これまで、旧司法試験の二次試験・論文式試験の憲法第1問(人権)の過去問を見てきた。
今回から新しい過去問を見ていく。
見ていく過去問は平成15年度の憲法第1問である。
これまでのテーマとして「表現の自由に対する内容中立規制」・「政教分離」・「市民会館における集会の自由」とみてみたが、今回のテーマは「男女間の平等」である。
1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成15年第1問
まず、問題文を概観する。
なお、過去問は法務省の次のサイトから入手した。
https://www.moj.go.jp/content/000049018.pdf
(以下、第1問の過去問を引用)
以下の場合に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
1 再婚を希望する女性が,民法の再婚禁止期間規定を理由として婚姻届の受理を拒否された場合
2 女性のみに入学を認める公立高等学校の受験を希望する者が,男性であることを理由として願書の受理を拒否された場合
(引用終了)
関連条文は次のとおりである。
憲法14条1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
平成25年(オ)第1079号・平成27年12月16日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/547/085547_hanrei.pdf
平成4年(オ)第255号・平成7年12月5日最高裁判所第三小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/107/076107_hanrei.pdf
2 過去問の背景、再婚禁止規定の背後にあるもの
この点、過去問の出題が15年以上前(私が司法試験の勉強を始める前)であることから、補足的知識を追加しておく。
論文試験が行われた平成15年7月当時、再婚禁止期間は離婚後180日間であった。
そして、再婚禁止期間の背景には「父性推定の重複回避」という問題、つまり、「子供の父親の候補が二人になってしまう問題の回避」という事情がある。
この点は重要なので少し詳しく説明する。
民法は「産まれた子供の父親の決め方」について次の条文を置いている。
民法772条
第1項、妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
第2項、婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。
この結果、「離婚してから300日以内に生まれた子供」は離婚前に懐胎したものと推定され(民法772条2項)、1項により「離婚する前の夫の子供」と推定される。
逆に、「結婚してから200日後以降に生まれた子供」は結婚中に懐胎したものと推定され、今度は「再婚後の夫の子供」と推定される。
その結果、ある女性が離婚した日に再婚した場合(仮想事例、現実では婚姻届けが受理されない)、離婚してから201日目から300日目の間に生まれた子供について、父親と推定される人が二人(離婚前の夫と再婚後の夫の両方)となってしまい、どちらの父親になるかを即座に決めることができない。
その結果、子どもの父親が直ちに決まらず、福祉関係において混乱が生じる。
(この問題は離婚後100日以内に結婚した場合にも生じうる)
この問題を「父性推定の重複」の問題という。
そして、この重複を回避するため民法では女性について再婚禁止期間を設けている。
現在の条文は次のとおりである。
民法第733条
第1項 女は、前婚の解消又は取消しの日から起算して百日を経過した後でなければ、再婚をすることができない。
第2項 前項の規定は、次に掲げる場合には、適用しない。
1号、女が前婚の解消又は取消しの時に懐胎していなかった場合
2号、女が前婚の解消又は取消しの後に出産した場合
ちなみに、当時(違憲判決が出る前)、百日が百八十日になっていた。
そこで、「最小限の制約でいいなら百日で足りるのに、何故八十日も余分に制限するの?これは必要のない過剰な制限では?」ということが憲法上の問題となるわけである。
訴訟上の争点は少し異なるが、設問1と上の2つの事件の憲法上のメイン論点は同じである。
そして、これらの判例は憲法上著名な判例の一つであり、前哨戦たる短答式試験を突破した人間(論文試験を受ける人間)で知らない人間はいない。
よって、設問1は超基本、設問2が応用ということになる。
今回も、この問題を解くために必要な前提知識を確認し、次に、どのような法的三段論法を使って結論をもっていくかを検討し、最後に、本問や関連判例を読んで考えたことをメモにする。
3 憲法14条1項の平等原則が国家権力に要求すること
「国家権力は原則として国民を平等に扱わなければならない」、これを平等原則と言う。
そして、このことを条文という形にしたのが憲法14条1項である。
もっとも、この「平等」についてはいくつか争点がある。
その際の大事な前提として、平等原則は「神から見れば人間は平等である」というモデルを国家と国民の関係に置き換えたということがある。
そこで、この前提から「『ルール』を平等に執行しなければならない」という「法適用の平等」を導き出すことができる。
例えば、行政権や司法権が条件が同じなのに人によって処分や判決を変えてはいけないということはできる。
もっとも、神が創造したルールは各人に平等な結果をもたらすようにはできていない。
『痛快!憲法学』で紹介したが、キリスト教の「平等」とは「機会の平等」でしかなく、「結果の平等」は必ずしも担保されていない。
そこで、「立法府(国会・議会)は法の内容を平等にする義務を負うのか」という問題が生じる。
つまり、「法適用の平等」にとどまるのか、それを超えて「法内容の平等」まで含むのかという問題である。
もっとも、「不合理・不平等な内容の法律を作ってしまえば、それを平等に執行したところで不平等の問題は生じる」ということを考慮すれば、国会にも平等原則の適用はある、つまり、法内容の平等を含むと考えていいだろう。
この点、憲法が「法内容の平等」を要求することは最高裁判所も認めている。
次に、「平等」がどんな平等まで要求しているのかという問題がある。
この点、「神の下の平等」のモデルケースを見れば、「機会の平等」を要求していることは明らかである。
では、「結果の平等」についてはどうか。
実現することが要請されているのか、実現してもいいのか、あるいは、実現してはいけない(禁止)のか。
この点、人はそれぞれ違った性質があり、そのことを前提にするならその違った状況に合わせて異なる対応をした方がいいケースはたくさんあるだろう。
また、「機会の平等だけでいいのか?その結果、もたらされるものは貧困の自由と空腹の自由だけではないか?」という問題は現実に存在する。
そこで、現実の社会問題を解決するためには「結果の平等」に向けた一定の政策が必要になる。
さらに、日本国憲法は社会権を保障しており(25条から28条)、社会福祉政策による経済的自由・財産権の制限を予定している(憲法22条1項・29条2項)。
したがって、「平等」とは形式的・機械的平等ではなく、実質的・相対的「平等」を指しているものと考える。
その結果、「平等」は合理的な理由に基づく「区別」を許し、他方で不合理な理由による「差別」を禁止しているものと考えることになる。
この点は最高裁判所の考えと同じである。
以上をまとめよう。
① 平等原則の射程範囲は行政・司法だけではなく立法も含む
→ 法適用の平等だけではなく、法内容の平等を要求
② 平等は形式的・機械的平等ではなく、合理的区別を許容した実質的・相対的平等を指す
← 実情への対応の必要性、憲法は社会福祉政策を行うことを想定
この大原則は極めて重要である。
もちろん答案上にも示す必要がある(大展開する必要はないが)。
以上を前提として、設問1・2のケースが合理的な区別か不合理な差別かということを考えていくことになる。
つまり、①合理的な区別と不合理な差別の境界についてどのような基準で考えていくのか(規範定立)、②その基準に従った場合、各ケースの取り扱いの差別はその基準を満たすのか(あてはめ)ということを考えていくことになる。
しかし、ここまでかなりの分量になったので、それについては次回以降で。