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司法試験の過去問を見直す4 その5

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 ここまで平等原則を中心に見てきた。

 平成15年の過去問を検討するだけであれば、これで十分である。

 しかし、現在の司法試験の場合、このような問題は憲法訴訟とセットで出題されることが推測される。

 そこで、今回は憲法訴訟で本問との関連性の高い立法不作為について確認する。

 

6 事実上の争点と訴訟上の争点

 今回、題材にした最高裁判所の事件、この訴訟の実質的な争点は「再婚禁止期間」という民法の規定の違憲性である。

 しかし、事件はリンク先の判決を見ればわかる通り「損害賠償請求事件」である。

 つまり、訴訟上の争点は国家賠償法1条1項の「違法」の有無の争いである。

 憲法に引き付けて書けば、「(再婚禁止期間の規定を放置した)国会の不作為の違憲性」である。

 

違憲判断が出た事件の判決のURLはこちら)

平成25年(オ)第1079号損害賠償請求事件

平成27年12月16日大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/547/085547_hanrei.pdf

 

 この点、原告から見た場合、再婚禁止期間に関する違憲判断さえ出れば、実質的には勝利である。

 しかし、訴訟で原告が勝訴するためにはこの「国会の立法不作為」が違憲・違法である必要がある。

 そして、この立法不作為が違憲・違法にならなければ、原告は敗訴である。

 実際、この判決の主文は原告側の「本件上告を棄却する」である。

 

 

 なお、このような訴訟を政策形成訴訟という。

 政策形成訴訟の例としては選挙訴訟などがある。

 

 そこで、ここから訴訟上の争点・「立法不作為」に関する前提知識について確認する。

 

7 立法不作為の定義と具体例

 立法不作為とは国会が法律を作成しない、改正しないことをいう。

 

 例えば、憲法は国会議員の選出について普通選挙を要求している(憲法15条3項、44条)。

 その一方で、具体的な投票システムの設計は国会の制定する法律に委ねている(憲法44条、47条)。

 

 すると、このような事態が想定される。

 第一に、選挙制度を具体化する法律を最初から作らない。

 この場合、憲法が保障する選挙権は無意味なものになる。

 第二に、一定の社会条件があった関係で一定の国民(日本国籍を有する者)に選挙権を与えないような法律を作った。

 その後、社会情勢の変化によりその選挙権を制約しなければならない条件が解消された。

 にもかかわらず、国会は選挙権を与えるような法律改正を行わない。

 この場合も憲法が保障する選挙権は無意味なものになる。

 このように、憲法上の権利を実現するために必要な法律をそもそも作らないこと、あるいは、権利を保障しない状態の法律をそのまま放置すること、これを「立法不作為の問題」という。

 

 前者の例はほとんどない。

 なぜなら、憲法制定の直後に憲法上の権利を実現するための法律を作ってしまうからである。

 この場合、制定した法律の内容の合憲性は問題になるが、それと立法不作為とは一応無関係である。

 

 他方、後者の例はいくつか存在する。

 選挙権にかかわる最高裁の著名な事件として次の二つがある。

 

平成13年(行ツ)第82号 在外日本人選挙権剥奪違法確認等請求事件

平成17年9月14日大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/338/052338_hanrei.pdf

 

昭和53年(オ)第1240号損害賠償請求事件

昭和60年11月21日最高裁判所第一小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/654/052654_hanrei.pdf

 

 今回取り上げた再婚禁止期間に関する事件も後者のケースに該当する。

「社会的事情が変化したのに憲法上の権利を過度に制限した法律を放置した」という意味では「後者の例」と同様である。

 また、下級審の違憲(違法)判決で、かつ、政治判断によって上訴されないまま一審判決が確定したものとして、熊本地方裁判所ハンセン病国家賠償請求事件がある。

 

 さて、この立法不作為に関する諸問題。

 もっとも、立法不作為について見ていく前に、前提として押さえるべきものがある。

 よって、その前提について確認する。

 

8 国家権力の行為によって生じた損害に対する救済方法

 憲法の教科書などで学ぶ場合、立法不作為に関する話は「立法不作為は(実体法上・訴訟法上)違憲か」という点から学ぶ。

 ただ、憲法の教科書において「憲法訴訟」は後半にあるところ、「憲法訴訟」について触れる前に憲法の人権について学んでいる。

 よって、立法不作為についてみる前に、関連する人権、特に、17条に規定する国家賠償請求権についてみておく。

 これを見ることで、「何故、立法不作為を持ち出す必要があるのか」という点が理解できるのではないかと考えられる。

 

 

 立法不作為を取り上げる理由は何か。

 それは、「違法な国家権力の行使がなければ国(自治体)は損害賠償責任を負わず、被害者は国家賠償請求権による救済が受けられないから」である。

 

 この点、憲法17条は国民の国家賠償請求権を保障している。

 そして、国家賠償請求権を具体化する法律として国家賠償法という法律が制定された。

 それらの条文は次のようになっている(強調は私の手による)。

 

憲法第17条

 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 

国家賠償法第1条1項

 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

 

 比較のため、民事の不法行為責任を規定した民法709条の条文もみておく。

 

民法709条
 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

 

 条文によると、一般的な国家賠償が認められるための要件として、公務員の職務関連性・損害・因果関係といった要件の他に、「故意または過失」と「違法」という要件がある。

 そのため、「違法でない行為」・「(違法であっても)故意・過失がない行為」によって被害者にどのような重大な損害が発生しても、国家賠償法1条1項による責任は発生しない

 責任がなければ、被害者は国家賠償によって救済されることはない。

 もちろん、憲法や法律による補償による救済や例外があるとしても。

 

 この点については民法不法行為も同様である。

 条文の文言が「違法」ではなく「『他人の権利又は法律上保護される利益』の『侵害』」となっているだけで。

 

 

 具体例として、刑事事件の捜査・裁判を考えてみる。

 ある殺人事件があって警察と検察が捜査を行った。

 捜査の結果、特定の被告人に対する犯人の可能性が固まり、その被告人は逮捕・起訴された。

 被告人は犯行時刻におけるアリバイを主張していたが、捜査によってそのアリバイを裏付ける証言・証人は存在しなかったため、検察官は被告人のアリバイ主張は虚偽であると考えて、訴訟活動を進めていった。

 ところが、公判中に被告人のアリバイを目撃していた無関係の第三者が偶然現れ、裁判所で証言した(証言には信用性があるものとする)ので、検察官による立証は破綻し、裁判では無罪となった。

 逮捕から無罪判決が確定するまで約1年間かかり、被告人はこの件で職を失う、地位を失うなどの甚大な損害を被った。

 しかし、違法な捜査(拷問などによる自白誘導その他)がなければ、この被告人は国家賠償による救済は受けられない(なお、全く救済されないわけではない、それについては後述)。

 

 別の事例を考えてみよう。

 政府・自治体がダム造りのためにある村を沈めることになった(決定手続に問題はなく、適法なものとする)。

 その結果、その村の住民は生活の拠点と土地(財産)を失った。

 これも国家権力の行使による損害の発生の一例である。

 また、このダム作りは社会のため(公共のため)のものであった。

(具体的な額はさておき)この損害を補填すべきであるという意見には賛同されるであろう。

 しかし、違法な手続きがない以上、国家賠償によって救済されることはない

 

 

 この点、憲法はこの2例について国家賠償以外の救済の手段を規定している

 無罪判決については憲法40条で規定された刑事補償によって。

 ダムで沈められた村については憲法29条3項で規定された財産補償によって。

 しかし、憲法で規定されていない事例(適法な生命侵害・身体に対する危害)については「憲法による救済の道」がないことになる

 例えば、予防接種禍の問題がこのケースに該当し、最高裁判所はこの問題について国家賠償の範囲を広げることで対応した。

 

 この点、「憲法上の救済がない」ということは「救済が全くなされない」ことを意味しない。

 国会が法律を作れば「法律による救済」を行うことは可能であるし、現にこの手段による救済はいくらでもなされている。

 しかし、憲法に(明文上・解釈上)規定がないならば「国会は救済しなくてもよい」・「不十分な救済でも構わない」ということになる。

 

 

 このように見ることで、「立法不作為」を持ち出す意味が見えてくる。

 裁判所(司法権)を使って政府・国会(多数派)の意に反する被害者への救済を強制するためには「違法な国家権力の行使」がなければならない。

 一方、行政権を統括する内閣・政府には「法律を誠実に執行」する義務(憲法73条1号)があるため、政府は勝手に「この法律は違憲だから執行しない」などとは言えないのが原則である。

 そのため、憲法上瑕疵ある法律を機械的に執行して被害者に損害を加えたとしても、政府の行為は原則として適法になる(もちろん、例外はありうるが)。

 したがって、政府(行政)の行為ではなく、「国会の違憲・違法な行為」を特定する必要があるのである。

 以上が立法不作為を持ち出す理由である。

 

 

 なお、2点だけ深堀しておく。

 まず、「国会(多数派)が救済しないと決めた被害者を救済する義務はどこから発生するのか」という点は(憲法が規定している)「平等」と「権利」がキーワードになる。

 つまり、「国家権力の行為によって特定の個人に損害が集中した。この場合、その損害は全体で負担し、個人の権利を保護するのが平等(公平)である」という発想が国家賠償(憲法17条)や損失補償(憲法29条3項)にある。

 そのため、国民の持つ「平等」や「権利」の価値観によっては、「そのような損害は憲法上の『権利』に含まれない」・「特定の個人(基本的にマイノリティや弱者)に損害を押し付けても差別ではない」と考えて救済しなくてもよいといったようなことは言いうる。

 

 次に、「違法」行為に限定するのは不当ではないかという点について。

 確かに、「適法ならば責任なし」・「過失なければ責任なし」というのは損害を被る被害者にとって酷にも見える。

 一方、無過失責任・結果責任にしたら人間・集団はチャレンジ・試行錯誤できなくなり、社会は停滞してしまう。

 それは政治でも変わりはない。

 また、比例原則に照らして考えれば、発生する損害が重大になる行為に対しては適法(注意義務)のハードルも高くなる。

 よって、「違法」の要件があることそれ自体はしょうがないと考えられる。

 もちろん、「違法」の具体的な中身が問題になるとしても。

 

 

 立法不作為についてみる前に結構な分量になってしまった。

 立法不作為について具体的に見るのは次回に。