薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

私を引き付けた翻訳

1 「私釈三国志」というサイト

「私釈三国志」というサイトがある。

 

www5f.biglobe.ne.jp

 

 このサイトは、中国の三国時代(魏・蜀・呉)について歴史書の「三国志」や「三国志演義」等を参照をしながら書いたものである。

 はじまりは黄巾の乱から、終わりは三国を統一させた晋(西晋)が滅亡する(永嘉の乱)まで。

 

 分量はかなり多い。 

 全部を一気に読み切るのは大変である

 少しずつ読むのがいいだろう。

 

 また、「私釈」という文言が付いているように作者の解釈も含まれている。

 しかし、資料等についても触れており、「私釈だから(以下略)」ということはない。

 むしろ、作者の解釈があることがこの「私釈三国志」の魅力を高めている。

 

 あと、おまけ(番外)として「漢楚演義」というものがある。

 これは「項羽と劉邦」の時代(プラスアルファ)を取り上げたもの。

「私釈『楚漢戦争』」という感じの内容である。

 こちらは全部で13話。

「作者の文章がどんな感じか見る」ならこちらを読むのも十分ありだ。

 

2 私を三国時代と「項羽と劉邦」の時代に誘い込む

 このサイトを見るまで私は中国の三国時代に関心がなかった。

 確かに、私はコーエー歴史シミュレーションゲーム信長の野望」はハマっており、いくつかのシリーズ(烈風伝天翔記など)をやりこんでいた。

 しかし、「三国志」シリーズは全くやっていなかった。

 

 また、三国時代については全く知らなかった。

 せいぜい、漫画の世界史シリーズで出てきたこと・中学と高校の国語(漢文)に出てきたことくらいしか知らなかった。

 具体的には、孫堅孫権を一緒くたにしていたくらいである。

 

「私釈三国志」を読むきっかけは忘れてしまった。

 ただ、このサイトを読んで、私は三国時代や「項羽と劉邦」の時代についてハマりこむことになる。

 

 まず、「私釈三国志」それ自体について分量がたくさんある。

 そのため、扱われている時代が広く、細かい。

 よって、これを読むことで単純に勉強になり、三国志に関する知識も増えた。

 

 また、このサイトを見たあと、私は「三国志」に関するドラマや「項羽と劉邦」の時代のドラマを視聴することになる(もちろん、それらにもハマりこむ)。

 あるいは、時間を見つけてネットカフェに行き、横山光輝の漫画『三国志』60巻を全部読破することになる。

 現在、アマゾンのアンリミテッドを使い、吉川英治の『三国志』が読める状態になっているが、近いうちに全部読む予定である。

 

 というわけで、私は少しの間、三国志三昧の生活をしていたのである。

 

3 私がしてみたいこと

 ところで、私の感じているこのサイトの魅力に「詩や原文の訳」がある。

 

 例えば、「私釈三国志」の「156 建安文学」( http://www5f.biglobe.ne.jp/~f-sinner/3th/156.html )では、曹操が詠んだ『短歌行』の冒頭部分が次のように訳されている。

 

(以下、サイトより引用)

 対酒当歌 ――さぁ、酒だ
 人生幾何 ――人生がどれほどのものだというのか
 譬如朝露 ――朝露のようにはかなく
 去日苦多 ――去りゆく日々はむなしい
 慨当以慷 ――悲しみにくれたとしても
 幽思難忘 ――亡き人のことは忘れがたい
 何以解憂 ――どうすれば、この憂いは解けるのだろう
 唯有杜康 ――酒だ、酒しかないっ!

(引用終了)

 訳に感情がこめられている上、歌が持つ力強さを感じる。

 

 せっかくなので、もう1個例を出そう。

「漢楚演義」の「12 四面楚歌」( http://www5f.biglobe.ne.jp/~f-sinner/3th/000-24.html  )にて、項羽が垓下の戦いの最後の段階で設けた別れの宴席で読んだ詩(いわゆる「垓下の歌)についてこんな訳が付されている。

 

(以下、サイトより引用)

力抜山兮気蓋世 ――この天下はオレのモンだったのに
時不利兮騅不逝 ――不利になったら騅すら云うことを聞いちゃくれねェ
騅不逝兮可奈何 ――騅まで云うこと聞かねーなんて、あーあ、どーしたモンかなぁ
虞兮虞兮奈若何 ――虞よ、お前もどーしたモンかなぁ

(引用終了)

 こちらも感情が込められていて良い。

 国語(漢文)の教科書に書かれている訳文に比べて、なんと生々しいことか。

 

 というわけで、この訳し方には非常に心惹かれる。

 私もこのような訳が書けるようになりたい。

 

 というわけで、練習をしよう。

 こんな訳がいきなり書けるようにはならないだろうが、「千里の道も一歩から」である。

 

 上の原文が中国に由来することから、中国の古い書物から原文を抽出しよう。

 まずは、『孫子』から。

 なお、原文と書き下し文は『新訂孫子』(金谷治訳注、岩波文庫、2000)のものから引用する。

 

 まずは、この文章を翻訳してみよう。


(以下、所謂「敵を知り己を知れば百戦して殆うからず」の下りを引用)

故曰、知彼知己者、百戦不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戦必殆。

(故に曰わく、彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし)。

(引用終了)

 

 いわゆる「敵情を知り、自分の事情も知っていれば、百回戦っても危険がない」という部分である。

 この部分を訳してみる。

 

 よって、「相手と自分についてちゃんと知っていれば、戦っても大丈夫だ。自分を知っていても相手のことを知らなければ、運を天に任せるようなものだ。相手のことも自分のことも知らないようでは、危なっかしいことになる」と言うことになる。

 

 うーん、いまいち。

 戦術書のような技術書から原文を引っ張り出したのがまずかったか。

 

 でも、なんか面白そう。

「中国の古い時代の文章や日本の古い時代の文章を使って上のような感じで翻訳する」ということは続けてみようか。

 あるいは、現代の堅苦しい文章(例えば、憲法・法令の条項)を翻訳してみるか。

 それも面白いかもしれない。