今回のメモは次のシリーズの続き。
今回も『参謀は名を秘す』を読んで考えたことをメモにする。
なお、このメモは本書の内容に対して否定的なことを書いている。
しかし、参謀の機能に関する本書の説明は私にとって参考になるところが大であった。
その点は強調しておきたい。
5、「参謀待望論」の背後にあるもの
本書の第1章では、「名参謀・名軍師」として我々に人気のある武将たちに対して「彼らは本当に能力があるのか?彼らのなした成果はいいものか?」と疑問符を付けている。
そして、その内容について私が考えたことはこれまでに書いた通りである。
まとめると、「人間に要求する基準、人間に対する基準として合理性を欠くのではないか?」になる。
また、「個別の武将に対する筆者の意見(名軍師・名参謀失格)に同意するか」という点についてはグラデーションがある。
これは「主君との距離」と「結果回避可能性」の両方によって差が生じている。
同意の傾向が強い順に並べれば、
「山中鹿之助>山本勘助>直江兼続>>>楠木正成>真田幸村>竹中半兵衛」
になる。
ただ、これは「基準が違う」ところから生じたものに過ぎない。
逆に、「彼らは参謀・軍師として優秀だが、完全無欠ではなかった」という主張なら私も反対しないだろう。
また、私の基準に対して「恣意的」との批判をありえるし、この批判を回避することは困難だろう。
私自身、自説に固執する気はあまりない。
ところで、ここまでは評価される側の武将の事情を見てきた。
ここからは本書では触れられていない評価する側、つまり、我々に焦点を変える。
というのも、本書は「我々の『参謀・軍師に対する誤った信仰』を粉砕し、『参謀待望論』を雲散霧消させること」を目標にされていると考えるからである。
また、一方で「参謀・軍師の匿名性」を求めていながらも、終章において「個々の参謀・軍師に対してそれを求めることは無理である」とも述べており、参謀サイドのみに問題があるとも考えていなさそうだからである。
つまり、この問題は「過去の武将を見る現代人(我々)」の問題であって、過去の軍師・参謀たちの問題ではないからである。
ここで「諸葛孔明や楠木正成を名軍師・名参謀と崇める背景」を見てみよう。
諸葛孔明の特徴として本書は次の4つを挙げている。
① 主君への絶対的忠誠心
② 凡人を卓越する能力とその能力を用いた部分的な勝利
③ 豊かな人間性
④ 悲劇的な最期
この4つによって作られた基準は無能な主君から見れば有難すぎる基準である。
それは、①から④をひっくり返してみればわかる。
①「情況により他所に転がり込む軍師・参謀」は名軍師・名参謀ではない。
②「完全無欠の能力を持つ軍師・参謀」は名軍師、名参謀ではない。
③「人間性の豊かでない軍師・参謀」は名軍師・名参謀ではない。
④「悲劇的な最期を受容できない軍師・参謀」は名軍師・名参謀ではない。
①と④から主君の自分から離れた者、特に、自分の零落・衰退を原因として離れた者の名軍師・名参謀性を否定できる。
例えば、「自分に仕え続けたら軍師自身が滅ぶこと」が離れる原因であっても、自分に見切りをつけた者はもう名参謀・名軍師ではないのだ。
また、②と③から人間離れした(完全な)能力を持った者の名軍師・名参謀性を否定できる。
人間性の否定など恣意的にできるから、これまた自分の気に入らない者の名軍師性・名参謀性を否定できる。
そして、現代のわれわれが自分自身を主君の位置に置くなら、参謀の理想をこのように掲げるのは妥当(凡人である自分たちに都合がよい)ということになる。
もちろん、その結果、自分の身を滅ぼすことになるとしても。
私自身、「参謀待望論を粉砕したいのであれば、武将たちの無能力性を挙げるよりも、『参謀待望論者』の掲げる基準の欺瞞性を指摘した方がよろしいのではないか?」との感想を持つこともある。
もっとも、そんなことをすれば我々の感情を逆なですることは必至であり、本の売り上げにも響くであろう。
したくてもできない、しょうがないとも言える。
一方、「『参謀待望論』による名参謀・名軍師の基準」は熟慮の末に決定した基準ではない。
つまり、「このような基準を作れば、我々は軍師・参謀に対して有利になる」などと考えて採用した基準ではない。
そもそも、欧米人と異なり、日本人は基準をそのように使いこなすメンタリティを持ち合わせてはいない。
付け加えて、この基準は「君、君足らずとも、臣、臣たれ」という日本的儒教と親和的である。
ならば、この基準の背後には日本に通底する何かがあると考えられる。
そこで、その「何か」について考えてみる。
そして、その「何か」こそ、私がこのメモを書こうとした原動力である。
なお、補助線となっているのは次の2つの本である。
ここで見るべきなのは、幕末・維新の志士たちのバイブルとなった『靖献遺言』(せいけいいげん)である。
著者は浅見絅斎(あさみけいさい)、師匠である山崎闇斎の「湯武放伐論・易姓革命の否定」を突き詰めていった人である。
この『靖献遺言』は「『王朝に敵対する者に対しては、講和などは絶対せず、自分の生命のことも全く考えず徹底抗戦あるのみ』という生き方が正しい」という主張を8人の中国人の評伝を通じて記したものである。
ここで、「王朝」を天皇家、「王朝に敵対する者」を徳川幕府とすれば、これが幕末志士たちのバイブルになった理由も理解できるだろう。
そして、この本に登場する8人の中に諸葛孔明がいる(他に有名なものとしては、元のフビライに仕えるのを拒否して刑死した文天祥、明の永楽帝に処刑された方孝孺がいる)。
この点、『靖献遺言』には日本人がいない。
しかし、日本人の中で『靖献遺言』の生き方を体現した人がいる。
それが楠木正成であり、また、浅見絅斎が絶賛した赤穂浪士達である。
この『靖献遺言』にある生き方と「参謀待望論」による名参謀・名軍師の基準の①と④は符合する。
とすれば、①と④は「主君(つまり、我々)によって都合がよすぎるから採用した」わけではなく、日本に通底するものからもたらされたと考えることができる。
そして、仮に、①の④が日本に通底するものからもたらされた場合、これを払しょくすることは極めて困難であろう。
これは信仰・思想の問題であり、「能力的に問題があり、結果が振るわなかった」と技術的・客観的な要件を論じたとしても有効ではないからだ。
では、どうすればいいのだろうか?
軍師たちの失敗、生じた結果の悲惨さを主張しても、我々は軍師たちから「名」の称号をはく奪することをしないだろう。
これは、「名」を付加する理由が能力だけの問題ではないからだ。
私にしても、参謀・軍師と思っていなかった楠木正成・真田幸村について、「名将」のうちの「名」の部分を湊川の合戦や大坂の陣の敗戦を理由に外すかと言われれば、「ノー」と言うしかない。
その原因が能力に起因するとしても、である。
では、事大主義で吹き飛ばすか。
「勝者ではなく、敗者をリスペクトするなんて、なんと愚かな」と。
でも、これも日本人の信仰・思想に抵触するから、炎上必至だなあ。
あるいは、、、。
その辺は分からない。
ただ、日本の古来のメンタリティに対する手当を考えずして、その解決は困難な気がする。
以上、本書の感想をメモにまとめた。
私がこの本を読み、関心を持ち、メモにしておこうと思ったのは、本書の内容よりも「参謀待望論」の背景にひっかかったからである。
その意味でもこの本は非常に私のためになった。
その意味で、私は本書と著者には感謝している。