今回はこの記事の続き。
なお、私が司法試験(昔のシステム)に合格したころ、参考書(学説・理論)よりも条文の重要性について触れいている司法試験(現行のシステム)の合格体験記があるため、その文章のリンクを貼っておく。
もちろん、この合格体験記は当時のものであるから、現時点では幾分か修正しないといけない部分があるかもしれないが。
あと、この合格体験記は条文と判例の等価的重要性を主張しているようにも見えるため、私の文章と趣旨がずれているかもしれない。
3 「法令を適用する」とは
前回、「判例(学説)は定義・趣旨・条文に劣後する」と述べた。
その理由を司法試験で問われる能力からみていく。
まず、司法試験で問われる能力を列挙してみる。
① 事案(事件)を短時間で正確に把握する能力
② 法令を適用する能力
③ 妥当な結論を導く能力
④ ①~③の思考過程を文章で説明する能力
つまり、定義・趣旨・条文は「法令の適用」という作業において必須の部分になる。
そして、司法試験は法律実務家採用試験と言い換えられるところ、法律実務家において法令の適用は必須の能力であるから、「定義・趣旨・条文」という呪文(!)が唱えられるのもむべなるかな、といえる。
ここで、法令の適用作業をもう少し分解する。
司法試験の論文式試験の問題では「条文を機械的に事案にあてはめて終わり」という問題は原則として登場しない(前座として登場することはないではないが)。
この点、短答式試験では頻繁に登場する。
そのことは上の合格体験記でも述べられている通りである。
また、実務においてこのようなケースが少なくない。
ただ、実務の場合、事実関係自体に争いがあることがほとんどであるし、争いがなかった場合でも当事者の思惑・後の事情・紛争解決コストなどを加味するといった別の事情があるため、さらにややこしくなるのだが。
では、「条文を機械的に事案にあてはめられない」ケースとはどんなケースか。
パターンをざっくり分類すれば、次の4つになる。
① 事案に適用されうる条文(一般条項を除く、以下同じ)が2つ以上ある場合
② 事案に適用されうる条文が1個しかないが、適用される条文の文言が不明確な場合
③ 事案に適用される条文が1個しかなく、適用される条文の文言が明確であるが、その結論が一方的であって妥当ではない場合
④ 事案に適用できる条文がなく、その結果導出される結論が妥当でない場合
では、このような場合にどのようにして法令を適用するのか。
まず、条文の背後にある考え方、いわゆる条文の趣旨を参照する。
そこで、趣旨を参照しながら法律上の効果を発生される条件(いわゆる「要件」)に関する具体的な基準を作り、あるいは、条文の文言の定義を定める。
あとは、事例と基準や定義を参照して、基準を満たすか、定義に該当するかの判断をして、結論を出せばいい。
つまり、趣旨と定義は、法令を適用して基準を生み出す際に不可欠の道具になる。
このいわゆる「規範定立」の部分は法令を適用する際の必須作業で、これが抜ければ、価値判断一色になったり、評論文になってしまう。
その意味で、条文と定義と趣旨は、法令の適用において重要な役割を果たすことになる。
このようにみると、判例・学説は、法令の適用それ自体ではなく、その過程で生まれたもの(民法の言葉で言えば「果実」)ということになる。
そういう意味で、定義・趣旨・条文に比較すれば、判例と学説は劣後するのかなあ、と考える次第である。
まあ、「劣後する」といっているにすぎず、特に、判例は定義・趣旨・条文の次に重要なもの、ではあるとしても。
4 機械的に法律を適用できない具体例_前編
以上の一般論ではピンとこないかもしれない。
また、具体例と法律の往復は法律の理解のための極めて重要な要素である。
そこで、①から④の具体例を例示する。
なお、以下に示すケースは判例を前提としており、また、判例上の結論も存在する。
まずは、①の複数の条文が適用されうる場合のケースから。
事案と参照すべき条文は次のとおりである。
(①の具体例)
ある土地と家屋(以下、2つあわせて「本件不動産」という。)をAとYが持ち分半分ずつで共有しており、その旨の登記も存在している。
また、本件不動産はAの住居として利用し、これに対してAはYに対価を支払っていた。
さて、Aには内縁の妻Xがおり、XとAは共同生活を送っていた。
しかし、AとYは疎遠だったこともあり、Aに内縁の妻Xがいることを知らなかった。
そんな状況でAは死亡した。
Aには子と兄弟はおらず両親も既に他界しており、法律上の相続人が存在しなかった。
そこで、Xが特別縁故者として家庭裁判所に請求したところ、家庭裁判所はXを特別縁故者として認め、Aの相続財産の全部を与える決定をした。
その一方、Aの死亡を知ったYは民法255条を根拠に不動産が単独所有になったとして、不動産を単独登記に変更した。
そこで、XはYに対してAの持ち分に関する共有持分の変更登記を請求した。
Xの請求は認められるか。
(参照条文)
民法255条
共有者の一人が、その持分を放棄したとき、又は死亡して相続人がないときは、その持分は、他の共有者に帰属する。
民法958条の2第1項
前条の場合において、相当と認めるときは、家庭裁判所は、被相続人と生計を同じくしていた者、被相続人の療養看護に努めた者その他被相続人と特別の縁故があった者の請求によって、これらの者に、清算後残存すべき相続財産の全部又は一部を与えることができる。
本件では、適用する条文が2つあり、適用する条文によって結論が変わってしまう。
そのため、いずれが優先するかが問題となる。
その際には、それぞれの条文の趣旨を参照している(詳細は後述の判例参照)。
昭和63年(行ツ)第40号不動産登記申請却下決定取消事件
平成元年11月24日最高裁判所第二小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/769/052769_hanrei.pdf
次に、②の具体的なケースをみていく。
(②の具体例)
Xはとある市の市長を長年在職し、市長の退任後、その地方の県知事選挙に立候補しようとしていた。
その選挙活動期間の直前、出版社Aは、極めて扇情的な表現を用いてXの過去に関する虚偽の事実を列挙した記事を雑誌に掲載しようとしていた。
そして、雑誌は既に販売部数分だけ印刷され(印刷された雑誌を「本件雑誌」という。)、校正作業を残す段階に入っていた。
そこで、Xは名誉権侵害の予防を理由に、これらの雑誌の全部を執行官保管させるとともに、雑誌の印刷、製本、販売、頒布の禁止等を命じる仮処分をY裁判所に申請した。
Y裁判所はこれを仮処分を決定し、本件雑誌は全て執行官に押収された。
XはYの仮処分は憲法21条2項の「検閲」にあたると主張し、本件雑誌の返還を請求した。
Xの主張は認められるか。
(参照条文)
憲法12条後段
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
憲法13条後段
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法21条1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
憲法21条2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
この事件の元ネタは北方ジャーナル事件である。
ただ、ここでは表現の事前抑制が許されるかという部分ではなく、「裁判所の仮処分が『検閲』にあたるか」という観点だけを見ていく。
昭和56年(オ)第609号損害賠償請求事件
昭和61年6月11日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/665/052665_hanrei.pdf
「検閲」といえば「思想表現物の発表を制限する行為」という大まかな範囲は把握できるとしても、その範囲(境界)が明確かと言われれば、必ずしもそうではない。
このことは「検閲」に関する論点を挙げていけばわかる。
・検閲の主体は、行政権だけではなく司法権も含むのか
本件の争点はまさにこれである。
・表現内容は、思想内容だけではなく表現内容も対象となるのか
例えば、旧ツイッターのあいさつとしてつぶやかれた「おはよう」などといった表現内容も検閲の対象になるのか、とか。
まあ、17文字の俳句が思想内容の範疇に入らないことはないだろうから、数文字だから表現内容にならない、ということはないのかもしれない。
・検閲は発表の禁止に限るのか
例えば、発表・出版は自由に行わせるが、発表の際に会場の敷地の周囲を機動隊に囲ませ、聴衆は会場に入れない(聴けない)状況にするのは「検閲」に該当するか。
あるいは、出版自体は禁止されていないが、発売日の前夜に書店に出版物が配布され、発売日の早朝に書店に回っているすべての出版物の全部を差し押さえる行為は「検閲」に該当するか。
まあ、これらの行為はたとえ「検閲」に該当しないとしても、「表現の自由に対する違法な公権力の行使」になる可能性は十分あるだろうけれども。
以上より、訴訟・裁判という観点から見れば、「検閲」という文言は基準としてあいまいである。
そこで、条文の趣旨を遡ることで条文解釈をして「検閲」を定義する必要がある。
なお、最高裁判所の「検閲」の定義の説明は割愛する。
次の③の具体例を見ていこうと考えていたが、既にそれなりの分量になってしまった。
残りの具体例と判例の重要性については次回に回す。