薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『痛快!憲法学』を読む 7

 さて。

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

 

  

6 第6章 はじめに契約ありき

 これまでの章で大事なことを一行で書くと次のようになる。

 

第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ

第2章_憲法は国家権力に対する命令書である

第3章_憲法と民主主義は無関係である

第4章_民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した

第5章_キリスト教の予定説は民主主義と資本主義を同時に生み出した

 

 そして、第6章。

 本章を一言でまとめると、憲法ジョン・ロックの社会契約説が背景にある」になる。

 

 

 まず、ジョン・ロックの紹介がなされるが、同時に「科学的手法」についての説明からなされる。

 大事なことなので少し触れる。

 

 科学的手法の大事なことは抽象化・単純化である。

 抽象化・単純化という「一種の極端な見方でものを考える」・「細かいものを無視して、重要なもののみを残して考える」という作業によって科学的法則は発見された。

 現実にあるものをそのままの状態で考えたのではノイズが邪魔してしまい、よほどの天才でもない限り普遍的法則は発見できない。

 そこで、ある種抽象化・単純化した世界を想定し、そこから法則を見つけ出し、現実に適合するものを取捨選択するのである。

 

 例えば、数学の世界では、点は大きさがないもの・線は太さがないものとして考える。

 現実において、大きさがない点・太さのない線など存在しない。

 でも、そういう仮定を置けばモデルが単純化するため、色々な法則を作ったり見つけたりしやすくなる。

 仮に、大きさのある点・太さのある線を想定して同様のモデルを作ろうとしたら、その作業は単純化したモデルを作るよりもかなり大変な作業を伴うだろう。

 また、物理学の世界では摩擦抵抗・空気抵抗を無視する。

 現実では摩擦抵抗・空気抵抗は十分に存在するし、宇宙にだってわずかながら存在する。

 しかし、そのようなことを無視することで、アイザック・ニュートンは運動法則や万有引力の法則を発見した。

 

 さて、この「単純化・抽象化」という方法は社会科学にも応用されている。

 例えば、経済学。

 経済学の教科書では「完全競争」という概念があるが、こんなものは現実には存在しない。

 しかし、この概念を導入することで色々な法則が発見された。

 

 というわけで、「単純化・抽象化」という方法論の威力が分かっていただけたと思う。

 

 

 この方法を人間社会に適用して思索を始めたのがジョン・ロックである。

 ジョン・ロックは思索した。

 

「最近、世界は複雑化しているが、それ以前の状態はどうだったのだろう」

「その状態からどうやって世界は今のような状況になったのだろう」

 

 その結果、次のような結論を得る。

 

① 政府ができる前、(誰からの干渉を受けないという意味で)人間は平等であり、かつ、自由であった

(この状況にある人のことを「自然人」と定義し、「自然人」たちが生活している状況を「自然状態」と定義する)

② もっとも、「自然状態」だと色々不都合があるし、また、大事もなせないので、人々は「契約」によって社会や統治機関をも作った、作られた統治機関が今の政府である

 

 これにより、「政府の根底には『人民の契約』がある」という発想が生まれた。

 この「社会は『契約』によって作られた」という考え方を「社会契約説」と言う。

 

 

 また、この考え方から次の結論を出すことができる。

 

① 個人の生命・自由・財産は社会・政府が出現する前から個人のものとして存在していた(これを「前国家的性格」という)から、生命・自由・財産は原則不可侵である

② 政府は人々(人民)の「契約」によって成立したのだから、政府は人民の「契約」を遵守する必要がある

③ 政府が「契約」に反することを行ったら、人民は政府を改廃することができる

 

①から人ならば等しく持っている「人権」という概念が導き出せる

②から国民主権(民主主義)と立憲主義が導き出される

③から革命権・抵抗権が導き出される

 

 これによって近代民主主義の柱が完成した。

 予定説は絶対王権たるリヴァイアサンを退治したが、ジョン・ロックの社会契約説によってリヴァイアサン退治後の政府の理論的根拠が作られたと言ってもよい。

 

 

 さて、ジョン・ロックの社会契約説。

 当時、イギリスではピューリタン革命が起きたが、程なく王政復古がなされた。

 そして、王政復古を正当化づける理論も現れた。

 その代表的な論者は『リヴァイアサン』を書いたトマス・ホッブスである。

 ホッブスとロックを比較すると、ジョン・ロックの考えははっきり見える。

 

 二人は「自然人と自然状態から出発している点」では同じである。

 ただし、自然状態に対する二人の評価の違いが異なる結論を導くことになった。

 

ホッブスの場合

 現実の土地を見れば分かる通り、自然状態において富は有限である

 その結果、自然状態における人は富を求めて「万人の万人に対する闘争」を繰り広げる

 その不都合を回避するために契約によって社会や政府を作ったが、それでも契約に従わない人民が次から次へと出てくる

 ならば、政府の権限を大きくし、人民を従わせる必要がある

 

・ロックの場合

 自然状態において、人は労働によって富を生み出していけるので、富は無限である

 その結果、「万人の万人に対する闘争」が無制限に拡大することはなく、契約によって政府が作られれば「契約」は守られる

 よって、政府は人民の調整機関としての力を持たせておけば十分であり、それほど強くする必要はない。

 

 二人は自然状態の評価、特に、富は無限か有限かというところで評価が分かれた。

 昔の人ならば財産と言えば「土地」であるから、富は有限であると考えるだろう。

 事実、ホッブスはそのように評価した。

 逆に、ロックは「救済たる労働を繰り返すことで富を生み出せるため、富は無限である」と評価した。

 もちろん、この根底には新教や予定説がある。

 ここが両者の大きな違いである。

 

 

 さて、ジョン・ロックの社会契約説。

 これが発表されたのは17世紀。

 この論は当時「理想論」とされてきた。

 ところが、18世紀末、この「理想論」を使って国家を作ろう、国家を作り直そうと考えた人たちがいた。

 その人たちが起こした革命(戦争)がアメリカ独立戦争であり、フランス革命である。

 ホッブスの「リヴァイアサン」はより現実に忠実であったが世界を変えなかった。

 しかし、ロックの社会契約説は世界を変えたのである。

 

 アメリカはジョン・ロックの思想に従って行われただけあって、その憲法にはジョン・ロックの発想が染みついている。

 つまり、(政府による)人権尊重・人民のための政府・革命権などがちゃんと明記されている。

 そして、この発想はそのまま戦後の日本国憲法に使われている。

 あの読みにくい日本国憲法前文第一段に書かれていることは、まさに、ジョン・ロックの思想である。

 

 一応、確認しておこう。

 日本国憲法の前文の第一段は次のとおりである。

 

(以下、日本国憲法の前文から引用、ところどころ改行、強調は私の手による)

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

 われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、

 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、

 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

(引用終了)

 

 前文の第一段の各部分を置き換えると次の通りになる。

 太字の部分がロックの思想とかかわる部分である。

 

「代表者を通じて行動」→代表民主制

「自由のもたらす恵沢を確保」→自由主義(人権尊重)

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのない」→平和主義

「主権が国民に存する」→国民主権

「その(国政の)権威は国民に由来」→国民主権の正統性の契機

「その(国政の)権力は国民の代表者がこれを行使」→国民主権の権力的契機

「その(国政の)福利は国民がこれを享受」→人民のための政府

「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除」→革命権と抵抗権

 

 

 さて、日本。

 第一章で「日本国憲法が死んでいる」と述べたが、これは「『日本国憲法』という人民の『契約』が機能していない」という問題になる。

 とすれば、「何故契約が機能していないのか」という問題になり、そのためには「契約」という概念を知る必要がある。

 その「契約」の概念を説明しよう、ということで次章に続く。

 

 

 今回もメモだけで結構分量がいってしまった。

 ただ、こう見ると、私が中学・高校の世界史で学んだことの裏側にはこんな豊かな背景があったのだなあ、と思わされる。

 今は近代革命についてみているわけだが、他の時代も同様に豊かな背景があるのだろう。

 そう思うと、「中学・高校で学ぶ歴史はなんと薄っぺらいものなのか」と思わざるを得ない(もっとも、その原因を個々の教師に求めるつもりはない)。

 ただ、そっちに話を飛ばすと本筋からずれるので、この話はここまで。

『痛快!憲法学』を読む 6

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

5 第5章 民主主義と資本主義は双子だった

 これまでの章で大事なことを一行で書くと次のようになる。

 

第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ

第2章_憲法は国家権力に対する命令書である

第3章_憲法と民主主義は無関係である

第4章_民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した

 

 そして、第5章。

 本章を一言でまとめると、「(キリスト教の)予定説は民主主義と資本主義を同時に生みだした」になる。

 

 第4章は、ジャン・カルヴァンが予定説を発見するまでの歴史的経緯と予定説の中身が書かれている。

 それに対して、第5章では予定説から民主主義と資本主義に進化していく過程が書かれている。

 

 

 

 この点、予定説とは「人間の運命は全知全能である神によって事前に決められており、人間はその通りに動く」という考え方である。

 これは突き詰めると、「人間は神によって作られた道具であり、奴隷に過ぎない」ということにもなる。

 

 では、この予定説を信じた人間たち、または、予定説に大きな影響を受けている新教徒(プロテスタントピューリタンユグノーなど)が世界や社会を見るとどうなるか。

 まず、権力者が色あせて見えてくるはずである。

(全知全能の)神に比べれば人間は神の奴隷に過ぎないところ、絶対的な権力を振るう権力者たる国王も人間であり、神の奴隷に過ぎないのだから。

 この権力者も同じ人間に過ぎない、この発想が民主主義の前提にある「平等」の概念(神の前の平等)を導くことになる。

 これが民主主義を生み出す第一歩となった。

 

 他方、昔から続いていたという理由で大事にされていた伝統主義も色あせて見える。

 伝統主義も神の奴隷たる人間が勝手に大事にしているにすぎず、神による裏付け(聖書による裏付け)があるわけでもないのだから。

 

 さらに、新教徒たちは「神の御心は分からないが、神の御心に沿うことを真剣に行うことによって自分が救われる(可能性が高まる)」と考える人たちでもある。

 となれば、色あせた世界を見て「何をやっても意味がない」と無気力になるのではなく、「神の御心に沿うよう世界を作り直す」と考える方に向く。

 その結果、神の国」を作るための革命が起こる。

 

 こうして起きた事件の一つが1579年から始まるネーデルランド(オランダ)のスペインからの独立であろう。

 当時、スペインは新大陸アメリカに広大な植民地を持っていた。

 また、その頃行われたレパントの海戦ではカトリックの盟主として海軍を率いてオスマン帝国オスマン=トルコ)の海軍を破った。

 そのため、当時のスペインは「太陽の沈まぬ国」と言われており、いわば絶頂期にあった。

 そのスペインに対して新教徒が多かったオランダは反旗を翻したのである。

 

 そして、さらに有名な事件が1642年に始まったピューリタン革命である。

 この事件(革命)でピューリタン側が勝利し、当時の国王チャールズ一世は処刑されてしまう。

 

 さて、このピューリタン革命、革新的な方向に一気に突っ走れば、アメリカ合衆国のような民主主義国家ができていたかもしれない。

 実際、イギリスをアメリカ合衆国のような民主主義国家にしようと思った一派(「水平派」)は存在した。

 しかし、伝統主義によって生きていた人間たちは「身分によって持っている権利は違う(特権)」という世界を生きており、水平派の発想は先進的過ぎた。

 そのため、水平派の主張は通らなかった。

 この水平派の思想が世界に結実するためにはアメリカ合衆国の独立やフランス革命などを待たなければならなかった。

 しかし、このとき生じた「平等」という概念と「人間ならば(身分によらず)等しく与えられる権利(人権)」という概念は発生するのである。

 

 なお、イギリスではピューリタン革命の後、処刑されたチャールズ一世の息子であるチャールズ二世が即位し、王政復古が実現するものの、再び革命が起き、革命後に即位した国王たちには「権利の章典」という縛りが課せられた。

 革命の精神は継続する一方、古来の議会や「マグナ・カルタ」によって生じた憲法立憲主義)の種もここで花が開いていくのである。

 

  

 さて。

 予定説は「平等」という発想と「革命」という手段を生んだが、同時にもう一つの思想を生んだ。

 それは「資本主義」という思想である。

 

 この点、資本主義というと資本(富)が集中すれば生まれる思想だと思われがちである。

 しかし、歴史を調べればわかるが、そうとは限らない。

 

 例えば、中国は万里の長城は作られるわ、大運河が建設されるわ、資本が集中して色々なものが作られた。

 宋の時代の経済力は世界一であった。

 商業・産業・文化、どれも繁栄を極めた。

 しかし、資本主義という発想は生まれなかった。

 

 あるいは、イスラム帝国時代のアラビア。

 当時のアラブ世界は世界一の経済力・文化力を持っていた。

 しかし、資本主義は生まれなかった。 

 

 資本主義が生まれた原因を研究したのはドイツの社会学マックス・ウェーバーであるところ、彼は資本主義の発生原因について次の趣旨のことを述べた。

「近代資本主義が発生するためには資本全否定の思想が必要である」と。

 この資本全否定の思想、これを持っていたものがキリスト教であった。

 

 

 キリスト教は聖書(バイブル)で「同胞に対する高利貸しのような振る舞い」を禁止している。

 この点、「同胞」というところがみそで、「異教徒」からならいくらでもふんだくって構わないのだが。

 ちなみに、儒教にはこのような規則(同胞に対する高利貸のような振る舞いの禁止)はない。

 

 もっとも、社会を発展させるためには利潤追求は必要である。

 だから、時代が進むにつれ、中世ヨーロッパでもメディチ家フッガー家のような富豪が現れた。

 しかし、それでも資本主義は現れなかった。

 資本主義を生じさせたのはカトリックからではなく新教からである。

 

 どういうことか。

 新教・カルヴァンにおいては、キリスト教を本来の姿に戻すという原点がある。

 だから、新教徒はバイブルに従って、富を嫌い、贅沢を嫌った。

 だから、支出が減る。

 

 他方において、キリスト教には「労働は救済である」という思想がある。

 つまり、キリスト教の発想は「祈れ。そして、働け。」である。

 これは所謂「行動的禁欲」と言われているものである。

 このような思想は仏教にはない。

 また、中世ヨーロッパの人々も生活のために必要な分は稼いでも、それ以上に働くことはなかった。

 まあ、一般人はそんなもんだろう。

 

 しかし、新教徒は「ひたすら神の御心に沿うように行動することで、自分が救済される確率を少しでも高めようとする人々」である。

 そのため、新教を信じる人たちはキリスト教の教えに従い、神が決めた休日(安息日)以外は必死に働いた。

 予定説を前提にすれば、自分の仕事も神が決定し、自分に与えてくれたものになるので、天職(コーリング)として必死に働く。

 また、予定説を前提とすれば、自分が何を成し遂げたとしても救済される保証がないのだから、ゴールはない。

 だから、救済されるか分からないという不安から逃れる観点からも、神の御心に沿おうという意思からも、無限に働く。

 

 つまり、新教の人たちは贅沢・富を嫌って支出が減ったものの、必死に働くので収入は増える。

 よって、残高は増える。

 でも、その富を贅沢には使えないので、仕事のために使う。

 とすると、さらに収入は増え、残高は増える。

 これが予定説を信じることによって金持ちになるメカニズムである。

 

 

 また、労働はキリスト教の隣人愛の実践にもつながった。

 労働によって他人のニーズを満たせば隣人愛の実践になるからである。

 ここで、隣人愛を実践したレベルを測る指標となったのが労働に対する対価、つまり、「利潤」である。

 もちろん、高利貸のように暴利を貪ることはできないが、適切な対価であればよい。

 この「適切な対価」の設定が定価販売制度として普及することとなった。

 

 この定価販売制度を用いた労働によって得られた「利潤」は救済の可能性を知るための指標になる。

 そこで、新教は自己の救済の可能性を高めるために「隣人愛の実践としての労働」をどんどん行い、利潤の追求を行った。

 ここで初めて「目的は利潤」という考えが発生し、資本主義の精神が出てくるのである。

 そして、「目的は利潤」という発想が出現したことにより、「目的に対する手段の合理化」という発想が生まれる。

 つまり、「ただやみくもに労働する」という発想から「利潤を増やすために合理的な労働をする」という発想になる。

 だから、利潤が目的になれば、方法も伝統主義によって縛られることもない。

 合理化・機械化・大型化できるならば、どんどんやることが「正しい」ということになる。

 あるいは、利潤が目的ならば、より効率化できる業種があるならば、転職・転業もありである。

 さらに、利潤が目的となると、経営も効率化する必要が出てくる。

 その結果、近代的な簿記システムや数値的・客観的に事業の成果を把握するためのシステムが出現する。

 

 

 以上、「予定説から民主主義と資本主義を生み出すまで」について本章で書かれた内容を見てきた。

 こう見ると、「キリスト教」という前提がなければ、民主主義も資本主義も生まれないのだなあ、ということが分かる。

 そして、キリスト教の前提を採用する」という共同体的自己決定がないと、民主主義も資本主義も作動しないのだなあ、と思われる(キリスト教国家であれば、これが当然の前提だからこのような共同体的自己決定は要らないが)。

 では、キリスト教が前提にない日本でそれが可能なのか。

 

 さらに言えば、資本主義と民主主義を成り立たせている背景にはキリスト教ユダヤ教イスラム教)の根幹にある「契約絶対」という思想が背景にある

 だから、これについても理解する必要がある。

 ということで、次章では「契約」に話が移る。

 

 

 というのが本章の話。

 内容をメモするだけで大いに分量を取ってしまった。

 だから、感想は別に記すことにして、今回はこの辺で。

 

『痛快!憲法学』を読む 5

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

  

  

4 第4章 民主主義は神様が作った

 これまでの章で大事なことを一行で書くと次のようになる。

 

第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ

第2章_憲法は国家権力に対する命令書である

第3章_憲法と民主主義は無関係である

 

 そして、第4章。

 この章の大事なことを1行で書くと、「民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した」になる。

 

 

 前章では、中世ヨーロッパの封建システムが崩れて「等族国家」になるまでの過程が書かれていた。

 つまり、中世において国王は同輩中の主席に過ぎず、様々なものに縛られており、その権力は大きくはなかった。

 しかし、時代が進むにつれて、国王は商工業者という新しい金づるを得て権力が増える一方、十字軍による教会の権威失墜と貨幣経済の導入、及び、ペストによるの農奴の激減により、貴族・教会の権力・権威が失墜した。

 そこで、伝統主義を背景に国王の権力に歯止めをかけようと貴族・教会は議会を作った。

 そして、その議会で作った法によって国王の権力を縛ろうとした。

 この「法によって権力を縛る」というところに立憲主義(民主主義ではない)の源泉が見られると言ってよい。

 

 

 さて、この国王と貴族・教会の対立は時代が進むにつれて国王側が有利になり、貴族と教会は不利になった。

 そりゃ、貨幣経済がどんどん盛んになるのだから。

 もし、貴族と教会が勝つならば、国王を支えていた商工業者を徹底的に潰すくらいのことをする必要がある。

 だが、それは現実的に不可能だっただろう。

 

 その結果、生じたものが絶対王権(絶対王政)である。

 フランスでは1610年ころから160年間、議会が全く開かれなくなった。

 イギリスでは「国王至上法」を議会で可決してイギリス国教会を立ち上げ、従来の教会の修道院を解散させ、財産を没収した。

 貴族・教会の権力は国王の権力の前に無に等しくなった、と言ってもよい。

 

 この絶対王権が持つ権力(主権)、これは現在の国民国家が持つ権力(主権)とほぼ等しい。

 つまり、(内部において)絶対であり、何でもできる。

 例えば、慣習法(伝統主義)を無視して新たな法を作ることができるし、領土内の人間の生命・自由・財産を勝手に処分できる。

 中世の国王の権力が伝統主義・貴族・教会に縛られてほとんど何もできなかったことと比較すれば雲泥の差である。

 

 かくしてリヴァイアサンは完成した。

 現在の国家権力もこの主権と同等のものを持っていることを考慮すれば、現代の国家も過去の絶対王権の国家のようにリヴァイアサンになりえると言える。

 

 

 じゃあ、絶対王権はリヴァイアサンとしてどんどん進化したのか。

 ところが、絶対王権たるリヴァイアサンは「新たなる敵」によって大きな鎖をはめられることになる。

 それはキリスト教(聖書と十字架)である。

 正しく言えば、「平民(商工業者たち)が信じたキリスト教(新教)」がリヴァイアサンに大きな制約を課したのである。

 

 少し前に、「国王と教会・貴族の争いは国王が勝利した」と書いた。

 しかし、等族国家のメンバーである平民(商工業者)は貨幣経済が栄えたこと・国王と対峙しなかったことなどから、貴族や教会と異なり壊滅的なダメージを受けることはなかった。

 特に、イギリスにおいては貴族・教会と対決した国王が議会に参加した平民を重用したなどの事情があり、着実に力をつけていた。

 彼らの信仰したキリスト教、つまり、宗教改革によって生じた新教(プロテスタントユグノーピューリタン)がこのリヴァイアサンに大きな鎖をかけたのである。

 

 では、これらの教えとは具体的に何か。

 それを見るために、まず、宗教改革の時代背景についてみていく。

 

 当時、ローマ教会(カソリック)は腐敗の極みにあった。

 免罪符は売りつけるわ、(教義上禁止されている)信者に対して金貸業者のようにふるまうわ、、、。

 このローマ教会の堕落に対して抗議したのがマルティン・ルターであった。

 そして、このルターの教えを信じる人を新教徒と言うようになった。

 

 そして、ジャン・カルヴァンが登場する。

 このフランス出身の神学者は聖書を徹底的に研究し、聖書の背景にある「予定説」を見つけ出す。

 この「予定説」がリヴァイアサンの暴走を抑制し、民主主義などを生み出すことになるのである。

 

 本章によると、キリスト教に改宗して予定説を信じると、①世間のどんなことも怖くなくなり、さらに、②働き者になって、お金が稼げるようになるのだそうである。

 、、、なんか、自己啓発に使えそうである。

 

 

 では、この予定説はどんなものか。

 

 まず、キリスト教には「総ては神(造物主)が作った」・「神は全知全能である」という前提がある。

 つまり、神様が先にあり、その後に法があるという「神前法後」の世界と考える。

 この点、仏教では「法(ダルマ)を見つけることで苦しみの原因を探し出し、かつ、それを除去する。そして、それを発見した釈迦が仏である」と考える。

 だから、仏教は「法前仏後」となる。

 

 次に、キリスト教では「人間は堕落した存在である」という前提がある。

 そして、人間は生物的(物理的)に死んだあと、いったん「仮の死」という状態になるが、世界が終焉を迎えたときに人は神の前でいったん肉体が与えられ、神によって真実の死が与えられる。

 真実の死を与えられたあとは無となる。

 もっとも、例外的に一部の人間はその死を免れ、永遠の命が授けられる。

 その永遠の命が与えられた人間は神の国(楽園)で永遠に生を謳歌する。

 これがキリスト教の(堕落からの)「救済」である。

 

 この2つの点を前提として考える。

 神が「人間は全員堕落している」と判断しているのだから、神が「この人間を例外的に救済しよう」と決めなければ、その例外的な人間は救済されない。

 よって、救済すると決定するのは神である。

 さらに言えば、その基準を決めるのも神である。

 

 では、「救済の基準」はどうなっているか

 この答え、「実際のところは分からない」が正解になる

 

 神は総ての法を作ったものであり、さらに言えば、全知全能なのである。

 とすると、我々の思考・判断基準と神の思考・判断基準が同レベルであるとは考えずらい。

 つまり、人間を基準にして考えれば「教えを守った者を救済する」となるかもしれないが、神も同様に考えるのか。

 そんな基準を作ったら出し抜く人間が必ず現れるところ、それを予見しない、できない神ではないだろう。

 などなどなど。

 と考えれば、「実際のところは分からない」に落ち着きそうである。

 

 さらに言えば、神は全知全能であり、無限のリソースを持っている。

 とすれば、最後の審判のタイミングになってから、神が「よっこらしょ」と腰を上げ、裁く人間たちの中身を調べて判決を下すといったまどろっこしいことをするだろうか。

 それくらいなら、「先に人間を救済するかどうか決めておく」だろう。

 

 というわけで、総ての人間の運命は神が決めた「予定」のとおりに動く。

 これがジャン・カルヴァンの発表した予定説である。

 

 もちろん、これは聖書に出てくる文章を分析した結果出てきた結果である。

 この予定説がよく現れている具体例として「預言者の物語」がある。

 

 さて、この予定説。

 人間から見た場合、「神は人間と取引しない」・「(神から見て)人間は便器である」というような考え方。

 日本であれば、「こんな神が相手だったら、(神の圧倒的な力と自分の無力の前に)無気力になる」、または、「人間に利益を提供しない神は拒絶する」ということになるのかもしれない。

 事実、イギリスの文豪、ジョン・ミルトンは「喩え地獄に落ちようとも、このような神を尊敬することはできない」と言った。

 しかし、新教の教えはヨーロッパに広まっていく。

 

 確かに、神は全知全能の造物主である。

 だから、「救済」の具体的な基準を人間が知ることはできない。

 しかし、知ることができなくてもは想像・推測をすることはできる。

 その結果、「神が救済する人間は筋金入りのキリスト教徒だろう」と考えることはできる。

 もちろん、「だろう」であって「である」ではないが。

 だから、新教徒たちは「自分はローマ・カソリックキリスト教徒でも異教徒ではないので、救われる可能性が100%ではないとしても、他の人よりも多い」と考え、その点でホッとすることができる。

 

 さらに、「神は人間の一生をあらかじめ規定している」ことになっている。

 とすれば、「自分を新教にめぐりあわせたこと」も神の決定によることになる。

 なんか、神の見えざる導きを感じるではないか。

 

 もっとも、神の見えざる導きを感じても、自分が「救済」される明確な保証がない以上、この信仰心が薄れることはない。

 他方、神の見えざる導きを発見すれば、「これもまた神のお導きであり、さらに、『救済』に一歩近づいた」ということにあんり、ますます信仰心が増える。

 こうして、新教の人たちの信仰は指数関数的に熱心になっていったのである。

 

 もちろん、ジャン・カルヴァンが提唱したのは予定説であり、民主主義や資本主義を生み出したわけではない。

 しかし、この予定説がリヴァイアサンを制約したし、リヴァイアサンを制約したあとの世界で構成された民主主義や資本主義にはこの予定説が背景にある。

 

 

 というのが本章のお話。

 民主主義は何か、ということを知りたければ、背景としてこの辺のことは知っておかないとダメだよなあ、と思う次第。

 まあ、民主主義を権威として利用するとか、日本の実情にあわせずに適用するとかならまだしも。

「3級FP技能検定」の試験を受ける

0 「3級FP技能検定」試験にほぼ合格する

 5月23日、私は「3級FP技能検定試験」という資格試験を受けた。

 

www.jafp.or.jp

 

 試験終了後に公開された解答速報を見て自己採点したところ、どうやら合格しているようである。

 

www.jafp.or.jp

 

 そこで、試験の受検申込から受検までの軌跡を忘れぬうちに記録しておく。

 

1 受検を申し込みするまで、あるいは、受検の目的

 2019年、先代の天皇陛下が譲位なされ、新しい天皇陛下が即位された。

 そして、新しい年号・新しい時代が始まった。

 

「新しい年号・時代が始まったから」ではないが、当時の私は「勉強する習慣を身に着けたい」と考えた。

 また、単純に書を読むだけでは効果が薄いので、「勉強する習慣を身に着ける。また、勉強した結果を形にする。具体的には『資格を取る』」ことを考え、実践することにした。

 

 

 では、何を勉強するか。

 当時の私は「会計・経済の勉強をしたい」と考えていた。

 この点、司法試験に合格するために法律の勉強をしたことがある。

 また、大学の学科は理系だったので、自然科学の勉強もしている。

 しかし、経済・会計の勉強をしたことはない。

  そこで、会計・経済に関する資格をターゲットにすることにした。

 

 このように決意した2年前、私は簿記3級と簿記2級の試験を受け、これに合格した。

 そのうち、簿記3級に合格したときのことは以下に書いた通りである。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 次に、1年前。

 私はFP(ファイナンシャル・プランナー)と基本情報技術者の資格を取ろうと考え、受検(受験)の申し込みをした。

 しかし、勉強する気が起きなかったり、コビット・ナインティーンの影響で試験自体が中止されたりして、いずれの資格も取得できなかった。

 

 そして、今年。

 まず、3月末に「去年、私は資格取得について何もできなかった。自分が残した具体的な成果・してきた勉強を『資格』という形にして足場を作る」と考えて、統計検定2級を受験し、これに合格した。

 

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 次に、去年の秋に敵前逃亡した「FP3級」を受検することに決めた。

 これは一種のリベンジマッチである。

 

 もっとも、「そこそこ勉強してから受検の申し込みをしよう」と考えると、「何時まで経っても勉強せず、受検もしない」ということになりかねない。

 そこで、統計検定2級に受検して合格した3月31日の次の日、私は5月23日(昨日)に実施される3級FP技能検定を受検することを決め、即座に受検の申し込みをした。

「二度目のチャレンジ、今度こそ失敗は許されない」とと思いながら。

 

2 受検の申し込みから勉強開始まで

 このように決意して受検の申し込みをしたものの、私は前々日の金曜日までFP3級の勉強をほとんどしなかった。

 漫然と「勉強しないとまずいだろうなあ」とは思っていたが、やる気が全く起きなかったのである。

 

 この点、私は次の教科書(リンク先は最新版のもの、ただし、持っているのは「19-20年度版」)を購入していた。

  

 

 去年、私はこの教科書の1章の部分を読んだが、「覚えることが多いー、やる気しねー」という感じになってしまい、それ以上は読まなかった。

 その結果、去年の秋の受検は敵前逃亡したのである。

 

 一般に、FP3級の勉強は約100時間かかると言われている。

 受検の申し込みをした4月1日の時点で試験まで約50日あった。

 少しずつやれば間に合わない期間ではない。

 しかし、2日前まで全く勉強しなかった。

 

 

 金曜日、「今回も諦めるかー」と思う。

 全く勉強していないのだ。

 簿記2級に合格したとき、私は「教科書は読んだ。でも、問題集は解かなかった」という状況で「今回は諦めるかー、会場に行くのやめるか」と考えたのだ。

 何もしていなければ、さらに行く気がなくなるのは言うまでもない。

 

 しかし、「2回も申し込みをして、2回とも会場に行かないのはまずい。せめて会場には行こう」と敵前逃亡しないことを決意する。

 そして、「敵前逃亡しないのであれば、できるだけ勉強した方がいい」と考えて、教科書を広げて、読み始めた。

 このとき金曜日の午後5時。

 試験開始時間(日曜日の午前10時)まで約42時間である。

 

3 試験開始まで

 私が準備した参考書は上の教科書と次の問題集である(リンク先は最新版、ただし、年度は1年前のもの)。

 

 

 著者の滝澤ななみさんの著書は簿記3級・簿記2級に合格する際にも購入した。

 そのため、教材選びは特に迷わなかった。

 この教材は私とあっており、「教材選びにミスはなかった」と考えている。

 

 金曜日の夕方から私は教科書を最初から読み始める。

 そして、各セッションの後ろにある問題を解いていく。

 

 教科書を読み終えるのに1日かかった。

 既に土曜日の夕方になっていた。

 

 その後、問題集を開いて問題を解いていく。

 問題集には学科試験用の問題が約480問、FP協会の実技試験用の問題が100問あった。

 これだけ解けばとりあえず大丈夫だろう、と考える。

 

 途中、仮眠を取りながら問題を解き、当日の午前7時半に総ての問題を解き終えた。

 なんとか教科書と問題集を1周回した。

 

 本当にぎりぎりである。

 2周目をやる時間はなかった。

 

 あと、金曜の夜から日曜日の朝までの勉強時間は約17時間であった。

 2日間で勉強できる時間としてはこれくらいが限界かな。

 

4 試験終了まで

 間違えた問題のチェックを急ピッチで行い、お風呂に入って身支度を整え、会場に出発。

 会場で検温を行い、受検する部屋に移動する。

 

 試験は午前の学科試験と午後の実技試験の2つ。

 前者は午前10時から2時間、問題数は60問。

 後者は午後1時半から1時間、問題数は20問。

 学科試験も実技試験も共に6割以上の正答により合格となる。

 

 もっとも、学科試験は半分が2択、残り半分が3択の選択方式。

 実技試験は全問3択の選択方式。

 形式だけを見るとハードルはそれほど高くない。

 事実、FP3級の合格率はそれほど低くない。

 

 しかし、試験本番直前は緊張する。

 まあ、大学の入試試験や司法試験じゃないので落ちたとしても特に実害はないのだけど。

 

 

 そして、学科試験。

 問題文を読み、正解と自信の有無を問題用紙に記録しながら、正解をマークシートに記入。

 60分以内に一通り問題を解き、マークシートに何かが記入された状態になる。

 

 学科試験は試験開始後60分経過すると途中退室が可能になる。

 簿記3級の時もそうだったが、途中退室が可能になると同時に多くの人が途中退室を始めた。

 

 この点、私はやることがなくなっても途中退室をする予定はなかった。

 満点の自信がない以上、何が起こるか分からないからである。

 しかし、簿記3級の場合と異なり、どんどん人がいなくなって、「部屋の中に受検者は私一人」という状況になってしまった。

 さすがに、1人だけ(一応、試験監督がいる)部屋のなかでぼーっとするのもあれなので、途中退室する。

 途中退室したあと、時間を確認したら残り約20分だった。

 

 

 その後、午後1時(入室可能時刻まで)まで昼ご飯を食べながら学科試験で自信がなかった問題のチェックをする。

 自信のなかった問題のミス(誤答)が分かるのはあれだが、これを通じて完璧な知識が増えたので、まあよかろう。

 また、「学科試験は6割以上は正答している」との感触も得る。

 

 午後1時、同じ試験室に入り実技試験を受ける。

 実技試験では50分かかって全問の回答が決まる。 

 やることがなくなったあたりで「残り10分です」と告げられた。

 

 そして、実技試験終了。

 金曜日からの緊張が一気に解けた。

 

4 自己採点について

 この試験の模範解答は試験日の午後5時半に公式サイトで発表される。

 その解答を見ながら自己採点を行った。

 

 自己採点の結果、学科試験・実技試験、共に正答率が80%以上あった。

 これならおそらく合格だろう、とホッとする。

 

5 感想

 去年の秋に敵前逃亡した試験だったので、とりあえず受かってホッとした。

 また、4月1日以降、「試験の勉強をしなきゃ・・・」みたいな考えが、私の頭にあって一種の重しになっていたので、それがなくなってホッとした。

 

 もちろん、反省点もある。

 なにより直前まで何もしなかったこと。

 3月の統計検定2級のときもそうだったが、「一気にやる」というのはメンタル的にも体力的にもきつい。

 統計検定2級とFP3級はそれでなんとかなった。

 しかし、今後はそうもいかないだろう(簿記2級だったら絶対に間に合ってなかっただろう)。

 こういう癖は除去していきたいものだ。

 

 それから、勉強方法について。

「1回目で一通り(ある程度)マスターしてしまおう」というのはよくない。

 最低でも2回に分けて「1回目はさらっと読み、2回目はじっくり読む」くらいの戦略でやるべきだった。

 そうすれば、1回目に「うわー、大変そうだー。おしまいだー」みたいな発想にならず、一度は最後まで読むだろうから。

 

 最後に内容について。

 今回の試験は事前に持っていた知識がものをいった。

 確かに、「年金(ライフプラニング)」と「保険」の分野は前提知識がなくて苦戦した。

 しかし、金融商品の分野は投資(投機)の経験があり、それに助けられた。

 また、税金の分野は自分が確定申告を毎年していることもあり、それに助けられた。

 さらに、「不動産」と「相続」の分野は以前していた司法試験の勉強に助けられた。

 それらの知識がなかったのであれば、2日間の勉強では間に合わなかっただろう。

 

 さらに、この点を考慮すれば「知っている分野から読み始める」という戦略を取ればよかった、と考えている。

 そうすれば、「年金むじー、覚えきれねーよ」みたいなこともなく、読み進めることができたような気がする。

 

6 今後について

 FP3級はほぼ合格した。

 しかし、これだけではさわりしか分かっていない気がするので、今年中にFP2級に挑戦したい。

 具体的には、9月12日に行われる2級・FP技能検定を受ける。

 

 また、プログラミング関係の知識を深めておきたいので、基本情報技術者の試験も受けるつもりである。

 もっとも、どのように受けるかはまだ決めていない。

 

 なお、両試験とも一夜漬けでどうにかなる試験ではない。

 今度こそちゃんと準備して試験を受けたいものだ。

『痛快!憲法学』を読む 4

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

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 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

 

 

3 第3章 すべては議会から始まった

 第1章で大事なことを一行で書くと、「憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ」になる。

 また、第2章で大事なことを一行で書くと、「憲法は国家権力に対する命令書である」になる。

 では、第3章は何か。

 簡単に書けば、「憲法と民主主義は無関係である」になる。

 

 本章に書かれていることではないが、このことは次の例を考えれば明らかである。

 民主主義を絶対化した場合、国民の多数の代表者で構成される国会の議決、つまり、法律によって少数者の人権(財産権、信仰の自由その他)をはく奪することができるはずである。

 ところが、憲法、あるいは、立憲主義から見た場合、国会の議決、つまり、民主主義的決定であってもマイノリティの人権をはく奪することは許されないとされる。

 具体的には、日本国憲法81条は最高裁判所違憲立法審査権を規定し、憲法に違反する法律に基づいた処分の効力を否定することができる。

 民主主義的に考えた場合、裁判所の法令違憲判決は裁判所という民主主義基盤を持たない権力機関が民主主義的決定に基づく法律の効力を否定するのである。

 民主主義に反するではないか。

 何故正当化されるのか?

 

 これは憲法が権力者、ここでは、民主主義決定を制約する方向に向いているからである。

 つまり、この場面では立憲主義憲法)と民主主義が対立していることになる。

 

 

 本章から離れてしまった。

 本章に戻ろう。

 

 本章では、憲法と民主主義の関係を見るために中世ヨーロッパの封建時代にさかのぼる。

 中世ヨーロッパの時代、「国王」は存在していたが、国王の権限は非常に弱かった。

 伝統主義(諸侯の特権)に縛られ、何もできなかったと言ってもよい。

 それを代表する言葉として、「国王は人の上に、法(伝統に基づく法)の下に」という言葉があるくらいである。

 

 また、キリスト教が背景にあることもあって、「契約」が重要視された。

 なお、キリスト教、つまり、教会によっても国王の力は弱められていた。

 これは叙任権闘争などを見れば理解できると思う。

 

 

 もっとも、国王と諸侯のパワーバランスは十字軍の遠征・ペストの流行によって大きく変わることになる。

 まず、ペストの流行。

 ペストによって人口が激減したわけだが、これにより、諸侯(国王の家臣)と諸侯に支配された農民(農奴)の力関係が変わり、諸侯の力が弱くなってしまった。

 

 また、十字軍遠征に基づく貨幣経済の発達。

 十字軍遠征によってイスラムの豊かな文化が西ヨーロッパに流れ込むわけだが、これによって商工業者が発生し、貨幣経済が発達した。

 このことも、土地からの収入をあてにするしかない諸侯の力を弱めることとなった。

 さらに、大航海時代によって金がアメリカからヨーロッパに流れ込むことによりインフレが発生した。

 

 以上の流れにより、諸侯の力は大いに弱くなってしまった。

 

 諸侯が弱くなれば、国王の力は相対的に有利になる。

 例えば、新たに発生した商工業者は自分たちの権益を保護するため、国王に献金してその保護を確約させる。

 それにより国王は新しい金づるができることになり、常備軍を編成したり、権力が高まるわけである。

 

 このパワーバランスに対して諸侯は単に没落していくだけだったか。

 近代立憲主義の国の国民が憲法・人権をあてにしたように、没落した諸侯にもあてにできるものがあった。

 それは伝統主義である。

 また、教会(教会も本質は土地からの収入をあてにするものであり、その辺の事情は諸侯と大差ない)も国王の権力増大に対して反発・不満を持っていた。

 そこで、中世の封建制システムは「等族国家」、つまり、異なるグループの寄り合いというシステムに変貌していった。

 このシステムの中、諸侯(貴族)・教団(僧侶)・商工業者(平民)が自己の利害をめぐって激突するようになった。

 その激闘した場所が議会である。

 

 議会を作るメリット、これは支配する国王の側にも支配される諸侯・教団・平民の側にもあった。

 国王の側から見た場合、議会と言う場所で一度に契約の内容を決めることができれば、コストが安くなるうえ、契約改定によって租税を増やすこともできる。

 他方、被支配者にあたる側から見た場合、議会の決定を国王に飲ませることができれば国王の権限を制約することができる。

 

 このように見れば分かる通り、議会ができた経緯は民主主義とは関係がない。

 まあ、「権力の暴走を抑える」という意味で立憲主義とは関係があるかもしれないが、それでも民主主義とは無関係である。

 

 

 さらに、ここで見ておく必要があるのが、多数決と民主主義の関係である。

 議会が国王と諸侯などとの契約改定の場であること、契約を改定するためには当事者間の合意が不可欠であることを考えれば、議会の決定は全会一致が原則になるはずである。

 また、多数決を導入してしまえば、マイノリティの権利・自由が制約されてしまう。

 しかし、総ての合意を取り付けていたのであれば、コストが馬鹿にならないし、いつになっても決まらない。

 事実、そのためにポーランドの議会は能率が悪く、そのために滅ぼされてしまった。

 また、アメリカは奴隷制をめぐって南部が独立してしまい、こちらは戦争になってしまった。

 そこで、取り入れられたのが多数決であり、それが定着したのが19世紀ころと言われている。

 

 そのため、議会において最初から多数決が取り入れられたわけではない。

 実際、多数決が導入されたのはキリスト教団の方であったくらいだし。

 

 

 以上が本章の要旨である。

 本章に記載された余談によると、この辺の重要かつ本質的な話は日本では知られてないらしい。

 私自身、これを知ったのは憲法を学んでからであるし、実質的にはこの本を読んだのが最初であったくらいだから、まあ、そうなのだろう。

 では、この辺の話が知られていないのはなぜか。

 本書では、「こんなことを書いたら教科書検定に通らないから」という福田教授のエッセイの一文を紹介してあった。

 つまり、本書では、「こんな本質的なことを知らせる必要はないと文科省は考え、かつ、それが実践された結果」と邪推している。

 もっとも、私は異なる想像をしている。

 権力サイドの文科省がそう考えるのは権力サイドの都合として当然である。

 ただ、一方で、情報の受け手である日本国民もそのような本質的な話は歯牙にもかけないだろう、と推測しており、文科省と国民側の思惑が一致しているからこのようなことになっているのだろう、推測している。

 まあ、これは妄想に過ぎないが。

 

 

 以上、リヴァイアサンが発生する直前までの歴史を見てきた。

 次の章では、等族国家が主権国家としてリヴァイアサンになるプロセス、そして、そのリヴァイアサンを抑制することになった立憲主義と民主主義の起源についてみていく。

『痛快!憲法学』を読む 3

 今回はこのシリーズの続き。

 

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 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

  

  

2 第2章 誰のために憲法はある

 本章は憲法の目的について言及されている。

 その過程で2つの質問がぶつけられる。

 

憲法は誰のために書かれたものか」

「刑法は誰のために書かれたものか」

 

 もっとも、本文の記載だと抽象的過ぎて、「憲法・刑法は国民の権利・自由を擁護するための権力者に対する命令書だから、『日本国民のために書かれた』」と答えても正解になってしまい、ちょっと本筋からずれるので、次のような質問に変更する。

 

1、憲法は誰に対する命令か

2、刑法は誰に対する命令か

 

 いずれも「誰のために書いた」ではなく、「誰に対して書いたものか」に変更すると本章の趣旨との兼ね合いでは分かりやすくなる。

 

 もし、「憲法は日本国民に対する命令である」と書いたらバツである。

 このように答えたら、「この人は憲法、特に、立憲主義のことを何も知らないのだな」と言われても抗弁できないだろう。

 もちろん、一般人がこのように回答することをとがめるつもりは全くないが。

 

  なお、答えは次のとおり。

 

憲法は国家権力に対する命令である」

「刑法は裁判官(司法権力)に対する命令である」

 

 以下、本章に書かれていない具体例を挙げて説明する。

 

 確かに、刑法の規定によって実質的に国民生活を規律することはありうる。

 例えば、殺人罪(刑法199条)や窃盗罪(刑法235条)は殺人や窃盗を抑制しているため、国民生活を規律していると言える。

 しかし、殺人罪や窃盗罪で起訴された際の起訴状を読めばわかるが、国民が殺人や窃盗をしても、「刑法違反」で起訴されるわけではない。

 起訴される罪名は、殺人・窃盗である。

 

 また、政策形成訴訟(「公害訴訟」をイメージしてほしい)において、国側・企業側が勝つと原告訴訟団は「不当判決」という「びろーん」(と呼ばれているもの)を公開する。

 しかし、これも「不当判決」であって「違法判決」ではない。

 違法判決になるためには、刑法などの規定に背く判決をする必要があるところ、そのためには「執行猶予を付けられないのに、執行猶予を付与する判決を下す」とか、「死刑が規定されていないのに、死刑の判決を下す」などのことを指すのだから。

 

 

 また、憲法の規定が国民生活を規律することはありうる。

 例えば、ある民間の経営する公衆浴場が外国人の入店を断るために「外国人お断り」という貼り紙を貼った。

 そのため、日本国籍を有する外国人がその公衆浴場を利用しようとしてできなくなってしまった。

 この件は「人種差別」の問題となって訴訟になり、結果、公衆浴場側が敗訴した。

 

 もちろん、争点は「民間による人種差別の是非」である(他にも争点はあったが、その点は取り上げない)。

 また、憲法は平等原則を定める14条1項で「人種」による差別を禁止している。

 さらに、この問題は人種問題として扱われている。

 だから、「公衆浴場側が憲法違反を行い、それによって敗訴した」と見えるかもしれない。

 しかし、公衆浴場側が敗訴になった根拠は「不法行為」であり、条文で書けば民法709条である。

 つまり、公衆浴場がその日本国籍を有する外国人(原告)の「法律上の権利」を侵害したから敗訴した(賠償責任を負った)のであって、憲法の規定に違反したから賠償責任を科せられたわけではない。

 

 つまり、憲法は国家権力に対する命令」である。

 

 

 そして、本章は裁判に関する話に続く。

 刑事裁判は国家権力と国民の権利が衝突する典型的場面であり、かつ、国民の権利・自由に対する制約が極めて強くなる場面であるため、この場面が例に出されたのである。

 

 要旨をまとめると次のとおり。

 

憲法は31条以下で「罪刑法定主義」と「適正手続き」(デュー・プロセス・オブ・ロー)を保証している。

刑事訴訟法(刑事手続に関する法)は刑法よりも大事

刑事訴訟法は捜査機関(行政)と裁判所に対する命令である

・刑事裁判は検察官を裁くための手続きであり、吟味すべき内容は検察官の言う主張立証である

近代法から見た場合、遠山の金さん・大岡越前のやっていることは暗黒裁判である

 

 罪刑法定主義とは、「罪」(犯罪)と「刑」(刑罰)は事前に「法」(法律)で「定」めておけという主義(考え方)である。

 適正手続きとは刑事手続は一定の法律で定められた適正な手続きによらなければならない、というもの。

 刑事訴訟法とは応用憲法とも言われるものであり、捜査手続から国民の権利・自由を擁護している(黙秘権侵害の禁止・逮捕勾留の時間制限・捜査における令状主義の原則・挙証責任は検察官側にあること)重要な法律である。

 刑事裁判は、検察官(国家権力の代表者)の主張・立証が合理的疑いを超えるものかを判断する場であって、最悪、被告人なしでもできる。

 遠山の金さんなどでは、裁判官役の金さんが証人・弁護人・検察官の役割をもはたしている。物語上、真実が反映されているからいいものの、状況次第ではこれはただの暗黒裁判になる。そして、それは外から見れば分からない。

 

 

 ここから西洋(近代主義)における一つの思想を導き出すことができる。

 それは「権力は暴走する」・「権力は腐敗する」という権力を信頼しない発想である。

 身近な言葉を用いれば「性悪説」でも良い。

 

 歴史的経緯により、ヨーロッパにおける近代直前の国家は(近代立憲主義から見て)無茶苦茶なことを行った。

 そのため、革命がおこり、新しい権力が作られた。

 とはいえ、その権力も決して楽観視できない。

 そこで、作られたのが「立憲主義による憲法」である。

 

 ホッブス主権国家リヴァイアサンにたとえた。

ファイナルファンタジーで登場する幻獣リヴァイアサンはここで出てくるリヴァイアサンが起源である)

 この発想は今でも変わってない。

 

 また、このように見れば、大日本帝国憲法日本国憲法、及び、十七条憲法との違いもくっきり見えるだろう。

 十七条憲法には残念ながら「権力者を縛る」という発想がない(なくて当然だが)。

 それを同列に書いてしまったら、「この人は立憲主義のことを何も知らん」と言われても抗弁できないだろう。

 

 

 以上、本章の趣旨は、

 

主権国家における国家権力はおそろしいものである」

「その国家権力を抑制するために憲法を制定した」

 

というお話であった。

 前者についてはピンとこないかもしれない(正直、私もその現場を知らなければ、今でもピントがあわないだろう)。

 現代日本において「権力者(お上)はおそろしいもの」というイメージがないから

(それはコロナ禍に見られる様々なやり取りを見ても明らかである)。

 

 では、「主権国家における国家権力はおそろしいものである」という発想はどこから生まれたのだろう。

 それを見るためには、歴史を見るしかない。

 そこで、話は中世ヨーロッパに飛ぶ、というところとなって次章に続く。

『痛快!憲法学』を読む 2

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

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 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

 

 

1 第1章 日本国憲法は死んでいる

 この本の最初に述べられること、それは「日本国憲法は既に死んでいる」というものである。

 ただ、その前に大事なことが述べられているので、それについて言及したい。

 それは、憲法学の前にあるもの、つまり、学問の役割である。

 

 少し長いが、本書を引用する。

 

(以下、『痛快!憲法学』の8ページ引用、強調は私の手による)

 改憲だの護憲だのは、そこらへんの陣笠代議士だって言えることです。就職したばかりの見習い新聞記者だって、いっぱしのことは書けます。いや、ちょっと頭のいい小学生なら、その程度のレポートは作れるというものでしょう。

 学者が代議士や一年生記者と同じ土俵でものを言ってどうするのですか。

 私が社会科学を研究しているのは、気の利いた「意見」を言うためではありません。学問とは本来、それぞれの人間が自分の意見を持つための「材料」、言い換えれば、議論の前提となる者を提供するためにあるのです。それが学問の使命です。

 だからこそ、学問には方法論というものがあり、真実の探求が何よりも重視されているのです。

(引用終了)

 

 この本は憲法学の本、言い換えれば憲法の本であるわけだが、その前に、「そもそも学問とは何か」ということに触れている。

 趣旨をまとめると次のとおり。

 

・学問の目的は、個人が各自の意見を持つための材料・背景を提供することにある

・学問では真実の追及が何よりも大事にされている

・学問ではそれぞれの方法論(作法・手続き)が存在する

 

 よって、この本を読み、その結果、憲法に対する自分の意見としてどんな意見を持つか、それは自由である、と述べている。

 

 

 続いて、この本の話題は「現在の日本国憲法は生きているか、死んでいるか」という問題に続く。

 それを通じて憲法と法律の違いについて話題が進む。

 

 つまり、法律が生きているかは「条文が存在するか(法律の制定に関する議会の議決が存在し、かつ、その後廃止されていない)」かどうかで判断される。

 だから、実質運用されてない法律も「生きている」ということになる。

 例えば、「決闘罪ニ関スル件」と言う法律が明治22年に制定され、現在ではほとんど運用されていない(ゼロではないが)が、廃止していない以上この法律は生きている。

 あるいは、昭和21年に制定された「物価統制令」なんかもこれに該当するかもしれない。

 

 もっとも、憲法に関してはそうはいかない。

 理由は、憲法は慣習法であるため、条文の存在は生死の判断に決定的ではないからである。

 あと、本文で書かれていない理由を私なりに考えれば、法律の場合は違反者に対して法律を使ってペナルティを科すことができる(しないこともできる)が、憲法の場合は違反者に強制的にかけるペナルティが存在しないから、というのもあるかもしれない。

 

 

 その例として、ワイマール共和国憲法をあげる。

 ワイマール共和国憲法第一次世界大戦後、ドイツで作られた憲法である。

 この憲法は女性に参政権が付与され、また、社会権の規定も存在した。

 そのため、当時、世界で最先端の憲法と言われた。

 

 もっとも、この憲法、約15年間で「死んでしまう」。

 その原因は、ナチス率いるアドルフ・ヒトラーが議会で「全権委任法」という立法権を政府(これは実質的には政府を掌握していたナチスと言ってもいい)に譲渡する法律を可決したことによる。

 

 もちろん、全権委任法が制定されただけで、ワイマール共和国憲法は廃止されたわけではない。

 しかし、ワイマール共和国憲法が目的とする「国民の権利・自由の可及的保護」(立憲主義)は実質的に果たされなくなってしまった。

 その後の悲劇は歴史が教える通り。

 

 さて。

 この事象、どうとらえるか。

 法律であれば、「ワイマール共和国憲法は廃止されていないから生きている」と言えよう。

 しかし、慣習法である憲法は違う。

「ワイマール共和国憲法は全権委任法によって殺された」とみる。

 つまり、法律は形式的に判断するが、憲法は実質的に判断するとみてよい。

 

 これはイギリスの例を出せばいいだろう。

 イギリスでは明文の憲法は存在しない。

 その代わり、国家権力を拘束する要素を持つ様々な規定が憲法を形づくっている。

 このイギリスに対して、「明文がないからイギリスの憲法は死んでいる」と言っても意味がない。

 

 

 このように、憲法の機能の判断基準が示されたところで、憲法が死んだ例を諸外国で挙げる。

 ここで取り上げられるのはアメリカである。

 

 アメリカはイギリスから独立し、かの有名な独立宣言(人間は自由かつ平等)を謳った憲法を作る。

 しかし、実際はどうだったか。

 

 例えば、人権規定は修正条項として後から付け加えられ、最初からなかった。

 フランス人権宣言で述べているように、立憲主義自由主義)の核は人権保障と権力分立である。

 その一方の核である人権保障のための規定が制定当時のアメリ憲法になかったのである。

 あるいは、そのアメリカでなされた非白人(黒人・ネイティブアメリカン)への対応はどうだったか。

 また、ゴールドラッシュのさなか、サン・フランシスコに住んでいたヨーハン・アウグスト・ズーターに起きた悲劇に対する対処はどうか。

 

 だから、本章で著者(小室先生)は言う。

 憲法は簡単に死ぬ(「実質的に機能しなくなる」と言った方が正確か)

 だから、主権者(国民)は絶えず死なないようにする努力が必要なのだ、と。

 事実、アメリカ合衆国では国民の努力によって憲法に対して命を絶えず吹き込んでいた、と。

 

 また、憲法学は他の法律学のように条文解釈や現代への適用だけを考えていればいいわけではない。

 憲法が生きているのか、死んでいるのかをチェックするのが重要な職務である、と。

 

 

 そして、最後に日本国憲法を見る。

 小室先生は本章で述べる。

 

日本国憲法は死んでいる」と。

 だから、改憲・護憲の議論は意味がない、と。

 

 では、憲法を再生するためにはどうすればいいのか。

 そのためには憲法の条文ではなく、背景を知る必要がある。

 だからその背景を知ろう、ということで2章に続く。

 

 

 私は別のところで「日本国民(日本の共同体)は憲法の再生を望むのか(たぶん、望まないだろう)」ということを書いた。

 山本七平が言うところの「事大主義」と権力者(大)をけん制して小(国民個人)の権利自由を擁護するという「立憲主義」は食い合わせがかなり悪いように見えるからである。

 

 とはいえ、どの程度食い合わせが悪いのか、どこかに妥協点があるのか、などを見るためには、憲法の背景を知ることは極めて有益だろう。

 だから、これからもこの本から学ぶべきことを学んでいく。

『痛快!憲法学』を読む 1

0 はじめに

 これまで、私は山本七平の『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読み、学んだことをメモにした。

 

  

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 この一連の作業、結構大変だった。

 しかし、色々なことを学び、考えることができた。

 よって、この作業、このブログを通じてしばらく続けてみようと思う。

  

 そして、次にメモにしたい本が『痛快!憲法学』である。

 これはお亡くなりになった小室直樹先生の書籍である。

 もっとも、かなり昔の本であり、今は図書館でしか入手できない。

  

 

 また、小室先生の略歴は次のとおり。

 

ja.wikipedia.org

 

 さらに、小室直樹先生は、私が約16年間欠かさず視聴していたインターネットニュース番組「丸激トークオンデマンド」に登場したこともあった。

 その時の番組は次のとおりである。

 ちなみに、司会者の1人である宮台先生は小室先生のお弟子さんである。

 

www.videonews.com

 

 この『痛快!憲法学』の目次は次のようになっている。

 

(以下、目次の部分抜き出し)

ようこそ『憲法学』の世界へ!

第1章 日本国憲法は死んでいる

第2章 誰のために憲法はある

第3章 すべては議会から始まった

第4章 民主主義は神様が作った!?

第5章 民主主義と資本主義は双子だった

第6章 はじめに契約ありき

第7章 「民主主義のルール」とは何か

第8章 「憲法の敵」は、ここにいる

第9章 平和主義者が戦争を作る

第10章 ヒトラーケインズが20世紀を変えた

第11章 天皇教の原理_大日本帝国憲法を研究する

第12章 角栄死して、憲法も死んだ

第13章 憲法はよみがえるか 

(抜き出し終了)

 

 この本は「憲法」について書かれた本であるが、通常の法律の本とは内容が異なる。

 つまり、通常の法律の本であれば、「法律の規定はこうであり、法律の趣旨はこうであり、法解釈はこうなっており、現実に適用するとこうであり、判例はこうであり(以下略)」みたいな感じになっている。

 確かに、法律・実務を知るならばこのようなことを知ることは不可欠である。

 

 しかし、この本はそんなことではなく、憲法の成り立ちについて書かれている。

 ここで、前書きに相当する「ようこそ『憲法学』の世界へ!」の一部を引用したい。

 枝葉の部分は削ったが非常に大事なことが書かれているので、引用は長めにする。

 

(以下、『痛快!憲法学』の4ページ・5ページを引用、具体例・枝はは中略する)

 現在の日本には、さまざまな問題があふれかえっています。(中略)

 現代日本が一種の機能不全に陥って、何もかもうまく行かなくなっているのは、つまり憲法がまともに作動していないからなのです。(中略)

 憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。それが現在の日本なのです。

 では、なぜ日本の憲法がちゃんと作動しなくなったのか。

 その理由は憲法学そのものにあると、私は考えます。

 たしかに、大学の法学部に行けば、そこでは憲法の講義が行われています。しかし、その中身はといえば、要するに司法試験や国家公務員試験を受験・合格するためのもの。(中略)こんな無味乾燥な「憲法学」に誰が興味を持つでしょう。こんなことで、誰が憲法に関心や理解を示すでしょう。

 その意味で憲法学者の責任は重大です。

 本来の憲法学とは、憲法の条文解釈などではありません。

憲法を語る」とは、すなわち人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文の中には、長年にわたる成功と失敗の経緯が刻み込まれているのです。その長い物語を解き明かすのが憲法学なのですから、本当の憲法研究はとても面白く、エキサイティングなものなのです。

 私は本書において、その「憲法の物語」の一端を披露し、憲法学のおもしろさ、大切さを少しでも皆さんに伝えたいと考えました。

 読者の中には、「法律の本なのに、どうしてこんなに西洋史の話が多いのだろう」とびっくりされる方も少なくないでしょう。それどころかキリスト教旧約聖書の講義まで出てくるのですから、ますます仰天するに違いありません。

 しかし、(中略)憲法も民主主義も、けっして「人類普遍の原理」(日本国憲法前文)などではありません。これら2つは近代欧米社会という特殊な環境があって、はじめて誕生したものですから、憲法を知るには、欧米社会の歴史と、その根本にあるキリスト教の理解が不可欠なのです。

 憲法がどのように成長していったかを知ることによって、おのずと今の日本の問題点も課題も見えてくる。私はそう信じています。

 憲法とは何か、民主主義とは何かという原点に立ち返ることこそが「日本復活」への唯一の方法だと思うのです。(後略)

(以下、引用終了)

 

 この指摘のうち、私が感じたことを書くなら次の2点かな、と思う。

 

 一つ目。

憲法(の規定と運用)に問題がある」という指摘は間違いないが、逆に「憲法(の規定と運用)を改めるだけで問題が解決する」わけではない。

憲法を変えればなんとかなる」と嘯いている方は少なくなかった(ここ15年くらい何度も耳にした)。

 この前書きはその説を後押ししているように見える。

 しかし、「近代立憲主義(現代立憲主義)を支えるプラットホーム」がない状況で、形式的に立憲主義憲法を作ったところでどうなるかは目に見えている(歴史が証明している、と言ってもいい)。

 とすれば、「憲法の規定・運用を改める」という作業は「立憲主義を支えるプラットフォームを治療する」という作業とセットになる。

 後者の作業を怠って前者だけをどうにかするのはおそらく無理と言ってよい。

 

 二つ目。

「歴史を知ることが重要だ」ということである。

 例えば、憲法では表現の自由憲法21条1項)と不逮捕特権憲法51条)について次の規定が存在する。

 

日本国憲法21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

日本国憲法51条

 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 

 大日本帝国憲法ではこれらの規定は次のようになっていた。

 

大日本帝国憲法第二九条

 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

大日本帝国憲法第五二条

 両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ

 但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分セラルヘシ

 

 大日本帝国憲法では表現の自由には「法律の留保」が付されていた。

 つまり、「法律がなければ、(表現行為に対して)法的な不利益処分を科せない」という意味と「法律(内容は問わない)があれば、法的不利益処分を科せる」という意味がある。

 だが、日本国憲法にはその「法律の留保」がない。

 言い換えれば、「憲法に適合しない法律を用いて法的な不利益処分を科すことはできない」ということになる。

 もちろん、憲法は「公共の福祉」(憲法12条・13条)による個人の自由の制約を許容しているから、表現行為が一切自由・無制限になるわけではないが。

 

 では、日本国憲法は法律の留保を除外したのか。

 それには歴史的な背景がある(その点は省略)。

 

 議員の免責特権も同じである。

 大日本帝国憲法が議員に免責特権を与えたのはヨーロッパの歴史的背景などがある。

 さらに、日本国憲法では「但書き」の部分を排除した。

 これにも歴史的経緯がある。

 

 これらの歴史的経緯を踏まえずに、単に「51条は免責特権は云々」、「表現の自由は保障されるけど、絶対無制限ではなく公共の福祉により云々、具体的な違憲審査基準については云々」などと言われても、まあつまらんだろう。

 

 確かに、その辺を学ぶとなると学ぶ範囲が増加する。

「司法試験や(国家)公務員試験に合格すること」が目的ならその範囲を増やすことは手段として合理的ではない。

 また、裁判官・検察官(司法試験の場合)・行政公務員・地方公務員(公務員試験の場合)として職務を執行するのであれば、歴史を学ぶ必要性はそれほど高くないかもしれない(正直に言えば、この辺は不明)。

 しかし、主権者として、立法権を行使する政治家であれば背景を知ることは必要であろう。

 何故なら、主権者・政治家は法律を作る(憲法を作る)側なのだから。

 

 

 以上、今回から『痛快!憲法学』を読み、学んだことをメモにしていく。

 1回1章で約13回を目標にしているので、約1カ月半の作業になると思われるが、なんとかメモを完成させたい。

『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読む 12(最終回)

 今回もこれまでの続き。

 そして、今回が最終回である。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 前回まではこの本を読んで学んだことをメモにした。

 今回はそれをコンパクトにまとめ、私が考えたこと(妄想)をメモに残す。

 

13 敗因21か条と章のまとめをリンクする

 敗因21か条と章をリンクさせると次のとおりになる。

 

(以下、敗因21か条)

一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた(第三章、第七章)

二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった(第七章)

三、日本の不合理性、米国の合理性(第十一章)

四、将兵の素質低下(精兵は満州支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)(第七章)

五、精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)(第十章)

六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する(第十章) 

七、基礎科学の研究をしなかったこと(第十章)

八、電波兵器の劣等(物理学貧弱)

九、克己心の欠如

十、反省力なきこと(第八章)

十一、個人としての修養をしていないこと(第十一章) 

十二、陸海軍の不協力(第六章)

十三、一人よがりで同情心が無いこと(第五章)

十四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事(第八章)

十五 バアーシー海峡の損害と、戦意喪失(第二章)

十六、思想的に徹底したものがなかったこと(第四章、第十章)

十七、国民が戦争に厭きていた(第六章) 

十八、日本文化の確立なきため(第四章)

一九、日本は人名を粗末にし、米国は大切にした(第九章)

二十、日本文化に普遍性なき為(第五章)

二一、指導者に生物学的常識がなかった事(第九章)

 

(当然ではあるが)敗因21か条のほとんどがどこかの章で言及されている。

 残っていたのは敗因八と九だが、敗因八は敗因六と敗因七に、敗因九は敗因五と敗因十四に同様に見ることができることを考慮すれば、全部の敗因が触れられていると言ってよい。

 

 次に、各章を私なりにまとめてみると次のようになった。

 

第二章、試行錯誤しなかったことの悲劇

第三章、「員数」(虚構)にしがみつき、「実数」(現実)の分析(把握)をしなかったことの悲劇

第四章、共同体(集団)において自らの文化・思想に基づく具体的な秩序を作らなかったことの悲劇

第五章、相互理解(コミュニケーション)しなかったことによる悲劇

第六章、己の欲求を見なかったことの悲劇

第七章、量を質に転化できると誤解したことの悲劇

第八章、歴史に学ばないことの悲劇

第九章、人間が生物であることを忘れたことの悲劇

第十章、徹底的に考えないことの悲劇

第十一章、日本に長年の歴史があることを無視したことの悲劇

 

 そして、これらの悲劇を見ていて浮かんだキーワードがこれである。

 

「見ない、聴かない、知らない、考えない、決めない」

 

 このようにまとめてみると、自分にもあてはまっているし、今の日本にもあてはまっている。

 ならば、太平洋戦争の結果から学ぶことは現代でも決して無駄ではないことがわかる。

 

14 悲劇の裏側と回避可能性

 以上、悪い点をひたすら挙げてみた。

 だが、これらの点は悲劇しか生まないのだろうか?

 

 確かに、太平洋戦争という局所的なところで大きな悲劇は招いた。

 しかし、「悲劇しか招かない」というのもいささか違うだろう。

 というのも、これらの要素が悲劇しか招かないのであれば、大和民族はとうの昔に滅んでいたであろうと考えられるからである。

 

 乱暴かもしれないが、「己の欲求を見なかったこと」・「量を質に転化できると誤解したこと」・「日本が長い歴史の上で成り立っていることを無視したこと」によって「明治時代における日本の列強への仲間入り」・「昭和の高度経済成長」はなせたような気がしないではない。

 国際情勢という幸運もあった(これがないということはない)とはいえ、上に述べた要素がなければ、明治の近代化も昭和の高度経済成長もとん挫していたであろう。

 

 太平洋戦争では悲劇として生じたものではあるが、これらの克服(それは極めて重要であろう)がこれらの長所の効果を削いでしまうことからは目を背けるべきではないのではないか。

 目を背けること自体がおそらく上に述べた悲劇の繰り返しになるだろうから。

 

 

 また、私は敗因を「見ない、聴かない、知らない、考えない、決めない」とまとめた。

 しかし、「見て、聴いて、知って、考えて、決めた」ならばいいのだろうか?

 もちろん、太平洋戦争のような悲劇は回避できただろう。

 しかし、それはそれで別の悲劇、ないし、負担がかかっただろう。

 それを想像することは難くない。

 というのも、 「見て、聴いて、知って、考えて、決める」ことにはノイズやコストがかかるからである。

 

 

 さらに、この本の悲劇から学ぶべきことはいくつかある。

 しかし、学んだことと行動をどうリンクさせればいいのだろう。

 この点、リンクさせるためには「学んだこと」だけでは足らないのだろう。

 というのも、内田樹先生がブログでこんなことをおっしゃっていたからである。

 

blog.tatsuru.com

 

(以下、上記記事より引用)

 そう考えると、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)、川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)、岸田秀『ものぐさ精神分析』(中公文庫)、山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)といった古典的な日本人論が指摘していたことはほとんど当たっていたということですね。当たっていたのだけれど、それらを読んでも、日本人はおのれの本質的な幼さ、弱さを克服することはできなかった、と。なんだか希望のない結論になってしまいましたね。 

(引用終了)

 

 敗因分析により、「見る、知る」あたりはなんとかなる。

 しかし、これだけでは「考える、決める」を克服することはできない。

 克服するためにクリアすべき課題は「『考える、決める』ためにはどうすればいいか」なのだろうか。

 

 私はこれに対する答えは分からない。

 ヒントは「未来」のような気がするが、あまりにも漠然としている。

 これは今後の課題としておこう。

 

15 おわりに

 以上、「一冊の本をメモにしながら読んで考える。」という作業をやってみた。

 結構大変だったが、その代わり勉強になった。

 これからもチャレンジしていこうと考えている。

『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読む 11

 今回もこれまでの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

  今回も山本七平氏の書籍から学んだことをメモにする。

 

 

 本書もついに最終章である。

 はるか昔、この本を初めて読んだときはさらっと読み、最近改めて読んだときは色々と気付かされ、今回はメモ(このブログ)を作りながら読んでいる。

 読むたびに新たな発見がある。

 

 また、「ブログにメモを書きながら読むこと」がこんなに大変だとは思わなかった。

 ただ、メモにすることで深く理解し、考えることができたので、これ自体は続けていきたい。

 

12 「第12章 自由とは何を意味するのか」を読む

 本章は、小谷秀三氏の文章から始まる。

 この方はフィリピンのルソンに派遣された鉄道技師であり、故・小松真一氏と非常に似た境遇にあった人である。

 この点、両者は面識はない。

 しかし、小谷氏と小松氏の感想は非常に似たようなものになっている。

 

 そこから2点の問題点が浮かび上がってくる。

 一点目は、両名の潜在的意見、そして、これはおそらく国民の多数派の常識的意見と言えるものであるが、なぜ世論にならなかったか?

 言い換えれば、「国民の常識が何故判断の基準にならなったか。」

 二点目は、この事実が戦後正確に延べ伝えられなかったか。

 換言すれば、「何故、現代に生きる我々が戦前からの常識の延長線上にいると考えなかったのか。」

 

 そして、本書によると「そのカギは小松氏の態度にある」といい、その分析へ進む。

 

 

 一般に、人間はある日常性(通常性)の元で生活をしており、すべての人の日常性には大差はない。

 また、人間が生活をしていると様々な出来事が生じるが、それらの事件はその日常性がもたらしたものに過ぎない。

 そのことを類推すると、日華事変から始まる太平洋戦争の敗戦は異常事態による崩壊と言うよりは、明治以来の日本の日常性がもたらした一つの結末に過ぎない。

 つまり、「明治以降の日本の日常性こそが日本の崩壊をもたらした火薬であり、戦争は崩壊の引き金に過ぎない」と言えばわかりやすいか。

 そのため、敗戦の原因を考慮するなら、戦争前夜の状況よりも日本人の持つ通常性の研究の方が重要になる。

 

 そして、本書では『旅』という旅行雑誌の昭和12~13年ごろの記事の内容が紹介されている。

 その内容にはニュース(意外性)が含まれている。

 しかし、そのニュースは「相手(我々はよく知らない)の通常性にスポットをあて、それが我々と違う(これは当然である)こと」を「意外性」として取り上げている。

 そのため、この旅行雑誌の記事と当時の新聞記事を比較すれば、その内容に大きな差がある。

 というのも、当時の新聞記事のフェイクのひどさは山本七平氏の『私の中の日本軍』にあるところ(この本は私も読み、結果、「これはひどい」という評価を持たざるを得なかった、また、第8章でも軽く触れられている)、これらの新聞記事は『旅』の記事と異なり、フェイクによって意外性を作り出しているからである。

 そして、このフェイクを生み出したもの、それが小谷氏のいう「日本人を貫いている或る何かの力」である。

 言い換えれば、「軍人などが本来有する彼らの性格を歪め、日本の悲劇を生む行動をとらせた力」である。

 

 まとめればこのようになる。

 

 当時の新聞記事・大本営発表→日本人を貫いている或る力が効いている→プロパガンダになっている

『虜人日記』・『旅』の記述→その力が(相対的に)働いていない→日本の通常性がそのまま記されている→事実が書かれている

 

 そのため、「日本人を貫いている或る力」によって事実が歪曲されてしまう、ということになる。

 そして、「日本人を貫いている或る力」が働いた結果、「日常性という現実を意識させない」という通常性を生み出し、そのれがために、「現実が把握できなくなってしまった」。

 これが悲劇の原因であろう。

 

 では、この「力」とは何か。

 戦後の日本は「軍部に騙され云々」というストーリーを流布したが、これは「『力』によって騙される状態に陥った」ことを意味する。

 よって、原因を追究するには「(将来、騙されないためにも)何故騙されたか」ということを考える必要がある。

「軍部の責任を追及しただけで終わり」では再び同じ悪夢が起きても不思議ではないから。

 

 さて、この「力」。

「日本人をして現実を意識させないことを常態とさせた力」。

 この力は戦後の様々な事件を見る限り、続いているようである。

 私自身もこの「力」と思われるものに支配され、大失敗を繰り返している。

 だから、私自身、他人のことをとやかく言える立場にない(だからこそ、真剣にこの本と歴史から学んでいるわけだが)。

 

 さて。

 この力は連綿と続いている。

 そのため、「この力は日本の通常性に基づく力ではないか」という疑問がわく。

 ただ、この力自体は日本人の通常性とは無関係のようである。

 というのも、『虜人日記』には終戦時の状況に関する意外な、面白い記載があるからである。

 それは、軍国主義の権化として振舞っていた人間が、敗戦を聴けば途端に自害しそうな人間が、敗戦の報告を聴いた瞬間豹変する記録である。

 また、本書から離れるが、私もとある映画で似たような状況を拝見している。

 今風の言葉で言えば、「『アタマの切り替え』が発生したときの目撃記録」と言えばいいか。

 

 つまり、日記に記載されていた彼らの振る舞いは「軍国主義者の権化」ではなく、「小市民的価値観を絶対とする典型的な小市民的態度」であった。

 そして、それに類する態度は当時の『旅』などの記事で見られた振る舞い、また、学生運動に参画した学生たちに見られた態度と同様であった。

 とすれば、彼らの日常性は敗戦直後の態度、つまり、「小市民的価値観を絶対とする典型的な小市民的生活態度」にあったとした方がよいのだろう。

 そして、それは現代まで続いている。

 

 

 以上の分析を基礎に、本章では問いかけがなされる。

 では、この小市民的態度は恥ずべきことか、と。

 または、その力に拘束されることは恥ずべきことか、と。

 

 それに対する筆者(山本七平)の答えは次のとおりである。

 

 自分が信じるものをそのまま信じて、その信じたとおりの言動を取ればいい、と。

 信じてないものを信じているふりをして、それを他人に強制するのは許されない、と。

 

 もっとも、ある「力」が前者の行動をとらせないでいた。

 それは、現在も続いている。

 

 

 では、「この力を解除するためには何が必要か」と述べ、この力を解除するためのキーワード、それは「自由」である、と述べている。

 つまり、『虜人日記』の記載は、何も拘束されず、どの立場も考慮することなく、見たまま、聴いたまま、感じたまま、それを全く自由に記載された結晶である。

 そして、このような自由な談話(フリー・トーキング)が総ての人にできていたら、今回の悲劇は起きなかっただろう。

 本書は、そのように結論付けている。

 

 

 本書の最後では、このフリー・トーキングの重要性を示すために、一つのエピソードが紹介されている。

 意訳すると、次のとおりになる。

 

 人間は自由自在に考え、妄想する生き物である。

 その妄想の中には、適法性・妥当性を欠く内容も含まれるだろうが、自由に妄想すると自体に責任はない。

 事実、もし妄想の内容が自動的にレコードされた上、公表されたら社会は維持できないし、妄想する当人にとってもただ事では済まないだろう(現状のツイッターがもたらしている状況はまさにこれではないかと思われる)。

 また、自由(フリー)という言葉は無責任、つまり、責任を負わないということも意味する。

 今、数人が集まり、自分の妄想・思考を自由・無責任に出し合い、それを通じて議論・思考をしようとすれば、そのフリー・トーキングの結果、その数人の知識・知恵が結晶化し、素晴らしいものが出来上がるであろう。

 だから、その過程の一部をレコードして公表されたら、無責任という前提が成り立たず、また、出来上がるであろう素晴らしいものも出来上がらない。

 そのため、フリー・トーキングをレコードして公表する行為はやってはならず、そのようなことをやる人間は思考の自由に基づく表現の自由について全く理解できない愚者なのだ、と。

 

 

 私は司法試験を受ける際、「憲法の目的は個人の自由の確保にある」と教えられた。

 ただ、(これは教わってないことだが)「個人の自由を確保する目的は何か」と言えば、①個人の幸福に寄与することと②社会福祉の増進に寄与することの両方を掲げる必要があるだろう。

「個人の自由を確保すれば、それは社会福祉の増進にも寄与する」という命題が(信仰やフィクションであるとしても)成り立たなければ、共同体として個人主義を採用することはできないから。

 要約された話はこのことと関連しているように思われる。

 

 

 以上、最終章まで読み、学んだことをメモにしてきた。

 以後は、学んだ内容をまとめ、かつ、今後何をしていくべきかということを考える。