薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

十七条憲法を見る

1、十七条憲法を見る

 約1400年前、推古帝の時代、所謂厩戸皇子聖徳太子)によって十七条憲法が作られた、とされている。

 

ja.wikipedia.org

 

 この「十七条憲法」において「憲法」という言葉が使われている。

 しかし、この十七条憲法立憲主義に基づく憲法ではない。

 そのため、「十七条憲法明治憲法日本国憲法を同じ性質のものとして考える」ことはやめた方がいいだろう。

「この人は立憲主義を理解していない」と言われても抗弁できない。

 

 さて、十七条憲法を見て「あれ?」と思ったことがあった。

 そこで、「あれ?」と思ったことなどをメモとしてブログに残しておく。

 まあ、私が思ったことくらい、誰かが既に思いついているだろうが。

 

2 十七条憲法の第1条・第2条・第3条

 上にリンクを貼ったウィキペディアから「十七条憲法」の第1条から第3条を引っ張ってみる。

 

(以下、書き下し文のところを引用)

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

(引用終了)

 

 第1条が非常に有名な「和を以て(以下略)」という規定である。

 そして、第2条が仏教へのリスペクトを、第3条が天皇の命令に対する服従を規定している。

 第4条以下は省略。

 

 せっかくなので、「私釈三国志」の作者になったつもりで意訳してみよう。

 

(以下、意訳)

第1条

 和を尊重しろ、そして、逆らうな。

 何かにつけて人はつるむし、賢人は少ない。

 さらに、人によって意見はバラバラだ。

 でも、身分を問わず和を尊重して熟議を重ねれば、その結果はスゲーものになって、何事も達成できる。

第2条

 三宝、つまり、仏と仏法と僧侶をリスペクトしろ。

 仏教はどの時代、どんな人も尊ばれる素晴らしい教えである。

 世の中、本当に悪い奴などなかなかいねーから、大概の悪人は教えることでなんとかなる。

 でも、仏教がなければ、何を教えりゃいいんだ。

第3条

 帝の詔に対しては頭を下げて従え。

 譬えれば、帝は天で家臣は大地だ。

 だから、帝を上に、家臣を下にすることで、物事万事うまくいく。

 逆に、家臣が帝になり替わろうとしたら天地がひっくり返って破滅するだけだ。

 だから、(破滅しないためにも)帝の言動に家臣は従うべきなのだ。

 良いな、帝の詔に対しては黙って従え。

 従わないなら、、、分かっているな。

(意訳終了)

 

 頑張って訳してみたが、なかなか難しいな。

 はっちゃけにくい、というか。

 まあ、いいや。

 

3 十七条憲法の条項の順番

 十七条憲法は役人の心構えを書いたものである。

 現代に置き換えれば、「訓示」みたいなものである。

 そして、一条に「和と話し合いの尊重」、二条に「仏教の尊重」、三条に「帝の命令に対する服従」を掲げている。

 

 こういう文章において「大事なことは先に書く」。

 あるいは、「総論が先で、各論が後になる」ともいう。

 

 例えば、今から約35年前の1986年、内閣安全保障室が作られたときになされた「後藤田五訓」と呼ばれる超有名な訓示があるが、その最も大事な条項は第1条の「省益を忘れ、国益を想え」である。

(詳細は次の書籍参照)

 

 

 その視点で十七条憲法を見直してみよう。

 第1条は「和の尊重・熟議の尊重」、第2条は「仏教の尊重」、そして、第3条に「詔に対する服従」が来る。

 つまり、最も大事なことは「和の尊重・熟議の尊重」ということになる。

 

 この時期、朝廷は推古帝を主君に戴いていた。

 その帝の命令に対する服従は条項の三番目に規定されている。

 さらに言えば、二番目に書かれた仏教尊重にも劣後している。

 これはどういうことなのだろう。

 

 順番を間違えたとは考えづらい。

 十七条憲法が思い付きで作られたとは思えないからだ。

 

 では、当然すぎて順番が逆になったのだろうか。

 ただ、それも微妙である。

 当時、中国では統一王朝の隋ができた。

 また、朝鮮半島に築いていた権益も失った。

 そのため、朝廷の立て直しが必要とされていた。

 そんな状況で考えた場合、当然すぎて重要性の判断がずれるとは言い難い。

 

 とすれば、起草者の意図はこの順番のとおりだった、ということになる。

 つまり、「一番大事なのは和であり熟議」ということになる。

 このことは十七条で再び議論の重要性を挙げていることからも裏付けられる。

 

 当時、帝の詔も大事だが、和はもっと大事だと考えられていたのか?

 条文の並びを見て、そんな感想を抱いた。

 

4 十七条憲法の背景にあるものと日本国憲法(と明治憲法

 ところで。

 上で、十七条憲法というのは近代主義における憲法ではないから、「十七条憲法日本国憲法明治憲法を同列に論じるのはやめた方が良い」と書いた。

 しかし、日本における国家の基本法に相当する法規で「憲法」という言葉を用いているのはこの3つである(例えば、江戸時代の統制法令は「武家諸法度」・「禁中並公家諸法度」など「法度」だし、室町時代鎌倉時代は「式目」である)。

 そう考えると、十七条憲法の第一条は日本教(日本人が大事だと思っているものの総称)の考えを示しているのかもしれない。

 

 そして、この「議論(話し合い)が大事」という発想が日本の根底に流れていたので、「五か条の御誓文」の第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と書くことができた。

(何も背景なく、ただ、ヨーロッパの議会政治を見ただけで第一条に議論の重要を掲げるとはやや考えづらい)

 そして、それがために、民主主義が日本から排除されなかったのではないかと勝手に考えている。

 

 あと、「和を大事せよ」というのは「争うな」ということで平和主義にも通じる。

 いささか我田引水に過ぎる感じがしないでもないし、かなり適当なことを書くが、この部分は日本国憲法9条の背景になった点があるのかもしれない(日本の伝統思想と平和主義の類似性については別の機会に書く)。

 

 十七条憲法を見て、こんなことを思った。

 思ったことを忘れぬためにメモとしてブログに残す。

 

 ちなみに、この文章のカテゴリを「憲法」に入れたのは、十七条憲法が近代憲法の体裁をなしていない(当然だ)ものの、日本で近代憲法を定着させるために一定の役割を果たしたのではないか、今でも日本国憲法の規定(の一部)を支える背景になっているのではないかと考えたためのものである。