今回は次のシリーズの続き。
前回までで違憲審査基準まで述べてきた。
今回は判例の事例を検討し、本問の検討に移る。
5 泉佐野市民会館事件
最高裁判所の判決として重要なものが泉佐野市民会館事件の最高裁判決である。
違憲審査基準の設定についてはこの判決に沿って説明した。
結論において、最高裁判所はこの事件の不許可処分を合憲・適法と判断する。
最高裁判所が認定した事実の中で重要なものは次の点である。
① 集会を開催する団体を支配している団体(申請者それ自体ではない)は空港建設工事の着手に反対であった
② また、激しい実力行使によって工事の着手を阻止する方針を採用していた
③ ①に基づき、東京・大阪で爆破事件を起こしていた
④ 不許可処分になった集会は①の反対運動の山場として考えていた
⑤ この団体対立するグループと緊張関係を持っていた
以上の事実を認定して次のように結論を出した。
(以下、判決の引用)
本件会館で開かれたならば、対立する他のグループがこれを阻止し、妨害するために本件会館に押しかけ、本件集会の主催者側も自らこれに積極的に対抗することにより、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、客観的事実によって具体的に明らかに予見されたということができる。
(引用終了)
最高裁判所はかなり厳しい基準を設けたが、基準に対応する事実があったことも認めている。
ところで、この事例で最高裁は「集会が開かれたら、対立する団体が押し寄せて大混乱が生じる」という趣旨を述べ、反対派の実力行使を理由に不許可処分を許しているようにも読める。
そこで、最高裁判所はこれに対してフォローを述べているので、その部分も見ておく。
(以下、判決の引用)
主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条に反対する他のグループ等がこれを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法二一条の趣旨に反するところである。しかしながら、(中略)これを被上告人が警察に依頼するなどしてあるかじめ防止することは不可能に近かったといわなければならず、平穏な集会を行おうとしている者に対して一方的に実力による妨害がされる場合と同一に論ずることはできないのである。
(引用終了)
いわゆる「敵対的聴衆」とか「敵意ある聴衆の理論」と呼ばれているものである。
これについては最高裁判所は敵意ある聴衆を理由とする不許可処分を違憲・違法としつつ、次の2つのケースを例外として考えているようである。
① 実質的な主催者たる団体が平穏な集会を行うことを目的としていないこと
② 警備によっても混乱が防げないこと
これは過去問を解く際に加点事項となりうるように思われる(ただ、この点を外したとしても問題自体は解けるように思われる、理由は後述)。
ちなみに、①と②を満たさなかった上尾市民会館事件において不許可処分は違法(違憲)となった。
以上を見ながら、過去問を見ていこう。
6 団体Aのケース
さて、過去問を見直してみよう。
(以下、過去問全文引用)
団体Aが、講演会を開催するためにY市の設置・管理する市民会館の使用の許可を申請したところ、Y市長は、団体Aの活動に反対している他の団体が右講演会の開催を実力で妨害しようとして市民会館の周辺に押し掛け、これによって周辺の交通が混乱し、市民生活の平穏が害されるおそれがあるとして、団体Aの申請を不許可とする処分をした。
また、団体Bが、集会のために右市民会館の使用の許可を申請したところ、市民会館の使用目的がY市の予定している廃棄物処理施設の建設を実力で阻止するための決起集会を開催するものであることが判明したので、Y市長は団体Bの申請を不許可とする処分をした。
右の各事例における憲法上の問題点について論ぜよ。
(引用終了)
不許可処分の理由のところだけ抜き出すと次のようになる。
① 団体Aの活動に反対している他の団体が右講演会の開催を実力で妨害しようとして市民会館の周辺に押し掛ける
② ①によって周辺の交通が混乱し、市民生活の平穏が害される
③ ②の発生確率は「おそれ」
泉佐野市民会館事件のケースと対比すると、予見した危険のレベルが泉佐野市民会館事件と比較して低い。
まず、予見した危険の内容が「交通の混乱」と「市民生活の平穏」である。
「交通の混乱」を予見しているが、「交通事故」を予見しているわけではないようだ。
また、「市民生活の平穏」それ自体、幸福追求権の一内容として憲法13条によって保障されるべきものではあるが、「生命・身体・財産」といったものと比べれば、予見された危険のレベルが低い。
さらに言ってしまえば、危険が発生する可能性も「明らか」といったレベルではない。
「蓋然性」のレベルすらなく、「おそれ」(一般的抽象的可能性)しかない。
このように考えれば、泉佐野市民会館事件の基準を用いるのであれば、「この予見では完全に甘い」ということになり、到底正当化できないことになる。
つまり、不許可処分は「公共の福祉による制限」として正当化しえず、違憲ということになる。
もちろん、合憲の答案が書けないということはない。
しかし、最高裁判所の基準を用いて、かつ、事実関係をそのまま素直に考えた場合に合憲にもっていくのは難しいように思われる。
よって、合憲の答案を書くためには最高裁判所の基準を批判したうえで緩やかな基準を採用する(規範定立の根拠を述べる際に、集会の自由の制限の程度を軽くし、内容中立規制のように考えるといった方法がある)という手法を採った方がいいだろう(事実関係については後述)。
そして、このように見た場合、「敵意ある聴衆」に対する評価はさほど重要ではないと言える。
もちろん、この点に少し触れることは良いことではあるが、深入りは避けた方がよさそうである。
7 団体Bのケース
では、団体Bに対する不許可処分についてはどうか。
こちらも不許可処分の理由を抜き出すとこのようになる。
使用目的がY市の予定している廃棄物処理施設の建設を実力で阻止するための決起集会を開催するものであるため
ここで気になるのは、目的しか認定していないことである。
確かに、集会の目的から危険の発生の可能性を認めることはできる。
例えば、集団暴徒化論と集会の目的を組み合わせることで、「実力を行使することを予定している彼らが暴徒になって市民会館周辺に混乱を起こし、施設の職員や周辺住民の生命・身体・財産などに対して危険が及ぶ可能性(おそれ)がある」があるということはできるし、その可能性がゼロであるということは不可能である。
ただ、最高裁判所の基準を採用するなら「予見のプロセスが甘い」ということになってしまうだろう。
最高裁判所も泉佐野市も不許可処分に対して背景事情を細かく認定している。
「集会の目的だけ認定して不許可」等と言ったことはしていない。
そのように考えるなら、「具体的な危険」を予見したとは言えないだろう。
さらに追加すれば、「客観的事実に照らして」予見したとも言い難いであろう。
というのも、上の集団暴徒化論は一般論に過ぎず、具体的な団体Bの特徴を挙げて暴徒化する可能性を吟味したとも言い難いからである。
よって、こちらの不許可処分も原則通り違憲・違法ということになる。
少なくても最高裁判所の審査基準を前提にするならば。
以上、過去問について私が答案を書く場合を想定して検討した。
ただ、私は別に過去問を検討したいのではなく、「過去問を見て考えたこと」の方が重要である。
そこで、次回以降はそれについてメモにしていく。