0 翻訳にチャレンジ
ブログ(「私を引き付けた翻訳 - Hiroringo’s blog」)に書いたとおり、サイト「私釈三国志」の詩などの訳は実によい。
私もこういう訳ができるようになりたい。
だから、練習する。
この点、前回のブログでは『孫子』の文章を引っ張って訳してみた。
しかし、その結果はいまいち、いまじゅう、いや、いまひゃくであった。
そこで、今回は原文を詩(歌)から引っ張ることにする。
また、日本由来のものにする。
さらに、他のものと比較参照するため、ある程度有名なものを選ぶ。
なお、これは「意訳」である。
正確に訳することが重要なのは当然だが、今練習したいことはそれではない。
その点はご了解を。
1 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
これは戦国時代のクリスチャン、細川ガラシャの辞世の句である。
これを意訳する。
「散り際を知り、その通りに散る花や人こそ美しい」
2 今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代わる 我が身と思えば
次は、播磨の戦国時代の大名、別所長治の辞世の句である。
別所長治は織田信長の部下(当時)であった羽柴秀吉と戦うが、武運拙く敗れ、城兵の命と引き換えに開城・自刃する。
その際の辞世の句がこれである。
これを訳す。
「オレの命で城兵たちの命が救えるのだ、特に恨みはない」
3 浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して
これは備中高松の武将、清水宗治の辞世の句。
清水宗治は秀吉と毛利家の絆を自身の命をかけて作った人である。
(歴史的経緯の説明は省略、知りたい人はググれ)
これも訳してみる。
「我が名を高松の苔に遺し、今こそわが命を活かそうぞ」
なんか内田真礼さん(アイドルマスター・シンデレラガールズの「神崎蘭子」の中の人)のCVがピタリとはまったのだが・・・まあいいや。
次いこう。
4 若殿に 兜とられて 負け戦
気分転換に別の時代に移る(安土桃山時代にはまた戻る)。
これは二・二六事件の首魁として刑死した北一輝の辞世の句である。
これを訳してみる。
「若殿が自ら動いたので負けました」
これは多少事実の説明が必要か。
二・二六事件とは、「昭和維新」の達成を目論んだ皇道派の陸軍将校らが部下を率いて政府首脳を襲撃・殺傷したクーデター未遂事件である。
政府首脳の襲撃等により内閣は一時機能停止に陥るが、昭和天皇がこの襲撃に激怒し、自ら鎮圧を命じることなどによりこのクーデターは失敗に終わる。
辞世の句の「若殿」は昭和天皇のことである。
5 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
「オレは死ぬけど望みを叶えてマジ嬉しい、夜の月がくっきり見えるような嬉しさだ」
6 つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
これは平安貴族でる在原業平の辞世の句。
「私もいつか死ぬ、それは分かっていた。だが、それが今になるとは。」
7 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
「我が肉体は処刑場で朽ちる、だが、我が魂をこの世に残すっ!!!」
8 五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで
再び戦国時代に戻る。
これは室町十三代将軍・足利義輝の辞世の句である。
「この五月雨は私の涙だろうか、ほととぎすよ、私の名を広く伝えてくれ」
「伝えてくれ」のところを「伝えよ」にすべきか悩んだがどうなんだろう。
9 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢
ご存じ豊臣秀吉の辞世の句。
「我が身も露のようなモンだ。天下は取ったけどこれも夢のさらに夢だし」
さて、次で10個。
これで区切りにしよう。
10 討つ者も 討たるる者も 土器よ くだけて後は もとの土くれ
これは戦国時代の相模の武将、三浦同寸の辞世の句。
「勝者も敗者も所詮は土器よ。どっちも死ねば土に還る」
11 感想
以上、10個の和歌を「私釈三国志」の翻訳方法に準じて訳してみた。
この点、「辞世を選ぼう」と思って並べたわけではない。
記憶の中から思いついたものをグーグルなどで確認して決めただけである。
しかし、普通の和歌が入らなくてビビった。
ただ、そろそろ記憶にある詩のストックが消える。
だから、次は「百人一首から選ぶ」とかにするか。
あと、10個の詩を訳していて感じたが、私には思いっきりのよさがない。
例えば、「私釈三国志」のサイトでは次のような訳がなされている。
(以下、私釈三国志のサイトより原文と訳文を引用)
対酒当歌 ――さぁ、酒だ
(中略)
唯有杜康 ――酒だ、酒しかないっ!
力抜山兮気蓋世 ――この天下はオレのモンだったのに
(以下略)
(引用終了)
「酒に対してはまさに歌うべし」を「さぁ、酒だ」に訳する。
本来なら(以下、私の訳、超適当)「酒があるなら当然歌うべきだ」とかになるのだろう。
それを「さぁ、酒だ」にまとめ上げるのはすごい。
また、「力は世を抜き、気は世を覆う」を「この天下はオレのモンだったのに」に訳している。
本来なら、「私の力は山を抜くくらい強く、私の気は世界を及ぶほど強大だった。」などになるのだろう(この訳は私が即興で訳したもの、適当である)。
しかし、原文7文字の趣旨は私釈三国志の訳のとおりである。
私の訳を見ると、何か心理的なロックがかかっている感じがする。
ためらい?なのかな。
その辺が開錠できたらもっといいものができるのだろうか。
よくわからない。
ただ、なんだかんだで面白かった。
機会があれば、百人一首で同じような翻訳をやってみよう。
具体的な何かを作る予定はないけど、この能力何かに応用できるかもしれないので。