薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 12

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

16 「第14章_資本主義の探究に生涯をかける」を読む

 第14章の主役は大塚久雄博士である。

 大塚博士はマックス・ウェーバーの解釈を探求した博士であり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の訳本を書かれた方である。

 

 

 第12章で紹介された高田博士は経済学に「勢力論」を導入した。

 また、外国の様々な経済学者の学説を日本に導入し、日本の近代経済学の基礎を築いた。

 その高田先生をして「理解できない」と言われた経済学者が二人いたそうである。

 一人はジョン・メイナード・ケインズ、もう一人がマックス・ウェーバー

 

 この点、ケインズについては前章の森嶋教授、サミュエルソン、ヒックス等によって解明された。

 その内容は『思想としての近代経済学にまとめられている通りである。

 

 他方、マックス・ウェーバーについて。

 ケインズは「経済学」の天才である一方、マックス・ウェーバーは経済学・法学・政治学等社会科学全般の大天才であるのみならず、音楽社会学なるものまで考えた。

 そのため、ウェーバーの分析を正しく評価出来た人間はほとんどおらず、ウェーバーの主張を正確に読みぬき、その分析を誰にでも理解できる形で解説したのはウェーバーがこの世を去ったあとであった。

 具体的には、アメリカのタルコット・パーソンズ博士、日本では大塚久雄博士である。

 

 

 パーソンズ博士は20世紀を代表するアメリカの社会学者である。

 パーソンズ博士はウェーバー、デリュケム、フロイト、パレートの四人を四大社会学者であるとし、彼らの説を中心に新社会理論を構築し、社会学研究に一世を画した。

 

 一方の大塚久雄博士。

 大塚博士は『プロテスタンティズムの倫理の資本主義の精神』を訳したが、本文のみならず脚注の一つ一つに至るまで訳している。

 脚注を訳したのは、脚注にこそウェーバーを理解するための重要なヒントが散りばめられているからである。

 このように、大塚博士の業績の中で特に重要なものはウェーバーを根本から理解し、徹底解説したところにある。

 現在、我々がウェーバーの偉業と学説を学ぶことができるのは大塚博士のおかげ、と言っても過言ではないだろう。

 

 

 このウェーバーの遺産は膨大である。

 何故なら、ウェーバーの業績は経済学のみならず、宗教社会学法社会学、政治社会学等多岐にわたるからである。

 さらに、官僚研究については格別である。

 ただ、ウェーバーの業績のエッセンスは経済社会学と宗教社会学に集約されている。

 

 この点はマルクスと比較すると分かりやすい。

 マルクスは「経済構造」が社会を見るうえで重要であると考え、この経済構造によって社会は規定されていると考えた。

 他方、ウェーバーは経済と宗教が社会を見るうえで重要であると考えて、ここから社会構造の本質に切り込んだ。

 そのうえで、「近代資本主義の背後には宗教がある」と指摘するのである。

 

 ところで、上述の研究の際、ウェーバーは様々な社会とその歴史を調べた。

 古代エジプト、古代メソポタミア、古代ヘレニズム、古代ローマ、古代インド、古代中国、イスラム帝国、中世イタリア、中世ドイツなどなど。

 この点、大塚博士も「歴史と数学が好き・得意」という稀な才能を持っており、その点はウェーバーと似ている。

 

 

 資本主義の背後にはキリスト教があることを発見・主張したウェーバーであったが、これに対しては反論が続出した。

 しかし、この反論が誤読・誤解に基づくことを発見して、ウェーバーの論著と思想を日本に伝えたのが大塚博士である。

 

 この点、ウェーバー以前の学者たちは「資本と技術と商業が発展すれば、勝手に資本主義になる」と考えていた。

 しかし、三条件が揃って繁栄を極めた地方は様々なところにあるので、その考えが正しければそれらの地方で資本主義が興ってもおかしくはないところ、どの地方でも近代資本主義は発生しなかった。

 例えば、中国の明の時代の技術・資本・商業はどれを見ても産業革命前夜のイギリスよりも素晴らしかった。

 永楽帝の時代の1405年、中国の提督が大艦隊を率いてインド洋を航海したが、その航海に用いられた船は80隻、乗員の総勢は約1万に及び、船の中には8000千トンというものすらあった。

 これに対して、コロンブス西インド諸島に向かったのはその約100年後であった。

 しかも、コロンブスの航海に用いられた船は一隻約120トン、乗員約50人。

 明の経済は当時のヨーロッパをはるかにしのぐものだったと言ってよい。

 しかし、中国に資本主義は興らなかった。

 そこで、ウェーバーは「資本主義の発生には主観的なもの、つまり、資本主義の精神が必要であり、その源泉となったのが核となるのがキリスト教の禁欲的な倫理観である」と主張した。

 

 これに対して、反論が怒涛の如く現れたのは言うまでもない。

 例えば、ウェーバー批判の急先鋒、経済学者ルヨ・ブレンターノは「キリスト教が『もっと儲けよ、もっと欲をかけ』と教えたことはない」・「宗教改革によって、営利欲に対する宗教的束縛が緩和されたから、人々はその営利欲を解放して資本主義を作り上げたのだ」と批判した。

 確かに、この批判は分かりやすいし、ウェーバーを読まずに聞けば「なるほど」と言いうる。

 大塚博士も大学の講義でこの批判を聴いたときはこの批判を「その通り」と考えたらしい。

 ただし、大塚博士はウェーバーの主張を精読しているうちに、ウェーバーの主張とウェーバーに対する批判の間の食い違いに気付くことになる。

 

 

 この点、資本主義を前提とせずに経済的繁栄を遂げた国はたくさんある。

 それらを総称して「前期的資本」と言うところ、「前期的資本」は商品交換と貨幣の流通があれば成立する。

 さらには、前期的資本によって経済的繁栄を遂げることは可能であり、その繁栄が資本主義による繁栄を上回る可能性だって否定できない。

 例えば、前述の中国のように。

 あるいは、現代の経済発展著しい中国もその例になるのかもしれない。

 しかし、重要なことは「前期的資本は近代資本主義の資本になることはない」ということである。

 そして、近代資本主義を生み出すためには、前期的資本を支えるプラットホーム、例えば、封建制のような前近代的制度や「伝統主義」を吹き飛ばす必要がある。

 そのプラットホームを吹き飛ばすためには資本・商業・技術もさることながら、プラットホームを吹き飛ばすだけの行動も必要であり、そのためには伝統主義等の基づくエートスから資本主義のエートスへの転換が必要なのである。

 そのエートスの核となったのが禁欲的なプロテスタンティズムであるというのがウェーバーの主張である。

 

 このように、ウェーバーを理解するためには宗教的な理解が不可欠ということになる。

 そして、大塚博士がそのウェーバーの主張を理解できたのは、科学的・論理的思考に優れ、世界史に精通し、そして、敬虔なクリスチャンである、らしい。

 

 

 本章の最後ではウェーバーの理解が急務と判断した小室先生と大塚博士のやり取りが紹介されている。

 このような時間を過ごせたのは確かに至福だろうなあ。

 

 以上が本章のお話。

ウェーバーを理解しようかなあ」と考える自分がいる一方、「これは自分にできるのか」・「やりだしたら泥沼にはまりそう」と考える自分もいる。

 さてさて、どうしたものか。