今日はこのシリーズの続き。
『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。
13 「第11章_『馬』にでもわかる経済学」を読む
この本が出版されたのは2004年、サミュエルソンは存命であった(サミュエルソンが亡くなるのは2009年、著者小室直樹先生が亡くなるのは2010年)。
本書ではサミュエルソンを「存命中最も偉大な経済学者」と評価している。
そのサミュエルソンがワルラスのことを「ワルラスは別格で偉大な経済学者だ」と述べているのだから、ワルラスはもっとすごいのだろう。
サミュエルソンが発見したものはたくさんある。
特に重要なものを挙げると、「乗数分析と加速度原理の相互作用」は経済学の常識を塗り替える景気変動分析のツールとなった。
また、サミュエルソンは多くの分野に手を出している。
例えば、消費者行動・動学理論・国際経済学・厚生経済学、果てには、古典研究に政策理論。
それから、サミュエルソンは数学や物理学についても精通していた。
そして、これらの知識を駆使して経済学を「誰にも分かりやすく」説明したのがサミュエルソンの大きな業績の一つである。
この点、数理経済学の始祖はワルラス、数学を初めて本格的に駆使した経済理論を打ち立てたのがヒックスである。
しかし、ヒックスの『価値と資本』は理解するのに五年もかかるらしい。
また、経済学の巨匠のひとり、シュンペーターも数学理解は本格的ではなかったらしい。
シュンペーターはサミュエルソンにワルラスの『純粋経済学要論』の研究を勧めたが、数学があまり得意でなかったシュンペーターは弟子のサミュエルソンの授業に出席して数学の勉強をしたというエピソードもあるらしい。
この点、経済学を発展させた国はイギリスとオーストリアであった。
ただ、ヒトラーの台頭、ヒトラーのオーストリア併合により、オーストリアの経済学者たちはウィーンから離れ、イギリスやアメリカに向かった。
ウィーンからアメリカに移った経済学者がアメリカの経済学を刺激したのは言うまでもない。
その中からサミュエルソンが現れたのである。
あまりに難解で「本人でさえ本当は理解できていなかったのではないか」と揶揄されたケインズ理論を解きほぐし、数学の手法を使って誰にでも分かるようにケインズ理論の神髄を説明したのがサミュエルソンである。
もちろん、単に「読み解いた」だけではなく、サミュエルソン博士はそれをさらに発展させ、新たな経済分析のツールを作り出した。
それが「乗数分析と加速度原理の相互作用」である。
ケインズは投資(公共投資)の国民所得に与える影響を分析するためのツールとして乗数理論を編み出した。
この点、「投資が所得を刺激し、増大させる」という着眼点は画期的だが、ケインズの関心は結果、つまり、所得の収束箇所であった。
そのため、ケインズは波及効果(投資による所得の単純な増加分)の分析に集中していた。
しかし、所得と消費は相互連関の関係があるため、「投資は所得を生み、(それだけではなく)所得は消費を生み、消費が所得を生み、、、」という関係を生む。
そのため、ケインズの理論だけでは出発地点直後だけしか分からない。
そこで、サミュエルソンはケインズの乗数理論に「加速度の原理」を加えて、「投資による所得の単純な増加」に加えて、「所得の単純な増加が生み出す相互連関作用」についても予測できる精密な理論を作成した。
この理論については経済学の入門書として大ベストセラーになった『経済学』に分かりやすく解説されている。
この『経済学』の出版もサミュエルソンの重要な功績である。
この点、サミュエルソンの『経済学』が出版される前は、古典派の大御所マーシャルの『経済学原理』が教科書として使われていた。
しかし、大恐慌とケインズが古典派に致命的な批判をたたきつけ、サミュエルソンの『経済学』にとって代わられることになる。
ちなみに、マーシャルの『経済学原理』は50年間、出版当初のままであったが、サミュエルソンは『経済学』を何度も改訂し、様々な学説の簡易な解説を加えていった。
その結果、『経済学』は経済学における様々な学説の簡易な解説書となった。
かつて、ケインズ派を激しく批判したフリードマンが次のように語ったことがあるらしい。
「私の学説が分かりにくいというのであれば、サミュエルソン博士の『経済学』を読め。私の説を私以上に理解している人がいるならば、それはサミュエルソン博士である」と。
なお、ケインズ派を猛烈に批判したルーカス博士の「合理的期待形成仮説」を最も正確に分かりやすく解説したもののやはりサミュエルソンの『経済学』である。
ところで、経済学は「総ては総てに依存する」経済現象の均衡点を分析、解明することを目的にしている。
ただ、経済全体の均衡状態を見出すのは途方もない話になるため、マーシャルは市場の需給に注目いて財の価格の均衡点を見出す「部分均衡」の理論を生み出した。
そして、経済全体を研究とするマクロ分析はケインズによってなされたが、そこから新たな経済分析ツールを生み出し、誰でも使える形で掲示したのがサミュエルソンである。
ところで、サミュエルソンによると一般均衡分析のエッセンスはケインズ・モデルに総て盛り込まれている、という。
では、「総てが総てに依存する」といった途方もない複雑なものをどう単純化したのか。
この単純化のために作られた「仮定」を見ると、「ばんなそかな」と言うこと引き合いである。
政府がない
外国がない
時間の流れがない
全員が経済人
商品はひとつのみ
注意しなければならないことは、学問における「モデル化」(理論化)というのはこのようなものからスタートするのである。
それは、古典力学であろうが、経済学であろうが例外ではない。
まず、「政府がない」くせに一国の大きさのGNPをカウントするのは矛盾するように思える。
しかし、この背後にはジョン・ロックの思想がある。
つまり、政府や国家がなくても人間(自然状態)はいる。
また、労働があり、生産物がある。
つまり、政府はないが、人々(国民)がいて、その人々の労働・生産物の合計をカウントすることでGNPを求めるわけである。
次に、「外国がない」というと、世界連邦や巨大な世界帝国を想像するかもしれない。
しかし、これは「貿易や金融取引がない」ことを意味するだけであって、論理的に捨象するだけである。
もちろん、現実においては金融取引も貿易もあるだろうが、細かいものが大量に混在していると単純化できず、何も分からないまま終わる。
だから、最初は単純化したものを考え、そのために一切無視するのである。
さらに、「時間の流れがない」とは、定常状態・静学で考えるということである。
もちろん、乗数理論を考慮すれば矛盾するが、単純なものから考える場合、静学から考えた方が単純であり、また、古代ギリシャ以来の伝統である。
これも、単純化の状態が分かったら時間を取り入れ、動学で考えればよい。
また、「全員が経済人である」とは二つの意味があり、①一種類の人間が大量にいること(個人の人格を捨象すること)、②効用・利潤を最大にするために振舞うことを意味する。
これまた非現実的ではあるが、単純化のためここから考えるのである。
さらに、「商品は一つ」とは、抽象的に一財しかないと考えることである。
例えば、酒としてもたくさんの商品があるが、抽象化して一種類の商品としてみなすということである。
もちろん、現実と比較したら、「ばんなそかな」と言うことは間違いない。
しかし、この抽象化が役に立つのである。
例えば、古典物理学の「質点」。
「質点」には重さがあるが「大きさ」がないものである。
こんなものは現実に存在しない。
しかし、そのような非現実かつ大胆な仮定・設定を置いた結果、物体の運動を精密に計算・予測できるようになった。
このような仮定が物理学を大きく飛躍したことは言うまではない。
似たような仮定として、「空気抵抗はゼロである」・「摩擦はゼロである」といった設定もあるが、これも同じこと。
現実は複雑すぎて、そのままでは理解できないので、少しでも理解できる範囲を広げるために、極端に単純化したモデルからスタートし、徐々に変数(物理学で言えば、摩擦や抵抗、大きさ)を加えて複雑にしていく。
モデルを使った分析とはそういうものなのであり、単純化はものを整理するための視点なのである。
(この点は、経済学、というよりは、学問の超基本なので、ある程度細かく書いておく)
もちろん、ニュートンもサミュエルソンもむやみに単純化したわけではない。
どの仮定にも理屈はある。
例えば、「政府はない」の背後にはロックの思想がある。
また、ロックの思想によれば、自然状態は資本主義の状態であり、政府は後から契約によってできたことになる。
ならば、政府という変数は後から追加すればよく、最初の段階では省略してもいい(経済状態を理解できる)と考えたわけである。
このようにすっきり単純にあすることで難解なケインズ理論もずっと分かりやすくなったのである。
ちなみに、サムエルソンは若いころ、消費関数の実証研究をやっていたそうである。
著者(小室直樹先生)がアメリカに渡ったとき、サミュエルソンに「何故、実証研究をやめたのか」と質問したところ、サミュエルソンは「Comparative Advantage!!(比較優位の原則に従ったのだ)」と答えたそうである。
比較優位を発見したのはリカードであるが、これを人間の分業に貢献できることを示したのがサミュエルソンである。
(もっとも、比較優位を知らないアメリカ人が南北戦争という悲劇を生み、皮肉にも世界一の工業国アメリカを作ることになった、という話は以前紹介した通り)。
そして、比較優位説をさらに進化させたのが、「ヘクシャー・オーリンの定理」である。
以上のように、サミュエルソンは幅広い分野で画期的な研究成果を挙げ、論文で発表した。
ノーベル経済学賞でサミュエルソンが受賞されたとき、その理由を特定の業績に絞れなかったという。
つまり、理論経済学の発展をサムエルソン博士抜きに語ることは不可能である。
以上が本章のお話。
第11章までで巨匠の業績を通じて経済学の発展過程を見てきた。
また、経済学の背後にある「思想の存在感」を知ることができた。
日本のファンディを持っていると感じられなかったことを感じることができたのは大きな収穫である。