今回はこのシリーズの続き。
今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。
なお、今回が最終回である。
36 第三十二段落目を意訳する
前回の第三十一段落で榎本武揚の行為に関する論評が終わった。
残りはまとめの部分の三段落である。
まずは、第三十二段落を意訳する。
具体的には、「以上の立言は我輩が勝、榎本の二氏に向て攻撃を試みたるにあらず。」から「折角の功名手柄も世間の見るところにて光を失わざるを得ず。」の部分までである。
(以下、第三十二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)
色々書いたけど、私がしたいのは勝海舟と榎本武揚に対する個人攻撃ではない。
個人攻撃にならないように書き方には十分気を付けた。
また、彼らの行為が立派であった点を否定する気は全くない。
しかし、二人は富貴と功名、どっちかを捨てる必要があった。
しかし、敵であった政府から爵位をもらってしまったら、それが本人の望まぬものだったとしても、彼の功名は台無しである。
(意訳終了)
ここで目を引くのは、「本人が望まなかったとしても」としている点である。
福沢諭吉の気遣いを感じるのは気のせいだろうか。
37 第三十三段落目を意訳する
次に、第三十三段落を意訳する。
具体的には、「榎本氏が主戦論をとりて脱走し、遂に力尽て降りたるまでは、」から「力めざるべからざるなり。」の部分までである。
(以下、第三十三段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)
榎本武揚の脱走と抗戦は武士の本分・痩せ我慢から見て立派であった。
しかし、降伏して許されてから、青雲の志を持って敵だった政府に仕えて立身出世の階段を登ってしまうようでは、恥知らずになってしまいその功名も台無しである。
このように二人の功名が台無しになっている原因は、新政府からもらった爵位や立身出世にある。
だから、それらを捨てて隠棲せよ。
そうしないと、あんたがたの功名に腐臭が漂うことになるぞ。
そこは努力せーや。
(意訳終了)
福沢諭吉の主張は、敵からもらった爵位・出世が行為の素晴らしさを汚しているから、それらを放棄して隠棲せよというものである。
隠棲に対する私の感想は既に述べたので省略。
もっとも、功名が台無しになるだけなら本人の勝手ではないか、という感じもしてしまう。
あるいは、「人に後ろ指をさされながら生きていけ」という言い方もできる。
その辺はわからない。
38 第三十四段落目を意訳する
最後は第三十四段落である。
具体的には、「然りといえども人心の微弱、」から「拙筆また徒労にあらざるなり。」までの部分である。
(以下、第三十四段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)
まあ、そういっても人間よえーしな。
それに、別の事情があるから私の言うことを実行できないこともあるだろう。
それはしょーがない。
でも、明治の時代に、こうやって二人を「痩せ我慢」の観点から論評しておけば、「痩せ我慢」の維持に少しは貢献できるかもしれない。
それなら、私の文章も無駄にならねーだろう。
(意訳終了)
こういう意訳ができれば、「私釈三国志」の訳に近いのかなあ。
まだまだ、練習や修行が足りない。
あと、ここで「しょうがないよねー」みたいなことが書かれている点を見ると、福沢諭吉の気遣いを感じる。
「機械的な冷たい批判ではない」と言うべきか。
あるいは、ただの炎上狙い・キャンセル・カルチャー狙いではない、と言うべきか。
39 意訳を試みて
以上、「痩我慢の説」の本文を意訳してみた。
前回のチャレンジは辞世の句(詳細は次のリンクの通り)だったが、前回と今回とで勝手が違う。
前回は辞世の句(和歌)、今回は評論文だからであろうか。
また、意訳をしながら本文の内容それ自体に対して色々と考えてしまったので、途中から「意訳する」という目的がぼけてしまった。
文章の内容それ自体について考えたことは悪くないとしても、今回は「意訳」だけに集中したほうがよかったかもしれない、とは考えている。
ただ、「意訳をしてみて面白かった・楽しかった」というのは事実。
時間を見つけて他の文章に手を出してみようかな、と考える次第である。
40 痩せ我慢の説を見直して
私が「痩我慢の説」という文章の存在を初めて知ったのは、内田樹先生の次のブログの記事であった(リンクは現在のものである、ただ、初めて見たのはリニューアル前のものである)。
当時、上のブログを見て「(福沢諭吉の)こんな文章があるのか」と知って、「痩我慢の説」の本文を読んだ。
この点、福沢諭吉の主張は美しい(美しさを感じる点では昔も今も同様である)。
しかし、現実における勝海舟や榎本武揚のその後の行為はしょうがないのでは?
当時の私の感想はそんなところにあった。
その後、山本七平の文章をいくつか読んだ。
その上で「痩我慢の説」を意訳しながら読んでみると、別の観点が見えてくる。
「福沢諭吉の主張といわゆる『敗因21か条』的なものがオーバーラップする」と言うべきか。
美しさを発するものが持つ欠点が見えてきたといってもいいのかもしれない。
また、福沢諭吉の文章も持つ美しさの原点は西欧文化に由来するものではなく、日本文化に由来するものであることも今回分かった。
その結果、以前よりも自分の意見が福沢諭吉の意見から離れたことは確かである。
ただ、今回改めてこの文章を見直せたことはよかったと感じている。
山本七平先生・小室直樹先生の書籍を読んで学んだことを使うこともできたし。
以上で、「痩我慢の説」に関するメモを終える。
これで、現在「やりかけ」になっているのは司法試験の憲法過去問だけになった。
そこで、次から新しい本の読書メモを作っていこうと考えている。
候補となっている本は次の3つ。
最後の本だけこれまでの本と性質が違う。
ただ、この本は「人間の言動に関する構造」を考えるために非常に参考になった。
だから、トレーダーの観点からではなく、「人間の言動を基礎づける構造一般」の観点から読書メモを作ってみようかな、と考えている。