薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読む 12(最終回)

 今回もこれまでの続き。

 そして、今回が最終回である。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 前回まではこの本を読んで学んだことをメモにした。

 今回はそれをコンパクトにまとめ、私が考えたこと(妄想)をメモに残す。

 

14、敗因21か条と章のまとめをリンクする

 敗因21か条と章をリンクさせると次のとおりになる。

 

(以下、敗因21か条)

一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた(第三章、第七章)

二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった(第七章)

三、日本の不合理性、米国の合理性(第十一章)

四、将兵の素質低下(精兵は満州支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)(第七章)

五、精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)(第十章)

六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する(第十章) 

七、基礎科学の研究をしなかったこと(第十章)

八、電波兵器の劣等(物理学貧弱)

九、克己心の欠如

十、反省力なきこと(第八章)

十一、個人としての修養をしていないこと(第十一章) 

十二、陸海軍の不協力(第六章)

十三、一人よがりで同情心が無いこと(第五章)

十四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事(第八章)

十五 バアーシー海峡の損害と、戦意喪失(第二章)

十六、思想的に徹底したものがなかったこと(第四章、第十章)

十七、国民が戦争に厭きていた(第六章) 

十八、日本文化の確立なきため(第四章)

一九、日本は人名を粗末にし、米国は大切にした(第九章)

二十、日本文化に普遍性なき為(第五章)

二一、指導者に生物学的常識がなかった事(第九章)

 

(当然ではあるが)敗因21か条のほとんどがどこかの章で言及されている。

 残っていたのは敗因八と九だが、敗因八は敗因六と敗因七に、敗因九は敗因五と敗因十四に同様に見ることができることを考慮すれば、全部の敗因が触れられていると言ってよい。

 

 次に、各章を私なりにまとめてみると次のようになった。

 

第二章、試行錯誤しなかったことの悲劇

第三章、『員数』(虚構)にしがみつき、「実数」(現実)の分析(把握)をしなかったことの悲劇

第四章、共同体(集団)において自らの文化・思想に基づく具体的な秩序を作らなかったことの悲劇

第五章、相互理解(コミュニケーション)しなかったことによる悲劇

第六章、己の欲求を見なかったことの悲劇

第七章、量を質に転化できると誤解したことの悲劇

第八章、歴史に学ばないことの悲劇

第九章、人間が生物であることを忘れたことの悲劇

第十章、徹底的に考えないことの悲劇

第十一章、日本に長年の歴史があることを無視したことの悲劇

 

 そして、これらの悲劇を見ていて浮かんだキーワードがこれである。

 

「見ない、聴かない、知らない、考えない、決めない」

 

 このようにまとめてみると、自分にもあてはまっているし、今の日本にもあてはまっている。

 ならば、太平洋戦争の結果から学ぶことは現代でも決して無駄ではないことがわかる。

 

15、悲劇の裏側と回避可能性

 以上、悪い点をひたすら挙げてみた。

 だが、これらの点は悲劇しか生まないのだろうか?

 

 確かに、太平洋戦争という局所的なところで大きな悲劇は招いた。

 しかし、「悲劇しか招かない」というのもいささか違うだろう。

 というのも、これらの要素が悲劇しか招かないのであれば、大和民族はとうの昔に滅んでいたであろうと考えられるからである。

 

 乱暴かもしれないが、「己の欲求を見なかったこと」・「量を質に転化できると誤解したこと」・「日本が長い歴史の上で成り立っていることを無視したこと」によって「明治時代における日本の列強への仲間入り」・「昭和の高度経済成長」はなせたような気がしないではない。

 国際情勢という幸運もあった(これがないということはない)とはいえ、上に述べた要素がなければ、明治の近代化も昭和の高度経済成長もとん挫していたであろう。

 

 太平洋戦争では悲劇として生じたものではあるが、これらの克服(それは極めて重要であろう)がこれらの長所の効果を削いでしまうことからは目を背けるべきではないのではないか。

 目を背けること自体がおそらく上に述べた悲劇の繰り返しになるだろうから。

 

 

 また、私は敗因を「見ない、聴かない、知らない、考えない、決めない」とまとめた。

 しかし、「見て、聴いて、知って、考えて、決めた」ならばいいのだろうか?

 もちろん、太平洋戦争のような悲劇は回避できただろう。

 しかし、それはそれで別の悲劇、ないし、負担がかかっただろう。

 それを想像することは難くない。

 というのも、 「見て、聴いて、知って、考えて、決める」ことにはノイズやコストがかかるからである。

 

 

 さらに、この本の悲劇から学ぶべきことはいくつかある。

 しかし、学んだことと行動をどうリンクさせればいいのだろう。

 この点、リンクさせるためには「学んだこと」だけでは足らないのだろう。

 というのも、内田樹先生がブログでこんなことをおっしゃっていたからである。

 

blog.tatsuru.com

 

(以下、上記記事より引用)

 そう考えると、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書)、川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書)、岸田秀『ものぐさ精神分析』(中公文庫)、山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)といった古典的な日本人論が指摘していたことはほとんど当たっていたということですね。当たっていたのだけれど、それらを読んでも、日本人はおのれの本質的な幼さ、弱さを克服することはできなかった、と。なんだか希望のない結論になってしまいましたね。 

(引用終了)

 

 敗因分析により、「見る、知る」あたりはなんとかなる。

 しかし、これだけでは「考える、決める」を克服することはできない。

 となれば、「『考える、決める』ためにはどうすればいいか」なのだろうか。

 

 私はこれに対する答えは分からない。

 ヒントは「未来」のような気がするが、あまりにも漠然としている。

 これは今後の課題としておこう。

 

16、おわりに

 以上、「一冊の本をメモにしながら読んで考える。」という作業をやってみた。

 結構大変だったが、その代わり勉強になった。

 これからもチャレンジしていこうと考えている。