今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
12 第3章の第1節を読む
第3章のタイトルは、「数学と近代資本主義_数学の論理から資本主義は育った」である。
また、扉の絵は社会学者のマックス・ヴェーバーである。
この点、マックス・ヴェーバーの偉大さは次のメモにあるとおりである。
そして、第1節のタイトルは「数学と資本主義の精神」。
資本主義の精神については『痛快!憲法学』・『経済学をめぐる巨匠たち』・『日本人のためのイスラム原論』などで触れられているが、その「資本主義の精神」と数学との関係をみていくのが本節である。
また、「数学と資本主義の精神の観点から日本を見るとどうなるか」についてはこれまでにない情報になると考えられる。
マックス・ヴェーバーは、「近代資本主義の背後には『目的合理性』の論理がある」と述べた。
この「目的合理性」とは「目的」に対する合理性のこと。
最高裁判所の言葉に引き付けるなら、「合理的関連性」と言ってもよい。
この目的合理性は突き詰めると「形式合理性」になる。
これにピンとこなければ、「『目的』という形式」に対する合理性と言ってもいい。
そして、この「形式合理性」とは数学のように計算できることを言う。
つまり、「合理性計算が可能(=形式合理性)」という発想が近代資本主義を生んだと言える。
マックス・ヴェーバーは、近代以降に出現した複式簿記・近代法・資本主義・物理学などを用いて説明している。
これらの近代以降に出現した諸々はどれも数学の論理が大活躍している。
さらに言えば、計算可能性が前提となっている。
ところで、これまでのメモで散々述べた通り、マックス・ヴェーバーの発見は「資本・商業・技術のすべてが高まったとしても、そのまま『資本主義』になるわけではない」という点にある。
このことは既に様々な読書メモで見てきたとおりである。
かいつまんで述べると、「『資本・商業・技術』が集積した地方」という条件であれば、古代エジプト・古代メソポタミア・ヘレニズム・古代ローマ・イスラム帝国・中世イタリア・中世の南ドイツ・古代インド・(様々な時代の)中国といった様々な時代の地方がこの条件を満たしている。
しかし、これらの地方は「資本主義」になることはなかった。
本書では、中世の中国の経済の繁栄について紹介されている。
これまで読書メモで見てきた通り、中国は宋の時代から清の中期まで、大運河を中心に経済が発展した。
これに対して、イギリスが大運河を発展させたのは産業革命直前の18世紀の後半である。
その意味で、中国は「前期的資本」が極度に発達しており、「商業・資本・技術」という観点から見れば、いつ資本主義になっても不思議ではなかった。
さらに、中国では論理や論争技術と同様に数学も高度に発達していた。
しかし、形式論理学と中国の数学は結合しなかった。
その結果、目的合理性精神・形式合理性精神が発達せず、それらを中核とした資本主義の精神が発達しなかった。
それに対して、資本主義はヨーロッパに勃興する。
その背後にキリスト教があったことはこれまで見てきたとおりである。
ここから、話は日本に移る。
資本主義が勃興したヨーロッパで支配的影響力を持っていた思想・宗教はキリスト教であった。
これに対して、徳川時代以前の日本で支配的影響力を持っていた思想・宗教は仏教である。
そこで、この仏教の影響力が日本の数学的精神にどのような影響を及ぼしたかをみていく。
本書によると、突き詰めて考えてみた場合、数学的精神に対する日本教徒のスタンスを決めたのは聖徳太子だという。
この点は意外に見えるかもしれないが、前回、明治時代に近代法を取り入れたときの諸々を見れば、案外ピンとくるかもしれない。
なぜなら、次のメモにおいて「聖徳太子の『十七条憲法』」が登場するからである。
この点、いわゆる「聖徳太子」が飛鳥時代にした業績として「冠位十二階の制定」・「遣隋使の派遣」といったことがあるが、ここでは「十七条憲法」について取り上げる。
以前、ブログで十七条憲法を取り上げたことがあるが、第一条は「和を以て尊しと為す」であり、第二条が「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」であり、第三条になってやっと「詔を承りては必ず謹め」と天皇陛下に関する言及がある。
「空気」や「憲法・法律」については十七条憲法の第一条を参照するのがいいだろうが、ここでは第二条についてみていく。
そして、この聖徳太子は仏教の法華経と維摩経と勝鬘経(しょうまんぎょう)を重んじた。
このことは、聖徳太子が「法華義疎」・「維摩経義疎」・「勝鬘経義疎」を著したことからも見て取れる。
なお、ここでいう「義疎」というのは「注疏」・「注釈」という言葉に変換してイメージすればよく、つまりは注釈書・解説書である。
この点、啓典宗教たるユダヤ教・キリスト教・イスラム教と異なり、仏教では正典(canon)が存在しない。
その代わり大量の経典が存在する。
その結果、聖徳太子がどの経典を重視したかというのは「仏教の影響」を考慮する際の重要な要素となる。
このことを考慮しながら、聖徳太子の重視した経典についてみていく。
特に、維摩経は法華経の絶好の入門書と言われているので、維摩経をみてみる。
まず、仏教の出発点から見た場合、釈迦は「一定の『修行』をすれば、確実に『悟り』を開くことができる」と述べている。
この釈迦の主張を数学的・論理的に見た場合、これは「十分条件」ではあるが、「必要条件」にはならない。
つまり、「一定の『修行』をすれば、確実に『悟り』を開くことができる」(十分条件)とは言えても、「(これらの)一定の『修行』をしなければ、絶対に『悟り』を開くことができない」(必要条件)とまでは言ってないからである。
また、仏教では「独覚」(どっかく)という「何もせずに悟りを開いてしまう人」の存在を否定していないところ、このことも釈迦の主張が十分条件でしかないことを裏付けている。
そして、「何もせずに悟りを開いてしまう人」が登場する経典こそ「維摩経」である。
つまり、「維摩経」の主人公たる「維摩居士」(ヴィマラキールティ)が「何もせずに悟りを開いてしまう人」である。
この維摩居士は古代インドの富豪であり、彼のした修行や善行については何も示されていない。
また、釈迦は維摩居士を尊敬しているが、サンガの一員ではない。
さらに、維摩居士は誘惑されたことを否定しない。
それどころか、悪魔が維摩居士を誘惑しようとして美女に扮した魔女を送り込んだら、維摩居士は全員自分側に引き入れてしまったという逸話もある。
また、維摩居士が病気になったとき、釈迦が自分の十大弟子に対して「ちょっと維摩居士の見舞いへ行ってこい」といったところ、弟子たちが「嫌です。というのも、維摩居士には『お前の(弟子たちの)悟りは偽物だ』などと言っているからです」と返事されたとのエピソードもあるらしい。
なにやら、破天荒で真面目な修行者の憎しみ(嫉妬)を一心に浴びている人をイメージすればいいだろうか。
この点、仏教は「修行による悟り」を重視している。
しかし、この経典によれば、「高弟の修行による悟り」さえこの「維摩居士の悟り」には及ばないということになる。
ところで、この「維摩経」は仏教の最奥部にある「『空』の思想」をたとえ話を用いて解説している。
また、ストーリー自体も大変面白い。
その結果、中国・朝鮮でも人々に好まれた。
そして、この「『空』の思想」と数学的精神の相性は極めて悪い。
「倶に天を戴かず」といっても大げさではないと言える。
何故なら、「『空』の思想」は形式論理学を否定しているからである。
この点、「空」とは「『有』でもなければ、『無』でもなく、『有であると同時に無』であり、『有と無以外のもの』」だそうである。
よりまとめれば、「空」とは有と無とを超えて統合したところにあるものと定義できるであろうか。
浅学菲才の私がこれに相当する言葉をイメージするなら「カオス(混沌)」になる。
そして、以上の「空」の定義を見ると、「空」は矛盾律も排中律を無視していることが分かる。
また、「空」が明確に定義されているとは言い難いため、同一律も無視している。
というわけで、「『空』の思想」は形式論理学の真っ向からの拒否とも言いうる。
本書では、この「『空』の思想」に驚いたキリスト教宣教師のエピソードが紹介されている。
もっとも、このエピソードの類型なら現代にもたくさんあると考えられる。
戦国時代末期、キリスト教宣教師は、仏僧が仏像に礼拝しているのを見て、「仏像など塵芥に過ぎないではないか」と述べた。
これに対して、仏僧は悠然と「仏もまた然り(塵芥に過ぎない)」と述べた。
似た例として次のエピソードがあるだろうか。
道端の地蔵に拝んでいる日本人に、外国人が「そこには地蔵以外ないのに、何故頭を下げるんですか?」と質問した。
これに対して、日本人は「その通りですね。それでも、私は頭を下げるのです」と返事をして、外国人を戸惑わせた。
この点、「仏像が塵芥である」という事実認定については仏僧も宣教師も争っていない。
問題はその後である。
形式論理学の制限のある宣教師から見た場合、「神は存在する」・「神は存在しない」の二者択一になる。
そして、「神は存在しない」なら無神論者になり、キリスト教の信者はおろか、ユダヤ教やイスラム教の信者にもなれない。
これに対して、仏僧は形式論理学の制限がない。
その結果、仏教徒でありながら「仏は塵芥である(ゴミである)」と答えることができる。
例えば、仏の存在について次の回答があるとする。
1、仏は存在する
2、仏は存在しない
3、仏は「存在する」ようで、同時に、「存在しない」
4、仏は「存在する」わけではないが、同時に、「存在しない」わけでもない
この点、形式論理学を採用すれば、3と4の選択は矛盾律に抵触する。
もっとも、形式論理学を採用しなければ、矛盾律の縛りがないので自由に採用できる。
このように、形式論理学と「空」の思想はこのような対比関係がある。
この点、論理に疎い日本教徒は「空」の思想と形式論理学の違いを明確に認識していたとは言い難い。
しかし、「空」の思想を日本教徒は大いに気に入ったらしく、比喩や歌で述べられることになる。
例えば、至道無難という江戸時代前期の臨済宗の仏僧は次の有名な歌を詠んでいる。
(以下、至道無難の歌)
草も木も 国土もさらに なかりけり
ほとけもいうも なおなかりけり
仏教徒で十七条憲法第二条で敬う対象とされている僧侶が「仏なんどいない」とはなかなかにロックである。
そして、この姿は形式論理学を前提とした場合、あるいは、その世界に生きていたキリスト教徒から見たらとんでもないことになるだろう。
しかし、「形式論理学」を採用しないなら、なんら問題ないことになる。
以上が本節のお話である。
ちなみに、この節は本当に勉強になった。
というのは、社会に対する私の違和感の正体をこれほど明確に見せてくれるものもなかったからである。
ところで、上で述べた「キリスト教と仏僧のやり取り」を見ていると、日本教とそれ以外の差の大きさが見て取れる。
「キリスト教」と「日本教」の違いはキリスト教とイスラム教(ユダヤ教)の違いをはるかに超えている、と。
また、「日本教徒が数学を薬籠中にすることなどごく一部の人間を除けば無理ではないか」とも考えられる。
それを考えると、日本における数学力の減衰は不可避なのかもしれない。