0 はじめに
現在、私はこのブログで「犯罪収益移転防止法とその関連法令の条文を読むことにより、マネロ対策(AML/CFT)について勉強して、そのプロセスをこのブログで公開する」という作業を行っている。
当然のことではあるが、AML/CFTに関する参考文献はたくさんある。
私個人も「マネロン対策として次の書籍に目を通す・読む・問題を解く」といったことを行っている。
そのため、条文なんぞを直接あたらずとも参考書を読めば足り、犯罪収益移転防止法や関連法令の条文を読む必要はあるのか、という疑問が生じるかもしれない。
特に、大学受験的な発想で考えれば、この質問はもっともなものであろう。
この点、「犯罪収益移転防止法と関連法令の条文を読み、犯罪収益移転防止法関連法令を整理していく作業」はマネロンの理解を促進する。
したがって、条文を読む合理性は一定程度に存在する。
しかし、犯罪収益移転防止法と関連法令の条文を読む必要性は、その人のマネロンとの関わり方に全面的に依存する。
ぶっちゃけ、その人の適性と目的に依存する。
だから、合理性はさておき、必要性は「私の適性とマネロンを学ぶ目的から条文を読むことに意味がある」としか言えない。
そして、当然だが、マネロンを学ぶ具体的な目的をここで書くつもりはない。
ところで、このブログでは少し前に司法試験の過去問を検討していた。
そこで、司法試験との観点から条文にあたる意味について述べておく。
司法試験に合格する必要がある人間にとっては重要だから。
あるいは、そうでなくても「そういうものなのか」と知っておけばいろいろと応用が効くだろうから。
なお、一点注意事項。
私は、「条文にさえあたればいい、参考書は不要」などと述べる気はない。
このことは、私自身、条文を整理する前に、上の参考書や政府機関の資料(ガイドラインその他)を見ていることが重要な間接事実となるだろう。
あるいは、以前紹介した司法試験法3条4項の条文も参考になるかもしれない。
少なくても、司法試験は六法の関連法令を暗記すれば解ける試験ではないから。
(司法試験法3条4項)
司法試験においては、その受験者が裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を備えているかどうかを適確に評価するため、知識を有するかどうかの判定に偏することなく、法律に関する理論的かつ実践的な理解力、思考力、判断力等の判定に意を用いなければならない。
1 「定義・趣旨・条文」という呪文
当時、司法試験を合格した人間が唱えていた呪文に「定義・趣旨・条文」というものがある。
もちろん、この呪文には「定義・趣旨・条文」が大事であることを再確認させる効果しかなく、間違っても「定義・趣旨・条文」と唱えれば記憶力や文章力がアップするわけではない。
この点、条文とは具体的な条文である。
例えば、上で参照した条文もこの条文の具体例である。
次に、趣旨とは立法趣旨であり、条文が制定された趣旨である。
これに関する超有名な例を出せば、民法94条2項がある。
民法94条
第1項 相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
第2項 前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。
民法94条を私釈三国志風に意訳すれば「口裏をあわせた仮装合意は無効だ、ただし、知らない第三者の権利が関係する場面では有効だ」となる。
では、この民法94条2項の趣旨は何か。
それがいわゆる「権利外観法理」と呼ばれているもので、「自ら虚偽の外観を作出したものは、その外観を信じた第三者に対して責任を負う」というものである。
つまり、「民法94条2項の趣旨は権利外観法理」ということになる。
その結果、民法94条2項が直接適用されない場合であっても、同条文を類推適用して妥当な解決を図ることになる(この点は後述)。
最後に、定義は条文の文言の意味である。
例えば、民法725条には次の規定がある。
民法725条
次に掲げる者は、親族とする。
一 六親等内の血族
二 配偶者
三 三親等内の姻族
つまり、この規定は、「親族とは、①六親等内の血族、②配偶者、③三親等内の姻族」というように定義を定めていることになる。
このように文言の意味を明確に示すことも重要になる。
でないと、基準が不明確になるから。
2 定義・趣旨・条文とそれ以外の優劣
さて、「定義・趣旨・条文」という呪文の中には最高裁判所の判例(控訴審の判例)は入っていない。
または、著名な教授の書いた書籍(基本書)や論文も入ってない。
さらに言えば、過去問も。
この点、過去問は当然の前提として省かれている可能性はないではない。
なぜなら、大学受験を経ている通常の司法試験受験生が「試験において過去問を見ない」などということはでは考えられないだろうから。
それゆえ、過去問を上の3つに追加することはありかもしれない。
まあ、受かってしまえば過去問は無用なものに転化するのは当然として。
他方、判例・学説それ自体はこの3つに劣後する、とは言える。
確かに、定義や趣旨には判例や通説によって形成されているものもある。
著名なものをいえば、「検閲」(憲法21条2項)とか。
つまり、定義や趣旨の原典が判例や学説にあることはない話ではない。
また、過去問の事例の元ネタが判例、といったことは頻繁にある。
そこで、過去問を通じて判例を参照することもある。
それは、司法試験の過去問再検討でみてきたとおりである。
しかし、定義・趣旨・過去問と関連性のない判例・通説はその重要性が明らかに下がることになる。
では、なぜ、判例は定義・趣旨・条文に劣後するのか。
今回はその理由を「司法試験で問われる法律実務能力」の内容から考えてみる。
と、ここまで続けてきて話がマネロンから司法試験に脱線したうえ、長くなりそうである。
したがって、続きは次回に。
あと、なんだかんだ言っているが、「このブログのノルマをつぶすため」というのも極めて重要な理由である。
ブログのノルマがなければ、マネロンの学習成果をブログにしようとは考えなかっただろうから。