは間違いない。

 しかし、この抽象化が役に立つのである。

 例えば、古典物理学の「質点」

「質点」には重さがあるが「大きさ」がないものである。

 こんなものは現実に存在しない。

 しかし、そのような非現実かつ大胆な仮定・設定を置いた結果、物体の運動を精密に計算・予測できるようになった。

 このような仮定が物理学を大きく飛躍したことは言うまではない。

 似たような仮定として、「空気抵抗はゼロである」・「摩擦はゼロである」といった設定もあるが、これも同じこと。

 現実は複雑すぎて、そのままでは理解できないので、少しでも理解できる範囲を広げるために、極端に単純化したモデルからスタートし、徐々に変数(物理学で言えば、摩擦や抵抗、大きさ)を加えて複雑にしていく。

 モデルを使った分析とはそういうものなのであり、単純化はものを整理するための視点なのである。

(この点は、経済学、というよりは、学問の超基本なので、ある程度細かく書いておく)

 

 もちろん、ニュートンサミュエルソンもむやみに単純化したわけではない。

 どの仮定にも理屈はある。

 例えば、「政府はない」の背後にはロックの思想がある。

 また、ロックの思想によれば、自然状態は資本主義の状態であり、政府は後から契約によってできたことになる。

 ならば、政府という変数は後から追加すればよく、最初の段階では省略してもいい(経済状態を理解できる)と考えたわけである。

 

 このようにすっきり単純にあすることで難解なケインズ理論もずっと分かりやすくなったのである。

 

 

 ちなみに、サムエルソンは若いころ、消費関数の実証研究をやっていたそうである。

 著者(小室直樹先生)がアメリカに渡ったとき、サミュエルソンに「何故、実証研究をやめたのか」と質問したところ、サミュエルソン「Comparative Advantage!!(比較優位の原則に従ったのだ)」と答えたそうである。

 比較優位を発見したのはリカードであるが、これを人間の分業に貢献できることを示したのがサミュエルソンである。

(もっとも、比較優位を知らないアメリカ人が南北戦争という悲劇を生み、皮肉にも世界一の工業国アメリカを作ることになった、という話は以前紹介した通り)。

 そして、比較優位説をさらに進化させたのが、「ヘクシャー・オーリンの定理」である。

 

 

 以上のように、サミュエルソンは幅広い分野で画期的な研究成果を挙げ、論文で発表した。

 ノーベル経済学賞サミュエルソンが受賞されたとき、その理由を特定の業績に絞れなかったという。

 つまり、理論経済学の発展をサムエルソン博士抜きに語ることは不可能である。

 

 

 以上が本章のお話。

 第11章までで巨匠の業績を通じて経済学の発展過程を見てきた。

 また、経済学の背後にある「思想の存在感」を知ることができた。

 日本のファンディを持っていると感じられなかったことを感じることができたのは大きな収穫である。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 9

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

11 「第9章_経済学を科学にした男」を読む

 第1章から第4章までは資本主義・古典派の思想・基礎を築いた巨匠たちに焦点をあてた。

 第5章から第8章までは古典派や資本主義を批判した巨匠たちに焦点をあてた(ウェーバーはちょっと違うかもしれないが)。

 そして、第9章から第11章は経済学を科学・学問として発展させた巨匠たちに焦点をあてる。

 

 第9章の主役はレオン・ワルラスである。

 ワルラスは、アダム・スミス、デビット・リカードが作り上げた経済学について「科学」としての基礎を築いた人である。

 

 

 この点、経済学を含む社会科学が対象とする社会現象は複雑な「相互連関」の関係にある。

 例えば、賃金が減れば(需要が減って)物価が減り、(供給が減ることで)さらに賃金が下がり、それにより物価が下がる、という感じで相互作用によって物価と賃金はどんどん下落することになる。

 これが「相互連関」の関係である。

 

 他方、19世紀までは「原因と結果という一方向の関係で説明できないものは『科学』とは言えない」と考えられていた。

 つまり、相互作用のようなスパイラルな関係は循環論として科学な説明として認められなかったのである。

 

 例えば、循環論に陥ったために葬られた経済学者がマルクスである。

 マルクスは労働価値説において「物価(市場の価格)は労働換算率によって決まる。その労働換算率は市場によって決まる」と述べたが、「市場の価格(物価)を決めるはずのパラメータ(労働換算率)が市場によって決まるとは何事だ。説明になってない」と批判されたわけである。

 

 この相互連関の現象によって経済学者は様々な苦労をすることになった。

 しかし、ワルラスはこの相互連関の現象を一般均衡理論によって解明した。

 そして、ワルラスの理論により循環論法であっても科学的な説明になることが示されたのである。

 

 

 なお、この相互連関の現象、経済だけではなく外交でもあてはまる。

 しかし、外交は数式化ができておらず、偉大な政治家が直感でやるしかない。

 他方、経済学はワルラスの理論によって一般理論が構築され、科学的なモデルができている。

 サムエルソン(11章で登場)が「Walras is great economist」と述べ、「ワルラスは別格の経済学者だ」と述べているが、その意味はここにある。

 

 

 さて。

 ここで学問が「科学」たる条件について確認する。

 社会科学と呼ばれる分野で真に科学的研究が進んでいるのは心理学と経済学である。

 この二つの学問の特徴は「実験ができること」であり、実証可能な点である。

 この「実験可能・実証可能」というのは科学であることの前提条件の一つである。

 

 そして、実験を行うためには、①結果に影響する原因の要素となる「変数」を抽出する必要がある

 もちろん、その変数はたくさんあるため、②それらの変数を分離する必要もある。

 さらに、各変数の変化による結果への影響を調べるためには、③全変数のうち一つの変数を除いて固定し、④一つの変数だけ動かしたときの結果の変化を調べる必要がある。

 これにより、動かした変数(原因)と結果の関係が判明し、実験・実証したことになるわけである。

 

 この点、心理学において人間を実験台にするのは難しい。

 そこで、パブロフは犬を使って実験を行い、他にもネズミを相手にして実験を行った。

 それにより、「科学」に昇格させていったのである。

 他方、経済学は社会現象の説明が目的であるところ、現実を使った「実験」は不可能である。

 しかし、ワルラスが実験の代わりになる方法を提供してくれた。

 つまり、社会の経済を数理モデル化することで条件の制御(変数の抽出・分離、特定の変数以外の変数の固定・特定の変数のみ変化させる)を可能にして、相互連関によって説明される因果関係を数学で説明できるようにしたのである。

 このように見ると、経済学の父はアダム・スミスだが、現代経済学・理論経済学の父はワルラスであると言ってよい。

 

 そして、ワルラスが作り上げた理論を実際に利用できるツールに変えたのはヒックス教授である。

 そこで、次の章ではヒックス教授についてみていく。

 

12 「第10章_使える経済分析ツール」を読む

 第10章の主役はジョン・リチャード・ヒックスである。

 この人はワルラス一般均衡理論を経済学に適用できるように完成させた人である。

 

 この点、ヒックスが1939年に出版した本として『価値と資本』という本がある。

 この書籍でヒックスが展開した経済理論は、物理学におけるニュートンの理論に匹敵する。

 日本の森嶋教授は「この一冊を精読し、理解しえたのならば、極意皆伝。他にあれこれ読む必要はない」と言い切った。

 

 

 ヒックスの理論として重要なものの一つに「限界代替率」の理論がある。

 これは価格決定に関する理論である。

 ヒックスが登場するまで、価値決定の理論として客観価値論と主観価値論の二つがあった。

 前者の代表はマルクスの労働価値説であるが、「循環論に陥っている」と批判されて葬られたのは前述の通り。

 他方、後者の代表は限界効用理論であるところ、限界効用理論は「効用は測定不可能」という欠点が指摘されていた。

 この「測定できない」という欠点は「科学」として見た場合、致命的な欠陥になる。

 

 ワルラスは限界効用理論を採用し、かつ、「効用は測定できる」という仮説を立てて一般均衡理論を展開した。

 しかし、これだと「効用が測定できなければ、ワルラスの理論は使えない」ということになり、「科学」としては不完全になる。

 そこで、ヒックスはパレートの限界代替率を基盤とし、限界効用といった測定不能な人間心理を理論から排除した。

 この限界代替率を簡単に説明すると、「財Aを1単位減らすことによって失う効用を補うために必要な財Bの量」である。

「二財の価格の比率」なら測定できるので「科学」として問題が解決したのである。

 

 このようにしてヒックスは限界代替率を用いることで、消費者(消費財)の需要関数(欲しい量と価格の関係を示した関数)を作り上げた

 さらに、ヒックス教授は企業による生産財の需要関数と供給関数、消費財の供給関数を作り出した

 このようにすれば、総ての消費財生産財の需要関数と供給関数が量と価格の関数として得られる。

 そして、総ての商品について需要と供給が一致するというのが市場の均衡方程式である。

 このようにして、ヒックス流解釈によるワルラスの理論ができた

 そして、一般均衡理論上の波及過程・相互連関の過程を調べることができるようになったのである。

 

 

『価値と資本』という資本の理論書を作ったヒックスは、その後に『資本と成長』・『資本と時間』を出版する。

 この3冊が資本に関する三部作と言われる。

 もっとも、ヒックス教授のさらにすごい業績は『経済の社会的構造』にある。

 この書に書かれたものから社会会計学の基礎は築かれ、国民所得の計算なども可能となった。

 

 なお、ヒックスは「ケインズサーカス」の一員でもあり、ケインズ経済学に関する貢献も大きい。

 そのうち有名なものとして、IS曲線とLM曲線がある。

 

 

 以上が9章と10章のお話。

 こういう理論が作られる過程を聴く(見る)とわくわくするのは私だけだろうか。

 経済学の細かい数式を見ているわけではないが、このように理論が形成される過程(歴史)は面白いというしかない。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 8

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

10 「第8章_資本主義を発展させるダイナミズムとは」を読む

 今回の主役はヨーゼフ・アイロス・シュンペーターである。

 この人物は『痛快!憲法学』に掲載されていなかった。

 そのため、シュンペーターについて知る(名前なら以前から知っていたが)のはこの本が初めてである。

 

 シュンペーターは産業界においては非常に人気がある。

 他方、経済学の教科書で頻繁に登場する人物ではないらしい。

 その理由として、シュンペーター理論が数理的解析になじまないこと、②社会学的分析によって経済学的業績を残したことにある、らしい。

 

 シュンペーターは1930年代において40、50年後にイギリスで起きるであろう社会変化を理論化し、かつ、見事に的中させた。

 ちょうど、著者である小室直樹先生がソビエト連邦が崩壊する過程を理論化し、それを的中させたように。

 この「過程を理論化させて、一定の結末を予言し、かつ、その予言が的中する」ということはめったにない。

 例えば、マルクスは「資本主義が瓦解し、社会主義が勃興する」と理論を用いて予言したが、先に瓦解したのは社会主義だった。

 また、リカードは「資本主義の法則を徹底すれば最大多数の最大幸福が実現する。しかし、それは利潤はゼロ・労働者の生活レベルは最低になる」ということを理論を用いて予言したが、「利潤がゼロ」の点についてはこれまた実現していない。

 さらに、ワルサスは「人口論」において、「食料は等差級数的(線形関数的)にしか増えないが、人口は等比級数的(指数関数的)に増えるので、食料の増加が人口の増加に追い付かず、世界はいずれ深刻な食糧難に陥る」と預言したが、現時点ではまだ実現していない。

 偉大な経済学者でさえこうなのだから、他は推して知るべしということになる。

 そういえば、本書では「正月の新聞を保存するといい。掲載されたエコノミストの経済予測の的中率を調べると悉く外れているのが分かる」という趣旨のことを述べているが、これは実行したら面白いかもしれない。

 

 

 では、そのシュンペーターの未来予測は何か。

 それは、「資本主義を活性化させる要素は企業者による『革新』であり、革新なくして資本主義の発展はない。しかし、資本主義が徹底されれば、この『革新』すら日常化・社会主義化するため、衰退は不可避である」となる。

 一言で言えば、「資本主義は社会主義化する。資本主義はその成功故に滅びる」と言えばいいか。

 なお、社会主義化」という言葉は、日常化・自動化・官僚化といった言葉で置き換えるといいかもしれない。

 

 

 本書から離れるが、シュンペーターの主張と山本七平が『「空気」の研究』で述べた「合理と不合理の関係」と比較すると、より理解が深まる。

 山本七平の主張は次のとおり。

 

① ある合理性を徹底的に追及する原動力は「不合理な何か」を源泉としている

② その「不合理な何か」を失えば、合理性の追求は消し飛ぶ

③ その「不合理な何か」を徹底しても、合理性の追求は消し飛ぶ

 

 太平洋戦争における日本の悲劇は③が関係しているが、シュンペーターとの関係で見るべきは②である。

 シュンペーター「資本主義の活性化には『革新』、つまり、創造的な破壊活動が必要である」と言う。

 資本主義の精神における「目的合理性尊重の精神」と「革新」はぴったり重なるものではない。

「革新」には計算可能性がないものにチャレンジすることを当然に含むのだから。

 もちろん、伝統主義で不合理だらけの社会であれば、目的合理性精神それ自体が「革新」となることはあり得ても。

 

 つまり、「目的合理性尊重の精神」を合理とするならば、「革新」は不合理となる。

 そして、目的合理性の追求・徹底のために「革新」を合理性に取り込むと、「革新」は日常化・計画化・官僚化されたものになり、革新の本質が骨抜きになって消える。

 その結果、資本主義から革新が消え、資本主義が衰退する。

 これはいわゆる②の(合理によって)不合理が消し飛び、結果として合理の追及がストップする、ということになる。

 

 

 ここで本書に戻って、「革新」が日常化されていく例をナポレオンの軍隊を通じてみてみる。

 ナポレオンが率いていた軍が小さければ、ナポレオン軍はナポレオンの天才的采配によって動く。

 ナポレオンは天才だから連戦連勝する。

 連戦連勝により才能を認められれば、率いる軍は大きくなる。

 しかし、大きくなったナポレオン軍をナポレオン一人で采配するには限界がある。

 そこで、大きくなったナポレオン軍は、ナポレオンの天才的な閃きではなく、合理化・自動化されたシステムによって意思決定されることになる。

 この「組織の大規模化がもたらすシステムの自動化・合理化」、これが「資本主義の社会主義化」である。

 

 次に、シュンペーターの予言が的中したイギリスを見てみる。

 産業革命・資本主義による繁栄を極めたイギリスは戦後、多くの産業部門を国有化していた。

 この「企業の国有化」というのは社会主義である。

 この社会主義化の流れを止めたのが、サッチャーの改革である。

 このサッチャーの改革はイギリス社会に「革新」の精神を取り戻そうとした点は前に述べた通りである。

 

 以上のように、シュンペーターは資本主義の本質を問い続けた。

 その結果、多くの発見・業績をもたらした。

 しかし、経営学ではその発見・業績が取り入れられているのに対し、経済学ではあまり取り入れられていない。

 では、シュンペーターの発見は何か。

 以下、それについてみていく。

 

 

 まず、シュンペーターが発見した「資本主義社会の真の支配者」についてみる。

 

「資本主義社会の支配者は誰か?」と問われれば、普通の人は「金持ち・資本家」と答えるだろう。

 事実、マルクスも古典派もそう述べてきた。

 せいぜい「(将来資本家になりうる)経営者」が付け加えられるくらいか。

 

 しかし、これに異を唱えたのがシュンペーターである。

 資本主義社会の真の支配者は貴族である、と。

 つまり、「貴族が政治的に資本家を支え、資本家が貴族を経済的に支えた結果、現在のシステムは成り立っている」と述べたのである。

 

 何故こうなったのか。

 これについては商人と中世の貴族をイメージしてみれば分かるが、商人こと資本家は政治に向かない。

 確かに、商人・資本家が政治に対して経済的に指導することは十分あり得る。

 しかし、国民を指導できるレベルになるためには経済学・経営学的なことだけに秀でているだけでは不十分である。

 よって、商人・資本家が国民を指導できるレベルになることはない、と。

 

 では、シュンペーターのいう「貴族」とは何か、資本主義が勃興したイギリスの貴族制度から見てみる。

 イギリスには五つの爵位で構成される「貴族」がおり、その下に「準貴族」があり、その下に「準々貴族」があり、その下に「準々々貴族」があった。

 ちなみに、ジェントルマンという言葉があるが、本来の意味は「『準々貴族』(ジェントリー)の人」である。

 このようにイギリスには分厚い貴族制度があった。

 

 そして、初期の資本主義の担い手になったのは「準々貴族」や「準々々貴族」である。

 彼らは貴族としての身分は低かったが独立自営の生産者でもあった。

 つまり、自分の土地、つまり、資本を使って自活していた。

 また、庶民と異なり、彼らは「国王の家臣」と言うことでプライドも高く、(貴族としての)教養もあった。

 そのため、彼らには「ノーブル・オブリゲーション」があり、行動的禁欲があり、目的合理性精神もあった。

 

 他方、絶対王政国家になる過程のイギリスでは、国王と上級貴族との仁義なき戦いが発生し、一時は国王が上級貴族から「マグナ・カルタ」を押し付けられるなどしたが、その後、国王が下級貴族を登用して勢力を挽回する。

 なお、ピューリタン革命を率いたオリバー・クロムウェルはジェントリーの出身である。

 つまり、イギリスの近代化の主軸になったのはジェントリーやヨーマンだったのである。

 

 このシュンペーターが述べた「二階級による統治制度」は資本主義だけではない。

 つまり、遊牧民族(戦闘民族)が農耕民族を支配して以降、約6000年間の常態である。

 また、資本主義に限定してみても「貴族が政治を担った」という現象はイギリスだけではない。

 例えば、フランスのナポレオンは商人の出ではないし、ドイツのビスマルクはユンカー出身であるが、これはイギリスのヨーマンに該当する身分である。

 もちろん、これらの貴族はただのボンクラ貴族ではなく「資本主義の精神を持った貴族」ということになるが、「商人ではなく、貴族が政治を担っていた」という事実は大きい。

 つまり、資本主義の精神を持った(下級)貴族が資本主義が作動する制度(自由契約制度・私有財産制)を作り、他方、経済活動に専念した下級貴族が資本家として経済活動に没頭することで、資本主義を発展させたわけである

 

 

 なお、シュンペーターは貴族の未来について次のように述べている。

 資本主義の発展過程は私有財産制・自由契約制というシステムを背後に追いやってしまう、と。

 つまり、資本主義の発展により大規模化・組織化することで、「革新」が日常化し、資本家も企業家だけではなく、資本主義の精神を持った貴族も衰退し、資本主義は滅亡する、と。

 このことを日本をサンプルにして詳しく見てみる。

 

 まず、資本主義の発展に不可欠な「革新」という言葉を具体化する。

 資本主義の生産過程は「①生産方法、②原料・半製品の供給源、③財貨、④販路、⑤組織」の組み合わせで成立しているところ、「革新」とは5つの生産過程の要素の組み合わせを変更することをいう。

 ただ、目新しい商品を送り出す、ビジネスモデルを作り変えるだけではない(それらが革新をもたらすことはあるとしても)。

 そして、この革新を具現化する人たちのことをシュンペーターは「企業家」と呼び、この存在が資本主義に不可欠だと述べた。

 

 また、企業家が革新活動を行うためには資金が必要であるところ、企業家の資金調達の観点からシュンペーターは「銀行家」にも注目している。

 銀行家が企業家の革新活動を吟味し、「信用」とその具体化した資本を供与する。

 企業家は得られた信用・資本を利用して、革新活動を行い、利益を上げて信用を返済する。

 このとき、銀行家が企業家のよき革新活動を見抜いて信用を供与できなければ、資本主義の発展はおぼつかない

 

 

 さて、この「企業家」と「銀行家」がいなければどうなるか。

 それは、日本を見ればわかる。

 

 まず、日本の近代化の過程で資本家・銀行家の役割を担った人たちについてみてみる。

 日本の資本主義を担った人間は下級武士たちである。

 彼らの禄高は100石に満たず、生活は貧しかったがプライドはあった。

 また、「武士」であるということで教養もあった。

 このことは幕末において12歳で殿様相手に講義をした吉田松陰などを見れば明らかである。

 

 この点、イギリスの下級貴族と異なり、彼らには自営するための資本がなかった。

 しかし、明治時代に入って武士の特権が消えたことで、彼らは自営しなければならなくなった。

 自営のためにはこれまでの伝統は役に立たず、創造的破壊に挑むことになる。

 もちろん、成功の裏には大量の試行錯誤、そして、大量の失敗があっただろうが。

 

 また、近代化を掲げた政府の政策がこれを後押しすることになる。

 これらの政策は企業家となった下級武士の活動を大いに促進した。

 そして、明治日本は近代化への道を進んでいくのである。

 

 では、明治時代以前の江戸時代の商人は明治時代にどうなったのか。

 当然、江戸時代にもビジネスの担い手、大商人はいた。

 これらの商人ならば資本主義の流れによってさらに繁栄していったとしてもおかしくはない。

 しかし、江戸時代の商人の多くは明治維新と共に消えることになる。

 これはなぜか。

 その答えは江戸時代の商人の経営思想やマインドセット、具体的には、「新儀停止」・「祖法墨守」を見れば分かる。

 これはウェーバーの言う「伝統主義」であり、革新=創造的破壊とは対極の精神である。

 資本主義においてこれらの精神によって立つ江戸時代の旧商人が淘汰されたのは当然なのかもしれない。

 

 他方において、江戸時代に官僚として働いていた中級武士・上級武士も淘汰された。

 彼らにはノーブル・オブリゲーションも向学心も行動的禁欲も持ち合わせていなかった。

 まあ、それは当然なのかもしれない。

 

 そして、現代日本

 シュンペーターのいう「企業家」や「銀行家」は役割ではなく、活動に対して与えられるものである。

 また、企業家の活動は時に「経済学の前提とする経済人」の範疇を乗り越えることがある。

 しかし、この企業家の存在なしに資本主義は成り立たない。

 さらに、放置していて自然に発生するものでもない。

 

 この点、企業家や銀行家はある種の英雄・天才と言ってもよい。

 しかし、組織化・大規模化・合理化の波は、企業家・銀行家の精神をむしばみ、天才的英雄から官僚的専門家に堕してしまう。

 その結果、資本主義を支える不合理の骨(エートスと言ってもよい)が貴族・企業家・銀行家から消え、合理性追求の源泉としての不合理が無力化し、資本主義社会は崩壊する。

 そして、少なくても今の日本でそれが進行していることは間違いない。

 

 

 以上が本章のお話。

 経済について見ていたのに政治についてみている印象を持った。

 その意味で政治と経済は不可分なのだろう。

 今回の話は初めて知ることが大きく、大いに参考になった。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 7

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

9 「第7章_定説を覆した資本主義発生のメカニズム」を読む

 今回の主役は資本主義の精神を発見したマックス・ウェーバーである。

 そして、見るべきテーマは「資本主義の精神」「官僚制」の2点である。

 この点については、『痛快!憲法学』で見た部分もあるが、もう少し突き詰めてみる。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 まず、「資本主義の精神」について「日本は資本主義なのか」という問いに照らして考えてみる。

 なお、本書が書かれたのは2004年、リーマン・ショックの前の段階であり、現在とは隔絶の感がある。

 事実認定に関して違う感じもしないではないが、この本の事実を前提に読み進める。

 

 本書では、日本の生産力が高く、また、金(資本)がたくさんあるが、それが使いこなせてないため困っているという点から話がスタートする。

 つまり、金は貯めているが、金を使わないため景気が動かないのだ、と。

 この点、日本の金融資産は今でも増加傾向にあることを考慮すれば、「金があるのに、金を持っている連中が金を使わないから景気が良くならない」の部分は現在でもあたっているかもしれない。

 

 

 ここから話は「日本は資本主義なのか」という問いに切り込む。

 もちろん、形式主義・員数主義によれば、「日本は資本主義と名乗っている。よって、資本主義である」で終わるわけだが、このように考えないことは言うまでもない。

 さらに、一般論として「資本主義の条件は何か」ということを考える。

 法的三段論法で言う「規範定立」の部分である。

 

 マックス・ウェーバーはいう。

 この点、資本主義は技術の発展・商業の発達・資本の蓄積といった客観的条件を満たせば、自然と発生するように考えられていた。

 しかし、中国・イスラム帝国メディチ家などの歴史を見る限り、3つの客観的条件を満たした状況はヨーロッパ以外にも存在するにもかかわらず、それらの国は資本主義になっていない以上、これらの客観的条件だけで資本主義が成立すると考えるのはおかしい。

 よって、3つの客観的条件だけでは資本主義は成立せず、追加の要件が必要である。

 その要件が資本主義の精神である、と。

 

 そして、資本主義の精神は次の3つを指す。

 

① 労働を目的化して尊重する精神

 利潤目的ではなくて救済目的で労働し、過去の伝統にこだわらず(伝統主義を否定し)、行動的禁欲に基づきひたすら働くこと

② 目的合理性精神

 労働による効果(=目的)を最大化するために、伝統主義に縛られずに、利潤を計算可能・再現可能な形で最大化すること

③ 利子・利潤を宗教的・倫理的に正当化する精神

 一般に、宗教は同胞から利子を採ることを禁じる。

 また、人は利潤の獲得にうしろめたさを感じる。

 とすれば、利子・利潤の正当化はこの後ろめたさを払しょくできるだけの理論と実践、と言ったところか。

 

 そして、マックス・ウェーバーはこの精神をプロテスタント、特に、ジャン・カルバンの教えにその淵源を見る。

 つまり、「労働は隣人愛の実践である」として労働を宗教的行為とすることで、利潤目的の労働から救済目的の労働に変えた。

 また、「利潤は隣人愛の対価であり、宗教的に善きものである」という評価を加えることで、労働による利潤・利子を正当化した。

 そして、「利潤が隣人愛による実践である以上、隣人愛の実践の効果を最大化する必要がある」と考えることで、目的合理性の精神が生まれた。

 

 つまり、マックス・ウェーバーは宗教の合理化・脱魔術化・脱呪術化こそ資本主義の精神に必要であると主張したのである。

 この点、仏教やカトリック教会が呪術・魔術の開発に精を出していたこととは対照的である。

 また、中国では政治は儒教で回っていたが、庶民は道教を信仰しており、儒教道教の影響を受けてしまったがために、行動的禁欲のような宗教の合理化は果たせなかった。

 

 

 以上の規範を日本にあてはめてみる。

 技術・資本・商業については満たしていると言ってよかろう。

 しかし、③利子・利潤を宗教的・倫理的に正当化する精神はないと言ってよい。

 武士道の影響を考慮すれば、日本に利子・利潤を正当化する精神を見出すことは難しいと言ってよい。

 ゼロ金利政策に反対しない背景もここにあるのだろう。

 

 次に、定義から見てみれば、②目的合理性精神もないと言ってよい。

 つまり、「目的合理性精神」とは適法かつ計算可能(再現可能)な形で利潤の最大化を図ることをいう。

 一発勝負で運を天に任せて利益の最大化を狙うこと、伝統主義に縛られることがこの精神を満たさないことも明らかである。

 本書では具体例として「銀行の不良債権処理」・「企業の多角経営」が挙げられている。

 もっとも、私は目的合理性精神は日本教に真っ向から対立するのではないかと考えている。

 そう考えると、「ない」のはしょうがないのかもしれない。

 

 最後に、①労働を目的化して尊重する精神についてはあるかもしれない。

 ただ、精神と行動が導いていないように考えられる。

 また、形式的過ぎるというべきか。

「働けば救われる、働きの内容は問わない」では少しまずかろう。

 

 以上の3要素を考慮すれば、「日本に資本主義の精神はなく、日本は資本主義ではない」という結論になる。

 もちろん、地図上では日本は資本主義の国に分類されているが、それは日本が「仏教徒」の国になっていることと同じである。

 

 

 ここで、話はもう一つのテーマである「官僚制」に移る。

 マックス・ウェーバーは官僚制の研究もしているが、日本のありようを見るうえでこの研究は有益だからである。

 

 近代日本の官僚制はどの国のモデルを参考にしたか。

 それは中国である。

 ただ、近代以前の日本は纏足・カニバリズム・宦官と同様、科挙を中国から導入しなかったのだが。

 以下、官僚の採用システムたる「科挙」についての話が続く。

 なお、「日本の科挙」というのは「受験」という名前で呼ばれているので、ピンとこない方は適宜読み替えてほしい。

 

 この科挙というのは、「ペーパーテストで官僚を募集する」という制度である。

 この点、奈良時代の日本は科挙を取り入れたが、平安時代に廃止した。

 また、朱子学が全盛となった江戸時代でも科挙は取り入れなかった。

 ただ、明治時代、失業した武士たちの意識を教育に向けさせるためこの制度が用いられた。

 

 この科挙という制度、教育とテストによって特権階級を作ることになる。

 そして、日本に科挙が導入された結果、教育とテスト、つまり、学校歴により階級ができることになった。

 しかし、どの制度にも欠陥があるように科挙にも欠点がある。

 その科挙の欠点が日本を苦しめることになる。

 

 つまり、中国で科挙の制度が生まれたのは隋の時代、600年頃。

 科挙が完成したのは科挙に反対する貴族が滅び去った宋の時代、900年頃。

 廃止されたのは清の末期、1905年。

 長い時代続いていた、ということはそこそこ長い間持っていた、ということもある。

 これと引き換え、日本で「科挙」を初めて200年も経たないうちに、「科挙の弊害」が現れている。

 

 

 ちなみに、科挙」という制度は身分を問わず受けることができ、「公平」である。

 また、テストによる採点は客観的だから「公正」でもある

(以前、大学の性別などによる差別的採点が問題になって世論が沸騰したが、これはテストの「公平」・「公正」という聖域に触れたからと考えている)。

 この点だけ見れば、前近代の庶民から見れば夢のような制度だろう。

 もちろん、科挙の背景には「貴族がいなくなった宋において役人・官僚を新たに求めなければならなかった」という事情があったにせよ。

 この制度は宋の時代に一応完成する。

 そして、一説に方孝孺から「燕賊簒位」と突き付けられたといわれている明の永楽帝によって科挙の制度は完璧となる。

 だが、この完璧となった科挙により科挙の弊害が現れる。

 つまり、この偉大な明の皇帝である永楽帝は、科挙の教科書を作ってしまったのである。

 その結果、科挙に対する過剰適応が発生し、知性と志ではなく技術を学んだ官僚が大量生産され、「宦官にも劣る官僚」が生まれることになる。

 

 実は、私自身、これに準じたことを感じたことがある。

 そのことはブログのメモを残した。

 まあ、いわゆる「受験戦争の弊害」である。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 さて、科挙制度の弊害は何か。

 まずは、教育による階級制度・階級意識の作成である。

 明治政府は華族による階級制度を作ることには失敗したが、学歴による階級制度を作り、また、学歴による階級意識を埋め込むことに成功するのである。

 また、受験に過剰適応して教養や志を持たない官僚を増やしてしまった。

 本書によると、石原慎太郎は「日本の高級官僚は宦官のようになってしまった」と語ったが、著者に言わせると「日本の高級官僚は宦官に劣る」のだそうだ。

  

 もっとも、我々が忘れてならないことは、よほど時代を巻き戻さない限り官僚制度をやめることはできないということである。

 マックス・ウェーバーも指摘したが、巨大帝国において官僚制は不可欠である。

 そして、資本主義において官僚は「依法官僚」でなければならない、法律を熟知し、かつ、法律によって動くマシーンのようでなければならないということになる。

 間違っても、過去の中国や以前の絶対王政国家のような「家産官僚」では意味がないということになる。

 ちなみに、「家産官僚」というのは「国家の物はオレ(官僚)の物」と考える官僚のことで賄賂と給料の区別がつかない連中のことを指す。

 科挙を完成させた中国もこの家産官僚たちが帝国を腐敗させ、王朝の交代に寄与していったと言ってよい。

 

 このように見れば、マックス・ウェーバーの研究成果を見ることで、日本のすべきことが見えてくる。

 この意味で、マックスウェーバーは偉大な政治学者・社会学者・経済学者であると言えよう。

 

 

 以上が本章のお話。

 今回の話は『痛快!憲法学』で学んだことと重複することが多かったが、メモにまとめることで理解がさらに進んだ、というか。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 6

 今日はこのシリーズの続き。

 

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『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

8 「第6章_驚嘆すべきは資本主義」を読む

 今回の主役はカール・マルクスである。

 マルクスの言葉と思想がロシア革命の原動力になり、彼の主張した共産主義が「東側」という一大勢力圏を築くことになったことを考慮すれば、マルクスによる現実の社会への影響度はトップクラスであると言えよう。

 

 

 この本では、マルクスの発見した「疎外」と呼ばれる現象に関する話題からスタートする。

「疎外」とは「社会科学においても(自然科学の法則のような)人間にはどうすることもできない法則がある」ということである。

 例えば、自分の作った製品を市場で売ろうとしても、自分の意図した価格にすることはできない(強引に高く設定しても売れ残るだけである)。

 製品の価値・価格を高めたければ、市場における経済法則(価格の設定に関する法則)や市場における事実関係を調査・研究して、製品の価値を高めていくしかない。

 

 この点、経済における「疎外」はマルクス以前にも発見されていた。

 例えば、リカードの主張した比較優位説等も「疎外」の現れ(経済における一般法則)である。

 この点、このような一般法則の存在に対する拒否反応も強かった(現代日本を眺めてみれば、そもありなんという気がする)。

 しかし、古典派はこの拒否反応をものともせずに自説を展開していった。

 そして、マルクスは市場や経済に見られたこの「疎外」を社会や歴史にまで拡張したのである。

 

 

 ここから、著者はマルクス主義の指導者・弟子・マルキストたちに言及する。

 曰く、マルクスの発見の多くは偉大なものであったが、マルキストの指導者やマルクスの弟子が愚かだったために、マルクス主義はうまく活かされることなく消えてしまった、と。

 

 例えば、ソ連の禁酒政策。

 ソ連では生産性の向上等のために禁酒政策を取り入れた。

 ロシア人の飲酒量という立法事実や健康の維持・生産性の向上という目的に照らせば禁酒政策を行うこと自体は悪くない。

 ただ、マルクスの主張した「疎外」を理解していたならば、禁酒政策の実行する際、飲酒に至る経緯などの背景事情等を調査しただろう。

 ところが、ソビエトはただ「飲むな」と命令して、結果的に失敗することになる。

 

 別のソ連の失敗例として、未完工事とゼロ金利がある。

 経済法則を無視した工事計画が大量の未完工事を生み出してしまった。

 また、金利をゼロにしてしまった結果、工事を完了させなくても、あるいは、借金を払わなくても遅延損害金(利息)は発生せず、物を売ってお金にしなくても利息によって資産が増えることがない。

 利子は経済活動の生命線である。

 その利子を悪だと考えた政府は、利子をゼロにしてしまった。

 その結果、市場のリベンジを食らって経済はストップし、ソ連経済は崩壊することになる。

 

 

 この現象、日本も他人事ではない。

 例えば、日本政府(財務官僚)は市場に対して様々な規制や命令を出している。

 この規制・命令がこれが経済法則に適っていればまだしも、適っていなければ市場のリベンジを食らって経済がガタガタになってしまう。

 所謂、「総量規制」によってバブルが飛んだことは周知のとおり。

 また、日銀のゼロ金利政策が「流動性の罠」を引き起こしていることも周知のとおり。

 

 何故、こんなことになったのか。

 著者によると、原因は官僚が共産主義からの転向者だったから、ということになる。

 つまり、昭和初期、政府や帝国陸軍共産主義者を取り締まっていた一方、彼らの知識が有用であるとも考えていた。

 そのため、共産主義者を転向すれば政府において活用できるなどと楽観的に考えていた。

 その後、共産主義者は転向し、転向した者のうち優秀な者は政府に取り立てられていく。

 取り立てられた者たちは優秀ではあったが、「資本主義は悪である」・「利潤・利息は悪である」と言う発想は抜けておらず、日本の資本主義は統制経済になる。

 

 もちろん、統制経済だからダメ、ということはない。

 例えば、戦後の高度経済成長はこの統制経済のたまものである。

 しかし、そのいい結果に気分を良くした官僚は統制の傾向を強めて、バブル以降の悲劇を招いてしまった。

 ここに「人生万事塞翁が馬」という言葉を思い出さずにはいられない。

 

 

 ここからマルクス経済学に話題を移す。

 

 現在、世情を見る限りマルクス経済学は消え去ったように思われる。

 この点、前述の通り、マルキストソ連の指導者たちがマルクスの真意を活用できなかった。

 そのため、マルクス主義はその真価が発揮できず、ソ連の崩壊と共に無用のものとして消えることになった。

 

 ただ、マルクス自身が見落としていた点もあった。

 それは「資本主義に形成に必要なものは何か?」というものである。

 客観的条件として、技術の進歩・資本の蓄積・商業の発達が必要なことは言うまでもない。

 ただ、それだけで成立するなら、イスラム帝国中華帝国において資本主義が成立してもおかしくない。

 でも、そうはならなかった。

 なぜなら、資本主義の形成にはもう一つの主観的条件、いわゆる、資本主義の精神が必要だったからである。

 資本主義の精神を具体化すると①目的合理性を尊ぶ精神、②労働自体を目的とする精神(労働による救済を目的とする精神)、③利子・利潤を倫理的に正当化する精神となる。

 

 この点、社会主義は資本主義の矛盾を克服するための政体と考えられていた。

 ならば、社会主義でも資本主義の前提に必要な「資本主義の精神」が必要であるのことは明らかである。

 というのも、計画経済を実施するためには目的合理的な計画を立てる必要がある。

 また、合理的な計画があっても、計画を実現するための労働を救済であると思えなければ、計画は実践されない。

 さらに、利潤・利子を正当化せず、ゼロ金利を実施すれば、労働しないことのペナルティがないし、労働による現実的な利得がない。

 このことからも、社会主義社会でも資本主義の前提に必要な「資本主義の精神」が必要であると言える。

 

 このような資本主義の精神を持たないまま社会主義に突入したソ連はどうなったか。

 ゼロ金利の結果、在庫の山ができ、私有財産を否定したため労働者は働かず、計画経済は未完工事の山となった。

 この失敗は「資本主義の精神がなければ、資本主義はもちろん社会主義も機能しない」ということをマルクスマルキストたちが見落としたため、ということになる。

 この点、東西冷戦の時代は資本主義体制の国も社会主義的な政策を取り入れていたが、労働者にとって西側の方がマシだったのは資本主義の精神のおかげ、ということなのかもしれない。

 

 

 さらに、当時の学問の基準から見て、マルクス経済学は致命的な点があった。

 それは、マルクス経済学の「労働価値説」が循環論法から脱出できなかったことである。

「労働価値説」は「物価は『投入された労働量』によって決まる」と考える説である。

 この説を採用した場合、「労働時間と労働力の関係をどう考えるのか、労働力の換算率をどう決定するのか」という問題がある。

 この点、商品を生み出す力、つまり、技術は人によってばらばらであるから、労働時間を労働量に置き換えることはできない。

 つまり、時間をストレートに用いることができない以上、換算率を決定する必要がある。

 

 この点、リカードが労働価値説を提唱した際、リカードは「労働価値説は資本主義より前の世界でしか通用しない」と述べた。

「今の時代には適用できない」と述べれば、資本主義経済における適用をやめれば問題は解決する。

 しかし、マルクスは資本主義社会の矛盾を労働価値説から導こうとしたので、リカードのような説明を用いることはできない。

 そこで、マルクス「労働力の換算率は市場のメカニズムによって決まる」と述べた。

 

 しかし、この説明は循環論法になってしまっている。

 循環論法になる過程を整理しながら書くとこうなる。

 

「物価は労働力によって決まる」(労働価値説)

 

 これに「物価は市場における物の価値である」、「労働力は労働時間と換算率によって決まる」をはめると労働価値説は次のようになる。

 

「市場における物の価値は、労働時間と換算率によって求められる」(労働価値説)

 

 これに、「換算率は市場のメカニズムによって決まる」をはめ込むとこうなる。

 

「市場における物の価値は、労働時間と市場のメカニズムによって決められた換算率によって求められる」(労働価値説)

 

 邪魔なものを削ってシンプルにすると次のようになる。

 

「市場における物の価値は、市場のメカニズムによって決められる」

 

 これでは「市場の価値は市場によって決まる」となってしまう。

 つまり、循環論法であり説明になってないではないか、ということである。

 当時は循環論法では説明にならないと思われていたので、そのような批判を浴びた。

 そして、マルクスは死亡していたためこの批判に対する反論ができず、また、マルキストも反論ができなかった。

 それゆえ、経済学の第一線からマルキストたちは消えていくことになる。

 

 

 こう見ると、マルキストマルクスの弟子たちの不甲斐なさが見えてくる。

 学問においては循環論に対する批判を跳ね返せなかった。

 政治においても資本主義の精神を見抜けなかったためソ連の悲劇を招いた。

ソ連の悲劇がその後の資本主義・グローバリズムの暴走を招いたことを考慮すると、ソ連の悲劇は東側の悲劇のみならず世界の悲劇でもある)

 

 ちなみに、「循環論法でも説明として成立するのだ」と述べたのは、ケインズ派サミュエルソンである。

 サミュエルソンワルラス一般均衡理論を用いて、マルクスの労働価値説の欠点を補った。

 そして、本の森嶋通夫教授がマルクスの労働価値説を証明することになる。

 ちなみに、森嶋通夫教授は反共主義者であった高田保馬博士の弟子である。

 

 

 このように見えると、マルクスの悲劇が見て取れる。

 資本主義の精神を見つけたマックス・ウェーバー一般均衡理論を見つけたワルサスの後に生まれていたらどうだっただろうか。

 あと、弟子に恵まれなかったのも不幸ではある。

 まあ、呪文のようにマルクスの言葉を繰り返すのは不毛だろうが。

 

 古典派は「資本主義に失業はない」と宣った。

 これは大恐慌の場合でも例外ではない。

 それに立ち上がったのがケインズであることは前述の通りだが、ケインズよりも前に「資本主義にも失業がある」と述べたのはマルクスである。

 しかし、弟子の不甲斐なさか、大恐慌の時点でマルクスの言葉に耳を傾けるものはおらず。

 そして、共産革命の代わりにファシズムが台頭することになる。

 

 こう見ると、マルクスの話は経済学に限られた話ではない。

 なんともスケールの大きい話ではないか。

 

 

 本章では、最後にマルクス現代社会への警告に話が移る。

 マルクスの社会に対する主張は次のとおり。

 

「資本主義においても失業が発生する」

「資本主義は富の不平等をもたらし、特に、失業に追い込まれた人間は悲惨な状況になる」

 

 本書から離れるが、古典派はマルクスのこの批判にどう反応するのだろう。

 失業については、「失業は一時的なものである、よって、現実において悲惨な状況にはならない」と返すことになるだろう。

 この点、現実において労働者の悲惨な状況は各地であったが、大恐慌に対してすら失業はないなどと宣うのであれば、推して知るべし、と言えそうである。

 では、富の不平等についてはどうか。

 古典派のドグマはジョン・ロックであり、新教であり、聖書である、ということを考えると、「資本主義による富の不平等は機会の平等に反しているわけではない、ならば、現実に生じる富の不平等は神の思し召し、生じても問題ない」ということになるのだろうか。

 閑話休題

 

 ちなみに、マルクスの価値を学問の世界から放逐することになった、循環論法を根拠とした「労働価値説」への批判。

 経済学、いや、社会学において循環論に陥ることは多々あり、その説明に学者は苦労した。

 ただ、これは経済学者の数学への理解が甘かったために起きたことである。

 循環論法によっても説明が可能である、これを数理的に説明したのが数理経済学の始祖、レオン・ワルサスであり、その理論が「一般均衡理論」である。

 これにより、社会科学の中で経済学が科学として発展していくことになる。

 この理論がマルクスの主張の前にあれば、マルクスへの評価は変わったことだろう。

 

 ところで、マルクスは「資本主義でも失業は発生する」・「資本主義はいずれ破綻して、革命が起きて社会主義になる」と述べた。

 ただ、その後の展開についてはマルクスは語っていない。

 とすれば、「失業が不可避な資本主義から社会主義に変えた結果、失業がなくなるのか」という問いは「分からない」ということになる。

 だって、マルクスは何も言っていないのだから。

 この点、「『セイの法則』が社会主義でも成立すれば失業は発生しないが、そうでなければ社会主義でも失業が発生する」ということは想像できる。

 しかし、「社会主義に『セイの法則』が成立するのか」と言われるとはなはだ怪しい。

 個人的な妄想をするならば、「『セイの法則』に沿った経済計画を立てれば可能、その計画の立案実行が政府の役割」ということになるのかなあ、というだけである。

 

 

 しかし、マルクス主義の経過を見てみると、マルキストたちの愚かさが目立ってしまうのは気のせいだろうか。

 本書では、マルクスの弟子たち(マルキストソ連の指導者たち)の愚策の例としてアフガン侵攻が挙げられる。

 アフガン侵攻と言ってもソ連によるアフガンへの侵攻のことであり、セプテンバー・イレブン後のアメリカによるアフガン侵攻ではない。

 この点、マルクスエンゲルスは「アフガンの地形・自然・人民の気質を考慮すると、あの国を攻めても勝てない」と述べている。

 しかし、1979年、ソ連はアフガンに侵攻したが、1989年に完全撤退を余儀なくされる。

 アメリカについても大同小異。

 そうみると、マルクスエンゲルスの観察力に驚嘆するしかない。

 

 また、古典派とケインズ派は火花を散らせるような対立関係を持ちながらも経済学を大きく発展させた。

 しかし、マルクスの弟子たちがそのようなことをした形跡はない。

 

 

 最後に。

 本書では、経済学以外の点のマルクスの偉大さについて触れられている。

 具体的に挙げられているのは、『ルイ・ボナパルトブリュメール十八日』である

 ルイ・ボナパルトとはナポレオン三世のことであり、フランス革命を収拾し、共和国の皇帝となってヨーロッパを席巻したナポレオン・ボナパルトの甥である。

 彼はクーデターによって帝政を実現したものの、叔父のナポレオンとは能力的に大きな差があったためか、ビスマルクモルトケが率いるプロイセン軍に大敗し、失脚する。

 それから、「歴史は繰り返す。一回目は悲劇として、二回目は茶番として」という有名な言葉があるが、元ネタはこれである。

 

 この本を本格的に研究していれば、ファシズムもナチズムも発生しなかっただろう。

 と同時に、アメリカで一度もファシズムが起きなかった理由も分かるだろう(フランスはナポレオンにより、イタリアはムッソリーニにより、ドイツはヒトラーによる独裁を招いている)。

 もちろん、アメリカ合衆国憲法ができたのはフランス革命前である。

 ナポレオン三世はおろか元祖ナポレオンすら登場していない。

 しかし、ナポレオンによる世界侵略の経緯とそっくりのケースが古代ローマにあった。

 そう、共和国ローマで独裁者となったジュリアス・シーザーのケースである。

 アメリカ合衆国憲法を起草したトマス・ジェファーソンは「この幼き共和国をシーザーから守るために」と考えて、憲法を起草した。

 

 例えば、「自由と平等は自明の真理」と謳ったことに見ることができる。

 もちろん、神学的なものを用いない限り、自由と平等は自明の真理にはならない。

 しかし、独裁者をけん制する道具として見れば、これほど有効な道具はない。

 何故なら、独裁者は往々にして自由を排除しようとするところ、自由を自明の真理と宣言し、それを活かすようにしておけば、独裁者の発生に対してブレーキがかかるからである。

 あとは、大統領選挙のシステムについても同じようなことが言える。

 アメリカの大統領選挙はめっちゃコストがかかるし、期間もかかるし、複雑であるが、あれによって大衆の一時的な歓呼によって独裁者が出てくることを可及的に回避できる。

 そのための設定が無茶ではないか、独裁者による利益を放棄しているではないか、という批判はありうるであろうが。

 

 

 以上が本章のお話。

 以前、カール・マルクスに関する書籍をいくつか読んだことがあったが、もう少し真面目に読んでみようかな、と思う次第である。

 あと、本章ではマルクスの弟子たちの不甲斐なさについて語られているが、何故そうなったのかにも興味がある。

 それと、本章のメモを作っていて、「日本のいわゆる『ファシズム』は、ドイツ・イタリアの『ファシズム』と根本的に違うのではないか」とも思った。

 時間があったら、文献を集めて仮説を立てて検証してみたい。

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 5

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

7 「第5章_マクロ経済学の誕生」を読む

 今回の主役はジョン・メイナード・ケインズケインズ派である。

 

 

「レッセ・フェール」を思想に持つ古典経済学派は資本主義が発生してから20世紀まで順調に機能していた。

 つまり、かの現実離れしていた「セイの法則」が機能し続けていたということになる。

 すげーなあ、というしかない。

 もっとも、この時代は欧米列強がアジア・アフリカを侵略し、略奪しまくっていた時代でもある。

 そのことを考えると、微妙な気分にならざるを得ないが。

 

 だが、「セイの法則」が成立していた状況を激変させる事件が発生する。

 1929年10月24日に端を発した大恐慌である。

 株価の大暴落をきっかけに企業は倒産・破産、工場は閉鎖、労働者は失業。

 間もなく、アメリカの失業率は25%を記録した。

 今の日本の失業率を考慮するとすごい数字である。

 

 また、企業の倒産・破産は金融機関の破綻も招いた。

 その結果、仕事はない・食料もない・預金もないという状況を招いた。

 当時は資本主義の全盛期、失業保険や預金者保護の制度もない。

 大恐慌は世界を巻き込んだのだから移民として逃げることもできない。

 

 さて、こんな緊急時に古典派はどう答えたか。

「失業はあり得ない」・「放っておけば自然に回復するだろう」と宣ったのである。

 この点、古典派の信条である「セイの法則」や「レッセ・フェール」を前提とすれば、失業はあり得ないし「放っておけ」となるのも分からないではない。

 しかし、現実の経済は回復せず、古典派は非常事態に何もできなかった。

 

 

 これに対して、立ち上がったのがジョン・メイナード・ケインズである。

 ケインズケインズ派によって古典派の勢いは一時期かなり削がれることになる。

 

 この点、ケインズは「古典派の理論は現実において『常に』成り立つわけではない」と述べた。

 言い換えれば、「『セイの法則』が成立していればレッセ・フェールに従えばよいが、『セイの法則』が成立していない状況であれば、レッセ・フェールではダメで何かする必要がある」と述べた。

 

 また、古典派は「供給が需要を作る」と述べたのに対して、ケインズ派は逆に「需要は供給を作る」と述べた。

 つまり、「ニーズ(需要)がなければ、作っても(供給しても)無駄」というわけだ。

 さらに、ニーズは投資と消費によって構成されているところ、この投資と消費の合計を「有効需要」と述べ、この有効需要を増やすことを進言した。

 もっとも、有効需要を増やすためには投資か消費を増やす必要があるところ、不況下においては市民に投資や消費を期待することは難しい

 これは、不況下で下落している株や債券を買うこと、将来の収入が減少する状況で消費すること・借金をすることのいずれも経済合理性がないことから明らかである。

 そこで、ケインズは「有効需要を増やせ。不況下において民間の需要と投資は期待できないので、国家が積極的に需要を作り出せ(投資せよ)」と述べた。

「何もしなくていい・するな」と述べた古典派とは対照的である。

 

 この進言は猛烈な批判・非難を受けた。

 しかし、ケインズが言ったことを実践したナチスアドルフ・ヒトラーは瞬く間にドイツ経済を立て直してしまった。

 また、アメリカのフランクリン・ルーズベルトニューディール政策最高裁の横やりもあって中途半端に終わったが、第二次世界大戦によって生じた途方もない需要によって経済を立て直した。

 このことからケインズの理論の有効性は証明されることになる。

 まあ、ケインズは戦後間もない1946年に死亡してしまうのだが。

 

 

 ケインズの主張の有効性が証明されたことで、戦後から60年代にかけてケインズ派が古典派を凌駕するようになる。

 もっとも、古典派が供給サイドしか見ないで需要サイドの研究を怠ったように、ケインズ派も需要サイドしか見なくて供給サイドの研究を怠るようになる。

 それが、古典派の復活、古典派とケインズ派の均衡関係を生むことになる。

 

 ケインズ派の弱点はインフレとクラウティング・アウト。

 ケインズ派を背景にした経済政策により、60年代からアメリカ経済にインフレとクラウティングアウトが現れた。

 これを見た古典派はケインズ派に反撃を加えることになる。

 古典派の復活である。

 

 古典派の中で特に反ケインズ派の色の強い学派の仮説が「合理的期待形成仮説」である。

 この仮説はルーカス博士などの「合理的期待学派」が主張したものであり、ベンサムの仮説をさらに突き進めたものである。

 ジョン・ロックベンサム、合理的期待形成仮説を比較すると次のようになる。

 

 ロックの場合、「予見能力によって、人は将来の欲求(未来の食糧等)を見越して行動できる」

 ベンサムの場合、「人は将来の欲求を見越して行動できるだけではなく、その効用・将来の幸福度の度合いも正確に計算できる」

 合理的期待学派の場合、「人は利用可能な正確な情報用いて、さらには、最先端の経済理論を用いて、経済的な正しい予測をすることができる。その際のコストはゼロである」

 

 なんとも途方もない設定である。

 ただ、古典派の合理性を純粋に突き詰めたものを表現したと言えば、あながち外れたものではない。

「改革を為そうとする者は過去の理想にさかのぼって(以下略)」という山本七平の書籍の内容を思い出すのは偶然であろうか。 

 この点、「マルキシズムは宗教である」という意見があるが、資本主義・古典学派も恐ろしく宗教的である。

 

 このように、ケインズ派に対する反撃がなされ、古典派が再び蘇ったかのように見えたが、新しい古典派の学説にも欠点があることが指摘された。

 かくして、ケインズ派と古典派の均衡状態が成立することになる。

 

 

 ケインズ派復権は、80年代のレーガンサッチャー政権の政策に見ることができる。

 まず、サッチャー政権の経済政策についてみてみる。

 

 サッチャーは徹底した資本主義者・古典学派の信徒であった。

 そこで、政権を取った瞬間、驚くべき政策を行う。

 それは、シュンペーターが述べた資本主義滅亡過程を逆行させようとしたのである。

 ここにも、「改革を為そうとする者は過去の理想にさかのぼって(以下略)」という言葉を見る気がする。

 

 つまり、シュンペーターは「資本主義は資本主義の成功・完成によって滅びる」と預言した。

 そこで、サッチャー社会主義経済になりかかっていたイギリス経済をビクトリア朝時代の様相に戻そうとしたのである。

 つまり、役人が動かす経済(これぞ社会主義経済である)ではなく、プロテスタントの倫理観に支えられた資本主義の精神を持つ企業家によって支えられる経済に転換しようとしたのである。

 まさに、「歴史を一気に過去の理想に引き戻す」という言葉がピッタリではないか。

 

 もっとも、時代背景が異なり、サッチャー時代は「セイの法則」が成立しない。

 そんな状況で国家の事業を減らし、また、減税などを行ったらどうなるか。

 政権を取った時点では10%だったインフレ率は20%を超えた。

 政権を取った時点では150万人だった失業者は300万人を超えた。

 フォークランド紛争の圧勝もあって政権自体は維持できたものの、政権開始に行った経済政策は結果的に大失敗。

 ケインズ政策を取り入れる以外に打つ手がなくなってしまった。

 

 この点、ケインズ政策は短期的に見て即効性のある政策である。

 ケインズ政策を取り入れて選挙を乗り切ったサッチャー

 しかし、その後もケインズ政策を使いすぎたサッチャーケインズ政策の弱点であるインフレと輸入超過の罠に落ちてしまった。

 めでたくなしめでたくなし。

 

 

 古典派とケインズ派

 その特徴をある程度簡単にして分けると次のとおりになる。

 

「価格は需要と供給で決まる」という経済法則に対して、「供給が需要を作る」と述べた古典派、「需要が供給を作る」と述べたのがケインズ派

 また、「セイの法則」が常に成立すると考えて「Y(総生産)=C(消費)+I(投資)」を恒等式と考えるのが古典派、「有効需要の法則」が常に成立すると考えて「Y(総生産)=C(消費)+I(投資)」を方程式と考えるのがケインズ派

 

 この点、セイの法則は使い勝手が良い。

 しかし、そのために理論公害が起きたのは前述のとおり。

 

 さて、このセイの法則、いつまで成立していたのか(いつから成立しなくなったのか)。

 それは第一次世界大戦前まで、ということになる。

 となれば、大恐慌第二次世界大戦を経た後のサッチャー時代ならば成立していたとは到底言えまい。

 

 この点は、同時代のアメリカ政権、レーガン政権も大差ない。

 レーガン政権も最初は公共事業を削減しまくって減税をしまくった。

 その結果、予算は大赤字・貿易は大赤字。

 結局、レーガンケインズ政策を用いざるを得なかった。

 

 

 ところで、大恐慌を端に現れたケインズ経済学。

 ケインズ経済学に欠点はないのか。

 もちろんある。

 

 この点、古典派の「セイの法則」が全称命題ではないが、成立する時代はあった。

 例えば、行動経済成長時代の日本(産業革命成立後の欧米)を見ればいい。

 生活レベルの向上により国民は「あれも欲しい」・「これも欲しい」となる。

 つまり、この時代は作れば売れる時代だったわけである。

 もっとも、「あれも欲しい」・「これも欲しい」は一生続かない。

 欲望が減り、生産能力が向上することで「セイの法則」からの乖離は大きくなった。

 

 そこで、ケインズは「民間による需要が減ったなら国家が需要を作れ」と述べ、「有効需要の原理」を打ち立てた。

 しかし、ケインズ派の置いた「有効需要の法則」も全称命題たりえない。

 この点、アメリカは大恐慌前に大きな設備があった。

 そこで、第二次世界大戦の需要にこたえて経済が立て直せた。

 しかし、もし、需要に耐えられる設備がなければどうなるか。

 需要があるが生産が追い付かず、経済は動かないということになろう。

 第二次世界大戦前の日本の軍用機市場のように。

 

 このように需要に対応する供給が準備できないとどうなるか。

 どんなに景気が悪くても民間の需要がゼロということはない(例えば、景気が悪くても食糧がなければ国民は飢えて死んでしまう)。

 そんなところに、国家の需要を大量に市場に放り投げればどうなるか。

 供給が国家の需要に吸い上げられ、民間に対する需要が締め出されて満たされない(クラウティング・アウト)ことになる。

 また、需要の増加は相対的な供給不足を招くから、価格の増加を招く。

 ケインズは「価格は不変」という前提を置いているが、価格の増加、つまり、インフレを招けば、やはり需要の効果は落ちてしまう。

 また、海外の安い製品の流入を招いて貿易収支は悪化して貿易赤字は拡大、国内の経済は悪くなってしまう。

 

 このクラウティングアウト・インフレ・輸入超過、この3つがケインズ派の弱点ということになる。

 

 

 さて、ここで話題を現在の日本に移す。

 現代日本では当たり前のように公共投資が行われている。

 経済の観点から見た場合、この公共投資ケインズの発想を下敷きにしているのは言うまでもない。

 では、この公共投資、うまくいっているのか。

 古典派・ケインズ派を見たうえで日本の公共事業を評価すると、日本はいくつかの罠に陥っている。

 クラウティング・アウト、インフレ等ではない別の罠に。

 

 そもそも、ケインズ派も古典派も資本主義が作動していることを前提としている。

 ならば、資本主義の精神がない経済圏で公共投資をぶっこんだところで一時しのぎにしかならず、景気は回復しない。

 例えば、流動性の罠」。

 利子を下げて投資を喚起しようとしても利子を下げすぎれば、投資する意欲が消えて現金はタンス預金になる。

 投資する意欲は資本主義の精神の重要な柱であること(セイの法則が成立する場合、「貯蓄は全部投資に回る」ことが前提となる)を考慮すれば、流動性の罠は資本主義の精神の根幹をつぶしてしまうことになる。

 あるいは、「ハーベーロードの仮定」

 この仮定はケインズの前提であり「役人は公正かつ有能」という仮定だが、資本主義の精神がなく、その仮定が成り立たなければケインズ政策は実効性を持たない。

 ただ、国の借金が増えるだけである。

 

 こうやってみると、日本のファンディがもたらした短所が公共投資にも表れているような気がする。

 もちろん、この点はしょうがない面もあるし、そのことを非難したいとは全く思わないのだけど。

 

 

 以上が本章のお話。

 この章のお話は「痛快!憲法学」でも触れられていたが、それ以上の情報があり、参考になった。

 今後もどんどん読んでいきたい。