薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

大学で研究・学習したことの社会生活上の効用

 最近、私は社会的要請に応じる形でマネー・ローンダリングの勉強をしている。

 その勉強のアウトプットとして、金融財政事情研究会の「AML/CFTスタンダードコース」という資格を取ったことは、少し前のメモブログで述べたとおりである。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 ところで、私は「社会的要請に応じ」と述べた。

 つまり、マネー・ローンダリングの資格を取って終わり、というわけではない。

 日々、アンチ・マネロンの立場からマネー・ローンダリングに関する知識を使いまくっている。

 

 ただ、アンチ・マネロン側に立って縦横無尽に学んだ知識を活用していると、たまに「自分がどっちの立場なのか」が分からなくなることがある。

 そして、そういう状態に陥ると、「あー、これがニーチェの『怪物に対峙する者は(以下略)』というやつか・・・」と気付き、自分の立場がアンチ・マネロン側であることを再認識するのである。

 

 このニーチェの言葉は善悪の彼岸に掲載されている。

 その和訳を示すと次のようになる(出典元は次のリンクの通り)。

 

(以下、次の『善悪の彼岸』の第4章の146から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがいい。

 そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む

(引用終了)

 

 

 ここで、怪物を「マネー・ローンダラー」とすれば、まさにニーチェの警句の通りとなる。

 そして、私はニーチェを学んでいるがために、「マネー・ローンダラーと対峙している自分は、自らがマネー・ローンダラーになるかもしれないから、用心せねば」と気を付け、自分の立ち位置を再認識することになる。

 また、このような現象があることから、私がニーチェを学んだことは十分社会生活で活用できていると言えそうである。

 

 

 さて、以上の話をやや抽象化する。

 その結果、「日本の一般企業に就職する場合、その企業と一見関連性のない学問を大学で学んでいたとしても、それを企業で活かすことは可能である」ということが言えそうである。

 もちろん、「大学で学んだことをただのコレクション等にせず、自分の発想や行動を反映させた場合」というif文をクリアする必要があるとしても。

 

 上では、たまたまニーチェが登場したが、他の事例を使っても似たようなことが説明できそうである。

 以下、そんな例を探してみる。

 

 

 まず、私は山本七平氏の様々な書籍を読んできた

 重要なものを示せば、次の書籍となる。

 

 

 

 

 これらを学んだ結果、「日本教徒たる自分の感情の動きや言動」が理解できるようになった。

 また、無意識的に日本教徒となっている周囲の反応も理解・納得できるようになった

 それゆえ、大学で山本七平の研究をしていれば、同じような成果が得られたであろう。

 もちろん、この成果が学業的功績とは無関係であるとしても。

 また、その成果は、失敗してから「あ、あのとき学んだ・・・」となるだけのものであったとしても(私自身も似た経験は山ほどしているが)。

 

 

 次に、日本教徒に関する山本七平氏の説明を見ていると、カール・マルクスが『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』で述べていた言葉を思い出す。

 これについては、次の読書メモ(読書メモと原著のリンクは以下の通り)で触れているが、非常に有名なので再掲する。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 

 カールマルクスは次のようなことを述べている。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と。

 この発言の根拠となっているのが、いわゆる「疎外」と呼ばれる特徴である(「疎外」の特徴は上の読書メモ参照)。

 

 そこで、例えば、大学で歴史を研究した場合、「大学で歴史を学んだ結果知ったこととして、『歴史は繰り返す』というのがある。一度目は悲劇で二度目が茶番かは知らんけど。だから、自分が何か新しいことを始める際、類似の例を探して調べることによって、類似の例で失敗したことを再現しないようにしている。」などと自分が関与した研究・調査などを例として活用した上で説明すれば、「高等教育で歴史を研究・学習したことを社会生活に活用することができる」という主張を相当程度の説得力がある形で説明できるかもしれない。

 

 

 なお、哲学と歴史を取り上げたが、経済学や社会科学からも学べそうなことはありそうである。

 波及効果とか相互連関とか

 または、数学であっても同様なことを見出せるかもしれない。

「私が学んだ線形代数というのは、『変数が多い(次元が多い)場合にその状況を平面や空間のように把握するための技術』であり、以下略」とか。

 

 現時点ではこのようなことを言葉にしていないが、機会があれば言語化しておくと意識的に活用したり、他人に説明したりできるかもしれない。

 暇があればやってみようかと考えている。

 

 

 ただ、この「学んだことを活かす」ということ自体、なにやら日本教的なものとの相性が悪いような気がしないではない

 しかし、このような相性に関する仮説に気付いたり、この仮説について検証できることも大学で数学等を学んだ成果であるけれども。

 

 

 以上、ふと気づいたこと、考えたことについて備忘の為にこのブログにメモとして残しておく。

 では、今回はこの辺で。