薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『経済学をめぐる巨匠たち』を読む 11

 今日はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。

 

 

14 「第12章_日本に経済学の道を拓いた先駆者」を読む

 この章から日本の経済学者の巨匠たちに話が移る。

 

 第12章の主役は高田保馬博士である

 この点、日本で本格的に近代経済学を研究したのは東京帝国大学出身の安井琢磨、木村健康の両教授であった。

 しかし、研究の視点となる当時の先端理論・学問の正統を導入したのは、京都帝国大学で教鞭をとっていた高田保馬博士である。

 

 高田博士は社会学を専攻した。

 そして、社会学において独自の学説を構築して、二つの大著を遺した。

 一つ目は『社会学原理』、もう一つが『社会学概論』である。

 

 高田博士は大学を卒業して数年後、母校の講師に就任するが、経済学の講師としてであった。

 しかし、高田博士は経済学の素人ということはない。

 学生時代から経済学の教科書も親しく読んでいたのである。

 また、高等数学への造詣も深めており、そのことが高田経済学の重要な礎石の一つとなる。

 

 その後、様々な大学を経て、再び京都帝国大学の教授になる。

 その際に刊行されたのが『経済学新講』である。

 この教科書は海外の代経済学者の理論・学説を紹介・解説したものであるが、各学説の意味と位置づけを正確に示している。

 

 

 では、高田博士の達成した偉業の背景には何があるのか。

 著者(小室直樹先生)によると語学力と数学的素養だという。

 当時、海外に留学するといっても国費を使ったもので期間は1年である。

 語学の壁もあり、海外の成果を持ち帰るのは極めて困難である。

 しかし、高田教授はドイツ語とフランス語が得意であり、初期の論文をドイツ語で書くほど語学力があった。

 また、数学的素養も大きい。

 当時の日本の経済学者は数学を勉強していなかった(と本書では書かれている)。

 他方、ヨーロッパでは経済学も数学も同じ学部、「Department of Arts and Sciences」という学部に含まれており、学者同士の交流等も盛んであった。

 そして、ワルラスの研究以後、経済理論の構築に高度な数学が駆使されるようになった。

 そのため、数学に無縁であれば、近代経済学を理解するのは無理である。

 しかし、高田博士は数学的モデルを正しく理解していたため、海外の経済学を正確に理解しえたのである。

 

 

 では、高田博士の経済学的業績は何か。

 それは、「独自の勢力論」を経済理論に導入したところにある。

 この点、現在の経済学では「需要と供給が等しくなったところで価格が決定される」と言われている。

 しかし、高田博士によるとその結果得られる数値(価格)は近似に過ぎないという。

 そして、「勢力(パワー)」によって価格が近似値からずれると主張したのが高田博士である。

 このような主張ができたのも高田博士が経済モデルを的確に理解していたからに他ならない。

 つまり、モデルがどんな設定(仮説)の下に成立しているかを把握し、そのモデルに変数を加えた(単純なモデルから現実に近いより複雑なモデルに変化させた)結果、このような主張ができたのである。

 

 この「勢力」の具体例が「力の欲望に基づくもの」である。

 この点、一般に言われるように、「効用」があると判断すれば商品は買われる

 例えば、「計算が簡単にできるから電卓を買おう」というように。

 しかし、「他人が買ったから、うちも買う」というようなこともありうる。

 例えば、「みんながスマホを持っているから自分もスマホを持つ」というように。

 そうなれば、効用はそのままであっても、需要が高まるので価格は押し上げられる。

 この効果が「勢力」による価格効果の上昇の具体例であり、「デューゼンベリー効果」と呼ばれているものである。

 この効果は、中国やアラビア等、定価制を採っていない地方における価格の決まり方を見る際に参考になる。

 この場合、買う人が親しければ安く売るが、旅行者など疎遠の者には高く売りつける。

 これも勢力論から考えれば経済学的に合理的な行為であることが分かる。

 

 

 さらに、高田博士はケインズ・ウェイバーの理解・解釈の先駆者であった

 ケインズウェーバーの価値を理解し、その研究に道筋をつけたのは高田博士である。

 そして、この高田先生の弟子にあたる方が次章の主役、森嶋通夫教授である。

 

15 「第13章_日本が生んだ世界に誇れる経済学者」を読む

 第13章の主役は森嶋通夫教授である。

 森嶋教授は日本で最もノーベル経済学賞に近い日本人であり、日本を代表する理論経済学者であり、国際的にも最もよく知られた日本人経済学者である。

 森嶋教授は日本で教鞭をとられていた期間よりも英国の一流校を拠点に活躍されていた期間の方が長い。

 また、ポストの少なく、就任が大変なことで知られるイギリスの名門大学の教授にも就任している。

 なお、近代経済学理論を欧米から吸収して日本に紹介したのが前章の高田博士、それを礎にして日本の近代経済学を確立したのが前章で登場した安井琢磨教授、そこから世界レベルの研究成果を生み出したのが森嶋教授ということになる。

 

 

 なお、本書によるとノーベル経済学賞を狙える日本人は森嶋教授以後いないらしい。

 そして、著者によると、その原因は受験によって学問のあり方や学問に対する意識が変容してしまったから、という。

 つまり、森嶋教授の時代は受験「戦争」というものはなかった。

 もちろん、大学入試はあり、それはそれで大変であったものの、今に比べればそれほどでもなかった。

 しかし、高度経済成長を経て昭和40年頃から受験事情は様変わりし、受験が激化するとともに、受験が目的化し、さらには、受験が大衆化した。

 その結果、受験時代に勉強に追われていた学生は受験が終わったら勉強をやめてしまうという現象が生じてしまったのである。

 これでは、、、というわけである。

 私もとある場所でこれに準じた感想を持つことがあったので、これについては「さもありなん」以上の感想は持てない。

 

 また、最近、早稲田大学政経学部で数学を受験科目にして話題になったが、経済学部の入試から数学を外してしまったことも人材が育たない原因だろう。

 近代経済学に数学が必須なのは言うまでもない。

 この点、数学ばかりに傾注している経済学の現状を批判しているものもあるが、それとて数学を用いることを否定してはいない。

 それらの批判は「別の要素も考慮せよ」と言っているが、「数学を用いるな」と主張しているわけではないのだから。

 

 

 では、経済学を会得する秘訣は何か。

 それは、ヒックスの主著『資本と価値』に書いてあることを使いこなせるようにすること、にある。

『資本と価値』は本格的な数学が使われている関係で、「読解が困難である」、「多くの経済学者にとって理解するのに五年以上かかる」と言われていた。

 にもかかわらず、森嶋教授は『資本と価値』を理解して活用しようと決意したのである。

 では、『資本と価値』をどのように読めばいいのか。

 それは、「本文の表現を数字・数式に変換する、そのうえで巻末の数学的付録と使わせる」ことである。

 そして、『価値の資本』をマスターしたら、サミュエルソンの『経済分析の基礎』を読み、自らケインズモデルを作成してみればいいのだそうだ。

 

 

 次に、森嶋教授の業績についてみてみる。

 まずは、二十七歳で上梓した『動学的変動理論』がある。

 これは、一般的な価格の成立機構を論述したものである。

 次に、「ターンパイク理論」をめぐる貢献がある。

 この「ターンパイク理論」を一言で言えば、「最適成長路をいかにして求めるか」という問題を解決するための理論である。

 ケインズ以降、経済成長が問題になるにつれて、成長のプロセスやプロセスの求め方が注目されるようになった。

 その求め方に関する理論が「ターンパイク理論」という。

 さらに、リカードワルラスマルクスの理論を数学的モデルとして表現したことも重要である。

 特に、森嶋教授はマルクスの労働価値説を近代経済学の最先端の知識を使って再構築している。

 

 

 話はここから「『セイの法則』の呪縛」に移る。

 

セイの法則」は古典派のドグマであり、公理である。

 つまり、古典派の「レッセ・フェール(自由放任)」を正当化させているルールが「セイの法則」である。

 

 この点、リカードセイの法則の重要性を意識していたし、意識的に利用していたため、「セイの法則」から自由であった。

 しかし、リカード以後の経済学者は「セイの法則」の重要性を必ずしも理解していなかった。

 意識的に「セイの法則」を否定している人ですら、無意識にセイの法則を使っていたという有様であった。

 それが理論公害を起こし、世界恐慌において何もできなかったというのはケインズの章で述べた通りである。

 この「セイの法則」の決定的重要性を見抜いて解説したのが森嶋教授なのである。

 

 この点、産業革命以降、セイの法則は成立していたが、次第に成立しなくなっていった。

 つまり、昔はセイの法則が成立し、利益は総て投資に回され、貯金がなされない世界であった。

 しかし、今の日本を見ればわかる通り、「利益が総て投資に回されるような世界」が常に成立するとは限らない。

 そして、その状況は第一次大戦後にさらに顕著になった。

 つまり、第一次世界大戦前以降は「貯蓄=投資(恒等式)」ではなくなったわけである。

 このことを森嶋教授は適切に理解させることを試みる。

 つまり、セイの法則が成立する場合は「貯蓄=投資(恒等式)」であるが、ケインズの主張は「S=I(方程式)」であると。

 そして、セイの法則が成立する経済(恒等式になる場合)」から「セイの法則が成立しない経済(方程式になる場合)」への転換を「耐久財のジレンマ」を用いて説明するのである。

 

 なお、この「セイの法則」の本格的理解のために読むといいのが、森嶋教授の著書『思想としての近代経済学』である。

 

 

 以上が本章のお話。

 次の章については次回。